転生受付嬢はもう恋なんてしない――なのに最強剣士からの溺愛が止まりません!

人妻あず。

文字の大きさ
28 / 59

29話

しおりを挟む
 コン、コン。
 静かなノックの音が、部屋の空気を震わせた。

 レンと私は、同時に肩を跳ねさせる。

「俺だ。入っていいか?」
 アレクの低い声。

「悪い、取り込み中だ」
 レンが短く答える。

「そうか……。よかったら彼女も一緒にメシでもどうかと思ったんだが」
「ああ……支度するから、下で待っていてくれ」

「わかった、邪魔したな」

 足音が遠ざかると、部屋に再び沈黙が戻った。

「……ばれてるな」
 ぼそりと呟いたレンの声に、私は思わず顔が熱くなる。

 慌てて服を整え、食堂へ降りた。

 照明のオレンジ色が、夜の冷たい空気をやわらかく包む。
 大鍋で煮込まれた香ばしい匂いが、空腹を刺激した。

「来たか。リーナ、体調はどうだ?」
 アレクはテーブルの端でビールを傾けていた。
 琥珀色の泡がグラスの縁でゆっくりと揺れる。

「ありがとうございます。おかげでだいぶ良くなりました」
「そうか。無理しないことだな」

 彼は軽く笑い、また一口。
「レン、お前も飲むか?」
「ああ。……リーナは?」
「私はリンゴジュースで」

 レンが店員に頼むと、しゅわりと炭酸の音が小さく響く。

 やがて話題が変わった。

「本題に入るが……リーナ、常用している薬は何かあるか?」
「はい。ギルド医に調合してもらった、体質改善の薬を……」

 アレクは腕を組み、少し考える。
「悪いが、それ、早めに俺に見せてくれ」

「どういうことだ、アレク」
 レンの声が硬くなる。

「リーナの体調不良は、ヴェノムストーンの毒によるものだ。中和薬が効いたって話からして、まず間違いない」
 アレクの声は静かで、どこか冷たかった。

「しかも一過性じゃなく慢性的。つまり、過去にヴェノムストーンを体内に取り込んでいる。……定期的に中和薬を摂取しなければ、もっと早く死に至っていたはずだ」

 “死”という言葉に、背筋がぞくりとした。

「お前たちが何も知らないようだから、変だなと思ったんだ。」

「つまり誰かが、リーナも知らないうちに中和薬を日常的に与えていた――事情を知ってる人間がいる、ってことか」
 レンが低く呟く。

「そういうことだ。ヴェノムストーンの体内摂取なんて、今どき禁忌の儀式でしかやらない。……リーナ、何か心当たりは?」
 アレクがまっすぐに私を見る。

「私は……特に……」
 首を振る。だが、胸の奥で何かがざわついていた。

 ――フェリエ家惨殺事件の記事。
 あれにも、“儀式”という言葉があった。

「リーナ、思い当たることがあるのか?」
 レンが目を細める。
「何も……本当にわからないの」

 私は視線を落とし、テーブルの木目をぼんやり見つめた。

「まあ、今日はこれくらいにして、飯にしようや」
 アレクが空気を切り替えるように言った。

 そのとき、温かいシチューが運ばれてきた。
 大きな木皿から、白い湯気が立ち上る。
 ほろほろに煮込まれた肉が、スプーンを入れるだけで崩れた。
 じゃがいもの甘み、バターの香り、ミルクのやさしい風味――
 それらが舌の上でとろけていく。

「困ったことがあったら、俺でもアレクでもいい。ちゃんと言え。絶対に守るから」
 レンが私の左手を、そっと握る。

 私は何も言えず、黙ってシチューを口に運んだ。

 ――夜風が気持ちいい。

 夜の通りは静かで、遠くの街灯が石畳に淡く光を落としていた。
 私は、レンと手をつなぎながらギルドの寮へと歩いていた。

 今夜も「泊まっていけ」と言われたけれど、
 どうしても着替えと薬を取りに戻りたかった。

 沈黙を破るように、レンがぽつりと言う。

「なあ……一緒に暮らさないか?」

「え……」

 胸の奥がきゅっと鳴った。
 この間も、同じ言葉を聞いたばかりだ。

「俺の部屋でもいいし、新しく部屋を借りてもいい。
 また昨日みたいに倒れたら……誰もいなかったら、俺……」

 つないだ手に、レンが力を込める。

「リーナに何かあったら、耐えられない」

 その真剣な声が、痛いほどまっすぐで、
 私は少し俯いた。

「……なんで、そんなにギルドにこだわるんだ?」

 レンの問いに、夜風が少し冷たく感じた。

「私ね、記憶がないの」

 レンの足が止まった。驚いたように、私を見る。

「ずっと高熱で寝込んでて……目が覚めたら知らない場所にいたの。
 誰の顔も覚えてなくて、自分の名前すら何も思い出せなかった。
 傍にいた主治医が、私の名前と――両親がもういないことを教えてくれたわ」

 言葉を選びながら、少しずつ吐き出す。

「その先生の紹介で、働ける場所としてギルドを紹介されたの。
 記憶がないことを知っているのは、ギルド長とその医師だけ。
 だから……もし儀式に関わっていたとしても、私には何もわからないの。
 覚えてないから」

 レンは小さく息を呑み、
 やがて、ため息のようにぽつりと言った。

「……辛い思いをしたな」

「平気よ」
 私は笑う。

「ギルドのみんなは優しいし、仕事も楽しい。
 レンも、マリアも、ソーマも、アレクさんもいる。
 ギルドで働けていれば、それで充分」

「ギルドが居場所って、そういうことか……」
 レンが静かに呟く。

 その声には、ほんの少し寂しさが滲んでいた。

「俺じゃ……リーナの居場所には、なれないのか?」

 真っ直ぐな瞳が、私の心を射抜く。
 けれど、その優しさが怖かった。

 ――前世で、誰かを“居場所”にしたとき、
 私は地獄に落ちた。

 胸の奥が痛くなって、目を逸らす。

「あ……着いた」

 逃げるように、私はギルドの門をくぐった。
 振り返れなかった。
 夜風が頬を撫で、少しだけ冷たかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください

無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――

冷遇された妻は愛を求める

チカフジ ユキ
恋愛
結婚三年、子供ができないという理由で夫ヘンリーがずっと身体の関係を持っていた女性マリアを連れてきた。 そして、今後は彼女をこの邸宅の女主として仕えよと使用人に命じる。 正妻のアリーシアは離れに追い出され、冷遇される日々。 離婚したくても、金づるであるアリーシアをそう簡単には手放してはくれなかった。 しかし、そんな日々もある日突然終わりが来る。 それは父親の死から始まった。

敵将を捕虜にしたら夫になって、気づけば家族までできていました

蜂蜜あやね
恋愛
戦場で幾度も刃を交えてきた二人―― “赤い鷲”の女将軍イサナと、 “青狼”と恐れられたザンザの将軍ソウガ。 最後の戦いで、ソウガはイサナの軍に捕らえられる。 死を覚悟したその瞬間―― イサナは思わず、矢面に立っていた。 「その者は殺させない。命は……私が引き受けます」 理由などなかった。 ただ、目の前の男を失いたくなかった。 その報告を受けた皇帝エンジュは、 静かに、しかし飄々とした口調で告げる。 「庇いたいというのなら――夫として下げ渡そう」 「ただし、子を成すこと。それが条件だ」 敵国の将を“夫”として迎えるという前代未聞の処置。 拒否権はない。 こうしてソウガは、捕虜でありながら 《イサナの夫》としてアマツキ邸に下げ渡される。 武でも策でも互角に戦ってきた男が、 今は同じ屋根の下にいる。 捕虜として――そして夫として。 反発から始まった奇妙な同居生活。 だが、戦場では知り得なかった互いの素顔と静かな温度が、 じわじわと二人の距離を変えていく

【完結】男装令嬢、深い事情により夜だけ王弟殿下の恋人を演じさせられる

千堂みくま
恋愛
ある事情のため男として生きる伯爵令嬢ルルシェ。彼女の望みはただ一つ、父親の跡を継いで領主となること――だが何故か王弟であるイグニス王子に気に入られ、彼の側近として長いあいだ仕えてきた。 女嫌いの王子はなかなか結婚してくれず、彼の結婚を機に領地へ帰りたいルルシェはやきもきしている。しかし、ある日とうとう些細なことが切っ掛けとなり、イグニスに女だとバレてしまった。 王子は性別の秘密を守る代わりに「俺の女嫌いが治るように協力しろ」と持ちかけてきて、夜だけ彼の恋人を演じる事になったのだが……。 ○ニブい男装令嬢と不器用な王子が恋をする物語。○Rシーンには※印あり。 [男装令嬢は伯爵家を継ぎたい!]の改稿版です。 ムーンライトでも公開中。

勘違い妻は騎士隊長に愛される。

更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。 ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ―― あれ?何か怒ってる? 私が一体何をした…っ!?なお話。 有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。 ※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

初恋をこじらせた騎士軍師は、愛妻を偏愛する ~有能な頭脳が愛妻には働きません!~

如月あこ
恋愛
 宮廷使用人のメリアは男好きのする体型のせいで、日頃から貴族男性に絡まれることが多く、自分の身体を嫌っていた。  ある夜、悪辣で有名な貴族の男に王城の庭園へ追い込まれて、絶体絶命のピンチに陥る。  懸命に守ってきた純潔がついに散らされてしまう! と、恐怖に駆られるメリアを助けたのは『騎士軍師』という特別な階級を与えられている、策士として有名な男ゲオルグだった。  メリアはゲオルグの提案で、大切な人たちを守るために、彼と契約結婚をすることになるが――。    騎士軍師(40歳)×宮廷使用人(22歳)  ひたすら不器用で素直な二人の、両片想いむずむずストーリー。 ※ヒロインは、むちっとした体型(太っているわけではないが、本人は太っていると思い込んでいる)

処理中です...