落ちる恋あれば拾う恋だってある

秋葉なな

文字の大きさ
20 / 35
あなたと恋が終わるまで

しおりを挟む
「じゃあまたね夏帆ちゃん。横山さんと別れたら俺んとこ来なよ」

「別れませんから!」

椎名さんは台車を押してエレベーターの方へ向かって歩いていった。
本当にあの人は冗談ばっかり……。

私はすぐ横のトイレへ足を向けた。壁を曲がるとすぐ化粧台がある。
どれだけ酷い顔をしているんだろう……。

トイレの壁を曲がった瞬間息が詰まった。鏡の前には女性が一人立っていた。誰もいないと勝手に思っていたから驚いたけれど、女性は私が来ることが分かっていたのか初めからこちらを見ていた。
名前は分からない。けれど顔は知っている。営業推進部の人だ。宇佐見さんと一緒に私を見て笑う内の一人だから。

女性は私の顔を見ると無言で横を抜けてトイレから出ていった。
もしかして、今の椎名さんとの話を聞かれてたのかな? いつから? トイレに入ったとこは見ていない。だったら私たちが非常階段から出てきてからの全部を聞かれたの?
どうしよう……変な風に受け取らないでくれるといいんだけど……。

結局その日は修一さんから折り返しの電話は来なくて、忙しい人だから、と無理矢理納得しようとしたけど修一さんに対してわだかまりができた。





『今日来る?』

数日私から連絡するのを控えていたら修一さんの方から連絡してきた。
ほら、私の電話を無視しているのに都合よく呼び出すんだから。

『行けたら行きます』

そっけない返事かもしれないけれど今の私には精一杯。修一さんに会いたいけど、ほんの少し怒っている。

『夏帆に会いたい』

そんなことを言われたら単純な私はその言葉に揺れてしまう。そういうことなら私も修一さんと話をしよう。

『分かりました』

『今日はパスタ系が食べたい』

要望メッセージに対して返信はしなかった。



私が作れるパスタのレパートリーは少ない。修一さんに食べさせる自信のあるものはなかったから、たらこスパゲッティーなら失敗しないだろうと思った。

修一さんの家に行ったらやっぱり部屋には段ボールがあって、食器はいつから洗われていないのか分からないほど汚れがこびりついたままシンクに置かれ、洗濯カゴには衣類が山積みになっている。
うんざりしてしまう。
やっぱり私を呼んだのってこのため……?
シンクの食器を片付けないと料理もできないし、テーブルだって物が置かれたままで食事もできない。

「ただいま」

「おかえりなさい。修一さん、今夜は外食にしませんか?」

修一さんがリビングに顔を出すと、私はすかさず外食を提案した。

「え? どうして?」

「最近外で食事してないし、たまにはいいかなって」

「そう……僕は夏帆のご飯が食べたいんだけど……」

修一さんは外に行くことに乗り気ではないようだ。でも今夜の私は修一さんの望む彼女にはなれそうにない。
一応スーパーに寄って買い物はしてきた。作るには作れるのだけれど……。

「分かりました。私、今夜はご飯を食べたら帰りますね」

「そうなの?」

「今週は締め日がありましたし疲れちゃって」

「そっか……分かった。先にお風呂入っちゃっていい?」

「どうぞ」

修一さんは脱衣場に行ってしまった。
私が疲れていると言っても外食にはしないで、労う言葉もない。
本当に私に会いたいと思ってるの? ただ家事をしてほしいだけなんじゃないの?
修一さんを疑うことばかり頭に浮かぶ。

「うん、やっぱうまいね」

たらこを絡めて簡単に味付けしただけでも修一さんは美味しそうに食べてくれる。いつもならおいしいと言ってくれたら嬉しいと思えるはずだけど、今の私には響かない。

「ごちそうさまでした」

修一さんと私の食器をシンクに置いた。迷ったけれどスポンジを取って洗い始めた。
これを洗ったら帰ろう。食器は私も使ったから洗うけど、洗濯も掃除も私がやる必要はない。

「じゃあ私は帰ります」

「本当に帰るんだ?」

カーディガンを羽織る私に修一さんは声をかける。

「泊まっていかないの?」

「ごめんなさい、疲れちゃって」

「残念、夏帆の朝ごはん食べたかったのに」

また? 私が作るの?

不満や我慢や疑問がついに抑えられなくなった。

「私って修一さんの何ですか? 家政婦?」

「え?」

「私はご飯を作って掃除して洗濯する便利な女ですか?」

「違うよ夏帆」

「家政婦じゃないならセフレですか?」

「は? ちょっとどうしたの?」

修一さんは慌てている。普段見られない様子の修一さんが見れて面白いところだけど、今の私は笑わない。

「都合のいいときに呼び出して家事をやらせて、私が疲れてても気遣ってくれないんですか?」

「そんなことないよ。ごめんね、夏帆も大変だよね」

私をそっと抱き締めた。その行動はいつもの優しい修一さんだ。

「修一さん、私のこと好きですか? 私は修一さんの何ですか?」

「大事な彼女だよ」

耳元で囁かれた言葉に、興奮した私は少しだけ冷静さを取り戻す。

「それは確認しなきゃいけないこと?」

「私、不安なんです。修一さんとの関係やこれからのことが」

「何も心配いらないよ」

「なら、会社の噂を否定してくれますか?」

「……それは気にしなくていい」

即答せず、「うん」とも言ってくれないことに戸惑った。
修一さんは噂があることを知っていたみたいだ。なのに広まることも止めようとしない。

「どうして?」

「そんな噂すぐに消える」

「嫌なんです! 我慢できない! 私は……」

辛いんです!

涙が出てきて言葉に詰まった。修一さんは私の頭を撫でた。

「夏帆、くだらない噂は放っておけばいい。気にしたら疲れるだけだよ」

「噂を否定してくれようとしないんですね……」

修一さんは私を励ましているようでこの件から逃げている。そう思ってしまう言い方だ。

「夏帆はただの腰掛でしょ? やめるなら何言われたっていいじゃない」

「え?」

「早峰は結婚したらやめるんでしょ? 契約だし」

「いや、そんなつもりは……」

耳を疑う。今は契約社員でもいつか正社員になるつもりで頑張っていた。それを腰掛と思われているとは心外だった。

「もしさ、僕と結婚したら夏帆は家庭に入ってくれる?」

目を見開く。突然結婚という言葉を出されて戸惑う。

「えっと……修一さんはそう望むんですか?」

「うん。僕は奥さんには専業主婦になってもらいたいって思ってる。夏帆はそうじゃないの?」

「私……仕事を続けるつもりでした……」

契約でも会社に就職できたのだ。色んな思いがあって就活していた。辞めたいとは思わない。

「そう……。僕は夏帆には家庭に入ってもらいたいけど」

「ごめんさない……それはもう少し考えさせてください……」

「夏帆は僕と別れたいの?」

「違う! ……そうじゃない!」

「だって正社員の僕だけで充分生活していけるよ?」

理解できない言葉に顔を上げて修一さんの顔を見た。

「私……仕事するの好きなので……」

「雑用係が?」

体がピクリと震える。
他の社員に言われるのならまだ我慢できる。でもよりによって恋人に雑用だと言われるとは思っていなかった。今までそう思っていたということか……。

「私……修一さんといるのが辛い……」

この人と付き合ってなかったら悩むこともなかった。悲しい思いもしなかった。卑屈な自分を見つめることもなかった。

『君には笑っていてほしいんだ』

なぜか椎名さんの優しい顔が浮かんだ。

『夏帆ちゃんの不満も悩みも受け止めてくれるから』

ボロボロな私の傍にいてくれたのは、不満も悩みも受け止めてくれたのは、恋人ではなく椎名さんの方だった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

2人のあなたに愛されて ~歪んだ溺愛と密かな溺愛~

けいこ
恋愛
「柚葉ちゃん。僕と付き合ってほしい。ずっと君のことが好きだったんだ」 片思いだった若きイケメン社長からの突然の告白。 嘘みたいに深い愛情を注がれ、毎日ドキドキの日々を過ごしてる。 「僕の奥さんは柚葉しかいない。どんなことがあっても、一生君を幸せにするから。嘘じゃないよ。絶対に君を離さない」 結婚も決まって幸せ過ぎる私の目の前に現れたのは、もう1人のあなた。 大好きな彼の双子の弟。 第一印象は最悪―― なのに、信じられない裏切りによって天国から地獄に突き落とされた私を、あなたは不器用に包み込んでくれる。 愛情、裏切り、偽装恋愛、同居……そして、結婚。 あんなに穏やかだったはずの日常が、突然、嵐に巻き込まれたかのように目まぐるしく動き出す――

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

愛するということ

緒方宗谷
恋愛
幼馴染みを想う有紀子と陸の物語

Blue Moon 〜小さな夜の奇跡〜

葉月 まい
恋愛
ーー私はあの夜、一生分の恋をしたーー あなたとの思い出さえあれば、この先も生きていける。 見ると幸せになれるという 珍しい月 ブルームーン。 月の光に照らされた、たったひと晩の それは奇跡みたいな恋だった。 ‧₊˚✧ 登場人物 ✩˚。⋆ 藤原 小夜(23歳) …楽器店勤務、夜はバーのピアニスト 来栖 想(26歳) …新進気鋭のシンガーソングライター 想のファンにケガをさせられた小夜は、 責任を感じた想にバーでのピアノ演奏の代役を頼む。 それは数年に一度の、ブルームーンの夜だった。 ひと晩だけの思い出のはずだったが……

2月31日 ~少しずれている世界~

希花 紀歩
恋愛
プロポーズ予定日に彼氏と親友に裏切られた・・・はずだった 4年に一度やってくる2月29日の誕生日。 日付が変わる瞬間大好きな王子様系彼氏にプロポーズされるはずだった私。 でも彼に告げられたのは結婚の申し込みではなく、別れの言葉だった。 私の親友と結婚するという彼を泊まっていた高級ホテルに置いて自宅に帰り、お酒を浴びるように飲んだ最悪の誕生日。 翌朝。仕事に行こうと目を覚ました私の隣に寝ていたのは別れたはずの彼氏だった。

嘘をつく唇に優しいキスを

松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。 桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。 だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。 麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。 そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...