婚約破棄で、猫を被るのをやめたら何故か執着されています

黒猫かの

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翌朝。
私は、かつてないほど爽快な目覚めを迎えていた。


これまでは「朝露に濡れる百合の花」のように儚げに目覚め、侍女に「お嬢様、お美しいですわ」と言わせるためのポージングを鏡の前で練習していた。
だが、今の私は、よだれを垂らしたまま大の字でベッドに横たわっている。


「……ふぁ~ぁ。よく寝たわね」


大きくあくびをし、短い髪を乱暴に掻きむしる。
首筋にまとわりついていたうっとうしい縦ロールがないだけで、これほどまでに肩こりが軽減されるとは。


「お嬢様、おはようございます。……お姿については、もはや何も申し上げません」


部屋に入ってきた侍女のアンナが、遠い目をしながら着替えの準備を始めた。
彼女は昨夜、私が切り刻んだドレスと髪を見て、三十分ほど固まっていた。
だが、慣れというのは恐ろしい。
彼女は今、私のガサツな動作に動じることなく、淡々と「一番動きやすいドレス」を選んでいる。


「アンナ、今日はコルセットいらないわ。あんなもん、内臓を虐待してるだけよ。あと、朝食はテラスで食べるから。昨日残したステーキをサンドイッチにして持ってきて」


「……かしこまりました。肉、多めにしておきますね」


アンナが部屋を出ていくと、私は窓を力いっぱい開け放った。
朝日が眩しい。
今日から何をして遊ぼうか。
追放される前に、この国でやり残したことを全部やってやる。


そんなことを考えていた時。
階下から、何やら騒がしい話し声が聞こえてきた。
父様が誰かと口論しているような、あるいは必死に言い訳をしているような……。


「あら、王宮からの使いかしら。意外と早かったわね」


私は適当なワンピースに袖を通すと、サンダルを突っかけて階段を駆け下りた。
淑女の歩き方(膝を擦り合わせるように歩く、あのまどろっこしいやつだ)なんて、もう知ったことか。


「いい加減にしろ、父様! 国外追放ならさっさと書類を持って……」


リビングの扉を勢いよく開け放った私の言葉は、そこで止まった。
そこにいたのは、王宮の使いではなかった。


「……おはよう、ランバート令嬢。いや、今は『元』婚約者殿と呼ぶべきかな」


ソファーに深く腰掛け、優雅に紅茶を啜っていたのは、ザルツベルク公爵――ケインだった。
昨夜、パーティー会場の隅で私を「面白い」と評した、あの冷徹公爵だ。


「……げっ。冷徹公爵」


「ミ、ミミー! なんて口を利くんだ! 公爵様がお前の見舞いに来てくださったんだぞ!」


父様が脇で冷や汗を流しながら叫ぶ。
私は鼻を鳴らし、ケインの正面にある椅子にドカッと座った。


「見舞い? 失礼ね。私は見ての通り、ピンピンしてるわよ。それより公爵、あんたみたいな多忙な人が、わざわざ何の用? まさか、昨日の暴言の証人として私を捕まえに来たわけじゃないわよね?」


ケインはカップを置き、私をじっと見つめた。
その瞳は、深淵のように暗く、何を見透かしているのか分からない。
普通の令嬢なら、この視線だけで震え上がるだろう。
だが、今の私には「失うもの」がない。


「捕まえる? まさか。私はただ、君の『その後』を確認しに来ただけだ。あんな鮮やかな豹変を見せられて、一晩で元の猫かぶりに戻っていたら、がっかりだと思ってね」


「期待に応えられなくて悪かったわね。私は二度とあんな気持ち悪い真似はしないわ。……で、確認したならさっさと帰ってよ。これから朝の肉パーティーがあるんだから」


「ミミー! いい加減にしなさい!」


父様が頭を抱える中、ケインは意外にも声を立てて笑った。
氷が溶けるような、不思議な笑い声だった。


「肉パーティーか。いいな。私も混ぜてもらおうか」


「はぁ!? あんた、公爵でしょ? こんな侯爵家のガサツな朝食に付き合う暇なんてないでしょ」


「暇なら作ればいい。それに、君が言う『素の自分』というやつに、私は非常に興味があるんだ」


ケインはそう言うと、勝手に席を立ち、私の隣に並んで座り直した。
距離が近い。
微かに漂う、上質な香木の香りが鼻をくすぐる。


「……勝手にすれば。あ、言っておくけど、取り分けとか、あーんとか、そういうサービスは一切なしよ」


「望むところだ。自分の分は、自分で勝ち取る主義でね」


ケインの不敵な笑みに、私は思わず眉をひそめた。
冷徹公爵と名高い彼が、なぜ私のような「落ちぶれた悪役令嬢」に構うのか。


だが、彼の瞳の中に宿る光は、ウィルフリードのような軽薄なものではなかった。
それは、獲物を見定めているような……あるいは、自分と同じ「人種」を見つけたような、そんな光だった。


そこへ、アンナが山盛りの肉サンドイッチを持って現れた。
それを見たケインが、迷わず一番大きな一切れに手を伸ばす。


「おい、それは私のよ!」


「早い者勝ちだと言っただろう?」


公爵らしからぬスピードで肉を口にする彼を見て、私は直感した。
……この男、私以上に厄介かもしれない。


猫を脱いだ私を、面白そうに見つめる唯一の目撃者。
この冷徹公爵との遭遇が、私の自由な人生をさらに予期せぬ方向へと加速させていくことになる。
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