アナタに捧ぐ

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長い夜2

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「男に寄生するなんざ趣味悪いなっ」

 ジラはベルトに挟んでいた短剣を引き抜き、触手に向かって投げつけた。
短剣は見事触手に刺さり動きを止めることに成功したが、触手がジラに狙いを定め勢い良く向かってきた。

「私の、後ろ、いてね」
「はっ!?おい、ヴァージ危ない!!」

 短くそう言ってヴァージは二人の前に立ち、片手を前に差し出す。
直前、触手は動きを止めようとしたが、勢いは止まらず突っ込んできた。
ジラはヴァージに駆け寄ろうとしたエルナを懐に引き寄せ、間に合わないながらもヴァージの腹に腕を回した。

「…………あ?あれ?」

 いつまで経っても訪れない衝撃に、ジラの懐からエルナがそっと顔を出す。
エルナのすぐ目の前には依然とヴァージが立っており、足元に痙攣する触手が横たわっている。
遅れて先の方からドサリと落ちる音に目を向ければ、襲われていた男が地面に放り出されていた。

「強いってのは嘘じゃなかったな」
「な、何したんだ?ヴァージ……」
「秘密」

 腹に回ったジラの腕をぽんぽん叩きながら、そうはぐらかすヴァージを二人は呆然と見ていた。
少し口端が上がっただけだが、初めて見せた笑みは幼いくせに色気を孕んでおり、二人はまんまとときめいてしまった。
こんな少女相手に、と二人は同じようにイヤイヤと頭を振った。
ヴァージはそんな二人に気付くことなく男の元へと近付く。

「おいヴァージ!触手まだ動いてるから危ねぇぞ!」
「大丈夫、今止める」
「止めるって、」

 何てことはないと軽く返すヴァージにエルナはオロオロとするばかりで、ジラに至っては静観を決め込んでいた。
ヴァージは倒れている男の直ぐそば、粘着質な音を立てながら蠢く触手の根本に手を伸ばす。

(南無三っ!!)

 心の中で気合いを入れ、ヴァージは触手へ触れた。
そして“全て吸い取れ”と念じた。

「……なぁ、一体何が起きてんだ?」
「俺が知るわけねぇだろ。ああいうのはお前の領分だろ、元魔術師さんよ」
「黙れ筋肉」

 ヴァージが触れた途端、触手はビチビチと最後の足掻きとばかりに暴れ回るが、虚しくも攻撃は一切当たることなく次第に萎んでいく。
まるで植物が枯れいくような光景を、ジラとエルナは呆然と眺めていた。

(久々だけど上手くいった)

 ヴァージが安堵の溜め息をつき、枯れ枝のようになった触手を握り潰すと、伝播するように触手全部が砕け散り跡形もなく消えた。

「止まった」
「すげぇな」

 止めるどころか消し去ってしまったヴァージに、ジラはシンプルながら惜しみない賞賛の声をかける。
エルナは盛大に混乱しながら駆け寄り、触手に触れていたヴァージの手を取って眺め回している。
ヴァージは男を指差しジラを見る。

「アレ、担げる?」
「あ?あの男も街に連れてくのか?」
「一応。教会に、捨てて」
「教会はいい迷惑だな。まぁ連れ帰るなら妥当な判断だ」

 ジラはヴァージからエルナを引き剥がし、エルナの上着を剥ぎ取った。
突然のことにエルナは固まり、またエルナの素顔を見たヴァージも固まった。

「エルナ、美人ね」
「ふはっ!美人だってよ」
「おまっ、いきなり何しやがんだっ!!ヴァージも変なこと言うんじゃねぇ!俺は男だぞ!」

 完全なる女顔というわけではないが、それでも化粧をすれば女に化けることは容易いであろう美貌だった。
体格も男にしては小柄で細い上に肌も白いため、大柄で精悍なジラとは尽く対称的である。
ブルーグレーの短い髪に少し吊り気味な金の目は、どこか気の強い猫を思わせる。
ジラは殴りじゃれかかってくるエルナをそのままに、剥ぎ取った上着で粘液塗れの男を包み持ち上げた。

「ぁぁぁ……俺の上着がぁっ……」
「洗濯屋に出せばいいだろ」
「そういう!問題じゃ!ねぇ!」
(確かに気味悪い触手の粘液と見知らぬ男の精液の付着した服とかクリーニング出されても着たくねぇ)

 地面には触手の透明な粘液の他に白濁が飛び散っているのが嫌でも目に入る。
俺だって担ぎたくねぇと言うジラに、エルナはかなり渋々と黙るしかなかった。

「ヴァージ、この男本当に持って帰るのか?」
「置いといたら、もっと、面倒、なる」
「よく考えりゃヴァージの言う通りだろ。エルナはわかんだろ、お貴族様の腐った考えがよ」
「黙れクソッ…………確かに、放置したのが俺達だと知れたら最悪だろうな。こいつの家柄にもよるだろうが」

 悩ましげな顔で気絶している男をエルナは忌々しげに見やり、長い溜め息を吐いた。
境界壁付近の森は、魔族は殆どいないが野生動物は普通に生息している。
人間にとって驚異となる大型の熊や猪もいれば、毒を持つ生物だっている。
このまま男を捨て置いた場合、無事でいられる可能性はゼロではないが然程高くない。

「それにせっかく助けた意味もなくなる。男はどうでもいいが、ヴァージの労力が勿体ねぇ」
「う゛っ、その言い方は卑怯だぞ!」
(いや、別にそこは気にしなくていいんですが)

 渋りに渋るエルナに、男の身柄がわかるものはないかとジラが腰を屈める。
エルナは嫌々ながら自分の上着から覗く範囲で男を検分する。

「いや、さすがにわかんねぇ。紋章付きの持ち物でもあればいいが……コイツの服の中なんか死んでも探りたくねぇ」
「起こして吐かせるか?」
「やめろアホ!絶対に起こすな!」

 今にも男を地面に落とさんとしているジラの頭をエルナが叩く。
起こしたら余計面倒になりかねないと最もなエルナの正論にジラは男を担ぎ直した。

「そうすると運んでる最中に目を覚ましたら最悪だな……」
「そん時は殴りゃいい」
「それもそうだな」
(ジラが殴ったらヤバいのでは?粉砕されそう)

 岩のような筋肉から繰り出される拳はエゲツないだろうと思うヴァージだったが、二人の意見に異を唱えはしなかった。
ヴァージにとっても男は心底どうでもいい存在でしかない。
二人の貴族嫌いは相当なものだが、明らかに偏見のみではないとわかるのも一つの理由であった。
見も知らぬ子供に引くくらい親切な二人がここまで嫌悪を表すなど、腐れ具合は筋金入りなのだろう。

「こいつの特定は下請屋にでも頼めばいいだろ」
「そこまでする必要あるか?」
「たとえ命の恩人だろうが腐れ貴族は何するかわかんねぇからな。お頭に迷惑いった時、少しでも情報あったほうがいいだろ」
「……そうだな。ヴァージもそれでいいか?」
「うん」

 これ以上の話し合いは不要とばかりに、ジラは拾った松明をエルナに押し付け、麻袋を再び担ぎ上げ歩き出した。
エルナも観念したのか、ぶつくさ文句を垂れながら松明に火を点けヴァージの手を取る。
しかし動かないヴァージにエルナはどうしたのかと振り返る。

「どうした?何か落としでもしたか?」
「……あれ、見て」

 ヴァージの指は、触手の粘液と男の体液が散っている箇所を指している。
エルナは嫌な顔を隠しもせず、すぐに顔ごと逸した。

「あんな汚いもん見るんじゃねぇよ。ヴァージは女の子だし、」
「そうじゃ、なくて」
「ん?」

 再度指差すヴァージにエルナは首を傾げながらも、同じ方向、少し先に目を凝らし気付いた。
ヴァージの指は汚れた地面ではなく、正確にはその少し先を指差していた。

「あれって、もしかしてネルの木、か……?」

 つい数刻前、エルナは同じ光景を目にしていた。
松明に照らされ、薄ら見えるネルの木は実一つ付けていなかった。
エルナはジラに聞き流された自分の言葉を思い出していた。

“木の下には野郎の体液がコレでもかってくらい撒き散らされてたんだとよ”
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