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第三章 やっぱり貴方は私の運命の人
感情がジェットコースター
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思った通り、世界は桔梗紫の話題でいっぱいになっていた。
『あの甘い声の声優は誰?』
『中野奏太って新人声優?』
『声優じゃないじゃん、えーぶい男優じゃん』
『納得。だから声が甘いんだ』
『え、このアニメってそういうシーンあるの? 全国放送して大丈夫?』
『え、え、普通に格好良いんだけど!』
ほらね、やっぱり奏太くんは格好良いんだよ。奏太くんが声優なんかしたら、すぐに人気者になっちゃうんだから。
『奏太くんの出てるアニメ見たよ。本当に声優みたいだった』
私は奏太くんにようやくラインを送ることができた。実に数ヶ月ぶりの連絡だった。
こんなきっかけがないと自分から送れないなんて。ううん、今はそんなこと言ってらんないよ。奏太くん、お仕事の合間にでも見てくれたらいいんだけど。
「え」
『ありがとう。これから毎週出てくるから良かったらまた見てな』
思った以上に早いリアクションに、私の心拍数は急上昇。
「由乃、どうしたの?」
「え?」
「なんか嬉しそう。もしかして彼氏から?」
嬉しそう?
私が?
そっか、私は嬉しいんだ。奏太くんが私のことを思いだしてくれて嬉しいんだ。
「……そうなの! 聞いてよ愛子、彼氏ったらね」
あんなに無気力無表情だった日々から一変して、私はすっかり元通りに戻っていた。ただ奏太くんから返信がきただけなのに、それだけで世界がキラキラと輝いて見えたんだ。
今まで散々、私の陰口を言っていた人達は、私から声を掛けても気まずそうに顔を引き攣らせていた。
だけどそんなの、私は全然大丈夫。今なら愛子にだって優しくできると思うの。
本当に、勇気を出して良かった。
「牧瀬」
放課後、私に声を掛けてきたのはクラスメイトの男子だった。
一年の頃から同じクラスで隣の席の彼は、いつも表情筋が死んでいた。だから私は心の中で密かに『能面男子』と呼んでいる。
彼とは一年の頃に一度だけ喋ったことがある程度で、その時に一度だけ物理的接触があっただけ。以降は今の今まで一度も接触がなかったはずなんだけど。
「……なに?」
「牧瀬って、彼氏できた?」
今更なんの用かと思えば、そんな話がしたくてわざわざ声を掛けてきたのだろうか。
「……そうだけど、それがなに?」
私のことなんてもう興味がないんだとばかり思っていた。だから視線すらぶつからないんだと。それなのにどうして今更。私は貴方の彼女でもなければセフレでもないんだから、必要以上に干渉しないでほしい。
「今、幸せ?」
「は? それ、どういう意味?」
彼はどういうつもりで私に聞いているんだろう。まるで私が本当は幸せじゃないみたいな言い方。本当は辛くて逃げだしたいのに、それができなくて可哀想みたいな言い方。
そんなことないのに。全然そんなことないのに。
奏太くんとのことなんてなんにも知らない癖に、どうしてどうしてどうしてどうしてそんな言い方するの。
「牧瀬、こないだまで廃人みたいだったから。彼氏に依存してるだけならとっとと別れた方がいいんじゃないかと思って」
ちょっと待って。私がこないだまで廃人だったのは認めるよ。
だけど、依存してるだけならとっとと別れた方がいいんじゃないかと思ってって何?
どうして私がそんなこと言われなくちゃいけないの?
私が彼氏の行動にいちいち一喜一憂してるって?
一喜一憂の何がおかしいの?
好きだから誰にも盗られたくないと思うでしょ。好きだから会えなかったら淋しいなって思うでしょ。好きだから返信がくれば嬉しくてにやけると思うでしょ。
そんなの、好きな人ができれば誰だってそうなるよ。私は何処もおかしくなんかない。そうでしょう?
それなのにどうしてそんなこと、今更、貴方が私に聞いてくるの。今まで見向きもしなかった癖にどうして今になって。
「……どう、して……っ」
唇が震える。
本当はどうしてそんな酷いこと言うのって、怒鳴り散らしてやりたいくらい、私は憤りを感じていた。
私が何も言えないでいると、堰を切ったように彼が口を開く。
「誰かを好きになって自分がおかしくなるくらいならそんな関係やめた方がいいよ。彼氏なんてそんな曖昧な関係に牧瀬が振り回されるとか似合わない」
「似合うとか似合わないとかっ意味分かんない……それに、曖昧な関係なんかじゃないし!」
「だっていつか別れるでしょ。それの何処が曖昧じゃないの?」
いつか別れる?
私が奏太くんと?
「家族ですら捨てたり捨てられたりするのにどうして自分は彼氏と別れないと思うの? そんなの変じゃん」
「だ、だからなんで貴方にそんなこと言われなくちゃいけないのっ?」
「彼氏に振り回されてボロボロな牧瀬を見てられないから」
「み、見てられないなら見んな馬鹿!」
「見るよ。ずっと見てる」
普段は能面の癖に、薄っすらと口を開けてにやける彼の表情を見て、私は心底気持ち悪いと思った。
彼に関わっちゃ駄目。
私は踵を返すと、廊下を全力で走った。もしかしたらまだこっちを見ているかもしれないから、後ろを振り返ることはしなかった。
私の頭の中はぐちゃぐちゃで、さっき「先生に呼ばれちゃったからちょっと待ってて」って、愛子に言われたことをすっかり忘れてしまっていた。
『ごめんね、先に帰るね』
愛子にラインを送ると、私は急いで学校から脱出した。
それからというもの、常に彼からの視線を感じるようになり、胃がキリキリと痛むようになった。
幸い、向こうから声を掛けてくることはなかったけど、明らかに視線は感じるわけで。
「由乃、どうしたの? 顔色悪くない?」
「だ、大丈夫だよ。それより次移動だったよね、早く行こぉ」
私は逃げるようにして席を立ち、教科書とノート、筆記用具を抱えて愛子と一緒に教室を出た。流石に後ろからついてきてないとは思うけど、確認するのも怖かったので、敢えて後ろは振り返らない。
ふと、スマホが振動したので見てみると、奏太くんからラインがきてた。
『今日、少し会える?』
それはあまりにも突然の吉報で、正真正銘、デートのお誘いだった。
私は二つ返事で快諾すると、すっかり口元が緩みきっていた。
ご飯を食べに行くのかな。ううん、ちょっとお話するだけかもしれないし、奏太くんはお仕事で忙しいんだからそんなに時間は取れないよね。
時間と待ち合わせ場所が決まり、終始御機嫌な私は彼からの視線なんて、いつの間にか気にならなくなっていた。
学校が終わって一旦家に戻ると、私はすぐに身支度をし始めた。
財布にスマホ、ハンカチとティッシュ。忘れものがないかを念入りにチェックして、髪型が崩れてないか、何度も鏡の前で確認をする。
ピンク色の花柄のワンピースなんて、ださいと思われちゃうかな?
久しぶりのデートに私は心底浮かれているらしい。
待ち合わせ場所に着くと既に奏太くんがいて、一瞬で笑顔になってしまう。
「そ、奏太くん!」
奏太くんは珍しく黒い帽子を被っていた。身バレ防止の為なのだろう。こうしてみると、なんだか芸能人みたい。
「えっと、立ち話もなんだし、移動する?」
「うん。今日は映画でも見ようかな」
「えっ」
「なに?」
「う、ううん! えっと、なんの映画見るの?」
「うん。これとかどう?」
奏太くんが選んだのは、二時間くらいで終わる映画だった。私は今、映画館の一番後ろの席に座って、ポップコーンを摘みながら映画が始まるのを待っている。
まさか映画館にくるとは予想もしていなかったので、棚から牡丹餅な状況に頬がゆるりゆるゆると緩みまくってしまう。
映画が始まってから暫くすると、奏太くんが私の肩に凭れ掛かってきた。帽子を被ったままだから奏太くんの表情までは見えないけど、お仕事で疲れてるんだなって思ったから、無理に起こそうとは思わない。
ゆっくり寝たいなら私の家でも良かったのに、どうしてわざわざ映画館にきたんだろう。
結局、奏太くんはずっと寝ていたみたいで、映画が終わったことを私が伝えると、慌てた様子もなく「ごめん寝てた」と言って席を立った。
奏太くん、映画館に寝にきたみたい。映画が始まる前は浮き足立っていた気持ちも、なんだかしょんぼりしちゃったな。
映画館を出てとくに何を話すわけでもなく歩いていると、待ち合わせ場所に戻ってきたので、やっぱりこのまま帰るのかな……と思い足を止めた瞬間。前方から、知ってる顔が現れてドキッとした。
「牧瀬」
こんな偶然はいらなかったのに、私の前方には何故か彼が立っている。
彼は視線をちらりと奏太くんに向けると、これがお前の彼氏なのかとでも言いたげな視線を私に向けた。
そうだよ彼氏だよだから何も聞かないで。
私は心の中でそう願った。
「……彼氏?」
願い届かず。そりゃそうだ、相手はあの能面だ。見てしまえば最後、口を挟まずにはいられないだろう。
私は何も言えずにいた。奏太くんは私の彼氏だけど、彼にだけは彼氏だってばれたくない。
だけど奏太くんの前で否定したり、友達だよと嘘をつくことも憚られる。
仮に彼氏だと公言したとして、彼が私の個人情報をペラペラと他人に口外するような人だとは流石に私も思ってない。思ってないけど、このご時世、何処からどうばれるかなんて分かったもんじゃない。
早くこのまま黙ってこの場から立ち去ってほしい。
そう願っていると、背後から鋭い声がした。
「あんた誰? 由乃のクラスメイト?」
そ、奏太くんんんん!
そりゃそうだよね気になるよね誰だよこいつって思うよね分かるぅ。
まるで浮気じゃないのに浮気がばれたみたいな、修羅場を迎えた女みたいな気持ちになってくる。心臓の音がドンドン聞こえて、一歩間違えれば過呼吸を引き起こすんじゃないかってくらい、私は緊張していた。
「……まあ、そうですね。今はただのクラスメイトです」
おいやめろ。その言い方だと誤解を招くだろうが。
「今は?」
ほら見ろ奏太くんが食いついた!
今はってことは、昔は何かあったんですかってなるでしょうが。
確かに何かあったけど、あんなのは擦り傷みたいなもので、事故みたいなものだから。そっちが先に蓋を閉めたんだから、今更蓋を開けてこないでよ。
どうすんの、どうすんの。私はこういう時、どうするのが正解?
「ええ、今は。去年ちょっと色々あって。ね、牧瀬」
「ふうん」
振り向かなくたって分かる、奏太くんの不機嫌な声。
爆弾を落とすだけ落として立ち去るなんて最低。奏太くんと二人きりになった途端、心臓が口から出るんじゃないかと思った。
「由乃」
「は、はい!」
「今日はもう帰ろっか」
「え?」
「じゃあね」
「え、あ、ま、待って!」
私の声が聞こえている癖に、一度も振り返らずに去っていく奏太くんの背中を見つめながら、私は彼に対して憎しみを募らせることしかできなかった。
どうしてあんなこと言うの?
こんなことしてタダで済むと思ってんの?
本当に私と奏太くんの関係が壊れたら、どう責任取るつもり?
私は今すぐにでも奏太くんを追い掛けるべきなのに、あいつとは何もないよって弁明するべきなのに、私の足は逆方向に向いていて、憎しみを募らせた相手を全力で追い掛けていた。
「おいてめえふざけんな!」
我ながらとても大きな声が出たと思う。道行く人達が振り返り立ち止まるくらい、汚くて私らしくない強い口調。
私は彼の胸ぐらを掴むと、思いの丈を本気でぶつけていた。
「どうしてあんな言い方した? 誤解されたらどうすんだ? てめえと私は何もなかった。そうだろう!」
「……何もなかったことにしたいだけ、の間違いじゃない?」
「……っ」
「で、彼氏は帰ったの? それで牧瀬は彼氏じゃなくて、僕に文句を言いたくて追い掛けてきたの? ならその行動は間違いだ。牧瀬は僕を追い掛けてくるべきじゃなかった。そんなに彼氏が大事なら、僕じゃなくて彼氏を追い掛けるべきだった。終わったね、牧瀬。これで牧瀬は嫌われた。嘘でもいいから何もなかったと、僕じゃなくて彼氏に言いに行くべきだった」
「煩い煩い煩い煩い煩い!」
「急にウキウキし始めるからおかしいと思ったんだ。もしかして彼氏に会うのかなって。探してみて正解だった」
「探して見つけて望み通りになって、それでてめえは満足かよ。てめえは人の恋路を邪魔するのが趣味なんか!」
「違うよ牧瀬、全然違う。こんなんで僕が満足するわけない。僕はね、牧瀬。あの日以来、僕に近寄ろうともしない牧瀬のことが、可愛くて仕方がないだけなんだ。どうやったら僕を見てくれるんだろうって、どんな感情だっていいから僕に全力で向けてくれたらいいなって、時間を掛けて、じっくりと考えてただけなんだ」
私のことが好きだからどうにかしたいわけじゃなくて、私とまたああいうことがしたいからこんなことをしたわけじゃなくて。
彼はただの変態だ。変態で、目的の為なら手段を選ばない、頭のネジが外れたサイコパス。
彼に関わってはいけないと、頭の中でサイレンが鳴る。
だって彼、笑ってる。あんなに能面だった癖に、こういう時だけ笑ってる。
『あの甘い声の声優は誰?』
『中野奏太って新人声優?』
『声優じゃないじゃん、えーぶい男優じゃん』
『納得。だから声が甘いんだ』
『え、このアニメってそういうシーンあるの? 全国放送して大丈夫?』
『え、え、普通に格好良いんだけど!』
ほらね、やっぱり奏太くんは格好良いんだよ。奏太くんが声優なんかしたら、すぐに人気者になっちゃうんだから。
『奏太くんの出てるアニメ見たよ。本当に声優みたいだった』
私は奏太くんにようやくラインを送ることができた。実に数ヶ月ぶりの連絡だった。
こんなきっかけがないと自分から送れないなんて。ううん、今はそんなこと言ってらんないよ。奏太くん、お仕事の合間にでも見てくれたらいいんだけど。
「え」
『ありがとう。これから毎週出てくるから良かったらまた見てな』
思った以上に早いリアクションに、私の心拍数は急上昇。
「由乃、どうしたの?」
「え?」
「なんか嬉しそう。もしかして彼氏から?」
嬉しそう?
私が?
そっか、私は嬉しいんだ。奏太くんが私のことを思いだしてくれて嬉しいんだ。
「……そうなの! 聞いてよ愛子、彼氏ったらね」
あんなに無気力無表情だった日々から一変して、私はすっかり元通りに戻っていた。ただ奏太くんから返信がきただけなのに、それだけで世界がキラキラと輝いて見えたんだ。
今まで散々、私の陰口を言っていた人達は、私から声を掛けても気まずそうに顔を引き攣らせていた。
だけどそんなの、私は全然大丈夫。今なら愛子にだって優しくできると思うの。
本当に、勇気を出して良かった。
「牧瀬」
放課後、私に声を掛けてきたのはクラスメイトの男子だった。
一年の頃から同じクラスで隣の席の彼は、いつも表情筋が死んでいた。だから私は心の中で密かに『能面男子』と呼んでいる。
彼とは一年の頃に一度だけ喋ったことがある程度で、その時に一度だけ物理的接触があっただけ。以降は今の今まで一度も接触がなかったはずなんだけど。
「……なに?」
「牧瀬って、彼氏できた?」
今更なんの用かと思えば、そんな話がしたくてわざわざ声を掛けてきたのだろうか。
「……そうだけど、それがなに?」
私のことなんてもう興味がないんだとばかり思っていた。だから視線すらぶつからないんだと。それなのにどうして今更。私は貴方の彼女でもなければセフレでもないんだから、必要以上に干渉しないでほしい。
「今、幸せ?」
「は? それ、どういう意味?」
彼はどういうつもりで私に聞いているんだろう。まるで私が本当は幸せじゃないみたいな言い方。本当は辛くて逃げだしたいのに、それができなくて可哀想みたいな言い方。
そんなことないのに。全然そんなことないのに。
奏太くんとのことなんてなんにも知らない癖に、どうしてどうしてどうしてどうしてそんな言い方するの。
「牧瀬、こないだまで廃人みたいだったから。彼氏に依存してるだけならとっとと別れた方がいいんじゃないかと思って」
ちょっと待って。私がこないだまで廃人だったのは認めるよ。
だけど、依存してるだけならとっとと別れた方がいいんじゃないかと思ってって何?
どうして私がそんなこと言われなくちゃいけないの?
私が彼氏の行動にいちいち一喜一憂してるって?
一喜一憂の何がおかしいの?
好きだから誰にも盗られたくないと思うでしょ。好きだから会えなかったら淋しいなって思うでしょ。好きだから返信がくれば嬉しくてにやけると思うでしょ。
そんなの、好きな人ができれば誰だってそうなるよ。私は何処もおかしくなんかない。そうでしょう?
それなのにどうしてそんなこと、今更、貴方が私に聞いてくるの。今まで見向きもしなかった癖にどうして今になって。
「……どう、して……っ」
唇が震える。
本当はどうしてそんな酷いこと言うのって、怒鳴り散らしてやりたいくらい、私は憤りを感じていた。
私が何も言えないでいると、堰を切ったように彼が口を開く。
「誰かを好きになって自分がおかしくなるくらいならそんな関係やめた方がいいよ。彼氏なんてそんな曖昧な関係に牧瀬が振り回されるとか似合わない」
「似合うとか似合わないとかっ意味分かんない……それに、曖昧な関係なんかじゃないし!」
「だっていつか別れるでしょ。それの何処が曖昧じゃないの?」
いつか別れる?
私が奏太くんと?
「家族ですら捨てたり捨てられたりするのにどうして自分は彼氏と別れないと思うの? そんなの変じゃん」
「だ、だからなんで貴方にそんなこと言われなくちゃいけないのっ?」
「彼氏に振り回されてボロボロな牧瀬を見てられないから」
「み、見てられないなら見んな馬鹿!」
「見るよ。ずっと見てる」
普段は能面の癖に、薄っすらと口を開けてにやける彼の表情を見て、私は心底気持ち悪いと思った。
彼に関わっちゃ駄目。
私は踵を返すと、廊下を全力で走った。もしかしたらまだこっちを見ているかもしれないから、後ろを振り返ることはしなかった。
私の頭の中はぐちゃぐちゃで、さっき「先生に呼ばれちゃったからちょっと待ってて」って、愛子に言われたことをすっかり忘れてしまっていた。
『ごめんね、先に帰るね』
愛子にラインを送ると、私は急いで学校から脱出した。
それからというもの、常に彼からの視線を感じるようになり、胃がキリキリと痛むようになった。
幸い、向こうから声を掛けてくることはなかったけど、明らかに視線は感じるわけで。
「由乃、どうしたの? 顔色悪くない?」
「だ、大丈夫だよ。それより次移動だったよね、早く行こぉ」
私は逃げるようにして席を立ち、教科書とノート、筆記用具を抱えて愛子と一緒に教室を出た。流石に後ろからついてきてないとは思うけど、確認するのも怖かったので、敢えて後ろは振り返らない。
ふと、スマホが振動したので見てみると、奏太くんからラインがきてた。
『今日、少し会える?』
それはあまりにも突然の吉報で、正真正銘、デートのお誘いだった。
私は二つ返事で快諾すると、すっかり口元が緩みきっていた。
ご飯を食べに行くのかな。ううん、ちょっとお話するだけかもしれないし、奏太くんはお仕事で忙しいんだからそんなに時間は取れないよね。
時間と待ち合わせ場所が決まり、終始御機嫌な私は彼からの視線なんて、いつの間にか気にならなくなっていた。
学校が終わって一旦家に戻ると、私はすぐに身支度をし始めた。
財布にスマホ、ハンカチとティッシュ。忘れものがないかを念入りにチェックして、髪型が崩れてないか、何度も鏡の前で確認をする。
ピンク色の花柄のワンピースなんて、ださいと思われちゃうかな?
久しぶりのデートに私は心底浮かれているらしい。
待ち合わせ場所に着くと既に奏太くんがいて、一瞬で笑顔になってしまう。
「そ、奏太くん!」
奏太くんは珍しく黒い帽子を被っていた。身バレ防止の為なのだろう。こうしてみると、なんだか芸能人みたい。
「えっと、立ち話もなんだし、移動する?」
「うん。今日は映画でも見ようかな」
「えっ」
「なに?」
「う、ううん! えっと、なんの映画見るの?」
「うん。これとかどう?」
奏太くんが選んだのは、二時間くらいで終わる映画だった。私は今、映画館の一番後ろの席に座って、ポップコーンを摘みながら映画が始まるのを待っている。
まさか映画館にくるとは予想もしていなかったので、棚から牡丹餅な状況に頬がゆるりゆるゆると緩みまくってしまう。
映画が始まってから暫くすると、奏太くんが私の肩に凭れ掛かってきた。帽子を被ったままだから奏太くんの表情までは見えないけど、お仕事で疲れてるんだなって思ったから、無理に起こそうとは思わない。
ゆっくり寝たいなら私の家でも良かったのに、どうしてわざわざ映画館にきたんだろう。
結局、奏太くんはずっと寝ていたみたいで、映画が終わったことを私が伝えると、慌てた様子もなく「ごめん寝てた」と言って席を立った。
奏太くん、映画館に寝にきたみたい。映画が始まる前は浮き足立っていた気持ちも、なんだかしょんぼりしちゃったな。
映画館を出てとくに何を話すわけでもなく歩いていると、待ち合わせ場所に戻ってきたので、やっぱりこのまま帰るのかな……と思い足を止めた瞬間。前方から、知ってる顔が現れてドキッとした。
「牧瀬」
こんな偶然はいらなかったのに、私の前方には何故か彼が立っている。
彼は視線をちらりと奏太くんに向けると、これがお前の彼氏なのかとでも言いたげな視線を私に向けた。
そうだよ彼氏だよだから何も聞かないで。
私は心の中でそう願った。
「……彼氏?」
願い届かず。そりゃそうだ、相手はあの能面だ。見てしまえば最後、口を挟まずにはいられないだろう。
私は何も言えずにいた。奏太くんは私の彼氏だけど、彼にだけは彼氏だってばれたくない。
だけど奏太くんの前で否定したり、友達だよと嘘をつくことも憚られる。
仮に彼氏だと公言したとして、彼が私の個人情報をペラペラと他人に口外するような人だとは流石に私も思ってない。思ってないけど、このご時世、何処からどうばれるかなんて分かったもんじゃない。
早くこのまま黙ってこの場から立ち去ってほしい。
そう願っていると、背後から鋭い声がした。
「あんた誰? 由乃のクラスメイト?」
そ、奏太くんんんん!
そりゃそうだよね気になるよね誰だよこいつって思うよね分かるぅ。
まるで浮気じゃないのに浮気がばれたみたいな、修羅場を迎えた女みたいな気持ちになってくる。心臓の音がドンドン聞こえて、一歩間違えれば過呼吸を引き起こすんじゃないかってくらい、私は緊張していた。
「……まあ、そうですね。今はただのクラスメイトです」
おいやめろ。その言い方だと誤解を招くだろうが。
「今は?」
ほら見ろ奏太くんが食いついた!
今はってことは、昔は何かあったんですかってなるでしょうが。
確かに何かあったけど、あんなのは擦り傷みたいなもので、事故みたいなものだから。そっちが先に蓋を閉めたんだから、今更蓋を開けてこないでよ。
どうすんの、どうすんの。私はこういう時、どうするのが正解?
「ええ、今は。去年ちょっと色々あって。ね、牧瀬」
「ふうん」
振り向かなくたって分かる、奏太くんの不機嫌な声。
爆弾を落とすだけ落として立ち去るなんて最低。奏太くんと二人きりになった途端、心臓が口から出るんじゃないかと思った。
「由乃」
「は、はい!」
「今日はもう帰ろっか」
「え?」
「じゃあね」
「え、あ、ま、待って!」
私の声が聞こえている癖に、一度も振り返らずに去っていく奏太くんの背中を見つめながら、私は彼に対して憎しみを募らせることしかできなかった。
どうしてあんなこと言うの?
こんなことしてタダで済むと思ってんの?
本当に私と奏太くんの関係が壊れたら、どう責任取るつもり?
私は今すぐにでも奏太くんを追い掛けるべきなのに、あいつとは何もないよって弁明するべきなのに、私の足は逆方向に向いていて、憎しみを募らせた相手を全力で追い掛けていた。
「おいてめえふざけんな!」
我ながらとても大きな声が出たと思う。道行く人達が振り返り立ち止まるくらい、汚くて私らしくない強い口調。
私は彼の胸ぐらを掴むと、思いの丈を本気でぶつけていた。
「どうしてあんな言い方した? 誤解されたらどうすんだ? てめえと私は何もなかった。そうだろう!」
「……何もなかったことにしたいだけ、の間違いじゃない?」
「……っ」
「で、彼氏は帰ったの? それで牧瀬は彼氏じゃなくて、僕に文句を言いたくて追い掛けてきたの? ならその行動は間違いだ。牧瀬は僕を追い掛けてくるべきじゃなかった。そんなに彼氏が大事なら、僕じゃなくて彼氏を追い掛けるべきだった。終わったね、牧瀬。これで牧瀬は嫌われた。嘘でもいいから何もなかったと、僕じゃなくて彼氏に言いに行くべきだった」
「煩い煩い煩い煩い煩い!」
「急にウキウキし始めるからおかしいと思ったんだ。もしかして彼氏に会うのかなって。探してみて正解だった」
「探して見つけて望み通りになって、それでてめえは満足かよ。てめえは人の恋路を邪魔するのが趣味なんか!」
「違うよ牧瀬、全然違う。こんなんで僕が満足するわけない。僕はね、牧瀬。あの日以来、僕に近寄ろうともしない牧瀬のことが、可愛くて仕方がないだけなんだ。どうやったら僕を見てくれるんだろうって、どんな感情だっていいから僕に全力で向けてくれたらいいなって、時間を掛けて、じっくりと考えてただけなんだ」
私のことが好きだからどうにかしたいわけじゃなくて、私とまたああいうことがしたいからこんなことをしたわけじゃなくて。
彼はただの変態だ。変態で、目的の為なら手段を選ばない、頭のネジが外れたサイコパス。
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