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TAKAFUSA(隆房) 第一部
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「TAKAFUSA」
TAKAFUSAとは陶隆房のことである。陶隆房の名は有名ではないが、主君大内義隆を殺害し、のち厳島の合戦で毛利元就に討たれた陶晴賢といえば知っている人も多いだろう。その陶晴賢の歩みを歴史の大筋には沿いながらフィクションで描いていく。
第一部
その1 猫
五郎がふと障子の外の方で、なにやら動いている気配を感じた。
障子を少し開けて目をやると、塀の上を歩いているものがいる。それも悠遊と。
その堂々たる姿は、何かしら荘厳な感じすらした。
五郎の視線を感じたのか、そいつも動きを止め、五郎の方を見た。
口に一匹のネズミを咥えている猫であった。
かなり大きい。茶色地に黒の縞模様が入っている。
その顔は夜叉のようであり、五郎を見つめる眼は薄汚れたように濁っているのだが、
その中央から発せられる光はすさまじかった。
しばらく、五郎と猫はにらみ合ったままである。
五郎は猫の眼光にしだいに気圧されていく自分を感じた。
負けるもんかと思ったが、猫がだんだん大きくなっていくように感じ、怖くなった。
そして目を逸らした。
すると猫は顔をゆっくりと前に向け、何事もなかったようにまた歩き出した。
五郎は、猫の迫力に負け、目を逸らした自分が情けなかった。
五郎とは、陶晴賢の幼名である。
陶家は、中国地方の大大名大内家の庶流であり、重臣筆頭の家柄である。
この時の当主は陶興房で、五郎はその次男であった。
「五郎、何をしておる」 と年の離れた兄の興昌がにこにこしながら声をかけた。
「稽古をしております」
「何の稽古じゃ。」
「勝つための稽古にございます」
「そんな怖い顔して、一体何に勝つつもりじゃ」
「猫でございます」
五郎は、数日前にらみ合いで猫に負けたことを話した。
「なるほど、それで、鏡をにらんでおったのだな」 声をあげて笑いながら言った。
「兄上、私が猫に負けたことは内緒ですよ。」
「おお内緒、内緒」
「約束ですよ、兄上」
「心配は無用じゃ。男と男の約束である。で、五郎、上達したか。」
「外を歩いては犬や猫をみつけては勝負を挑むのですが、なかなか相手をしてもらえませぬ。」
「では、兄者と勝負じゃ。五郎こっちを見い」
「では勝負でござる」
二人はにらみ合った。
五郎は、とびきりの怖い顔をつくり、兄の目を見つめた。
が、普段の優しい兄とは違い、ギラリと光る短刀のような鋭い目に、圧倒されそうになった。
(まけちゃいけない) と思い、頑張って目を見続ける五郎。
しばらくすると 兄がすっと視線を逸らし、
「わしの負けじゃ!実に恐ろしい顔じゃった。おもわずちびりそうになったぞ。もし、わしがいなくなっても、五郎がおれば、陶の家は安泰じゃ」
と開けっ広げの笑みを顔いっぱいにこぼした。
五郎の兄の陶興昌は、陶家の跡取りであり、
また眉目秀麗で主君大内義隆から寵愛されてもおり、
その未来は約束されたものであった。
興昌も、父が行ってきたように、大内の家を守り、盛り立てていこうという強い気持ちを持っていた。
そんな興昌は、
「五郎、川に泳ぎにまいるぞ、ついてまいれ」
「相撲をとろう。かかってこい」
「さあ、これから飯の早食い競争じゃ」
などと、弟の五郎をたいそう可愛がった。
また、五郎もそんな兄のことが大好きだった。
ところが、その兄の姿がある日突然見えなくなった。
家の者に聞いても、皆知らぬようで、わからないという。
母に聞こうと思ったが、
「奥方様は今風邪で臥せっておられ、うつしてはいけないので今は五郎様に会えないとのこと」と女中に言われ、
思い切って父に尋ねると、
「興昌は、今使いにやっておる」 と恐ろしく真剣な顔でにべもなく言われた。
その二日後、五郎は父に呼ばれ、
「五郎、うちの城にとても身分の高いお客様がやってくるのでな。
ばたばたするので五郎は三日ほど親戚の所へおってくれ。
迷惑をかけるでないぞ。三日後に迎えをやるからな」
と言い、家の者に五郎を送らせた。
三日たち、五郎が城に戻るとすぐ兄の姿を探した。
が、どこにも見つからなかった。
(まだ帰ってないのかな)と思っていると、両親に呼ばれた。
そこで、父から、訳あって兄を養子として遠くへやったこと、
五郎が跡取りとして陶家を背負っていかなかなければいけないことなどをを諄々と聞かされた。
「よいの五郎。兄はもういないものと思え。陶家を頼むぞ」 と言われ、
頭は混乱していたが、
「はっ」 と答えるほかなかった。
兄がいなくなり五郎の心はぽっかり穴が開いたような感じだった。
寂しかった。兄を想い時折涙がこぼれた。
すると、しばらくして、父の興房が家に柴犬の子二匹を連れてやってきた。
家来の家で五匹生まれたので二匹もらってきたとのことであった。
「お前が、こやつらの名をつけよ」 と父から言われ、
五郎は二匹の柴犬にタキとマツと名付けた。
タキもマツも活発な性質でとにかく始終走り回っていた。
はじめて餌をやった時、その一心不乱に食う姿がとにかくかわいくて
五郎はニコニコしながら熱心に見入った。
新しい元気な遊び仲間ができ、五郎はいつしか兄を失った寂しさも薄れ、元気を取り戻していった。
その何年もあとのことになるが、
五郎が大きくなるにつれ、兄についてのことがいろいろ耳に入ってきた。
どうでも兄は養子にやられたのではなく実は亡くなっていたこと。
それも父の勘気にふれ手討ちになったとか・・・
その原因がなんと大内の殿さま(大内義隆)を悪しざまに罵ったこと
であったことなどがわかってきた。
それを知り一時、父のことを憎く感じることもあったが、
やがて五郎が大内義隆の寵を受けるようになると、
義隆に心酔した五郎は、
(義隆様を口汚く罵ったということであれば、自分が父であっても斬ったに違いない)
と思うようになっていった。
その2 身分
兄の死後、元気をなくしていた五郎であったが、
柴犬のタキとマツは大いに五郎の心を慰めた。
五郎も心から、この二匹を可愛がった。
そんな五郎が熱中しはじめたのが喧嘩である。
五郎が陶家の跡取りであるので、地元では、皆が五郎様、五郎様と大変持ち上げる。
大人も子供も、陶家の若様ということで五郎には平身低頭である。
それでは面白くないと、五郎は遊び相手として選ばれた
又二郎、与吉、百乃介をひきつれて、遠くへ出かけていく。
そして、五郎のことを知らない同じくらい、あるいは少し上の年頃の男の子をみつけると
側によって、睨み付けるのである。
この日も遠くの河原まで出かけると、男の子らが遊んでいた。
五郎は、その中で一番体のでかい奴をいつものように睨み据えた。
五郎はこれから始まるであろう喧嘩を想うと怖いやらうれしいやらでゾクゾクするのである。
でかい奴がチラチラこっちを気にしだした。
背は五郎より頭一つくらい高い。
(こいつはおおきいな!)
と思ったとき・・・
そのでかい奴がおもむろに近づいてきて、
「おいお前、さっきから俺のこと見てるけど何か文句でもあるのか」
と厳しい眼差しをしながら言った。
「大いにあるね。お前のその顔が気に入らないんだよ」と五郎。
「なんだとー」 と怒鳴りながら、殴りかかってきた。
五郎は、それをかわし相手の横っ腹に蹴りをいれた。
そして続けて左拳を相手の顔面にぶつけた。
「この野郎」
相手は、五郎につかみかかってきた。
二人はもみ合って倒れた。
さすがに相手はでかい。
五郎が上になった時に三発殴ったが、
下になった時にはその三倍ぐらい殴られた。
「五郎様!」と又二郎、与吉、百乃介らが声をかけると、
「絶対手出すな」
と五郎が大声で言った。
相手の仲間も手は出さずに、必死で応援していた。
体格差は如何ともし難く、相手の方が優勢で何度も
「参ったか」
というのだが 五郎はすでにもう力はないのだが、
「いや参らぬ」 と頑張るのだ。
しかし、体が動かなくなっていた。
やがて相手が立ち上がり、
「これくらいにしておいてやる」
五郎は寝転がったまま、
「負けちゃいないからな、負けちゃいない。また来るからな」 とつぶやくが・・・
「おい、みんな帰ろうぜ」と相手方は河原を後にしていった。
又二郎、与吉、百乃介らが五郎に近寄り、
「大丈夫ですか」と口々に言った。
「負けちゃいないからな、でも痛かったな」
五郎は、彼らにもたれながらゆっくり帰っていった。
五郎はこんな喧嘩をしょっちゅう繰り返していた。
勝ったり、負けたりするのだが、それが五郎には楽しかった。
対対で体をぶつけあうことが、なんとも言えない快感なのであった。
五郎の母はもちろん家来の中にも、 こんな五郎の所業に眉をひそめるものもいるだが、
父の興房が、
「それぐらいかまわぬ」
とぴしゃりというものだから、
誰も止められないのである。
でかい奴にこっぴどく殴られてから三日たったときのことである。
遊びに行こうと、又二郎、与吉、百乃介らと城を出たところ、 土下座している二人を見た。
「どうしたのでしょうかね」と百乃介が言った。
「さあな」と五郎。
見ると、大人と子どものようである。
その大人の百姓男が五郎を見つめ
「あのー五郎様でございましょうか」
五郎が、
「そうだが・・・」
横を見ると、その男の子どもが額を地面に擦り付けている。
「あっ」 五郎は気が付いた。そいつは先日五郎を殴ったでかい奴であることを。
百姓男が、
「このたびは・・・せがれが誠に誠に・・・すみませんでした・・お許しください。
ほれ、お前も謝らぬか」
でかい奴が顔を上げた。
その顔は相当殴られたのであろう。ぼこぼこに腫れあがっていた。
この前見た時とは別人のように見えた。
「先日は申し訳ありませんでした。お許しください、お許しください・・」
流れる涙と鼻汁をぬぐおうともせず、
泣きながら謝りつづけるのである。
五郎は胸が苦しくなった。
(こんなことをしてもらおうなんて思ってもいないのに)
でかい奴は顔をくしゃくしゃにしていた。
流れる涙に、腫れた部分から流れ出る血が混じり赤色になっていた。
(どんだけ殴られたのだろう。どんだけ痛かったろう)
「お許しください・・・」という、そいつの腫れあがった目元の奥に小さく見える
充血した目から、涙がぽろぽろっと落ちるのが見えた。
五郎は心がしめつけられるような息苦しさを感じ、いたたまれなくなった。
「全然気にしなくていいんだー、気にしなくていいんだよ」
と言うなり突然、五郎は走り出した。
五郎の目からは涙があふれ出していた。
喧嘩で殴られるより、はるかに衝撃を受けた。心が痛かった。
自分の行ったことの大きさを痛切に感じた。
後悔する気持でいっぱいになった。
(ごめんよ、ごめんよ)
走りながら五郎は何度も何度も心の中で謝った。
その3 又二郎決死
八月に入り、陽が厳しく照り付ける日がつづいていた。
そんなある日のことであった。
朝まだ涼しいうちに、五郎達は城を出た。
今日は海で水練を行うのである。
山を二つほど越えたところを下った江田浜を目指していた。
その浜には、前に喧嘩をしにいって、その後仲良くなった 江田浜の網元の子亀吉がいた。
亀吉と五郎は妙にウマがあい、時折五郎が浜に行き一緒に遊ぶ仲になっていた。
五郎にとっては浜で遊ぶのは、地元で過ごす堅苦しさがなく、とても楽しかった。
亀吉は最初、五郎が陶家の跡取りであるとは知らなかった。
なので「五郎」と呼び捨てにしていたが、
後にそれを知ってからはさすがに「五郎様」と呼ぶようにはなった。
五郎は、「五郎」のままで良いといったが、
亀吉も
「それはできねえ」
と「五郎様」と呼ぶようになった。
しかし、そう呼ぶようになっただけで、海で育っただけに口の悪さは変わらない。
亀吉が 「五郎様、まだまだ泳ぎが上手くならんのお。そんなこっちゃ甲冑つけて海に浸かったら、すぐに水の底でお陀仏じゃわい」 というと、
「何を言う。すぐにお前より上手になってやるわ」と五郎。
すかさず、
「天地がひっくりかえっても無理じゃのう。そうじゃろ又二郎」
「たしかに、魚のように泳ぐ亀吉殿には、そうはたやすく追いつけぬと思いまする」
と又二郎がまじめに答える。
「又二郎は、亀吉の味方か」 と五郎は笑っている。
その後、約二時間くらい泳ぐ練習をしたが、
昼が近づいてきたので、
五郎らは、亀吉といっしょに銛でメバルやマアジ、ゴマサバなどを突いたり、
またサザエ・トコブシなどを獲ったりした。
亀吉はさすが漁師の子で、魚の鱗やワタを簡単に処理し、
石の上に鉄(てつ)灸(きゅう)(火の上にかけ渡して魚などをあぶるのに用いる、細い鉄の棒)を懸け、
火をおこし、手早く昼飯の準備をやってのけた。
鉄灸の上で塩焼きされた魚貝の香りが五郎らの鼻を刺激した。
その焼けたばかりの魚や貝と、
五郎が城から持ってきた味噌と握り飯とともに腹にいれた。
五郎が、
「いや本当に、なぜこんなに旨いのかなあ」と言うと、
亀吉が
「この江田浜の魚や貝がいいからだぜ。」 なんてことを話していると・・・
そこへ一人の娘がやってきた。
亀吉が、
「あっ、姉ちゃん」 と呼ぶと、
「かあちゃんが味噌汁とこれを持っていけって」
亀吉の姉のお栄であった。
お栄は色黒で背が高かった。
細身であったが、胸のふくらみが、まだ十二・三歳ぐらいなのだろうが、
女らしさを感じさせた。
切れ長の目元が涼しく、美しい娘であった。
五郎は胸がざわついた。
お栄が持ってきたのはアサリの味噌汁と野菜の和え物であった。
味噌汁を椀に注ぎ、和えものを皿に取り分け、
「さあ、お食べ」 と優しく微笑んで、
お栄がみんなに渡していった。
袖口から美しく伸びた腕と細く長いしなやかな指に、 五郎は心を奪われたが・・・
お栄が五郎の方を向くとぱっと目を逸らした。
又二郎が、
「この和え物は、今まで食べたことない味じゃ。何だろう。」
わさびの香りがするその和え物は、
口にいれるとしゃきしゃきとした歯ごたえがあり、
柔らかい甘みが何ともいえず、とにかく旨いのである。
みんな口々に、
「何だろうな、わからないな」と答える。
五郎が亀吉に、
「お前、しょっちゅう食べてるんじゃないのか」
「たまに食べてるけど、わからないものはわからない。
五郎様は口に入るもの全部知っているのかい」と亀吉。
「・・・」五郎が答えに窮する。
百乃介が 「わかんないが・・・本当美味い」
すると、お栄が 「それはね、にらよ」
「にらって時々雑炊にいれる、青い色したけっこう香りの強いやつかな。」と与吉。
「そうよ、でも、この黄色っぽいにらは、ちょっと特別で・・・
日光をあてずに育てたものなんだって。
うちの母ちゃんが時々魚をあげる年寄りの百姓夫婦がくれたものだって。
あっさりしていて、ワサビで和えるとほんと美味しいわね、私も大好きよ」
五郎たちは、約一時間ほど、亀吉とお栄と楽しい時間を過ごし、その後浜を後にした。
帰りの山道で、
五郎は
(きれいなお姉ちゃんだったな) と
お栄のことを思い返していた。
その時、一匹の黒い子犬が、山の横道から出てきた。
タキとマツをいつも可愛がっている五郎は、子犬をみてうれしくなり、 そっと近づいてしゃがみこんで、
「こんなところで何してるのかな」
思いきり優しい声をかけ、頭を撫でようとした。
その手に、子犬ががぶりとかみついた。
「痛っ!」と五郎。
子犬は、さっと走って横道の方へ消えていった。
与吉が、
「五郎様、嫌われましたな」 と言い、
又二郎や百乃介と一緒に大笑いした。
「笑うな。かわいい形なりしてひでえことしやがる」 と五郎は毒づいた。
四人でしばらく山道を下っていると、後ろ方に何かの気配を感じた。
振り返ってみると坂道の上の方に何かがいる。黒い影のように見える。
その影が突然動き出した。こっちへ向かってきた。
吠える声が聞こえる。それは野犬の群れだった。
野犬はとても凶暴で狼のように集団でシカやイノシシを襲うこともある。
「逃げろー」と五郎。
「どんどん近づいてくるぞーー」と与吉が今にも泣きそうな声でいう。
犬は七・八頭いたが、先頭を走るのは、ものすごい大きな真っ黒の犬である。
「木に登れ」と又二郎が言った。
「登ろう」と五郎。
そして四人は、それぞれ道のわきの木立に入り別々の木によじ登った。
犬たちがやってきて、上を見ては猛然と吠える。
牙をむき出しにして吠えている奴もいる。木に前足をかけているのもいる。
真っ黒いでかい奴は、物凄い眼光で五郎たちを見ていた。
「降りたら殺されるぞ。しばらくは我慢しろよ」と又二郎。
犬たちは上を見上げながら、やがて吠えるのをやめ大人しくなり、
そのあたりをうろうろしていたが・・・・
百乃介がもじもじしだして、
「おしっこが漏れそうだよ」
「そこですればいい」と又二郎。
百乃介が木の上から小便をしだすと、また犬たちが激しく吠えだした。
五郎が、
「いったい、いつまでこいつらいるんだろ」
「下手したら一晩でも。五郎様、我慢しないといけないですな」
落ち着いた声で又二郎が答える。
それから、一時間半くらいたったころだろうか。
犬たちがやっと諦めたのか、ゆっくり坂の上の方へ歩き出した。
「あっちへ行くよ」と与吉。
「ばか、しっー。大きな声だすな」 と又二郎が、小声で与吉に言った。
みんな、ほっとした気持ちになっていった。
五郎が、どこまで犬たちがいったかを確認しようと、右手で上にあった古い太い枝をつかみ、身を乗り出して坂をのぞこうとした時、
その枝がポキリと折れた。
「あっ」 と言いながら、
五郎がどすっと地面に落ちた。
「五郎様」と一斉に又二郎らが声をかけた。
「五郎様が動かない」と与吉。
「どうする。又二郎どうする。犬が来るかも・・・」と百乃介。
又二郎は思い出していた。
いつか五郎の父の興房が甘い菓子をくれながら、
(「又二郎や、そちは五郎の二つ上じゃ。五郎は粗忽者ゆえ、又二郎を頼りにしておるからの。何か会った折には、くれぐれも頼んだぞ」)
と言ったことを。
又二郎の耳に犬のけたたましい声が聞こえてきた。
そして、走って向かってくる犬たちの姿が目に入った。
「又二郎」と百乃介が叫ぶ。
(どうすればいい。どうすれば。)
と悩む又二郎であったが、
又二郎の耳に、
(「又二郎を頼りにしておるからの。何か会った折には、くれぐれも頼んだぞ」)
という興房の声が本当に聞こえたような気がした。その瞬間覚悟が決まった。
「やっーー」と言いながら、又二郎は飛び降りた。
「与吉も、百乃介も降りてきて、五郎様を守れ。俺が犬をやっつける」と大声で叫んだ。
地面に降り立った又二郎は、素早く、丁度いい長さ重さの枝っきれを掴み、
(人間はいつかは死ぬんだ)
と思い、犬を待ち受けた。
五郎の前に立ちはだかる又二郎に、犬たちは猛然と攻撃をしかけてきた。
大きな黒い犬に左腕を噛まれ、引き倒されそうになったが、
そいつの脳天を右手につかんだ枝で思い切り叩いたところまでは覚えているが・・・・・
後は何も覚えていない。
与吉と百乃介の話によると、死に物狂いで又二郎が戦っていたが、
何か所も噛まれ、もうだめかと思うときに、
おじちゃんが出てきたと。
おじちゃんは、
「坊主、よくがんばった」 と言い、
又二郎の前へでて、持っていた木の棒を高く構えると、
犬たちの動きがぴたっと止まった。
が、次の瞬間一頭の犬が飛びかかった。
おじちゃんが棒をすっと降ろすと、犬の大きな鳴き声が響いた。
また、次の一頭が素早くおじちゃんの足元の方へ向かった。
棒をまたすっと動かすと、その犬も大きな鳴き声をあげながら横に転がった。
犬たちとおじちゃんの間に一瞬静寂が流れた。
すると真っ黒なでかい犬が、二三歩後ずさったあと・・・
急に後ろ向いて走り始めた。
すると犬たちが一斉にそれに続いていった。
おじちゃんは、持っていた薬で血だらけになった又二郎を手当てしてやり、
次に五郎の元へ行き、
体を抱いて 「うっ」と活をいれると
五郎が目を覚ました。
おじちゃんは、五郎が陶家の跡取りと聞いて、又二郎を背負い、
与吉と百乃介に交互に五郎を背負わせて、陶の城に向かった。
又二郎がおじちゃんの背中で、
「おじちゃん、強いね」
「そうでもないさ。俺はお前が強かったと思うぜ。
噛まれた傷がひどいから、しゃべらずに寝ておれ」
「じゃあ、もう一つだけ」
「なんじゃ」
「おじちゃんの名前はなんていうの」
「俺は塚原って名前だよ。でも、おじちゃんでいいからな」
「塚原様か」
又二郎はそうつぶやき、眠りに落ちていった。
その4 父の想い(一)
犬たちとの壮絶な戦いを、おじちゃんの登場で切り抜けた
五郎達であったが、
事情を聞いた父の陶興房は、五郎に
「おまえの顔はしばらく見とうない、しばらく蟄居しておれ。厠以外
室を出ること決して罷りならぬ。」
と冷たい態度で厳しく命じた。
そして、犬の噛み傷で全身を二十五針縫った又二郎をすぐに見舞い、
「又二郎、此度はようよう働いたな。塚原殿から又二郎の戦いぶりを聞いたぞ。
鬼神のごとく何頭もの凶暴な野犬と闘ったそうな。あの阿呆のために・・・心から礼を言う。」
又二郎が
「ほとんど何も覚えておりませぬ。無我夢中で・・・」
「又二郎は、陶の家には、勿体ないほどの勇者じゃ。誠に礼を言うぞ」
興房が首を垂れると、
「ありがたきお言葉」
と言うと、又二郎の頬にツーっと一筋の涙が流れた。
又二郎にとって左手の前腕の十二針縫った傷跡は、生涯の財産となった。
苦境に陥った時に、傷跡を見ると、あの時に勇気がよみがえってくるのだ。
興房は、与吉や百乃介に対しても、丁寧に心をこめて礼を言った。
そして、五郎らを助けてくれた塚原という名の人物と夜を徹して語り合った。
そう、塚原と言う人物と、興房は懇意の関係であった。
亡くなった前主君大内義興と陶興房は、約十年ほど京都に滞在した時期があった。
政争と戦争にあけくれた日々であった。
その時に、まだ若いが腕の立つ塚原新右衛門は大内義興の食客になっており、
義興の肝いりで御前試合などに出たりしていたのである。
新右衛門は後に、「卜伝」と号するようになり、やがてその剣名は全国に鳴り響いた。
塚原卜伝が、
「お世話になった大内義興様がお亡くなりになったことを知り、その菩提を弔うために・・・
その途中、こんな偶然もあるのですな。まさか興房殿のご子息とは」
と優しく微笑みながら言うと、
「まさに。しかし、本当にかたじけない。心から礼を言いまする」と興房。
「それにしても、あの又二郎の胆力やすごいものですな。なまなかな大人では、とても相手にできる連中ではなかった。」
「塚原殿、是非とも、この城でゆっくり寛いでいただきたい。
それから、一つ厚かましいお願いなのだが、家中のものどもの剣の相手をしてもらえまいかの」
「私も望むところです。喜んでお引き受けいたしましょう」
その二日後、
昼四ツ頃(午前十時頃)、晴れ晴れとした空の下、
城の庭において塚原卜伝と陶家家中との試合が行われた。
興味深々の与吉や百乃介、そしてまだ傷口の癒えない又二郎の観覧は許されたが、
蟄居中の五郎も強く希望したのだが、興房は断じて許可しなかった。
家中きっての剣の遣い手である佐藤清兵衛が立ち会った。
前の日、家中の者と立ち合いを繰り返した清兵衛は、
「いくら高名でも天狗じゃあるまいし、多少は何とかなるんじゃ・・・いや、俺が勝って相手の面目をつぶすようなことも」
と自信を覗かせるようなことも言っていたのだが、
試合がはじまると、
佐藤清兵衛がすさまじい形相で、電光石火のごとく木刀を繰り出すのだが、
卜伝は、ふわりふわりとそれをかわしていくのである。
徐々に清兵衛の肩が上下するようになった。
見ているものは呆気にとられた。
家中で清兵衛に太刀打ちできるものは誰一人いないのに・・・
次に卜伝は、ふわりとかわすや否や卜伝の木刀をすっと清兵衛の首筋に、
そして手首に、胴に、寸止めして当てることなしに、そえるようにごく近くに置くのである。
「参った」と清兵衛が声をあげた。
「では、五人一度にかかってきてください」と卜伝。
しかし、この後も同じ光景が繰り返されるばかりだった。
これは夢ではないのか、目の前にいるのは人間ではなく、まさに天狗ではないのか。誰もがそう感じたのである。
又二郎は、
(おれもいつかこんなふうになりたい・・・)と強く思った。
五郎は、部屋で端坐し、このたびのことを真剣に考えていた。
(もし、塚原様がいなければ、それはそれは大変な)
五郎は、蒼くなった。
その4 父の想い(二)
その夜のこと、 陶興房が書き物をしていると、
「あなた、お茶がはいりましたよ」と、
妻のお藤が部屋に入ってきた。
「ああ」と興房。
お茶碗を机におきながら、お藤は興房の横顔をじっと見つめた。
「冷たい男だろうと思っているのだろう。長男の興昌を斬ったのも俺だものな。」
「・・・」
お藤は目を伏せた。
「俺もさすがに人の親でな。子はかわいいものよ。此度のことも犬に殺されずに、よう帰ってきてくれたとも思う」
興房は、おもむろにお茶を口にいれた。
お藤は伏せた顔をあげ、興房の瞳をみつめた。
「なれどな、上に生まれついた人間は、下の人間の命を預かっておる。その重みを五郎にもわかってほしいのじゃ」
外から「リィリィリィリィ」と鳴く虫の声が聞こえた。
「卜伝殿があらわれなんだら、又二郎も与吉も百乃介も、そして、五郎も死んでいたろう。
それも五郎の失態の所為で、俺は知ってほしいのじゃ、上に立つ者の責任(せめ)の重さを、家来たちの命の重みを・・・」
つづけて、
「これから先、戦で家来をたくさん失うこともあろう。が、それを当たり前じゃとは思うてほしくなくての」
表情の和らいだ妻は、興房に丁寧に礼をして部屋を出て行った。
ふたたび「リィリィリィリィ」と鳴く虫の声が部屋に響いた。
その数日後、陶興房が山口で評定が行われるため、出立することになった。塚原卜伝と、やっと父に許された五郎も同行することとなった。
卜伝が城を出たところで、視界の下に広がる陽に照らされて美しく輝く瀬戸内の海を見て、
「毎日かようか美しい景色がみれるとは羨ましい。
まさに心洗われる思いがいたしますな」
と興房に言った時、
一人の武芸者と見える男が卜伝の目の前にやってきて、
「失礼だが、塚原卜伝殿ではないしょうか」
「いかにも、塚原卜伝である」
その男は年の頃は二十五・六歳だろうか。
巨漢で身の丈六尺(約百八十センチ)はあろうかという体躯。
顔の下半分は髭に覆われており、
赤鬼のような顔をしていた。
「拙者は、肥後出身の瀬田甚兵衛と申しまする。
誠に突然で、何のだが、真剣での立ち合いをお願いしたい!」
と男は卜伝に詰め寄った。
卜伝は、
「このような唐突な立ち合いは、断ることにしておる」
陶興房と五郎は、二人のやりとりを黙ってみつめていた。
甚兵衛の目が針のように光った。
「どうでもお願いしたい」
「できぬ!」と卜伝。
「では、勝手にやらしてもらうまでのこと・・・」
甚兵衛は、少し腰をかがめた姿勢をとった。
「どうしてもか?」
「うむ?」と甚兵衛が頷いた。
「わかり申した、されば十日後の同じ時刻、ここで。山口にある大恩人の墓に参るため今回の旅に出た。それは私にとっては必ず果たさねばならぬこと。承知していただきたい」
「卜伝殿、誠に約束違えず、来ていただけるのかの?」
「この卜伝が言うこと、信じれぬと申すかー」と大喝した。
その厳しい語気と表情は、この数日間の卜伝のおだやかな態度とは
打って変わったものだったので、興房も五郎も驚かされた。
甚兵衛も、その迫力に圧され、十日後の立ち合いを承諾した。
「では十日後、ここで」と卜伝。
甚兵衛を後にして、卜伝、興房、五郎は歩き出した。
しばらく行き甚兵衛の姿が見えなくなったところで五郎が、
「塚原様、本当に立ち合われるので」
興房はにやにやしている。
卜伝は、
「今のは真っ赤な大嘘でござる。あの手の手合いが、まさに雨後の筍のように。一々相手しておっては切りがありませぬ。それに、あたら若い命を散らすのは趣味ではござらぬ。」
「・・・」と五郎。
「卜伝は、嘘は嫌いだが、この点に関してだけは大嘘つきでござる。はっはっはっ、十日後は霧のようにどこかに消えてござるー」
と卜伝は大笑いしていた。
その5 臥鬼一族(一)
「何で俺が。何もやってねえ」
つづけて、
「助けてくれ」と悲痛な声がきこえた。
屈強な男たちにひきずれられるように連行されていく男のものだった。 夕立が落ちてきて、雨の匂いが立ちこめ、男たちのかぶる菅笠からは雨のしずく
がおちていた。
西国の大大名である大内家の重臣陶興房と剣客として高名な塚原卜伝が、陶の
屋敷に戻る途中のことであった。
昔、興房が主君の大内義興とともに在京していた折、若き卜伝は大内の食客となっており、興房と卜伝は、懇意の間柄であった。
卜伝は、大内義興の墓を参るために鹿島から山口にくる途中、陶氏の若山城に数日滞在していたのだが、興房が評定に参加するため山口に出立しなければならなったので、ともに山口にやってきていたのである。
「どうしたのでございましょうか」
卜伝が男たちの方をみながら、興房に聞いた。
「さて、わかりませぬが、亡くなった義興様が刺客に襲われて以来
この平和な山口でも、とくに大内屋敷の近辺の警備は厳重をきわめております」
興房が少し声を落としていった。
「刺客。いったいだれが」
卜伝は顔をくもらせた。
「あのような生きざまをされた方ですから」といったん言葉をきったあと、 「怨んでいるものは数知れず。検討もつきませぬ。ただ厄介なのは、これを請け負ったのが臥(が)亀(き)一族であるということ」
この話をしているさなか、二人は陶の屋敷に着いた。
当時、山口は、京都をしのぐ日本屈指の都市であった。その中心にあったのが大内の屋敷であり、そのまわりには重臣たちの屋敷がびっしりと並んでいた。なかでも、ひときわめだっていたのが、陶の屋敷であった。
陶氏は大内の庶流の一つであるが、その家格は大内家中でも抜きんでたものであった。代々、大内の殿様も、重臣である陶氏が城を退出する時だけは必ず見送りに出ることになっていたという。
陶興房と塚原卜伝は屋敷に戻ると、庭に面した縁側にすわった。侍女が茶をいれて持ってきた。夕立もあがり、頬をなでるように涼しい風が吹いてきた。
庭では、興房の跡取りである五郎が上半身裸になり、木刀を振り続けていた。十歳を少し越えたところであった。父に似て、目鼻立ちの整った顔をしている。体には幼さが残ってはいたが、肩や背中にはしっかりした筋肉がついていた。
「あっ、気がつきませんでした。おかえりなさいませ」といい、そこを去ろうとしたが、興房は、
「つづけい。卜伝殿にみていただこう」
「はっ」
五郎は、うれしそうにまた木刀を振り始めた。
お茶を一口すすった興房は、話のつづきをはじめた。臥亀一族についてである。
その内容はというと・・・
臥亀一族とは、中国山地の山深いところに生息する謎の忍びの一団であった。特定の主君に仕えてはおらず、金で仕事を請け負っていた。だれの指図も受けずこの戦国の世を生き抜くことをかれらは誇りとしていた。
その仕事の請負金はべらぼうに高かった。にも、かかわらず殺しの依頼はひっきりなしにやってきた。なぜなら請け負った仕事は十に一つもしくじることはなく、また決して秘密をもらすことはなかったからである。
いっぷう変わっていたのは、彼らが天運というものを信奉していることだった。 三度襲撃して相手が生きのこったときには、
「天が生きることを命じている」とし、二度と同じ相手を狙うことはなかった。
しかも、その場合、金をそっくり依頼主に返した。これもかれらの人気をたかめる一因となっていた。
その臥鬼一族に生まれると、過酷な運命が待ち受けていた。生まれた赤ん坊はすぐに性器の少し上の部分に、「臥」の文字の焼き印を押された。これに耐えられず、死亡する赤子も多数いた。弱き者は臥鬼一族には必要ないということである。
また生まれて一定期間がたったところで、棟梁が決めた日に、一晩中、野原にすておかれるということもおこなわれた。徘徊する狼や野犬などの獣に食われ命をおとすこともあった。運のないものもいらないということであった。
このようなはなし伝えた後、
「義興様は二度の襲撃をすんでのところでかわし、
天寿を全うして畳の上でお亡くなり申した。」と興房はいった。
つづけて、
「ただ、三度目の襲来が、もしやして義隆様にということで、
このものものしさになって いるのです」
興房は神妙な面持ちをうかべていた。
「なるほど」
卜伝はゆっくりとうなづいた。
その時、あわただしく家来の一人が庭先から興房の元にやってきて、 なにやら耳打ちをしてさっていった。
興房が声を低くして、
「先ほど連行された男だが」
卜伝はじっと興房をみつめた。
「どうやら尼子(大内氏と敵対する大名)の草(敵国に潜入した後、嫁などを娶ったりして、その土地に一般庶民として馴染んで暮らしながら諜報活動などを行う忍びのこと)ではないかと」
「うーむ」
難しい顔する卜伝であった。
庭では、五郎は躰に汗をびっしょりとかき、一心不乱に木刀を振りつづけていた。
卜伝は、顔をあげて、五郎に目をやった。
「五郎殿、少し相手してしんぜよう」
「は、はいっ」
目をきらきら輝かせる五郎であった。
赤い夕空に、黒い雲がかかり、カラスの鳴き声が広がっていた。
その5 臥鬼一族(二)
臥亀一族の里でのこと・・・
信天翁(あほうどり)が、
「半年かかったな」と自嘲気味に笑った。
この男は中肉中背で、色が白く、目は細い。どちらかといえばやさしい顔立ちである。 四十過ぎになるが、臥亀一族の中では殺しの名手として知られていた。
半年まえ、里の棟梁(おかしら)によばれた。
「大内義興を殺(や)ってくれといってきた依頼主だが」と棟梁はいった。 「寿命で義興は死んじまったが、その跡継ぎである義隆を、どうしても殺ってくれってよ。長老たちとも相談してみたが、いつもとはちがう形にはなっちまうが、このたびは請け負うということに決まったぜ」
「で、俺に白羽の矢が立ったってことだな」と信天翁がいった。
「三度目の失態(しくじり)は許されねえ。ここは、おまえしかいねえってことに。また、おまえがほしい奴(の)を好きに選んで組にしていいってことになったぜ」
骨ばった黒く細長い顔した棟梁は笑顔でそういった。が、その眼は笑っていなかった。
座敷にあぐらかいて、冷酒と干し魚をまえにして、
信天翁は、あの時からはじまったんだなと、これまでのことをつらつらとおもいかえしていた。
おれは下調べを重ねながら、いつどこで義隆の奴を殺るか、かんがえた。大内屋敷の警備は容易にはやぶれねえ。義興をしくじって以来、すさまじい数で屋敷を守ってやがる。そこで奴を殺る舞台にえらんだのが、お盆のあの盛大な提灯祭りよ。あの場所には毎年必ず義隆が出てくる。
ただ難儀をしたのが、祭りのいちばんの山場となる提灯を大量に組み上げた大神輿をぐるぐる回すのをどこでやるのか、位置がわからねえってことだった。
あれは毎年変わりやがるからな。その大神輿の前に義隆の桟敷がおかれることは間違いねえ。できれば、その桟敷の図面や祭りの手順が知ることができねえかと思ったのよ。
それで祭りをすべて切りまわす町の役人である扇屋新右衛門のまわりにさぐりを入れたが、一切何も洩れてこねえ。よっぽど用心してるみてえだった。
そこで声をかけたのが、菊丸だ。こいつは女誑(た)らしの玄人よ。
菊丸も、
「あっしも、十に三つははずしますぜ」といってはいたが、さすがよ。
新右衛門の嫁のお忍は見事にひっかかり、めろめろになって菊丸のいいなりよ。
「大神輿を一番いい場所でみてえんだ」
という言葉にころっとだまされ、 亭主に内緒でほいほい秘密の祭りの細けえ手順をのっけた紙を持ち出した。こっちの思うツボよ。
ほいで別れぎわに菊丸が、「離れたくねえ」とかなんとかいったんだろうな。接吻して口に酒を流し込んだ。それをうまそうに飲んだってよ。中にトリカブトとフグの毒が入っているとも知らずにな。紙をもとの場所にもどしたあと、夜中に毒がまわっておっ死んだぜ。気の毒に。
つぎはどうやって殺るかよ。とにかく腕っこきの警護が、義隆のすぐそばにもまわりにもおかれている。その中で、いったいどうやって。悩んだぜ。そこでたどりついたのが、三重攻撃よ。
提灯をわんさと載せた大神輿がぐるぐるまわる。そして花火がいろいろあるんだがよ。攻撃をするときは、地を鼠のように這うのが跳ねまわっているときに決めたぜ。そこにいる連中みんなの神経が花火の動きまわる地面にあつまる。
この時がねらいだ。
そこで神輿のかつぎ手に化けた白虎があらかじめ神輿のかつぐ柱にしこんだ手裏剣をつづけざまに義隆めがけて投げ、そしてしこんだ刀で斬りかかる。里でも手裏剣で白虎の右に出るものはいねえ。うってつけだろ。
その時にゃ、神輿の中に潜んでいたおれが、神輿から空中たかく飛び上がり、白虎に一瞬おくれて上から義隆をたたき斬りにいく。
またすぐに巽が柱にしこんだ槍で、義隆めがけて突き刺しにいくのよ。 巽の身体の動きはとても人間とは思えねえ。速(は)えーのなんのって。大きな槍をすばやく柱から抜いてっていうような大仰(おおぎょう)な動きを一瞬でしてのけるのはこいつしかいねえ。ってことで選んだのよ。
いくら手練の警護がいたとしても、この波状攻撃なら義隆の生命(たま)は間違えなくとれるはずよ。
ただ、逃げる算段がなりたたねえんだよな。提灯が煌煌(こうこう)とあたりを照らすなか、大内の侍たちがひしめいて。返り血浴びた様でどうやって。
まったく、ひでえ仕事がまわしてきやがったぜ。まっ、この里に生まれた以上、それはいえねえがな。
万が一助かる方法があるとすれば、それは斬りこんですぐさま、追撃をかわし裏手の一ノ坂川に飛び込むことよ。
ただ夏の暑い盛り、川に水があるかないか、それはその時になってみねえとわからねえ。天のみぞ知るだ。
殺しをおこなう白虎と巽には、きっと川の水はあるといいつづけ、何度も何度も水に入り川底を泳ぐ修錬を重ねたぜ。みな、息つぎをせずに二町くらい(約218m)はいけるようになったな。
また念のために船の底に大きな桶を裏向けてつけたのを、菊丸に三か所ほどにおかせて、そこで息をする修練も積んだ。水面に首を出さなくていいようにな。
結局、おれの組は、菊丸・白虎・巽の三人でできあがった。おれは、白虎と巽とともに山に籠もってな。いやってえほど殺しの修練をくりかえしたぜ。手を三つたたく拍子に、それぞれの動きが合うようにな。いやー辛かった。山を降りる頃には、みな頬の肉が削げ落ちていたぜ。
もちろん山に籠もる前、あいつらにゃ存分に女抱かせて、酒飲ませて、うまい物食わせてな。
まっ、あいつらにゃいわなかったが、生きて帰れるなんて、よっぽど運がよくない限りはな。 それはいえなかったな。でもわかってたろうよ。
で、半年かかったが、いよいよ三日後よ。 義隆様よ、あと少しの命せいぜい楽しんでおくんだな。
腕を組み、今までのことをふりかえっていた信天翁であったが、かっと目をあけて、冷えた酒を喉に流し込んだ。
その5 臥鬼一族(三)
屋敷を出て、京の鴨川にみたてられていたという一ノ坂川の橋を、陶興房・塚原卜伝・五郎の三人はわたった。朝四ツ(9時すぎ)ころのことである。
このところの雨で、満々と水をたたえた川面(かわも)が朝日できらきら輝いていた。春には岸に桜が咲き乱れ、初夏にはゲンジボタルが幻想的に舞う一ノ坂川は、 山口に住む人々の心の癒しとなっていた。
五郎がいつもより胸を張っている。顔もこころなしか引きしまっている。だが、ときおりその顔がゆるむのである。というのは、うれしくて仕方がないのである。 前の晩、父から、
「明日からこれをさせ」 と脇差をもらったからである。
脇差をさした五郎は、一人前になったようで、誇らしい気持ちでいっぱいだった。
脇差をもらった後、部屋の中ではいけぬといわれていたのに。五郎は腰にさした脇差を何回抜いて振ったことか。寝るときも枕のよこにおいて、めざめるたびにさわっていた。
三人は高嶺(たかみね)太神宮(今の山口大神宮)と瑠璃光寺に向かう所であった。
高嶺太神宮は、亡き大内義興が伊勢神宮の荘厳さにうたれ、分霊を勧請(かんじょう)してきた神社であった。また瑠璃光寺は陶氏が建立した寺であった。
お詣りをすませた三人は、高嶺太神宮の前にある茶店に入った。当時、茶店は、京都にはちらほらあっただが、地方にはそんなものはまったくなかった。
在京長かった大内義興は、京文化に憧れ、山口にも京のように茶店をということで、町役人の扇屋の先代を呼び、
「人をつのって茶店をやらせい」と命じた。
「かしこまりました」と扇屋の先代。
つづけて義興が、
「一軒ではなく、二軒つくらせい」
「二軒でございますか」と先代の扇屋が怪訝な顔をすると、
「人はなあ、競わせねば、一つ所にとどまってしまうものよ。のう、お前も同業の長門屋が、おれも尼子や大友がいるからこそよ」
「恐れいりまする」
「それから、支度金はわしが出してもよいが、かならず返させい」
目元をゆるませ笑いながらいった。
扇屋が番頭の与兵衛のこの話をすると、
「義興様もあんがいしぶちんですな」といった。
「私も最初はそう思いましたよ。」 と扇屋はいった。
「しかし、あとでよく考えてみると、もしや義興様は金借りてでもやりたいっていう気概のある人間が ほしいと思われたのではないかと」
このようにしてできあがった茶店だが、 興房らが茶店に近づくと、二軒とも結構にぎわっていた。興房は、菓子「ういろうを」を出しているほうの店にはいった。
このういろうは、秋津治郎とやらがつくりだしたもので、
「とにかくうまい」と、
巷でもっぱらうわさになっていた。
それを口にいれた五郎は、はとのように目をまるくした。
「父上、卜伝様・・・いや、いや、本当にうまいですな」 というと、
あっという間にペロッとたいらげてしまったので、 興房は、
「これも食え」と自分の分を半分五郎の皿にのせた。
「あ、ありがとうございます」とまたペロッと食べた。
その後、興房は、市がたっていたので少しよって帰ろうといい、三人はブラブラ見物していたのだが。五郎に耳なれぬ言葉が聞こえてきた。前から来る異な風体(ふうてい)の二人からである。五郎が不思議な顔をしていると、卜伝が、
「あれは明人(みんじん)(中国人のこと)ですか」
興房が、
「最近かなり増えてきましたよ。 私も少し興味がありまして、実は、 すこし言葉を学んでおりましてな 。いまの明人はたしか、
『前からくるガキは、間の抜けたツラしてるな』
って申しておりました」
「えっ」と五郎。
「うそよっ」という興房と、卜伝が声をたかくして笑った。
その興房が、
「五郎、まだ何か食いたけりゃ、お前にわたした巾着の中にある金で買っていいぞ」といった。
「はっ、はい」と五郎は答えた。
五郎はさっき十七・八歳ごろの娘とすれ違った。 色白で唇の赤さがきわだつ娘であった。さて、ぜんぜん雰囲気はちがうのだが、その娘を見て、五郎が頭に思いえがいたのは、江田浜の網元の娘お栄であった。色は黒いがすらっとした体躯で、切れ長の目の美しい顔立ちをしていた。そのお栄に五郎はあこがれを抱いていたのである。
お栄のことをおもいながら、市に並んだ品物を眺めていると五郎の目にとまったものがあった。それは「かんざし」であった。赤い球をさした白っぽい木でできたものであった。
お栄が、そのかんざしをさした姿を頭に描き、五郎は半笑いのなんともいえない表情を五郎はうかべていた。
興房が五郎を見て、
「気味の悪い奴、何かいいものでもあるのか」という声で五郎はわれにかえった。
「あっ、いいえ、ございませぬ」と答えつつ、
(ま、まさか、父上にかんざしがほしいとは、口がさけてもいえないな)
と頭の中でかんがえていた。
その後三人は屋敷に戻った。 部屋に入った五郎は、部屋で、お栄に想いをはせていた。
(かんざしあげたらお姉ちゃんよろこぶだろうな)
という気持ちがだんだんふくらんで、 いてもたってもいられなくなり、五郎は屋敷を出た。
そしてかんざしの前を、行ったり来たり何往復したことか。迷ったすえに、 とうとう思いきって,
「おじちゃん、これちょうだい」とかんざしを買ったのである。
そして、五郎が走ってむかったのは、屋敷ではなく、別のところだった。
「これは、これはまたのお越しで、ありがとうございます」と茶店の主人がいった。
五郎は、またしても、ういろうをほおばっていた。
その帰り道、五郎は、
(なんでおれは、ういろうまた食ったんだろう)
と自分のあさしましさが情けなかった。
また、父の金でかんざしをかったことにも、うしろめたさを感じていた。
どんよりした想いを胸にかかえながら五郎は屋敷にもどった。父に会わないこと
を願いながら、そおーっと部屋にはいったのであった。ふすまを閉めて、ほっとする五郎であった。
その5 臥鬼一族(四)
その日の夕方のこと・・・
陶興房が、五郎をよんだ。
「提灯祭りには卜伝殿とお前とでのんびりまいるつもりではあったが」といい、五郎の目をみた。
「義隆様からそばでみよという話しがまいった。くれぐれも粗相のないようにな」
「はっ」
華やかな祭りがくりひろげられている中、義隆のいる桟敷の近くにいくと、警護の武士が大勢いた。陶興房の顔を見ると、みなていねいに一礼した。
桟敷につくと、大内義隆がすでに座っていた。まだ、年は若いが、すでに太守の風格が備わっていた。
義隆は、興房や卜伝とひとしきり話したあと、
「五郎、よう来たな。久しゅう見んうちに大きゅうなったことよ。
今日は養子になった太郎(のちの大内晴持)も来ておるから、 仲ようしてやってくれ」と五郎に声をかけた。
「ははっ」
五郎は、三つ下の太郎のよこにすわった。陶隆房も塚原卜伝も桟敷に腰をおろした。そして、時がたち、祭りもいよいよ山場にさしかかっていた。
大内義隆の桟敷のまんまえで、提灯を高く高くつらねた大神輿を、数十人の男たちが、汗をびっしょりかきながら、ぐるぐる回していた。その周りでは、竹竿と竹竿の間に紐がかけられ、 その紐に花火がいくつもしかけられており、空中できらびやかに光を放っている。
男たちの勇ましい掛け声がひびくなか、まわる大神輿の提灯、またそのまわりを取りまく無数の提灯。幻想的な世界をつくりだされ、ひとびとはみなそれに酔っていた。
その大神輿の中に、なんと信天翁がひそんでいたのである。
ゆれる大神輿の中でじっと息をひそめていた信天翁の頭の中には、
さまざまな思いが頭をめぐっていた。
「川の水が満々とあるのは、予想以上だぜ。一人でも川に飛び込めればいいのだが」
桟敷のほうをみつめて、
「くそっ、紙に書いてあったのと違うじゃねえか。数も、人間の配置も。予定より四人も多い。何でガキが二人も。 そのせいで義隆のやつがすわる位置がずいぶんうしろになってやがる」
信天翁は顔をしかめた。
「まっ、今さらしょうがねえ。やるしかねえ。あの距離なら、なんとか飛んでとどくか」そう思いつつ、手足に力をいれたり、ぬいたりをくりかえしていた。
「いよいよ次。花火が地を這いながら鼠のようにまわるやつだ。いよいよだ。白虎よ。たのむぜ。ついにはじまるぜ。ついに」
信天翁は目をとじた。そのときに一瞬だが、いままでのことが走馬灯のようにかけめぐった。
鉢巻をしめ柱をかついでいた白虎も、めまぐるしく考えていた。
「のどがカラカラだぜ。なのに手の汗がすげえや。」
着ている半纏(はんてん)とさらしに手をこすりつけ汗をぬぐった。
「ちぇっ。義隆が図面よりかなり遠い。最初の手裏剣でなんかしとめたい」
と思いつつ、義隆の位置をなんども確かめた。
「花火が、地を跳ねまわるやつにかわった。いくぜ。」
白虎の目が野獣のように光った
男たちの大きなかけ声と見物人のどよめきのなか、まばゆい光を発しながら、数えきれないほどの花火が地を鼠のように跳ねまわっている。ひとびとの目は、みなそこにすいよせられていた。
白虎のかつぐ柱が、義隆と真反対に来たとき、白虎が手裏剣と刀を柱からとりだした。まわりはだれも気づかない。そして四半回転したとき、白虎は神輿から義隆の方へ向き、手裏剣二枚を立てつづけに投げた。
(しとめた)
と思った時、義隆のそばにいた塚原卜伝が神速で脇差を抜き、手裏剣二枚をはねた。
白虎は、
(うそだろ。おれの手裏剣が。信じられねえ。あいつは何者)
と思いながら、白刃きらめかして義隆の方へ突進した。
手裏剣で気づいた義隆護衛の侍が、白虎に向かい渾身の一刀をふるったが、かわされ白虎に首筋を絶たれた。
しかし、同時に飛び出した陶興房が白虎の胴を払い、もう一人の護衛の侍が白虎の胸を刺し貫いた。
それを神輿一番高い部分からすでに跳躍し、空中高くでみた信天翁は、頭上に大
刀を振りかぶっていた。
「白虎よ、成仏せえ。 義隆よ、生命もらったぜ」
まちがいなく義隆を殺せるとおもった。
白虎の手裏剣をはねた卜伝は義隆の横を動かずにいた。白虎を斬られるのをみ
ていると空中に殺気を感じ、 義隆に、
「低くっ」と鋭く叫びながら、怪鳥(けちょう)のごとく跳んだ。
信天翁と卜伝が空中高くで交錯した。
金属のぶつかる音が一回、そしてキラキラっとする光が見え、パラパラっと何かが
落ちた。
義隆は、自分の前にいた太郎をすわって抱きしめていた。
その時、白虎と逆側で柱をかついでいた巽が、槍をもちムササビのような速さで
すでに義隆にせまっていた。
巽は、
「みな、白虎と信天翁に気がいってるぜ」とこころでつぶやいた。
「ガキを抱いている義隆の首から上がきれいにみえる。もらった」
ところが槍を突っ込もうとした時、太郎が立ち上がった。卜伝に斬られた信天翁
の血がふってきて、驚いた太郎がたちあがったのだった。
(重なって義隆が見えねえ!)
巽はそう思い、一瞬槍突きだすのを躊躇した。つぎの瞬間、太郎の体が横に動き、義隆の首がみえた。
「やーーっ」と大きな叫び声あげ、
巽が槍を突きだした。義隆の目が大きくみひらかれていた。その時、なんと槍の
先が、下に落ちたのである。
五郎が、脇差を抜き、必死の形相で槍を斬りはらったのであった。
「くそっ!」
巽は、そのまま毬が弾むように、一ノ坂川に飛び込もうとした時、左肩に激痛が走った。卜伝が投げた小柄が左肩に刺さったのである。
「うっー」と痛みに耐えながら、巽は川にざぶんと飛び込んだ。
その後、必死の捜索が行われたが、巽をみつけることはできなかった。
難を逃れた大内義隆に、家来たちが祭りをすぐにとりやめることを強く進言した。
「民が年に一回楽しみにしておることよ。これしきのことで。臥亀一族の襲撃は三度までという。これで終わりよ。大内は天から守られておるのよ」と義隆はいい、つづけて、
「警戒はこのままおこたらず、祭りは続けよ!」と大声で家来に命じた。
次の日の夕刻のこと、巽が菊丸と会っていた。
「俺はみたぜ。お前が一瞬躊躇したのを。あのガキもろとも突き刺せば殺れたものを。このことは棟梁はじめ長老たちにも話すからな」
巽はただ黙っていた。
菊丸は、背中を向けて去っていった。 それを巽は、細く光る目で見つめていた。
その翌朝、一人の男の死体が一ノ坂川に浮いていた。菊丸だった。巽は街道を歩きながらかんがえていた。
(不思議だぜ。こうやって仲間でも平気で殺れるのに、 なぜ、あんなガキ一人に 躊躇したのか、自分でもわからねえや)
山口で塚原卜伝と別れた陶興房と五郎は、 周防の若山城に戻ってきた。
戻ったところで興房が、
「ところで五郎、もしものために渡しておいた金の入った巾着だが返してもらおう」
「はっ」と言いながら、中身がだいぶん軽くなった巾着をドキドキしながら渡した。
中をあらためた興房が、
「ずいぶん減っておるな、お前いったい何に遣ったんだ」
「あっ、いえ、その」と五郎が狼狽していると、
じっーと五郎を見つめ、
「ふうん、まあ、よいわ」と興房がいった。
その6 恋
信天翁らによる襲撃事件を経験し、城に戻った五郎だが、
朝食後、少し曇った空の下、庭で激しく動いていた。
「たっー」
木刀を振り回し、柴犬のタキとマツに熱弁を振るっている。
「よいか、ここでの、この五郎様がしゃがんだ状態から、『ヤー』と声をあげながら飛び上がるのだ。わかるか」
タキがきょとんとしている。マツは横を向きフラフラ脇へ歩きはじめた。
「これちゃんと聞かぬか。飛び上がって、そして、敵と剣を交えて、この敵がいやはや何ともすごいのだが、相手がこの五郎様では・・・」
と長々とやっている。
いつのまにか五郎は塚原卜伝に成り代わっていた。
五郎の地元では、
山口での出来事がいつのまにかひろがり、
「陶の若様が、義隆様をお救いになったんだってね」
「いやー、前からおれは凛々しい坊ちゃんだと思ってたんだ」
などと噂になっている。
確かに五郎は命がけの行為を行い、その強烈な体験は躰に中に刻みつけられていた。
また五郎を見る皆の目も以前とは違ってきて、
五郎の顔つきが、山口へ行く前からすると締まったのは間違いない。
が、ただ、まだ多分に幼さは残している。
その日の昼頃、
「五郎様、それでその時卜伝様は。・・ふむふむ。して、その時の顔つきは・・・なるほど」
と何度も何度も五郎に聞くのは、卜伝に憧れている又二郎であった。
又二郎は、口には出さなかったが、
(もし俺がその場にいたら、刺客を逃すことはなかったのになあ。本当にその場にいなかったのが、いやーまことに残念。俺が行っていれば・・・残念でたまらぬ)
などと思っていた。
さて、
陶の城に戻った五郎には、せねばならぬ大事なことがあった。
夕刻、両親がいる時に
「明日は久しぶりに水練と亀吉に会うために江田浜へ行ってまいります」
父の興房が、
「この前もなにやらご馳走になったらしいな。ちょうど雉が手に入ったところだから、土産に持っていけ」
「はっ」
すると母のお藤は
「あのー、雉ではかえって先方に気を遣わせることになるのでは。山菜などの方が・・・」
と遠慮がちに言うと、
「なるほど、さすがじゃわ。五郎そうせい」
「はっ」
「では、明日亀吉に会うて、夕刻には戻って参ります」
両親に許可を得た五郎はうきうきしていた。
亀吉は、そう、二の次なのである。
五郎の頭には
涼し気な目でニコリと微笑むお栄の姿があった。
(お姉ちゃんに会える。どうやって「かんざし」わたそうか)
五郎は台所に行き、
侍女から山菜を受け取った。
「五郎様、崩されませぬようにお願いしますよ」
かごには山菜だけでなく栗や銀杏など、とてもとてもきれいに載せられているものをわたされた。(けっこうすごい。でも、雉の方が旨いのになあ。あ、そうだ、あれも持っていこう)
五郎は侍女に頼んで、
そう、あれ・・・「煎り酒」を竹筒にいれてもらったのである。
「煎り酒」とは、日本の古い調味料で、
日本酒に梅干を入れて(昆布や鰹をいれることもある)煮詰めたもので、
江戸時代に醤油が普及する前はよく用いられていた。
五郎は本当に好きではなかった。いや、実はとても嫌いなのだ。
・・・何が・・・。「酢」がである。
海が側なので城でも魚が頻繁に出るが、
当時刺身などは、酢にしょうがや辛子をいれて食べるのが一般的なのだが、
五郎は、そっちにはつけずに塩(しょ)っぱい味の「煎り酒」ばかりに浸けるので、
普段は優しい母のお藤も目を光らせながら、
「五郎殿、酢につけなされ」と口うるさく言っていた。
この前、江田浜でご馳走になった時も、亀吉が
「これ旨いぜ!」
刺身をしょうが酢でくれたのだが、酢が体に入ると、
(うへーー)
というような、なんともいえない感じで、少し箸をつけたけで終わったのである。
次の日、朝早く五郎は城を出た。
今回の供は、又二郎・百乃介・与吉ではなく、タキとマツだった。
(あいつらと一緒だと、とても無理だもんな。かんざし渡すの)
一行は江田浜めざし、野犬が出た山は避けて歩みをすすめた。
途中、また「五郎劇場」がはじまった。観客は、タキとマツだけである。
「よいか、タキ・マツ。そこでおれは『たっー』と高く飛び上がり」と言い、
本当に飛び上がったのだったが、
不運にも着地したところに丸い石が。
「あーーっ」と
五郎は豪快にひっくり返った。
背中に風呂敷で固定していた山菜や栗どが全部外に散らばっていた。
左ひじと右ほおからは、傷はたいしたことはないだが、血が・・・。
着物も右胸のあたりが破けてしまっていた。
すぐに懐の「かんざし」をみたが、どうもなってなくてほっとしたが、
五郎の気持はいっきに沈んだでいった。
江田浜に着き、亀吉の家を訪ねた。出てきたのはお栄だった。
「五郎様。また犬に襲われたのですか・・・大丈夫ですか」
五郎が山口に行っている間に又二郎らが来て、その話を伝えていたのである。
「いや、そうではなく、道で転んでしまって。全然大丈夫」
元気がない五郎に対し、タキとマツはわんわ吠えながら嬉しそうに走り回っている。
「かわいいですね・。今日はあいにく亀吉は父ちゃんと海へ出ていて、母ちゃんもばあちゃんらと出かけて、私しかいないのですよ。とにかく汚いところですが上がってください。傷を・・・」
五郎は家に上がり、お栄に傷口を丁寧に拭いてもらった。
お栄の顔が近づくたびに、五郎は少し体が硬くし、顔が赤くなってしまい何も言えなかった。
とてもいい香りがした。
傷の次には、着物を破れたところを縫ってもらった。
「五郎様、じっとしててくださいね」
目の下に、お栄の頭からうなじ、そしてほっそりとした首が、
心が何かどきどきざわつくのだが、何か心地いいものだった。
「はい、五郎様。終わりましたよ」
「あ、ありがとう」
「せっかくなので。今朝獲れたクロダイなどがありますので・・・何かつくりますね。」
「あ、母上がこれを持っていけって・・・本当は本当はきれいだったんだけど・・・」
と風呂敷を解いて、ぐちゃぐちゃになった山菜のザルをお栄に渡した。
「あーー嬉しい、ここらじゃあんまり手に入らないのがいっぱいある。ありがとうございます。みんな喜びます。くれぐれも、よろしく伝えておいてください」
お栄は、パパッと刺身や汁や野菜の煮物などつくり、ほし貝も膳の上に出した。
また、タキとマツにも餌をつくってやった。
五郎が煎り酒を出し、お栄がそれで刺身を食べると、
「あっらーーびっくりしたわ。なんて品のいい。とっても美味しい」
と二段高い少し素っ頓狂声で言ったもんだから、
あははと二人で大笑いした。
それで五郎も緊張がとけ、楽しい時間が流れた。
山口での武勇伝など、五郎はいっぱい話した。
「うんうん」とお栄は微笑みうなづきながら聞いてくれた。
海岸をタキ・マツと一緒に歩いたりもした。
真っ青な海、寄せては返す白い波、そして空に浮かぶ白い雲、そのすべてが眩しく見えた。
帰る時刻が近づいた。肝心のことを忘れていた。かんざしである。
五郎は去り際に渡すことに決めた。
家の外に送りに出てきたお栄に、
「これー、山口でお姉ちゃんにと思って・・・」
と五郎は早鐘のような胸の鼓動を感じながら、かんざしをお栄に差し出した。
一瞬
「えっ」という顔をしたお栄だったが、
そのあとすぐに
「五郎様、ありがとうございます」
涼しい目がうれしくてたまらないようにキラキラ光っていた。
その帰り道、五郎は
(おねえちゃん いいにおいしたなあ)
と思い、お栄の顔を思い浮かべたていた。
行き道に沈んでいた五郎の心は、からりと晴れわたっていた。
タキ・マツが五郎の横で、またわんわと吠えていた。
その7 悲劇
江田浜での楽しいひと時をすごしてた五郎だったが・・・
その三日後、三時をまわった頃、
隆房はふと川に水浴びをしようと思い、タキとマツを連れ近くの牛田山の方へ向かった。
ここには五郎の小さな時からの遊び場なのである。
原っぱあり、お気に入りの洞窟あり、川あり、滝あり、
遊び場としてはこと欠かない。
道から広い草っぱらに出たとき、タキとマツは水を得た魚のように
あっちこっちを走り回っていた。
遠くの方まで行ったタキとマツの姿はどんどん小さくなった。
隆房は
「タキー、マツー!!」
と大声で呼んだ。
隆房の声にタケは動きを止め隆房を見つめ、そして次の瞬間隆房の方へ走りはじめた。
(タキ、すっごく速くなったなー)
と思った。
マツはまだ向こうの方を駆けまわっている。
ふと空を見上げた。
残暑がまだ厳しく続いていたが、夏雲の間にチラホラと秋雲の気配も・・・
五郎は、
(あれは何だろう)と思った。
黒い点が遠くに見えた。
しばらく見ていると・・・何かの鳥だとわかった。
(なーんだ)
ということで、タキが嬉しそうに駆けてくる方を見た。
五郎のもとまでやってきたタキは、五郎の周りをクルクルまわった。
「ワンワン」
遅れてマツもやってきた。
「ほーれほれほれ、ほーれほれほれ!」
などと言いながら、撫でまわした。タキ・マツももう大喜びで、
わんわ、わんわと吠えまわっている。
犬二匹と五郎が原っぱを転げまわっていた。
五郎の息も弾んでいた。
少し落ち着いて、五郎は地面に座り、その横にタキ・マツも佇んでいた。
すると、
タキは五郎の元からまた駆けだした。どんどんタキの姿が小さくなっていった。
(やっぱり速くなったなあ)
マツは五郎の横で一心不乱に草を噛んでいた。
その時、ちょうど五郎の上空高くに、大きな鳶が見えた。
(さっき見えた鳥は、鳶だったんだなあ)
と思い鳶の様子を目で追った。
突然、鳶は急降下しだした。
(地面に降りるのかな)
と、地面の方に目をやると、タキの姿が目に入った。
五郎ははっとした。
(まさか)
タキの方へ向けて駆けだした。
必死になり全力で走った。
そして大声で。
「タキー、タキー逃げろ」
と叫んだ。
しかし、タキは何も気づかず走っている。
五郎は狂ったようにタキの名を叫んだ。
それは、タキが五郎の声に気付いて止まり、五郎の方を振り向いた時だった。
鳶が猛烈な速さで地面すれすれまで舞い降り、一瞬でタキをさらって空を駆け上がっていった。
鳶の足につかまれた、タキは手足をもがくように激しく動かしていた。
やがてタキと鳶の姿は見えなくなった。
五郎は泣いていた。涙が止まらなかった。マツもじっとして動かなかった。
悲しくてしゃくりあげながら泣き続けた。
頭の中に、手足をもがくように動かすタキの姿が何度も何度も思い出された。
五郎は呆然となり、その後どうやって館に帰ったのかも覚えていなかった。
五郎のその後の落ち込みは、傍目からみていても気の毒なほどだった。
ある日、
その様子を見かねた百乃介が、
「五郎様、そろそろ元気をだされないと」
「ああ、わかってはいるのだが」
「たかが犬ではございませぬか。また違うのを」
「たかが犬、たかが犬だとと大声を張り上げた。
「そうではございませぬか」と百乃介も負けずに言った。
五郎の中で何かがはじけた。
五郎は次の言葉を吐かずに、百乃介に飛びつき殴りかかっていた。
家来の侍に
「五郎様、五郎様、おやめなさい」
と止められるまで、殴っていた。
百乃介は殴られるままに、じっと耐えていた。
五郎は家来の腕を振り切って、城の外に走り出た。
(ちくしょう、ちくしょう)
と心の中で叫んでいた。
その日の夜の事、
五郎は部屋で端坐していた。
父の命令で、鏡の前に座っていた。
「己を見つめよ」とのこと。
最初反発する気持の強かった五郎だったが、
ご飯も食べずに、ずっと・・・
頭に様々なことが浮かんでは消え、浮かんでは消えした。
朝方のことであった。
五郎は「はっ」と気づくものがあり、
いつしか、頬を涙が伝わり、肩を震わせていた。
父の元へ行き、二人でしばらくなにやら語り合っていたが、
最後に父の興房が、
「これからのこと、そちにまかせる」
「はっ」
五郎はいつもより長く頭を下げ、部屋をあとにしていった。
百乃介のもとを訪ねた五郎であったが、心の底から百乃介に詫びをいれた。
謝る五郎も、謝られる百乃介も、ともに目に涙を浮かべていた。
外では秋の気配を感じさせる涼しい風が、時折、道端の草を揺らしていた。
その8 茶色と黒の瞳を持つ男(一)
「雨ですね」と与吉が言った。
その日、昼過ぎから五郎と与吉は、牛田山の麓を流れる川に釣りに来ていた。
一時間後くらいから外が急に暗くなり雨がぽつぽつきたのである。
「そうだな、全然鮎も釣れないし、雨も激しくなってきた。
そうだ、あっちにあるボロお堂の軒下で雨やどりしよう」と五郎。
「はい」
大粒の雨が二人の上に落ちてきていた。
二人は川から四町(約四百四十メートル)くらい離れた、道端にあるお堂の軒下に入った。
「与吉、すげえ雨だったな。びしょぬれだぜ」
「五郎様、ほんとですね。あれ、今日はお堂の扉があいていますね」
「本当だ。与吉、ちょっと入ってみようか」
「勝手に」
「かまわんだろ、こんなボロお堂」
と言いながら、五郎は階段をのぼってお堂に入った。与吉も続いた。
首をまわし、お堂の中を見渡した与吉は、
「思ったより、広いんですね」
「そうだな」
二人は隅の方に腰をおろして他愛ないおしゃべりをしていた。
するとその時、数人の人の声や物音が聞こえた。
だんだんその音が大きくなってくる。
やはり勝手に入ったことが後ろめたかった五郎が、
「奥に隠れよう」と言い、
二人はお堂の奥の間に入った。
入ってきた痩せた男が、
「兄貴、床が濡れてますぜ」
「乞食がなんかが寝っ転がってたんだろ。もし戻ってきたのを
見つけたら、わかってるな」
と目の据わった兄貴と呼ばれた男がそういうと、
痩せた男が、両手で斬るマネをした。
「そうよ」
五郎たちは、人相の悪そうな奴らの言葉を聞きながら、
息をひそめていた。
続いて二人の男が荷車で運んできた長持をお堂に二つ運び込んだ。
兄貴が、
「おい開けろ、そのままにしとくと死んじまうかも。死んだらおじゃんだ。しっかりうまい空気を吸わしてやれ」
長持ちから出てきたのは、十五・六歳ころの娘三人と三十歳を少しくらいの一人の女
だった。お堂の端に手足を縛られたままおかれた。
みなぐったりしていたが、年かさの女が、
「なんでなの」と涙ながらにつぶやいた。
お堂から聞こえてくる話や物音を聞き、
息をひそめていた二人は、ただならぬ状況に気が動転していた。
しばらくするとまた外から物音がした。また新たな荷車が着いたのである。
お堂の中にいた兄貴が、
「お頭が着いたぜ」と言った。
一人の男が入ってきた。続いて男が二人、長持をもって入ってきた。
お頭とよばれた男は、
「お前らの方が早かったんだな。」
兄貴が、
「あっしらもさっきついたばっかりで」
「そうか、船の手はずが整った連絡が来るまで、ここで待機だ。それがいつかは読めねえから、深酔いせん程度に酒でもなめとけ」
と低いどすのきいた声で言った。
男たちの酒盛りが始まった。お堂の端の方には後から来た三人の娘ふくめて、
七人の女たちが、しばられたまま座って寄り添っている。呻いている娘もいる。
五郎は、思い切ってほんの少し隙間から覗いてみた。
一人の男に目が吸いついた。普通の顔をしているだが、何だかやけに気味が悪い。
「お頭」と言う声に続いて、
その男がしゃべりだした。
(こいつが一番わるいやつだな)と五郎は思った。
(わかった。右目の色と左目の色が違う。だから変な感じがしたんだ)
そう、その男、右目は真っ茶の瞳、左目は墨のような黒い瞳を持っていたのである
この男が率いる賊は、当時横行した「人取り」と呼ばれる人さらい集団であった。
人をさらってきては、明、琉球、東南アジアなどに売り払うのである。
とくに若くて美しい女は相当いい金になった。
与吉も隙間から五郎とともに覗いた。目の前に広がるのは異様な光景であった。
一人の軽く酔った男が、一人の娘に近づき、顎に手をやり、うつむいた顔をあげさせた。
「姉ちゃん、いい女だな」と言い顔を近づけようとすると、年かさの女が、
「あんた、やめなさい」と叫んだ。
あがった女の顔をみて驚愕したのは与吉であった。
「あっ」と声が洩れそうな口をあわてて手でおさえた。
そして五郎を見て必死に、目で訴えた。
五郎も、その娘が与吉の知り合いであろうことを察した。
与吉の家の近くに住んでいた幼馴染の姉のお峰であった。与吉は三・四歳のころはよく手をひいて遊んでもらっていたのである。
お頭が、
「やめておけ、顔に傷でもついたら値がさがる。
こやつら載せた船が出たら、いやというほど女抱かせてやるから」
それを聞き、女に近づいた男は元の位置に戻った。
お頭が立ち上がり、
「この年増は、売りものにはならんぞ。なぜ連れてきた」
「いえっ、その娘と一緒にいたもんで、つい」
「ふん、女。こっちの脇に寄れ」
と言われ、女は拉致された娘たちから少し離れた。
お頭が刀を抜いた。
「人の一生とは理不尽のものよ。真面目に生きたとしても、必ず幸せになれるわけではないのじゃ」と言い、女の首に刀を突き付けた。
「助けてください、お願いだから」
女の顔が恐怖にゆがんだ。手を合わせて懇願している。
「だから言うておるじゃろ。理不尽なものなのじゃ」と言いながら、
女の首に刀をぶすりと刺した。
「ああ」という声を洩らしながら、女は倒れ伏した。血の匂いが広がった。
娘の一人が失禁した。
お頭が
「おう、こわかったな、こわかったな、かわいそうに。お前、きれいにしてやれ」
「へい」といい一人の男が動いた。
このお頭とよばれた男、商家に生まれたのだが、目の色が右と左で違うため、実の両親からも、「気味が悪い子」という扱いを受け、周りからも目のことで虐げられながら、育ってきた。十三歳で家を飛び出し、転落の一途をたどり、盗み・強姦・殺しとあらゆる悪いことに手を染め、今は人さらい集団の頭となっていたのである。
五郎と与吉は目の前に繰り広げられる光景に戦慄した。
(どうしよう。どうしたらいいのか)と思っていた。
二人とも喉がカラカラになっていた。
五郎は与吉の目見て、奥の間の横にある裏口を指さすと、
与吉が頷いた。
(裏口よ開いてておくれ)
五郎は必死で祈った。
二人はそおーっと歩いた。五郎が裏口に触った。
静かに押すと、開いた。
五郎がまず出た。そして、与吉が、そおーっと出ようとした時、
立てかけてあった板に当たり、板が倒れ「ガタッ」と音がした。
二人は、心臓が凍りつきそうになった。
その音がお堂の男たちに聞こえた。
「誰かいるのか」と男の一人が叫んだ。
するとその時、
「ニャーオ」という声。一匹の猫が裏口の裏で鳴いたのである。
「なんだ猫か」ということで、男たちはまた酒盛りをはじめた。
二人は胸をなでおろし、猫に感謝の視線をおくった。
その8 陶晴賢 茶色と黒の瞳を持つ男(二)
外にでてしずかにお堂から離れ、
木立に入った五郎と与吉、なにやらひそひそ話し合ったが、
「お峰ねえちゃんから目を離しくない」という与吉の一言で、
お堂を与吉が見張り、もし奴らが移動した場合は後をつけることに。
そして、五郎は、家中の侍たちを呼びにいくことが決まった。
五郎が
「もし見つかったらどうする。与吉」
「五郎様、見つかったら全速力であの洞窟に逃げまする。小さい折からあそこで遊んでおったので。横穴、縦穴・・・私が得意にしているのは、五郎様がよく知っておられること」
と与吉はニコリと笑った。
「確かに」と五郎。
「では、できるだけ早く、よろしく、よろしくお願いいたします」
「わかった、与吉。くれぐれも気をつけてな」
と言い五郎は、城に向けて走り出した。
一人残された与吉は、お堂がよく見えるようにと、
お堂の道を挟んだ斜め向かいにある
大きな木の裏に隠れ、お堂をちらちら伺っていた。
(お峰姉ちゃん、必ず助け出すから・・・無事で・・)
と思いながら・・・。
と、突然後ろから
「坊主、なにしている!」と与吉は襟組をつかまれた。
遅れてやってきた一味の男だった。
男は、お堂に向け
「おーい変なガキがいるぞー」と叫んだ。
与吉は躰をくるりと返し、男の手首に死ぬ思いで噛みついた。
「あっ」と男が手を放したので、全力で洞窟に向けて走りだした。
男は手首を抑えながら、与吉を追いかけ、またお堂に呼びかけると
男たちが出てきて、一緒に与吉を追いかけた。
(お峰姉ちゃん助けるどころか。こんなことに情けない。捕まったら殺される。何とか、何とか逃げおおせないと)
と死に物狂いで駆けた。
洞窟が見えた。
(もうすぐだ・・・)
ところが、追手の一人が与吉にあと二間(約三・六メートル)に迫った。
「待て、ガキー!」と鬼の形相で絶叫する。
洞窟のところまで来て、後ろに気づいた与吉が、
(追いつかれる。もうだめだ)
と思ったとき、矢のような速さで追手の男に何かがぶつかった。
「ぎゃー」とその男は、両手で顔を覆った。
なんと、それは先ほどの猫であった。
次々と男たちに襲い掛かった。
「くそー」と男の一人が脇差を抜き一閃すると、
その猫は血を噴きながら地に落ちた。
なおも、立ち上がろうとしたのだが・・・斃れた。
この間に、与吉は洞窟に入ることができた。
一方五郎は、
今までこんなに駆けたことはないというくらい駆けた。
途中何度もこけたが、走り続けた。(何とか早く。早く)
偶然、遠駆(とおがけ)をしている若侍に出会った。
異様な五郎の様子を見て、
「五郎様どうされました」
理由(わけ)を聞き、二人で馬に乗り急ぎ城に戻った。
事情を聞いた陶興房は
「すぐ参るぞ」と、
自ら先頭に立ち二十騎を率いて現場に向かった。
洞窟の中で男たちはてんてこ舞していた。
目がほとんど見えない中、歩いていると、洞窟の上の穴の開いたところから
石を投げられ、砂をかけられ・・・
しかし、やがて男たちも目が慣れてきて、徐々に与吉は追い詰められていった。
(だめだ。もう逃げるところがない。しょうがない)
ということで、縦に狭く横に長細い口になっている。三間(約五・四メートル)ほどの奥行の、大人の体では入ることができない行き止まりの穴に潜んだ。
男たちが懸命にさがす。
(見つからないように)と与吉は祈る。
「このあたりにいるはずなのだが、どこ隠れやがった」
「い、いたぞーーこの奥だ」
「見つけたぞ坊主、手かけやがって」
と男たち。
与吉は、
(もうだめだ・・・)と思った。
「おい、入れねえぞー、狭いや」
「出てこい、このやろう」
「生き埋めにしたら。でも間口が広すぎるか」
「火を焚いて燻(いぶし)殺そう」
「そうだな」
男たちは準備を整え、火を燃やしはじめた。
「ごほん、ごほん」と咳き込む与吉。与吉は父・母のことを思い出していた。
その時、にわかに洞窟の口あたりが騒がしくなった。
二十騎のうち七騎がやって来たのである。
指揮をとるのは家中一の遣い手、佐藤清兵衛。
しばらく前、塚原卜伝との試合で、子ども扱いされ、
上には上がいることを思い知らされ、後、狂ったように修行に打ち込んでいる。
「賊どもよ。お縄につけ。手向かいいたさば容赦なく斬る」と清兵衛。
この言葉が合図となり、闘いが始まったが、陶家中の手練れ集団相手にかなうわけがない。
二人が斬り殺され、二人が捕まった。
お堂の方では、
陶興房率いる十三騎は、お堂から離れたところで馬を降り、
気づかれないように中の様子を確認した上で、
表と裏から一斉に踏み込んだ。
表から踏み込んだ三名がまず人質の前を固め、それ以外が賊に向かった。
先頭に立っていた興房が
「大内家家臣の陶興房である。神妙に縛につけ」
左右の瞳の色の違う賊の首領が、
「ほほう殿様が自ら。余程の阿呆か、物好きか。わしはここで死ぬだろうが、最後におもしろい機会をもらったわ。お殿様と斬り合いができるとわな」
「まいれ」と興房。
「人生は理不尽なものぞ。後悔させてやる!」
「たー」
「やー」
二人が同時に踏み込み、体が交差した。
男が振り向き、
「やっと死ねるわ。やっと」と言いながら、口から血を流して斃れた
あとの二人は召しとられ、若い娘たちは全員無事に助けられた。
五郎は七騎とともに洞窟に向かい、助け出された与吉と手に手をとった。
「五郎様・・・」あとは言葉にならなかった。
すぐに二人もお堂に向かい、
与吉は、お峰の無事を心から喜んだ。
洞窟で捕まった男たちから、猫の話を聞いた一行は、
猫のおかげで与吉が助かったことがわかり、懇ろに葬ってやろうと洞窟に向かった。
洞窟に近づくと、
「みゃーみゃー」という猫の鳴き声が聞こえた。
死んだ猫に二匹のまだ小さな子猫が体をこすりつけ鳴いていた。
死んだ猫は、子猫たちの危機を救うつもりで命をかけて立ち向かっていったのであった。
また、お堂に向かったのも、時々食べ物の残りがあるので、それを探してのことだった。
五郎と与吉は、その子猫を大事に持って帰った。
与吉の母親が大の猫嫌いということもあり、五郎が飼うことになった。
乳歯が生え始めていたので、生後三・四週間というところだろうか。
五郎は二匹に、アキとフユと名付けた。
その二日後、
秋の陽だまりの中、餌を食べたアキとフユが仲良く眠っている。
そこへやってきた一匹の犬。そうマツである。
タキを鳶に連れ去られ寂しそうに過ごしていたのだが。
マツは二匹の猫に鼻を近づけ、クンクン嗅いだ。
その後すぐ離れたのだが、
また戻ってきて横に座り、五郎が見ると・・・優しく二匹をなめていた。
その9 爺との出会い
柴犬の愛犬タキが鳶に連れ去られてから、五郎が始めたことがある。
(今度もし鳶が襲撃してきたらこれで追い払ってやる)と考え、
五郎は近くの河原へ行き、石を投げ始めたのである。
石は、
(これぐらいがしっくりくるな)
ということで卵ぐらいの大きさの石を選んだ。
先ずは向こう岸まで投げる力をつけると五郎は決意し・・・
とにかく暇ができると河原へ行き、これを繰り返した。
時には三時間以上も投げ続けることもあった。
そんな時は、
「ち、痛っ。またかよ」
よく指先から血がふきだしたりもした。
時にくじけそうにもなるが、
五郎の脳裏に浮かぶ。鳶につかまれ逃げようともがいていたタキの姿が、
五郎を励ました。
(何とか向こう岸まで、何とか)
と思いながら、日々を重ねていった。
これは後の話になるが・・・
やがて川の向こう岸まで投げられるようになると、
五郎は、次に林の中で狙った木立にぶつける稽古もはじめた。
(なかなか、あたらねえや)
しかし、じっと的を見つめ集中力を高めていくと、的が大きくなっていくように感じ、
徐々に当たる確率が高まっていった。
しかし、五郎は思った。
(いくらこれで上手くなっても、鳶のように動いているものにぶつける能力は高まらない)
ということで始めたのが、
高く石を投げ、その空中にある石に次の石をぶつけるというものである。
これが難しい。なかなか当たらない。本当にあたらない。
でも五郎はあきらめない。
初めて当たった時は、
「やったーー」
と思わず飛び上がって喜んだ。しかし、また当たらない。
「くそー」と落ち込む。
こういう日々を繰り返していった。
そして、月日を重ね、
いつしか五郎は、なんと、投げた石が空中にある間に三個の石をぶつけることも度々できるようになったのである。
また、密集する木々のほんの少しの隙間をすり抜けて、十五間(約二十七m)くらい向こうの目当ての木に十うち九は当てることができるようになっていたのである。
そのころには、
五郎の右手の人差し指と中指の先はまるで石のように固くなっていた。
五郎は石投げを通して、
(なるほど、そうなのか。てんで違う。うまくなる早さが。そうなら、しっかり心においておかないと。いつも、いつもな)と思うようになった。
そう、それは・・・
事に当たる時には、とにかくびしっと目標(めあて)をもつことがきわめて大事なんだということを学んだのである。
それは、その後の五郎の剣術をはじめとするその他の
武芸などの修練に大いに生かされていった。
さて、話をもとに戻す。
五郎がまだ向こう岸にまで石が投げられなかった頃のこと。
ある雨の日、五郎は朝から頭痛で伏せっていた。
たまたま父が部屋にやってきて、
「五郎、大丈夫か」と声をかけた。
寝ていた五郎は、目をさまし、父の方へ顔をむけ、
「ああ父上、大丈夫にございます」
その時、父興房の表情が一瞬止まった。が、すぐに元に戻り、
「それならよい。ゆっくり休んでおれ」
といい部屋を後にした。
その二か月後のことであった。
父によばれた五郎。
「来たか、入れ」と父の声が聞こえた。
五郎の目に、父ともう一人の男の姿が目に入った。
男は父よりかなり年齢が上に見えた。正坐しているその姿はまるで石像のようであり、
凛としたものがあった。
左目に刀の鍔風の皮の眼帯をしている。
もう一方の右目だが、鋭いわけでもなく優しいわけでもない。
あえて表現するなら、深いというのが適切か。
五郎は、この人の前では嘘をつくことができないなという思いを抱いた。
父が口を開いた
「五郎よ、この御仁が今日からお前の守り役になる。
つまり俺のかわりに父代わりになるということじゃ。
今後は、この御仁の申すことを父の言葉として受け止めよ。よいの。」
「はっ、わかりましてございます。」
「この御仁はわしが若い時から父とも兄とも慕ってきた方じゃ。日本中を回って様々なことを経験されてきておられる。各地の大名のことにも、戦のやりかたなどについても通じておられる。この度はわしが是非にと頭を下げて、お前の守り役をお願いした。しっかりと学べ。」
「はっ」
「きっとお前のためになる。おもしろいこともいろいろ学べるはず」
と言いニヤリと笑った。
五郎は、その男の方を向いて
「五郎と申します。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
と言った。
「わしは後藤治右衛門と申しまする。五郎殿はいずれ、大内家を支える陶家の当主となられるお方。よって、責任(せめ)を重う感じておりまする。こちらこそ、よろしくお願いつかまつる」
と男は答えた。
そして続けた。
「私は歳を重ねておりまする故、爺とお呼びくだされ」
「爺ですか。わかりました。そう呼ばしていただきます。」
陶興房は治右衛門に
「周りのことは一切気にかけず、とにかく好きにやっていただきたい」
と全面的に五郎のことを託し、家中の者にもその旨きつく申し付けた。
それほどまでに治右衛門のことを頼みとしていたのである。
さてその数日後、
五郎と爺(治右衛門)は実にうすぎたない物乞いの姿で、凍り付くように冷える山口の街路に佇んでいた。
「あ、あちらから参りますのは大和屋の主人でございます」と被り物をしている五郎。
「薬問屋の」と治右衛門。
「そうでございます。しばらく前、山口の屋敷で、菓子などをくださり凛々しい若君だなどとたいそうほめていただきました」
「なるほど」
五郎と爺の横を通った時、
大和屋の主人は二人を一瞥(いちべつ)して、
「ああ嫌だ。この山口の町に、蠅がたかっておるわ。反吐がでる」
と言い、唾をペッと吐きながら去っていった。
五郎は、この前会った時の大和屋の恵比須顔と
今日の別人のような不機嫌な顔の差に、思わず目が点になった。
「五郎殿、こういう姿になれば、またいつもとは違った景色が見えましょう」と爺。
続けて淡々と、
「人は、自分より低いものとかかわった時に、その本性(まこと)が出やすいものにございます」と。
(そういうものか・・・)と五郎は思った。
目の前を歩む人々は、無視したり、嫌な視線を送ったり、悪態ついたり
あるいはやさしい言葉をかけてくれたり、物や金をくれたり、実に様々、人それぞれであった。
例えば、やくざ風の男が通ったとき、
その男が二人に近づいてきた。その眼は錐のように鋭かった。
五郎のすぐそばに来て、その眼が二人を見おろした。
五郎は男の迫力に、何かされるのではと緊張した。
と、男は懐に手をやり、
「寒いのに。かわいそうに。風邪ひくなよ。少ないがとっときな」
と結構な銭をくれ、去っていった。
その10 おゆう(一)
その日の夕暮れ時、
物乞いとなっていた爺と五郎は河原に行き、自分たちでこしらえた小屋にいた。
と、寒風が吹く中、ぼろい扉をたたく音が聞こえ、
「のぞいていい?」という可愛い声がきこえた
その声の主は、八つくらいの娘で、名をおゆうといった。
おゆうも一緒にいるおばばとともに物乞いをしており・・・
河原で顔をあわせているうちに仲良くなったのである。
「あんたら、きっと今日も稼ぎ少なかったんでしょ。ハイ!」
と言いながら、一つの饅頭を二人にくれたのである。
こんな境遇にもかかわらず、キラキラ光るつぶらな瞳が印象的な娘であった。
「いつか生き別れた母ちゃんに会うのが夢なんだ!」
そんなことを五郎に語っていたおゆうであった。
あとで・・・
河原でおゆうのおばばと爺(治右衛門)が顔を合わした時・・・おばばが、
「どんな酔狂でやっているのか・・・それは、あんたらの勝手だが・・・
そのおかげで、饅頭半分食い損ねたわ。
あんたらを心配する・・・優しいおゆうには何も言えなくってな・・・」
爺(治右衛門)は、
「誠に、あいすいません・・・」と素直に認め、
おばばに丁寧に詫びたので・・・この二人も仲良くなっていった。
「あの子は実にかわいそうな子でな・・・」
とおばばは、おゆうについて・・・いつか話してくれたそうな。
その話によると・・・
おゆうの父親というのは金治といい、気性のおとなしい染物職人だったとか。
また見た目は二枚目で、近所の娘たちからはちょいと噂されるほどだった。
しかし、おゆうの婆様にあたる金治の母イネは意地悪く、
それはそれはきつい性根の女で・・・近所でも嫌われものだった。
金治は、そんなイネのいいなりの気の弱い男だった。
イネは嫁にきた、おゆうの母親のお徳とも最初はそう仲悪くなかったそうだが・・・
お徳が近所でいい嫁だと評判があがったのが気に入らず・・・
いびりだしたそうな。
金治はというと、それを止めもせず・・・
お徳もじっと耐えていたのだが・・・。
そこに、
たまたま、イネの知り合いで小金持ちの男の娘フネが
男前の金治を一目みてくびったけとなり・・・
「娘がいてもいいからとにかく金治さんと一緒になりたい」と・・・
また、このフネがいいだしたら聞かない性質(たち)の娘で、
甘い父親は、持参金をたんまりつけるからなんとか・・・という話になり、
イネは渡りに船とばかりに、あれこれ理由をつけて、
お徳を離縁し、家からたたきだした。
「娘はしっかり育てるから、あんたは金輪際合わないように。いいね!」
と鬼のように厳しく言い、さっと引っ越していったそうな。
それでお徳は、おゆうには一切会うことができなくなってしまった。
晴れて一緒になったフネは・・・
金治はもちろんイネやおゆうも大事にし・・・
うまくいっているように見えたのだが・・・・・・
その10 おゆう(二)
ところが婆様のイネが死に・・・妹、弟が生まれてくると・・・
フネは途端におゆうに冷たくなりだした。
ある時・・・フネはおゆうに一緒に神社に行こうって誘い・・・
「本当?」って、
おゆうも・・それは喜んでついていったのだが・・・
秋の夕暮れ時、
参拝の帰り、勾配のきついことで有名な高い石段を下りようとしたとき・・・
「きゃー」
おゆうは後ろから突き飛ばされ・・・転げ落ちたのである。
腕の骨を折っただけで・・・幸い死にはしなかったものの・・・
落ちた先から見えた、石段の上にたつフネの氷のような顔をおゆうは忘れることができない。
フネは金治には
「おゆうちゃん、本当にそそっかしくて・・・」
などと言っていた。
夜具に入ったフネは、
(ちくしょう!死ななかった。憎い・・・私とは違う女と金治さんの間に
・・・憎い・・・あいつさえいなければ・・・きっと・・・きっと)
おゆうは、フネがいないある時、
父親の金治に、あの時フネに突き飛ばされたかも・・・と伝えてみたが、
「そんなことはあるはずがねえ」と相手にされなかった。
しかし、それ以降、金治はそれとなくおゆうを避けるようになっていった。
おゆうは、父親の金治も自分を守ってくれるとは思えず・・・不安にかられ、
夜になると母親のお徳の温かい肌を思い出し、
「母ちゃん、母ちゃん・・・」と泣いていた。
ある晩のこと・・・
おゆうが布団にくるまっていると、何か物音が聞こえた。
耳を澄ましてみると・・・
「ポタッ、ポタッ」
何か水滴が落ちるような・・・
おゆうは薄目をあけて音の方を見てみると・・・
フネが・・・水がしたたりおちる濡れた手拭をもち、
二mくらい向こうに立ち、おゆうを見つめていたのである。
そのフネの目はまるで狐が憑いているようだった。
(どうしよう、殺される!)と全身が総毛立ち恐怖に震えるおゆうだったが・・・
意を決して、
ばっと飛び起き、無言でフネを必死で強く突き飛ばし・・・
部屋を飛び出していったのである。
おゆうは、それきり家に帰らなかった。
おばばは、遠くを見て思い出すかのように、そんな話をし・・・
続けて、
「・・・そして見ず知らずの私と出会い・・・おゆうはこの賑やかな
山口の町で物乞いをしていれば・・・いつか、いつか本当の母ちゃん
に会えるのではないかと思ってるんだよ・・・」
外から、冷たい風がぴゅーっと鳴る音が聞こえてきた。
爺(治右衛門)は、その話を何もいわず、ただじっと聞いていた。
その右目にはうっすら涙が滲んでいた。
その三か月後・・・
再び物乞い姿で山口にあらわれた五郎と爺であったが・・・
河原には、おばばの姿は見えなかった。おゆうはいたが、
何かしらフラフラしているように見えた。
五郎は、
「おゆうちゃん・・・おばばは?」と聞くと、
「先月急に風邪をこじらせて・・・死んじゃった」としくしく泣きだした。
そのおゆうも風邪なのか、相当調子が悪いらしく・・・
顔が真っ赤で・・・「ゴホゴホッ」咳き込んでいた。
五郎が額にさわってみると・・・
「ひ、ひどい・・・熱い!」
おゆうは、高熱をだしていた。
その日の晩、おゆうは倒れ・・・意識を失い・・
「母ちゃん、母ちゃん」
と布団の中で、額に汗をにじませ、うわごとを言っていた。
爺と五郎は・・・急いでおゆうを陶の屋敷の離れに運び・・・医師の竜泉をよんだ。
竜泉はおゆうを丹念に診たが・・・
部屋をでて・・・首を横に振り、
「あと三日もてば・・・」
五郎が、
「何とか、何とかならないのですか!」っと竜泉に詰め寄ったが・・・
再び悲しそうに・・・首を横にふった。
爺と五郎は・・・陶の屋敷の人間の手も借り・・・必死でおゆうの母親お徳の行方を探した。
四方八方手をまわしてみたのだが・・・
一日たっても・・・何の情報(しらせ)も得られず・・・
病床のおゆうは・・・どんどん衰弱し、意識を失い、ぐったりしていた。
二日目に、生き別れた娘を探している人間がいるという情報(しらせ)が入り、
すぐに行ってみたのだが・・・
・・・別人だった。
爺や五郎は、期待してだだけに、がっくりしたのだが・・・
その別人の女が
「あのー私と同じように・・・娘を探しているひとが・・・いつも夕刻になると
古熊神社にお参りに・・・」と。
「えっ」ということで、
すぐにそこへ行くと・・・
いた、いたのである。お徳であった。
お徳は人ずてで、娘が失踪したことを聞いたのだが・・・
その後は、とにかくあっちこっち狂ったように娘を探しまわる日々を重ねていた。
お徳の髪はほつれ・・・頬はげっそり痩せていた。
五郎が
「早く、早く、おゆうちゃん死んじゃうー」と半分泣きながら言い・・・
一行は急ぎ、屋敷に戻った。
部屋に入ると
お徳は
「おゆう!」と言い・・・近寄った。
おゆうは、しずかに眠っていた。竜泉も見守っているだけだった。
お徳が・・・おゆうの手をきつく握り・・・
「ごめんね、ごめんね、おゆう、会いたかったよ」
「おゆう、おゆうーー!」
と叫ぶが・・・・反応がない。それを何度も何度も繰り返した。
と、しばらく後に・・・
お徳が「おゆうーー」と突然大声をだした。
五郎は、どうしたのかと思った。
「おゆうが、今、私の手を、手を、にぎったのよーーー」
と、お徳が言ったとき・・・
おゆうの目がゆっくりと開いた。
そして、
「ああ、かあちゃん、かあちゃん・・・」
とつぶやき、目から涙をぽろりとこぼしたのである。
そして・・・再び静かに目を閉じ・・・おゆうは旅立った。
亡くなったおゆうの懐をあらためると・・・
おゆうが、何が書いたくしゃくしゃの紙が出てきた。
開いてみると、
そこには、汚い文字で・・・
「かあちゃん かあちゃん いま どこに
おゆうはかあちゃんのこと まいにち おもてるよ
かあちゃんも おゆうのこと おもってくれてるよね
かあちゃんにあったらね あったらね いっぱいはなすんだ
いっしょに ごはん たべて おんぶも してほしい
それから
かあちゃん と かあちゃんと いっしょに くっつて
ねるんだ
かあちゃん あいたい
あいたいよ 」
お徳の泣き声が、部屋中にひびいていた。
その11 鬼畜(一)
小間物問屋の泉屋善右衛門は、親たちから見放された捨てられたりした肢体不自由の
子どもたちやの知的障害をもつ子供たちを収容する施設を営んでいた。
その施設の中でのことである。
泉屋善右衛門が、昼時に皆を集めて口を開いた・・・
子どもたちや働いてる人間たちもシーンとしてみな善右衛門をじっと凝視している。
「さて今回少し遠くにはなるがな・・・越前の方の大店(おおだな)の主の方が
是非子供を預かりたいという申し出があってな・・・
誰にしようか、それはそれは悩んだのだが・・・」
みんなが固唾を飲んで見守っている。
「このたびは・・・」
「そう、このたびは・・・」
「みなでいろいろ相談した結果・・・」
「・・・太郎にすることにした」と大声で叫んだ。
「おおー」というどよめきが起こっている。
「おれだ、おれだ!やったー!」と太郎は狂気している。
「いいなー」「いいなー」という声も飛び交っている。
そう、ここの子どもたちにとっては、時々ある、いい家からの
申し出で引き取られていくことが夢なのである。
時折、引き取られた子供が遊びにきたりすることがある。先日も
防府の商家に引き取られた駒江が遊びに来ていたのだが・・・・
知的障害の子は当時「福子」ななどと呼ばれたりしており、そういう子が
いると家が栄えるというふうに信じられてもおり、時折あえてそういう子を
引き取るようなこともあった。駒江がそうだった。
駒江は、きれいな服、美味しい食事、温かい風呂・・・そして何よりもいっぱいの
愛情に包まれ大事に育てられていた。
駒江の様子から、それが子どもたちには一目でわかるのである。
(いいなあ。うらやましいなあ)と皆心底思った。
遠隔地に行った子は顔を見せることはないが・・・時々、泉屋の手代などが以後の様子を見に行ったり、時には善右衛門自身が直接行くこともあり・・・いかに幸せに暮らしているか。その見たままを施設の子どもたちに伝えるのである。
確かにこの施設も悪くはない。世話してくれる人も親切だし。皆仲もいい。
しかし、食事もそう豊かなものではないし、施設に少しでも報いるためには
物乞いにも行かなければならない。暑い日も寒い日もあり・・・また、街頭で罵声、
悪態などを浴びることも日常のこと・・・
(あー私もはやくいいおうちへもらわれていきたい)というのは皆の夢であった。
その夜のこと・・・
善右衛門の屋敷の一室でのこと。
泉屋の主(あるじ)の善右衛門と密教僧の道雪と番頭の孫左衛門が語っている。
「太郎は、十四歳になり、体も大きゅうなって各段と飯を食うように・・・
また見栄えもいまいち・・・よって物乞いしてあまり稼げぬ・・・
じゃから、逝ってもらうことにしたのじゃ」
善右衛門が真顔で語ると、
「例によって、薬で・・・」と密教僧の道雪
「そうよ、太郎や、さようなら。いい夢見て苦しまずに逝けるのだから
最高だろうて・・・」善右衛門は酒を口に含ませた。
続けて、
「馬鹿どもが貢ぐ酒の旨さよ・・極楽、極楽ふっふっふ」
「確かに旨い。この明(みん)の酒は甘くて芳醇な香りがいたしますな」
孫左衛門が杯の酒を見つめた。
「道雪殿、この酒は桂花陳酒と言ってな。唐の楊貴妃も好んだ酒だそうな」と善右衛門。
「ほう」
「ところで孫左衛門や、次の仕入れ(人さらい)はどうなっておる。とにかく見栄えのよいのを
選(よ)らんとだめだぜ・・・この商売やり出してからつくづく思うのだが、
人間ってえやつは意識するしないに関わらず、とにかく外見のいいのに魅(ひ)かれる
動物よ」
「わかっておりまする。しかし、ここの子どもの数もかなり増えて、
かなり世間でも知られるようになってきましたが大丈夫ですかね。」
「そりゃ、多けりゃ多いほどもうかるのじゃ。やらいでか。大丈夫かって。
そりゃ大内のバカ殿が『これは奇特なことよ』などと、阿呆なこと申して
たんまり奨励金までくれるのじゃからの。お墨付きもあるのじゃから、大手
を振ってやればいいのよ。笑いが止まらぬわ!」
道雪が
「善右衛門殿は鬼畜ですな」
「鬼畜な!結構結構。儲かるなら鬼畜でも、魔物にでもなるわ」
さて、表向きは小間物問屋の泉屋善右衛門は、子どもをあちこちからさらってきて・・・
体を不具にしたり・・・精神を崩壊させたりして・・・
物乞いをさせてしこたま儲けていたのである。
そこで大きな役割をはたしていたのが、密教僧の道雪であった。
酒、薬と妖術を使い・・こども精神を崩壊させたり、子どもたちを洗脳し
記憶を植え付けたりしていたのである。
さらわれてきて足を切られた子なども、道雪の手にかかれば、生まれた時から不具で
親から河原に捨てられ善右衛門に拾われたのだとかたく信じ込んでいたのである。
だから施設の子どもたちも、施設で働いている人間も皆何も疑わず
健気に生きていたのであった。
また駒江のように本当にいいところを貰われていくこともあったのだが、それは
十に一つの話で、それ以外は躰が成長し、大飯ぐらいになったり、物乞いで稼げなく
なると、貰われていったという名目で闇に葬られていたのである。
その11 鬼畜(二)
口をもぐもぐ動かしながら、
「どうじゃ、うまかろう」と五郎。
「確かに美味しゅうございます」と与吉。
「いやーーまったくでございますな」
といいう又二郎の頬がうれしさで緩んでいる。
百乃介は、ただただうなづくばかり。そして目にはうっすらと涙が。
すると爺が
「もう一皿づつ食べなされ。爺の奢りじゃ!」
皆から
「おー」という歓声があがった。
ぺろっとたいらげた五郎は、みなを茶店に残し離れたところにいる物乞いに近寄った。
「これは、五郎様、またういろうですか」
「いやっ、またってそんなに来てるかな」
「二日前もいらっしゃっておられましたよ」
「そうだったかな」と照れ笑いする五郎。
その物乞いは誠吉といい、年のころは八つくらいで、片足が生まれつきない
とのことであった。
五郎も爺と物乞い生活をたびたびしていたので誠吉とも仲良くなったのである。
性格は明るく、何にでも興味を示す活発な子だった。
茶店では、亭主が、
「陶の若様は、誠にういろうに目がないですな・・・よくおいでくださいまして
こっちは大儲かりでございます」
「あれは・・・悪い病気ですな」
爺と亭主が声をあげて笑っていた
するとそこへ荷車をひいて、誠吉の迎えに庄吉がやってきた。荷車にはすでに
肢体不自由で物乞いをしている子供らが四人ほど乗せていた。
五郎は庄吉とも顔見知りだった。
「五郎様、ぜひ今度うちの方へ遊びに来てください。大内のお殿様
にも、お認めいただき多額の奨励金もいただいて・・・昨年は家屋も
立て替えて綺麗になっておりまする」
「五郎様、ぜひ待ってますよ」と誠吉。
「ああ」と五郎。
その日の夜半のこと・・・
誠吉が厠にいくと・・・あいにくのことに誰かが先に入っていた。
(今日はあったかいし散歩ついでで・・・)
母屋の離れの厠を松葉づえつきながらめざした。
その途中ふと見ると母屋の地面から少し上の部分から灯りがもれていた。
(何だろう?)
ということ見に行くと・・・
その灯りが漏れているところは、小さな四角い穴になっていた。
いつもは板をはめこんであるようで、同じような箇所がそこ以外にも
四箇所あるのだが、それらには全部板がはめてあった。
そこだけ外れて下に落ちていたのである。その穴からのぞくとぼんやり中の様子が見えた。
どうやらそこは地下室のようである。
見ると・・・なにやら僧形の男がぶつぶつつぶやいていた。
男は誰か寝ている人間に話しているようなのだが・・・
男の背中でよく見えない。
(なんだろうな。よく見えねえ。また来よう)
その日、誠吉は板を静かにはめて自分の寝床に戻った。
誠吉は次の晩またでかけた。
今度は違う場所に行き、はめ板をしずかに外した。
その日は部屋の中がよく見えた。
誠吉はびっくりした。
部屋の中央にぐったりとしている女の子の下半身が露わになっている。
意識はなく寝ているように見える。男が四人ほどいる。
三人の男が女の子の体を固定し、そのうちの一人が手拭を女の子の口に
入れている。
そしてもう一人の男が手に持っているのが・・・なんととても大きな斧である。
(嘘だろー)と誠吉は思った。
男はその斧をかつぎあげ・・・そして、次の瞬間
「えい!」
とふりおろした。左脚が飛んだ。血が噴き出している。
薬か何か飲まされているのか・・・女の子はうんともすんともいわない。
男の一人が手早く傷口に焼酎らしきものをふりかけ、もう一人の男が傷口
を縫いにかかっている。
あまりに凄惨な場面を見て、動けなくなっていた誠吉だったが・・・
突然後ろからこん棒で殴られて気を失った。
翌日、沢で誠吉の死体が発見された。
きっと夜ふらふら散歩して、土手で足を滑らして
沢に落ち、水につかり溺死したのだろうと考えられた。
五郎も知り合いだったので、爺と死体を確認しに行ったのである。
そこで五郎は悲しみにくれつつ、合掌していたのだが・・・
(あれっ)と思った。
誠吉は、生前、「おれは生まれつき足がなかったんだ」と話していたのだが・・・
脚をみると・・・五郎にはどうしてもそうは見えなかった。
爺に聞くと・・・「これは生後に事故かなにか・・・とにかく斬られたことは間違いない」とのこと。
その11 鬼畜(三)
数日後、五郎は与吉とともに施設にいた。
庄吉に頼んで連れて来てもらったのである。
善右衛門が
「これはこれは陶の若様、このようなところへ、誠にありがとうございます」
「いや、誠吉とはよく話す仲だったもので・・・どんなところで生活していたのか
少し見てみたかっただけなので・・・邪魔して悪いな」
「いえいえ、若様のようなこれから大内の重臣となられる方に、まことの民の窮状、
とくにこのような境遇の子どもたちの様子を見ていただけることは、こちらこそ
大変ありがたいことだと思っております」
五郎と与吉は、一時間ばかり施設や子供たちの様子を見学して帰っていった。
その晩のことである。
道雪が真顔で言った。
「陶の若殿は・・・心に何か疑念をもってきたことは間違いないですな。
私には見えまする」
「施設でも・・・誠吉の脚のことなど、いろいろ嗅ぎまわっておったそうな」と孫左衛門。
「ガキ一匹といえども・・・早めに手を打ったほうがよいの・・・。
しかし、あの陶のガキはちょっといねえ男前だね。道雪殿、あの年でも心を入れ替える
ことできますかね・・・」
善右衛門が目を光らせた。
「楽ではないですが・・・私の腕ならなんとかなるでしょう」
「あれなら・・・余所(よそ)の地域の同業にも高く売れるわ・・・
最近は刃傷沙汰もなく・・ひまで酒ばかり飲んでる先生方にお願いしましょうか。」
次の日の昼頃
五郎は与吉とともに父の遣いで、街道を歩いていた。
「父上もわざわざ俺を使わなくてもいいのに…面倒だなあ」と五郎。
五郎が与吉をみると・・・表情が引き締まっている。
「五郎様、後ろかやってくる連中ですが・・・先ほどからみるに・・・
つけてきているようです」
「そうなのか・・・与吉、おれはわからなかったぜ」
「はっ。ただ私の見るところ尋常な連中ではございませぬ。」
五郎がさりげなく振り返り、
「確かに。ちらっと見たが・・・俺等のかなう相手じゃなさそうだ。与吉
おまえ道を横にそれろ!」
「五郎様!」
「殺すつもりなら・・・もうすでに殺しているだろ。」
「なんとか加勢を呼んできてきてもらいたい。まだ奴らは俺たちが気づいてると思ってねえ。
すっと自然に横道にそれて・・・たのむぜ与吉」
「五郎様・・・わかりました」
与吉は人通りがあるところで、街道を脇道に逸れていった。
与吉は巧妙に隠れて、五郎を追っかけてる奴らの面(めん)をつぶさに頭に入れようと凝視した。
その中の一人が・・・善右衛門の施設を訪ねた時に・・・
施設から少し離れたところで犬と戯れていた奴だと・・・はたと気づいた。
与吉は急いで戻った。
とにかく陶の屋敷へと急いでいる途中に爺と出会った。
爺に仔細を話し、そして
「これはあくまで私の勘なのですが・・・
五郎様は施設に連れ込まれているのでは・・・」
「あい、わかった。すぐに興房殿へ、わしは一足先へ」と。
五郎は人気のないところで、
(案の定来やがった)と思った。
五郎はそれとなく、草鞋をなおすふりをしなが、石を拾っていた。
敵が足早に近づいてきた。
と、五郎はぱっと振りかえり、
立て続けに三人石をぶつけたのだが、
目の前に痩せた背の高い侍が出てきて、ニヤッと笑ったところまでの記憶しかなかった。
峰打ちをくらい気絶させられていたのである。
地下室で五郎は縄でしばられていた。
善右衛門が、
「若様は、実にいい御顔されていらっしゃる。その顔が今から歪むのが楽しみですな。
いやそれとも戦国武将の子ゆえに、これくらいは耐えられるのでしょうかな。」
「こうやって誠吉の脚も切ったのか」
「そうでございますとも」
「てめえら鬼か」
「なんとでも。そのうち罵る元気もなくなるじゃろう。泣き叫ぶやも。が、ここは地下室でも特別の部屋。音は一切外部に漏れぬ。ふっふっ。じゃあ、おやり」
「へい」男の一人が斧を振り上げた。三人は五郎の体をおさえている。
(あー)と思い、
五郎は目を閉じた。
まさにその時である。
目に止まらぬ速さで何かが通り抜け、一筋の光芒が走った。
斧とそれを持っていた男の上腕がどさりと地面におちた。
男は何が起こったのがわからず、自分の斬られた腕の切り口を見てから
「ギャー」と悲鳴をあげた。
善右衛門と三人の男も扉の方へ動いた。
「爺」と五郎が叫んだ。
五郎の方を見て、爺がにやりと微笑んだ。
善右衛門は部屋を飛び出し、
「先生方」と必死に呼んだ。
六人の侍が出てきた。そのうち四人が前へ出てきた。
「こんな爺(じじい)の一人や二人。行くぜ」
爺は五郎の上で刀をパパッと振ると五郎の縄が切れた。
「五郎殿、よく見ておきなされ」というや否や、
爺はその四人の間にするりと割って入ったのだが、
五郎にはまるで、そこで爺が舞っているように見えた。
すると、四人が次々に斃れたのである。
「ほほう、爺相当やるの」
と小太りの背の低い奴が前へ出てきた。
その男が、
「たあ」と袈裟懸けに斬りこんできたのだが、
その時、爺は、なんと空中でその男の頭の上を越えていた。
爺が地面に着いた時には男の頭が斬り割られていた。
その時、急にまわりがあわただしくなった。
陶興房の一隊が到着したのである。興房は手勢の半分を街道へ、そしてもう半分をこの施設に向かわせたのであった。
痩せた背の高い侍が、
「爺さん、強(つ)ええな。滅多にみねえ。世の中広いぜ。ばたばたしてきたが、爺さん、折角だ、やろうぜ」
爺とその男が向かい合い、お互いに構えた。動かない。十秒くらいたったか。とても長く感じられた。
と、二人が同時に猛然と前へ。
「たー!」
「やー!」
刀と刀がぶつかる音が四回。
爺の体がくるりと一回転すると・・・
「やっぱ強ええや」
とつぶやく侍の首から血がぴゃっと噴き出した。
そして、泉屋善右衛門の一味は、全員お縄となったのである。
今回のこの事件。
大内義隆は、善右衛門たちを捕まえた陶興房に「仕置きはすべて任す」とした。
興房の前に引き出された泉屋善右衛門。不敵な面構えをしている。
善右衛門は、
「どうせ死罪になるのだろうから、言わしてもらうが、
俺のやってることが人の倫(みち)から外れてるとかなんとか、ごたく並べて裁こうって寸法だろうが、ふっ。それは綺麗ごとよ。
この戦国の世のどこに人の倫があるってんだよ。
おたくらも戦場においてやってることは獣そのものじゃねえのか。」
勝ち誇ったような顔をして、善右衛門は興房に言葉をぶつけた。
にこっと興房が笑った。
「獣だと。まさにその通りよ。
この戦国の世は獣にならんと生き抜いていけんわ。
ゆえに、獣らしくおのれらを裁くまでよ」
続けて
「善右衛門の手足の指をゆっくり一本づつ切れ。
次には両手・両足よ。気を失いそうになれば、
槍で刺すなり、熱湯かぶせるなり、とにかく楽に死なせるな。よいか。
おおっ、一人では寂しかろうから、ほれ、道雪とやらもいっしょにな」
「そ、そんな」
それまでの態度とうってかわって善右衛門が青くなった。
「善右衛門よ。われら互いに鬼畜よ。
いずれ地獄で会おうぜ。ひったてい。」
興房は、事件の全貌を知っておったものは全員死罪、何も知らずに働いていたものはお構いなしとした。
そして、大内の庶族として、
興房は、ろくに調べもせずに善右衛門に奨励金を出していた君主大内義隆にチクリと諫言した。
五郎はといえば、
爺のすごさと己のふがいなさを痛感し、剣術の稽古に没頭していた。
その12 山の中にて
春になり温かくなってはきたが、山の夜はまだまだ寒い。
「五郎殿、何も考えず、ただ体中から湯気がたつように息を吐きなされ」
岩の上で坐禅する爺(後藤治右衛門)が言った。
五郎と爺は、一週間ばかり前から、山に入り修行を行っていたのである。夜は坐禅をすることが多い。今日も冷たい大きな平たい石の上で坐禅をしているのである。
空には無数の星が光輝いている。
「体中からですか」
「うむ」
(おお、なんか不思議な。己が、まるで炊きあがったばかりの米のような。いや、とても心地いい)と五郎は感じた。
が、何も考えずというのが五郎には難しい。
五郎の頭の中には・・・
(いなくなった兄のこと、鳶に連れ去られたタキのこと、亀吉の姉お栄のこと、
このところ起こった事件のこと、そして大好きな茶店の「ういろう」のこと)
いろんなことがよぎっていく。
「五郎殿。無念無想じゃ」と爺。
「はっ」
この前日は、
「五郎殿の呼吸(いき)はまだまだ浅い。
お尻から・・・地中の奥深く、深くにとどくような感じで息を吐きなされ」
・・・・と、このように爺は山での修行のたびに、
様々な呼吸(いき)の仕方を五郎に教えたのである。
「五郎殿、呼吸(いき)とは・・・宇宙の気を体内に取り込む・・・
とても大切なものなのじゃ。が、ほとんどの人間は普段ほとんど意識せずに
生きておる。
生まれてから、死ぬるまで・・・・・・・ずっーと人は息しておる。
その仕方次第で大きな違いがでてまいるのじゃよ」
続けて、
「まだ五郎殿には、今は・・・いずれわかる時がまいりましょう」
朝、鳥たちのさえずりで五郎は目が覚めた。
五郎たちは中国山地の奥のほうに分け入っていた。
ここ数日は洞窟の中で寝起きしている。
爺はすでに朝餉にしたくをしていた。
「五郎殿・・・これで米も尽きました。最後の米粒になりまするぞ。
味わってたべなされ」
「…この後は」
「断食をいたしまする」
「・・・爺、川で魚とっても、石をつかってウサギやイノシシを射止めることもできるでは・・・」
「そう、この前も五郎殿のおかげで、イノシシの鍋も美味しゅういただきました。
五郎殿の腕ならば、簡単に・・・が、ここからは敢えて食事をとらず断食の修行に
入りまする。水だけで三・四日日過ごしますぞ」
「・・・・」
「戦場では、あたりまえのことでございます。」
爺は、かつて兵糧攻めにあい、次々に兵士たちが餓死していく
惨状を目にした時のことを語った。
「若いころのことですが・・・九州のある大名に厄介になっていた時に、
となりの大名に攻められましたな・・兵糧攻めにあいもうした。
時がたつにつれ・・・飢えた兵士たちは馬や牛、鼠・・・
そしてミミズなどの虫、壁土のなかの藁なども口にいれ・・・
挙句の果てには、死んだ仲間の肉にまで・・・それはひどいものじゃった」
五郎はその光景を想像し恐ろしくなった。
「場合によっては、そういった兵たちを率いていくのが五郎殿の運命(さだめ)。
少々の断食で音を上げているようでは、その務めははたせませぬ」
「・・・爺・・・戦(いくさ)というものは・・・地獄じゃな」
「その通りで・・・」
五郎たちは断食の行も終え・・・・その日の昼過ぎ久しぶりに食事を行った。
イワナの焼ける匂い・・・汁から立ち上る湯気が・・・
(ああ、うまそう)
五郎の食欲を刺激する。
「五郎殿、胃が驚きまする。ゆっくり食べなされ」
「爺・・・今日の飯は格別にうまいな」
「五郎殿の仕留めたウサギの入った汁にイワナの塩焼き・・・確かに
美味しゅうございます。人というものは腹が満たされただけで・・・
幸せな気分になりますな」
飯の後・・・
「今日は川の水で体を拭くのではなく、温泉に・・・・
この山の奥には温泉がございます。また、その脇にぼろ小屋があるので、
今日はそこで眠りましょう」
山道を登っていくと、今まで目を遮ってきた木立が消え、
ぱっと視界の広がりを感じた。
切り立った崖の上につくられた道に出たのである。
五郎は、その道に立ち
眼下に広がる光景に目を奪われた。
吹いてくる風が少し冷たい。
「爺、自然というものは、なんとでかいものなのだろう・・・
人なんていうのは・・・本当(ほんとう)蚤(のみ)のようなちっぽけなものだな」
「まさに。ただ・・・」
「ただ?」
「ただ・・・そのちっぽけな人間だけが・・・
そう人間だけが、この途方もない自然をも心のうちにおさめることができまする」
爺の言っている言葉の意味が、五郎にはよくわからなかった。
その崖の道を先に進み、小一時間ほどあるいて温泉についた。直径が約五メートル
ほどの円形の自然の温泉である。その向こうに小さな小屋がみえる。
陽もとっぷりと暮れ、小屋にいた二人は温泉に浸かりに来た。
入ってみると、すこしぬるいくらいの温度である。
「この温泉は、体によく効きまする。仲間がひどい刀傷・矢傷を受けたことがありましたが、ここでしばらく過ごすうちに、みるみるよくなっていきましたぞ」
爺と五郎は、湯に浸かりながら・・・様々なことを語り合った。
五郎が唐突に聞いた。
「爺は全国を巡り歩いたというが・・・今まで会うた人間の中で・・・
この人物は傑出していると思ったのは、一体だれ?」
爺は、少し首を傾けて考え、
「そうですな。一人は北条早雲殿。もう亡くなられましたが・・・何もないところから・・・伊豆・相模を・・それも六十歳を過ぎてから。あの燃えるような気力・・・尋常ではなかったですな」
爺ははるか昔を思い出すようにしながら語った。
「今一人は、我らが対峙しております尼子経久殿。不思議な方でございます。普段は無欲恬淡な明るいご気性の方ですが、一たび・・・こうと決めた時のあの方は・・まさに虎蛇のような恐ろしさで・・・その眼をみただけで身のすくむ思いをいたしましたのは忘れられません」
五郎が、
「まだ、おられるかの?」
「そうですな・・・もう一人と言えば…
そう・・我らと連携している・・・安芸の毛利元就殿ですかな」
「爺・・・毛利って我ら大内方の?」
「そうでございます」
「あまり大きな力を持っているようには聞かぬが・・・」
「確かに。ただ、人物は相当なもので・・・
さあ・・・筋金入りの野良猫とでも申しましょうか。油断も隙もございません。
我らの側にいて・・本当に良かった。
五郎殿のお父上に聞かれたらよろしい。よくご存じですから」
「ふーん」
と、そのとき温泉の上に張り出していた木々の枝が突然ばさばさっと揺れ、
何かが落ちてきた。ばしゃんという大きな湯の音が・・・
「ウキキキーッ」
木の上にいた猿が、湯に落ち、あわてて逃げていったのである
五郎は驚いて目が点になっていた。・・・爺をみると・・
「さて、猿も湯に入りにきて、先客がいて驚いたのでしょう」
と笑っていた。
遠くで猿のなきごえが聞こえた。
天空の月が、しずかになった湯のうえに映っていた。
その13 元就
山から城に戻った五郎であるが、
ある晩、父の興房と話す機会があったので、爺がなかなかの人物だと言っていた
毛利元就について五郎は思いきって聞いてみた。
興房は、
「元就か」とつぶやき、虚空を見上げた。
その興房の膝の上で、洞窟の前で拾った猫アキとフユが気持ちよさそうに眠っていた。
「まだお前が小さかった時のことよ。おれは、大内義興様とともに安芸に攻めいっての。
ちょうどその時は二手に分かれて、おれは武田氏の銀山城攻めをしておった。この戦いは大内義隆様(大内義興の息子)の初陣でもあったので、絶対に負けるわけにはいかなんだ」
「我々は一万五千、城に立てこもる武田勢は三千。だが城の守りは固くての。なかなか落とせなんだ。そこへ尼子がよこした援軍が五千ほどやってきたのじゃ。その援軍とわが軍がぶつかったが、わが軍のかなり優勢な状況での。この戦(いくさ)は、こっちの勝ちになるだろうと思っておった。」
「が、油断は禁物と、夜襲にもそなえて、見張りやら物見やらも夜中の間じゅう、二人一組にして陣のまわり八方に放っておった。もちろん前方だけでなく後方にもな。もし、そやつらが交替の時間に戻らないようなことがあれば、すぐに連絡するよう、きつく申しつけておった。」
「あの夜は、夜中に雨がふりしきっておったが・・・
突然、陣の後方から鬨(とき)の声が起こり、敵が襲い掛かってきた。
おれは背中からどっと汗が出たわ。
あれだけ警戒しておったのに、信じれなんだ。
と、驚いているとすぐに、わが陣の中で何か所からの一斉に火の手が上がった。
兵たちが混乱する中、今度は前方から鬨の声。もう何がなんだかわからない状況に陥っての。
で、奴らが殺到したのが、なんと大将の義隆様のおられるところじゃ。
なぜあの場所が・・・
とにかく義隆様をお守りせねばと、その周りを必死で固めての。しばらく壮絶な戦いをくりひろげたが、一時間ぐらいたったところで、敵はさっとまるで消えるように撤退していった。
あの時、義隆様を守る佐藤(清兵衛)の鬼神のような働きがなければ。考えただけでゾッとするわ。
が、この戦いで五百以上の兵が討たれたのよ。すべて、おれの責任じゃ」
興房は、その時の緊迫した様子をありありと語ったのであった。
五郎は固唾を飲んで聞いていた。
「そのときの傷がこれじゃよ」と右肩の二十センチにわたる傷口を五郎に見せた。
傷跡が生々しく盛り上がっていた。
その時、アキが興房の膝から降り、五郎の所へやってきたので、躰をゆっくり撫でてやった。
「で、おれは、すぐに軍を撤退させたわ。
戦全体としては、まだ優勢な状況にあったからの。
義隆様の初陣にけちをつけるわけにはまいらんかった」
「あとで、どう考えても物見や見張りの変事にこちらが気づくことなく、攻撃をしかけるためには。その交替の時間がすべて筒抜けになっているか、物見や見張りを殺し、なりすました奴が戻ってくるか、いずれかしかない。
そやつらが、陣で火の手をあげたのかも、あるいは別の輩(やから)がすでに陣に潜入しておった
のやも。わからぬ・・・。どう考えても、本当わからぬわ」
「何度思い返しても、あんなことが本当にできるのか。
天狗の仕業ではないのか。おれはそんなふうに思えてな。空恐ろしくなった。」
「で、この戦いの指揮をとった奴は誰なのじゃと調べると・・・
それが、毛利元就じゃった。確かに前から油断のならぬやつとは思っておったが。
まさか、ここまでとは。おれに中に奴の名が深く刻まれたわ」
「その後、毛利と尼子に溝ができた時に、おれは大内義興様に猛烈に働きかけて、
了承をもらい、毛利を大内方に引き込んだのよ。
あの恐ろしい力。味方につけたら、こんな頼もしいことはない」
「で、毛利殿と会(お)うた時に、あの折の話をしたら、
『ほんのまぐれにございます。偶然にすぎませぬ。自分でも驚いておるしだいで』
などと真面目な顔してぬかしおったわ。
まあ、そうだわな。たとえ、どんなからくりがあろうと、話すわけないわ。
ふっ、あの穏やかで篤実そうに見える仮面を剥がしてみたら、
鬼がでるか、蛇がでるか見てみたいものよ。」
とかすかに微笑んだ。
「毛利殿は、このアキやフユとは違う。生粋の野良よ。
大国の狭間で、常に生死をかけての決断を当たり前のように繰り返しての。
きっと、子どもの頃から、腸がねじれるような思いをして生きてきたのだろうて・・・」
と話した時、フユが、
「ふわあー」と大きな欠伸をした。
「フユよ、こんな話は退屈じゃな」と興房は笑った。
「五郎よ。一度会うてみるがよい。自分の目で確かめてみい。
後藤殿(爺)も毛利殿とは知り会いじゃから、一緒に
安芸の吉田(毛利元就がいるところ)の方を訪ねて見よ。
おれの方から毛利殿には手紙を出しておくわ」
「はっ」
興房の話をきいた晩、五郎は寝床で夢を見た。
顔の見えない毛利元就がいたのだが・・・・
それが、いつしか子どもの頃に見た、夜叉のような野良猫に変わり、
鋭く五郎を睨みつけ、その顔がどんどん大きくなっていき・・・
その恐ろしい姿に、(絶対目は逸らすまい)と必死でがんばっていたのだが、
すさまじい恐怖の中で、五郎ははっと目が覚めた。
汗をびっしょりかいていた。
五郎は、
(毛利元就とはいったいどんな人物なのか・・・)
という思いが頭から離れず眠れなくなった。
ちょうど東の方の空が白みかけてきた頃であった。
その14 爺の教え(一)
のどかな春の陽ざしの下、
朝から城の庭で又二郎と剣術の稽古を行っていた。
「五郎様、もうおわりですかな」
「なにをー。まだまだ」
「では、まいられよ」
五郎は又二郎と打ちあいを行っていたのだが・・・
(すげえ、又二郎のやつ、どんどんうまくなってやがる)
と驚くとともにあせりと悔しさを感じた。
五郎も自分なりには相当修錬を積んできたつもりではあったのに・・・。
又二郎は犬に襲われた一件以来・・・
塚原卜伝のようになりたいと思い、家中一の遣い手佐藤清兵衛のもとへも通ったりして、
それこそ火のようになって稽古に取りくんでいたのであった。
その着物の下は・・・全身痣だらけになるほどに。
そこへちょうど五郎の父である陶興房があらわれた。
「おー・・・おもしろいものを使っておるな。それはなんじゃ」
「これは爺がくれたもので・・・
竹を割ったものを束にして牛の革で巻いたものです」
と流れる汗を拭きながら五郎が答えた。
「なるほど、考えたものじゃ・・・これなら、
打ち込みがあたっても、そこまで大きな
ことにはならぬな」
「なんでも爺が卜伝様のところにおられた時に、若い剣術遣いから
こういうものはどうかという話を聞いて・・・おもしろいということで
こっちへ戻ってから作ってみたそうです。
爺は・・・これに『仮刀(かりがたな)』と名付けたと・・・」
「ちょっとわしにも貸してみよ」
興房はその竹の剣を手に取り、
「これはよいわ。・・・ほれ、又二郎よ。相手をしよう。かかってまいれ」
又二郎がにこりとして
「本当ですか・・・ありがとうございます」
二人は約十五分ほど打ちあいを行った。
さすがに幾多の戦場をかけめぐってきた興房。
又二郎は軽くあしらわれ手も足も出ない。
興房に肩、横っ腹、手首など次々打ち込まれるのだが・・・
一瞬痛みに顔をしかめるも、怯むことなく挑んでいくのである。
「おおーー!」と叫びながら激しく、打ち込んでくる又二郎の剣には
激しい気迫がこもっていた。
途中、興房をひやりとさせたものもあり・・・
(ほほう、たいしたものじゃわ)
と興房は内心感心した。
「又二郎。また腕をあげたな!さらに精進を重ねよ」
「はっ」と答える又二郎の瞳は光り輝いていた。
興房はそのまま去っていった。
相手をしてもらえなかった五郎は、
(父からお前はまだまだ・・・・)
と言われた気がして、内心穏やかではなかった。
その昼・・・
五郎は、又二郎、百乃介、与吉らと爺の住む小さな屋敷を訪ねた。
爺は最初、城に住んでおったのだが・・・しばらく後に城から少し離れたところに
屋敷を建ててもらい、そこに住むようになっていた。
また、お兼ねという近所の婆さんが通いで、掃除や炊事を行っていた。
爺は、屋敷の横に畑をひらき野菜を植えたり、薬草や木を植えたりもしていた。
庭で槍の稽古をおこなっていた爺が、
「よう参られた。五郎殿には山の中で時折、兎や猪を食わしてもうたからの・・・
今日は、そのお返しじゃ・・・今日はお兼さんにやすみをやったので・・・
わしが馳走してしんぜよう」
見ると、庭に鍋が炊ける用意がすでにしてあった。
「じゃが、その前に腹を減らすために、少々躰を動かそうぞ」
「その縁側に、ぼろの甲冑が四つほどあるでの・・・みな、それをつけよ」
「甲冑をつけるのですか・・・」と百乃介がきょとんとして言うと、
「そうよ・・・、そう遠くないうちに、みな戦場に行くことになるでの」
そう言いながら、爺は屋敷入っていった。
四人が苦労しながら・・・着けようと悪戦苦闘していると・・・
爺が、あっと言う間に甲冑姿で出てきた。
「早う、つけなされ!つける速さも強さですぞ。で、今日は剣術じゃ。
仮刀をもってこっちに来られよ」
四人が何とか、身に着けおわると・・・
「実際の戦(いくさ)では、槍・薙刀などの長物(ながもの)を使うことが多いが・・・
場合によっては刀で戦わなければいけないことも・・・
まっ、言うより体で覚える方が早い・・どっからでもかかってまいられい。」
その14 爺の教え(二)
又二郎が、
「誰から行きましょうか」
「誰から・・・」
と爺はふっと笑った。
「四人いっぺんで・・・。爺を殺すつもりで参られよ!」
ときつい口調で言った。
「では遠慮なくいかせていただきます」というや否や、又二郎は、
「おおー」と爺の方へ向かった。
又二郎の鋭い剣をよけた爺は、又二郎に強烈な足払いを食わせ倒した上・・・
胸を強く踏みつけた。
「うおーー」と呻く又二郎。
爺は踵を返し、低い姿勢で猛烈な速さで百乃介に激しくぶつかると・・・
百乃介がふっ飛んだ。そのまま動かない。
すぐに、五郎が剣を上段で打ち込むと、それをよけもせず、
五郎の脇の甲冑の隙間に強烈な突きを入れた。
「ううー」と五郎が倒れた。
残った与吉に、
「ほれ、どうなされた・・・かかって参られよ」
「やあーー」と与吉が爺に向かうと・・・
なんと、爺が剣を投げた。
「えっ」と与吉が思っていると・・・爺が飛びついてきて、
そのまま地面を二人はもみ合いながら、ごろごろ転がった。
すると
「うえーー」と与吉が、声にならないような音を出した。
爺の右拳が与吉の喉輪(喉と胸の上部を防護する甲冑の小具足)
の上に炸裂していたのである。
五郎が一人、膝をついているだけで・・・
あとの三人は地面に転がったままである。
百乃介は気を失っていた。
爺は、百乃介に喝を入れ・・・意識を戻した。
「今日は少々手荒くやりましたが・・・これが戦でござる。
戦に手加減はありませぬ。一瞬の隙で、命を落としまする」
爺は首に手を当てて言った。
続けて、
「次またやる時にまで・・・どうすれば、自分の命をつなぐことができるか、
考えてきなされ」
と爺は真剣な表情で語った。
小さな背丈の爺が・・・四人にはとてつもなく大きく見えた。
すると爺は、がらりと表情を変え優しい顔になって、
「ほれ、そこの川で、水浴びしてきなされ・・・美味しいもの
つくって待っておりまするぞ」
四人はよれよれになりながら、川に向かった。
「爺は魔物のようですな・・・」とフラフラの百乃介が言った。
「まさに・・あーあー」という与吉の声が、まだおかしい。
「いつもの剣術と甲冑をつけたときでは・・・・
全然感じが違う。体が思うように動かぬし・・・」と首をひねる又二郎。
五郎が、脇をおさえながら・・・
「爺はすごい・・・でも戦場には爺のような奴もおるだろう」
などといろいろ話ながら・・・川の水を浴びた四人であった。
四人が屋敷の庭にも戻ると、食事の支度がすっかりできあがっておった。
「今日は鴨の味噌鍋と竹筒で炊いた飯ですぞ!」
「おーー」と四人は声をあげた。
「ほれ、ゆっくり食べなされ」と爺にたしなめられながら・・・
五郎たちは、食事をむさぼりついた。
「後藤様(爺の姓)、本当に旨いですーーー!・・・鴨だけでも・・なのに、
・・・椎茸までも」と、もう百乃介は何を言っているのかわからない。
目を見るとうっすらと涙が滲んでいる。
「生きててよかった・・・」と与吉。
「この竹の香りのする飯と・・・・梅干し・・ああ~」と五郎。
鴨を口に入れた又二郎は・・・じっと天を見上げていた。
爺は目を細めて・・・・五郎達を見つめていた。
うららかな陽が静かに照りわたる、午後のことであった。
その15 出立
夜眠っている五郎だったが、時折、その顔が笑い顔になるのである。
夢を見ていたのである。
「五郎様、これを食べられませ」と五郎の目のまえに差し出されたのは、五郎が、好きで好きでたまらない、ういろうであった。
(ああうまそう)
「食べていいのかい」
「もちろんですわ、このまま、私の手から食べてください」
ここで、眠っている五郎の頬がぶるっと揺れた。笑ったのである。
そして、夢の中で、ういろうをさしだしてくれてるのは、
五郎が憧れている切れ長の目元が涼しいお栄であった。
「ええ、五郎様はここのところ顔をみせてくださらない、少し寂しいですわ」
またもや頬が揺れた。
「とにかく、ういろう食べてくださいませ。」
お栄が、少し首をかたむけにっこりほほ笑んだ。
そして、五郎が、「あーん」とういろうをまさに口に入れようとした時、
はっと目が覚めた。
(ああーいいところだったのに)と五郎は、
顔をしかめたが、でもすぐににやけ顔にもどった。
(お栄ちゃん、かわいいなあ)
五郎は、先日又二郎から聞いたのである。
五郎が爺と山に籠もっているときに、又二郎と百乃介が江田浜に行ったのだが、
その際、五郎たちが仲良くしている網元の息子亀吉の姉お栄が、
「五郎様は、どうされていますか」
心配げな顔して、又二郎にたずたということを。
(気にかけてくれてるんだ)
それで嬉しくてたまらない五郎であった。
(よし、今日は江田浜にでかけよう)
と心に決めて、もう一度布団にもぐりこんだ。
朝になり、
五郎は、江田浜に出かけることを告げに、父の興房のところへ行った。
「父上、実は」
興房は、その言葉を遮るように
「ちょうど良いところへまいった。先日毛利殿から手紙が戻ってきての。
喜んで待っておるということであったわ。後藤殿には、伝えてあったのだが、
お前にはすっかり言うの忘れておった」
「はっ、わかりました。喜んでおうかがいしたいと思います」
続けて、
「父上、実は今日は・・」
「おー、五郎それでの、今日昼過ぎに出立せよ」
「今日、今日でございますか」
五郎の目が点になっている。
「そうじゃ。突然で申し訳なかったが、後藤殿が昼にまいる。一緒に飯を食ってからの」
五郎の顔が、曇っているのをみた興房が、
「なんぞ、差しさわりでもあるか」
「いえ、何も。毛利様に会えること実に楽しみでございます」
わざと、張った声で答えた。
「そうか。ではあとでともに飯を食おう」
その昼過ぎのこと、
「では、後藤殿、五郎が面倒かけると思いますが、一つよろしくお願いいたします」
興房が、深々と頭を下げた。
「五郎殿との二人旅、楽しんでまいります」
爺もまた、丁寧に礼をした。
「では父上いってまいります」
五郎の声は、明るくはずんだものであった。
「おお、達者でな」
この時には、五郎の気持ちはすっかり切りかわっており、
爺との初めての長旅を思い、うきうきしていたのである。
母親のお藤は寂し気な表情を浮かべていた。
何も声はかけなかったが、二人の姿が見えなくなるまでずっと立って見送っていた。
お藤の横にいた五郎の愛犬マツが二度吠える声が聞こえた。
うららかな陽が静かに照りわたる、昼過ぎのことであった。
爺が五郎の方へ顔をむけた。
「五郎殿、今日は呼坂宿ぐらいまで行きましょうかの。まずは足ならしじゃ。
あそこでは、知り合いが大きな宿を営んでおっての。何ぞうまいものが食えるかも」
「爺、たのしみじゃ」
五郎は、舌をぺろりと出した。
街道を歩いていると、
向こうから歩いてきた一人の武士がはっとして声を次のようにかけ、
「後藤様、後藤様、御無沙汰しております」
爺のところへやってきた。
身なりもよく、色が白くて人品がよさそうな感じである。にこやかな笑顔で
爺と歓談している。笑顔が爽やかであった。
しばらく後、
「それでは後藤様、また」といい、
丁重にお辞儀をして去っていった。
「五郎殿、今の武士をどうみられるか」
「どう、爺と久しぶりにあって、とても喜んでいるようにみえた」
と五郎は答えた。
「なるほど。しかし爺は、あの男はこんなところでいやな奴に会ったと思っているとかんがえまする」
だまったまま、少し首をひねった五郎であった。
そして、
「でも、爺の方見て、嬉しそうにいっぱい笑っておったではないか」
「確かに。だが五郎殿は、気がつきませんでしたかな。
笑う時に口元と目元が同時に動いていたのを」
「え!」
「人というものは笑う時は、まず口元から動き、次に目が動いていくものです。
じゃが、あの御仁は、どうでしょう。あれは、間違いありません。つくり笑いです。
それに、話している間中、ずっと右足が少し横に向いていましたぞ。
早く逃げたいという心のあらわれです」
爺はかすかにほほ笑み語りかけた。
「そのような」
(さすが爺はすごい)と思い、
五郎は、目をみはった。
「五郎殿はいずれ多くの人間を束ねていくお方。
人を深く見るということを学んでいかなければなりませんぞ」
と爺が神妙な面持になり、重い口調で五郎に語った。
「そうじゃな、いろいろ、これからも教えてくれ」
五郎は真面目な表情で、爺に頭を軽く下げながらいった。
「わかり申した。」
と言ったあと、急に爺の表情が緩み、少し意地悪そうな顔になった。
「五郎殿、実をいうと爺はあの御仁には結構な額の金を貸しておりまする。
うに約束の期限は過ぎておるのに、あやつはまだ返しませぬ」
と珍しく爺が笑い声をあげながらいった。
五郎は目をぱちくりさせ、
「爺、ずるいぞ。後出しではないか。それを知っておれば、わしにもわかったかもしれん」
「はっはっは」また爺が笑った。
楽し気に歩く二人の後方の西の空には、
うつくしい夕焼けが、かざられていた。
その16 厳島神社
五郎と爺は街道を東へ東へ進んでいた。
二人の脚の動きが速い。次々と旅人たちを追い越していく。
「明日は速く歩く修錬をおこないますぞ。五郎殿はついてこられるかの」
「へっちゃらだよ」
「では、明日は地御前から厳島にわたり、夜は廿日市宿に泊りましょう」
「厳島。話に聞く海の鳥居だね」
「そうですな。では明日は七つ(朝四時ごろ)だちいたしまする」
「七つか。あいわかった」
前の晩、二人はこんな話をしていたのである。
速足で歩く五郎であったが、息は少しもみだれていない。それはそうである。
爺と何度も山で修行してきたのである。山道に比べれば、街道の道は実に気楽なものである。
「爺、それにしても昨夜の牡蠣すごかったの」
「ですな」
「火を通さずに食べたのは初めてだった」
「そうですな。牡蠣はいたみがはやいので、火を通すのがふつうのこと」
続けて爺がいった。
「長く生きてまいったが生で食べたのは、四、五回目のような。が、昨夜のは今までで一番でありましたな」
「いやー、もうとにかくあのちゅるっとして、みずみずしいのにはおどろいた。で、なまぐささがなく、潮のかおりが心地よくただようて、たまらんかったな」
五郎が、舌をぺろりとだした。
「五郎殿は食い物の話をするときは、舌がくるくるまわりますな」と爺がほのかに笑っている。
「へへへ。食いしん坊なのかな」
地御前にもうすこしというところで、山道から山林にはいったところで、人影が見えた。
よくみると百姓のようである。なにやら穴を掘っているように見えた。
百姓らは、五郎と爺の存在に気づくと、すっと大きな木の後ろに姿を消した。
「爺、あれは何をしているのであろう」
「五郎殿がおられる周防の若山城や山口などは盤石な大内の支配下にあり、平和でござるが、今は戦国の世、どこもいつだれに襲われるのかわからないのが当たり前でござる」
「戦においては、人もものも取り放題」
「どういうこと」
「人間も、家財も着物も全部うばわれるということです。戦には農閑期の百姓も多くかりだされており、命をかけて戦いに参加する見返りとして、あらゆるものを奪っていくのです。それは大名も認めておること」
「人も」
「そうでござる。つかまった人間は、下男・下女にされたり、売られたり、あるいは殺されたり。女などもそれは悲惨なめに」
「で、あの百姓たちは」
「戦で突然襲われた時など、裸同然で逃げねばなりません。その時のために、衣類や必要な家財を隠しておくのです」
「このあたりも厳島神主家の地位をめぐっての争いがあり、またそこに安芸の武田氏と大内氏がからんできており、争いは絶えませぬ」
地御前に着いたふたりは、厳島神社の外宮といわれる地御前神社をお詣りし、その後船で厳島へ向かった。海上の風が、着ているものを揺らしていた。頭上からふる太陽の光はやさしくここちよいものであった。
「爺は神仏が好きなのじゃな」五郎がいった。
「そうみえますか」
「朝もいつも目を閉じて祈っておるし、このように神社詣も」
「たしかに。が、朝祈っておるのは、神仏ではございませぬ」
「えっ」
「あれは、自己の死をおもうておりまする。若い時分から戦場をかけめぐっておりますが、戦の朝は死をおもわざるをえません。すると、普通に見えていたものがひかってみえまする。
ふしぎなことです。で、いつしか毎朝死をおもうことを習慣にいたしておりました」
「では、爺は神仏は信じていないのか」
「五郎殿はむずかいことを聞きなさる。爺はそう深くは信じてはおりませぬが」
「ふだん神仏を信ぜぬおひとも、身内がのった船が沖でしずんだとき、手をあわすのではないでしょうか。そのような昔からの人のおもいが神仏になっていったのでは。そんなふうに考えておりまする」爺は目をとじてつづけた。
「で、神社詣を行うのは、世のならいにしたがってです。さして障りがない場合、世のならいにしたがう。それでいいのでは」
「厳島に参るのは、帰りでもよかったのですが。多田村(現在の広島県の湯来)の温泉の猪が食べとうて。獣食の後は数十日は神社詣すべきでないいうとうなこともいわれますのでな。先にまいることにしたのです」
こんなことを話しているうちに船が厳島に近づいてきた。
「おーー爺、爺、すごいぞ。ほんに海に鳥居が浮いておるわ」
五郎が、興奮して目をかがやかせながらいった。
「あれは平清盛公がつくられたそうな。高野山で白髪の爺様から、厳島神社をきれいにすれば出世するといわれてな。清盛公は、その爺様を弘法大師様が姿をかえたものとおもうたらしい。で、本当に栄耀栄華をきわめることになり申した。で、」
爺は、そのあとも話をしようとしたが、鳥居の美しい光景に目をうばわれた五郎の耳に入りそうになかったので、やめた。
二人は島につくと神社を参詣し、再び船に乗り廿日市宿に向かった。で、宿に荷をおいて、近くの寺でおこなわれている祭りを見物にでかけた。
歩いていると人だかりができていた。何だろうということで、みてみると、
その中心には上半身はだかの、爺さんがいた。
爺さんは
「はっはっはー」と笑い声をあげながら満面の笑みで
大きな巾着から銭を掴んではまわりにまいているのである。
「ほれ、金じゃー金じゃ」
それを必死で拾い集めるものやら、爺さんの様子を眺めるものやら、たくさんの人間が爺さんのまわりにあつまっていた。
「おい、あれ柳屋の大旦那だぜ。」
「立派な人だったのにな。ありゃ、ひどいわ」
というような声が、五郎と爺の耳にはいってきた。
すると、三人ほど商家の若い手代たちが走ってきて、
「大旦那様」と叫びながら、
二人が左右から爺さんを羽交い絞めにしながら走りさっていった。一人は地面の銭をかきあつめていた。
爺さんの
「はなせー、はなせー」という声があたりに響いていた。
「五郎殿、人というものは脆いものでございます。年老いても、若くても
突然おかしくなるということが、往々にして。たくさんみてまいった」
「爺はだいじょうぶだよ。しっかり者じゃから。」
「爺もわかりませぬぞ。」
一呼吸おいて
「人というものは、本当に脆いものです」とゆっくりいった。
その17 運命(一)
廿日市宿から、五郎と爺は多田野村に向かって歩みをすすめていた。爺は廿日市で編み笠を買い、それをかぶっていた。陽ざしがけっこう厳しくなってきていたからである。
街道をあるく人間は少ない。街道の横にひろがる田んぼでは、農民たちが、田んぼで代掻きの作業を行っていた。田んぼに張られた水の表面が陽に照らされ輝いていた。代掻きとは、田植えの前に、まず田起こしを行い、それが終わった田んぼに水を張って、土をさらに細かく砕き、丁寧に掻き混ぜて、土の表面を平らにする作業のことである。
「爺、このへんの農民は、いや農民だけでなく見る人々みんな刀とか鎌を差しているの」と五郎が口をひらいた。
「五郎殿、これがあたりまえの光景にございます。大内様の支配は盤石のゆえ、武器をもっていない男もおりますが、ふつうは十五くらいになれば『刀指』という成人の祝いをし、以後は帯に脇差を差すようになりまする。いつなんどきにも戦えるように。それがこの戦国の世にございます」
「なるほど」
夕刻になり五郎と爺は多田野村に辿り着いた。
多田野村の温泉は、その昔、傷ついた白鷺が湯浴みしているのを村人が見て発見されたという話が開湯伝説として伝わっている。泉質は放射能泉で、神経痛、関節痛などによく効くという。この時は、まだひなびた温泉であったが、慶長年間には、芸陽唯一の温泉場としておおいに賑わいをみせていくことになる。
宿につき、二人は露天風呂に向かった。風呂には数人の人間がいた。町人風の男が二人湯に浸かっていた。なにやら商売の話を熱心におこなっている。風呂の横で体を洗っている男がいたが、この男に五郎の目は吸い寄せられた。体が並外れて大きい。立てば六尺(約1,82m)はゆうに超えそうである。またその肩幅がたいそう広く、背中にはこぶのように発達した筋肉が張り付いている。体をこするたびにその筋肉がゆれるように動く。
(すげー)と思いながら、五郎は見入っていた。まるで熊のような大きさのこの男と自分が剣術をしたらどうすれば勝機が見いだせるだろう。まともの力でぶつかれば跳ね飛ばされるのは目に見えている。おそらくこれだけ体がおおきければ動きが緩慢だろう。そこをついて素早く俊敏に動き、相手を翻弄するしか手はない。五郎はそんなことを考えていた。その男が、体を洗い終え湯に入ってきた。肩と胸の異様に発達した筋肉が、五郎に大鬼を想像させた。湯に浸かろうとした時、目が爺と五郎の方へむいた。男は軽く会釈をした。爺も会釈を返した。
やがてその男が出て行った後、五郎が
「爺、あのおじさんの体はすごかった。どんな修錬を積めばあすこまでいくのかな」
「想像を絶するような稽古を倦まずたゆまずおこなってきたのでしょう。なまじなことではありませぬ」
「あのような大きな男ともし戦うとしたら、素早く動くしかないと考えたのだが」
五郎は、自分と同じことを爺も考えているだろうと思い、そういった。
「はて、五郎殿が素早くうごいても、あの御仁はそれ以上に速くうごきまする」
爺は、目をつむりながらそう答えた。
五郎はくびをかしげて聞いた。
「えっ、あのような大きな体で」
「大きな体で動きがにぶい人間は往々にしておりまする。が、あの御仁の山のような筋肉は餅のような柔らかさをもっておった。間違いなく強くて速い」
爺は、目を開き確信したようにそういい、
「爺もあの御仁とやって、勝つ自信はございませぬ」
とつづけた。
まるで天狗のように敵を爺が倒すのを見てきた五郎は、それを聞き驚いた。そして、もう一度あの男の体を脳裏に思い描いてみた。
温泉で汗を流した二人は食膳に向かった。
「五郎殿、ここの猪はうまさが格別ですぞ。よく味わってたべなされ」
目の前には、いたどりの味噌和え、筍の木の芽和え、鮎の刺身などが並んでいた。五郎は鮎の刺身をわさびをつけ煎酒に浸して口に運んだ。
「うまい。うーん、まことにうまい」と五郎。
つぎに、とても薄く透き通るように切ってある刺身を食べた。
「これは独特の歯ごたえがあって、これまたうまい。でも何の魚かわからぬぞ」
「それは魚ではなく、こんにゃくでございます」
「こんにゃく。でもこんにゃくの香りがいたさぬ」
「このあたりの水はたいそう澄んでおり、こんにゃく独特の香りがいたしませぬ。まるでフグのような感じがいたしますので、これは山ふぐともよばれておりまする」
「爺はくわしいの」
「爺も食いしん坊でござる。まだまだこれからですぞ。ほれ猪がでてまいりますぞ」
目をにやつかせた爺がそういった。
猪の皮と肉とを焼いたものと猪の肉を土鍋で煮たものが出てきた。
「ぱりぱりして香ばしいの。はじめてじゃこんなのは」
「五郎殿、猪汁も我々が山でつくるのとは一味違いますぞ」
「おお爺、味噌のかおりと出汁のうまみが最高じゃな。それに山椒か。実に味が微妙で深い。またネギが甘さが。とにかくうまいわ」
食膳を前に、爺と五郎は様々なことを語り合い、しばらく後に床についた。
夜中のことであった。突然、宿の中がばたばたしだした。
「お客様方、火事だー、火事です、三軒向こうが火事ですー」
という大きなこえが聞こえた。
つづいて、
「あわてずに大丈夫です。ここはまだまだ大丈夫です。灯りをつけておりますので、それを目印にあわてず外へ避難してくださいませー」
宿の主人の声だった。これを、急がずにゆっくりと何度も繰り返していた。
「五郎殿、外へ参りましょう。火事は恐ろしゅうございます。大したことなければよいのですが」
「わかった、外へ」
二人は身支度を簡単に終えて、外へでた。二・三十人の人間が外へでていた。燃えているのは三軒となりの、平屋の大きな民家だった。両隣の家屋とは五間くらいづつ間が空いていた。
「今日は風がないから、隣を壊す必要はないか」
「あほう。いつでもできるよう準備だけはしておけ」
と村の長のような人物の怒号が飛んでいた。
人々があちこちから水をもってかけていたが、火の勢いは激しさを増していった。
真っ暗な闇のなかに、燃え上がる屋敷だけがぽっかりうかび幻想的な光景であった。
爺はおちついた声で五郎に話しかけた。
「五郎殿、死人がでなければいいのだが」
「確かに」
五郎は目の前の燃え盛る家屋に人がいないことを祈った。
出火した家の人間らしき人々が、家の前に呆然と立ち燃える屋敷を見つめていた。突然、女が、
「おことは。おことはどこに。さっきここにいたじゃない」と絶叫した。
「お姉ちゃんは、スズを追って中へ戻ったの」と幼い妹が答えた
おことは五歳、妹のはつは三歳であった。ちょうど父親は旅に出ておりいなかった。半時ほど前、煙で火事に気づいた母親は、爺様・婆様を急いで起こし、子ども二人の手を携えて、五人で急いで屋敷から出てきたのであった。命だけは全員助かったと、そこでほっとして放心していたのだ。
ところが、なんと上の娘がふたたび家の中に戻ったのであった。猫のスズを追って。スズは子を三匹生んでいた。火事になりスズは、一匹子猫をくわえて外へ出てきた。が、またもや子猫を助けに中に入ったのである。それに気づいた姉のおことがスズと子猫を助けに中に向かったのであった。
「おことー、おことー」と半狂乱になって叫びながら、中へ入ろうとする母親を、
「もう無理だ、もう無理」と村人が口々に叫び、母親の体を羽交い絞めにし、動けないようにしていた。
家屋全体に火がまわり、とても中に入れるような状況ではなかった。
「だれかー、だれか助けて」母親は叫び続けていた。
五郎は、爺が村人が運んできた水をかぶっているのに気が付いた。と思うや否や、爺が
「五郎殿行ってまいる、ここでお待ちを」といい、
燃える民家の中へ飛び込んだ。爺のその後ろ姿を五郎は呆然とながめていた。真っ赤な炎が屋根から大きく吹き上がっていた。
屋敷の中はもうもうと煙がたちこめていた。そして猛烈に熱い。ぱちぱちと木の燃える音が聞こえる。爺が手拭を口に当て低い姿勢で進んでいくと、奥の部屋で娘が倒れているのが見えた。まだそこは燃えていない。娘は煙を吸って倒れたようであった。しかし、そこに行くまでのこちら側の大部屋の天井も屋根を燃えている。今にも、巨大な梁が燃え落ち、いっきに屋根が崩れ落ちそうであった。
爺は、
「まにあわぬかも」
ふっと笑うや否や、猛烈な速さで娘のところへ行った。娘と猫三匹を即座に両脇に抱えた時、大きな音がした。巨大な梁の片側が燃え下に落ちたのである。火の粉が爺の方にも降りかかった。爺の頬をじりじり焼いた。
そして戻ろうと動きはじめたとき、もう片方も燃え盛りながら落ちてきた。
爺が
「ここまでか」とつぶやいた時、
おちかけた梁がなんと止まったのである。なんと下に巨大な古箪笥が差し込まれたのだ。
「さあ」という声。
あの大男のものだった。
爺は、その隙間をくぐった。その刹那、梁の上の天井がいっきに崩れ落ちはじめた。
爺と大男は、転がるように外に飛びでた。爺が振り向くと家屋全体が、轟音をたてながら崩れさったのであった。
母親が、おことのところに来て抱きしめてその名を叫んだ。おことは目をあけた。母親は大声で泣いていた。
猫のスズは、子猫三匹を何度も何度もなめていた。
五郎も爺が心配でひやひゃしていたが、無事もどってきたので安堵した。また、猫という動物の愛情深さに感動していた。アキ・フユの母猫も身を犠牲にしてまでも子猫をまもり、このたびも。
村長と宿の主が、爺と大男のところへやってきて深々と頭を下げた。
「一人も死者をださずにすみました。まことに、ありがとうございました。まことに」
爺が、
「この御仁がいなければ、娘ごも私も助かりませんでした。すべてはこの御仁のおかげです。ほんに心より感謝申し上げる」
「御老人がおられたからこそ、娘さんを救うことができました。私一人では何もできなかった。本当に助かってよかった」と大男はにっこり笑った。
「御老人は、明日もご逗留ですか」
「あと二三日は、ここでのんびりする予定です」
「なら、これも何かの縁。明日の夜は一緒に一杯いかがでしょうか」
「それは、ありがたい。ゆっくり一献傾けましょう」
あたりはまだばたばたしていたが、宿の主人は
「お客様もう安心なので、宿に戻ってゆっくり休んでください。あとは村の者がやりますので」と何度も何度も客の所を頭をさげながらまわっていた。
また、温泉に何本も蝋燭をだしてくれて、入りたい客には入れるようにもしてくれた。爺は、五郎に先に休むようにいい、風呂に浸かりにいった。湯殿につかると、爺はひだりの足首のあたりをさすり、顔をしかめた。その足首は紫色になり太くはれ上がっていた。屋敷から飛び出すときに、足をひねっていたのである。
その17 運命(二)
次の日、爺は五郎にこう伝えた。
「五郎殿、わしは今日は書を読んだり物を書いたりいたすので、五郎殿は山で剣の修行を」
爺はゆうべあのようなことがあったので疲れているだろうと思い、
「わかりましてございます。川のほとりで坐禅と剣の修行をいたしてまいります。夕刻には戻ります」といい、大きな握り飯二つと梅干と味噌を宿の主人に包んでもらい、石ケ谷峡に出向いた。滝のみえる川の中にある巨大なひらたい石の上で五郎は坐禅を行った。山の森閑とした空気、新緑の香り、川のせせらぎが五郎の五感を刺激した。何も考えず、と座っているのだが、頭は様々なことを考えてしまうのであった。
火が燃えている時、爺は命をかけて家に飛び込んだのに、自分は何もできなかった。ただ茫然としていただけだった。あの大きな男も爺同様に行動したのに。自分はなんてつまらないのだろう。泉屋善右衛門の襲われた時も、犬に襲われた時も、爺や又二郎に助けられただけで何もできなかった。こんな自分で陶の家を背負っていけるのだろうか。陶の家をだめにしてしまうのではないか。いつか、爺や父のような強い男になれるのだろうか。と弱気になったり、いや絶対に強い男になる。ならなければいけないという思いがあふれてきたり、五郎の気持は大きく揺れ動いていた。
坐禅のあと、五郎は不安な気持ちを打ち払うように木刀を振り続けた。とにかく振り続けた。すると、五郎は不思議な感覚にとらわれた。木刀を振ること以外、何もないのである。さっきまであった雑念が忽然と消え、その消えたことに意識が向くこともない。どころか、自分自身さえなくなったように感じていたことに後で気が付いた。なのに、周り見えていたのである。自分の目が見ているというのではなく、周りの自然に自分自身も溶け込んでいるかのような、なんともいえない感覚であった。どのくらい時間がたったかも自分ではわからなかった。わかったことといえば、ざわめいていた己の心が、まるで水面のように落ち着いていたことであった。
夜になり、宿の主人が昨日のお礼ということで食事をもてなしてくれた。案内された部屋に行くとすでのあの大きな男がおり、
「昨夜はどうも」といった。
「こちらこそ命をたすけていただき心から感謝つかまつる」
背筋をのばし爺が丁寧に答えた。横で五郎も頭を下げた。その後、お互いの名を名乗った。男の名は田中久三といった。爺と男は酒を飲みながらいろいろよもやま話をした。五郎は食事を終えると、自分たちの部屋のほうへ戻った。爺と久三は、飲みながら話をつづけた。やがて話は男の身の上話にうつった。
男の話はつぎのようなものであった。
男はずっと剣の修行をしながら旅をしているとのことだった。何でも赤ん坊の時に、さる武士に拾われたとのこと。その武士は、妻と死に別れ十四と十六になる子を育てていただのが、二人も三人も同じということでその赤ん坊も育てたのだそうだ。
それは可愛がられて育てられた。その武士にも、そしてその子たちにも。やがて、自分が四つの時にその武士が流行り病で亡くなった。すると代わりのその武士の弟と妻が、三人の子をわが子のように育ててくれたのであった。二人の兄は、仕える大名の家中においてめきめきと頭角をあらわし、体が二人とも大きかったので「二人弁慶」とよばれていた。また、叔父は逆に躰が小さかったが、まるで獣のように俊敏に動き敵を倒したので「今義経」の異名をとっていた。この「二人弁慶」と「今義経」たちが出てくると戦の流れががらっと変わってしまうので、近隣の大名たちからは恐れられていたとのことである。
男が八歳になった時のことである。ある大名と戦になった。男は戦場(いくさば)にいったわけでなないのだが、その時の様子を何人もの人間から聞いたそうである。
戦の初日、兄二人と叔父の大活躍で敵を押しまくったそうだ。二日目にはこちらが側の勝ちで決着がつくように思われていた。次の日、案の定いつものように兄たちや叔父が大暴れして、敵を大崩れさせるだろうと思われた時、一人の小男があらわれた。鎧はつけているが、兜はかぶっていない。手には刀を持っていた。
上の兄が大音声(だいおんじょう)で、
「貴様は馬鹿か、具足武者相手に刀で向かうとは、のけ」というと、
その小男の目がきらっとひかり、
「いざ、尋常に勝負」
「馬鹿につける薬はないわ」といいざま、
槍を猛然と突っ込んだ。小男は前に突き進み、瞬時に槍とよけた。と、兄の左手の親指を刀で落とし、そのまま刀を返し、柄を兄の両目の間に叩き込んだ。その箇所が大きく陥没し、兄は崩れ落ちた。ほんの一瞬のできごとだった。その動きはとても人のものとは思えなかったそうな。
下の兄が
「くそー」といい、その男の前にでた。
「えい、おー。えい、おー」と槍を鋭く繰り出すのだが、小男はそれをヒョイヒョイとかわす。そして、何度目のことか。かわしざまに、刀を捨てそのまま槍をつかんだ。それを強烈に引きながら足元に滑り込み、下の兄の足をかけ倒した。その後組打ちになり数回地面の上を二人は転がった。
ぱっと立ちあがったのは小男だった。転がっているさなか、脇、股、顎の下に鎧通(よろいどおし)を突き刺していたのである。下の兄の体からは、おびただしい血が流れ出していた。
それを見た叔父が血相かえて、その小男に対峙した。
「そちの名は」
「後藤治右衛門」
「見事な腕じゃわ。二人の仇をうつ。いざ勝負」
「今義経殿とお見受けした。望むところよ」
叔父は刀で斬りかかった。叔父の刀さばきの速さは家中随一である。しかし、小男はそれを必死でかわす。小男の手には鎧通しかない。叔父の踏み込みは鋭い。すごい速さで小男も後ずさる。が、小男の足がもつれ、豪快に後ろに倒れ一回転した。そのしゃがんだ姿勢の小男の左首に叔父の刃が振り下ろされた。首をたたき切ったと思われた瞬間、刀の刃が折れ飛んだ。小男は、倒れた時に一瞬で大きな石をつかみ刃を防いだのであった。で、そのまま石を叔父の脳天に叩き込んだ。兜の上からだとはいえ、その衝撃は大きく、叔父の体はふらついた。すかさず小男は、鎧通を叔父の左耳下に突きこんだ。
あっという間に、「二人弁慶」と「今義経」が一人の小男ににより倒されたのである。敵方は、これを境に猛烈に勢いづき、闘いを優勢にすすめた。三人を一挙になくした味方の衝撃は大きく、ついに和睦することとなった。
叔父と可愛がっていた兄の子二人を亡くした叔父の妻は、その後二年で亡くなった。自分を拾ってくれ、愛してくれ、本当の子どもとなんら変わることなく育ててくれた人々はみんないなくなったのである。いくら戦の上でのこととはいえ、その小男のことを激しく怨んだとのこと。聞けばその小男は、正式の家来ではなく、その大名のところにたまたま食客として滞在してたとか。なんでまた、そのような時に。天も怨んだそうな。
殿さまはじめ、まわりの者は、家を継いで立派な武士になれとすすめたが、皆がいなくなってしもうては意味がないと思い、十三歳になった折に旅にでた。幸い多くの財を残してくれておった上、殿さまも多額の銭を餞別としてくれたので金に困るようなことはなかった。生きていても意味はない。ただ生きるのは、その小男を探し出して斬るだけ。そう思い定め生きてきたそうな。
ただそ奴は天狗のように強い。何としても強くならねば。何としても。その思い。その思いだけで。それこそ血のにじむような修錬を何年も何年も続けた。高名な遣い手がいると聞けば、訪ね教えを請うた。ある程度自信がついてからは、あっちこっちの大名に世話になり、戦場をかけめぐってきた。強い相手にも挑んだ。それで死ねばそれまでのこと。何としても強くならねば。ただただその思いだけ。いつかあ奴を斬る。その思いだけで生きてきたのである。
このようなことを語ったあと、久三は杯の酒をゆっくりと飲みほした。
爺が、久三をを見つめ、
「田中殿、いつごろ気がつかれたのかの」
「風呂で会うた時に、もしやとは思いもうした。が、そんなことは今までも数知れずあったこと。また間違いやもしれずとも思うた。部屋に戻り、気になったもので悪いとは思うたが、主には内緒で宿帳を見た」
久三は一息おいて、言葉をつづけた。
「驚きもうした。今まで長年追い続けた仇をやっとみつけたのですから。もう逃すわけにはいかぬ。朝早く訪ねて、果たし合いを申し込むつもりでした。ところが、その夜起こったのがあの火事。叫ぶ母親の声を聞き、家に飛び込んだものの火の海。そこで後藤殿の後ろ姿をみつけた。あの状況で娘を助けにいくのは無謀。というか死ににいくようなもの。あきらめられるだろうとみていると、なんと飛び込まれた。正直驚いた。その後のことは、ご存じのとおり。あの時、箪笥を差し入れたは、心底お二人を救おうと思うて。仇だということも忘れてしもうていた。」
「そうでありましたか。風呂で会うた時に気づかれておられたのですね。憎い仇。何年たっても忘れようはずがないですな。さて、今思いだしましてございます。あの戦ののち、和睦が終わり、その帰る道すがらのこと。一人の少年に厳しく睨みすえられたこと。近くの者が、二人弁慶と今義経の一族の少年ということを教えてくれもうした。あの時の少年が田中殿であったとは」
久三はなんともいえない表情をうかべていた。
「後藤殿が、酷き人間であったならばと思いまする。斬ることになんの斟酌もいらぬ。が、後藤殿は人の命を救うために身を賭して向かわれるような義のお人。火事以来、わたしは悶々と」
「そうでございますか。しかし、それはたまたまのこと。私はろくな人間ではありませぬ」
「また、叔父や兄二人を後藤殿が斬られたのは戦場でのこと。そのことを恨むのは逆恨みで筋が通らぬこと。筋が通らぬ理屈で、義のある人を斬ってよいものか、悩みもうした」
久三は眉間にしわを寄せていた。
「が、やはり捨て子であった私を生かしてくれた四人のことを想うと。たとえ筋が違っても、
酷い男と罵られようと、後藤殿を斬らねばならぬという気持ちが勝(まさ)ってございます。いや、もしかしたら、そのことだけを望みにして生きてきた自分をなくすのが恐ろしいのかもしれませぬ。自分でもよくわかりませぬ。ただ、この果たし合いが理不尽であることは重々承知しておりまする。一度だけ申しまする。一度だけ・・・。
後藤殿、果たし合いに応じていただきたい。」
久三は、ここで一呼吸おいた。
「もし、後藤殿が断られるなら、それで結構でございます。昨夜の火事で、私の仇は死んだと思うことにいたしまする」
爺はもっていた杯をおいた。
二人の沈黙の中、外で鳴いている蛙の声がひときわ大きく部屋に響いていた。
静かな落ち着いた声で、久三の瞳をまっすぐと見据えながら、爺は答えた。
「お引き受けいたしましょう」
その17 運命(三)
部屋に戻った爺は、久三とのやりとりのありのままを五郎に話した。
そして、つづけてこういった。
「さて田中殿の腕は尋常ではござらぬ。間違いござらぬ。場合によっては、ここからは五郎殿一人で旅をしなくてはならないことになるかも」
「どうして、しなくていい立ち合いを爺はするのじゃ。爺は何も悪いことしていない。田中様の逆恨みじゃないか。それに、田中様もそう思っていて、やらなくてもいいっていってるのに。なぜ。なぜ」
話しているうちに興奮し、声が大きくなっていた。五郎は同じようなことを何度も何度もいった。
爺はだまって目を閉じて、耳をかたむけていた。
五郎の言葉がとぎれたとところで、爺は右目をあけて五郎をまっすぐにみた。
「五郎殿のいうとおりかも。が、これが爺の生き方でござる」
静かではあるが、信念に満ちた声できっぱりといいきった。
その声を聞き、爺はもう絶対にあとにひくことはないと思った。出会ってからこれまでの爺との思い出がさまざま頭の中をよぎった。爺を失いたくない。あの体の大きな田中という男に憎しみを感じた。あいつさえいなければこんなことにならなかったのに。五郎は、もう何もいわなかったが、心の中は悶々としていた。
その後、二人は床についた。夜中、五郎は目が覚めた。うっすらとみえたのは、坐っている爺の姿であった。目が慣れてきた。凛とした姿勢で爺は、端坐していた。毎朝、やっているやつである。このまえ爺は神仏に祈るのではなく、死を想っているといっていたが。きっと今もそうなのだろうと五郎は思った。そうすると急に涙がこみあげてきた。
朝起きると爺は書き物をしていた。
「五郎殿。わしが倒れた時のために、興房殿に手紙をしたためておる。その時には、それを
手渡していただきたい」
「はっ」
五郎は、悲しい気持ちになりながらそう返事した。
部屋を出た五郎は、久三のもとへ向かった。
部屋の中で、五郎は厳しい形相で久三をみつめていた。
「田中様、はっきりいいますが、この立ち合いはやめていただきたい。田中様はおかしゅうございます。後藤様(爺)は何も悪いことはいたしておりませぬ。田中様の兄上、叔父上のことは気の毒にございますが、それは戦場(いくさば)でのこと。和睦もなったと。怨むのは筋違いにございます」
刺すように五郎はいった。
「そのとおり」
久三は、顔色一つかえることなくいった。
「まさにそのとおり。しかし、そのことを承知しながら後藤殿は引き受けられた。違いましょうか」
「違いましょうか」
久三は冷たい声でいいはなった。
五郎は、返す言葉がなくなり、情けない気持ちになり部屋を退出した。
五郎が出て行ったのも見届けた久三は、目をつむり下を向いていた。そして、目をあけたかと思うと、今度は高いところを向きじっと何かを考えていた。その表情は苦渋に満ちたものだった。
部屋にもどると爺がいなかった。心配になった五郎は、宿の主に爺の行方を知らないか聞いた。主は、少し離れた野原で剣術の稽古をしていると教えてくれた。そこへ行ってみた。すると爺が真剣を振っていた。五郎はなにか変な感じがした。何かがちがう。ずっと爺から剣のてほどきを受けてきた。いつもと何かがちがう。そうだ。動きのキレがあまいのだ。わざとだろうか。五郎は爺の動きを、くまなく見つめた。そして五郎は、爺が左足をかばいながら動いているのではないかと思った。
爺の稽古が終わり、五郎は爺にちかづいた。そして、左脚を凝視した。左脚の足首からしたが紫色になっており、異常に腫れていた。
「爺、ひどい怪我。こんな状態で立ち合いなどできない。爺、やめてくれ」
「心配してもらい、ありがたく感じる。しかし、もう決めたこと。やめませぬ」
「どうして。満足に動けないのにどうして」
「五郎殿、戦(いくさ)において、今日は調子がよくないから、やめてくれなどということが、ありましょうか」
「戦いとこの度の立ち合いとは、全然ちがうはず」
「他人(ひと)は知りませぬ。
が、爺にとっては同じこと。人はやりたくなくとも、やらなければいけぬ時がある。爺はそう考えまする。もう決めたこと。考えを変えるつもりはありませぬ」
部屋にもどった爺は、
「すぐに戻ります」といって、どこかへいった五郎を待っていた。
そして、戻ってきた五郎に向かい、
「興房殿宛です」といい、手紙を五郎に手渡した。
その時、爺の視線が五郎の懐に向けられた。
「五郎殿、お気持ちはありがたい。が、かえって迷惑なこと。懐のものは、出していただきたい」
「えっ」
五郎は、さっき河原へいっていたのだ。石投げの名手である五郎は、何かの時には、石で爺を助けようと思って、投げやすい石をたくさん拾ってきて懐にしまっていたのである。五郎は懐から石をとりだした。
「五郎殿、田中殿は立派なお人。そして、腕前も前も申したようにすさまじい技量をもっておられる。やると決めた以上、邪魔だてなしで、まっすぐに闘いたい。爺の願いでござる。」
軽く五郎に頭をさげた。
「また、こんな世をずっと生きてきた性か。無性に心おどる己がいることも確か。我ながら呆れておる」
爺はにやりと笑った。
「田中殿か爺か、いずれが勝つか。それはわからぬ。が、五郎殿にはしっかりと見届けていただきたい。どっちにせよ、得るものはあるはず」
その時、宿の主から声がかかった。
「後藤様、火事で助けたおこととその母親がお礼にまいっております」
「ああ、それではそっちへ向かいます」
宿の前に、おこととその母お吉がたっていた。二人は爺に、何度したかわからないくらい繰り返し頭を下げた。
お吉が、
「田中様は、もうすでに今日はおでかけになっておられるとか。また来ようとは思うのですが、すれ違いになるやも。もしお会いになるようなことがあれば、くれぐれもよろしくお伝えくださいませ」というと、横のおことが、
「おじいさん、どうもありがとうございました」とぺこりと頭をさげた。
そして、
「これ、どうぞつまらないものですが」とお吉がなにやらくれたのであった。
おことの腕の中には母猫のスズが抱かれていた。まだ、あちこち毛が焼けた跡が残っていたが元気そうだった。おことが、なでると
「にゃあ、にゃあ」と声をあげた。
部屋にもどり爺がお吉にもらった包みをひらいた。餅が入っていた。
「五郎殿、美味そうな餅ですぞ。いただきましょう」
その餅は、なかに餡がはいっていた。当時ふつう使われていたのは塩餡である。砂糖は当時高級品で簡単には手に入らなかった。甘い餡が当たり前になるのは、もっと後のことである。で、その餅はまたきな粉でくるまれているものだった。
「ほれ、五郎殿たべなされ」
五郎は、これから爺が生きるか死ぬかの闘いに向かう前に餅など食う気がしなかった。
「五郎殿、戦になればいやでも腹にものをいれねばならぬ。さ、ほれっ」
爺が、優しい声で語り掛けた。
五郎が、ゆっくりと餅に手を伸ばした。そして口に入れた。柔らかい餅と塩味でひきだされる小豆のほのかな甘み。それにきな粉の香ばしさがくわわって。なんともいえず美味い。こんな時にでも、食い物が美味いと思ってしまうことが五郎はうらめしかった。
「人が腹に物をいれる。美味い。それがあたり前」
爺は目元をゆるませながらそういった。
「少々のことで胃がものを受けつけぬような人間に、人を束ねることはできませぬ。飯がなくとも泰然と。食えるもがあればいつも美味く食う。これが肝要。
五郎殿、これは軽口でなく本当のこと」
そう話す爺の顔を五郎は泣きそうな思いでみていた。
「さて、五郎殿そろそろいきましょうかの」
爺は、散歩にでもいくように軽い口調でいった。
その17 運命(四)
立ち合いの場所に久三はやくついた。その場所は河原であった。
久三は川面をみつめた。水がゆるやかに流れている。耳を澄ますと、その水の流れる音。心地よくきこえてくる。まるで時間がとまったような感覚を久三は感じていた。
久三は、頭のなかでいろいろ振りかえり考えていた。
いよいよだ。諸国を巡り歩き、もう会えぬかもと思ったことも。しかし、ついに。巡りおうた。亡くなった四人の仇をいよいよ討てる。長かった。
が、後藤殿と一緒にいた五郎殿。必死だったな。昔の自分にも重なって。後藤殿が死んだなら、同じようにわしのことを怨むであろう。
しょうがないではないか。仇を討つ。それだけを。それだけを考えて生きてきたのだ。居所も定めず、仕官もせず、嫁ももらわず生きてきた。時折、子などをあやす母親を見て、羨ましくも思った。仕官の口も数多あった。が、全部断ち切ってきた。
いや、一度だけ。関東のさる大名のところに長逗留したとき。あの時ばかりは、心がぐらっときたがな。
あの父上と笑顔が似ている殿さま。
「久三よ。もうよいではないか。己の人生を生きてみよ。わしのもとで働け。いや、働いてくれ、久三」といわれた時には、それでもよいかと思った。
しかし、その夜、夢で見てしまった。天狗が兄上や叔父上を倒すのを。
それでだめだと思った。別れの時の、殿さまの寂しそうな顔。忘れられない。
そう、あの化け物のような男。人から天狗のような動きをすると聞いていたから。そんな夢を見たんだろう。あ奴を倒すために心血をそそいできた。あの敏捷な叔父でさえやっつけた奴。すごい奴。おそろしい奴。
倒すには、尋常じゃない速さを身につけねば。そのために山の斜面を全速力で駆け下りた。体に速さを馴染ませるために。何度もこけ、傷ついた。木に頭をぶつけ半日気絶していたことも。
水を満杯にした桶の栓を抜き、全速で打ち込み百本、終わるや否や栓を閉じた。最初水はほとんど残らなかったのに、数年経つうち半分以上残るようになった。
そして、いつも天狗のような奴を脳天から一刀のもと、たたき斬る姿を思い描いた。刀身の重みを使い、相手が刀で受けようが、刀ごと相手を二つに割く姿。刀は長く、そして刀身の分厚いやつがいい。しかし、それを使いこなすには。
そう力がいる。そのために、大石や木の幹を切ったものを担ぎ、傾斜のきつい山を数限りなく登った。太い鎖を何重にも首にかけ、四股を踏み続けた。
宿でも寺でも大名の城でも泊った場所では、金など要らぬから薪割りをと申し出た。いつしか右手と左手に斧を握り薪割りができるようになった。そして大力のある男でも簡単には割れぬ薪を、片手で軽々と断つことができるようになっていた。薪割りの薪はいつも天狗だと思い割った。
それにしても、あの五郎殿。おれが、おかしいと。後藤殿のことを思い必死で。おれがおかしいのはわかっている。しかしだ。やらなければいけないのだ。それに後藤殿自身が承知したのではないか。だのに、なぜおれがおかしい。おかしくないだろ。
でも、お前が五郎殿なら。おれが五郎殿なら。やはり、必死でやめさそうとするだろう。ならお前がおかしいのでは。いや、おれはおかしくない。人は立場により、違う考えになってしまうものなのだ。
「ほれ食え、お前の好きな鴨肉じゃ」
叔父上が、鍋の鴨肉をとって口に何度も運んでくれたな。父が死んですぐの頃だったな。
「そうよ。たんと食べて兄様たちのように大きくならんと」
伯母上は、優しかった。いつもよく抱きしめてくれたものじゃ。
「久三はね。うちの子だからね。何も遠慮はいらないからね。うちの子だからね」
そういいながら、抱きしめてくれた。
「久三早う大きゅうなれ、大きくなったら、みっちり仕込んでやるからな」
兄たちはよう遊んでくれた。楽しかった。大好きだった。外では弁慶と恐れられていたが。おれにはいつも温かかった。
それを。それをこわしたのが、あの後藤殿とは。悪鬼羅刹のような男だと思っていた。そう思い描いていた。その悪鬼羅刹のような天狗をたたき斬ることだけを思って生きてきたのに。後藤殿は。後藤殿は、悪鬼羅刹どころか。自分の命を顧みず、人を助けようとする菩薩心にあふれたお方。びっくりしたわ。
しかし、やはり父や叔父上たちのため。斬らねばならぬ。本当にそうか。自分のためではないのか。いや、どうなのだろう。いずれにせよ後藤殿は承知してくれたのではないか。
お前は仇をとるために、厳しい修行をしてきのではないのか。
その通り。名のある剣術家のもとを訪ね、いろいろ伝授してもろうた。かなり、自信がついた時、塚原卜伝様のもとを訪れた。弟子の方々と切磋琢磨する中、誰とやっても負ける気はしなくなった。そこで、おもいきって卜伝様に木刀での打ち合いをお願いした。
「久三よ。腕をあげたそうな。みせてみよ」
卜伝様はそういった。
おれは全力でぶつかった。おれの上段を木刀でうけたなら、たいがい折れるか、手から木刀が飛ぶ。卜伝様でも、そうなるか。必死で木刀を卜伝様にあびせた。が、当たらない。すべてかわされた。そして、卜伝様の木刀が、おれの体いたるどころで寸止めされた。技量の差を思い知った。天と地の差だ。あれだけ。あれだけやってきたのに。衝撃をうけた佇んでいるおれに卜伝様は近づいてきた。
して、おれの耳に入ったのは意外な言葉だった。
「びっくりしたわ。これだけの技量。今まで出会うたのは数人」
卜伝様は決して嘘をいうようなお方ではない。正直おれはうれしかった。
「久三よ、さらに強うなりたいと思うなら、戦場に出てみよ。戦場での経験はさらに己の技量高めるのに役立とう」
その後、言葉にしたがい幾多の戦場で働いた。また、多くの立ち合いも重ねた。誰にも負けなかった。大いに学びにもなった。さらに自信もついた。
振り返ると出会った武者の中で、卜伝様だけが。そう卜伝様だけが別格だったということが改めてわかった。
後藤殿の技量は。どうなのだろう。本当に天狗のように強いのか。しかし、相当お年もめされた。当時の力量は保たれているのか。どうなのだろう。
関係ないではないか。強いか弱いかなんて。お前は仇を討てばよいだけ。それだけ。ただそれだけのことよ。
それにしても。五郎殿。あの必死の形相が何度もおれの頭に浮かぶ。中途半端な気持ちではいかぬ。迷いを絶たねば。絶たねば。
と、突然、
「ちゃぽん」という音。
川の魚が跳躍し、水に落ちた音だった。久三は、これで我にかえった。
「そろそろ、約束の刻限か」
久三はつぶやいた。そして、迷いを断ち切らねばと再び思った。後藤殿が来られたら、もう一度だけ確かめ。それで、やるということなら、頭の中からすべてを取り去り、後藤殿とぶつかることだけに全力をそそぐことを決めた。
その時である。河原の端の山道から、爺と五郎が姿をあらわしたのは。
久三の全身になんともいえぬ感情がひろがった。
いかにも初夏らしく、空は青々と澄みわたっていた。
その17 運命(五)
小鳥のさえずりが聞こえるなか、爺が歩みをとめた。少し先に目をやった。木々の緑がまばゆい。その間から漏れる陽の光の束が、なにやら神々しく感じられた。
しばらく後、爺はまた歩きはじめた。
川原につくと、すでに田中久三はやってきていた。
「五郎殿は、ここで」
「爺っ」と五郎が小さく叫んだ
柔らかな表情を五郎に向けた。
そして五郎の目に、小さな爺の後ろ姿がうつった。
「お待たせ申した」
「後藤殿、来ていただき有りがたく存じる」と久三がいった。
つづけて
「本当によろしいので」
「二言はない」
爺がきっぱりといった。
その言葉に久三の表情は、吹っ切れたようにすがすがしいものになっていた。
「わかり申した」
その時、山道の方から人の気配がした。四・五人の男たちがやってきていた。なかに戸板を運んできているものもいた。爺と久三は、村長(むらおさ)に果たし合いの立会と後始末を頼んでいたのであった。
爺が、村長の方を見た。二人の目があった。爺が軽く頭を下げた。そして、爺が久三をみつめると、久三は頷いた。
五郎は、今からはじまるのだと思うと気が気ではない。顔は青ざめ、目は怯えの色を帯びていた。怪我をおっている身で闘いにのぞむ爺が心配でならなかったのである。
「はじめましょうか」と爺がいった。
「では」と久三。
二人が刀を抜き合った。久三の刀は三尺(約90センチ)をこえる、刀身のあついものであった。それに対し爺の刀は二尺二寸(約67センチ)である。
大きな刀。そして久三の並外れた力。二つの刀がぶつかれば、爺の刀は間違いなく折れる。五郎はそう思った。爺は久三の刀をかわし、久三より速くうごかないと。しかし、爺は久三は、とてつもなく速く動くといっていた。どうなるのか。
向かい合った二人は水と炎のように対照的だった。爺は上段で構え、その表情は仏像がかすかに笑っているようにも見えた。して、そのまま動かない。久三もやはり上段で構えたままじっとしている。が、さきほどのさっぱりした表情とはうって変わってまるで鬼のような形相になっていた。五郎は久三の全身から火がふいているような気がした。
「こりゃ、勝負になるめえ。あんなにこまい爺様すぐやられちまうぞ。かわいそうにな」
と村人がいうと、
「そうかな。あの爺様ただものではない気がする」
村長が、二人を凝視しながら神妙な表情でいった。
先に動いたのは久三だった。
「うおー」
大声で叫んだかと思うと、爺の方へ鋭く踏み込んだ。速い。びっくりするほど速い。そして怒涛のように、刃をふりおろした。
爺も負けないくらい速い。俊敏な動きでよけながら、紙一重でかわしていく。
足は大丈夫なのかと、五郎が考えた時、後退する爺の態勢ががくっとなった。
そこに久三の袈裟懸け。爺が体をうしろにそらす。が、刃は浅く爺の胸を斬った。そして久三は、刀をすりあげた。瞬時に爺は一歩下がり、刃をよけるや否や強烈な突きを久三に食らわせた。
すると久三の巨体が、まるで猫のように後ろに跳んだ。その俊敏さに五郎はおどろいた。爺のいったとおりだ。
「本当だ。村長がいうように、あの爺様もすげえな」
「が、爺様斬られなさったぞ。なんであんな年で斬り合いなど」
「あの侍、爺様の命を火事の時に助けなさったそうな。次の日にゃは二人で楽しそうに酒を飲んでたって聞いたぜ」
「殺し合いするなら、なぜ助けたのかな。訳わからねえや」
と村人たちがいうのを聞き、村長が、
「お二人とも御立派な方。きっとやりとうのうても、やらなきゃならぬ深い事情があるのだろう」
向かい合った二人だが、見ると爺の着物は血に染まっていた
すると久三は、またしても
「うおー」と叫び、猛烈な勢いで爺に向かっていった。爺がおされながら、後退していく。そして、なんとそのまま川の中へ。水しぶきがあがる。久三も川に入り、嵐のように刃を走らせた。
と、後退していた爺が左足を滑らせ、仰向けにこけた。久三が迫る。
爺を見おろした久三が大刀を振りかぶった。
「やあっ」
渾身の力で刃をふりおろした。
「爺-」と五郎が叫んだ。
「ばしゃっ」というおおきな音。
水が大きく撥ねた。何も見えない。
撥ねた水が落ちた。
なんと久三の大刀は、半分に折れていた。川底の石にぶつかったのである。
爺はどこへ。
まるで、海老のようね跳ね、一間(約1,8m)横に移動していたのである。
手に刀はなかった。
この時のことを、自分でも何をどうしたのか覚えていないと、後に爺は語っている。
久三は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに倒れた爺のところへ。
爺が起き上がりかけたけたところに久三が。爺の体を掴むや否や、豪快に投げた。
宙を舞い水面に落ちる爺。体をうまく丸め衝撃を小さくした。水しぶきが大きくあがる。その水しぶきが落ちたときには、脇差をかまえた爺が立っていた。
そこに、久三が脇差をきらめかせ獣のように襲いかかる。二人の刃がぶつかり、火花が飛んだ。両方とも刃が欠けた。その刹那、久三が一閃。爺の頬をかすめ、血がにじみ出た。
久三が再び刃を振りおろした瞬間、爺がなんと横へ跳んだ。そこには大きな岩があり、その岩を蹴って今度は久三の方へ跳んだ。空中に飛んだ爺と久三が交錯する。刃がきらめいた。爺が久三の肩口を越え、川の中に着水した。
久三の肩口から、血が噴き出した。
一瞬二人はにらみ合ったと思うと、両者走り寄った。相手の刃を互いにかいくぐりながら、斬りあう。そして刃どうしがぶつかる。刃がすべる。それが止まった。刃の欠けた部分どうしががっちり噛みあったのである。動かない。背丈六尺を越える久三がものすごい力で上から爺の脇差を抑え込む。爺の腕が震えながら徐々に下がる。ゆっくり下がる。久三の脇差の刃が爺の額にせまる。
「あー爺」と五郎が叫ぶ。
五郎は爺に止められていたにも関わらず、川原の石に手をのばした。
その時だった。
爺は瞬時に半歩下がりながら刀を捨てた。久三は、そのまま前につんのめった。爺の目の前を刃がかすめた。
と、爺は飛び跳ね、その右膝を久三の顎に叩き込んだ。久三の手から脇差が落ちた。
そのまま爺は後ろにまわり、首に両足をかけた。久三と爺が後ろに倒れる。水が大きく撥ねた。
爺が足で首をぐいぐいしめる。久三が水の中でもがく。激しくもがき、肩から上を動かし、爺を引き離そうとするが離れない。
すると爺に首をしめられたまま、立ち上がろうと。片膝になり、そして震えながら渾身の力を振り絞り、二本足で立った。
顔色がみるみる赤紫色に変色していく。苦悶の表情。両手で爺の足をつかみ引き離そうとするが、離れない。
そして、立ったままの久三は、ついにゆっくりと崩れ落ちた。
村人と五郎たちが川の所へやってきた。
血だらけの爺が、
「戸板で田中殿を」といった。久三の顔には赤い斑点がたくさんできていた。
五郎が、涙目になりながら、
「爺っ」というと、
「また旅をつづけることができますな」とにこりとした。
左足をひきずりながら河原へあがってきた爺は、なにやら村長と話していた。
村長が、
「怪我の具合は」というと、
「こんなものは怪我のうちに入りませぬ。気遣いは無用。とにかく田中殿を頼む。しばらくすれば意識も戻るでしょう。また肩の傷は結構ふかい。治療の方を」
「目が覚められたら」爺が言葉をとめた。
「いかがいたしましょう」村長が聞いた。
「さて、田中殿がどうされるのかはわかりませぬ。腹をめさるるかもしれません。それは、しようのないこと。ただ一言だけ。この老いぼれがいつの日は、またお目にかかりたいと申していたとそれだけ伝えていただきたい」
爺と五郎は、村人たちが久三を戸板で運んでいく後を、ゆっくり歩いた。
その夜のこと。
「爺、本当に大丈夫」
「もちろん。昔から怪我は温泉に浸かってなおしてき申した」
爺が温泉に入るというのである。足をまだ引きずっている。
五郎は心配そうに、一緒にやってきた。
爺の体をしげしげとみた。小さくはあるが老人とはおもえぬほど鍛えられた躰である。ただ左足は、五郎が昨日見た時よりもっとどす黒い紫色になっていた。胸の傷は浅いとはいえ、生々しい。頬の傷はそうたいしてことはなかった。この小さな躰でよくあの大きな男と闘ったものだと思った。
しかも、あの足の状態で。
爺の、
「人はやりたくなくとも、やらなければいけぬ時がある。爺はそう考えまする」という言葉が五郎の頭の中によみがえってきた。人が生きるとは、そのようなものか。五郎は深く考えさせられた。そして、この言葉は五郎の心深くに刻みこまれていくことになった。
爺は、左足をかばいながら湯に浸かった。
「五郎殿、気持ちがよいですぞ」といった刹那、
「あっ」顔をしかめた。
「爺」
「胸の傷に湯がしみたでござる」とにこにこと笑った。
体を洗うため湯をあがったところで、五郎が、
「爺、ひとつお願いをしてもいい」
「五郎殿の願い。珍しいですな。なんぞ、うまいものでも食いたいとでもいうものですかな」
真面目な顔で五郎がいった。
「爺の背中、流してもいいかな」
「五郎殿、お願い申す」
月の光の下、爺の背中を流す五郎の目には、うっすらと涙がにじんでいた。
TAKAFUSAとは陶隆房のことである。陶隆房の名は有名ではないが、主君大内義隆を殺害し、のち厳島の合戦で毛利元就に討たれた陶晴賢といえば知っている人も多いだろう。その陶晴賢の歩みを歴史の大筋には沿いながらフィクションで描いていく。
第一部
その1 猫
五郎がふと障子の外の方で、なにやら動いている気配を感じた。
障子を少し開けて目をやると、塀の上を歩いているものがいる。それも悠遊と。
その堂々たる姿は、何かしら荘厳な感じすらした。
五郎の視線を感じたのか、そいつも動きを止め、五郎の方を見た。
口に一匹のネズミを咥えている猫であった。
かなり大きい。茶色地に黒の縞模様が入っている。
その顔は夜叉のようであり、五郎を見つめる眼は薄汚れたように濁っているのだが、
その中央から発せられる光はすさまじかった。
しばらく、五郎と猫はにらみ合ったままである。
五郎は猫の眼光にしだいに気圧されていく自分を感じた。
負けるもんかと思ったが、猫がだんだん大きくなっていくように感じ、怖くなった。
そして目を逸らした。
すると猫は顔をゆっくりと前に向け、何事もなかったようにまた歩き出した。
五郎は、猫の迫力に負け、目を逸らした自分が情けなかった。
五郎とは、陶晴賢の幼名である。
陶家は、中国地方の大大名大内家の庶流であり、重臣筆頭の家柄である。
この時の当主は陶興房で、五郎はその次男であった。
「五郎、何をしておる」 と年の離れた兄の興昌がにこにこしながら声をかけた。
「稽古をしております」
「何の稽古じゃ。」
「勝つための稽古にございます」
「そんな怖い顔して、一体何に勝つつもりじゃ」
「猫でございます」
五郎は、数日前にらみ合いで猫に負けたことを話した。
「なるほど、それで、鏡をにらんでおったのだな」 声をあげて笑いながら言った。
「兄上、私が猫に負けたことは内緒ですよ。」
「おお内緒、内緒」
「約束ですよ、兄上」
「心配は無用じゃ。男と男の約束である。で、五郎、上達したか。」
「外を歩いては犬や猫をみつけては勝負を挑むのですが、なかなか相手をしてもらえませぬ。」
「では、兄者と勝負じゃ。五郎こっちを見い」
「では勝負でござる」
二人はにらみ合った。
五郎は、とびきりの怖い顔をつくり、兄の目を見つめた。
が、普段の優しい兄とは違い、ギラリと光る短刀のような鋭い目に、圧倒されそうになった。
(まけちゃいけない) と思い、頑張って目を見続ける五郎。
しばらくすると 兄がすっと視線を逸らし、
「わしの負けじゃ!実に恐ろしい顔じゃった。おもわずちびりそうになったぞ。もし、わしがいなくなっても、五郎がおれば、陶の家は安泰じゃ」
と開けっ広げの笑みを顔いっぱいにこぼした。
五郎の兄の陶興昌は、陶家の跡取りであり、
また眉目秀麗で主君大内義隆から寵愛されてもおり、
その未来は約束されたものであった。
興昌も、父が行ってきたように、大内の家を守り、盛り立てていこうという強い気持ちを持っていた。
そんな興昌は、
「五郎、川に泳ぎにまいるぞ、ついてまいれ」
「相撲をとろう。かかってこい」
「さあ、これから飯の早食い競争じゃ」
などと、弟の五郎をたいそう可愛がった。
また、五郎もそんな兄のことが大好きだった。
ところが、その兄の姿がある日突然見えなくなった。
家の者に聞いても、皆知らぬようで、わからないという。
母に聞こうと思ったが、
「奥方様は今風邪で臥せっておられ、うつしてはいけないので今は五郎様に会えないとのこと」と女中に言われ、
思い切って父に尋ねると、
「興昌は、今使いにやっておる」 と恐ろしく真剣な顔でにべもなく言われた。
その二日後、五郎は父に呼ばれ、
「五郎、うちの城にとても身分の高いお客様がやってくるのでな。
ばたばたするので五郎は三日ほど親戚の所へおってくれ。
迷惑をかけるでないぞ。三日後に迎えをやるからな」
と言い、家の者に五郎を送らせた。
三日たち、五郎が城に戻るとすぐ兄の姿を探した。
が、どこにも見つからなかった。
(まだ帰ってないのかな)と思っていると、両親に呼ばれた。
そこで、父から、訳あって兄を養子として遠くへやったこと、
五郎が跡取りとして陶家を背負っていかなかなければいけないことなどをを諄々と聞かされた。
「よいの五郎。兄はもういないものと思え。陶家を頼むぞ」 と言われ、
頭は混乱していたが、
「はっ」 と答えるほかなかった。
兄がいなくなり五郎の心はぽっかり穴が開いたような感じだった。
寂しかった。兄を想い時折涙がこぼれた。
すると、しばらくして、父の興房が家に柴犬の子二匹を連れてやってきた。
家来の家で五匹生まれたので二匹もらってきたとのことであった。
「お前が、こやつらの名をつけよ」 と父から言われ、
五郎は二匹の柴犬にタキとマツと名付けた。
タキもマツも活発な性質でとにかく始終走り回っていた。
はじめて餌をやった時、その一心不乱に食う姿がとにかくかわいくて
五郎はニコニコしながら熱心に見入った。
新しい元気な遊び仲間ができ、五郎はいつしか兄を失った寂しさも薄れ、元気を取り戻していった。
その何年もあとのことになるが、
五郎が大きくなるにつれ、兄についてのことがいろいろ耳に入ってきた。
どうでも兄は養子にやられたのではなく実は亡くなっていたこと。
それも父の勘気にふれ手討ちになったとか・・・
その原因がなんと大内の殿さま(大内義隆)を悪しざまに罵ったこと
であったことなどがわかってきた。
それを知り一時、父のことを憎く感じることもあったが、
やがて五郎が大内義隆の寵を受けるようになると、
義隆に心酔した五郎は、
(義隆様を口汚く罵ったということであれば、自分が父であっても斬ったに違いない)
と思うようになっていった。
その2 身分
兄の死後、元気をなくしていた五郎であったが、
柴犬のタキとマツは大いに五郎の心を慰めた。
五郎も心から、この二匹を可愛がった。
そんな五郎が熱中しはじめたのが喧嘩である。
五郎が陶家の跡取りであるので、地元では、皆が五郎様、五郎様と大変持ち上げる。
大人も子供も、陶家の若様ということで五郎には平身低頭である。
それでは面白くないと、五郎は遊び相手として選ばれた
又二郎、与吉、百乃介をひきつれて、遠くへ出かけていく。
そして、五郎のことを知らない同じくらい、あるいは少し上の年頃の男の子をみつけると
側によって、睨み付けるのである。
この日も遠くの河原まで出かけると、男の子らが遊んでいた。
五郎は、その中で一番体のでかい奴をいつものように睨み据えた。
五郎はこれから始まるであろう喧嘩を想うと怖いやらうれしいやらでゾクゾクするのである。
でかい奴がチラチラこっちを気にしだした。
背は五郎より頭一つくらい高い。
(こいつはおおきいな!)
と思ったとき・・・
そのでかい奴がおもむろに近づいてきて、
「おいお前、さっきから俺のこと見てるけど何か文句でもあるのか」
と厳しい眼差しをしながら言った。
「大いにあるね。お前のその顔が気に入らないんだよ」と五郎。
「なんだとー」 と怒鳴りながら、殴りかかってきた。
五郎は、それをかわし相手の横っ腹に蹴りをいれた。
そして続けて左拳を相手の顔面にぶつけた。
「この野郎」
相手は、五郎につかみかかってきた。
二人はもみ合って倒れた。
さすがに相手はでかい。
五郎が上になった時に三発殴ったが、
下になった時にはその三倍ぐらい殴られた。
「五郎様!」と又二郎、与吉、百乃介らが声をかけると、
「絶対手出すな」
と五郎が大声で言った。
相手の仲間も手は出さずに、必死で応援していた。
体格差は如何ともし難く、相手の方が優勢で何度も
「参ったか」
というのだが 五郎はすでにもう力はないのだが、
「いや参らぬ」 と頑張るのだ。
しかし、体が動かなくなっていた。
やがて相手が立ち上がり、
「これくらいにしておいてやる」
五郎は寝転がったまま、
「負けちゃいないからな、負けちゃいない。また来るからな」 とつぶやくが・・・
「おい、みんな帰ろうぜ」と相手方は河原を後にしていった。
又二郎、与吉、百乃介らが五郎に近寄り、
「大丈夫ですか」と口々に言った。
「負けちゃいないからな、でも痛かったな」
五郎は、彼らにもたれながらゆっくり帰っていった。
五郎はこんな喧嘩をしょっちゅう繰り返していた。
勝ったり、負けたりするのだが、それが五郎には楽しかった。
対対で体をぶつけあうことが、なんとも言えない快感なのであった。
五郎の母はもちろん家来の中にも、 こんな五郎の所業に眉をひそめるものもいるだが、
父の興房が、
「それぐらいかまわぬ」
とぴしゃりというものだから、
誰も止められないのである。
でかい奴にこっぴどく殴られてから三日たったときのことである。
遊びに行こうと、又二郎、与吉、百乃介らと城を出たところ、 土下座している二人を見た。
「どうしたのでしょうかね」と百乃介が言った。
「さあな」と五郎。
見ると、大人と子どものようである。
その大人の百姓男が五郎を見つめ
「あのー五郎様でございましょうか」
五郎が、
「そうだが・・・」
横を見ると、その男の子どもが額を地面に擦り付けている。
「あっ」 五郎は気が付いた。そいつは先日五郎を殴ったでかい奴であることを。
百姓男が、
「このたびは・・・せがれが誠に誠に・・・すみませんでした・・お許しください。
ほれ、お前も謝らぬか」
でかい奴が顔を上げた。
その顔は相当殴られたのであろう。ぼこぼこに腫れあがっていた。
この前見た時とは別人のように見えた。
「先日は申し訳ありませんでした。お許しください、お許しください・・」
流れる涙と鼻汁をぬぐおうともせず、
泣きながら謝りつづけるのである。
五郎は胸が苦しくなった。
(こんなことをしてもらおうなんて思ってもいないのに)
でかい奴は顔をくしゃくしゃにしていた。
流れる涙に、腫れた部分から流れ出る血が混じり赤色になっていた。
(どんだけ殴られたのだろう。どんだけ痛かったろう)
「お許しください・・・」という、そいつの腫れあがった目元の奥に小さく見える
充血した目から、涙がぽろぽろっと落ちるのが見えた。
五郎は心がしめつけられるような息苦しさを感じ、いたたまれなくなった。
「全然気にしなくていいんだー、気にしなくていいんだよ」
と言うなり突然、五郎は走り出した。
五郎の目からは涙があふれ出していた。
喧嘩で殴られるより、はるかに衝撃を受けた。心が痛かった。
自分の行ったことの大きさを痛切に感じた。
後悔する気持でいっぱいになった。
(ごめんよ、ごめんよ)
走りながら五郎は何度も何度も心の中で謝った。
その3 又二郎決死
八月に入り、陽が厳しく照り付ける日がつづいていた。
そんなある日のことであった。
朝まだ涼しいうちに、五郎達は城を出た。
今日は海で水練を行うのである。
山を二つほど越えたところを下った江田浜を目指していた。
その浜には、前に喧嘩をしにいって、その後仲良くなった 江田浜の網元の子亀吉がいた。
亀吉と五郎は妙にウマがあい、時折五郎が浜に行き一緒に遊ぶ仲になっていた。
五郎にとっては浜で遊ぶのは、地元で過ごす堅苦しさがなく、とても楽しかった。
亀吉は最初、五郎が陶家の跡取りであるとは知らなかった。
なので「五郎」と呼び捨てにしていたが、
後にそれを知ってからはさすがに「五郎様」と呼ぶようにはなった。
五郎は、「五郎」のままで良いといったが、
亀吉も
「それはできねえ」
と「五郎様」と呼ぶようになった。
しかし、そう呼ぶようになっただけで、海で育っただけに口の悪さは変わらない。
亀吉が 「五郎様、まだまだ泳ぎが上手くならんのお。そんなこっちゃ甲冑つけて海に浸かったら、すぐに水の底でお陀仏じゃわい」 というと、
「何を言う。すぐにお前より上手になってやるわ」と五郎。
すかさず、
「天地がひっくりかえっても無理じゃのう。そうじゃろ又二郎」
「たしかに、魚のように泳ぐ亀吉殿には、そうはたやすく追いつけぬと思いまする」
と又二郎がまじめに答える。
「又二郎は、亀吉の味方か」 と五郎は笑っている。
その後、約二時間くらい泳ぐ練習をしたが、
昼が近づいてきたので、
五郎らは、亀吉といっしょに銛でメバルやマアジ、ゴマサバなどを突いたり、
またサザエ・トコブシなどを獲ったりした。
亀吉はさすが漁師の子で、魚の鱗やワタを簡単に処理し、
石の上に鉄(てつ)灸(きゅう)(火の上にかけ渡して魚などをあぶるのに用いる、細い鉄の棒)を懸け、
火をおこし、手早く昼飯の準備をやってのけた。
鉄灸の上で塩焼きされた魚貝の香りが五郎らの鼻を刺激した。
その焼けたばかりの魚や貝と、
五郎が城から持ってきた味噌と握り飯とともに腹にいれた。
五郎が、
「いや本当に、なぜこんなに旨いのかなあ」と言うと、
亀吉が
「この江田浜の魚や貝がいいからだぜ。」 なんてことを話していると・・・
そこへ一人の娘がやってきた。
亀吉が、
「あっ、姉ちゃん」 と呼ぶと、
「かあちゃんが味噌汁とこれを持っていけって」
亀吉の姉のお栄であった。
お栄は色黒で背が高かった。
細身であったが、胸のふくらみが、まだ十二・三歳ぐらいなのだろうが、
女らしさを感じさせた。
切れ長の目元が涼しく、美しい娘であった。
五郎は胸がざわついた。
お栄が持ってきたのはアサリの味噌汁と野菜の和え物であった。
味噌汁を椀に注ぎ、和えものを皿に取り分け、
「さあ、お食べ」 と優しく微笑んで、
お栄がみんなに渡していった。
袖口から美しく伸びた腕と細く長いしなやかな指に、 五郎は心を奪われたが・・・
お栄が五郎の方を向くとぱっと目を逸らした。
又二郎が、
「この和え物は、今まで食べたことない味じゃ。何だろう。」
わさびの香りがするその和え物は、
口にいれるとしゃきしゃきとした歯ごたえがあり、
柔らかい甘みが何ともいえず、とにかく旨いのである。
みんな口々に、
「何だろうな、わからないな」と答える。
五郎が亀吉に、
「お前、しょっちゅう食べてるんじゃないのか」
「たまに食べてるけど、わからないものはわからない。
五郎様は口に入るもの全部知っているのかい」と亀吉。
「・・・」五郎が答えに窮する。
百乃介が 「わかんないが・・・本当美味い」
すると、お栄が 「それはね、にらよ」
「にらって時々雑炊にいれる、青い色したけっこう香りの強いやつかな。」と与吉。
「そうよ、でも、この黄色っぽいにらは、ちょっと特別で・・・
日光をあてずに育てたものなんだって。
うちの母ちゃんが時々魚をあげる年寄りの百姓夫婦がくれたものだって。
あっさりしていて、ワサビで和えるとほんと美味しいわね、私も大好きよ」
五郎たちは、約一時間ほど、亀吉とお栄と楽しい時間を過ごし、その後浜を後にした。
帰りの山道で、
五郎は
(きれいなお姉ちゃんだったな) と
お栄のことを思い返していた。
その時、一匹の黒い子犬が、山の横道から出てきた。
タキとマツをいつも可愛がっている五郎は、子犬をみてうれしくなり、 そっと近づいてしゃがみこんで、
「こんなところで何してるのかな」
思いきり優しい声をかけ、頭を撫でようとした。
その手に、子犬ががぶりとかみついた。
「痛っ!」と五郎。
子犬は、さっと走って横道の方へ消えていった。
与吉が、
「五郎様、嫌われましたな」 と言い、
又二郎や百乃介と一緒に大笑いした。
「笑うな。かわいい形なりしてひでえことしやがる」 と五郎は毒づいた。
四人でしばらく山道を下っていると、後ろ方に何かの気配を感じた。
振り返ってみると坂道の上の方に何かがいる。黒い影のように見える。
その影が突然動き出した。こっちへ向かってきた。
吠える声が聞こえる。それは野犬の群れだった。
野犬はとても凶暴で狼のように集団でシカやイノシシを襲うこともある。
「逃げろー」と五郎。
「どんどん近づいてくるぞーー」と与吉が今にも泣きそうな声でいう。
犬は七・八頭いたが、先頭を走るのは、ものすごい大きな真っ黒の犬である。
「木に登れ」と又二郎が言った。
「登ろう」と五郎。
そして四人は、それぞれ道のわきの木立に入り別々の木によじ登った。
犬たちがやってきて、上を見ては猛然と吠える。
牙をむき出しにして吠えている奴もいる。木に前足をかけているのもいる。
真っ黒いでかい奴は、物凄い眼光で五郎たちを見ていた。
「降りたら殺されるぞ。しばらくは我慢しろよ」と又二郎。
犬たちは上を見上げながら、やがて吠えるのをやめ大人しくなり、
そのあたりをうろうろしていたが・・・・
百乃介がもじもじしだして、
「おしっこが漏れそうだよ」
「そこですればいい」と又二郎。
百乃介が木の上から小便をしだすと、また犬たちが激しく吠えだした。
五郎が、
「いったい、いつまでこいつらいるんだろ」
「下手したら一晩でも。五郎様、我慢しないといけないですな」
落ち着いた声で又二郎が答える。
それから、一時間半くらいたったころだろうか。
犬たちがやっと諦めたのか、ゆっくり坂の上の方へ歩き出した。
「あっちへ行くよ」と与吉。
「ばか、しっー。大きな声だすな」 と又二郎が、小声で与吉に言った。
みんな、ほっとした気持ちになっていった。
五郎が、どこまで犬たちがいったかを確認しようと、右手で上にあった古い太い枝をつかみ、身を乗り出して坂をのぞこうとした時、
その枝がポキリと折れた。
「あっ」 と言いながら、
五郎がどすっと地面に落ちた。
「五郎様」と一斉に又二郎らが声をかけた。
「五郎様が動かない」と与吉。
「どうする。又二郎どうする。犬が来るかも・・・」と百乃介。
又二郎は思い出していた。
いつか五郎の父の興房が甘い菓子をくれながら、
(「又二郎や、そちは五郎の二つ上じゃ。五郎は粗忽者ゆえ、又二郎を頼りにしておるからの。何か会った折には、くれぐれも頼んだぞ」)
と言ったことを。
又二郎の耳に犬のけたたましい声が聞こえてきた。
そして、走って向かってくる犬たちの姿が目に入った。
「又二郎」と百乃介が叫ぶ。
(どうすればいい。どうすれば。)
と悩む又二郎であったが、
又二郎の耳に、
(「又二郎を頼りにしておるからの。何か会った折には、くれぐれも頼んだぞ」)
という興房の声が本当に聞こえたような気がした。その瞬間覚悟が決まった。
「やっーー」と言いながら、又二郎は飛び降りた。
「与吉も、百乃介も降りてきて、五郎様を守れ。俺が犬をやっつける」と大声で叫んだ。
地面に降り立った又二郎は、素早く、丁度いい長さ重さの枝っきれを掴み、
(人間はいつかは死ぬんだ)
と思い、犬を待ち受けた。
五郎の前に立ちはだかる又二郎に、犬たちは猛然と攻撃をしかけてきた。
大きな黒い犬に左腕を噛まれ、引き倒されそうになったが、
そいつの脳天を右手につかんだ枝で思い切り叩いたところまでは覚えているが・・・・・
後は何も覚えていない。
与吉と百乃介の話によると、死に物狂いで又二郎が戦っていたが、
何か所も噛まれ、もうだめかと思うときに、
おじちゃんが出てきたと。
おじちゃんは、
「坊主、よくがんばった」 と言い、
又二郎の前へでて、持っていた木の棒を高く構えると、
犬たちの動きがぴたっと止まった。
が、次の瞬間一頭の犬が飛びかかった。
おじちゃんが棒をすっと降ろすと、犬の大きな鳴き声が響いた。
また、次の一頭が素早くおじちゃんの足元の方へ向かった。
棒をまたすっと動かすと、その犬も大きな鳴き声をあげながら横に転がった。
犬たちとおじちゃんの間に一瞬静寂が流れた。
すると真っ黒なでかい犬が、二三歩後ずさったあと・・・
急に後ろ向いて走り始めた。
すると犬たちが一斉にそれに続いていった。
おじちゃんは、持っていた薬で血だらけになった又二郎を手当てしてやり、
次に五郎の元へ行き、
体を抱いて 「うっ」と活をいれると
五郎が目を覚ました。
おじちゃんは、五郎が陶家の跡取りと聞いて、又二郎を背負い、
与吉と百乃介に交互に五郎を背負わせて、陶の城に向かった。
又二郎がおじちゃんの背中で、
「おじちゃん、強いね」
「そうでもないさ。俺はお前が強かったと思うぜ。
噛まれた傷がひどいから、しゃべらずに寝ておれ」
「じゃあ、もう一つだけ」
「なんじゃ」
「おじちゃんの名前はなんていうの」
「俺は塚原って名前だよ。でも、おじちゃんでいいからな」
「塚原様か」
又二郎はそうつぶやき、眠りに落ちていった。
その4 父の想い(一)
犬たちとの壮絶な戦いを、おじちゃんの登場で切り抜けた
五郎達であったが、
事情を聞いた父の陶興房は、五郎に
「おまえの顔はしばらく見とうない、しばらく蟄居しておれ。厠以外
室を出ること決して罷りならぬ。」
と冷たい態度で厳しく命じた。
そして、犬の噛み傷で全身を二十五針縫った又二郎をすぐに見舞い、
「又二郎、此度はようよう働いたな。塚原殿から又二郎の戦いぶりを聞いたぞ。
鬼神のごとく何頭もの凶暴な野犬と闘ったそうな。あの阿呆のために・・・心から礼を言う。」
又二郎が
「ほとんど何も覚えておりませぬ。無我夢中で・・・」
「又二郎は、陶の家には、勿体ないほどの勇者じゃ。誠に礼を言うぞ」
興房が首を垂れると、
「ありがたきお言葉」
と言うと、又二郎の頬にツーっと一筋の涙が流れた。
又二郎にとって左手の前腕の十二針縫った傷跡は、生涯の財産となった。
苦境に陥った時に、傷跡を見ると、あの時に勇気がよみがえってくるのだ。
興房は、与吉や百乃介に対しても、丁寧に心をこめて礼を言った。
そして、五郎らを助けてくれた塚原という名の人物と夜を徹して語り合った。
そう、塚原と言う人物と、興房は懇意の関係であった。
亡くなった前主君大内義興と陶興房は、約十年ほど京都に滞在した時期があった。
政争と戦争にあけくれた日々であった。
その時に、まだ若いが腕の立つ塚原新右衛門は大内義興の食客になっており、
義興の肝いりで御前試合などに出たりしていたのである。
新右衛門は後に、「卜伝」と号するようになり、やがてその剣名は全国に鳴り響いた。
塚原卜伝が、
「お世話になった大内義興様がお亡くなりになったことを知り、その菩提を弔うために・・・
その途中、こんな偶然もあるのですな。まさか興房殿のご子息とは」
と優しく微笑みながら言うと、
「まさに。しかし、本当にかたじけない。心から礼を言いまする」と興房。
「それにしても、あの又二郎の胆力やすごいものですな。なまなかな大人では、とても相手にできる連中ではなかった。」
「塚原殿、是非とも、この城でゆっくり寛いでいただきたい。
それから、一つ厚かましいお願いなのだが、家中のものどもの剣の相手をしてもらえまいかの」
「私も望むところです。喜んでお引き受けいたしましょう」
その二日後、
昼四ツ頃(午前十時頃)、晴れ晴れとした空の下、
城の庭において塚原卜伝と陶家家中との試合が行われた。
興味深々の与吉や百乃介、そしてまだ傷口の癒えない又二郎の観覧は許されたが、
蟄居中の五郎も強く希望したのだが、興房は断じて許可しなかった。
家中きっての剣の遣い手である佐藤清兵衛が立ち会った。
前の日、家中の者と立ち合いを繰り返した清兵衛は、
「いくら高名でも天狗じゃあるまいし、多少は何とかなるんじゃ・・・いや、俺が勝って相手の面目をつぶすようなことも」
と自信を覗かせるようなことも言っていたのだが、
試合がはじまると、
佐藤清兵衛がすさまじい形相で、電光石火のごとく木刀を繰り出すのだが、
卜伝は、ふわりふわりとそれをかわしていくのである。
徐々に清兵衛の肩が上下するようになった。
見ているものは呆気にとられた。
家中で清兵衛に太刀打ちできるものは誰一人いないのに・・・
次に卜伝は、ふわりとかわすや否や卜伝の木刀をすっと清兵衛の首筋に、
そして手首に、胴に、寸止めして当てることなしに、そえるようにごく近くに置くのである。
「参った」と清兵衛が声をあげた。
「では、五人一度にかかってきてください」と卜伝。
しかし、この後も同じ光景が繰り返されるばかりだった。
これは夢ではないのか、目の前にいるのは人間ではなく、まさに天狗ではないのか。誰もがそう感じたのである。
又二郎は、
(おれもいつかこんなふうになりたい・・・)と強く思った。
五郎は、部屋で端坐し、このたびのことを真剣に考えていた。
(もし、塚原様がいなければ、それはそれは大変な)
五郎は、蒼くなった。
その4 父の想い(二)
その夜のこと、 陶興房が書き物をしていると、
「あなた、お茶がはいりましたよ」と、
妻のお藤が部屋に入ってきた。
「ああ」と興房。
お茶碗を机におきながら、お藤は興房の横顔をじっと見つめた。
「冷たい男だろうと思っているのだろう。長男の興昌を斬ったのも俺だものな。」
「・・・」
お藤は目を伏せた。
「俺もさすがに人の親でな。子はかわいいものよ。此度のことも犬に殺されずに、よう帰ってきてくれたとも思う」
興房は、おもむろにお茶を口にいれた。
お藤は伏せた顔をあげ、興房の瞳をみつめた。
「なれどな、上に生まれついた人間は、下の人間の命を預かっておる。その重みを五郎にもわかってほしいのじゃ」
外から「リィリィリィリィ」と鳴く虫の声が聞こえた。
「卜伝殿があらわれなんだら、又二郎も与吉も百乃介も、そして、五郎も死んでいたろう。
それも五郎の失態の所為で、俺は知ってほしいのじゃ、上に立つ者の責任(せめ)の重さを、家来たちの命の重みを・・・」
つづけて、
「これから先、戦で家来をたくさん失うこともあろう。が、それを当たり前じゃとは思うてほしくなくての」
表情の和らいだ妻は、興房に丁寧に礼をして部屋を出て行った。
ふたたび「リィリィリィリィ」と鳴く虫の声が部屋に響いた。
その数日後、陶興房が山口で評定が行われるため、出立することになった。塚原卜伝と、やっと父に許された五郎も同行することとなった。
卜伝が城を出たところで、視界の下に広がる陽に照らされて美しく輝く瀬戸内の海を見て、
「毎日かようか美しい景色がみれるとは羨ましい。
まさに心洗われる思いがいたしますな」
と興房に言った時、
一人の武芸者と見える男が卜伝の目の前にやってきて、
「失礼だが、塚原卜伝殿ではないしょうか」
「いかにも、塚原卜伝である」
その男は年の頃は二十五・六歳だろうか。
巨漢で身の丈六尺(約百八十センチ)はあろうかという体躯。
顔の下半分は髭に覆われており、
赤鬼のような顔をしていた。
「拙者は、肥後出身の瀬田甚兵衛と申しまする。
誠に突然で、何のだが、真剣での立ち合いをお願いしたい!」
と男は卜伝に詰め寄った。
卜伝は、
「このような唐突な立ち合いは、断ることにしておる」
陶興房と五郎は、二人のやりとりを黙ってみつめていた。
甚兵衛の目が針のように光った。
「どうでもお願いしたい」
「できぬ!」と卜伝。
「では、勝手にやらしてもらうまでのこと・・・」
甚兵衛は、少し腰をかがめた姿勢をとった。
「どうしてもか?」
「うむ?」と甚兵衛が頷いた。
「わかり申した、されば十日後の同じ時刻、ここで。山口にある大恩人の墓に参るため今回の旅に出た。それは私にとっては必ず果たさねばならぬこと。承知していただきたい」
「卜伝殿、誠に約束違えず、来ていただけるのかの?」
「この卜伝が言うこと、信じれぬと申すかー」と大喝した。
その厳しい語気と表情は、この数日間の卜伝のおだやかな態度とは
打って変わったものだったので、興房も五郎も驚かされた。
甚兵衛も、その迫力に圧され、十日後の立ち合いを承諾した。
「では十日後、ここで」と卜伝。
甚兵衛を後にして、卜伝、興房、五郎は歩き出した。
しばらく行き甚兵衛の姿が見えなくなったところで五郎が、
「塚原様、本当に立ち合われるので」
興房はにやにやしている。
卜伝は、
「今のは真っ赤な大嘘でござる。あの手の手合いが、まさに雨後の筍のように。一々相手しておっては切りがありませぬ。それに、あたら若い命を散らすのは趣味ではござらぬ。」
「・・・」と五郎。
「卜伝は、嘘は嫌いだが、この点に関してだけは大嘘つきでござる。はっはっはっ、十日後は霧のようにどこかに消えてござるー」
と卜伝は大笑いしていた。
その5 臥鬼一族(一)
「何で俺が。何もやってねえ」
つづけて、
「助けてくれ」と悲痛な声がきこえた。
屈強な男たちにひきずれられるように連行されていく男のものだった。 夕立が落ちてきて、雨の匂いが立ちこめ、男たちのかぶる菅笠からは雨のしずく
がおちていた。
西国の大大名である大内家の重臣陶興房と剣客として高名な塚原卜伝が、陶の
屋敷に戻る途中のことであった。
昔、興房が主君の大内義興とともに在京していた折、若き卜伝は大内の食客となっており、興房と卜伝は、懇意の間柄であった。
卜伝は、大内義興の墓を参るために鹿島から山口にくる途中、陶氏の若山城に数日滞在していたのだが、興房が評定に参加するため山口に出立しなければならなったので、ともに山口にやってきていたのである。
「どうしたのでございましょうか」
卜伝が男たちの方をみながら、興房に聞いた。
「さて、わかりませぬが、亡くなった義興様が刺客に襲われて以来
この平和な山口でも、とくに大内屋敷の近辺の警備は厳重をきわめております」
興房が少し声を落としていった。
「刺客。いったいだれが」
卜伝は顔をくもらせた。
「あのような生きざまをされた方ですから」といったん言葉をきったあと、 「怨んでいるものは数知れず。検討もつきませぬ。ただ厄介なのは、これを請け負ったのが臥(が)亀(き)一族であるということ」
この話をしているさなか、二人は陶の屋敷に着いた。
当時、山口は、京都をしのぐ日本屈指の都市であった。その中心にあったのが大内の屋敷であり、そのまわりには重臣たちの屋敷がびっしりと並んでいた。なかでも、ひときわめだっていたのが、陶の屋敷であった。
陶氏は大内の庶流の一つであるが、その家格は大内家中でも抜きんでたものであった。代々、大内の殿様も、重臣である陶氏が城を退出する時だけは必ず見送りに出ることになっていたという。
陶興房と塚原卜伝は屋敷に戻ると、庭に面した縁側にすわった。侍女が茶をいれて持ってきた。夕立もあがり、頬をなでるように涼しい風が吹いてきた。
庭では、興房の跡取りである五郎が上半身裸になり、木刀を振り続けていた。十歳を少し越えたところであった。父に似て、目鼻立ちの整った顔をしている。体には幼さが残ってはいたが、肩や背中にはしっかりした筋肉がついていた。
「あっ、気がつきませんでした。おかえりなさいませ」といい、そこを去ろうとしたが、興房は、
「つづけい。卜伝殿にみていただこう」
「はっ」
五郎は、うれしそうにまた木刀を振り始めた。
お茶を一口すすった興房は、話のつづきをはじめた。臥亀一族についてである。
その内容はというと・・・
臥亀一族とは、中国山地の山深いところに生息する謎の忍びの一団であった。特定の主君に仕えてはおらず、金で仕事を請け負っていた。だれの指図も受けずこの戦国の世を生き抜くことをかれらは誇りとしていた。
その仕事の請負金はべらぼうに高かった。にも、かかわらず殺しの依頼はひっきりなしにやってきた。なぜなら請け負った仕事は十に一つもしくじることはなく、また決して秘密をもらすことはなかったからである。
いっぷう変わっていたのは、彼らが天運というものを信奉していることだった。 三度襲撃して相手が生きのこったときには、
「天が生きることを命じている」とし、二度と同じ相手を狙うことはなかった。
しかも、その場合、金をそっくり依頼主に返した。これもかれらの人気をたかめる一因となっていた。
その臥鬼一族に生まれると、過酷な運命が待ち受けていた。生まれた赤ん坊はすぐに性器の少し上の部分に、「臥」の文字の焼き印を押された。これに耐えられず、死亡する赤子も多数いた。弱き者は臥鬼一族には必要ないということである。
また生まれて一定期間がたったところで、棟梁が決めた日に、一晩中、野原にすておかれるということもおこなわれた。徘徊する狼や野犬などの獣に食われ命をおとすこともあった。運のないものもいらないということであった。
このようなはなし伝えた後、
「義興様は二度の襲撃をすんでのところでかわし、
天寿を全うして畳の上でお亡くなり申した。」と興房はいった。
つづけて、
「ただ、三度目の襲来が、もしやして義隆様にということで、
このものものしさになって いるのです」
興房は神妙な面持ちをうかべていた。
「なるほど」
卜伝はゆっくりとうなづいた。
その時、あわただしく家来の一人が庭先から興房の元にやってきて、 なにやら耳打ちをしてさっていった。
興房が声を低くして、
「先ほど連行された男だが」
卜伝はじっと興房をみつめた。
「どうやら尼子(大内氏と敵対する大名)の草(敵国に潜入した後、嫁などを娶ったりして、その土地に一般庶民として馴染んで暮らしながら諜報活動などを行う忍びのこと)ではないかと」
「うーむ」
難しい顔する卜伝であった。
庭では、五郎は躰に汗をびっしょりとかき、一心不乱に木刀を振りつづけていた。
卜伝は、顔をあげて、五郎に目をやった。
「五郎殿、少し相手してしんぜよう」
「は、はいっ」
目をきらきら輝かせる五郎であった。
赤い夕空に、黒い雲がかかり、カラスの鳴き声が広がっていた。
その5 臥鬼一族(二)
臥亀一族の里でのこと・・・
信天翁(あほうどり)が、
「半年かかったな」と自嘲気味に笑った。
この男は中肉中背で、色が白く、目は細い。どちらかといえばやさしい顔立ちである。 四十過ぎになるが、臥亀一族の中では殺しの名手として知られていた。
半年まえ、里の棟梁(おかしら)によばれた。
「大内義興を殺(や)ってくれといってきた依頼主だが」と棟梁はいった。 「寿命で義興は死んじまったが、その跡継ぎである義隆を、どうしても殺ってくれってよ。長老たちとも相談してみたが、いつもとはちがう形にはなっちまうが、このたびは請け負うということに決まったぜ」
「で、俺に白羽の矢が立ったってことだな」と信天翁がいった。
「三度目の失態(しくじり)は許されねえ。ここは、おまえしかいねえってことに。また、おまえがほしい奴(の)を好きに選んで組にしていいってことになったぜ」
骨ばった黒く細長い顔した棟梁は笑顔でそういった。が、その眼は笑っていなかった。
座敷にあぐらかいて、冷酒と干し魚をまえにして、
信天翁は、あの時からはじまったんだなと、これまでのことをつらつらとおもいかえしていた。
おれは下調べを重ねながら、いつどこで義隆の奴を殺るか、かんがえた。大内屋敷の警備は容易にはやぶれねえ。義興をしくじって以来、すさまじい数で屋敷を守ってやがる。そこで奴を殺る舞台にえらんだのが、お盆のあの盛大な提灯祭りよ。あの場所には毎年必ず義隆が出てくる。
ただ難儀をしたのが、祭りのいちばんの山場となる提灯を大量に組み上げた大神輿をぐるぐる回すのをどこでやるのか、位置がわからねえってことだった。
あれは毎年変わりやがるからな。その大神輿の前に義隆の桟敷がおかれることは間違いねえ。できれば、その桟敷の図面や祭りの手順が知ることができねえかと思ったのよ。
それで祭りをすべて切りまわす町の役人である扇屋新右衛門のまわりにさぐりを入れたが、一切何も洩れてこねえ。よっぽど用心してるみてえだった。
そこで声をかけたのが、菊丸だ。こいつは女誑(た)らしの玄人よ。
菊丸も、
「あっしも、十に三つははずしますぜ」といってはいたが、さすがよ。
新右衛門の嫁のお忍は見事にひっかかり、めろめろになって菊丸のいいなりよ。
「大神輿を一番いい場所でみてえんだ」
という言葉にころっとだまされ、 亭主に内緒でほいほい秘密の祭りの細けえ手順をのっけた紙を持ち出した。こっちの思うツボよ。
ほいで別れぎわに菊丸が、「離れたくねえ」とかなんとかいったんだろうな。接吻して口に酒を流し込んだ。それをうまそうに飲んだってよ。中にトリカブトとフグの毒が入っているとも知らずにな。紙をもとの場所にもどしたあと、夜中に毒がまわっておっ死んだぜ。気の毒に。
つぎはどうやって殺るかよ。とにかく腕っこきの警護が、義隆のすぐそばにもまわりにもおかれている。その中で、いったいどうやって。悩んだぜ。そこでたどりついたのが、三重攻撃よ。
提灯をわんさと載せた大神輿がぐるぐるまわる。そして花火がいろいろあるんだがよ。攻撃をするときは、地を鼠のように這うのが跳ねまわっているときに決めたぜ。そこにいる連中みんなの神経が花火の動きまわる地面にあつまる。
この時がねらいだ。
そこで神輿のかつぎ手に化けた白虎があらかじめ神輿のかつぐ柱にしこんだ手裏剣をつづけざまに義隆めがけて投げ、そしてしこんだ刀で斬りかかる。里でも手裏剣で白虎の右に出るものはいねえ。うってつけだろ。
その時にゃ、神輿の中に潜んでいたおれが、神輿から空中たかく飛び上がり、白虎に一瞬おくれて上から義隆をたたき斬りにいく。
またすぐに巽が柱にしこんだ槍で、義隆めがけて突き刺しにいくのよ。 巽の身体の動きはとても人間とは思えねえ。速(は)えーのなんのって。大きな槍をすばやく柱から抜いてっていうような大仰(おおぎょう)な動きを一瞬でしてのけるのはこいつしかいねえ。ってことで選んだのよ。
いくら手練の警護がいたとしても、この波状攻撃なら義隆の生命(たま)は間違えなくとれるはずよ。
ただ、逃げる算段がなりたたねえんだよな。提灯が煌煌(こうこう)とあたりを照らすなか、大内の侍たちがひしめいて。返り血浴びた様でどうやって。
まったく、ひでえ仕事がまわしてきやがったぜ。まっ、この里に生まれた以上、それはいえねえがな。
万が一助かる方法があるとすれば、それは斬りこんですぐさま、追撃をかわし裏手の一ノ坂川に飛び込むことよ。
ただ夏の暑い盛り、川に水があるかないか、それはその時になってみねえとわからねえ。天のみぞ知るだ。
殺しをおこなう白虎と巽には、きっと川の水はあるといいつづけ、何度も何度も水に入り川底を泳ぐ修錬を重ねたぜ。みな、息つぎをせずに二町くらい(約218m)はいけるようになったな。
また念のために船の底に大きな桶を裏向けてつけたのを、菊丸に三か所ほどにおかせて、そこで息をする修練も積んだ。水面に首を出さなくていいようにな。
結局、おれの組は、菊丸・白虎・巽の三人でできあがった。おれは、白虎と巽とともに山に籠もってな。いやってえほど殺しの修練をくりかえしたぜ。手を三つたたく拍子に、それぞれの動きが合うようにな。いやー辛かった。山を降りる頃には、みな頬の肉が削げ落ちていたぜ。
もちろん山に籠もる前、あいつらにゃ存分に女抱かせて、酒飲ませて、うまい物食わせてな。
まっ、あいつらにゃいわなかったが、生きて帰れるなんて、よっぽど運がよくない限りはな。 それはいえなかったな。でもわかってたろうよ。
で、半年かかったが、いよいよ三日後よ。 義隆様よ、あと少しの命せいぜい楽しんでおくんだな。
腕を組み、今までのことをふりかえっていた信天翁であったが、かっと目をあけて、冷えた酒を喉に流し込んだ。
その5 臥鬼一族(三)
屋敷を出て、京の鴨川にみたてられていたという一ノ坂川の橋を、陶興房・塚原卜伝・五郎の三人はわたった。朝四ツ(9時すぎ)ころのことである。
このところの雨で、満々と水をたたえた川面(かわも)が朝日できらきら輝いていた。春には岸に桜が咲き乱れ、初夏にはゲンジボタルが幻想的に舞う一ノ坂川は、 山口に住む人々の心の癒しとなっていた。
五郎がいつもより胸を張っている。顔もこころなしか引きしまっている。だが、ときおりその顔がゆるむのである。というのは、うれしくて仕方がないのである。 前の晩、父から、
「明日からこれをさせ」 と脇差をもらったからである。
脇差をさした五郎は、一人前になったようで、誇らしい気持ちでいっぱいだった。
脇差をもらった後、部屋の中ではいけぬといわれていたのに。五郎は腰にさした脇差を何回抜いて振ったことか。寝るときも枕のよこにおいて、めざめるたびにさわっていた。
三人は高嶺(たかみね)太神宮(今の山口大神宮)と瑠璃光寺に向かう所であった。
高嶺太神宮は、亡き大内義興が伊勢神宮の荘厳さにうたれ、分霊を勧請(かんじょう)してきた神社であった。また瑠璃光寺は陶氏が建立した寺であった。
お詣りをすませた三人は、高嶺太神宮の前にある茶店に入った。当時、茶店は、京都にはちらほらあっただが、地方にはそんなものはまったくなかった。
在京長かった大内義興は、京文化に憧れ、山口にも京のように茶店をということで、町役人の扇屋の先代を呼び、
「人をつのって茶店をやらせい」と命じた。
「かしこまりました」と扇屋の先代。
つづけて義興が、
「一軒ではなく、二軒つくらせい」
「二軒でございますか」と先代の扇屋が怪訝な顔をすると、
「人はなあ、競わせねば、一つ所にとどまってしまうものよ。のう、お前も同業の長門屋が、おれも尼子や大友がいるからこそよ」
「恐れいりまする」
「それから、支度金はわしが出してもよいが、かならず返させい」
目元をゆるませ笑いながらいった。
扇屋が番頭の与兵衛のこの話をすると、
「義興様もあんがいしぶちんですな」といった。
「私も最初はそう思いましたよ。」 と扇屋はいった。
「しかし、あとでよく考えてみると、もしや義興様は金借りてでもやりたいっていう気概のある人間が ほしいと思われたのではないかと」
このようにしてできあがった茶店だが、 興房らが茶店に近づくと、二軒とも結構にぎわっていた。興房は、菓子「ういろうを」を出しているほうの店にはいった。
このういろうは、秋津治郎とやらがつくりだしたもので、
「とにかくうまい」と、
巷でもっぱらうわさになっていた。
それを口にいれた五郎は、はとのように目をまるくした。
「父上、卜伝様・・・いや、いや、本当にうまいですな」 というと、
あっという間にペロッとたいらげてしまったので、 興房は、
「これも食え」と自分の分を半分五郎の皿にのせた。
「あ、ありがとうございます」とまたペロッと食べた。
その後、興房は、市がたっていたので少しよって帰ろうといい、三人はブラブラ見物していたのだが。五郎に耳なれぬ言葉が聞こえてきた。前から来る異な風体(ふうてい)の二人からである。五郎が不思議な顔をしていると、卜伝が、
「あれは明人(みんじん)(中国人のこと)ですか」
興房が、
「最近かなり増えてきましたよ。 私も少し興味がありまして、実は、 すこし言葉を学んでおりましてな 。いまの明人はたしか、
『前からくるガキは、間の抜けたツラしてるな』
って申しておりました」
「えっ」と五郎。
「うそよっ」という興房と、卜伝が声をたかくして笑った。
その興房が、
「五郎、まだ何か食いたけりゃ、お前にわたした巾着の中にある金で買っていいぞ」といった。
「はっ、はい」と五郎は答えた。
五郎はさっき十七・八歳ごろの娘とすれ違った。 色白で唇の赤さがきわだつ娘であった。さて、ぜんぜん雰囲気はちがうのだが、その娘を見て、五郎が頭に思いえがいたのは、江田浜の網元の娘お栄であった。色は黒いがすらっとした体躯で、切れ長の目の美しい顔立ちをしていた。そのお栄に五郎はあこがれを抱いていたのである。
お栄のことをおもいながら、市に並んだ品物を眺めていると五郎の目にとまったものがあった。それは「かんざし」であった。赤い球をさした白っぽい木でできたものであった。
お栄が、そのかんざしをさした姿を頭に描き、五郎は半笑いのなんともいえない表情を五郎はうかべていた。
興房が五郎を見て、
「気味の悪い奴、何かいいものでもあるのか」という声で五郎はわれにかえった。
「あっ、いいえ、ございませぬ」と答えつつ、
(ま、まさか、父上にかんざしがほしいとは、口がさけてもいえないな)
と頭の中でかんがえていた。
その後三人は屋敷に戻った。 部屋に入った五郎は、部屋で、お栄に想いをはせていた。
(かんざしあげたらお姉ちゃんよろこぶだろうな)
という気持ちがだんだんふくらんで、 いてもたってもいられなくなり、五郎は屋敷を出た。
そしてかんざしの前を、行ったり来たり何往復したことか。迷ったすえに、 とうとう思いきって,
「おじちゃん、これちょうだい」とかんざしを買ったのである。
そして、五郎が走ってむかったのは、屋敷ではなく、別のところだった。
「これは、これはまたのお越しで、ありがとうございます」と茶店の主人がいった。
五郎は、またしても、ういろうをほおばっていた。
その帰り道、五郎は、
(なんでおれは、ういろうまた食ったんだろう)
と自分のあさしましさが情けなかった。
また、父の金でかんざしをかったことにも、うしろめたさを感じていた。
どんよりした想いを胸にかかえながら五郎は屋敷にもどった。父に会わないこと
を願いながら、そおーっと部屋にはいったのであった。ふすまを閉めて、ほっとする五郎であった。
その5 臥鬼一族(四)
その日の夕方のこと・・・
陶興房が、五郎をよんだ。
「提灯祭りには卜伝殿とお前とでのんびりまいるつもりではあったが」といい、五郎の目をみた。
「義隆様からそばでみよという話しがまいった。くれぐれも粗相のないようにな」
「はっ」
華やかな祭りがくりひろげられている中、義隆のいる桟敷の近くにいくと、警護の武士が大勢いた。陶興房の顔を見ると、みなていねいに一礼した。
桟敷につくと、大内義隆がすでに座っていた。まだ、年は若いが、すでに太守の風格が備わっていた。
義隆は、興房や卜伝とひとしきり話したあと、
「五郎、よう来たな。久しゅう見んうちに大きゅうなったことよ。
今日は養子になった太郎(のちの大内晴持)も来ておるから、 仲ようしてやってくれ」と五郎に声をかけた。
「ははっ」
五郎は、三つ下の太郎のよこにすわった。陶隆房も塚原卜伝も桟敷に腰をおろした。そして、時がたち、祭りもいよいよ山場にさしかかっていた。
大内義隆の桟敷のまんまえで、提灯を高く高くつらねた大神輿を、数十人の男たちが、汗をびっしょりかきながら、ぐるぐる回していた。その周りでは、竹竿と竹竿の間に紐がかけられ、 その紐に花火がいくつもしかけられており、空中できらびやかに光を放っている。
男たちの勇ましい掛け声がひびくなか、まわる大神輿の提灯、またそのまわりを取りまく無数の提灯。幻想的な世界をつくりだされ、ひとびとはみなそれに酔っていた。
その大神輿の中に、なんと信天翁がひそんでいたのである。
ゆれる大神輿の中でじっと息をひそめていた信天翁の頭の中には、
さまざまな思いが頭をめぐっていた。
「川の水が満々とあるのは、予想以上だぜ。一人でも川に飛び込めればいいのだが」
桟敷のほうをみつめて、
「くそっ、紙に書いてあったのと違うじゃねえか。数も、人間の配置も。予定より四人も多い。何でガキが二人も。 そのせいで義隆のやつがすわる位置がずいぶんうしろになってやがる」
信天翁は顔をしかめた。
「まっ、今さらしょうがねえ。やるしかねえ。あの距離なら、なんとか飛んでとどくか」そう思いつつ、手足に力をいれたり、ぬいたりをくりかえしていた。
「いよいよ次。花火が地を這いながら鼠のようにまわるやつだ。いよいよだ。白虎よ。たのむぜ。ついにはじまるぜ。ついに」
信天翁は目をとじた。そのときに一瞬だが、いままでのことが走馬灯のようにかけめぐった。
鉢巻をしめ柱をかついでいた白虎も、めまぐるしく考えていた。
「のどがカラカラだぜ。なのに手の汗がすげえや。」
着ている半纏(はんてん)とさらしに手をこすりつけ汗をぬぐった。
「ちぇっ。義隆が図面よりかなり遠い。最初の手裏剣でなんかしとめたい」
と思いつつ、義隆の位置をなんども確かめた。
「花火が、地を跳ねまわるやつにかわった。いくぜ。」
白虎の目が野獣のように光った
男たちの大きなかけ声と見物人のどよめきのなか、まばゆい光を発しながら、数えきれないほどの花火が地を鼠のように跳ねまわっている。ひとびとの目は、みなそこにすいよせられていた。
白虎のかつぐ柱が、義隆と真反対に来たとき、白虎が手裏剣と刀を柱からとりだした。まわりはだれも気づかない。そして四半回転したとき、白虎は神輿から義隆の方へ向き、手裏剣二枚を立てつづけに投げた。
(しとめた)
と思った時、義隆のそばにいた塚原卜伝が神速で脇差を抜き、手裏剣二枚をはねた。
白虎は、
(うそだろ。おれの手裏剣が。信じられねえ。あいつは何者)
と思いながら、白刃きらめかして義隆の方へ突進した。
手裏剣で気づいた義隆護衛の侍が、白虎に向かい渾身の一刀をふるったが、かわされ白虎に首筋を絶たれた。
しかし、同時に飛び出した陶興房が白虎の胴を払い、もう一人の護衛の侍が白虎の胸を刺し貫いた。
それを神輿一番高い部分からすでに跳躍し、空中高くでみた信天翁は、頭上に大
刀を振りかぶっていた。
「白虎よ、成仏せえ。 義隆よ、生命もらったぜ」
まちがいなく義隆を殺せるとおもった。
白虎の手裏剣をはねた卜伝は義隆の横を動かずにいた。白虎を斬られるのをみ
ていると空中に殺気を感じ、 義隆に、
「低くっ」と鋭く叫びながら、怪鳥(けちょう)のごとく跳んだ。
信天翁と卜伝が空中高くで交錯した。
金属のぶつかる音が一回、そしてキラキラっとする光が見え、パラパラっと何かが
落ちた。
義隆は、自分の前にいた太郎をすわって抱きしめていた。
その時、白虎と逆側で柱をかついでいた巽が、槍をもちムササビのような速さで
すでに義隆にせまっていた。
巽は、
「みな、白虎と信天翁に気がいってるぜ」とこころでつぶやいた。
「ガキを抱いている義隆の首から上がきれいにみえる。もらった」
ところが槍を突っ込もうとした時、太郎が立ち上がった。卜伝に斬られた信天翁
の血がふってきて、驚いた太郎がたちあがったのだった。
(重なって義隆が見えねえ!)
巽はそう思い、一瞬槍突きだすのを躊躇した。つぎの瞬間、太郎の体が横に動き、義隆の首がみえた。
「やーーっ」と大きな叫び声あげ、
巽が槍を突きだした。義隆の目が大きくみひらかれていた。その時、なんと槍の
先が、下に落ちたのである。
五郎が、脇差を抜き、必死の形相で槍を斬りはらったのであった。
「くそっ!」
巽は、そのまま毬が弾むように、一ノ坂川に飛び込もうとした時、左肩に激痛が走った。卜伝が投げた小柄が左肩に刺さったのである。
「うっー」と痛みに耐えながら、巽は川にざぶんと飛び込んだ。
その後、必死の捜索が行われたが、巽をみつけることはできなかった。
難を逃れた大内義隆に、家来たちが祭りをすぐにとりやめることを強く進言した。
「民が年に一回楽しみにしておることよ。これしきのことで。臥亀一族の襲撃は三度までという。これで終わりよ。大内は天から守られておるのよ」と義隆はいい、つづけて、
「警戒はこのままおこたらず、祭りは続けよ!」と大声で家来に命じた。
次の日の夕刻のこと、巽が菊丸と会っていた。
「俺はみたぜ。お前が一瞬躊躇したのを。あのガキもろとも突き刺せば殺れたものを。このことは棟梁はじめ長老たちにも話すからな」
巽はただ黙っていた。
菊丸は、背中を向けて去っていった。 それを巽は、細く光る目で見つめていた。
その翌朝、一人の男の死体が一ノ坂川に浮いていた。菊丸だった。巽は街道を歩きながらかんがえていた。
(不思議だぜ。こうやって仲間でも平気で殺れるのに、 なぜ、あんなガキ一人に 躊躇したのか、自分でもわからねえや)
山口で塚原卜伝と別れた陶興房と五郎は、 周防の若山城に戻ってきた。
戻ったところで興房が、
「ところで五郎、もしものために渡しておいた金の入った巾着だが返してもらおう」
「はっ」と言いながら、中身がだいぶん軽くなった巾着をドキドキしながら渡した。
中をあらためた興房が、
「ずいぶん減っておるな、お前いったい何に遣ったんだ」
「あっ、いえ、その」と五郎が狼狽していると、
じっーと五郎を見つめ、
「ふうん、まあ、よいわ」と興房がいった。
その6 恋
信天翁らによる襲撃事件を経験し、城に戻った五郎だが、
朝食後、少し曇った空の下、庭で激しく動いていた。
「たっー」
木刀を振り回し、柴犬のタキとマツに熱弁を振るっている。
「よいか、ここでの、この五郎様がしゃがんだ状態から、『ヤー』と声をあげながら飛び上がるのだ。わかるか」
タキがきょとんとしている。マツは横を向きフラフラ脇へ歩きはじめた。
「これちゃんと聞かぬか。飛び上がって、そして、敵と剣を交えて、この敵がいやはや何ともすごいのだが、相手がこの五郎様では・・・」
と長々とやっている。
いつのまにか五郎は塚原卜伝に成り代わっていた。
五郎の地元では、
山口での出来事がいつのまにかひろがり、
「陶の若様が、義隆様をお救いになったんだってね」
「いやー、前からおれは凛々しい坊ちゃんだと思ってたんだ」
などと噂になっている。
確かに五郎は命がけの行為を行い、その強烈な体験は躰に中に刻みつけられていた。
また五郎を見る皆の目も以前とは違ってきて、
五郎の顔つきが、山口へ行く前からすると締まったのは間違いない。
が、ただ、まだ多分に幼さは残している。
その日の昼頃、
「五郎様、それでその時卜伝様は。・・ふむふむ。して、その時の顔つきは・・・なるほど」
と何度も何度も五郎に聞くのは、卜伝に憧れている又二郎であった。
又二郎は、口には出さなかったが、
(もし俺がその場にいたら、刺客を逃すことはなかったのになあ。本当にその場にいなかったのが、いやーまことに残念。俺が行っていれば・・・残念でたまらぬ)
などと思っていた。
さて、
陶の城に戻った五郎には、せねばならぬ大事なことがあった。
夕刻、両親がいる時に
「明日は久しぶりに水練と亀吉に会うために江田浜へ行ってまいります」
父の興房が、
「この前もなにやらご馳走になったらしいな。ちょうど雉が手に入ったところだから、土産に持っていけ」
「はっ」
すると母のお藤は
「あのー、雉ではかえって先方に気を遣わせることになるのでは。山菜などの方が・・・」
と遠慮がちに言うと、
「なるほど、さすがじゃわ。五郎そうせい」
「はっ」
「では、明日亀吉に会うて、夕刻には戻って参ります」
両親に許可を得た五郎はうきうきしていた。
亀吉は、そう、二の次なのである。
五郎の頭には
涼し気な目でニコリと微笑むお栄の姿があった。
(お姉ちゃんに会える。どうやって「かんざし」わたそうか)
五郎は台所に行き、
侍女から山菜を受け取った。
「五郎様、崩されませぬようにお願いしますよ」
かごには山菜だけでなく栗や銀杏など、とてもとてもきれいに載せられているものをわたされた。(けっこうすごい。でも、雉の方が旨いのになあ。あ、そうだ、あれも持っていこう)
五郎は侍女に頼んで、
そう、あれ・・・「煎り酒」を竹筒にいれてもらったのである。
「煎り酒」とは、日本の古い調味料で、
日本酒に梅干を入れて(昆布や鰹をいれることもある)煮詰めたもので、
江戸時代に醤油が普及する前はよく用いられていた。
五郎は本当に好きではなかった。いや、実はとても嫌いなのだ。
・・・何が・・・。「酢」がである。
海が側なので城でも魚が頻繁に出るが、
当時刺身などは、酢にしょうがや辛子をいれて食べるのが一般的なのだが、
五郎は、そっちにはつけずに塩(しょ)っぱい味の「煎り酒」ばかりに浸けるので、
普段は優しい母のお藤も目を光らせながら、
「五郎殿、酢につけなされ」と口うるさく言っていた。
この前、江田浜でご馳走になった時も、亀吉が
「これ旨いぜ!」
刺身をしょうが酢でくれたのだが、酢が体に入ると、
(うへーー)
というような、なんともいえない感じで、少し箸をつけたけで終わったのである。
次の日、朝早く五郎は城を出た。
今回の供は、又二郎・百乃介・与吉ではなく、タキとマツだった。
(あいつらと一緒だと、とても無理だもんな。かんざし渡すの)
一行は江田浜めざし、野犬が出た山は避けて歩みをすすめた。
途中、また「五郎劇場」がはじまった。観客は、タキとマツだけである。
「よいか、タキ・マツ。そこでおれは『たっー』と高く飛び上がり」と言い、
本当に飛び上がったのだったが、
不運にも着地したところに丸い石が。
「あーーっ」と
五郎は豪快にひっくり返った。
背中に風呂敷で固定していた山菜や栗どが全部外に散らばっていた。
左ひじと右ほおからは、傷はたいしたことはないだが、血が・・・。
着物も右胸のあたりが破けてしまっていた。
すぐに懐の「かんざし」をみたが、どうもなってなくてほっとしたが、
五郎の気持はいっきに沈んだでいった。
江田浜に着き、亀吉の家を訪ねた。出てきたのはお栄だった。
「五郎様。また犬に襲われたのですか・・・大丈夫ですか」
五郎が山口に行っている間に又二郎らが来て、その話を伝えていたのである。
「いや、そうではなく、道で転んでしまって。全然大丈夫」
元気がない五郎に対し、タキとマツはわんわ吠えながら嬉しそうに走り回っている。
「かわいいですね・。今日はあいにく亀吉は父ちゃんと海へ出ていて、母ちゃんもばあちゃんらと出かけて、私しかいないのですよ。とにかく汚いところですが上がってください。傷を・・・」
五郎は家に上がり、お栄に傷口を丁寧に拭いてもらった。
お栄の顔が近づくたびに、五郎は少し体が硬くし、顔が赤くなってしまい何も言えなかった。
とてもいい香りがした。
傷の次には、着物を破れたところを縫ってもらった。
「五郎様、じっとしててくださいね」
目の下に、お栄の頭からうなじ、そしてほっそりとした首が、
心が何かどきどきざわつくのだが、何か心地いいものだった。
「はい、五郎様。終わりましたよ」
「あ、ありがとう」
「せっかくなので。今朝獲れたクロダイなどがありますので・・・何かつくりますね。」
「あ、母上がこれを持っていけって・・・本当は本当はきれいだったんだけど・・・」
と風呂敷を解いて、ぐちゃぐちゃになった山菜のザルをお栄に渡した。
「あーー嬉しい、ここらじゃあんまり手に入らないのがいっぱいある。ありがとうございます。みんな喜びます。くれぐれも、よろしく伝えておいてください」
お栄は、パパッと刺身や汁や野菜の煮物などつくり、ほし貝も膳の上に出した。
また、タキとマツにも餌をつくってやった。
五郎が煎り酒を出し、お栄がそれで刺身を食べると、
「あっらーーびっくりしたわ。なんて品のいい。とっても美味しい」
と二段高い少し素っ頓狂声で言ったもんだから、
あははと二人で大笑いした。
それで五郎も緊張がとけ、楽しい時間が流れた。
山口での武勇伝など、五郎はいっぱい話した。
「うんうん」とお栄は微笑みうなづきながら聞いてくれた。
海岸をタキ・マツと一緒に歩いたりもした。
真っ青な海、寄せては返す白い波、そして空に浮かぶ白い雲、そのすべてが眩しく見えた。
帰る時刻が近づいた。肝心のことを忘れていた。かんざしである。
五郎は去り際に渡すことに決めた。
家の外に送りに出てきたお栄に、
「これー、山口でお姉ちゃんにと思って・・・」
と五郎は早鐘のような胸の鼓動を感じながら、かんざしをお栄に差し出した。
一瞬
「えっ」という顔をしたお栄だったが、
そのあとすぐに
「五郎様、ありがとうございます」
涼しい目がうれしくてたまらないようにキラキラ光っていた。
その帰り道、五郎は
(おねえちゃん いいにおいしたなあ)
と思い、お栄の顔を思い浮かべたていた。
行き道に沈んでいた五郎の心は、からりと晴れわたっていた。
タキ・マツが五郎の横で、またわんわと吠えていた。
その7 悲劇
江田浜での楽しいひと時をすごしてた五郎だったが・・・
その三日後、三時をまわった頃、
隆房はふと川に水浴びをしようと思い、タキとマツを連れ近くの牛田山の方へ向かった。
ここには五郎の小さな時からの遊び場なのである。
原っぱあり、お気に入りの洞窟あり、川あり、滝あり、
遊び場としてはこと欠かない。
道から広い草っぱらに出たとき、タキとマツは水を得た魚のように
あっちこっちを走り回っていた。
遠くの方まで行ったタキとマツの姿はどんどん小さくなった。
隆房は
「タキー、マツー!!」
と大声で呼んだ。
隆房の声にタケは動きを止め隆房を見つめ、そして次の瞬間隆房の方へ走りはじめた。
(タキ、すっごく速くなったなー)
と思った。
マツはまだ向こうの方を駆けまわっている。
ふと空を見上げた。
残暑がまだ厳しく続いていたが、夏雲の間にチラホラと秋雲の気配も・・・
五郎は、
(あれは何だろう)と思った。
黒い点が遠くに見えた。
しばらく見ていると・・・何かの鳥だとわかった。
(なーんだ)
ということで、タキが嬉しそうに駆けてくる方を見た。
五郎のもとまでやってきたタキは、五郎の周りをクルクルまわった。
「ワンワン」
遅れてマツもやってきた。
「ほーれほれほれ、ほーれほれほれ!」
などと言いながら、撫でまわした。タキ・マツももう大喜びで、
わんわ、わんわと吠えまわっている。
犬二匹と五郎が原っぱを転げまわっていた。
五郎の息も弾んでいた。
少し落ち着いて、五郎は地面に座り、その横にタキ・マツも佇んでいた。
すると、
タキは五郎の元からまた駆けだした。どんどんタキの姿が小さくなっていった。
(やっぱり速くなったなあ)
マツは五郎の横で一心不乱に草を噛んでいた。
その時、ちょうど五郎の上空高くに、大きな鳶が見えた。
(さっき見えた鳥は、鳶だったんだなあ)
と思い鳶の様子を目で追った。
突然、鳶は急降下しだした。
(地面に降りるのかな)
と、地面の方に目をやると、タキの姿が目に入った。
五郎ははっとした。
(まさか)
タキの方へ向けて駆けだした。
必死になり全力で走った。
そして大声で。
「タキー、タキー逃げろ」
と叫んだ。
しかし、タキは何も気づかず走っている。
五郎は狂ったようにタキの名を叫んだ。
それは、タキが五郎の声に気付いて止まり、五郎の方を振り向いた時だった。
鳶が猛烈な速さで地面すれすれまで舞い降り、一瞬でタキをさらって空を駆け上がっていった。
鳶の足につかまれた、タキは手足をもがくように激しく動かしていた。
やがてタキと鳶の姿は見えなくなった。
五郎は泣いていた。涙が止まらなかった。マツもじっとして動かなかった。
悲しくてしゃくりあげながら泣き続けた。
頭の中に、手足をもがくように動かすタキの姿が何度も何度も思い出された。
五郎は呆然となり、その後どうやって館に帰ったのかも覚えていなかった。
五郎のその後の落ち込みは、傍目からみていても気の毒なほどだった。
ある日、
その様子を見かねた百乃介が、
「五郎様、そろそろ元気をだされないと」
「ああ、わかってはいるのだが」
「たかが犬ではございませぬか。また違うのを」
「たかが犬、たかが犬だとと大声を張り上げた。
「そうではございませぬか」と百乃介も負けずに言った。
五郎の中で何かがはじけた。
五郎は次の言葉を吐かずに、百乃介に飛びつき殴りかかっていた。
家来の侍に
「五郎様、五郎様、おやめなさい」
と止められるまで、殴っていた。
百乃介は殴られるままに、じっと耐えていた。
五郎は家来の腕を振り切って、城の外に走り出た。
(ちくしょう、ちくしょう)
と心の中で叫んでいた。
その日の夜の事、
五郎は部屋で端坐していた。
父の命令で、鏡の前に座っていた。
「己を見つめよ」とのこと。
最初反発する気持の強かった五郎だったが、
ご飯も食べずに、ずっと・・・
頭に様々なことが浮かんでは消え、浮かんでは消えした。
朝方のことであった。
五郎は「はっ」と気づくものがあり、
いつしか、頬を涙が伝わり、肩を震わせていた。
父の元へ行き、二人でしばらくなにやら語り合っていたが、
最後に父の興房が、
「これからのこと、そちにまかせる」
「はっ」
五郎はいつもより長く頭を下げ、部屋をあとにしていった。
百乃介のもとを訪ねた五郎であったが、心の底から百乃介に詫びをいれた。
謝る五郎も、謝られる百乃介も、ともに目に涙を浮かべていた。
外では秋の気配を感じさせる涼しい風が、時折、道端の草を揺らしていた。
その8 茶色と黒の瞳を持つ男(一)
「雨ですね」と与吉が言った。
その日、昼過ぎから五郎と与吉は、牛田山の麓を流れる川に釣りに来ていた。
一時間後くらいから外が急に暗くなり雨がぽつぽつきたのである。
「そうだな、全然鮎も釣れないし、雨も激しくなってきた。
そうだ、あっちにあるボロお堂の軒下で雨やどりしよう」と五郎。
「はい」
大粒の雨が二人の上に落ちてきていた。
二人は川から四町(約四百四十メートル)くらい離れた、道端にあるお堂の軒下に入った。
「与吉、すげえ雨だったな。びしょぬれだぜ」
「五郎様、ほんとですね。あれ、今日はお堂の扉があいていますね」
「本当だ。与吉、ちょっと入ってみようか」
「勝手に」
「かまわんだろ、こんなボロお堂」
と言いながら、五郎は階段をのぼってお堂に入った。与吉も続いた。
首をまわし、お堂の中を見渡した与吉は、
「思ったより、広いんですね」
「そうだな」
二人は隅の方に腰をおろして他愛ないおしゃべりをしていた。
するとその時、数人の人の声や物音が聞こえた。
だんだんその音が大きくなってくる。
やはり勝手に入ったことが後ろめたかった五郎が、
「奥に隠れよう」と言い、
二人はお堂の奥の間に入った。
入ってきた痩せた男が、
「兄貴、床が濡れてますぜ」
「乞食がなんかが寝っ転がってたんだろ。もし戻ってきたのを
見つけたら、わかってるな」
と目の据わった兄貴と呼ばれた男がそういうと、
痩せた男が、両手で斬るマネをした。
「そうよ」
五郎たちは、人相の悪そうな奴らの言葉を聞きながら、
息をひそめていた。
続いて二人の男が荷車で運んできた長持をお堂に二つ運び込んだ。
兄貴が、
「おい開けろ、そのままにしとくと死んじまうかも。死んだらおじゃんだ。しっかりうまい空気を吸わしてやれ」
長持ちから出てきたのは、十五・六歳ころの娘三人と三十歳を少しくらいの一人の女
だった。お堂の端に手足を縛られたままおかれた。
みなぐったりしていたが、年かさの女が、
「なんでなの」と涙ながらにつぶやいた。
お堂から聞こえてくる話や物音を聞き、
息をひそめていた二人は、ただならぬ状況に気が動転していた。
しばらくするとまた外から物音がした。また新たな荷車が着いたのである。
お堂の中にいた兄貴が、
「お頭が着いたぜ」と言った。
一人の男が入ってきた。続いて男が二人、長持をもって入ってきた。
お頭とよばれた男は、
「お前らの方が早かったんだな。」
兄貴が、
「あっしらもさっきついたばっかりで」
「そうか、船の手はずが整った連絡が来るまで、ここで待機だ。それがいつかは読めねえから、深酔いせん程度に酒でもなめとけ」
と低いどすのきいた声で言った。
男たちの酒盛りが始まった。お堂の端の方には後から来た三人の娘ふくめて、
七人の女たちが、しばられたまま座って寄り添っている。呻いている娘もいる。
五郎は、思い切ってほんの少し隙間から覗いてみた。
一人の男に目が吸いついた。普通の顔をしているだが、何だかやけに気味が悪い。
「お頭」と言う声に続いて、
その男がしゃべりだした。
(こいつが一番わるいやつだな)と五郎は思った。
(わかった。右目の色と左目の色が違う。だから変な感じがしたんだ)
そう、その男、右目は真っ茶の瞳、左目は墨のような黒い瞳を持っていたのである
この男が率いる賊は、当時横行した「人取り」と呼ばれる人さらい集団であった。
人をさらってきては、明、琉球、東南アジアなどに売り払うのである。
とくに若くて美しい女は相当いい金になった。
与吉も隙間から五郎とともに覗いた。目の前に広がるのは異様な光景であった。
一人の軽く酔った男が、一人の娘に近づき、顎に手をやり、うつむいた顔をあげさせた。
「姉ちゃん、いい女だな」と言い顔を近づけようとすると、年かさの女が、
「あんた、やめなさい」と叫んだ。
あがった女の顔をみて驚愕したのは与吉であった。
「あっ」と声が洩れそうな口をあわてて手でおさえた。
そして五郎を見て必死に、目で訴えた。
五郎も、その娘が与吉の知り合いであろうことを察した。
与吉の家の近くに住んでいた幼馴染の姉のお峰であった。与吉は三・四歳のころはよく手をひいて遊んでもらっていたのである。
お頭が、
「やめておけ、顔に傷でもついたら値がさがる。
こやつら載せた船が出たら、いやというほど女抱かせてやるから」
それを聞き、女に近づいた男は元の位置に戻った。
お頭が立ち上がり、
「この年増は、売りものにはならんぞ。なぜ連れてきた」
「いえっ、その娘と一緒にいたもんで、つい」
「ふん、女。こっちの脇に寄れ」
と言われ、女は拉致された娘たちから少し離れた。
お頭が刀を抜いた。
「人の一生とは理不尽のものよ。真面目に生きたとしても、必ず幸せになれるわけではないのじゃ」と言い、女の首に刀を突き付けた。
「助けてください、お願いだから」
女の顔が恐怖にゆがんだ。手を合わせて懇願している。
「だから言うておるじゃろ。理不尽なものなのじゃ」と言いながら、
女の首に刀をぶすりと刺した。
「ああ」という声を洩らしながら、女は倒れ伏した。血の匂いが広がった。
娘の一人が失禁した。
お頭が
「おう、こわかったな、こわかったな、かわいそうに。お前、きれいにしてやれ」
「へい」といい一人の男が動いた。
このお頭とよばれた男、商家に生まれたのだが、目の色が右と左で違うため、実の両親からも、「気味が悪い子」という扱いを受け、周りからも目のことで虐げられながら、育ってきた。十三歳で家を飛び出し、転落の一途をたどり、盗み・強姦・殺しとあらゆる悪いことに手を染め、今は人さらい集団の頭となっていたのである。
五郎と与吉は目の前に繰り広げられる光景に戦慄した。
(どうしよう。どうしたらいいのか)と思っていた。
二人とも喉がカラカラになっていた。
五郎は与吉の目見て、奥の間の横にある裏口を指さすと、
与吉が頷いた。
(裏口よ開いてておくれ)
五郎は必死で祈った。
二人はそおーっと歩いた。五郎が裏口に触った。
静かに押すと、開いた。
五郎がまず出た。そして、与吉が、そおーっと出ようとした時、
立てかけてあった板に当たり、板が倒れ「ガタッ」と音がした。
二人は、心臓が凍りつきそうになった。
その音がお堂の男たちに聞こえた。
「誰かいるのか」と男の一人が叫んだ。
するとその時、
「ニャーオ」という声。一匹の猫が裏口の裏で鳴いたのである。
「なんだ猫か」ということで、男たちはまた酒盛りをはじめた。
二人は胸をなでおろし、猫に感謝の視線をおくった。
その8 陶晴賢 茶色と黒の瞳を持つ男(二)
外にでてしずかにお堂から離れ、
木立に入った五郎と与吉、なにやらひそひそ話し合ったが、
「お峰ねえちゃんから目を離しくない」という与吉の一言で、
お堂を与吉が見張り、もし奴らが移動した場合は後をつけることに。
そして、五郎は、家中の侍たちを呼びにいくことが決まった。
五郎が
「もし見つかったらどうする。与吉」
「五郎様、見つかったら全速力であの洞窟に逃げまする。小さい折からあそこで遊んでおったので。横穴、縦穴・・・私が得意にしているのは、五郎様がよく知っておられること」
と与吉はニコリと笑った。
「確かに」と五郎。
「では、できるだけ早く、よろしく、よろしくお願いいたします」
「わかった、与吉。くれぐれも気をつけてな」
と言い五郎は、城に向けて走り出した。
一人残された与吉は、お堂がよく見えるようにと、
お堂の道を挟んだ斜め向かいにある
大きな木の裏に隠れ、お堂をちらちら伺っていた。
(お峰姉ちゃん、必ず助け出すから・・・無事で・・)
と思いながら・・・。
と、突然後ろから
「坊主、なにしている!」と与吉は襟組をつかまれた。
遅れてやってきた一味の男だった。
男は、お堂に向け
「おーい変なガキがいるぞー」と叫んだ。
与吉は躰をくるりと返し、男の手首に死ぬ思いで噛みついた。
「あっ」と男が手を放したので、全力で洞窟に向けて走りだした。
男は手首を抑えながら、与吉を追いかけ、またお堂に呼びかけると
男たちが出てきて、一緒に与吉を追いかけた。
(お峰姉ちゃん助けるどころか。こんなことに情けない。捕まったら殺される。何とか、何とか逃げおおせないと)
と死に物狂いで駆けた。
洞窟が見えた。
(もうすぐだ・・・)
ところが、追手の一人が与吉にあと二間(約三・六メートル)に迫った。
「待て、ガキー!」と鬼の形相で絶叫する。
洞窟のところまで来て、後ろに気づいた与吉が、
(追いつかれる。もうだめだ)
と思ったとき、矢のような速さで追手の男に何かがぶつかった。
「ぎゃー」とその男は、両手で顔を覆った。
なんと、それは先ほどの猫であった。
次々と男たちに襲い掛かった。
「くそー」と男の一人が脇差を抜き一閃すると、
その猫は血を噴きながら地に落ちた。
なおも、立ち上がろうとしたのだが・・・斃れた。
この間に、与吉は洞窟に入ることができた。
一方五郎は、
今までこんなに駆けたことはないというくらい駆けた。
途中何度もこけたが、走り続けた。(何とか早く。早く)
偶然、遠駆(とおがけ)をしている若侍に出会った。
異様な五郎の様子を見て、
「五郎様どうされました」
理由(わけ)を聞き、二人で馬に乗り急ぎ城に戻った。
事情を聞いた陶興房は
「すぐ参るぞ」と、
自ら先頭に立ち二十騎を率いて現場に向かった。
洞窟の中で男たちはてんてこ舞していた。
目がほとんど見えない中、歩いていると、洞窟の上の穴の開いたところから
石を投げられ、砂をかけられ・・・
しかし、やがて男たちも目が慣れてきて、徐々に与吉は追い詰められていった。
(だめだ。もう逃げるところがない。しょうがない)
ということで、縦に狭く横に長細い口になっている。三間(約五・四メートル)ほどの奥行の、大人の体では入ることができない行き止まりの穴に潜んだ。
男たちが懸命にさがす。
(見つからないように)と与吉は祈る。
「このあたりにいるはずなのだが、どこ隠れやがった」
「い、いたぞーーこの奥だ」
「見つけたぞ坊主、手かけやがって」
と男たち。
与吉は、
(もうだめだ・・・)と思った。
「おい、入れねえぞー、狭いや」
「出てこい、このやろう」
「生き埋めにしたら。でも間口が広すぎるか」
「火を焚いて燻(いぶし)殺そう」
「そうだな」
男たちは準備を整え、火を燃やしはじめた。
「ごほん、ごほん」と咳き込む与吉。与吉は父・母のことを思い出していた。
その時、にわかに洞窟の口あたりが騒がしくなった。
二十騎のうち七騎がやって来たのである。
指揮をとるのは家中一の遣い手、佐藤清兵衛。
しばらく前、塚原卜伝との試合で、子ども扱いされ、
上には上がいることを思い知らされ、後、狂ったように修行に打ち込んでいる。
「賊どもよ。お縄につけ。手向かいいたさば容赦なく斬る」と清兵衛。
この言葉が合図となり、闘いが始まったが、陶家中の手練れ集団相手にかなうわけがない。
二人が斬り殺され、二人が捕まった。
お堂の方では、
陶興房率いる十三騎は、お堂から離れたところで馬を降り、
気づかれないように中の様子を確認した上で、
表と裏から一斉に踏み込んだ。
表から踏み込んだ三名がまず人質の前を固め、それ以外が賊に向かった。
先頭に立っていた興房が
「大内家家臣の陶興房である。神妙に縛につけ」
左右の瞳の色の違う賊の首領が、
「ほほう殿様が自ら。余程の阿呆か、物好きか。わしはここで死ぬだろうが、最後におもしろい機会をもらったわ。お殿様と斬り合いができるとわな」
「まいれ」と興房。
「人生は理不尽なものぞ。後悔させてやる!」
「たー」
「やー」
二人が同時に踏み込み、体が交差した。
男が振り向き、
「やっと死ねるわ。やっと」と言いながら、口から血を流して斃れた
あとの二人は召しとられ、若い娘たちは全員無事に助けられた。
五郎は七騎とともに洞窟に向かい、助け出された与吉と手に手をとった。
「五郎様・・・」あとは言葉にならなかった。
すぐに二人もお堂に向かい、
与吉は、お峰の無事を心から喜んだ。
洞窟で捕まった男たちから、猫の話を聞いた一行は、
猫のおかげで与吉が助かったことがわかり、懇ろに葬ってやろうと洞窟に向かった。
洞窟に近づくと、
「みゃーみゃー」という猫の鳴き声が聞こえた。
死んだ猫に二匹のまだ小さな子猫が体をこすりつけ鳴いていた。
死んだ猫は、子猫たちの危機を救うつもりで命をかけて立ち向かっていったのであった。
また、お堂に向かったのも、時々食べ物の残りがあるので、それを探してのことだった。
五郎と与吉は、その子猫を大事に持って帰った。
与吉の母親が大の猫嫌いということもあり、五郎が飼うことになった。
乳歯が生え始めていたので、生後三・四週間というところだろうか。
五郎は二匹に、アキとフユと名付けた。
その二日後、
秋の陽だまりの中、餌を食べたアキとフユが仲良く眠っている。
そこへやってきた一匹の犬。そうマツである。
タキを鳶に連れ去られ寂しそうに過ごしていたのだが。
マツは二匹の猫に鼻を近づけ、クンクン嗅いだ。
その後すぐ離れたのだが、
また戻ってきて横に座り、五郎が見ると・・・優しく二匹をなめていた。
その9 爺との出会い
柴犬の愛犬タキが鳶に連れ去られてから、五郎が始めたことがある。
(今度もし鳶が襲撃してきたらこれで追い払ってやる)と考え、
五郎は近くの河原へ行き、石を投げ始めたのである。
石は、
(これぐらいがしっくりくるな)
ということで卵ぐらいの大きさの石を選んだ。
先ずは向こう岸まで投げる力をつけると五郎は決意し・・・
とにかく暇ができると河原へ行き、これを繰り返した。
時には三時間以上も投げ続けることもあった。
そんな時は、
「ち、痛っ。またかよ」
よく指先から血がふきだしたりもした。
時にくじけそうにもなるが、
五郎の脳裏に浮かぶ。鳶につかまれ逃げようともがいていたタキの姿が、
五郎を励ました。
(何とか向こう岸まで、何とか)
と思いながら、日々を重ねていった。
これは後の話になるが・・・
やがて川の向こう岸まで投げられるようになると、
五郎は、次に林の中で狙った木立にぶつける稽古もはじめた。
(なかなか、あたらねえや)
しかし、じっと的を見つめ集中力を高めていくと、的が大きくなっていくように感じ、
徐々に当たる確率が高まっていった。
しかし、五郎は思った。
(いくらこれで上手くなっても、鳶のように動いているものにぶつける能力は高まらない)
ということで始めたのが、
高く石を投げ、その空中にある石に次の石をぶつけるというものである。
これが難しい。なかなか当たらない。本当にあたらない。
でも五郎はあきらめない。
初めて当たった時は、
「やったーー」
と思わず飛び上がって喜んだ。しかし、また当たらない。
「くそー」と落ち込む。
こういう日々を繰り返していった。
そして、月日を重ね、
いつしか五郎は、なんと、投げた石が空中にある間に三個の石をぶつけることも度々できるようになったのである。
また、密集する木々のほんの少しの隙間をすり抜けて、十五間(約二十七m)くらい向こうの目当ての木に十うち九は当てることができるようになっていたのである。
そのころには、
五郎の右手の人差し指と中指の先はまるで石のように固くなっていた。
五郎は石投げを通して、
(なるほど、そうなのか。てんで違う。うまくなる早さが。そうなら、しっかり心においておかないと。いつも、いつもな)と思うようになった。
そう、それは・・・
事に当たる時には、とにかくびしっと目標(めあて)をもつことがきわめて大事なんだということを学んだのである。
それは、その後の五郎の剣術をはじめとするその他の
武芸などの修練に大いに生かされていった。
さて、話をもとに戻す。
五郎がまだ向こう岸にまで石が投げられなかった頃のこと。
ある雨の日、五郎は朝から頭痛で伏せっていた。
たまたま父が部屋にやってきて、
「五郎、大丈夫か」と声をかけた。
寝ていた五郎は、目をさまし、父の方へ顔をむけ、
「ああ父上、大丈夫にございます」
その時、父興房の表情が一瞬止まった。が、すぐに元に戻り、
「それならよい。ゆっくり休んでおれ」
といい部屋を後にした。
その二か月後のことであった。
父によばれた五郎。
「来たか、入れ」と父の声が聞こえた。
五郎の目に、父ともう一人の男の姿が目に入った。
男は父よりかなり年齢が上に見えた。正坐しているその姿はまるで石像のようであり、
凛としたものがあった。
左目に刀の鍔風の皮の眼帯をしている。
もう一方の右目だが、鋭いわけでもなく優しいわけでもない。
あえて表現するなら、深いというのが適切か。
五郎は、この人の前では嘘をつくことができないなという思いを抱いた。
父が口を開いた
「五郎よ、この御仁が今日からお前の守り役になる。
つまり俺のかわりに父代わりになるということじゃ。
今後は、この御仁の申すことを父の言葉として受け止めよ。よいの。」
「はっ、わかりましてございます。」
「この御仁はわしが若い時から父とも兄とも慕ってきた方じゃ。日本中を回って様々なことを経験されてきておられる。各地の大名のことにも、戦のやりかたなどについても通じておられる。この度はわしが是非にと頭を下げて、お前の守り役をお願いした。しっかりと学べ。」
「はっ」
「きっとお前のためになる。おもしろいこともいろいろ学べるはず」
と言いニヤリと笑った。
五郎は、その男の方を向いて
「五郎と申します。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
と言った。
「わしは後藤治右衛門と申しまする。五郎殿はいずれ、大内家を支える陶家の当主となられるお方。よって、責任(せめ)を重う感じておりまする。こちらこそ、よろしくお願いつかまつる」
と男は答えた。
そして続けた。
「私は歳を重ねておりまする故、爺とお呼びくだされ」
「爺ですか。わかりました。そう呼ばしていただきます。」
陶興房は治右衛門に
「周りのことは一切気にかけず、とにかく好きにやっていただきたい」
と全面的に五郎のことを託し、家中の者にもその旨きつく申し付けた。
それほどまでに治右衛門のことを頼みとしていたのである。
さてその数日後、
五郎と爺(治右衛門)は実にうすぎたない物乞いの姿で、凍り付くように冷える山口の街路に佇んでいた。
「あ、あちらから参りますのは大和屋の主人でございます」と被り物をしている五郎。
「薬問屋の」と治右衛門。
「そうでございます。しばらく前、山口の屋敷で、菓子などをくださり凛々しい若君だなどとたいそうほめていただきました」
「なるほど」
五郎と爺の横を通った時、
大和屋の主人は二人を一瞥(いちべつ)して、
「ああ嫌だ。この山口の町に、蠅がたかっておるわ。反吐がでる」
と言い、唾をペッと吐きながら去っていった。
五郎は、この前会った時の大和屋の恵比須顔と
今日の別人のような不機嫌な顔の差に、思わず目が点になった。
「五郎殿、こういう姿になれば、またいつもとは違った景色が見えましょう」と爺。
続けて淡々と、
「人は、自分より低いものとかかわった時に、その本性(まこと)が出やすいものにございます」と。
(そういうものか・・・)と五郎は思った。
目の前を歩む人々は、無視したり、嫌な視線を送ったり、悪態ついたり
あるいはやさしい言葉をかけてくれたり、物や金をくれたり、実に様々、人それぞれであった。
例えば、やくざ風の男が通ったとき、
その男が二人に近づいてきた。その眼は錐のように鋭かった。
五郎のすぐそばに来て、その眼が二人を見おろした。
五郎は男の迫力に、何かされるのではと緊張した。
と、男は懐に手をやり、
「寒いのに。かわいそうに。風邪ひくなよ。少ないがとっときな」
と結構な銭をくれ、去っていった。
その10 おゆう(一)
その日の夕暮れ時、
物乞いとなっていた爺と五郎は河原に行き、自分たちでこしらえた小屋にいた。
と、寒風が吹く中、ぼろい扉をたたく音が聞こえ、
「のぞいていい?」という可愛い声がきこえた
その声の主は、八つくらいの娘で、名をおゆうといった。
おゆうも一緒にいるおばばとともに物乞いをしており・・・
河原で顔をあわせているうちに仲良くなったのである。
「あんたら、きっと今日も稼ぎ少なかったんでしょ。ハイ!」
と言いながら、一つの饅頭を二人にくれたのである。
こんな境遇にもかかわらず、キラキラ光るつぶらな瞳が印象的な娘であった。
「いつか生き別れた母ちゃんに会うのが夢なんだ!」
そんなことを五郎に語っていたおゆうであった。
あとで・・・
河原でおゆうのおばばと爺(治右衛門)が顔を合わした時・・・おばばが、
「どんな酔狂でやっているのか・・・それは、あんたらの勝手だが・・・
そのおかげで、饅頭半分食い損ねたわ。
あんたらを心配する・・・優しいおゆうには何も言えなくってな・・・」
爺(治右衛門)は、
「誠に、あいすいません・・・」と素直に認め、
おばばに丁寧に詫びたので・・・この二人も仲良くなっていった。
「あの子は実にかわいそうな子でな・・・」
とおばばは、おゆうについて・・・いつか話してくれたそうな。
その話によると・・・
おゆうの父親というのは金治といい、気性のおとなしい染物職人だったとか。
また見た目は二枚目で、近所の娘たちからはちょいと噂されるほどだった。
しかし、おゆうの婆様にあたる金治の母イネは意地悪く、
それはそれはきつい性根の女で・・・近所でも嫌われものだった。
金治は、そんなイネのいいなりの気の弱い男だった。
イネは嫁にきた、おゆうの母親のお徳とも最初はそう仲悪くなかったそうだが・・・
お徳が近所でいい嫁だと評判があがったのが気に入らず・・・
いびりだしたそうな。
金治はというと、それを止めもせず・・・
お徳もじっと耐えていたのだが・・・。
そこに、
たまたま、イネの知り合いで小金持ちの男の娘フネが
男前の金治を一目みてくびったけとなり・・・
「娘がいてもいいからとにかく金治さんと一緒になりたい」と・・・
また、このフネがいいだしたら聞かない性質(たち)の娘で、
甘い父親は、持参金をたんまりつけるからなんとか・・・という話になり、
イネは渡りに船とばかりに、あれこれ理由をつけて、
お徳を離縁し、家からたたきだした。
「娘はしっかり育てるから、あんたは金輪際合わないように。いいね!」
と鬼のように厳しく言い、さっと引っ越していったそうな。
それでお徳は、おゆうには一切会うことができなくなってしまった。
晴れて一緒になったフネは・・・
金治はもちろんイネやおゆうも大事にし・・・
うまくいっているように見えたのだが・・・・・・
その10 おゆう(二)
ところが婆様のイネが死に・・・妹、弟が生まれてくると・・・
フネは途端におゆうに冷たくなりだした。
ある時・・・フネはおゆうに一緒に神社に行こうって誘い・・・
「本当?」って、
おゆうも・・それは喜んでついていったのだが・・・
秋の夕暮れ時、
参拝の帰り、勾配のきついことで有名な高い石段を下りようとしたとき・・・
「きゃー」
おゆうは後ろから突き飛ばされ・・・転げ落ちたのである。
腕の骨を折っただけで・・・幸い死にはしなかったものの・・・
落ちた先から見えた、石段の上にたつフネの氷のような顔をおゆうは忘れることができない。
フネは金治には
「おゆうちゃん、本当にそそっかしくて・・・」
などと言っていた。
夜具に入ったフネは、
(ちくしょう!死ななかった。憎い・・・私とは違う女と金治さんの間に
・・・憎い・・・あいつさえいなければ・・・きっと・・・きっと)
おゆうは、フネがいないある時、
父親の金治に、あの時フネに突き飛ばされたかも・・・と伝えてみたが、
「そんなことはあるはずがねえ」と相手にされなかった。
しかし、それ以降、金治はそれとなくおゆうを避けるようになっていった。
おゆうは、父親の金治も自分を守ってくれるとは思えず・・・不安にかられ、
夜になると母親のお徳の温かい肌を思い出し、
「母ちゃん、母ちゃん・・・」と泣いていた。
ある晩のこと・・・
おゆうが布団にくるまっていると、何か物音が聞こえた。
耳を澄ましてみると・・・
「ポタッ、ポタッ」
何か水滴が落ちるような・・・
おゆうは薄目をあけて音の方を見てみると・・・
フネが・・・水がしたたりおちる濡れた手拭をもち、
二mくらい向こうに立ち、おゆうを見つめていたのである。
そのフネの目はまるで狐が憑いているようだった。
(どうしよう、殺される!)と全身が総毛立ち恐怖に震えるおゆうだったが・・・
意を決して、
ばっと飛び起き、無言でフネを必死で強く突き飛ばし・・・
部屋を飛び出していったのである。
おゆうは、それきり家に帰らなかった。
おばばは、遠くを見て思い出すかのように、そんな話をし・・・
続けて、
「・・・そして見ず知らずの私と出会い・・・おゆうはこの賑やかな
山口の町で物乞いをしていれば・・・いつか、いつか本当の母ちゃん
に会えるのではないかと思ってるんだよ・・・」
外から、冷たい風がぴゅーっと鳴る音が聞こえてきた。
爺(治右衛門)は、その話を何もいわず、ただじっと聞いていた。
その右目にはうっすら涙が滲んでいた。
その三か月後・・・
再び物乞い姿で山口にあらわれた五郎と爺であったが・・・
河原には、おばばの姿は見えなかった。おゆうはいたが、
何かしらフラフラしているように見えた。
五郎は、
「おゆうちゃん・・・おばばは?」と聞くと、
「先月急に風邪をこじらせて・・・死んじゃった」としくしく泣きだした。
そのおゆうも風邪なのか、相当調子が悪いらしく・・・
顔が真っ赤で・・・「ゴホゴホッ」咳き込んでいた。
五郎が額にさわってみると・・・
「ひ、ひどい・・・熱い!」
おゆうは、高熱をだしていた。
その日の晩、おゆうは倒れ・・・意識を失い・・
「母ちゃん、母ちゃん」
と布団の中で、額に汗をにじませ、うわごとを言っていた。
爺と五郎は・・・急いでおゆうを陶の屋敷の離れに運び・・・医師の竜泉をよんだ。
竜泉はおゆうを丹念に診たが・・・
部屋をでて・・・首を横に振り、
「あと三日もてば・・・」
五郎が、
「何とか、何とかならないのですか!」っと竜泉に詰め寄ったが・・・
再び悲しそうに・・・首を横にふった。
爺と五郎は・・・陶の屋敷の人間の手も借り・・・必死でおゆうの母親お徳の行方を探した。
四方八方手をまわしてみたのだが・・・
一日たっても・・・何の情報(しらせ)も得られず・・・
病床のおゆうは・・・どんどん衰弱し、意識を失い、ぐったりしていた。
二日目に、生き別れた娘を探している人間がいるという情報(しらせ)が入り、
すぐに行ってみたのだが・・・
・・・別人だった。
爺や五郎は、期待してだだけに、がっくりしたのだが・・・
その別人の女が
「あのー私と同じように・・・娘を探しているひとが・・・いつも夕刻になると
古熊神社にお参りに・・・」と。
「えっ」ということで、
すぐにそこへ行くと・・・
いた、いたのである。お徳であった。
お徳は人ずてで、娘が失踪したことを聞いたのだが・・・
その後は、とにかくあっちこっち狂ったように娘を探しまわる日々を重ねていた。
お徳の髪はほつれ・・・頬はげっそり痩せていた。
五郎が
「早く、早く、おゆうちゃん死んじゃうー」と半分泣きながら言い・・・
一行は急ぎ、屋敷に戻った。
部屋に入ると
お徳は
「おゆう!」と言い・・・近寄った。
おゆうは、しずかに眠っていた。竜泉も見守っているだけだった。
お徳が・・・おゆうの手をきつく握り・・・
「ごめんね、ごめんね、おゆう、会いたかったよ」
「おゆう、おゆうーー!」
と叫ぶが・・・・反応がない。それを何度も何度も繰り返した。
と、しばらく後に・・・
お徳が「おゆうーー」と突然大声をだした。
五郎は、どうしたのかと思った。
「おゆうが、今、私の手を、手を、にぎったのよーーー」
と、お徳が言ったとき・・・
おゆうの目がゆっくりと開いた。
そして、
「ああ、かあちゃん、かあちゃん・・・」
とつぶやき、目から涙をぽろりとこぼしたのである。
そして・・・再び静かに目を閉じ・・・おゆうは旅立った。
亡くなったおゆうの懐をあらためると・・・
おゆうが、何が書いたくしゃくしゃの紙が出てきた。
開いてみると、
そこには、汚い文字で・・・
「かあちゃん かあちゃん いま どこに
おゆうはかあちゃんのこと まいにち おもてるよ
かあちゃんも おゆうのこと おもってくれてるよね
かあちゃんにあったらね あったらね いっぱいはなすんだ
いっしょに ごはん たべて おんぶも してほしい
それから
かあちゃん と かあちゃんと いっしょに くっつて
ねるんだ
かあちゃん あいたい
あいたいよ 」
お徳の泣き声が、部屋中にひびいていた。
その11 鬼畜(一)
小間物問屋の泉屋善右衛門は、親たちから見放された捨てられたりした肢体不自由の
子どもたちやの知的障害をもつ子供たちを収容する施設を営んでいた。
その施設の中でのことである。
泉屋善右衛門が、昼時に皆を集めて口を開いた・・・
子どもたちや働いてる人間たちもシーンとしてみな善右衛門をじっと凝視している。
「さて今回少し遠くにはなるがな・・・越前の方の大店(おおだな)の主の方が
是非子供を預かりたいという申し出があってな・・・
誰にしようか、それはそれは悩んだのだが・・・」
みんなが固唾を飲んで見守っている。
「このたびは・・・」
「そう、このたびは・・・」
「みなでいろいろ相談した結果・・・」
「・・・太郎にすることにした」と大声で叫んだ。
「おおー」というどよめきが起こっている。
「おれだ、おれだ!やったー!」と太郎は狂気している。
「いいなー」「いいなー」という声も飛び交っている。
そう、ここの子どもたちにとっては、時々ある、いい家からの
申し出で引き取られていくことが夢なのである。
時折、引き取られた子供が遊びにきたりすることがある。先日も
防府の商家に引き取られた駒江が遊びに来ていたのだが・・・・
知的障害の子は当時「福子」ななどと呼ばれたりしており、そういう子が
いると家が栄えるというふうに信じられてもおり、時折あえてそういう子を
引き取るようなこともあった。駒江がそうだった。
駒江は、きれいな服、美味しい食事、温かい風呂・・・そして何よりもいっぱいの
愛情に包まれ大事に育てられていた。
駒江の様子から、それが子どもたちには一目でわかるのである。
(いいなあ。うらやましいなあ)と皆心底思った。
遠隔地に行った子は顔を見せることはないが・・・時々、泉屋の手代などが以後の様子を見に行ったり、時には善右衛門自身が直接行くこともあり・・・いかに幸せに暮らしているか。その見たままを施設の子どもたちに伝えるのである。
確かにこの施設も悪くはない。世話してくれる人も親切だし。皆仲もいい。
しかし、食事もそう豊かなものではないし、施設に少しでも報いるためには
物乞いにも行かなければならない。暑い日も寒い日もあり・・・また、街頭で罵声、
悪態などを浴びることも日常のこと・・・
(あー私もはやくいいおうちへもらわれていきたい)というのは皆の夢であった。
その夜のこと・・・
善右衛門の屋敷の一室でのこと。
泉屋の主(あるじ)の善右衛門と密教僧の道雪と番頭の孫左衛門が語っている。
「太郎は、十四歳になり、体も大きゅうなって各段と飯を食うように・・・
また見栄えもいまいち・・・よって物乞いしてあまり稼げぬ・・・
じゃから、逝ってもらうことにしたのじゃ」
善右衛門が真顔で語ると、
「例によって、薬で・・・」と密教僧の道雪
「そうよ、太郎や、さようなら。いい夢見て苦しまずに逝けるのだから
最高だろうて・・・」善右衛門は酒を口に含ませた。
続けて、
「馬鹿どもが貢ぐ酒の旨さよ・・極楽、極楽ふっふっふ」
「確かに旨い。この明(みん)の酒は甘くて芳醇な香りがいたしますな」
孫左衛門が杯の酒を見つめた。
「道雪殿、この酒は桂花陳酒と言ってな。唐の楊貴妃も好んだ酒だそうな」と善右衛門。
「ほう」
「ところで孫左衛門や、次の仕入れ(人さらい)はどうなっておる。とにかく見栄えのよいのを
選(よ)らんとだめだぜ・・・この商売やり出してからつくづく思うのだが、
人間ってえやつは意識するしないに関わらず、とにかく外見のいいのに魅(ひ)かれる
動物よ」
「わかっておりまする。しかし、ここの子どもの数もかなり増えて、
かなり世間でも知られるようになってきましたが大丈夫ですかね。」
「そりゃ、多けりゃ多いほどもうかるのじゃ。やらいでか。大丈夫かって。
そりゃ大内のバカ殿が『これは奇特なことよ』などと、阿呆なこと申して
たんまり奨励金までくれるのじゃからの。お墨付きもあるのじゃから、大手
を振ってやればいいのよ。笑いが止まらぬわ!」
道雪が
「善右衛門殿は鬼畜ですな」
「鬼畜な!結構結構。儲かるなら鬼畜でも、魔物にでもなるわ」
さて、表向きは小間物問屋の泉屋善右衛門は、子どもをあちこちからさらってきて・・・
体を不具にしたり・・・精神を崩壊させたりして・・・
物乞いをさせてしこたま儲けていたのである。
そこで大きな役割をはたしていたのが、密教僧の道雪であった。
酒、薬と妖術を使い・・こども精神を崩壊させたり、子どもたちを洗脳し
記憶を植え付けたりしていたのである。
さらわれてきて足を切られた子なども、道雪の手にかかれば、生まれた時から不具で
親から河原に捨てられ善右衛門に拾われたのだとかたく信じ込んでいたのである。
だから施設の子どもたちも、施設で働いている人間も皆何も疑わず
健気に生きていたのであった。
また駒江のように本当にいいところを貰われていくこともあったのだが、それは
十に一つの話で、それ以外は躰が成長し、大飯ぐらいになったり、物乞いで稼げなく
なると、貰われていったという名目で闇に葬られていたのである。
その11 鬼畜(二)
口をもぐもぐ動かしながら、
「どうじゃ、うまかろう」と五郎。
「確かに美味しゅうございます」と与吉。
「いやーーまったくでございますな」
といいう又二郎の頬がうれしさで緩んでいる。
百乃介は、ただただうなづくばかり。そして目にはうっすらと涙が。
すると爺が
「もう一皿づつ食べなされ。爺の奢りじゃ!」
皆から
「おー」という歓声があがった。
ぺろっとたいらげた五郎は、みなを茶店に残し離れたところにいる物乞いに近寄った。
「これは、五郎様、またういろうですか」
「いやっ、またってそんなに来てるかな」
「二日前もいらっしゃっておられましたよ」
「そうだったかな」と照れ笑いする五郎。
その物乞いは誠吉といい、年のころは八つくらいで、片足が生まれつきない
とのことであった。
五郎も爺と物乞い生活をたびたびしていたので誠吉とも仲良くなったのである。
性格は明るく、何にでも興味を示す活発な子だった。
茶店では、亭主が、
「陶の若様は、誠にういろうに目がないですな・・・よくおいでくださいまして
こっちは大儲かりでございます」
「あれは・・・悪い病気ですな」
爺と亭主が声をあげて笑っていた
するとそこへ荷車をひいて、誠吉の迎えに庄吉がやってきた。荷車にはすでに
肢体不自由で物乞いをしている子供らが四人ほど乗せていた。
五郎は庄吉とも顔見知りだった。
「五郎様、ぜひ今度うちの方へ遊びに来てください。大内のお殿様
にも、お認めいただき多額の奨励金もいただいて・・・昨年は家屋も
立て替えて綺麗になっておりまする」
「五郎様、ぜひ待ってますよ」と誠吉。
「ああ」と五郎。
その日の夜半のこと・・・
誠吉が厠にいくと・・・あいにくのことに誰かが先に入っていた。
(今日はあったかいし散歩ついでで・・・)
母屋の離れの厠を松葉づえつきながらめざした。
その途中ふと見ると母屋の地面から少し上の部分から灯りがもれていた。
(何だろう?)
ということ見に行くと・・・
その灯りが漏れているところは、小さな四角い穴になっていた。
いつもは板をはめこんであるようで、同じような箇所がそこ以外にも
四箇所あるのだが、それらには全部板がはめてあった。
そこだけ外れて下に落ちていたのである。その穴からのぞくとぼんやり中の様子が見えた。
どうやらそこは地下室のようである。
見ると・・・なにやら僧形の男がぶつぶつつぶやいていた。
男は誰か寝ている人間に話しているようなのだが・・・
男の背中でよく見えない。
(なんだろうな。よく見えねえ。また来よう)
その日、誠吉は板を静かにはめて自分の寝床に戻った。
誠吉は次の晩またでかけた。
今度は違う場所に行き、はめ板をしずかに外した。
その日は部屋の中がよく見えた。
誠吉はびっくりした。
部屋の中央にぐったりとしている女の子の下半身が露わになっている。
意識はなく寝ているように見える。男が四人ほどいる。
三人の男が女の子の体を固定し、そのうちの一人が手拭を女の子の口に
入れている。
そしてもう一人の男が手に持っているのが・・・なんととても大きな斧である。
(嘘だろー)と誠吉は思った。
男はその斧をかつぎあげ・・・そして、次の瞬間
「えい!」
とふりおろした。左脚が飛んだ。血が噴き出している。
薬か何か飲まされているのか・・・女の子はうんともすんともいわない。
男の一人が手早く傷口に焼酎らしきものをふりかけ、もう一人の男が傷口
を縫いにかかっている。
あまりに凄惨な場面を見て、動けなくなっていた誠吉だったが・・・
突然後ろからこん棒で殴られて気を失った。
翌日、沢で誠吉の死体が発見された。
きっと夜ふらふら散歩して、土手で足を滑らして
沢に落ち、水につかり溺死したのだろうと考えられた。
五郎も知り合いだったので、爺と死体を確認しに行ったのである。
そこで五郎は悲しみにくれつつ、合掌していたのだが・・・
(あれっ)と思った。
誠吉は、生前、「おれは生まれつき足がなかったんだ」と話していたのだが・・・
脚をみると・・・五郎にはどうしてもそうは見えなかった。
爺に聞くと・・・「これは生後に事故かなにか・・・とにかく斬られたことは間違いない」とのこと。
その11 鬼畜(三)
数日後、五郎は与吉とともに施設にいた。
庄吉に頼んで連れて来てもらったのである。
善右衛門が
「これはこれは陶の若様、このようなところへ、誠にありがとうございます」
「いや、誠吉とはよく話す仲だったもので・・・どんなところで生活していたのか
少し見てみたかっただけなので・・・邪魔して悪いな」
「いえいえ、若様のようなこれから大内の重臣となられる方に、まことの民の窮状、
とくにこのような境遇の子どもたちの様子を見ていただけることは、こちらこそ
大変ありがたいことだと思っております」
五郎と与吉は、一時間ばかり施設や子供たちの様子を見学して帰っていった。
その晩のことである。
道雪が真顔で言った。
「陶の若殿は・・・心に何か疑念をもってきたことは間違いないですな。
私には見えまする」
「施設でも・・・誠吉の脚のことなど、いろいろ嗅ぎまわっておったそうな」と孫左衛門。
「ガキ一匹といえども・・・早めに手を打ったほうがよいの・・・。
しかし、あの陶のガキはちょっといねえ男前だね。道雪殿、あの年でも心を入れ替える
ことできますかね・・・」
善右衛門が目を光らせた。
「楽ではないですが・・・私の腕ならなんとかなるでしょう」
「あれなら・・・余所(よそ)の地域の同業にも高く売れるわ・・・
最近は刃傷沙汰もなく・・ひまで酒ばかり飲んでる先生方にお願いしましょうか。」
次の日の昼頃
五郎は与吉とともに父の遣いで、街道を歩いていた。
「父上もわざわざ俺を使わなくてもいいのに…面倒だなあ」と五郎。
五郎が与吉をみると・・・表情が引き締まっている。
「五郎様、後ろかやってくる連中ですが・・・先ほどからみるに・・・
つけてきているようです」
「そうなのか・・・与吉、おれはわからなかったぜ」
「はっ。ただ私の見るところ尋常な連中ではございませぬ。」
五郎がさりげなく振り返り、
「確かに。ちらっと見たが・・・俺等のかなう相手じゃなさそうだ。与吉
おまえ道を横にそれろ!」
「五郎様!」
「殺すつもりなら・・・もうすでに殺しているだろ。」
「なんとか加勢を呼んできてきてもらいたい。まだ奴らは俺たちが気づいてると思ってねえ。
すっと自然に横道にそれて・・・たのむぜ与吉」
「五郎様・・・わかりました」
与吉は人通りがあるところで、街道を脇道に逸れていった。
与吉は巧妙に隠れて、五郎を追っかけてる奴らの面(めん)をつぶさに頭に入れようと凝視した。
その中の一人が・・・善右衛門の施設を訪ねた時に・・・
施設から少し離れたところで犬と戯れていた奴だと・・・はたと気づいた。
与吉は急いで戻った。
とにかく陶の屋敷へと急いでいる途中に爺と出会った。
爺に仔細を話し、そして
「これはあくまで私の勘なのですが・・・
五郎様は施設に連れ込まれているのでは・・・」
「あい、わかった。すぐに興房殿へ、わしは一足先へ」と。
五郎は人気のないところで、
(案の定来やがった)と思った。
五郎はそれとなく、草鞋をなおすふりをしなが、石を拾っていた。
敵が足早に近づいてきた。
と、五郎はぱっと振りかえり、
立て続けに三人石をぶつけたのだが、
目の前に痩せた背の高い侍が出てきて、ニヤッと笑ったところまでの記憶しかなかった。
峰打ちをくらい気絶させられていたのである。
地下室で五郎は縄でしばられていた。
善右衛門が、
「若様は、実にいい御顔されていらっしゃる。その顔が今から歪むのが楽しみですな。
いやそれとも戦国武将の子ゆえに、これくらいは耐えられるのでしょうかな。」
「こうやって誠吉の脚も切ったのか」
「そうでございますとも」
「てめえら鬼か」
「なんとでも。そのうち罵る元気もなくなるじゃろう。泣き叫ぶやも。が、ここは地下室でも特別の部屋。音は一切外部に漏れぬ。ふっふっ。じゃあ、おやり」
「へい」男の一人が斧を振り上げた。三人は五郎の体をおさえている。
(あー)と思い、
五郎は目を閉じた。
まさにその時である。
目に止まらぬ速さで何かが通り抜け、一筋の光芒が走った。
斧とそれを持っていた男の上腕がどさりと地面におちた。
男は何が起こったのがわからず、自分の斬られた腕の切り口を見てから
「ギャー」と悲鳴をあげた。
善右衛門と三人の男も扉の方へ動いた。
「爺」と五郎が叫んだ。
五郎の方を見て、爺がにやりと微笑んだ。
善右衛門は部屋を飛び出し、
「先生方」と必死に呼んだ。
六人の侍が出てきた。そのうち四人が前へ出てきた。
「こんな爺(じじい)の一人や二人。行くぜ」
爺は五郎の上で刀をパパッと振ると五郎の縄が切れた。
「五郎殿、よく見ておきなされ」というや否や、
爺はその四人の間にするりと割って入ったのだが、
五郎にはまるで、そこで爺が舞っているように見えた。
すると、四人が次々に斃れたのである。
「ほほう、爺相当やるの」
と小太りの背の低い奴が前へ出てきた。
その男が、
「たあ」と袈裟懸けに斬りこんできたのだが、
その時、爺は、なんと空中でその男の頭の上を越えていた。
爺が地面に着いた時には男の頭が斬り割られていた。
その時、急にまわりがあわただしくなった。
陶興房の一隊が到着したのである。興房は手勢の半分を街道へ、そしてもう半分をこの施設に向かわせたのであった。
痩せた背の高い侍が、
「爺さん、強(つ)ええな。滅多にみねえ。世の中広いぜ。ばたばたしてきたが、爺さん、折角だ、やろうぜ」
爺とその男が向かい合い、お互いに構えた。動かない。十秒くらいたったか。とても長く感じられた。
と、二人が同時に猛然と前へ。
「たー!」
「やー!」
刀と刀がぶつかる音が四回。
爺の体がくるりと一回転すると・・・
「やっぱ強ええや」
とつぶやく侍の首から血がぴゃっと噴き出した。
そして、泉屋善右衛門の一味は、全員お縄となったのである。
今回のこの事件。
大内義隆は、善右衛門たちを捕まえた陶興房に「仕置きはすべて任す」とした。
興房の前に引き出された泉屋善右衛門。不敵な面構えをしている。
善右衛門は、
「どうせ死罪になるのだろうから、言わしてもらうが、
俺のやってることが人の倫(みち)から外れてるとかなんとか、ごたく並べて裁こうって寸法だろうが、ふっ。それは綺麗ごとよ。
この戦国の世のどこに人の倫があるってんだよ。
おたくらも戦場においてやってることは獣そのものじゃねえのか。」
勝ち誇ったような顔をして、善右衛門は興房に言葉をぶつけた。
にこっと興房が笑った。
「獣だと。まさにその通りよ。
この戦国の世は獣にならんと生き抜いていけんわ。
ゆえに、獣らしくおのれらを裁くまでよ」
続けて
「善右衛門の手足の指をゆっくり一本づつ切れ。
次には両手・両足よ。気を失いそうになれば、
槍で刺すなり、熱湯かぶせるなり、とにかく楽に死なせるな。よいか。
おおっ、一人では寂しかろうから、ほれ、道雪とやらもいっしょにな」
「そ、そんな」
それまでの態度とうってかわって善右衛門が青くなった。
「善右衛門よ。われら互いに鬼畜よ。
いずれ地獄で会おうぜ。ひったてい。」
興房は、事件の全貌を知っておったものは全員死罪、何も知らずに働いていたものはお構いなしとした。
そして、大内の庶族として、
興房は、ろくに調べもせずに善右衛門に奨励金を出していた君主大内義隆にチクリと諫言した。
五郎はといえば、
爺のすごさと己のふがいなさを痛感し、剣術の稽古に没頭していた。
その12 山の中にて
春になり温かくなってはきたが、山の夜はまだまだ寒い。
「五郎殿、何も考えず、ただ体中から湯気がたつように息を吐きなされ」
岩の上で坐禅する爺(後藤治右衛門)が言った。
五郎と爺は、一週間ばかり前から、山に入り修行を行っていたのである。夜は坐禅をすることが多い。今日も冷たい大きな平たい石の上で坐禅をしているのである。
空には無数の星が光輝いている。
「体中からですか」
「うむ」
(おお、なんか不思議な。己が、まるで炊きあがったばかりの米のような。いや、とても心地いい)と五郎は感じた。
が、何も考えずというのが五郎には難しい。
五郎の頭の中には・・・
(いなくなった兄のこと、鳶に連れ去られたタキのこと、亀吉の姉お栄のこと、
このところ起こった事件のこと、そして大好きな茶店の「ういろう」のこと)
いろんなことがよぎっていく。
「五郎殿。無念無想じゃ」と爺。
「はっ」
この前日は、
「五郎殿の呼吸(いき)はまだまだ浅い。
お尻から・・・地中の奥深く、深くにとどくような感じで息を吐きなされ」
・・・・と、このように爺は山での修行のたびに、
様々な呼吸(いき)の仕方を五郎に教えたのである。
「五郎殿、呼吸(いき)とは・・・宇宙の気を体内に取り込む・・・
とても大切なものなのじゃ。が、ほとんどの人間は普段ほとんど意識せずに
生きておる。
生まれてから、死ぬるまで・・・・・・・ずっーと人は息しておる。
その仕方次第で大きな違いがでてまいるのじゃよ」
続けて、
「まだ五郎殿には、今は・・・いずれわかる時がまいりましょう」
朝、鳥たちのさえずりで五郎は目が覚めた。
五郎たちは中国山地の奥のほうに分け入っていた。
ここ数日は洞窟の中で寝起きしている。
爺はすでに朝餉にしたくをしていた。
「五郎殿・・・これで米も尽きました。最後の米粒になりまするぞ。
味わってたべなされ」
「…この後は」
「断食をいたしまする」
「・・・爺、川で魚とっても、石をつかってウサギやイノシシを射止めることもできるでは・・・」
「そう、この前も五郎殿のおかげで、イノシシの鍋も美味しゅういただきました。
五郎殿の腕ならば、簡単に・・・が、ここからは敢えて食事をとらず断食の修行に
入りまする。水だけで三・四日日過ごしますぞ」
「・・・・」
「戦場では、あたりまえのことでございます。」
爺は、かつて兵糧攻めにあい、次々に兵士たちが餓死していく
惨状を目にした時のことを語った。
「若いころのことですが・・・九州のある大名に厄介になっていた時に、
となりの大名に攻められましたな・・兵糧攻めにあいもうした。
時がたつにつれ・・・飢えた兵士たちは馬や牛、鼠・・・
そしてミミズなどの虫、壁土のなかの藁なども口にいれ・・・
挙句の果てには、死んだ仲間の肉にまで・・・それはひどいものじゃった」
五郎はその光景を想像し恐ろしくなった。
「場合によっては、そういった兵たちを率いていくのが五郎殿の運命(さだめ)。
少々の断食で音を上げているようでは、その務めははたせませぬ」
「・・・爺・・・戦(いくさ)というものは・・・地獄じゃな」
「その通りで・・・」
五郎たちは断食の行も終え・・・・その日の昼過ぎ久しぶりに食事を行った。
イワナの焼ける匂い・・・汁から立ち上る湯気が・・・
(ああ、うまそう)
五郎の食欲を刺激する。
「五郎殿、胃が驚きまする。ゆっくり食べなされ」
「爺・・・今日の飯は格別にうまいな」
「五郎殿の仕留めたウサギの入った汁にイワナの塩焼き・・・確かに
美味しゅうございます。人というものは腹が満たされただけで・・・
幸せな気分になりますな」
飯の後・・・
「今日は川の水で体を拭くのではなく、温泉に・・・・
この山の奥には温泉がございます。また、その脇にぼろ小屋があるので、
今日はそこで眠りましょう」
山道を登っていくと、今まで目を遮ってきた木立が消え、
ぱっと視界の広がりを感じた。
切り立った崖の上につくられた道に出たのである。
五郎は、その道に立ち
眼下に広がる光景に目を奪われた。
吹いてくる風が少し冷たい。
「爺、自然というものは、なんとでかいものなのだろう・・・
人なんていうのは・・・本当(ほんとう)蚤(のみ)のようなちっぽけなものだな」
「まさに。ただ・・・」
「ただ?」
「ただ・・・そのちっぽけな人間だけが・・・
そう人間だけが、この途方もない自然をも心のうちにおさめることができまする」
爺の言っている言葉の意味が、五郎にはよくわからなかった。
その崖の道を先に進み、小一時間ほどあるいて温泉についた。直径が約五メートル
ほどの円形の自然の温泉である。その向こうに小さな小屋がみえる。
陽もとっぷりと暮れ、小屋にいた二人は温泉に浸かりに来た。
入ってみると、すこしぬるいくらいの温度である。
「この温泉は、体によく効きまする。仲間がひどい刀傷・矢傷を受けたことがありましたが、ここでしばらく過ごすうちに、みるみるよくなっていきましたぞ」
爺と五郎は、湯に浸かりながら・・・様々なことを語り合った。
五郎が唐突に聞いた。
「爺は全国を巡り歩いたというが・・・今まで会うた人間の中で・・・
この人物は傑出していると思ったのは、一体だれ?」
爺は、少し首を傾けて考え、
「そうですな。一人は北条早雲殿。もう亡くなられましたが・・・何もないところから・・・伊豆・相模を・・それも六十歳を過ぎてから。あの燃えるような気力・・・尋常ではなかったですな」
爺ははるか昔を思い出すようにしながら語った。
「今一人は、我らが対峙しております尼子経久殿。不思議な方でございます。普段は無欲恬淡な明るいご気性の方ですが、一たび・・・こうと決めた時のあの方は・・まさに虎蛇のような恐ろしさで・・・その眼をみただけで身のすくむ思いをいたしましたのは忘れられません」
五郎が、
「まだ、おられるかの?」
「そうですな・・・もう一人と言えば…
そう・・我らと連携している・・・安芸の毛利元就殿ですかな」
「爺・・・毛利って我ら大内方の?」
「そうでございます」
「あまり大きな力を持っているようには聞かぬが・・・」
「確かに。ただ、人物は相当なもので・・・
さあ・・・筋金入りの野良猫とでも申しましょうか。油断も隙もございません。
我らの側にいて・・本当に良かった。
五郎殿のお父上に聞かれたらよろしい。よくご存じですから」
「ふーん」
と、そのとき温泉の上に張り出していた木々の枝が突然ばさばさっと揺れ、
何かが落ちてきた。ばしゃんという大きな湯の音が・・・
「ウキキキーッ」
木の上にいた猿が、湯に落ち、あわてて逃げていったのである
五郎は驚いて目が点になっていた。・・・爺をみると・・
「さて、猿も湯に入りにきて、先客がいて驚いたのでしょう」
と笑っていた。
遠くで猿のなきごえが聞こえた。
天空の月が、しずかになった湯のうえに映っていた。
その13 元就
山から城に戻った五郎であるが、
ある晩、父の興房と話す機会があったので、爺がなかなかの人物だと言っていた
毛利元就について五郎は思いきって聞いてみた。
興房は、
「元就か」とつぶやき、虚空を見上げた。
その興房の膝の上で、洞窟の前で拾った猫アキとフユが気持ちよさそうに眠っていた。
「まだお前が小さかった時のことよ。おれは、大内義興様とともに安芸に攻めいっての。
ちょうどその時は二手に分かれて、おれは武田氏の銀山城攻めをしておった。この戦いは大内義隆様(大内義興の息子)の初陣でもあったので、絶対に負けるわけにはいかなんだ」
「我々は一万五千、城に立てこもる武田勢は三千。だが城の守りは固くての。なかなか落とせなんだ。そこへ尼子がよこした援軍が五千ほどやってきたのじゃ。その援軍とわが軍がぶつかったが、わが軍のかなり優勢な状況での。この戦(いくさ)は、こっちの勝ちになるだろうと思っておった。」
「が、油断は禁物と、夜襲にもそなえて、見張りやら物見やらも夜中の間じゅう、二人一組にして陣のまわり八方に放っておった。もちろん前方だけでなく後方にもな。もし、そやつらが交替の時間に戻らないようなことがあれば、すぐに連絡するよう、きつく申しつけておった。」
「あの夜は、夜中に雨がふりしきっておったが・・・
突然、陣の後方から鬨(とき)の声が起こり、敵が襲い掛かってきた。
おれは背中からどっと汗が出たわ。
あれだけ警戒しておったのに、信じれなんだ。
と、驚いているとすぐに、わが陣の中で何か所からの一斉に火の手が上がった。
兵たちが混乱する中、今度は前方から鬨の声。もう何がなんだかわからない状況に陥っての。
で、奴らが殺到したのが、なんと大将の義隆様のおられるところじゃ。
なぜあの場所が・・・
とにかく義隆様をお守りせねばと、その周りを必死で固めての。しばらく壮絶な戦いをくりひろげたが、一時間ぐらいたったところで、敵はさっとまるで消えるように撤退していった。
あの時、義隆様を守る佐藤(清兵衛)の鬼神のような働きがなければ。考えただけでゾッとするわ。
が、この戦いで五百以上の兵が討たれたのよ。すべて、おれの責任じゃ」
興房は、その時の緊迫した様子をありありと語ったのであった。
五郎は固唾を飲んで聞いていた。
「そのときの傷がこれじゃよ」と右肩の二十センチにわたる傷口を五郎に見せた。
傷跡が生々しく盛り上がっていた。
その時、アキが興房の膝から降り、五郎の所へやってきたので、躰をゆっくり撫でてやった。
「で、おれは、すぐに軍を撤退させたわ。
戦全体としては、まだ優勢な状況にあったからの。
義隆様の初陣にけちをつけるわけにはまいらんかった」
「あとで、どう考えても物見や見張りの変事にこちらが気づくことなく、攻撃をしかけるためには。その交替の時間がすべて筒抜けになっているか、物見や見張りを殺し、なりすました奴が戻ってくるか、いずれかしかない。
そやつらが、陣で火の手をあげたのかも、あるいは別の輩(やから)がすでに陣に潜入しておった
のやも。わからぬ・・・。どう考えても、本当わからぬわ」
「何度思い返しても、あんなことが本当にできるのか。
天狗の仕業ではないのか。おれはそんなふうに思えてな。空恐ろしくなった。」
「で、この戦いの指揮をとった奴は誰なのじゃと調べると・・・
それが、毛利元就じゃった。確かに前から油断のならぬやつとは思っておったが。
まさか、ここまでとは。おれに中に奴の名が深く刻まれたわ」
「その後、毛利と尼子に溝ができた時に、おれは大内義興様に猛烈に働きかけて、
了承をもらい、毛利を大内方に引き込んだのよ。
あの恐ろしい力。味方につけたら、こんな頼もしいことはない」
「で、毛利殿と会(お)うた時に、あの折の話をしたら、
『ほんのまぐれにございます。偶然にすぎませぬ。自分でも驚いておるしだいで』
などと真面目な顔してぬかしおったわ。
まあ、そうだわな。たとえ、どんなからくりがあろうと、話すわけないわ。
ふっ、あの穏やかで篤実そうに見える仮面を剥がしてみたら、
鬼がでるか、蛇がでるか見てみたいものよ。」
とかすかに微笑んだ。
「毛利殿は、このアキやフユとは違う。生粋の野良よ。
大国の狭間で、常に生死をかけての決断を当たり前のように繰り返しての。
きっと、子どもの頃から、腸がねじれるような思いをして生きてきたのだろうて・・・」
と話した時、フユが、
「ふわあー」と大きな欠伸をした。
「フユよ、こんな話は退屈じゃな」と興房は笑った。
「五郎よ。一度会うてみるがよい。自分の目で確かめてみい。
後藤殿(爺)も毛利殿とは知り会いじゃから、一緒に
安芸の吉田(毛利元就がいるところ)の方を訪ねて見よ。
おれの方から毛利殿には手紙を出しておくわ」
「はっ」
興房の話をきいた晩、五郎は寝床で夢を見た。
顔の見えない毛利元就がいたのだが・・・・
それが、いつしか子どもの頃に見た、夜叉のような野良猫に変わり、
鋭く五郎を睨みつけ、その顔がどんどん大きくなっていき・・・
その恐ろしい姿に、(絶対目は逸らすまい)と必死でがんばっていたのだが、
すさまじい恐怖の中で、五郎ははっと目が覚めた。
汗をびっしょりかいていた。
五郎は、
(毛利元就とはいったいどんな人物なのか・・・)
という思いが頭から離れず眠れなくなった。
ちょうど東の方の空が白みかけてきた頃であった。
その14 爺の教え(一)
のどかな春の陽ざしの下、
朝から城の庭で又二郎と剣術の稽古を行っていた。
「五郎様、もうおわりですかな」
「なにをー。まだまだ」
「では、まいられよ」
五郎は又二郎と打ちあいを行っていたのだが・・・
(すげえ、又二郎のやつ、どんどんうまくなってやがる)
と驚くとともにあせりと悔しさを感じた。
五郎も自分なりには相当修錬を積んできたつもりではあったのに・・・。
又二郎は犬に襲われた一件以来・・・
塚原卜伝のようになりたいと思い、家中一の遣い手佐藤清兵衛のもとへも通ったりして、
それこそ火のようになって稽古に取りくんでいたのであった。
その着物の下は・・・全身痣だらけになるほどに。
そこへちょうど五郎の父である陶興房があらわれた。
「おー・・・おもしろいものを使っておるな。それはなんじゃ」
「これは爺がくれたもので・・・
竹を割ったものを束にして牛の革で巻いたものです」
と流れる汗を拭きながら五郎が答えた。
「なるほど、考えたものじゃ・・・これなら、
打ち込みがあたっても、そこまで大きな
ことにはならぬな」
「なんでも爺が卜伝様のところにおられた時に、若い剣術遣いから
こういうものはどうかという話を聞いて・・・おもしろいということで
こっちへ戻ってから作ってみたそうです。
爺は・・・これに『仮刀(かりがたな)』と名付けたと・・・」
「ちょっとわしにも貸してみよ」
興房はその竹の剣を手に取り、
「これはよいわ。・・・ほれ、又二郎よ。相手をしよう。かかってまいれ」
又二郎がにこりとして
「本当ですか・・・ありがとうございます」
二人は約十五分ほど打ちあいを行った。
さすがに幾多の戦場をかけめぐってきた興房。
又二郎は軽くあしらわれ手も足も出ない。
興房に肩、横っ腹、手首など次々打ち込まれるのだが・・・
一瞬痛みに顔をしかめるも、怯むことなく挑んでいくのである。
「おおーー!」と叫びながら激しく、打ち込んでくる又二郎の剣には
激しい気迫がこもっていた。
途中、興房をひやりとさせたものもあり・・・
(ほほう、たいしたものじゃわ)
と興房は内心感心した。
「又二郎。また腕をあげたな!さらに精進を重ねよ」
「はっ」と答える又二郎の瞳は光り輝いていた。
興房はそのまま去っていった。
相手をしてもらえなかった五郎は、
(父からお前はまだまだ・・・・)
と言われた気がして、内心穏やかではなかった。
その昼・・・
五郎は、又二郎、百乃介、与吉らと爺の住む小さな屋敷を訪ねた。
爺は最初、城に住んでおったのだが・・・しばらく後に城から少し離れたところに
屋敷を建ててもらい、そこに住むようになっていた。
また、お兼ねという近所の婆さんが通いで、掃除や炊事を行っていた。
爺は、屋敷の横に畑をひらき野菜を植えたり、薬草や木を植えたりもしていた。
庭で槍の稽古をおこなっていた爺が、
「よう参られた。五郎殿には山の中で時折、兎や猪を食わしてもうたからの・・・
今日は、そのお返しじゃ・・・今日はお兼さんにやすみをやったので・・・
わしが馳走してしんぜよう」
見ると、庭に鍋が炊ける用意がすでにしてあった。
「じゃが、その前に腹を減らすために、少々躰を動かそうぞ」
「その縁側に、ぼろの甲冑が四つほどあるでの・・・みな、それをつけよ」
「甲冑をつけるのですか・・・」と百乃介がきょとんとして言うと、
「そうよ・・・、そう遠くないうちに、みな戦場に行くことになるでの」
そう言いながら、爺は屋敷入っていった。
四人が苦労しながら・・・着けようと悪戦苦闘していると・・・
爺が、あっと言う間に甲冑姿で出てきた。
「早う、つけなされ!つける速さも強さですぞ。で、今日は剣術じゃ。
仮刀をもってこっちに来られよ」
四人が何とか、身に着けおわると・・・
「実際の戦(いくさ)では、槍・薙刀などの長物(ながもの)を使うことが多いが・・・
場合によっては刀で戦わなければいけないことも・・・
まっ、言うより体で覚える方が早い・・どっからでもかかってまいられい。」
その14 爺の教え(二)
又二郎が、
「誰から行きましょうか」
「誰から・・・」
と爺はふっと笑った。
「四人いっぺんで・・・。爺を殺すつもりで参られよ!」
ときつい口調で言った。
「では遠慮なくいかせていただきます」というや否や、又二郎は、
「おおー」と爺の方へ向かった。
又二郎の鋭い剣をよけた爺は、又二郎に強烈な足払いを食わせ倒した上・・・
胸を強く踏みつけた。
「うおーー」と呻く又二郎。
爺は踵を返し、低い姿勢で猛烈な速さで百乃介に激しくぶつかると・・・
百乃介がふっ飛んだ。そのまま動かない。
すぐに、五郎が剣を上段で打ち込むと、それをよけもせず、
五郎の脇の甲冑の隙間に強烈な突きを入れた。
「ううー」と五郎が倒れた。
残った与吉に、
「ほれ、どうなされた・・・かかって参られよ」
「やあーー」と与吉が爺に向かうと・・・
なんと、爺が剣を投げた。
「えっ」と与吉が思っていると・・・爺が飛びついてきて、
そのまま地面を二人はもみ合いながら、ごろごろ転がった。
すると
「うえーー」と与吉が、声にならないような音を出した。
爺の右拳が与吉の喉輪(喉と胸の上部を防護する甲冑の小具足)
の上に炸裂していたのである。
五郎が一人、膝をついているだけで・・・
あとの三人は地面に転がったままである。
百乃介は気を失っていた。
爺は、百乃介に喝を入れ・・・意識を戻した。
「今日は少々手荒くやりましたが・・・これが戦でござる。
戦に手加減はありませぬ。一瞬の隙で、命を落としまする」
爺は首に手を当てて言った。
続けて、
「次またやる時にまで・・・どうすれば、自分の命をつなぐことができるか、
考えてきなされ」
と爺は真剣な表情で語った。
小さな背丈の爺が・・・四人にはとてつもなく大きく見えた。
すると爺は、がらりと表情を変え優しい顔になって、
「ほれ、そこの川で、水浴びしてきなされ・・・美味しいもの
つくって待っておりまするぞ」
四人はよれよれになりながら、川に向かった。
「爺は魔物のようですな・・・」とフラフラの百乃介が言った。
「まさに・・あーあー」という与吉の声が、まだおかしい。
「いつもの剣術と甲冑をつけたときでは・・・・
全然感じが違う。体が思うように動かぬし・・・」と首をひねる又二郎。
五郎が、脇をおさえながら・・・
「爺はすごい・・・でも戦場には爺のような奴もおるだろう」
などといろいろ話ながら・・・川の水を浴びた四人であった。
四人が屋敷の庭にも戻ると、食事の支度がすっかりできあがっておった。
「今日は鴨の味噌鍋と竹筒で炊いた飯ですぞ!」
「おーー」と四人は声をあげた。
「ほれ、ゆっくり食べなされ」と爺にたしなめられながら・・・
五郎たちは、食事をむさぼりついた。
「後藤様(爺の姓)、本当に旨いですーーー!・・・鴨だけでも・・なのに、
・・・椎茸までも」と、もう百乃介は何を言っているのかわからない。
目を見るとうっすらと涙が滲んでいる。
「生きててよかった・・・」と与吉。
「この竹の香りのする飯と・・・・梅干し・・ああ~」と五郎。
鴨を口に入れた又二郎は・・・じっと天を見上げていた。
爺は目を細めて・・・・五郎達を見つめていた。
うららかな陽が静かに照りわたる、午後のことであった。
その15 出立
夜眠っている五郎だったが、時折、その顔が笑い顔になるのである。
夢を見ていたのである。
「五郎様、これを食べられませ」と五郎の目のまえに差し出されたのは、五郎が、好きで好きでたまらない、ういろうであった。
(ああうまそう)
「食べていいのかい」
「もちろんですわ、このまま、私の手から食べてください」
ここで、眠っている五郎の頬がぶるっと揺れた。笑ったのである。
そして、夢の中で、ういろうをさしだしてくれてるのは、
五郎が憧れている切れ長の目元が涼しいお栄であった。
「ええ、五郎様はここのところ顔をみせてくださらない、少し寂しいですわ」
またもや頬が揺れた。
「とにかく、ういろう食べてくださいませ。」
お栄が、少し首をかたむけにっこりほほ笑んだ。
そして、五郎が、「あーん」とういろうをまさに口に入れようとした時、
はっと目が覚めた。
(ああーいいところだったのに)と五郎は、
顔をしかめたが、でもすぐににやけ顔にもどった。
(お栄ちゃん、かわいいなあ)
五郎は、先日又二郎から聞いたのである。
五郎が爺と山に籠もっているときに、又二郎と百乃介が江田浜に行ったのだが、
その際、五郎たちが仲良くしている網元の息子亀吉の姉お栄が、
「五郎様は、どうされていますか」
心配げな顔して、又二郎にたずたということを。
(気にかけてくれてるんだ)
それで嬉しくてたまらない五郎であった。
(よし、今日は江田浜にでかけよう)
と心に決めて、もう一度布団にもぐりこんだ。
朝になり、
五郎は、江田浜に出かけることを告げに、父の興房のところへ行った。
「父上、実は」
興房は、その言葉を遮るように
「ちょうど良いところへまいった。先日毛利殿から手紙が戻ってきての。
喜んで待っておるということであったわ。後藤殿には、伝えてあったのだが、
お前にはすっかり言うの忘れておった」
「はっ、わかりました。喜んでおうかがいしたいと思います」
続けて、
「父上、実は今日は・・」
「おー、五郎それでの、今日昼過ぎに出立せよ」
「今日、今日でございますか」
五郎の目が点になっている。
「そうじゃ。突然で申し訳なかったが、後藤殿が昼にまいる。一緒に飯を食ってからの」
五郎の顔が、曇っているのをみた興房が、
「なんぞ、差しさわりでもあるか」
「いえ、何も。毛利様に会えること実に楽しみでございます」
わざと、張った声で答えた。
「そうか。ではあとでともに飯を食おう」
その昼過ぎのこと、
「では、後藤殿、五郎が面倒かけると思いますが、一つよろしくお願いいたします」
興房が、深々と頭を下げた。
「五郎殿との二人旅、楽しんでまいります」
爺もまた、丁寧に礼をした。
「では父上いってまいります」
五郎の声は、明るくはずんだものであった。
「おお、達者でな」
この時には、五郎の気持ちはすっかり切りかわっており、
爺との初めての長旅を思い、うきうきしていたのである。
母親のお藤は寂し気な表情を浮かべていた。
何も声はかけなかったが、二人の姿が見えなくなるまでずっと立って見送っていた。
お藤の横にいた五郎の愛犬マツが二度吠える声が聞こえた。
うららかな陽が静かに照りわたる、昼過ぎのことであった。
爺が五郎の方へ顔をむけた。
「五郎殿、今日は呼坂宿ぐらいまで行きましょうかの。まずは足ならしじゃ。
あそこでは、知り合いが大きな宿を営んでおっての。何ぞうまいものが食えるかも」
「爺、たのしみじゃ」
五郎は、舌をぺろりと出した。
街道を歩いていると、
向こうから歩いてきた一人の武士がはっとして声を次のようにかけ、
「後藤様、後藤様、御無沙汰しております」
爺のところへやってきた。
身なりもよく、色が白くて人品がよさそうな感じである。にこやかな笑顔で
爺と歓談している。笑顔が爽やかであった。
しばらく後、
「それでは後藤様、また」といい、
丁重にお辞儀をして去っていった。
「五郎殿、今の武士をどうみられるか」
「どう、爺と久しぶりにあって、とても喜んでいるようにみえた」
と五郎は答えた。
「なるほど。しかし爺は、あの男はこんなところでいやな奴に会ったと思っているとかんがえまする」
だまったまま、少し首をひねった五郎であった。
そして、
「でも、爺の方見て、嬉しそうにいっぱい笑っておったではないか」
「確かに。だが五郎殿は、気がつきませんでしたかな。
笑う時に口元と目元が同時に動いていたのを」
「え!」
「人というものは笑う時は、まず口元から動き、次に目が動いていくものです。
じゃが、あの御仁は、どうでしょう。あれは、間違いありません。つくり笑いです。
それに、話している間中、ずっと右足が少し横に向いていましたぞ。
早く逃げたいという心のあらわれです」
爺はかすかにほほ笑み語りかけた。
「そのような」
(さすが爺はすごい)と思い、
五郎は、目をみはった。
「五郎殿はいずれ多くの人間を束ねていくお方。
人を深く見るということを学んでいかなければなりませんぞ」
と爺が神妙な面持になり、重い口調で五郎に語った。
「そうじゃな、いろいろ、これからも教えてくれ」
五郎は真面目な表情で、爺に頭を軽く下げながらいった。
「わかり申した。」
と言ったあと、急に爺の表情が緩み、少し意地悪そうな顔になった。
「五郎殿、実をいうと爺はあの御仁には結構な額の金を貸しておりまする。
うに約束の期限は過ぎておるのに、あやつはまだ返しませぬ」
と珍しく爺が笑い声をあげながらいった。
五郎は目をぱちくりさせ、
「爺、ずるいぞ。後出しではないか。それを知っておれば、わしにもわかったかもしれん」
「はっはっは」また爺が笑った。
楽し気に歩く二人の後方の西の空には、
うつくしい夕焼けが、かざられていた。
その16 厳島神社
五郎と爺は街道を東へ東へ進んでいた。
二人の脚の動きが速い。次々と旅人たちを追い越していく。
「明日は速く歩く修錬をおこないますぞ。五郎殿はついてこられるかの」
「へっちゃらだよ」
「では、明日は地御前から厳島にわたり、夜は廿日市宿に泊りましょう」
「厳島。話に聞く海の鳥居だね」
「そうですな。では明日は七つ(朝四時ごろ)だちいたしまする」
「七つか。あいわかった」
前の晩、二人はこんな話をしていたのである。
速足で歩く五郎であったが、息は少しもみだれていない。それはそうである。
爺と何度も山で修行してきたのである。山道に比べれば、街道の道は実に気楽なものである。
「爺、それにしても昨夜の牡蠣すごかったの」
「ですな」
「火を通さずに食べたのは初めてだった」
「そうですな。牡蠣はいたみがはやいので、火を通すのがふつうのこと」
続けて爺がいった。
「長く生きてまいったが生で食べたのは、四、五回目のような。が、昨夜のは今までで一番でありましたな」
「いやー、もうとにかくあのちゅるっとして、みずみずしいのにはおどろいた。で、なまぐささがなく、潮のかおりが心地よくただようて、たまらんかったな」
五郎が、舌をぺろりとだした。
「五郎殿は食い物の話をするときは、舌がくるくるまわりますな」と爺がほのかに笑っている。
「へへへ。食いしん坊なのかな」
地御前にもうすこしというところで、山道から山林にはいったところで、人影が見えた。
よくみると百姓のようである。なにやら穴を掘っているように見えた。
百姓らは、五郎と爺の存在に気づくと、すっと大きな木の後ろに姿を消した。
「爺、あれは何をしているのであろう」
「五郎殿がおられる周防の若山城や山口などは盤石な大内の支配下にあり、平和でござるが、今は戦国の世、どこもいつだれに襲われるのかわからないのが当たり前でござる」
「戦においては、人もものも取り放題」
「どういうこと」
「人間も、家財も着物も全部うばわれるということです。戦には農閑期の百姓も多くかりだされており、命をかけて戦いに参加する見返りとして、あらゆるものを奪っていくのです。それは大名も認めておること」
「人も」
「そうでござる。つかまった人間は、下男・下女にされたり、売られたり、あるいは殺されたり。女などもそれは悲惨なめに」
「で、あの百姓たちは」
「戦で突然襲われた時など、裸同然で逃げねばなりません。その時のために、衣類や必要な家財を隠しておくのです」
「このあたりも厳島神主家の地位をめぐっての争いがあり、またそこに安芸の武田氏と大内氏がからんできており、争いは絶えませぬ」
地御前に着いたふたりは、厳島神社の外宮といわれる地御前神社をお詣りし、その後船で厳島へ向かった。海上の風が、着ているものを揺らしていた。頭上からふる太陽の光はやさしくここちよいものであった。
「爺は神仏が好きなのじゃな」五郎がいった。
「そうみえますか」
「朝もいつも目を閉じて祈っておるし、このように神社詣も」
「たしかに。が、朝祈っておるのは、神仏ではございませぬ」
「えっ」
「あれは、自己の死をおもうておりまする。若い時分から戦場をかけめぐっておりますが、戦の朝は死をおもわざるをえません。すると、普通に見えていたものがひかってみえまする。
ふしぎなことです。で、いつしか毎朝死をおもうことを習慣にいたしておりました」
「では、爺は神仏は信じていないのか」
「五郎殿はむずかいことを聞きなさる。爺はそう深くは信じてはおりませぬが」
「ふだん神仏を信ぜぬおひとも、身内がのった船が沖でしずんだとき、手をあわすのではないでしょうか。そのような昔からの人のおもいが神仏になっていったのでは。そんなふうに考えておりまする」爺は目をとじてつづけた。
「で、神社詣を行うのは、世のならいにしたがってです。さして障りがない場合、世のならいにしたがう。それでいいのでは」
「厳島に参るのは、帰りでもよかったのですが。多田村(現在の広島県の湯来)の温泉の猪が食べとうて。獣食の後は数十日は神社詣すべきでないいうとうなこともいわれますのでな。先にまいることにしたのです」
こんなことを話しているうちに船が厳島に近づいてきた。
「おーー爺、爺、すごいぞ。ほんに海に鳥居が浮いておるわ」
五郎が、興奮して目をかがやかせながらいった。
「あれは平清盛公がつくられたそうな。高野山で白髪の爺様から、厳島神社をきれいにすれば出世するといわれてな。清盛公は、その爺様を弘法大師様が姿をかえたものとおもうたらしい。で、本当に栄耀栄華をきわめることになり申した。で、」
爺は、そのあとも話をしようとしたが、鳥居の美しい光景に目をうばわれた五郎の耳に入りそうになかったので、やめた。
二人は島につくと神社を参詣し、再び船に乗り廿日市宿に向かった。で、宿に荷をおいて、近くの寺でおこなわれている祭りを見物にでかけた。
歩いていると人だかりができていた。何だろうということで、みてみると、
その中心には上半身はだかの、爺さんがいた。
爺さんは
「はっはっはー」と笑い声をあげながら満面の笑みで
大きな巾着から銭を掴んではまわりにまいているのである。
「ほれ、金じゃー金じゃ」
それを必死で拾い集めるものやら、爺さんの様子を眺めるものやら、たくさんの人間が爺さんのまわりにあつまっていた。
「おい、あれ柳屋の大旦那だぜ。」
「立派な人だったのにな。ありゃ、ひどいわ」
というような声が、五郎と爺の耳にはいってきた。
すると、三人ほど商家の若い手代たちが走ってきて、
「大旦那様」と叫びながら、
二人が左右から爺さんを羽交い絞めにしながら走りさっていった。一人は地面の銭をかきあつめていた。
爺さんの
「はなせー、はなせー」という声があたりに響いていた。
「五郎殿、人というものは脆いものでございます。年老いても、若くても
突然おかしくなるということが、往々にして。たくさんみてまいった」
「爺はだいじょうぶだよ。しっかり者じゃから。」
「爺もわかりませぬぞ。」
一呼吸おいて
「人というものは、本当に脆いものです」とゆっくりいった。
その17 運命(一)
廿日市宿から、五郎と爺は多田野村に向かって歩みをすすめていた。爺は廿日市で編み笠を買い、それをかぶっていた。陽ざしがけっこう厳しくなってきていたからである。
街道をあるく人間は少ない。街道の横にひろがる田んぼでは、農民たちが、田んぼで代掻きの作業を行っていた。田んぼに張られた水の表面が陽に照らされ輝いていた。代掻きとは、田植えの前に、まず田起こしを行い、それが終わった田んぼに水を張って、土をさらに細かく砕き、丁寧に掻き混ぜて、土の表面を平らにする作業のことである。
「爺、このへんの農民は、いや農民だけでなく見る人々みんな刀とか鎌を差しているの」と五郎が口をひらいた。
「五郎殿、これがあたりまえの光景にございます。大内様の支配は盤石のゆえ、武器をもっていない男もおりますが、ふつうは十五くらいになれば『刀指』という成人の祝いをし、以後は帯に脇差を差すようになりまする。いつなんどきにも戦えるように。それがこの戦国の世にございます」
「なるほど」
夕刻になり五郎と爺は多田野村に辿り着いた。
多田野村の温泉は、その昔、傷ついた白鷺が湯浴みしているのを村人が見て発見されたという話が開湯伝説として伝わっている。泉質は放射能泉で、神経痛、関節痛などによく効くという。この時は、まだひなびた温泉であったが、慶長年間には、芸陽唯一の温泉場としておおいに賑わいをみせていくことになる。
宿につき、二人は露天風呂に向かった。風呂には数人の人間がいた。町人風の男が二人湯に浸かっていた。なにやら商売の話を熱心におこなっている。風呂の横で体を洗っている男がいたが、この男に五郎の目は吸い寄せられた。体が並外れて大きい。立てば六尺(約1,82m)はゆうに超えそうである。またその肩幅がたいそう広く、背中にはこぶのように発達した筋肉が張り付いている。体をこするたびにその筋肉がゆれるように動く。
(すげー)と思いながら、五郎は見入っていた。まるで熊のような大きさのこの男と自分が剣術をしたらどうすれば勝機が見いだせるだろう。まともの力でぶつかれば跳ね飛ばされるのは目に見えている。おそらくこれだけ体がおおきければ動きが緩慢だろう。そこをついて素早く俊敏に動き、相手を翻弄するしか手はない。五郎はそんなことを考えていた。その男が、体を洗い終え湯に入ってきた。肩と胸の異様に発達した筋肉が、五郎に大鬼を想像させた。湯に浸かろうとした時、目が爺と五郎の方へむいた。男は軽く会釈をした。爺も会釈を返した。
やがてその男が出て行った後、五郎が
「爺、あのおじさんの体はすごかった。どんな修錬を積めばあすこまでいくのかな」
「想像を絶するような稽古を倦まずたゆまずおこなってきたのでしょう。なまじなことではありませぬ」
「あのような大きな男ともし戦うとしたら、素早く動くしかないと考えたのだが」
五郎は、自分と同じことを爺も考えているだろうと思い、そういった。
「はて、五郎殿が素早くうごいても、あの御仁はそれ以上に速くうごきまする」
爺は、目をつむりながらそう答えた。
五郎はくびをかしげて聞いた。
「えっ、あのような大きな体で」
「大きな体で動きがにぶい人間は往々にしておりまする。が、あの御仁の山のような筋肉は餅のような柔らかさをもっておった。間違いなく強くて速い」
爺は、目を開き確信したようにそういい、
「爺もあの御仁とやって、勝つ自信はございませぬ」
とつづけた。
まるで天狗のように敵を爺が倒すのを見てきた五郎は、それを聞き驚いた。そして、もう一度あの男の体を脳裏に思い描いてみた。
温泉で汗を流した二人は食膳に向かった。
「五郎殿、ここの猪はうまさが格別ですぞ。よく味わってたべなされ」
目の前には、いたどりの味噌和え、筍の木の芽和え、鮎の刺身などが並んでいた。五郎は鮎の刺身をわさびをつけ煎酒に浸して口に運んだ。
「うまい。うーん、まことにうまい」と五郎。
つぎに、とても薄く透き通るように切ってある刺身を食べた。
「これは独特の歯ごたえがあって、これまたうまい。でも何の魚かわからぬぞ」
「それは魚ではなく、こんにゃくでございます」
「こんにゃく。でもこんにゃくの香りがいたさぬ」
「このあたりの水はたいそう澄んでおり、こんにゃく独特の香りがいたしませぬ。まるでフグのような感じがいたしますので、これは山ふぐともよばれておりまする」
「爺はくわしいの」
「爺も食いしん坊でござる。まだまだこれからですぞ。ほれ猪がでてまいりますぞ」
目をにやつかせた爺がそういった。
猪の皮と肉とを焼いたものと猪の肉を土鍋で煮たものが出てきた。
「ぱりぱりして香ばしいの。はじめてじゃこんなのは」
「五郎殿、猪汁も我々が山でつくるのとは一味違いますぞ」
「おお爺、味噌のかおりと出汁のうまみが最高じゃな。それに山椒か。実に味が微妙で深い。またネギが甘さが。とにかくうまいわ」
食膳を前に、爺と五郎は様々なことを語り合い、しばらく後に床についた。
夜中のことであった。突然、宿の中がばたばたしだした。
「お客様方、火事だー、火事です、三軒向こうが火事ですー」
という大きなこえが聞こえた。
つづいて、
「あわてずに大丈夫です。ここはまだまだ大丈夫です。灯りをつけておりますので、それを目印にあわてず外へ避難してくださいませー」
宿の主人の声だった。これを、急がずにゆっくりと何度も繰り返していた。
「五郎殿、外へ参りましょう。火事は恐ろしゅうございます。大したことなければよいのですが」
「わかった、外へ」
二人は身支度を簡単に終えて、外へでた。二・三十人の人間が外へでていた。燃えているのは三軒となりの、平屋の大きな民家だった。両隣の家屋とは五間くらいづつ間が空いていた。
「今日は風がないから、隣を壊す必要はないか」
「あほう。いつでもできるよう準備だけはしておけ」
と村の長のような人物の怒号が飛んでいた。
人々があちこちから水をもってかけていたが、火の勢いは激しさを増していった。
真っ暗な闇のなかに、燃え上がる屋敷だけがぽっかりうかび幻想的な光景であった。
爺はおちついた声で五郎に話しかけた。
「五郎殿、死人がでなければいいのだが」
「確かに」
五郎は目の前の燃え盛る家屋に人がいないことを祈った。
出火した家の人間らしき人々が、家の前に呆然と立ち燃える屋敷を見つめていた。突然、女が、
「おことは。おことはどこに。さっきここにいたじゃない」と絶叫した。
「お姉ちゃんは、スズを追って中へ戻ったの」と幼い妹が答えた
おことは五歳、妹のはつは三歳であった。ちょうど父親は旅に出ておりいなかった。半時ほど前、煙で火事に気づいた母親は、爺様・婆様を急いで起こし、子ども二人の手を携えて、五人で急いで屋敷から出てきたのであった。命だけは全員助かったと、そこでほっとして放心していたのだ。
ところが、なんと上の娘がふたたび家の中に戻ったのであった。猫のスズを追って。スズは子を三匹生んでいた。火事になりスズは、一匹子猫をくわえて外へ出てきた。が、またもや子猫を助けに中に入ったのである。それに気づいた姉のおことがスズと子猫を助けに中に向かったのであった。
「おことー、おことー」と半狂乱になって叫びながら、中へ入ろうとする母親を、
「もう無理だ、もう無理」と村人が口々に叫び、母親の体を羽交い絞めにし、動けないようにしていた。
家屋全体に火がまわり、とても中に入れるような状況ではなかった。
「だれかー、だれか助けて」母親は叫び続けていた。
五郎は、爺が村人が運んできた水をかぶっているのに気が付いた。と思うや否や、爺が
「五郎殿行ってまいる、ここでお待ちを」といい、
燃える民家の中へ飛び込んだ。爺のその後ろ姿を五郎は呆然とながめていた。真っ赤な炎が屋根から大きく吹き上がっていた。
屋敷の中はもうもうと煙がたちこめていた。そして猛烈に熱い。ぱちぱちと木の燃える音が聞こえる。爺が手拭を口に当て低い姿勢で進んでいくと、奥の部屋で娘が倒れているのが見えた。まだそこは燃えていない。娘は煙を吸って倒れたようであった。しかし、そこに行くまでのこちら側の大部屋の天井も屋根を燃えている。今にも、巨大な梁が燃え落ち、いっきに屋根が崩れ落ちそうであった。
爺は、
「まにあわぬかも」
ふっと笑うや否や、猛烈な速さで娘のところへ行った。娘と猫三匹を即座に両脇に抱えた時、大きな音がした。巨大な梁の片側が燃え下に落ちたのである。火の粉が爺の方にも降りかかった。爺の頬をじりじり焼いた。
そして戻ろうと動きはじめたとき、もう片方も燃え盛りながら落ちてきた。
爺が
「ここまでか」とつぶやいた時、
おちかけた梁がなんと止まったのである。なんと下に巨大な古箪笥が差し込まれたのだ。
「さあ」という声。
あの大男のものだった。
爺は、その隙間をくぐった。その刹那、梁の上の天井がいっきに崩れ落ちはじめた。
爺と大男は、転がるように外に飛びでた。爺が振り向くと家屋全体が、轟音をたてながら崩れさったのであった。
母親が、おことのところに来て抱きしめてその名を叫んだ。おことは目をあけた。母親は大声で泣いていた。
猫のスズは、子猫三匹を何度も何度もなめていた。
五郎も爺が心配でひやひゃしていたが、無事もどってきたので安堵した。また、猫という動物の愛情深さに感動していた。アキ・フユの母猫も身を犠牲にしてまでも子猫をまもり、このたびも。
村長と宿の主が、爺と大男のところへやってきて深々と頭を下げた。
「一人も死者をださずにすみました。まことに、ありがとうございました。まことに」
爺が、
「この御仁がいなければ、娘ごも私も助かりませんでした。すべてはこの御仁のおかげです。ほんに心より感謝申し上げる」
「御老人がおられたからこそ、娘さんを救うことができました。私一人では何もできなかった。本当に助かってよかった」と大男はにっこり笑った。
「御老人は、明日もご逗留ですか」
「あと二三日は、ここでのんびりする予定です」
「なら、これも何かの縁。明日の夜は一緒に一杯いかがでしょうか」
「それは、ありがたい。ゆっくり一献傾けましょう」
あたりはまだばたばたしていたが、宿の主人は
「お客様もう安心なので、宿に戻ってゆっくり休んでください。あとは村の者がやりますので」と何度も何度も客の所を頭をさげながらまわっていた。
また、温泉に何本も蝋燭をだしてくれて、入りたい客には入れるようにもしてくれた。爺は、五郎に先に休むようにいい、風呂に浸かりにいった。湯殿につかると、爺はひだりの足首のあたりをさすり、顔をしかめた。その足首は紫色になり太くはれ上がっていた。屋敷から飛び出すときに、足をひねっていたのである。
その17 運命(二)
次の日、爺は五郎にこう伝えた。
「五郎殿、わしは今日は書を読んだり物を書いたりいたすので、五郎殿は山で剣の修行を」
爺はゆうべあのようなことがあったので疲れているだろうと思い、
「わかりましてございます。川のほとりで坐禅と剣の修行をいたしてまいります。夕刻には戻ります」といい、大きな握り飯二つと梅干と味噌を宿の主人に包んでもらい、石ケ谷峡に出向いた。滝のみえる川の中にある巨大なひらたい石の上で五郎は坐禅を行った。山の森閑とした空気、新緑の香り、川のせせらぎが五郎の五感を刺激した。何も考えず、と座っているのだが、頭は様々なことを考えてしまうのであった。
火が燃えている時、爺は命をかけて家に飛び込んだのに、自分は何もできなかった。ただ茫然としていただけだった。あの大きな男も爺同様に行動したのに。自分はなんてつまらないのだろう。泉屋善右衛門の襲われた時も、犬に襲われた時も、爺や又二郎に助けられただけで何もできなかった。こんな自分で陶の家を背負っていけるのだろうか。陶の家をだめにしてしまうのではないか。いつか、爺や父のような強い男になれるのだろうか。と弱気になったり、いや絶対に強い男になる。ならなければいけないという思いがあふれてきたり、五郎の気持は大きく揺れ動いていた。
坐禅のあと、五郎は不安な気持ちを打ち払うように木刀を振り続けた。とにかく振り続けた。すると、五郎は不思議な感覚にとらわれた。木刀を振ること以外、何もないのである。さっきまであった雑念が忽然と消え、その消えたことに意識が向くこともない。どころか、自分自身さえなくなったように感じていたことに後で気が付いた。なのに、周り見えていたのである。自分の目が見ているというのではなく、周りの自然に自分自身も溶け込んでいるかのような、なんともいえない感覚であった。どのくらい時間がたったかも自分ではわからなかった。わかったことといえば、ざわめいていた己の心が、まるで水面のように落ち着いていたことであった。
夜になり、宿の主人が昨日のお礼ということで食事をもてなしてくれた。案内された部屋に行くとすでのあの大きな男がおり、
「昨夜はどうも」といった。
「こちらこそ命をたすけていただき心から感謝つかまつる」
背筋をのばし爺が丁寧に答えた。横で五郎も頭を下げた。その後、お互いの名を名乗った。男の名は田中久三といった。爺と男は酒を飲みながらいろいろよもやま話をした。五郎は食事を終えると、自分たちの部屋のほうへ戻った。爺と久三は、飲みながら話をつづけた。やがて話は男の身の上話にうつった。
男の話はつぎのようなものであった。
男はずっと剣の修行をしながら旅をしているとのことだった。何でも赤ん坊の時に、さる武士に拾われたとのこと。その武士は、妻と死に別れ十四と十六になる子を育てていただのが、二人も三人も同じということでその赤ん坊も育てたのだそうだ。
それは可愛がられて育てられた。その武士にも、そしてその子たちにも。やがて、自分が四つの時にその武士が流行り病で亡くなった。すると代わりのその武士の弟と妻が、三人の子をわが子のように育ててくれたのであった。二人の兄は、仕える大名の家中においてめきめきと頭角をあらわし、体が二人とも大きかったので「二人弁慶」とよばれていた。また、叔父は逆に躰が小さかったが、まるで獣のように俊敏に動き敵を倒したので「今義経」の異名をとっていた。この「二人弁慶」と「今義経」たちが出てくると戦の流れががらっと変わってしまうので、近隣の大名たちからは恐れられていたとのことである。
男が八歳になった時のことである。ある大名と戦になった。男は戦場(いくさば)にいったわけでなないのだが、その時の様子を何人もの人間から聞いたそうである。
戦の初日、兄二人と叔父の大活躍で敵を押しまくったそうだ。二日目にはこちらが側の勝ちで決着がつくように思われていた。次の日、案の定いつものように兄たちや叔父が大暴れして、敵を大崩れさせるだろうと思われた時、一人の小男があらわれた。鎧はつけているが、兜はかぶっていない。手には刀を持っていた。
上の兄が大音声(だいおんじょう)で、
「貴様は馬鹿か、具足武者相手に刀で向かうとは、のけ」というと、
その小男の目がきらっとひかり、
「いざ、尋常に勝負」
「馬鹿につける薬はないわ」といいざま、
槍を猛然と突っ込んだ。小男は前に突き進み、瞬時に槍とよけた。と、兄の左手の親指を刀で落とし、そのまま刀を返し、柄を兄の両目の間に叩き込んだ。その箇所が大きく陥没し、兄は崩れ落ちた。ほんの一瞬のできごとだった。その動きはとても人のものとは思えなかったそうな。
下の兄が
「くそー」といい、その男の前にでた。
「えい、おー。えい、おー」と槍を鋭く繰り出すのだが、小男はそれをヒョイヒョイとかわす。そして、何度目のことか。かわしざまに、刀を捨てそのまま槍をつかんだ。それを強烈に引きながら足元に滑り込み、下の兄の足をかけ倒した。その後組打ちになり数回地面の上を二人は転がった。
ぱっと立ちあがったのは小男だった。転がっているさなか、脇、股、顎の下に鎧通(よろいどおし)を突き刺していたのである。下の兄の体からは、おびただしい血が流れ出していた。
それを見た叔父が血相かえて、その小男に対峙した。
「そちの名は」
「後藤治右衛門」
「見事な腕じゃわ。二人の仇をうつ。いざ勝負」
「今義経殿とお見受けした。望むところよ」
叔父は刀で斬りかかった。叔父の刀さばきの速さは家中随一である。しかし、小男はそれを必死でかわす。小男の手には鎧通しかない。叔父の踏み込みは鋭い。すごい速さで小男も後ずさる。が、小男の足がもつれ、豪快に後ろに倒れ一回転した。そのしゃがんだ姿勢の小男の左首に叔父の刃が振り下ろされた。首をたたき切ったと思われた瞬間、刀の刃が折れ飛んだ。小男は、倒れた時に一瞬で大きな石をつかみ刃を防いだのであった。で、そのまま石を叔父の脳天に叩き込んだ。兜の上からだとはいえ、その衝撃は大きく、叔父の体はふらついた。すかさず小男は、鎧通を叔父の左耳下に突きこんだ。
あっという間に、「二人弁慶」と「今義経」が一人の小男ににより倒されたのである。敵方は、これを境に猛烈に勢いづき、闘いを優勢にすすめた。三人を一挙になくした味方の衝撃は大きく、ついに和睦することとなった。
叔父と可愛がっていた兄の子二人を亡くした叔父の妻は、その後二年で亡くなった。自分を拾ってくれ、愛してくれ、本当の子どもとなんら変わることなく育ててくれた人々はみんないなくなったのである。いくら戦の上でのこととはいえ、その小男のことを激しく怨んだとのこと。聞けばその小男は、正式の家来ではなく、その大名のところにたまたま食客として滞在してたとか。なんでまた、そのような時に。天も怨んだそうな。
殿さまはじめ、まわりの者は、家を継いで立派な武士になれとすすめたが、皆がいなくなってしもうては意味がないと思い、十三歳になった折に旅にでた。幸い多くの財を残してくれておった上、殿さまも多額の銭を餞別としてくれたので金に困るようなことはなかった。生きていても意味はない。ただ生きるのは、その小男を探し出して斬るだけ。そう思い定め生きてきたそうな。
ただそ奴は天狗のように強い。何としても強くならねば。何としても。その思い。その思いだけで。それこそ血のにじむような修錬を何年も何年も続けた。高名な遣い手がいると聞けば、訪ね教えを請うた。ある程度自信がついてからは、あっちこっちの大名に世話になり、戦場をかけめぐってきた。強い相手にも挑んだ。それで死ねばそれまでのこと。何としても強くならねば。ただただその思いだけ。いつかあ奴を斬る。その思いだけで生きてきたのである。
このようなことを語ったあと、久三は杯の酒をゆっくりと飲みほした。
爺が、久三をを見つめ、
「田中殿、いつごろ気がつかれたのかの」
「風呂で会うた時に、もしやとは思いもうした。が、そんなことは今までも数知れずあったこと。また間違いやもしれずとも思うた。部屋に戻り、気になったもので悪いとは思うたが、主には内緒で宿帳を見た」
久三は一息おいて、言葉をつづけた。
「驚きもうした。今まで長年追い続けた仇をやっとみつけたのですから。もう逃すわけにはいかぬ。朝早く訪ねて、果たし合いを申し込むつもりでした。ところが、その夜起こったのがあの火事。叫ぶ母親の声を聞き、家に飛び込んだものの火の海。そこで後藤殿の後ろ姿をみつけた。あの状況で娘を助けにいくのは無謀。というか死ににいくようなもの。あきらめられるだろうとみていると、なんと飛び込まれた。正直驚いた。その後のことは、ご存じのとおり。あの時、箪笥を差し入れたは、心底お二人を救おうと思うて。仇だということも忘れてしもうていた。」
「そうでありましたか。風呂で会うた時に気づかれておられたのですね。憎い仇。何年たっても忘れようはずがないですな。さて、今思いだしましてございます。あの戦ののち、和睦が終わり、その帰る道すがらのこと。一人の少年に厳しく睨みすえられたこと。近くの者が、二人弁慶と今義経の一族の少年ということを教えてくれもうした。あの時の少年が田中殿であったとは」
久三はなんともいえない表情をうかべていた。
「後藤殿が、酷き人間であったならばと思いまする。斬ることになんの斟酌もいらぬ。が、後藤殿は人の命を救うために身を賭して向かわれるような義のお人。火事以来、わたしは悶々と」
「そうでございますか。しかし、それはたまたまのこと。私はろくな人間ではありませぬ」
「また、叔父や兄二人を後藤殿が斬られたのは戦場でのこと。そのことを恨むのは逆恨みで筋が通らぬこと。筋が通らぬ理屈で、義のある人を斬ってよいものか、悩みもうした」
久三は眉間にしわを寄せていた。
「が、やはり捨て子であった私を生かしてくれた四人のことを想うと。たとえ筋が違っても、
酷い男と罵られようと、後藤殿を斬らねばならぬという気持ちが勝(まさ)ってございます。いや、もしかしたら、そのことだけを望みにして生きてきた自分をなくすのが恐ろしいのかもしれませぬ。自分でもよくわかりませぬ。ただ、この果たし合いが理不尽であることは重々承知しておりまする。一度だけ申しまする。一度だけ・・・。
後藤殿、果たし合いに応じていただきたい。」
久三は、ここで一呼吸おいた。
「もし、後藤殿が断られるなら、それで結構でございます。昨夜の火事で、私の仇は死んだと思うことにいたしまする」
爺はもっていた杯をおいた。
二人の沈黙の中、外で鳴いている蛙の声がひときわ大きく部屋に響いていた。
静かな落ち着いた声で、久三の瞳をまっすぐと見据えながら、爺は答えた。
「お引き受けいたしましょう」
その17 運命(三)
部屋に戻った爺は、久三とのやりとりのありのままを五郎に話した。
そして、つづけてこういった。
「さて田中殿の腕は尋常ではござらぬ。間違いござらぬ。場合によっては、ここからは五郎殿一人で旅をしなくてはならないことになるかも」
「どうして、しなくていい立ち合いを爺はするのじゃ。爺は何も悪いことしていない。田中様の逆恨みじゃないか。それに、田中様もそう思っていて、やらなくてもいいっていってるのに。なぜ。なぜ」
話しているうちに興奮し、声が大きくなっていた。五郎は同じようなことを何度も何度もいった。
爺はだまって目を閉じて、耳をかたむけていた。
五郎の言葉がとぎれたとところで、爺は右目をあけて五郎をまっすぐにみた。
「五郎殿のいうとおりかも。が、これが爺の生き方でござる」
静かではあるが、信念に満ちた声できっぱりといいきった。
その声を聞き、爺はもう絶対にあとにひくことはないと思った。出会ってからこれまでの爺との思い出がさまざま頭の中をよぎった。爺を失いたくない。あの体の大きな田中という男に憎しみを感じた。あいつさえいなければこんなことにならなかったのに。五郎は、もう何もいわなかったが、心の中は悶々としていた。
その後、二人は床についた。夜中、五郎は目が覚めた。うっすらとみえたのは、坐っている爺の姿であった。目が慣れてきた。凛とした姿勢で爺は、端坐していた。毎朝、やっているやつである。このまえ爺は神仏に祈るのではなく、死を想っているといっていたが。きっと今もそうなのだろうと五郎は思った。そうすると急に涙がこみあげてきた。
朝起きると爺は書き物をしていた。
「五郎殿。わしが倒れた時のために、興房殿に手紙をしたためておる。その時には、それを
手渡していただきたい」
「はっ」
五郎は、悲しい気持ちになりながらそう返事した。
部屋を出た五郎は、久三のもとへ向かった。
部屋の中で、五郎は厳しい形相で久三をみつめていた。
「田中様、はっきりいいますが、この立ち合いはやめていただきたい。田中様はおかしゅうございます。後藤様(爺)は何も悪いことはいたしておりませぬ。田中様の兄上、叔父上のことは気の毒にございますが、それは戦場(いくさば)でのこと。和睦もなったと。怨むのは筋違いにございます」
刺すように五郎はいった。
「そのとおり」
久三は、顔色一つかえることなくいった。
「まさにそのとおり。しかし、そのことを承知しながら後藤殿は引き受けられた。違いましょうか」
「違いましょうか」
久三は冷たい声でいいはなった。
五郎は、返す言葉がなくなり、情けない気持ちになり部屋を退出した。
五郎が出て行ったのも見届けた久三は、目をつむり下を向いていた。そして、目をあけたかと思うと、今度は高いところを向きじっと何かを考えていた。その表情は苦渋に満ちたものだった。
部屋にもどると爺がいなかった。心配になった五郎は、宿の主に爺の行方を知らないか聞いた。主は、少し離れた野原で剣術の稽古をしていると教えてくれた。そこへ行ってみた。すると爺が真剣を振っていた。五郎はなにか変な感じがした。何かがちがう。ずっと爺から剣のてほどきを受けてきた。いつもと何かがちがう。そうだ。動きのキレがあまいのだ。わざとだろうか。五郎は爺の動きを、くまなく見つめた。そして五郎は、爺が左足をかばいながら動いているのではないかと思った。
爺の稽古が終わり、五郎は爺にちかづいた。そして、左脚を凝視した。左脚の足首からしたが紫色になっており、異常に腫れていた。
「爺、ひどい怪我。こんな状態で立ち合いなどできない。爺、やめてくれ」
「心配してもらい、ありがたく感じる。しかし、もう決めたこと。やめませぬ」
「どうして。満足に動けないのにどうして」
「五郎殿、戦(いくさ)において、今日は調子がよくないから、やめてくれなどということが、ありましょうか」
「戦いとこの度の立ち合いとは、全然ちがうはず」
「他人(ひと)は知りませぬ。
が、爺にとっては同じこと。人はやりたくなくとも、やらなければいけぬ時がある。爺はそう考えまする。もう決めたこと。考えを変えるつもりはありませぬ」
部屋にもどった爺は、
「すぐに戻ります」といって、どこかへいった五郎を待っていた。
そして、戻ってきた五郎に向かい、
「興房殿宛です」といい、手紙を五郎に手渡した。
その時、爺の視線が五郎の懐に向けられた。
「五郎殿、お気持ちはありがたい。が、かえって迷惑なこと。懐のものは、出していただきたい」
「えっ」
五郎は、さっき河原へいっていたのだ。石投げの名手である五郎は、何かの時には、石で爺を助けようと思って、投げやすい石をたくさん拾ってきて懐にしまっていたのである。五郎は懐から石をとりだした。
「五郎殿、田中殿は立派なお人。そして、腕前も前も申したようにすさまじい技量をもっておられる。やると決めた以上、邪魔だてなしで、まっすぐに闘いたい。爺の願いでござる。」
軽く五郎に頭をさげた。
「また、こんな世をずっと生きてきた性か。無性に心おどる己がいることも確か。我ながら呆れておる」
爺はにやりと笑った。
「田中殿か爺か、いずれが勝つか。それはわからぬ。が、五郎殿にはしっかりと見届けていただきたい。どっちにせよ、得るものはあるはず」
その時、宿の主から声がかかった。
「後藤様、火事で助けたおこととその母親がお礼にまいっております」
「ああ、それではそっちへ向かいます」
宿の前に、おこととその母お吉がたっていた。二人は爺に、何度したかわからないくらい繰り返し頭を下げた。
お吉が、
「田中様は、もうすでに今日はおでかけになっておられるとか。また来ようとは思うのですが、すれ違いになるやも。もしお会いになるようなことがあれば、くれぐれもよろしくお伝えくださいませ」というと、横のおことが、
「おじいさん、どうもありがとうございました」とぺこりと頭をさげた。
そして、
「これ、どうぞつまらないものですが」とお吉がなにやらくれたのであった。
おことの腕の中には母猫のスズが抱かれていた。まだ、あちこち毛が焼けた跡が残っていたが元気そうだった。おことが、なでると
「にゃあ、にゃあ」と声をあげた。
部屋にもどり爺がお吉にもらった包みをひらいた。餅が入っていた。
「五郎殿、美味そうな餅ですぞ。いただきましょう」
その餅は、なかに餡がはいっていた。当時ふつう使われていたのは塩餡である。砂糖は当時高級品で簡単には手に入らなかった。甘い餡が当たり前になるのは、もっと後のことである。で、その餅はまたきな粉でくるまれているものだった。
「ほれ、五郎殿たべなされ」
五郎は、これから爺が生きるか死ぬかの闘いに向かう前に餅など食う気がしなかった。
「五郎殿、戦になればいやでも腹にものをいれねばならぬ。さ、ほれっ」
爺が、優しい声で語り掛けた。
五郎が、ゆっくりと餅に手を伸ばした。そして口に入れた。柔らかい餅と塩味でひきだされる小豆のほのかな甘み。それにきな粉の香ばしさがくわわって。なんともいえず美味い。こんな時にでも、食い物が美味いと思ってしまうことが五郎はうらめしかった。
「人が腹に物をいれる。美味い。それがあたり前」
爺は目元をゆるませながらそういった。
「少々のことで胃がものを受けつけぬような人間に、人を束ねることはできませぬ。飯がなくとも泰然と。食えるもがあればいつも美味く食う。これが肝要。
五郎殿、これは軽口でなく本当のこと」
そう話す爺の顔を五郎は泣きそうな思いでみていた。
「さて、五郎殿そろそろいきましょうかの」
爺は、散歩にでもいくように軽い口調でいった。
その17 運命(四)
立ち合いの場所に久三はやくついた。その場所は河原であった。
久三は川面をみつめた。水がゆるやかに流れている。耳を澄ますと、その水の流れる音。心地よくきこえてくる。まるで時間がとまったような感覚を久三は感じていた。
久三は、頭のなかでいろいろ振りかえり考えていた。
いよいよだ。諸国を巡り歩き、もう会えぬかもと思ったことも。しかし、ついに。巡りおうた。亡くなった四人の仇をいよいよ討てる。長かった。
が、後藤殿と一緒にいた五郎殿。必死だったな。昔の自分にも重なって。後藤殿が死んだなら、同じようにわしのことを怨むであろう。
しょうがないではないか。仇を討つ。それだけを。それだけを考えて生きてきたのだ。居所も定めず、仕官もせず、嫁ももらわず生きてきた。時折、子などをあやす母親を見て、羨ましくも思った。仕官の口も数多あった。が、全部断ち切ってきた。
いや、一度だけ。関東のさる大名のところに長逗留したとき。あの時ばかりは、心がぐらっときたがな。
あの父上と笑顔が似ている殿さま。
「久三よ。もうよいではないか。己の人生を生きてみよ。わしのもとで働け。いや、働いてくれ、久三」といわれた時には、それでもよいかと思った。
しかし、その夜、夢で見てしまった。天狗が兄上や叔父上を倒すのを。
それでだめだと思った。別れの時の、殿さまの寂しそうな顔。忘れられない。
そう、あの化け物のような男。人から天狗のような動きをすると聞いていたから。そんな夢を見たんだろう。あ奴を倒すために心血をそそいできた。あの敏捷な叔父でさえやっつけた奴。すごい奴。おそろしい奴。
倒すには、尋常じゃない速さを身につけねば。そのために山の斜面を全速力で駆け下りた。体に速さを馴染ませるために。何度もこけ、傷ついた。木に頭をぶつけ半日気絶していたことも。
水を満杯にした桶の栓を抜き、全速で打ち込み百本、終わるや否や栓を閉じた。最初水はほとんど残らなかったのに、数年経つうち半分以上残るようになった。
そして、いつも天狗のような奴を脳天から一刀のもと、たたき斬る姿を思い描いた。刀身の重みを使い、相手が刀で受けようが、刀ごと相手を二つに割く姿。刀は長く、そして刀身の分厚いやつがいい。しかし、それを使いこなすには。
そう力がいる。そのために、大石や木の幹を切ったものを担ぎ、傾斜のきつい山を数限りなく登った。太い鎖を何重にも首にかけ、四股を踏み続けた。
宿でも寺でも大名の城でも泊った場所では、金など要らぬから薪割りをと申し出た。いつしか右手と左手に斧を握り薪割りができるようになった。そして大力のある男でも簡単には割れぬ薪を、片手で軽々と断つことができるようになっていた。薪割りの薪はいつも天狗だと思い割った。
それにしても、あの五郎殿。おれが、おかしいと。後藤殿のことを思い必死で。おれがおかしいのはわかっている。しかしだ。やらなければいけないのだ。それに後藤殿自身が承知したのではないか。だのに、なぜおれがおかしい。おかしくないだろ。
でも、お前が五郎殿なら。おれが五郎殿なら。やはり、必死でやめさそうとするだろう。ならお前がおかしいのでは。いや、おれはおかしくない。人は立場により、違う考えになってしまうものなのだ。
「ほれ食え、お前の好きな鴨肉じゃ」
叔父上が、鍋の鴨肉をとって口に何度も運んでくれたな。父が死んですぐの頃だったな。
「そうよ。たんと食べて兄様たちのように大きくならんと」
伯母上は、優しかった。いつもよく抱きしめてくれたものじゃ。
「久三はね。うちの子だからね。何も遠慮はいらないからね。うちの子だからね」
そういいながら、抱きしめてくれた。
「久三早う大きゅうなれ、大きくなったら、みっちり仕込んでやるからな」
兄たちはよう遊んでくれた。楽しかった。大好きだった。外では弁慶と恐れられていたが。おれにはいつも温かかった。
それを。それをこわしたのが、あの後藤殿とは。悪鬼羅刹のような男だと思っていた。そう思い描いていた。その悪鬼羅刹のような天狗をたたき斬ることだけを思って生きてきたのに。後藤殿は。後藤殿は、悪鬼羅刹どころか。自分の命を顧みず、人を助けようとする菩薩心にあふれたお方。びっくりしたわ。
しかし、やはり父や叔父上たちのため。斬らねばならぬ。本当にそうか。自分のためではないのか。いや、どうなのだろう。いずれにせよ後藤殿は承知してくれたのではないか。
お前は仇をとるために、厳しい修行をしてきのではないのか。
その通り。名のある剣術家のもとを訪ね、いろいろ伝授してもろうた。かなり、自信がついた時、塚原卜伝様のもとを訪れた。弟子の方々と切磋琢磨する中、誰とやっても負ける気はしなくなった。そこで、おもいきって卜伝様に木刀での打ち合いをお願いした。
「久三よ。腕をあげたそうな。みせてみよ」
卜伝様はそういった。
おれは全力でぶつかった。おれの上段を木刀でうけたなら、たいがい折れるか、手から木刀が飛ぶ。卜伝様でも、そうなるか。必死で木刀を卜伝様にあびせた。が、当たらない。すべてかわされた。そして、卜伝様の木刀が、おれの体いたるどころで寸止めされた。技量の差を思い知った。天と地の差だ。あれだけ。あれだけやってきたのに。衝撃をうけた佇んでいるおれに卜伝様は近づいてきた。
して、おれの耳に入ったのは意外な言葉だった。
「びっくりしたわ。これだけの技量。今まで出会うたのは数人」
卜伝様は決して嘘をいうようなお方ではない。正直おれはうれしかった。
「久三よ、さらに強うなりたいと思うなら、戦場に出てみよ。戦場での経験はさらに己の技量高めるのに役立とう」
その後、言葉にしたがい幾多の戦場で働いた。また、多くの立ち合いも重ねた。誰にも負けなかった。大いに学びにもなった。さらに自信もついた。
振り返ると出会った武者の中で、卜伝様だけが。そう卜伝様だけが別格だったということが改めてわかった。
後藤殿の技量は。どうなのだろう。本当に天狗のように強いのか。しかし、相当お年もめされた。当時の力量は保たれているのか。どうなのだろう。
関係ないではないか。強いか弱いかなんて。お前は仇を討てばよいだけ。それだけ。ただそれだけのことよ。
それにしても。五郎殿。あの必死の形相が何度もおれの頭に浮かぶ。中途半端な気持ちではいかぬ。迷いを絶たねば。絶たねば。
と、突然、
「ちゃぽん」という音。
川の魚が跳躍し、水に落ちた音だった。久三は、これで我にかえった。
「そろそろ、約束の刻限か」
久三はつぶやいた。そして、迷いを断ち切らねばと再び思った。後藤殿が来られたら、もう一度だけ確かめ。それで、やるということなら、頭の中からすべてを取り去り、後藤殿とぶつかることだけに全力をそそぐことを決めた。
その時である。河原の端の山道から、爺と五郎が姿をあらわしたのは。
久三の全身になんともいえぬ感情がひろがった。
いかにも初夏らしく、空は青々と澄みわたっていた。
その17 運命(五)
小鳥のさえずりが聞こえるなか、爺が歩みをとめた。少し先に目をやった。木々の緑がまばゆい。その間から漏れる陽の光の束が、なにやら神々しく感じられた。
しばらく後、爺はまた歩きはじめた。
川原につくと、すでに田中久三はやってきていた。
「五郎殿は、ここで」
「爺っ」と五郎が小さく叫んだ
柔らかな表情を五郎に向けた。
そして五郎の目に、小さな爺の後ろ姿がうつった。
「お待たせ申した」
「後藤殿、来ていただき有りがたく存じる」と久三がいった。
つづけて
「本当によろしいので」
「二言はない」
爺がきっぱりといった。
その言葉に久三の表情は、吹っ切れたようにすがすがしいものになっていた。
「わかり申した」
その時、山道の方から人の気配がした。四・五人の男たちがやってきていた。なかに戸板を運んできているものもいた。爺と久三は、村長(むらおさ)に果たし合いの立会と後始末を頼んでいたのであった。
爺が、村長の方を見た。二人の目があった。爺が軽く頭を下げた。そして、爺が久三をみつめると、久三は頷いた。
五郎は、今からはじまるのだと思うと気が気ではない。顔は青ざめ、目は怯えの色を帯びていた。怪我をおっている身で闘いにのぞむ爺が心配でならなかったのである。
「はじめましょうか」と爺がいった。
「では」と久三。
二人が刀を抜き合った。久三の刀は三尺(約90センチ)をこえる、刀身のあついものであった。それに対し爺の刀は二尺二寸(約67センチ)である。
大きな刀。そして久三の並外れた力。二つの刀がぶつかれば、爺の刀は間違いなく折れる。五郎はそう思った。爺は久三の刀をかわし、久三より速くうごかないと。しかし、爺は久三は、とてつもなく速く動くといっていた。どうなるのか。
向かい合った二人は水と炎のように対照的だった。爺は上段で構え、その表情は仏像がかすかに笑っているようにも見えた。して、そのまま動かない。久三もやはり上段で構えたままじっとしている。が、さきほどのさっぱりした表情とはうって変わってまるで鬼のような形相になっていた。五郎は久三の全身から火がふいているような気がした。
「こりゃ、勝負になるめえ。あんなにこまい爺様すぐやられちまうぞ。かわいそうにな」
と村人がいうと、
「そうかな。あの爺様ただものではない気がする」
村長が、二人を凝視しながら神妙な表情でいった。
先に動いたのは久三だった。
「うおー」
大声で叫んだかと思うと、爺の方へ鋭く踏み込んだ。速い。びっくりするほど速い。そして怒涛のように、刃をふりおろした。
爺も負けないくらい速い。俊敏な動きでよけながら、紙一重でかわしていく。
足は大丈夫なのかと、五郎が考えた時、後退する爺の態勢ががくっとなった。
そこに久三の袈裟懸け。爺が体をうしろにそらす。が、刃は浅く爺の胸を斬った。そして久三は、刀をすりあげた。瞬時に爺は一歩下がり、刃をよけるや否や強烈な突きを久三に食らわせた。
すると久三の巨体が、まるで猫のように後ろに跳んだ。その俊敏さに五郎はおどろいた。爺のいったとおりだ。
「本当だ。村長がいうように、あの爺様もすげえな」
「が、爺様斬られなさったぞ。なんであんな年で斬り合いなど」
「あの侍、爺様の命を火事の時に助けなさったそうな。次の日にゃは二人で楽しそうに酒を飲んでたって聞いたぜ」
「殺し合いするなら、なぜ助けたのかな。訳わからねえや」
と村人たちがいうのを聞き、村長が、
「お二人とも御立派な方。きっとやりとうのうても、やらなきゃならぬ深い事情があるのだろう」
向かい合った二人だが、見ると爺の着物は血に染まっていた
すると久三は、またしても
「うおー」と叫び、猛烈な勢いで爺に向かっていった。爺がおされながら、後退していく。そして、なんとそのまま川の中へ。水しぶきがあがる。久三も川に入り、嵐のように刃を走らせた。
と、後退していた爺が左足を滑らせ、仰向けにこけた。久三が迫る。
爺を見おろした久三が大刀を振りかぶった。
「やあっ」
渾身の力で刃をふりおろした。
「爺-」と五郎が叫んだ。
「ばしゃっ」というおおきな音。
水が大きく撥ねた。何も見えない。
撥ねた水が落ちた。
なんと久三の大刀は、半分に折れていた。川底の石にぶつかったのである。
爺はどこへ。
まるで、海老のようね跳ね、一間(約1,8m)横に移動していたのである。
手に刀はなかった。
この時のことを、自分でも何をどうしたのか覚えていないと、後に爺は語っている。
久三は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに倒れた爺のところへ。
爺が起き上がりかけたけたところに久三が。爺の体を掴むや否や、豪快に投げた。
宙を舞い水面に落ちる爺。体をうまく丸め衝撃を小さくした。水しぶきが大きくあがる。その水しぶきが落ちたときには、脇差をかまえた爺が立っていた。
そこに、久三が脇差をきらめかせ獣のように襲いかかる。二人の刃がぶつかり、火花が飛んだ。両方とも刃が欠けた。その刹那、久三が一閃。爺の頬をかすめ、血がにじみ出た。
久三が再び刃を振りおろした瞬間、爺がなんと横へ跳んだ。そこには大きな岩があり、その岩を蹴って今度は久三の方へ跳んだ。空中に飛んだ爺と久三が交錯する。刃がきらめいた。爺が久三の肩口を越え、川の中に着水した。
久三の肩口から、血が噴き出した。
一瞬二人はにらみ合ったと思うと、両者走り寄った。相手の刃を互いにかいくぐりながら、斬りあう。そして刃どうしがぶつかる。刃がすべる。それが止まった。刃の欠けた部分どうしががっちり噛みあったのである。動かない。背丈六尺を越える久三がものすごい力で上から爺の脇差を抑え込む。爺の腕が震えながら徐々に下がる。ゆっくり下がる。久三の脇差の刃が爺の額にせまる。
「あー爺」と五郎が叫ぶ。
五郎は爺に止められていたにも関わらず、川原の石に手をのばした。
その時だった。
爺は瞬時に半歩下がりながら刀を捨てた。久三は、そのまま前につんのめった。爺の目の前を刃がかすめた。
と、爺は飛び跳ね、その右膝を久三の顎に叩き込んだ。久三の手から脇差が落ちた。
そのまま爺は後ろにまわり、首に両足をかけた。久三と爺が後ろに倒れる。水が大きく撥ねた。
爺が足で首をぐいぐいしめる。久三が水の中でもがく。激しくもがき、肩から上を動かし、爺を引き離そうとするが離れない。
すると爺に首をしめられたまま、立ち上がろうと。片膝になり、そして震えながら渾身の力を振り絞り、二本足で立った。
顔色がみるみる赤紫色に変色していく。苦悶の表情。両手で爺の足をつかみ引き離そうとするが、離れない。
そして、立ったままの久三は、ついにゆっくりと崩れ落ちた。
村人と五郎たちが川の所へやってきた。
血だらけの爺が、
「戸板で田中殿を」といった。久三の顔には赤い斑点がたくさんできていた。
五郎が、涙目になりながら、
「爺っ」というと、
「また旅をつづけることができますな」とにこりとした。
左足をひきずりながら河原へあがってきた爺は、なにやら村長と話していた。
村長が、
「怪我の具合は」というと、
「こんなものは怪我のうちに入りませぬ。気遣いは無用。とにかく田中殿を頼む。しばらくすれば意識も戻るでしょう。また肩の傷は結構ふかい。治療の方を」
「目が覚められたら」爺が言葉をとめた。
「いかがいたしましょう」村長が聞いた。
「さて、田中殿がどうされるのかはわかりませぬ。腹をめさるるかもしれません。それは、しようのないこと。ただ一言だけ。この老いぼれがいつの日は、またお目にかかりたいと申していたとそれだけ伝えていただきたい」
爺と五郎は、村人たちが久三を戸板で運んでいく後を、ゆっくり歩いた。
その夜のこと。
「爺、本当に大丈夫」
「もちろん。昔から怪我は温泉に浸かってなおしてき申した」
爺が温泉に入るというのである。足をまだ引きずっている。
五郎は心配そうに、一緒にやってきた。
爺の体をしげしげとみた。小さくはあるが老人とはおもえぬほど鍛えられた躰である。ただ左足は、五郎が昨日見た時よりもっとどす黒い紫色になっていた。胸の傷は浅いとはいえ、生々しい。頬の傷はそうたいしてことはなかった。この小さな躰でよくあの大きな男と闘ったものだと思った。
しかも、あの足の状態で。
爺の、
「人はやりたくなくとも、やらなければいけぬ時がある。爺はそう考えまする」という言葉が五郎の頭の中によみがえってきた。人が生きるとは、そのようなものか。五郎は深く考えさせられた。そして、この言葉は五郎の心深くに刻みこまれていくことになった。
爺は、左足をかばいながら湯に浸かった。
「五郎殿、気持ちがよいですぞ」といった刹那、
「あっ」顔をしかめた。
「爺」
「胸の傷に湯がしみたでござる」とにこにこと笑った。
体を洗うため湯をあがったところで、五郎が、
「爺、ひとつお願いをしてもいい」
「五郎殿の願い。珍しいですな。なんぞ、うまいものでも食いたいとでもいうものですかな」
真面目な顔で五郎がいった。
「爺の背中、流してもいいかな」
「五郎殿、お願い申す」
月の光の下、爺の背中を流す五郎の目には、うっすらと涙がにじんでいた。
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あなたのご家庭が幸せになると、周囲の方のご家庭も幸せになります。すると社会も幸せになり、国家も幸せになり、やがて全世界の国々も幸せになります。
この世界が日月神示という最高神霊の国常立尊(くにとこたちのみこと)の教えにある
ミロクの世なのですから。
さあ、この物語を読んで下さいね。
日本では奈良時代以降に儒教的価値観が取り入れられ、江戸時代には朱子学が支配的な学問体系となり、家族制度や教育制度に大きな影響を与えた。
日本の伝統的な性別役割の形成にも儒教思想が関与したと指摘されている。
孔子の教えをまとめた『論語』には、人を愛する心である「仁」が最も大切であると記されており、男尊女卑を直接説いたものではないという解釈もある。
また、『礼記』には、女性への服従を強要するだけでなく、夫には妻への配慮や家庭内での強い責任が求められると記されている。
近代以降、西洋的な価値観が東アジアに伝わってから、儒教の女性観は「男尊女卑」や「三従四徳」として批判的に見られることが多くなった。
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