異世界プロレス

なぐりあえ

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プロレス普及編

トロール戦

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坂東カズマは牢屋に入れられていた。ベッドが二つの高いところに小窓があり鉄格子がはめられた薄暗く小汚い牢屋だ。
 先ほどオルトロスとの熱戦を繰り広げ勝利すると閉じていた鉄の柵が開き兵士がゾロゾロと入ってきて満身創痍のカズマの連行した。カズマは抵抗せず兵士に従った。状況が分からない今大人しくするのがいいだろうと考えた。カズマは見かけによらず頭はいい。
 気がつくと赤のロングタイツもブーツも履いてなく皮のサンダルに頭から布を被せ頭と腕のところを切れ込みを入れたような服を着ていた。腰にはベルトが巻かれているがどうにも心許ない。
 牢屋に押し込まれると
「ここで待ってろ」
 兵士から命令口調で指図される。カズマは内心ムッとしたがこの状況で不審者は自分なので仕方ない。ベッドに座り兵士に言われた通りに大人しく待つことにした。もう一つのベッドには先ほど剣と盾で音を鳴らし助けてくれた男がすでに座っていた。
「旦那さっきは助かりやした」
 男は深々と頭を下げてお礼を言った。
「助けられたのはお互い様だ、ありがとう」
 この言葉はお世辞ではなく本心からのものだった。実際この男がいなければかなり危ない状況だった。勝てたとしても腕の一本や二本は食われてたかもしれない。
「あっしの名前はグルニエっていいやす」
 男はそう名乗った。男は黒髪の短髪でどことなく小悪党のような顔つきであった。服はカズマと同じような格好だが明らかに違うのはその肉付き。布から出る手足は細くオルトロスと対峙するにはあまりにも不釣り合いな筋肉だった。
「坂東カズマだ、よろしくグルニエ」
 カズマは腕を出し握手を求めた。グルニエの細い両手がカズマの無骨な手を握りしめる。見た通りグルニエの手に全く力が入ってない。カズマは力を込め握り返す。グルニエはびっくりし両肩が上がった。カズマはニヤリと笑いグルニエは照れくさそうに笑った。
「同部屋のよしみでつかぬことをお聞きしやすが旦那はどんな罪でこの闘技場に?」
 握手が終わりグルニエはカズマに質問した。どうやらここがコロッセオなのは間違いなかったようだ。ただ罪というやつには心当たりがない。カズマはただタイトル戦に向けて入場しただけなのだから。
「分からない、歩いていたらいつの間にあの場所にいた。ただ捕まるような犯罪は犯していないそれだけは確かだ」
 カズマは嘘偽りなく答えた。信じてくれるか分からなかったが事実なのだからしょうがない。
「旦那が嘘ついてるように見えねえです、なにしろ闘技場の戦いに好き好んで出るやつなんざ珍しいですし。もしかしたら旦那は「流れ」ってやつじゃねーですか?」
「流れ?」
 聞き慣れない単語に思わず聞き返してしまった。
「流れってのはこことは違う世界からきた奴のことです。神の悪戯かなんか分かりやせんが突然現れるらしいです」
 ――神には会わなかったが多分それであろう。それにプロレスの神様と言えばカールゴッチだ。もちろんカールゴッチがこの世界に招待したならそれでもいい。世界規模で他団体に移籍したようなものだ。
 カズマは難しく考えなかった。この割り切りの早さも坂東カズマの人気の一つだった。
「そういうグルニエはなんでここに?」
 罪を犯した者がここにいるのならこの小悪党顔のグルニエも何かやらかしたのだろう。グルニエは笑いながら喋り出した。
「あっしはしがない商人でしたが恥ずかしいことに金に困ってちょいとお貴族様を騙したんです。小銭稼ぎのつもりでそこら辺の壺を高級品と偽って売り捌いてたらバレちやいまして。市民相手なら鞭打ちくらいで済んだんでしょうが騙したのがお貴族様だから問答無用で闘技場にぶち込まれてしやいました」
 あまり同情できないがそれでも紛い物を売っただけでほぼ死刑のような対応は流石にやり過ぎだとカズマは思った。小悪党だと勝手に思っていたが本当に小悪党だった。
 自己紹介も終わりカズマは湧き出てくる疑問について質問した。
「まずはこの闘技場はなんなんだ?刑務所みたいなとこか?」
「本当に何もしらねーんですね。この闘技場は犯罪者がいますが刑務所でねえです、あっしみたいな犯罪奴隷と魔獣を戦わせる娯楽施設です。戦い抜けば奴隷から解放されるんで腕に覚えのある犯罪奴隷は戦いに挑んむです」
「グルニエお前は?どう見ても戦えそうじゃないが」
「そんな毎回戦いたい犯罪奴隷がいるわけじゃないんでこうやって非力なやつを無理やり集めて魔獣と戦わせるんです。あっしも今回は助かりやしたがいつお鉢が回ってくるか分かりやせん」
 グルニエは大きくため息をついた。軽い口調で喋っているが事態はかなり深刻なようだ。それはカズマも同じことだ。
 遠くから足音が聞こえる。何やら話しているようだが遠すぎて何を言ってるか分からない。足音の主たちはカズマたちの牢屋の前で止まった。先ほどの兵士と場違いなほど綺麗な女性だ。その格好はカズマと同じように頭と足を出せる布を被ったような服だが足先まで長さがある。真っ白で清潔感があり腰に巻いたベルトに青い布を腰を覆うように下げている。髪は金の長髪で小さな窓から差し込む微かな光に反射して光っている。それだけでいかに良く手入れされているかが分かる。そして特徴的なのはその美しい髪からのぞかせる尖った長い耳だ。
「この方が素手でオルトロスを倒した人間ですね?」
 女性はチラッとカズマを見てオドオドと兵士に質問した。
「はい、アベリア様。この男なのですがおかしい事に誰に確認しても素性が判明しないのです。こんな大男がいれば誰か知っているはずなのですが」
 カズマの体格はこの世界の兵士と比べてもかなりでかい。鎧を着てなければどちらが兵士か分からないほどに。
 アベリアと呼ばれた女性は大きく頭を下げカズマに語りかけた
「この闘技場で神官を務めさせていただいてるアベリアと言います、よろしくお願いします」
 アベリアは牢屋の中の人間に対しても非常に低姿勢だった。横いる兵士が慌ててアベリアの深々と下がった上体を起こさせようとする。
「それではこの闘技場の規約に乗っ取りあなたに鑑定魔法をかけます、これは神の力をお借りしあなたの素性を白日の元に曝け出す奇跡です」
 カズマはアベリアが何を言ってるかよく分からなかったがなにやら魔法を使うようだ。カズマは初めて見る魔法にドキドキした。
 アベリアが胸元で手を握り祈りの言葉を口する
「神よこの者の魂に刻まれし生涯を敬虔なる信者の私に伝えたまえ」
 アベリアの身体うっすらと光った。
 ――光った!一体何が起きるんだ!
 カズマはまじまじとアベリアを見つめた。
 しばらくしてアベリアの口が開く
「浮かんできます神から教わりしあなたの素性が、名はバンドーカズマ。えっと出身はニホン。何処でしょう聞いた事ない街ですね。もしかしたら小さな村でしょうか。職業はプロレスラー……なんでしょうこれも聞いたことのない職業です。ニホン特有のものでしょうか。犯罪歴はチャリパク?これも聞いたことない罪です。魔法も使えるようです。えっとプロレス魔法らしいです。これも聞いたことがありません」
 アベリアの光が消えた。沈黙が訪れた。元々静かな牢屋のがさらに静かになった気がした。
「えっと以上です、お疲れ様でした」
 アベリアが申し訳なさそうに言った。兵士の口がぱくぱくと何か言いたそうに動いている。結局ここにいる全員が何も分からなかった。
 カズマは魔法と聞き期待したがなんだか胡散臭い占いみたいな感じで落胆した。ただ内容は彼女が知るはずのないものなので確かに鑑定魔法は実在した。カズマの犯罪歴にあるチャリパクは高校生の頃補修で帰りの時刻が遅くなり帰りの電車に間に合わせるため友人の自転車を無断で乗ったことだ。学校に友人の自転車があるということはもちろんその友人も補修を受けていた。翌日友人に自転車を返したが後ろから蹴りを入れられてカズマは盛大に転んだ。カズマの数少ない犯罪がそれである。
 ――山田のやつ元気にしてるかなぁ
「ちょっと待ってろ」
 カズマが思い出にふけっていると兵士がカズマに言いとアベリアは相談を始めた。
「アベリア様何も分からないじゃないですか」
「そう言われても……そうだ隷属魔法もかかってなかったです」
「ということは誰に命令された訳でもなく勝手に戦っていたのですか?」
「そういう事になりますね、おそらく。なので解放してもいいのでは?」
「でも犯罪歴はあるのですよね?」
「チャリパクという犯罪らしいです」
「暴れないように一旦隷属魔法をかけて領主様に報告しましょう」
「いいのですか?隷属魔法をかけて」
「チャリパクが何のことか分かりませんが神が暴いた犯罪です」
「……そうですね神の意志に従いましょう」
 2人がカズマを見る。どうやら相談は終わったようだ。兵士の声量が戻りカズマに向かって喋り出す。
「この闘技場の規則により犯罪者は隷属魔法によりその身の自由を制限し犯罪奴隷にする事になっている。貴様の罪はチャリパクだ!大人しく隷属魔法を受けるがいい」
 アベリアが先ほど同様胸の前で両手を握り祈りの言葉を唱え始めた。
「神よカズマの犯罪チャリパクが許されるその日までこの者の身体に刻印を焼き付け、神の鎖によって縛りつけください」
 アベリアの身体が光ると同時にカズマの右の首元が光り刻印が刻まれた。おそらく後にも先にもチャリパクで奴隷になるのはカズマだけであろう。
「えっと終わりですお疲れ様でした」
「あっはい」
 カズマはアベリアの低姿勢に思わず返事をした。
「これでお前は犯罪奴隷だ。次の戦いまで大人しくしているだぞ」
 こちらの兵士は相変わらず上から喋ってくる。しかし奴隷と兵士の身分差なら当然のことであり終始丁寧に対応しているアベリアがおかしいのだ。
 兵士はさっさと出ていってしまった。アベリアは着いて行かずカズマに語りかけた。
「あのバンドーカズマさん」
「カズマでいいです」
「じゃあカズマさん、私魔法の研究をし鑑定魔法で多くの人を見てきましたがプロレス魔法なるものは初めて見ました。プロレス魔法とは一体何なのですか?」
 色々ありすぎてカズマもすっかり忘れていたがプロレス魔法とは一体何なのだろうか。
「すいません自分にも分からないです。ただプロレスとは自分が知る格闘技のようなものなのでそれではないかと」
「そうですか、その様子だと使い方も分からない見たいですね。使っているところを見れば解析ができたかもしれませんが」
カズマはそもそも魔法はさっき見たばかりであり、日本でのプロレスも魔法なんてものは使っていなかった。レスラーの中には呪術師の異名を持つ人間もいたがカズマは呪術も使った事はない。
「アベリア様!」
 遠くから兵士の声が聞こえる。
「はい、すいませんすぐに行きます」
 アベリアは一礼して駆け足で去っていった。
 ことの全てを見ていたグルニエが喋り出した。
「聞いたことのない地名に職業、まさか本当に流れとは驚きやした」
 カズマはベッドに座りグルニエと向き合った。
「まあそういう事だ、ところで俺は奴隷になったそうだが戦っていけば解放されるんだよな?」
「実を言うと今だにこの闘技場で解放された人間はいねーです、そもそも魔獣相手に一度でも勝てる奴なんぞ滅多にいないねーです、大抵2回も戦えばみんな死んじまいます」
 人間が勝てない闘技場に何の意味があるのかカズマは分からなかった。
「じゃあこの闘技場は何のためにあるんだ?」
「市民の娯楽でさぁ、ここは魔獣と戦う犯罪奴隷を観るとこじゃなくて魔獣に殺される犯罪奴隷を観るとこでさぁ。日々の圧政に対する不満の吐口として闘技場がありやす。自分より下のやつを観てまだ自分は幸せだと思い込むんです」
「なんて悪趣味な」
 カズマの眉間に皺がよる。目つきが鋭くなりグルニエはその顔を見て身を縮めた。
「あっしもそう思います。この闘技場の主人と領主は同じでベニヤー・モルダーって言うお貴族様なんです」
「なるほど自ら圧政を敷きその不満を自分の闘技場で解消させてるのか」
 カズマは見事なマッチポンプだと感心した。ここまで下劣な事が平然とできるやつはそうそういないだろう。
「そうです、市民はそれに分かっていてなお熱狂してるんです」
 カズマは立ち上が小窓から見える鉄格子越しの闘技場の中央を見つめた。この腐った現状をどうにかしなければならないと思った。何より自らに向けられた声援がそんな不純なものだった事に腹が立っていた。
「ここの奴らにプロレスの素晴らしさを教えなければ」
 カズマは呟いた。

 市民の休日に闘技場は開かれる。オルトロスを素手で倒した男がいるという噂を聞きつけ観客席は前回よりも観客が入っていた。しかし実際に観た観客以外は半信半疑で、観客同士で嘘だの本当だの終始ざわざわしていた。
 兵士が牢屋を鍵を開けた。
「出番だ出ろ」
 相変わらずカズマに命令してくるがカズマは大人しく従った。試合に向けて集中しており兵士の口調などどうでも良かった。
「そっちの男だ」
 兵士はグルニエに向けて言った。その声にグルニエはビクッと身体を震わせた。
「早く出ろ」
「俺1人でいい」
 カズマは兵士の言葉を遮った。
「今回は俺1人で出る、あいつは余計だ」
 兵士は驚いた。過去にいた奴隷たちはとにかく人数を揃えて身代わりの如く扱っていたからだ。
「お前が1人でも戦えるならそれでもいいが」
 カズマの迫力に押された兵士はカズマの提案を受け入れしまった。
「旦那一生ついて行きます。この窓から応援してやす」
 グルニエは調子のいい事を言う。本当に小物だ。
 カズマは兵士に連れられて舞台の入り口に向かっていった。

 舞台の入り口は鉄の檻で閉めらていた。壁際には使い古された槍や剣が無造作に樽の中に突っ込まれている。
「そこにある武器は好き使うといい」
 カズマは兵士に言われたとおり一振りの剣を樽から抜いた。
「準備はいいな、檻を開くぞ」
 兵士は間抜きをとり檻を開けた。金属音が不快に響く。
「さあ進むんだ」
 カズマは言われたとおり進んだ。後ろから檻を閉める音が聞こえた。通路は薄暗く入り口から差し込む光が眩しい。カズマはここでもゆったりと歩く。チャンピオンベルトはないがチャンピオンである事は変わりない。それは異世界だろうと同じ事なのだ。
 不思議な事に身体から煙が湧き上がりカズマの身を包んだ。それでもカズマは進み続ける。煙を振りきりその全身が露わになると上半身は裸に赤のロングタイツに黒のブーツという馴染みのコスチュームになっていた。
 カズマはニヤリと笑う。
 ――これがプロレス魔法ってやつか、なかなかいいじゃないか
 舞台に出るとまばらに歓声が聞こえた。初めてカズマを見る観客はその見た事ない出たちに戸惑っていた。
「あれは何だ服か?」「あんな靴見た事ない」「剣を持ってるじゃないか素手じゃないないのか?」
 口々に疑問や愚痴が漏れる。大きな独り言としてざわざわと闘技場全体に波及していった。
「旦那頑張ってください」
 壁際の下のほうにある小さな窓からグルニエが顔を出して声援を贈る。カズマは顔だけ向け笑いかける。
 相変わらず観客の反応は悪いがカズマは気にせず舞台中央に歩いて行き立ち止まった。すると持っている剣を高々と掲げ雄叫びをあげた。すると観客は目を覚ましたかのように歓声が上がった。気をよくしたカズマは剣を掲げたままぐるりとその場でゆっくりと回り観客の声援に応えた。一周回る頃には舞台の中央でカズマは声援に包まれていた。
 もう一つの鉄の檻の向こうで人間ではない何かの雄叫びが聞こえる。その声を聞き声援が止んだ。
 ――せっかく盛り上がってきたのに
 カズマは悔しそうに鉄檻の向こうを睨みつけた。しかし油断ならない。あの暗がりにいるのは人間ではないのだから。
 鉄檻の開く音が聞こえた。のしのしと暗がりから足音が聞こえる。暗がりから姿を現したのは2メートルを超える緑の怪物だった。
「トロールだ」
 後ろからグルニエの叫び声をあげた。
 トロールと呼ばれた怪物は醜く愚かそうな顔つきで、長く垂れ下がった鼻に尖った耳を有していた。短い足に大きな手で2メートルを超えるその巨体の腹ははち切れんばかり太っていて、申し訳程度に汚い布を腰巻きにしてた。
「やれ!やっちまえ!」
 観客席のどこからか野次が飛ぶ。その声につられて次々に殺せだの潰せだのどちらを応援してるか分からない野次が飛ぶ。
 この闘技場にゴングは無い。両者舞台に立てば勝手に始まる。そもそも魔獣に始まりの合図など分かるはずもない。カズマは剣を捨て中腰に両腕を前に出しいつものファイティングポーズをとる
 観客は本当に素手で戦うつもりかとざわついた。剣を持って登場した時ため息が漏れた。ただ素手で戦うなんてどうせ根も葉もない噂だと思っていたのでそこまで落胆はしなかった。しかし今この男は自ら剣を捨て素手で構えいる。観客は響めきと共に大いに沸いた。
 一方グルニエは頭を抱えていた。
「旦那なんで!」
 それはそうだ。カズマが負けると次はグルニエの番だ。グルニエは命がかかっていた。そんな事は気にもせずカズマはトロールと向き合っていた。
 プロレスとは技の応酬。その攻防が観客を沸かせる。ただこの戦いは命のやり取り。カズマは武器は使わないが手加減はしない。
 カズマはトロールに向かい勢いよく走り出した。一気に地面を蹴りカズマの身体が宙に浮く。オルトロスにぶつけた渾身の技ドロップキックだ。
 全体重と勢いを両足に込めトロールの腹目掛けて突き刺す。両足はトロールの腹にめり込みブーツの先が見えない。
 ただ手応えがなかった。それは技を出したカズマが真っ先に気づいた。まるで大きな水袋に蹴ったような感触で衝撃が伝わらず逃げていく。トロールの腹はそれだけ脂肪がついており全くダメージが入らない。
 カズマは着地後すぐに立て直し追撃をする。パンチ、キック、肘鉄、あらゆる打撃を試したがトロールに効いてる様子はない。
「旦那!剣を使ってくだせー!そいつに打撃は効きやせん」
 グルニエがカズマにアドバイスを送る。
「断る!プロレスラーは剣を使わない!」
「じゃあ何で入ってくる時剣を持ってたんですか!」
「プロレスラーは入場の時は剣を使う」
「意味が分かりやせん」
 グルニエの言う事はもっともだ。ただ事実そうでプロレスラーは入場時に剣やバズーカを持ってきてもリングでは使わない。
 カズマはグルニエと不毛なやり取りをしている間も攻撃を続けていた。しかしトロールに効いてる様子はない。
 トロールはゆっくりと右手を上げてカズマに上から振り下ろした。
 ドスンと大きな衝撃音と共にカズマは地面に押さえつけられた。トロールの体重が乗った振り下ろしはカズマにかつてない衝撃を与えた。カズマも手加減はしないがトロールも手加減なんて物は分からない。倒れ込むカズマにトロールはお返しとばかりに太鼓のように上から何度も叩きつける。
 技の概念がないトロールの叩きつけはキレこそないが体重が乗った重たい打撃で確実にカズマにダメージを与えていた。
 観客たちはそれを見て大いに盛り上がってた。グルニエの言った通り戦いではなく罪人を痛めつける事が目的になっているのだ。
 トロールは飽きたのか叩きつけるのをやめ両手でカズマを掴み持ち上げた。トロールの握力はカズマを握り潰す勢いだった。
「がはっ!」
 カズマの肺から空気が嗚咽のように漏れる。様々な締め技をくらってきたカズマもこれには耐えきれない。しかしこの闘技場にローブもタオルもギブアップもない。負けとは死なのである。
 トロールの口が大きく開く。足先からカズマを食べるつもりだ。罪人が食べられる瞬間に歓声が上がる。トロールの長い舌がカズマを向かい入れるように伸びる。
 カズマは持てる力を振り絞りトロールの顎を蹴り上げた。予想もしない攻撃にトロールは怯み思わず握った手を解きカズマを離してしまった。
「なるほど、頭は効くんだな」
 トロールから先ほどの余裕な表情は消え醜い顔を怒りで震わしている。トロールは両手を広げカズマに襲いかかる。
 カズマは身体を捻り右手に力を込める。
 バチンッ!と闘技場に破裂音のような強烈な音が響き渡る。同時にトロールは腹を押さえてうずくまる。観客は何が起きたか分からなかった。先ほどまで効かなかったカズマの打撃がトロールを苦しめているのだ。

 逆水平チョップ、刀を抜刀するかのようなモーションから繰り出され相手の身体に手のひらを叩きつける打撃。決してフィニッシュホールドにはならないがその衝撃と激痛は鍛え抜かれたプロレスラーすら苦しめる。

 いかに脂肪のついた腹でも皮膚へのダメージは軽減できない。カズマは容赦なくトロールの腹目掛けてチョップを繰り出す。闘技場に無慈悲な破裂音が幾度度なく響き渡る。破裂音が聞こえるたびトロールの呻き声がこだまする。
 トロールの腹が真っ赤に腫れ上がる頃には前のめりにうずくまり苦しんでいる。カズマはその隙を見逃さず下がった頭に追い討ちの顔面蹴りをお見舞いした。カズマの右足がトロールの顔面にめり込み垂れ下がった鼻が平らになる。トロールの口からよだれが飛ぶ。トロールは両膝と両手を地面につきハアハアと荒い呼吸をしている。
 観客は思いもよらぬ男の反撃に沸いていた。現金な物で殺されるのを期待していたはずなのに今は男を応援している。
 トロールが顔を上げると憎きカズマの姿はどこにもなかった。痛みに耐えながら顔を左右に動かし探していると後ろから両腕で抱きつくように腹を掴まれていた。もちろんカズマの両手だ。カズマはトロールの後ろに回り込んでいた。
 カズマはトロールの背後から腹を締めつける。トロールの腹に手が埋もれているがその両手はしっかりと腹の肉を掴んでいた。
「うおぉぉぉ!」
 カズマは叫び声を上げながら両腕に力を込める。トロールの両足が地面から離れる。太ももが膨れ上がりトロールの規格外の体重を支える。背筋に血管が浮き出る。
――見ておけ!これがプロレスだ!

 ジャーマンスープレックス、相手を後ろから抱き抱え上体を反らし相手の脳天を地面に突き刺すプロレスの大技。その技の美しさからプロレスの芸術品と称される。しかしこの技の威力は美しさからかけ離れており相手は脳天から叩きつけられるため使う相手を間違えると大事故につながる非常に危険な技になっている。

 カズマはトロールを持ち上げて一気に上体を反らす。トロールは弧を描くように持ち上げられる。トロールはなす術なく脳天から地面に叩きつけられた。トロールの体重が乗った衝撃が脳天をぶち抜く。大きく低い衝撃音と共に舞台に衝撃が走った。
 カズマはトロール抱えブリッジの姿勢のまま動かない。つま先立ちをして大きく反った身体はまさに芸術品の名に相応しい美しさがあった。
 観客は息のみ誰も言葉を発しない。あまりの予想外の決着に言葉を忘れていた。
 逆さのまま抱えられてるトロールの手が力無くダラリと垂れ下がる。カズマはトロールを横に投げ捨て立ち上がる。トロールの身体が完全に地面に突っ伏した。白目を剥きおびただしい量のよだれが口から溢れている。しかしトロールは微動だにしない。完全に意識を失っているだ。
 立ち上がったカズマは観客席を見回した後勝利した時のお決まりのポーズをした。拳を握り両腕を天に向かって突き上げ雄叫びを上げる。それに呼応するかのように観客は立ち上がり拍手と歓声をカズマに送る。その表情は殺しを楽しむ邪悪な笑顔ではなく英雄を讃える朗らかなものだった。
 カズマは声援に応えて舞台を一周する。近づいてくる男に観客たちは声をかける。
「すごいぞ!」「よくやった!」「おめでとう!」
 口々に名も知らぬ男を讃え拍手を送る。
 カズマは舞台を一周し出口に向かう。そして出口の前で振り返り観客に向けて勝利のポーズをした。その姿を見てもう一度闘技場は湧き上がった。
 カズマは出口に向かいゆっくりと歩いていく。カズマが出口の奥に消えてもなお声援と拍手は鳴り止まず観客たちは名も知らぬ英雄を讃え続けた。
 
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