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第四章 終わりと始まり
牧瀬由乃は二度、傷付く
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奏太くんと別れたあと、私はますます自分の部屋に引きこもるようになっていた。起きていると常に心臓が痛い。奏太くんと別れたという現実が、私の心に深い傷を付けているからだ。
なあんて『深い傷を付けている』とか言って被害者ぶるな。これは『別れたくない』と言ってくれた奏太くんの気持ちを踏み躙ってまで私が選んだルートだろう。別れを切りだした当の本人である私が今になって被害者ぶるのはお門違いだ。
とはいえ、流石に長い間学校を休んでいると、只事ではないと思われたのか、学校帰りに愛子が家に寄るようになっていた。渡されるのは学校から配られたプリントと、飲み物や食べ物がいくつも入ったコンビニの袋だけ。
愛子は私が食べやすいようにヨーグルトやプリンを買ってくれるんだけど、私はそれを口にしてはすぐにトイレに吐いていた。
お腹は空くのに身体は食べ物を受けつけてくれない所為で、私の身体はあっという間に体力をなくし、倦怠感が拭えずにいる。
おんぶに抱っことはまさにこのことだ。歯磨きにお風呂、食事にトイレ。今の私は愛子にいちからひゃくまでお世話になっている。
「向こうは別れたくないって言ってくれたんでしょ? 由乃のこと愛してるって。それに帰り際にまたねって。由乃は彼氏にちゃんと愛されてたんだよ。それが分かっただけでも良かったじゃん」
本当にこれで良かったのかな。結局のところ、私が奏太くんにしたことは自分が楽になりたいだけで、奏太くんの気持ちを完全に無視して逃げたってだけなんじゃない?
ほらね、やっぱり後悔してる。私が楽になりたくてしたことなのに、罪悪感は増すばかり。逆も然り。例え奏太くんと一緒にいるルートを選んだとしても、お姉さんに会う度に、彼と会う度に、奏太くんの顔が浮かんじゃうの。
「……ごめんね、毎日きてもらっちゃって」
「謝らないで。私が由乃に会いたくてきてるだけなんだから」
もし私の彼氏が奏太くんだって知ったら、愛子はどうするんだろう。
ここぞとばかりに奏太くんにアタックする?
それとも、自分の行いを後悔して私に謝り続ける?
私はね、どっちに転んでもいいと思ってるよ。私は
もう奏太くんと別れたんだから、これ以上奏太くんに執着する必要はないの。だから愛子が奏太くんと付き合いたいなら付き合えばいいし、好きなだけ身体を重ねればいいと思う。
むしろ何処の誰かも分からない女よりも、愛子になら安心して任せられるかも。うん。愛子はちょっと偏愛っぽいけど、ちゃんと付き合うようになれば愛子の気持ちも落ち着くかもしれないし、きっと心から応援できると思う。
そんなの、私にだけは言われたくないよね。だって今の私、奏太くんと同じこと言ってる。奏太くんが『どうせ浮気されるなら、知ってるやつの方がいい』って言った意味、今なら理解できるんだ。
「あっ、ちょっと電話」
「いいよ。私に気にしないで出て」
「う、うん。すぐ戻るね」
へえ珍しい。愛子に電話掛けてくる人なんていたんだね。なんて思っちゃ失礼だよね。私が知らないだけで、愛子にだって友達くらいいるだろうし。
兎に角今は、少しでも何か食べないと。このままじゃ栄養失調で倒れちゃうよ。
私はバナナの皮を剥くと、先端をぱくっと口の中に放り込んだ。
「ごめん由乃。私、帰んないといけなくなっちゃった」
部屋に戻ってくるなり、申し訳なさそうな表情で私に謝る愛子。
「あ、ひょおらろ?」
「……バナナ食べとる」
「ゴクッ。これなら食べられるかと思って」
「そう。食べれそうならまた明日買ってくるよ」
「ありがとう、吐かなかったら教えるね」
「うん。じゃあ私、帰るけど、何かあったらすぐ連絡してね」
「はあい」
愛子が玄関から出ていくと、急に辺りがシンとなる。
用事ってなんだろう。え、用事があるから帰るなんて初めてじゃない?
彼氏でもできたかな。できたなら私に報告してくれそうだけど。え、もしかして本当に奏太くんと進展あったんじゃ。
いやそれはないか。愛子ならもっとこう、顔に出てるはず。
気にはなるけど、はたして突っ込んでいいものか……ううん迷う。
まあこっちから聞かなくても話したくなったら向こうから話してくれるよね。うん、話してくれるまで待とう。無理強いはよくないよくない。
私はまたひとくち、バナナを口に入れて咀嚼した。
咀嚼したバナナはきちんと消化されたらしく、何時間経っても吐きだすことはなかった。
『バナナいける』
私は約束通り愛子に連絡すると、お姉さんとのトーク画面を開いた。
お姉さんに会いたいな。声だけでもいいから聞きたい。
私は電話のマークを指でタップする。
ワンコール、ツーコール、スリーコール。ドキドキしながら、お姉さんが電話に出るのを待っていた。
「……出ない」
今頃、私以外の女といちゃいちゃしてるのかもしれない。嫉妬で頭が変になりそうな気持ちを抑えながら、私は電話を切った。
お姉さん、掛け直してくれるかな。
お姉さんからのコールバックを待ってたけど、結局朝になってもスマホが振動することはなかった。
なんて薄情な女なんでしょう。
朝起きてスマホを手にした私は、まずそう思った。
普通、連絡があったら折り返すのが常識ってもんじゃないの?
それともなんですか。昨日は何処ぞの誰かとお楽しみ中だったので、スマホを見ていないんですかねぇ。
私はお姉さんの彼女じゃないから、これについていちいち言及するつもりはないけれど、許されるのであれば問い詰めたい。いったいどういうつもりなのかと問い詰めたい。
そういえば愛子からも返信がきてないや。バナナいけるとしか送ってないから、別に返信なくてもいいっちゃいいんだけど。
あれ、私ってもしかして付き合ってもないのに無意識に束縛しちゃう系女子だったりする?
私はもう一度お姉さんに電話を掛けてみることにした。これで出なかったら諦める。多分……恐らく。
『もしもしぃ』
「あっ、お、お姉さん!」
出た。ワンコールで出た。どうせ出ないだろうと思って油断した。
『由乃ちゃんおはよ。どうしたの?』
わ、わああ。本当にお姉さんの声がするぅ。
私は朝からお姉さんの声が聞けたことに感動した。
「き、昨日電話したのに出てくんなかったぁ」
『ごめんねぇ。昨日は先客がいてさぁ』
やっぱりそうなんだ。本人の口からはっきりと告げられると結構ショックだわ。
『由乃ちゃん、私に会いたいの?』
「あ、会いたい……けど……私、今あんまり体力なくて、会ってもそういうことできないかも」
『そういうことって?』
「そういう、えっちな、こと……」
『うふふ。いいよお別にしなくても。しないなら会わないとか言わないしぃ』
「ほ、本当?」
『やだ由乃ちゃんてば、私のことなんだと思ってんの? セフレじゃないんだから普通に会ってお茶するだけでもいいでしょぉ?』
あ、私ってセフレじゃないんだ。
心の中でほっとすると、私はようやく笑顔になれた。
「じゃ、じゃあえっと、夕方から友達と会うからそれまでの間、いいかなぁ?」
今日も愛子がくるはずだから、それまでに戻ってくればいいよね。
私はお姉さんと会う約束をして電話を切った。
嬉しい……またお姉さんに会えるんだ。
私は期待に胸を膨らませながら、久しぶりに化粧ポーチを手にして洗面台へと向かっていた。
そうだ、奏太くんとお別れしたこと、お姉さんに話さなきゃ。
待ち合わせ場所のホテルに着くと、私はスマホでお姉さんに連絡をした。
『着きました』
待ち合わせ場所にホテルを指定したのはお姉さんだ。お姉さん曰く、たまたまこの辺りで用事があって、落ち着いて話せそうなところが此処しかないからって言ってた。
確かにこの辺りはホテル街で、お店がひとつもないけれど、ホテルで会うということはつまり……そういうつもりなのかな。
期待しているわけじゃない。だけどこっちだって、もしそうなってもいいように、ある程度の準備はしてきたつもりだよ。
「由乃ちゃんお待たせぇ」
「お、お姉さん……こんにちは」
ホテルに入ると、お姉さんが適当な部屋のパネルをタップする。利用する部屋を決めると手を繋ぐこともなくエレベーターに乗り、目的の部屋へと吃驚する程何事もなく辿り着いた。
そう、本当に何事もなく。
「昨日はごめんねぇ。今日は夕方までだったよね。お昼ご飯はもう食べた?」
「あ、うん。まだ食べてない……けど、あんまり食欲なくて」
「そっかぁ。じゃあ私の方で適当に頼んじゃうねぇ」
私はソファに座ってメニュー表をパラパラと捲るお姉さんの横に腰を下ろした。するともう注文が決まったのか、ベットの横にある白い電話で店員さんに連絡をするお姉さん。
電話が終わり、ようやく落ち着いて話ができると思いきや、私に一度も触れることなくシャワーを浴びてくると言って、浴室の方に行ってしまった。
いつもと違う態度に不安で胸がいっぱいになった私は、テーブルの上にあるお姉さんのスマホを手にすると、昨日は誰と連絡してたのかを確認しようと試みた。
最新の発信履歴は昨日の日付。そこに登録されている名前を見て、私の胸の鼓動が高鳴った。
「えっ……愛子って……」
落ち着け私、早まるな。愛子なんて名前、世の中にいくらでもいるでしょう。きっと愛子と同じ名前の知り合いがいるんだよ。
だって、愛子はもうお姉さんとはなんの繋がりもないはずでしょう?
私に隠れて連絡してるはずないんだから。
だけどこの時間。昨日、愛子が誰かと電話してた時間も、確かこのくらいの時間だった。そしてお姉さんは昨日、間違いなく誰かと会っていたから、私の電話に出なかった。
愛子は私に内緒でお姉さんと会ってたってこと?
この名前が本当に愛子なのかを確かめる方法を私は知っている。簡単だ、電話帳を見ればいい。電話帳にある愛子の電話番号が、私の知っている愛子と同じ数字ならクロ。違うならシロ。
私はビリビリと痺れる指でホーム画面に戻り、電話帳を探した。
「あー、勝手に私のスマホ見てるぅ!」
背後にいるお姉さんに視線を向けると、只事ではない空気を察知したのか、お姉さんの表情が一瞬で曇っていく。
「え、どうしたの由乃ちゃん」
「……お姉さん、昨日、誰に会ったの?」
「え?」
「愛子って、私の知ってる子?」
「え、と」
「もういいよ嘘は。私もう、分かっちゃったから。お姉さん、昨日愛子に電話したんでしょ。私ね、その時愛子と一緒にいたんだぁ。愛子ね、用事があるからって帰ったの。用事って、お姉さんに会うことだったんだね」
なんにも否定してくれないの。その様子だと、愛子と私が友達なの分かってて会ってるっぽいよね。
酷いなぁ、二人して私を騙してたんだ。私に内緒で会っていちゃいちゃしてたんだ。
「私ね、彼氏とお別れしたの」
「え?」
「私が好きなのはお姉さんだって、気付いたから」
本当はこんな流れで言うつもりじゃなかった。もっとじっくりと愛を育んでから伝えたかった。
だけどもう、抑えが効かないの。だって、愛子が好きなのは奏太くんでしょう?
それなのにどうして私からお姉さんまで盗ろうとするの?
やめてよ。もうこれ以上、私から盗らないでよ。私の好きな人ばっか盗らないで。
「……私のことが好きだから、由乃ちゃんは彼氏と別れたの?」
「そうだよ。だって、彼氏がいるのに他の人を好きになるなんて心の浮気じゃん。お姉さんとはえっちだってしちゃってるし。私はそういうの隠し通せないよ。それに、隠しているのが苦しいの」
自分がこれ以上苦しくなるのが嫌で逃げだした。私は私を好きだと言ってくれた奏太くんを捨てたんだ。
最低な女だって、私が誰よりも分かってる。だからお姉さんだけは否定しないでほしい。私の気持ちを、決断を、覚悟を。
「……由乃ちゃんは、間違ってるよ」
「え?」
「由乃ちゃんは間違った選択をした。彼氏と別れるべきじゃなかったんだ」
「……どうして……そんなふうに言うの?」
お姉さんにまで否定されたら私はもう、どうしたらいいか分からないよ。
今更、奏太くんとヨリを戻せなんて言わないよねぇ?
そんなこと言われたってもう、無理なんだから。
私は縋るような瞳でお姉さんをじっと見つめていた。
「私を選んでも由乃ちゃんは幸せになれないよ」
「どうして?」
「私はね、恋人を作りたくないの。今日からきみと私は恋人だ、だから浮気はしないでねって、私の行動を相手に縛られたくないんだぁ」
「わ、私は許すよ? お姉さんが誰といちゃいちゃしてたっていい!」
「嘘」
「嘘じゃない!」
「嘘だよ。だって由乃ちゃん、私が昨日電話に出なくて嫌な気持ちになったでしょ? 私の行動で少しでも傷付いたなら、私は許す……は嘘なんだよ」
どうしよう、どうしたらお姉さんに私の気持ちが伝わるの?
私がこんなにも必死でお姉さんを繋ぎ止めようとしてるの、分かってる癖に意地悪ばっかしないでよ。
「……愛子ならいいの?」
思わず口にしてしまった本音。
静まり返る空気。
間違えたと気付いた時にはもう遅かった。
「……愛子ちゃんは……違うじゃん」
ねえ、どうしてそんな顔をするの?
まるで今の言い方は傷付いたとでも言いたげな憂いを帯びた表情をしてる。
違うって何が?
私と愛子は何が違うの?
私にも分かるように説明してよ。
視界が歪む。お姉さんなら分かってくれると思ったのに。
「もう、いい……っ、もう会わない……っ」
私は震える声で虚勢を張った。
なあんて『深い傷を付けている』とか言って被害者ぶるな。これは『別れたくない』と言ってくれた奏太くんの気持ちを踏み躙ってまで私が選んだルートだろう。別れを切りだした当の本人である私が今になって被害者ぶるのはお門違いだ。
とはいえ、流石に長い間学校を休んでいると、只事ではないと思われたのか、学校帰りに愛子が家に寄るようになっていた。渡されるのは学校から配られたプリントと、飲み物や食べ物がいくつも入ったコンビニの袋だけ。
愛子は私が食べやすいようにヨーグルトやプリンを買ってくれるんだけど、私はそれを口にしてはすぐにトイレに吐いていた。
お腹は空くのに身体は食べ物を受けつけてくれない所為で、私の身体はあっという間に体力をなくし、倦怠感が拭えずにいる。
おんぶに抱っことはまさにこのことだ。歯磨きにお風呂、食事にトイレ。今の私は愛子にいちからひゃくまでお世話になっている。
「向こうは別れたくないって言ってくれたんでしょ? 由乃のこと愛してるって。それに帰り際にまたねって。由乃は彼氏にちゃんと愛されてたんだよ。それが分かっただけでも良かったじゃん」
本当にこれで良かったのかな。結局のところ、私が奏太くんにしたことは自分が楽になりたいだけで、奏太くんの気持ちを完全に無視して逃げたってだけなんじゃない?
ほらね、やっぱり後悔してる。私が楽になりたくてしたことなのに、罪悪感は増すばかり。逆も然り。例え奏太くんと一緒にいるルートを選んだとしても、お姉さんに会う度に、彼と会う度に、奏太くんの顔が浮かんじゃうの。
「……ごめんね、毎日きてもらっちゃって」
「謝らないで。私が由乃に会いたくてきてるだけなんだから」
もし私の彼氏が奏太くんだって知ったら、愛子はどうするんだろう。
ここぞとばかりに奏太くんにアタックする?
それとも、自分の行いを後悔して私に謝り続ける?
私はね、どっちに転んでもいいと思ってるよ。私は
もう奏太くんと別れたんだから、これ以上奏太くんに執着する必要はないの。だから愛子が奏太くんと付き合いたいなら付き合えばいいし、好きなだけ身体を重ねればいいと思う。
むしろ何処の誰かも分からない女よりも、愛子になら安心して任せられるかも。うん。愛子はちょっと偏愛っぽいけど、ちゃんと付き合うようになれば愛子の気持ちも落ち着くかもしれないし、きっと心から応援できると思う。
そんなの、私にだけは言われたくないよね。だって今の私、奏太くんと同じこと言ってる。奏太くんが『どうせ浮気されるなら、知ってるやつの方がいい』って言った意味、今なら理解できるんだ。
「あっ、ちょっと電話」
「いいよ。私に気にしないで出て」
「う、うん。すぐ戻るね」
へえ珍しい。愛子に電話掛けてくる人なんていたんだね。なんて思っちゃ失礼だよね。私が知らないだけで、愛子にだって友達くらいいるだろうし。
兎に角今は、少しでも何か食べないと。このままじゃ栄養失調で倒れちゃうよ。
私はバナナの皮を剥くと、先端をぱくっと口の中に放り込んだ。
「ごめん由乃。私、帰んないといけなくなっちゃった」
部屋に戻ってくるなり、申し訳なさそうな表情で私に謝る愛子。
「あ、ひょおらろ?」
「……バナナ食べとる」
「ゴクッ。これなら食べられるかと思って」
「そう。食べれそうならまた明日買ってくるよ」
「ありがとう、吐かなかったら教えるね」
「うん。じゃあ私、帰るけど、何かあったらすぐ連絡してね」
「はあい」
愛子が玄関から出ていくと、急に辺りがシンとなる。
用事ってなんだろう。え、用事があるから帰るなんて初めてじゃない?
彼氏でもできたかな。できたなら私に報告してくれそうだけど。え、もしかして本当に奏太くんと進展あったんじゃ。
いやそれはないか。愛子ならもっとこう、顔に出てるはず。
気にはなるけど、はたして突っ込んでいいものか……ううん迷う。
まあこっちから聞かなくても話したくなったら向こうから話してくれるよね。うん、話してくれるまで待とう。無理強いはよくないよくない。
私はまたひとくち、バナナを口に入れて咀嚼した。
咀嚼したバナナはきちんと消化されたらしく、何時間経っても吐きだすことはなかった。
『バナナいける』
私は約束通り愛子に連絡すると、お姉さんとのトーク画面を開いた。
お姉さんに会いたいな。声だけでもいいから聞きたい。
私は電話のマークを指でタップする。
ワンコール、ツーコール、スリーコール。ドキドキしながら、お姉さんが電話に出るのを待っていた。
「……出ない」
今頃、私以外の女といちゃいちゃしてるのかもしれない。嫉妬で頭が変になりそうな気持ちを抑えながら、私は電話を切った。
お姉さん、掛け直してくれるかな。
お姉さんからのコールバックを待ってたけど、結局朝になってもスマホが振動することはなかった。
なんて薄情な女なんでしょう。
朝起きてスマホを手にした私は、まずそう思った。
普通、連絡があったら折り返すのが常識ってもんじゃないの?
それともなんですか。昨日は何処ぞの誰かとお楽しみ中だったので、スマホを見ていないんですかねぇ。
私はお姉さんの彼女じゃないから、これについていちいち言及するつもりはないけれど、許されるのであれば問い詰めたい。いったいどういうつもりなのかと問い詰めたい。
そういえば愛子からも返信がきてないや。バナナいけるとしか送ってないから、別に返信なくてもいいっちゃいいんだけど。
あれ、私ってもしかして付き合ってもないのに無意識に束縛しちゃう系女子だったりする?
私はもう一度お姉さんに電話を掛けてみることにした。これで出なかったら諦める。多分……恐らく。
『もしもしぃ』
「あっ、お、お姉さん!」
出た。ワンコールで出た。どうせ出ないだろうと思って油断した。
『由乃ちゃんおはよ。どうしたの?』
わ、わああ。本当にお姉さんの声がするぅ。
私は朝からお姉さんの声が聞けたことに感動した。
「き、昨日電話したのに出てくんなかったぁ」
『ごめんねぇ。昨日は先客がいてさぁ』
やっぱりそうなんだ。本人の口からはっきりと告げられると結構ショックだわ。
『由乃ちゃん、私に会いたいの?』
「あ、会いたい……けど……私、今あんまり体力なくて、会ってもそういうことできないかも」
『そういうことって?』
「そういう、えっちな、こと……」
『うふふ。いいよお別にしなくても。しないなら会わないとか言わないしぃ』
「ほ、本当?」
『やだ由乃ちゃんてば、私のことなんだと思ってんの? セフレじゃないんだから普通に会ってお茶するだけでもいいでしょぉ?』
あ、私ってセフレじゃないんだ。
心の中でほっとすると、私はようやく笑顔になれた。
「じゃ、じゃあえっと、夕方から友達と会うからそれまでの間、いいかなぁ?」
今日も愛子がくるはずだから、それまでに戻ってくればいいよね。
私はお姉さんと会う約束をして電話を切った。
嬉しい……またお姉さんに会えるんだ。
私は期待に胸を膨らませながら、久しぶりに化粧ポーチを手にして洗面台へと向かっていた。
そうだ、奏太くんとお別れしたこと、お姉さんに話さなきゃ。
待ち合わせ場所のホテルに着くと、私はスマホでお姉さんに連絡をした。
『着きました』
待ち合わせ場所にホテルを指定したのはお姉さんだ。お姉さん曰く、たまたまこの辺りで用事があって、落ち着いて話せそうなところが此処しかないからって言ってた。
確かにこの辺りはホテル街で、お店がひとつもないけれど、ホテルで会うということはつまり……そういうつもりなのかな。
期待しているわけじゃない。だけどこっちだって、もしそうなってもいいように、ある程度の準備はしてきたつもりだよ。
「由乃ちゃんお待たせぇ」
「お、お姉さん……こんにちは」
ホテルに入ると、お姉さんが適当な部屋のパネルをタップする。利用する部屋を決めると手を繋ぐこともなくエレベーターに乗り、目的の部屋へと吃驚する程何事もなく辿り着いた。
そう、本当に何事もなく。
「昨日はごめんねぇ。今日は夕方までだったよね。お昼ご飯はもう食べた?」
「あ、うん。まだ食べてない……けど、あんまり食欲なくて」
「そっかぁ。じゃあ私の方で適当に頼んじゃうねぇ」
私はソファに座ってメニュー表をパラパラと捲るお姉さんの横に腰を下ろした。するともう注文が決まったのか、ベットの横にある白い電話で店員さんに連絡をするお姉さん。
電話が終わり、ようやく落ち着いて話ができると思いきや、私に一度も触れることなくシャワーを浴びてくると言って、浴室の方に行ってしまった。
いつもと違う態度に不安で胸がいっぱいになった私は、テーブルの上にあるお姉さんのスマホを手にすると、昨日は誰と連絡してたのかを確認しようと試みた。
最新の発信履歴は昨日の日付。そこに登録されている名前を見て、私の胸の鼓動が高鳴った。
「えっ……愛子って……」
落ち着け私、早まるな。愛子なんて名前、世の中にいくらでもいるでしょう。きっと愛子と同じ名前の知り合いがいるんだよ。
だって、愛子はもうお姉さんとはなんの繋がりもないはずでしょう?
私に隠れて連絡してるはずないんだから。
だけどこの時間。昨日、愛子が誰かと電話してた時間も、確かこのくらいの時間だった。そしてお姉さんは昨日、間違いなく誰かと会っていたから、私の電話に出なかった。
愛子は私に内緒でお姉さんと会ってたってこと?
この名前が本当に愛子なのかを確かめる方法を私は知っている。簡単だ、電話帳を見ればいい。電話帳にある愛子の電話番号が、私の知っている愛子と同じ数字ならクロ。違うならシロ。
私はビリビリと痺れる指でホーム画面に戻り、電話帳を探した。
「あー、勝手に私のスマホ見てるぅ!」
背後にいるお姉さんに視線を向けると、只事ではない空気を察知したのか、お姉さんの表情が一瞬で曇っていく。
「え、どうしたの由乃ちゃん」
「……お姉さん、昨日、誰に会ったの?」
「え?」
「愛子って、私の知ってる子?」
「え、と」
「もういいよ嘘は。私もう、分かっちゃったから。お姉さん、昨日愛子に電話したんでしょ。私ね、その時愛子と一緒にいたんだぁ。愛子ね、用事があるからって帰ったの。用事って、お姉さんに会うことだったんだね」
なんにも否定してくれないの。その様子だと、愛子と私が友達なの分かってて会ってるっぽいよね。
酷いなぁ、二人して私を騙してたんだ。私に内緒で会っていちゃいちゃしてたんだ。
「私ね、彼氏とお別れしたの」
「え?」
「私が好きなのはお姉さんだって、気付いたから」
本当はこんな流れで言うつもりじゃなかった。もっとじっくりと愛を育んでから伝えたかった。
だけどもう、抑えが効かないの。だって、愛子が好きなのは奏太くんでしょう?
それなのにどうして私からお姉さんまで盗ろうとするの?
やめてよ。もうこれ以上、私から盗らないでよ。私の好きな人ばっか盗らないで。
「……私のことが好きだから、由乃ちゃんは彼氏と別れたの?」
「そうだよ。だって、彼氏がいるのに他の人を好きになるなんて心の浮気じゃん。お姉さんとはえっちだってしちゃってるし。私はそういうの隠し通せないよ。それに、隠しているのが苦しいの」
自分がこれ以上苦しくなるのが嫌で逃げだした。私は私を好きだと言ってくれた奏太くんを捨てたんだ。
最低な女だって、私が誰よりも分かってる。だからお姉さんだけは否定しないでほしい。私の気持ちを、決断を、覚悟を。
「……由乃ちゃんは、間違ってるよ」
「え?」
「由乃ちゃんは間違った選択をした。彼氏と別れるべきじゃなかったんだ」
「……どうして……そんなふうに言うの?」
お姉さんにまで否定されたら私はもう、どうしたらいいか分からないよ。
今更、奏太くんとヨリを戻せなんて言わないよねぇ?
そんなこと言われたってもう、無理なんだから。
私は縋るような瞳でお姉さんをじっと見つめていた。
「私を選んでも由乃ちゃんは幸せになれないよ」
「どうして?」
「私はね、恋人を作りたくないの。今日からきみと私は恋人だ、だから浮気はしないでねって、私の行動を相手に縛られたくないんだぁ」
「わ、私は許すよ? お姉さんが誰といちゃいちゃしてたっていい!」
「嘘」
「嘘じゃない!」
「嘘だよ。だって由乃ちゃん、私が昨日電話に出なくて嫌な気持ちになったでしょ? 私の行動で少しでも傷付いたなら、私は許す……は嘘なんだよ」
どうしよう、どうしたらお姉さんに私の気持ちが伝わるの?
私がこんなにも必死でお姉さんを繋ぎ止めようとしてるの、分かってる癖に意地悪ばっかしないでよ。
「……愛子ならいいの?」
思わず口にしてしまった本音。
静まり返る空気。
間違えたと気付いた時にはもう遅かった。
「……愛子ちゃんは……違うじゃん」
ねえ、どうしてそんな顔をするの?
まるで今の言い方は傷付いたとでも言いたげな憂いを帯びた表情をしてる。
違うって何が?
私と愛子は何が違うの?
私にも分かるように説明してよ。
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