ふわふわと、ふわり

月兎 咲花

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≪春≫髪の毛にくっつく花びらたち

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 桜の花びらが、ふわりと舞う。
 風と遊ぶ花びらは、花魁のような艶やかさで空を踊り、やがてかゆうの髪に口付けた。
 指を伸ばして、彼女の髪に付いた花びらを摘み(つまみ)取る。
「春だなぁ」
 今取った花びらを見つめていると、前にいたかゆうが振り返って言った。
「わっわっわ、もしかして私の髪に付いてたの? 可愛いねぇ」
 花びらを掌に乗せてまじまじ見ていたら、彼女が顔を近づけてきた。
 しかし顔が近すぎたのか、花びらは彼女の鼻息で僕の元から飛んでいってしまう。
 彼女は少しだけしょんぼりしていたけれど、すぐに気を取り直して、満開の桜を見渡した。
「キミト君、桜だよっ桜っ」
 花遊は自分の髪に桜の花びらが付いていたのが余程嬉しかったのか、無邪気にはしゃいでいる。
「今年の桜は、いつもより少し遅いなぁ」
 四月初旬の下校時間。
 土がむき出しになった道を歩きつつ、左右の木を見上げる。
「そうなの?」
 僕の言葉に釣られて、かゆうは首を傾げながら桜を見るなんて器用なことをしていた。
「今朝テレビでもやってたぞ」
「そうだ、テレビでやってたといえば、私の今日の運勢は大吉だったんだよ!! ラッキーアイテムはねぇ――」
 花遊は嬉しそうに、今朝の運勢が良かったことや、ラッキーアイテムについて熱弁していた。
 あまりにも夢中で喋るものだから、また桜の花弁が頭に乗っていることに気がついていない。
 僕は花遊についた花びらを再び取りながら、彼女に同調した。
「花遊の運勢が良かったから、綺麗な桜を見られたね」
「そうでしょ、私はらっきーがーるだからね」 
 にししと笑う花遊の笑顔に見蕩れてしまい、ドキッとして彼女の顔を見ないように自分のつま先に視線を落とした。
 「はいはい」
 生返事しながら、彼女の方を向くと花遊が僕の視界から消えていた。
 落ち着いて彼女の姿を探すと、しゃがんで花びらを拾っていた。
 あっ、これ可愛い。これは踏まれてるー、がーん。これはちょっとかわいくなーい。
 なんてぶつぶつ言いながら、かゆうは手の中に桜の層を作っていく。
 名は体を表すというけれど、今のかゆうほど相応しい者はいないだろう。
「何やってんの?」
「んー、ないしょー」
 一緒にしゃがみ込んで、彼女が一生懸命花びらを集めるのを見守る。
 集め始めてから五分も経たないうちに、彼女の小さい手は花びらでいっぱいになった。
 沢山集めて何をするのかと思えば、溢れんばかりの花びらが乗った手を、僕の顔に近づけて来た。
「キミト君。ふっ」
 花遊が僕の名前を呼んだ瞬間、こちらへ向かって花びらを吹きかけてきた。
 目の前で花びらが舞い上がる。
 ふわりと舞い上がった花びらは、向かい風で花遊の顔に飛んでいった。「うわっわっ」
 花遊は顔に向かってくる花びらにびっくりしてしりもちをつく。
 花遊の顔には飛んで行った花びらがいくつも貼り付いていた。
「なにやってんだよ、花遊」
 盛大にこけたので、少し笑ってしまう。
 彼女は僕の言葉にふてくされて、そのまま寝ころんだ。
「ぶーぶー」
 かゆうの唐突な行動に呆れつつ、彼女をなだめる。
 空を見つめる花遊は「いいてんきだねー」と雲の少ない空をまっすぐ見つめていた。どうやらあまり気にしていないようだ。
 僕は花遊に歩み寄り、顔に貼り付いた花びらを取ってあげる。
「いーちまーい、にーまーい、さーんまーい……」
 かゆうの顔を掃除をするついでに、その頬をムニムニとつまんでみた。
「キーミートーくーん」
 つまんでいた頬が、ぷくっと膨らむ。
 かゆうはガバッと上半身を起こすと、ジト目でこちらを見た。
「うわっ」
 突然起き上がるものだから、全く身構えておらず、思わず一歩下がる。
「もう。危ないだろ」
 花遊の鼻の頭には、花びらが一枚くっついたままだ。
 くすっと笑いながらその花びらを取ってやり、ポケットにこっそり仕舞う。
 その仕草に気がつかれまいと、反対の手を花遊に差し出した。
「ふんっ」
 彼女はそっぽを向きながらも、その小さな手で、差し出した僕の手をしっかりと握ってくる。
 花遊の手を握り返して、「よっ」と引っ張り上げた。
 花遊を立ち上がらせると、僕は少し名残惜しい気持ちを抱きつつも手を離した。
 花遊はそっぽを向いたまま、僕が握っていた方の手を見つめている。
 それを見なかったことにして、彼女の背中に付いた土を払ってあげた。
「えへへっ、ありがとう」
 背中しか汚れていないのに、花遊はなぜか万歳のポーズだ。
 そして、急に回りだした。
「おいっ、じっとしろ。払えないだろ……」
「くるくるー」
 僕はため息を吐いて、ゆっくりと回る花遊に合わせて背中を払う。
 ちょっとめんどくさいなーと思い始めた頃、花遊は突然止まった。
「キミト君、えいっ」
 その行動を不思議に思っていたら、彼女は僕の頬に指をくっつけて来たではないか。
「なんだよ」
「これはお返しだよ」
 花遊の行動が掴めずキョトンとしていると、彼女は自分の頬を指さして笑った。
「ん?」
 頬に、なんだか柔らかな感触がある。
 なんだ? と思いながら自分の頬を触ってみると、花びらが手についた。
「お揃いだね」
 笑いながら語りかけてくる彼女を横目に、掌の花びらを見つめる。
「この花びらは記念に取っておこうかな」
「なんの記念?」
「んー、せっかくの春だから」
 手に残った花びらを、またポケットに仕舞った。
「へんなのー」
 僕の行動が意外だったのか、かゆうはくすくすと笑っていた。
 なんだか気恥ずかしくなったので、誤魔化すように話題を変える。
「なぁ、花遊。桜って永遠に花びらが舞っている気がするよな」
 舞い落ちる花びらを見上げながら、ただただ落ちてくるのを目で追う。
「そうかもー。ずっと春が続いて欲しいー」
 二人揃って立ち止まり、春が少しずつ終わっていく様を眺めた。

 ――――
 僕らを置いて何人も、前へ前へ進んでいくのを見送る。
 なんとなく置いて行かれてる、そんなセンチな気持ちになった。
「そういえばさ、この間友達に聞いたんだけど――」
 再び歩き出したさなか、かゆうに話しかける。彼女はうんうんと頷きながら話の続きを待っていた。
「――風花≪かざはな≫って知ってる?」
「かざはな?」
「漢字で風に花って書くんだよ」
 むむむ、と唸りながら花遊は顎に指を当てて考える。
「風花≪ふうか≫ちゃんか!!」
 風花ちゃん・・・・・・?
 僕は目をしばたかせながら、首を傾げた。
「風花ちゃんわからないの!?」
「人の名前・・・・・・?」
 その瞬間彼女の顔が『あっ』、と言って何かに気づいた顔をした。
「この前の名前当て、風花ちゃんにしとけばわからなかった・・・・・・?」
「その時も言ったけど、クラスメイトのことそんなに覚えてないって」
「むー、気をてらい過ぎたのが敗因じゃったか」
 花遊はむむむと、しかめ面。
 いやいやいや、花遊が選んだのって答えられない奴の方が少なかっただろ。
「そもそもクラスメイトのことじゃないからな!?」
 話が進まないので、僕は話題を強引に戻した。
「で、風花ちゃんがどうしたの?」
 が、彼女も頑なだった。
 知らない言葉を理解できるように置き換えたくなるのはわかるけどさ。
「いやな、『晴天時に雪が風に舞うようにちらちらと降ること』を指す言葉らしくてな。今の情景がそれっぽいなって」
「これが風花ちゃんかー」と、さっきより大きく目を見開いて、舞い落ちる花びらを見つめていた。
 花びらよりも彼女の見開いた目を眺めていると、その双眸がいきなりこちらを向いて。
「ちょっと、賢くなった!!」
 友達と同じ名前の現象があることを知れたのが嬉しかったのだろう。これが風花ちゃん、うん覚えた、と独りごちていた。
「今度風花ちゃんにも教えてあげよー」
 その時、一陣の風が僕たちの間を吹き抜けた。
――そっかー。ということは風花ちゃんの名前って夏の名前って訳じゃなくて、春の名前だったんだねー。『可愛い』名前じゃなくて、『綺麗な』名前だ。いや、やっぱりかわいい名前かも。
 風が、花びらと一緒にかゆうの声もさらっていく。
――どっちだよ。
――どっちも! でも今は可愛いの!!
 前のめりに抗議してくるのを、わかった、わかったからといなすと、わかればいいのと鼻息を荒くしていた。
 そのちいさな鼻で、一生懸命フンスとしているのも可愛い。
 あまりにも可愛かったので、もっと反応が見たくて、彼女の鼻をつまんでやる。
「キミト君、なにするのよー」
 彼女は僕につままれたまま、ぷんぷんと怒る。
 コロコロと瞬間瞬間で変わる彼女の表情に、なんだか面白さを感じた。
「いつもやられてばっかりだから、たまには反撃しとかないとなって」 
 花遊はちょっぴり赤くなった鼻をかばう様に、両手で隠した。
 その動作が、なんだか可愛らしくて。
「なんかシロクマぽい」
 思わず、そんな感想が口から溢れた。
 僕が笑うと、彼女はクエスチョンマークを浮かべながら戸惑っていた。
「えっ、え?」
 どういうことかわかっていないのか、花遊は鼻を押さえたまま考え込んでしまった。
 このままでも可愛いけれど、少し可哀想なので、答えを教えてあげる。
「シロクマって鼻だけが黒いでしょ、だから獲物に近づくとき手で鼻を隠すんだよ」
「キミト君ってやっぱり物知りだよね。シロクマさんってそうなんだ」
 ふふふと、彼女は笑って、両手を上にあげた。
「私は今、シロクマさんてことだよね。獲物は・・・・・・、キミト君かな。がおー」
 両手を鼻から離して、がおーのポーズ。
 シロクマになりきった彼女の鼻は、まだちょっとだけ赤みを帯びていた。
「もう少し鼻を隠しておきなよ」
「もー、キミト君のせいでしょー」
 がお、がおーっと吠える。
 僕がまたかゆうの鼻に手を伸ばそうとすると、彼女は後ろに飛び退いた。
 僕の手は空振り。
「同じ手は通用しないがおー」
 彼女は少し離れたところでまたがおーっと吠えていた。
 あはは、それ可愛いね花遊。と言うと、がおがおと照れ隠しをする。
「もうしないから、帰っておいで」
 かゆうは訝し気な顔をしながら、少しずつ僕に近づいて来た。
 一歩一歩、慎重な足取りだ。
 その慎重さに苦笑しながら、僕は歩き始めた。
「もー、待ってよー」
 花遊も僕のペースに追いついて、二人並びながら歩く。桜並木も、もう終わりが近い。
 また、ざあっと風が吹いた。
 地面に落ちた花びらが捲り上がる。
――帰りにどこかで食べて帰るか? 桜フレーバーの新作とか出てるかもしれない。
――いいねー、ちなみにキミト君の奢りかな?
――今回は僕からだし、たまには良いよ。
――どこに行こう? 何食べようかなぁ。すむーじー? けーき? うふふ。楽しみ。
――僕が出すんだから、何にするかは僕が決めるからな。
――えー、キミト君のチョイスするものへんてこりんなのばっかりじゃん。
――へんてこりんってなんだよ、へんてこりんって。そんなに変なの選んだりしてないから。
――うそっばっかり―、おいしいものに冒険心は要らないんだからね!!わかってる?
 かゆうと他愛ない会話をしながら歩いている間に、桜並木の出口に差し掛かる。
 過ぎていった花の絨毯を振り返ることもなく、僕らは街へと向かった。
 彼女と別れて家に帰る否や、ポケットから二枚の花びらを取り出した。
 それを自室の机の上に置くと、引き出しを開けて長方形の紙を探す。
 栞にいいサイズの紙が無いものか・・・・・・。
 あれこれ探すが適当な紙が見つからない。
 僕はふと、先ほど一緒に食べたクレープの包み紙がポケットに入りっぱなしだったことを思い出した。
 お店のロゴが入るよう長方形に切り取ると、二枚の花びらを添える。なかなかいい栞ができたんじゃなかろうか。
 僕はそれをそっと机に置いて、部屋を後にした。
 机上に残った二枚の花びらを閉じ込めた栞は、いまも僕らの思い出の在りかを教えるために、少しだけ存在感を示している。
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