5 / 28
5
翌朝。
私は、かつてないほど爽快な目覚めを迎えていた。
これまでは「朝露に濡れる百合の花」のように儚げに目覚め、侍女に「お嬢様、お美しいですわ」と言わせるためのポージングを鏡の前で練習していた。
だが、今の私は、よだれを垂らしたまま大の字でベッドに横たわっている。
「……ふぁ~ぁ。よく寝たわね」
大きくあくびをし、短い髪を乱暴に掻きむしる。
首筋にまとわりついていたうっとうしい縦ロールがないだけで、これほどまでに肩こりが軽減されるとは。
「お嬢様、おはようございます。……お姿については、もはや何も申し上げません」
部屋に入ってきた侍女のアンナが、遠い目をしながら着替えの準備を始めた。
彼女は昨夜、私が切り刻んだドレスと髪を見て、三十分ほど固まっていた。
だが、慣れというのは恐ろしい。
彼女は今、私のガサツな動作に動じることなく、淡々と「一番動きやすいドレス」を選んでいる。
「アンナ、今日はコルセットいらないわ。あんなもん、内臓を虐待してるだけよ。あと、朝食はテラスで食べるから。昨日残したステーキをサンドイッチにして持ってきて」
「……かしこまりました。肉、多めにしておきますね」
アンナが部屋を出ていくと、私は窓を力いっぱい開け放った。
朝日が眩しい。
今日から何をして遊ぼうか。
追放される前に、この国でやり残したことを全部やってやる。
そんなことを考えていた時。
階下から、何やら騒がしい話し声が聞こえてきた。
父様が誰かと口論しているような、あるいは必死に言い訳をしているような……。
「あら、王宮からの使いかしら。意外と早かったわね」
私は適当なワンピースに袖を通すと、サンダルを突っかけて階段を駆け下りた。
淑女の歩き方(膝を擦り合わせるように歩く、あのまどろっこしいやつだ)なんて、もう知ったことか。
「いい加減にしろ、父様! 国外追放ならさっさと書類を持って……」
リビングの扉を勢いよく開け放った私の言葉は、そこで止まった。
そこにいたのは、王宮の使いではなかった。
「……おはよう、ランバート令嬢。いや、今は『元』婚約者殿と呼ぶべきかな」
ソファーに深く腰掛け、優雅に紅茶を啜っていたのは、ザルツベルク公爵――ケインだった。
昨夜、パーティー会場の隅で私を「面白い」と評した、あの冷徹公爵だ。
「……げっ。冷徹公爵」
「ミ、ミミー! なんて口を利くんだ! 公爵様がお前の見舞いに来てくださったんだぞ!」
父様が脇で冷や汗を流しながら叫ぶ。
私は鼻を鳴らし、ケインの正面にある椅子にドカッと座った。
「見舞い? 失礼ね。私は見ての通り、ピンピンしてるわよ。それより公爵、あんたみたいな多忙な人が、わざわざ何の用? まさか、昨日の暴言の証人として私を捕まえに来たわけじゃないわよね?」
ケインはカップを置き、私をじっと見つめた。
その瞳は、深淵のように暗く、何を見透かしているのか分からない。
普通の令嬢なら、この視線だけで震え上がるだろう。
だが、今の私には「失うもの」がない。
「捕まえる? まさか。私はただ、君の『その後』を確認しに来ただけだ。あんな鮮やかな豹変を見せられて、一晩で元の猫かぶりに戻っていたら、がっかりだと思ってね」
「期待に応えられなくて悪かったわね。私は二度とあんな気持ち悪い真似はしないわ。……で、確認したならさっさと帰ってよ。これから朝の肉パーティーがあるんだから」
「ミミー! いい加減にしなさい!」
父様が頭を抱える中、ケインは意外にも声を立てて笑った。
氷が溶けるような、不思議な笑い声だった。
「肉パーティーか。いいな。私も混ぜてもらおうか」
「はぁ!? あんた、公爵でしょ? こんな侯爵家のガサツな朝食に付き合う暇なんてないでしょ」
「暇なら作ればいい。それに、君が言う『素の自分』というやつに、私は非常に興味があるんだ」
ケインはそう言うと、勝手に席を立ち、私の隣に並んで座り直した。
距離が近い。
微かに漂う、上質な香木の香りが鼻をくすぐる。
「……勝手にすれば。あ、言っておくけど、取り分けとか、あーんとか、そういうサービスは一切なしよ」
「望むところだ。自分の分は、自分で勝ち取る主義でね」
ケインの不敵な笑みに、私は思わず眉をひそめた。
冷徹公爵と名高い彼が、なぜ私のような「落ちぶれた悪役令嬢」に構うのか。
だが、彼の瞳の中に宿る光は、ウィルフリードのような軽薄なものではなかった。
それは、獲物を見定めているような……あるいは、自分と同じ「人種」を見つけたような、そんな光だった。
そこへ、アンナが山盛りの肉サンドイッチを持って現れた。
それを見たケインが、迷わず一番大きな一切れに手を伸ばす。
「おい、それは私のよ!」
「早い者勝ちだと言っただろう?」
公爵らしからぬスピードで肉を口にする彼を見て、私は直感した。
……この男、私以上に厄介かもしれない。
猫を脱いだ私を、面白そうに見つめる唯一の目撃者。
この冷徹公爵との遭遇が、私の自由な人生をさらに予期せぬ方向へと加速させていくことになる。
私は、かつてないほど爽快な目覚めを迎えていた。
これまでは「朝露に濡れる百合の花」のように儚げに目覚め、侍女に「お嬢様、お美しいですわ」と言わせるためのポージングを鏡の前で練習していた。
だが、今の私は、よだれを垂らしたまま大の字でベッドに横たわっている。
「……ふぁ~ぁ。よく寝たわね」
大きくあくびをし、短い髪を乱暴に掻きむしる。
首筋にまとわりついていたうっとうしい縦ロールがないだけで、これほどまでに肩こりが軽減されるとは。
「お嬢様、おはようございます。……お姿については、もはや何も申し上げません」
部屋に入ってきた侍女のアンナが、遠い目をしながら着替えの準備を始めた。
彼女は昨夜、私が切り刻んだドレスと髪を見て、三十分ほど固まっていた。
だが、慣れというのは恐ろしい。
彼女は今、私のガサツな動作に動じることなく、淡々と「一番動きやすいドレス」を選んでいる。
「アンナ、今日はコルセットいらないわ。あんなもん、内臓を虐待してるだけよ。あと、朝食はテラスで食べるから。昨日残したステーキをサンドイッチにして持ってきて」
「……かしこまりました。肉、多めにしておきますね」
アンナが部屋を出ていくと、私は窓を力いっぱい開け放った。
朝日が眩しい。
今日から何をして遊ぼうか。
追放される前に、この国でやり残したことを全部やってやる。
そんなことを考えていた時。
階下から、何やら騒がしい話し声が聞こえてきた。
父様が誰かと口論しているような、あるいは必死に言い訳をしているような……。
「あら、王宮からの使いかしら。意外と早かったわね」
私は適当なワンピースに袖を通すと、サンダルを突っかけて階段を駆け下りた。
淑女の歩き方(膝を擦り合わせるように歩く、あのまどろっこしいやつだ)なんて、もう知ったことか。
「いい加減にしろ、父様! 国外追放ならさっさと書類を持って……」
リビングの扉を勢いよく開け放った私の言葉は、そこで止まった。
そこにいたのは、王宮の使いではなかった。
「……おはよう、ランバート令嬢。いや、今は『元』婚約者殿と呼ぶべきかな」
ソファーに深く腰掛け、優雅に紅茶を啜っていたのは、ザルツベルク公爵――ケインだった。
昨夜、パーティー会場の隅で私を「面白い」と評した、あの冷徹公爵だ。
「……げっ。冷徹公爵」
「ミ、ミミー! なんて口を利くんだ! 公爵様がお前の見舞いに来てくださったんだぞ!」
父様が脇で冷や汗を流しながら叫ぶ。
私は鼻を鳴らし、ケインの正面にある椅子にドカッと座った。
「見舞い? 失礼ね。私は見ての通り、ピンピンしてるわよ。それより公爵、あんたみたいな多忙な人が、わざわざ何の用? まさか、昨日の暴言の証人として私を捕まえに来たわけじゃないわよね?」
ケインはカップを置き、私をじっと見つめた。
その瞳は、深淵のように暗く、何を見透かしているのか分からない。
普通の令嬢なら、この視線だけで震え上がるだろう。
だが、今の私には「失うもの」がない。
「捕まえる? まさか。私はただ、君の『その後』を確認しに来ただけだ。あんな鮮やかな豹変を見せられて、一晩で元の猫かぶりに戻っていたら、がっかりだと思ってね」
「期待に応えられなくて悪かったわね。私は二度とあんな気持ち悪い真似はしないわ。……で、確認したならさっさと帰ってよ。これから朝の肉パーティーがあるんだから」
「ミミー! いい加減にしなさい!」
父様が頭を抱える中、ケインは意外にも声を立てて笑った。
氷が溶けるような、不思議な笑い声だった。
「肉パーティーか。いいな。私も混ぜてもらおうか」
「はぁ!? あんた、公爵でしょ? こんな侯爵家のガサツな朝食に付き合う暇なんてないでしょ」
「暇なら作ればいい。それに、君が言う『素の自分』というやつに、私は非常に興味があるんだ」
ケインはそう言うと、勝手に席を立ち、私の隣に並んで座り直した。
距離が近い。
微かに漂う、上質な香木の香りが鼻をくすぐる。
「……勝手にすれば。あ、言っておくけど、取り分けとか、あーんとか、そういうサービスは一切なしよ」
「望むところだ。自分の分は、自分で勝ち取る主義でね」
ケインの不敵な笑みに、私は思わず眉をひそめた。
冷徹公爵と名高い彼が、なぜ私のような「落ちぶれた悪役令嬢」に構うのか。
だが、彼の瞳の中に宿る光は、ウィルフリードのような軽薄なものではなかった。
それは、獲物を見定めているような……あるいは、自分と同じ「人種」を見つけたような、そんな光だった。
そこへ、アンナが山盛りの肉サンドイッチを持って現れた。
それを見たケインが、迷わず一番大きな一切れに手を伸ばす。
「おい、それは私のよ!」
「早い者勝ちだと言っただろう?」
公爵らしからぬスピードで肉を口にする彼を見て、私は直感した。
……この男、私以上に厄介かもしれない。
猫を脱いだ私を、面白そうに見つめる唯一の目撃者。
この冷徹公爵との遭遇が、私の自由な人生をさらに予期せぬ方向へと加速させていくことになる。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
砂糖漬けの日々~元侯爵令嬢は第二王子に溺愛されてます~
棗
恋愛
魔界の第二王子ヨハンの妃となった侯爵令嬢エウフェミア。
母が死んですぐに後妻と異母妹を迎え入れた父から、異母妹最優先の生活を強いられる。父から冷遇され続け、肩身の狭い生活を過ごす事一年……。
魔王の息子の権力を最大限使用してヨハンがエウフェミアを侯爵家から引き剥がした。
母や使用人達にしか愛情を得られなかった令嬢が砂糖のように甘い愛を与えられる生活が始まって十年が過ぎた時のこと。
定期的に開かれる夜会に第二王子妃として出席すると――そこには元家族がいました。
義妹がやらかして申し訳ありません!
荒瀬ヤヒロ
恋愛
公爵令息エリオットはある日、男爵家の義姉妹の会話を耳にする。
何かを企んでいるらしい義妹。義妹をたしなめる義姉。
何をやらかすつもりか知らないが、泳がせてみて楽しもうと考えるが、男爵家の義妹は誰も予想できなかった行動に出て―――
義妹の脅迫!義姉の土下座!そして冴え渡るタックル!
果たしてエリオットは王太子とその婚約者、そして義妹を諫めようとする男爵令嬢を守ることができるのか?
殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!
さら
恋愛
王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。
――でも、リリアナは泣き崩れなかった。
「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」
庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。
「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」
絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。
「俺は、君を守るために剣を振るう」
寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。
灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。
ゲームには参加しません! ―悪役を回避して無事逃れたと思ったのに―
冬野月子
恋愛
侯爵令嬢クリスティナは、ここが前世で遊んだ学園ゲームの世界だと気づいた。そして自分がヒロインのライバルで悪役となる立場だと。
のんびり暮らしたいクリスティナはゲームとは関わらないことに決めた。設定通りに王太子の婚約者にはなってしまったけれど、ゲームを回避して婚約も解消。平穏な生活を手に入れたと思っていた。
けれど何故か義弟から求婚され、元婚約者もアプローチしてきて、さらに……。
※小説家になろう・カクヨムにも投稿しています。
魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
聖女様と間違って召喚された腐女子ですが、申し訳ないので仕事します!
碧桜
恋愛
私は花園美月。20歳。派遣期間が終わり無職となった日、馴染の古書店で顔面偏差値高スペックなイケメンに出会う。さらに、そこで美少女が穴に吸い込まれそうになっていたのを助けようとして、私は古書店のイケメンと共に穴に落ちてしまい、異世界へ―。実は、聖女様として召喚されようとしてた美少女の代わりに、地味でオタクな私が間違って来てしまった!
落ちたその先の世界で出会ったのは、私の推しキャラと見た目だけそっくりな王(仮)や美貌の側近、そして古書店から一緒に穴に落ちたイケメンの彼は、騎士様だった。3人ともすごい美形なのに、みな癖強すぎ難ありなイケメンばかり。
オタクで人見知りしてしまう私だけど、元の世界へ戻れるまで2週間、タダでお世話になるのは申し訳ないから、お城でメイドさんをすることにした。平和にお給料分の仕事をして、異世界観光して、2週間後自分の家へ帰るつもりだったのに、ドラゴンや悪い魔法使いとか出てきて、異能を使うイケメンの彼らとともに戦うはめに。聖女様の召喚の邪魔をしてしまったので、美少女ではありませんが、地味で腐女子ですが出来る限り、精一杯頑張ります。
ついでに無愛想で苦手と思っていた彼は、なかなかいい奴だったみたい。これは、恋など始まってしまう予感でしょうか!?
*カクヨムにて先に連載しているものを加筆・修正をおこなって掲載しております
【完結】どうやら時戻りをしました。
まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。
辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。
時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。
※前半激重です。ご注意下さい
Copyright©︎2023-まるねこ