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不思議な男
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一匹のねずみが草むらの中で木の実を齧っている。しかし、不意に耳をぴくりと動かし、辺りを見渡す。そしてその場から駆け出していった。そのあと、草むらの脇にある道を、何者かが急ぎ足でやってくる。それは一人の青年だった。彼は真面目そうな顔つきだったが、その目は獣のように獰猛な煌めきを持ち、ねずみのような小さき生き物では逃げていくのも頷けた。
男はある家屋の前に立つ。そこは農家が住むには似つかわしくない作りで、広く、商業地に見られるようなものだ。
「意外と身を隠している生活とは思えないな」
きっと一農民のように過ごしていると男は考えていたのだ。彼の刀たちは今でも城の者たちに重宝され、武人ならば喉から手が出るほど欲しいと望むのだから。潜伏するのはたやすくなかったはずだ。 しかし、こうして静かに暮らせているのも、人というのは忘れやすい生き物だからかもしれない。
(こうしてここに辿り着けたのは、私がこの鍛冶屋を忘れることが出来ないからだ。)
そう男は自身の持つ執念がいかに異常なものか改めて感じた。
それと同時に、男は鍛冶屋に対する怒りがふつふつとこみ上げ、何かを壊したいよう衝動に駆られる。歯を食いしばってその激情を押さえ込んだ。
やっとこの時が来た。積年の恨みを果たす時が。これはその下準備だ。自分がどれ程ちっぽけな存在かは知っている。
これからすることは静かな湖面にさざ波を立てる程度かもしれない。しかし、少しでも動揺し、ほんの一時でもやつらが己を恐れればそれでいいのだ。
男は一呼吸おいて鍛冶屋の店に足を踏み入れた。
・・・・
鍛冶屋はもくもくと鞴で刃物を鍛えていたが、不意に人の気配を感じた。この熱い空気の中、外からの空気が混じれば熱の変化が顕著に伝わる。これは長い間鍛冶屋を続けてきたからこその感覚だった。
「すまない、今作業中で手が離せなくてね。もう少し待っていてください。」
鍛冶屋はじっと手元を見つめたままそういった。しかし、相手からは返事が返ってこない。そして気配から察するに客はじっと自分を見つめているようだ。
何か自分のしていることがそんなにも珍しいものだろうか。いや、鍛冶屋が作っているのは村の人から頼まれた、何の変鉄もない鍬である。そんなにも珍しく感じるのなら、もっと奥地に住む狩猟を主にする民族のものなのかもしれない。
この国の国民となった少数民族などは、ここ最近国の中心部に移住を始め、共に農業を営んだり、商人になる者も増えてきている。もしかすると移住者なのか、と鍛冶屋は目の端に映った変わった模様の衣服からそう考えた。
客への関心を打ち消し、再び作業に専念する。そして一段落終え
「お客さん、お待たせしました。」
と言いながら顔を上げる。と、その瞬間思わず息を呑んだ。
(何と言う殺気だ…。)
鍛冶屋はそう考えて、思わず身構える。もしかすると…。彼はある可能性が頭の中で浮かんだ。
「今日はどうされましたか」
この男が何を依頼するのか、いや最悪の場合自分はこの男に手をかけられて死ぬのではないかと考えながらやっとの事で口を開く。心臓がこの身を突き破るのではないかと思うほど、激しくのたうちまわっていた。男は何もかもを見透かしているかのような鋭い眼差しを鍛冶屋に向けた。
「刀を作って欲しい」
その言葉で、何者かに突然背中を押されたような、そんな不安と動揺が入り交じった感覚に陥った。この男は私の過去を知っている。そう鍛冶屋の頭の中で警鐘が鳴り響く。
「何を仰いましょう。私はただのしがない野鍛冶です。生まれてこのかた鋤や鍬ばかり作ってきました。ですので申し訳ないんですが旦那の言うことにはお答えできません」
鍛冶屋は緊張して顔は恐怖で引きつっているのに、何故こんなにも舌がべらべらと動くのか不思議だった。男に不審がられていないか、と不安になってちらりと顔を上げて様子を伺う。
男は先程と同じ立ち姿で、眉一つ動かさない。その鋭い眼差しは鍛冶屋の言葉が嘘であると知っていることを告げていた。
「いや、お前が刀鍛冶をしていたと俺は知っている」
鍛冶屋は体を強張らせる。もう、この男には隠せない。鍛冶屋はこれから先の自身の行く末が見えず、逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、そう思うと不思議と腹をくくれた。
「それは装飾用の刀でしょうか」
と最後の悪あがきをする。そんなわけがないと自分でもわかっていたが、もし万が一彼の気が変わりはしないかと願わずにはいられなかったのだ。
「いや、戦闘用の刀だ。あの名将が一夜で千人斬ったとされる、例の刀が欲しい。」
ああ、と鍛冶屋は心の中で嘆く。もう自分の刀を誰の手にも渡らせたくないと願っていたのに、誰にも欲しいと言わせたくなかったのに、こんなにも早くこの時が来てしまうなんて。ここで野鍛冶として一生を終えようと思っていたのに。今からこの男の依頼を断れば、自分は殺されるかもしれない。自分はまだ死にたくないのに。
「申し訳ないが、私はそれだけは作れません。王都を去った日から、ただの野鍛冶になると決めたのです。」
せめて自分の信念は曲げずに一生を終えよう。鍛冶屋はそう心に決めて、男を真っ直ぐ見上げながらそうはっきりと告げたのだった。
男はある家屋の前に立つ。そこは農家が住むには似つかわしくない作りで、広く、商業地に見られるようなものだ。
「意外と身を隠している生活とは思えないな」
きっと一農民のように過ごしていると男は考えていたのだ。彼の刀たちは今でも城の者たちに重宝され、武人ならば喉から手が出るほど欲しいと望むのだから。潜伏するのはたやすくなかったはずだ。 しかし、こうして静かに暮らせているのも、人というのは忘れやすい生き物だからかもしれない。
(こうしてここに辿り着けたのは、私がこの鍛冶屋を忘れることが出来ないからだ。)
そう男は自身の持つ執念がいかに異常なものか改めて感じた。
それと同時に、男は鍛冶屋に対する怒りがふつふつとこみ上げ、何かを壊したいよう衝動に駆られる。歯を食いしばってその激情を押さえ込んだ。
やっとこの時が来た。積年の恨みを果たす時が。これはその下準備だ。自分がどれ程ちっぽけな存在かは知っている。
これからすることは静かな湖面にさざ波を立てる程度かもしれない。しかし、少しでも動揺し、ほんの一時でもやつらが己を恐れればそれでいいのだ。
男は一呼吸おいて鍛冶屋の店に足を踏み入れた。
・・・・
鍛冶屋はもくもくと鞴で刃物を鍛えていたが、不意に人の気配を感じた。この熱い空気の中、外からの空気が混じれば熱の変化が顕著に伝わる。これは長い間鍛冶屋を続けてきたからこその感覚だった。
「すまない、今作業中で手が離せなくてね。もう少し待っていてください。」
鍛冶屋はじっと手元を見つめたままそういった。しかし、相手からは返事が返ってこない。そして気配から察するに客はじっと自分を見つめているようだ。
何か自分のしていることがそんなにも珍しいものだろうか。いや、鍛冶屋が作っているのは村の人から頼まれた、何の変鉄もない鍬である。そんなにも珍しく感じるのなら、もっと奥地に住む狩猟を主にする民族のものなのかもしれない。
この国の国民となった少数民族などは、ここ最近国の中心部に移住を始め、共に農業を営んだり、商人になる者も増えてきている。もしかすると移住者なのか、と鍛冶屋は目の端に映った変わった模様の衣服からそう考えた。
客への関心を打ち消し、再び作業に専念する。そして一段落終え
「お客さん、お待たせしました。」
と言いながら顔を上げる。と、その瞬間思わず息を呑んだ。
(何と言う殺気だ…。)
鍛冶屋はそう考えて、思わず身構える。もしかすると…。彼はある可能性が頭の中で浮かんだ。
「今日はどうされましたか」
この男が何を依頼するのか、いや最悪の場合自分はこの男に手をかけられて死ぬのではないかと考えながらやっとの事で口を開く。心臓がこの身を突き破るのではないかと思うほど、激しくのたうちまわっていた。男は何もかもを見透かしているかのような鋭い眼差しを鍛冶屋に向けた。
「刀を作って欲しい」
その言葉で、何者かに突然背中を押されたような、そんな不安と動揺が入り交じった感覚に陥った。この男は私の過去を知っている。そう鍛冶屋の頭の中で警鐘が鳴り響く。
「何を仰いましょう。私はただのしがない野鍛冶です。生まれてこのかた鋤や鍬ばかり作ってきました。ですので申し訳ないんですが旦那の言うことにはお答えできません」
鍛冶屋は緊張して顔は恐怖で引きつっているのに、何故こんなにも舌がべらべらと動くのか不思議だった。男に不審がられていないか、と不安になってちらりと顔を上げて様子を伺う。
男は先程と同じ立ち姿で、眉一つ動かさない。その鋭い眼差しは鍛冶屋の言葉が嘘であると知っていることを告げていた。
「いや、お前が刀鍛冶をしていたと俺は知っている」
鍛冶屋は体を強張らせる。もう、この男には隠せない。鍛冶屋はこれから先の自身の行く末が見えず、逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、そう思うと不思議と腹をくくれた。
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