婚約破棄ありがとうございます! お礼いたしますわ!

黒猫かの

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王宮の一室、執務室の机の上には、もはや山というよりは「山脈」と呼ぶにふさわしい量の書類が積み上がっていた。


「……おい。これは一体、何の冗談だ」


アルフレッド王子は、震える手で一枚の書類を手に取った。そこには『東部領地における大蒜の流通停滞と、それに伴う街道整備の遅延について』という、極めて地味で頭の痛い報告が記されていた。


「アルフレッド様ぁ、そんな難しい顔をなさらないで、リリアンが淹れたハーブティーを飲んでくださいまし。ほら、お砂糖をたっぷり、十個入れておきましたわ!」


隣でリリアンが、甘ったるい香りのする(そして致死量の糖分を含んだ)カップを差し出す。


「リリアン……今はそれどころではないんだ。なぜか、一週間前から王宮の事務作業が全く進んでいない。徴税の計算も、隣国への返信も、果ては厨房のスパイス発注まで滞っている!」


「そんなの、文官の人たちにやらせればよろしいじゃないですか。私たちは、もっと楽しい『愛の言葉』を交わすべきですわ」


リリアンが甘い声を出すが、アルフレッドの耳には届かない。


そこへ、顔色を土に変えた宰相が、ノックもそこそこに飛び込んできた。


「殿下! 大変です! 隣国『ハデス王国』からの親書が届きましたが、解読できる者がおりません!」


「何を言っている! 翻訳官を呼べば済む話だろう!」


「それが……その親書は、ハデス王国の『古い方言』と、さらに高度な『暗号化魔法』が施されておりまして……。これまでこれらを一瞬で処理していたのは、全てキャメル様だったのです!」


アルフレッドは椅子から転げ落ちそうになった。


「……キャメルが? あいつはただ、私の後ろで般若のような顔をして立っていただけではないのか?」


「とんでもございません! キャメル様は『キムチの材料を安く仕入れるため』という名目で、周辺諸国の言語と関税制度を完璧にマスターされておりました。彼女がいなくなった途端、我が国の物流は麻痺状態です!」


宰相の叫びに、アルフレッドの背中を冷たい汗が伝う。


さらに、厨房の料理長までもが血相を変えて現れた。


「殿下! 申し上げます! 昨日の晩餐会で、賓客から『料理にパンチが足りない』と苦情が出ました!」


「……パンチ?」


「はい! 隠し味に使うはずの『キャメル特製・熟成エキス』のストックが底を突いたのです! あれがないと、我が王宮の料理はただの味の薄いスープに成り下がります!」


アルフレッドは頭を抱えた。


(まさか……あいつ、ただの性格の悪い悪役令嬢じゃなかったのか?)


(いや、待てよ。冷静に考えれば、あいつが婚約者だった頃、私は一度も書類仕事で徹夜をしたことがなかった……)


「アルフレッド様? どうされたのですか? そんな、キャメル様のことなんて忘れて、リリアンと踊りましょうよ!」


リリアンが腕に絡みついてくるが、今のアルフレッドにはその声が、故障した楽器の音色のように不快に聞こえた。


「……リリアン。君は、この『関税計算書』が読めるか?」


「ええっ? そんなの、数字がいっぱいで目が回っちゃいますわ! 私、もっとふわふわした、ポエムのようなものなら読めますけれど」


「……だろうな」


アルフレッドは深く、深いため息をついた。


「宰相。今すぐ、ド・ヴァニラ公爵邸に使いを出せ。……いや、私が行く。キャメルに、少し『話し合い』が必要だと伝えろ」


「殿下、それは名案……と言いたいところですが、一つ問題が」


宰相が、窓の外を指差した。


王宮の遥か遠く、ド・ヴァニラ公爵領の方向から、天を突くような「冷気の柱」と「赤い煙」が上がっているのが見えた。


「……なんだ、あの異常現象は」


「報告によりますと、キャメル様が『魔物の肉を効率よく保存するための巨大冷凍魔道具』を、隣国のレオナード王子と共に建設中とのことです。……既に我が国の軍事力に匹敵する魔力反応が出ております」


「レオナード・ハデスだと!? あの『死神』が、なぜキャメルの隣にいるんだ!」


アルフレッドの叫びは虚しく響いた。


彼はようやく気づき始めていた。


自分が捨てたのは、単なる「怖い婚約者」ではなく、この国の「心臓部」であり、世界最強の「冷蔵庫使い」を手に入れた「超兵器」だったということに。


「い、いかん! 今すぐ馬車を出せ! キャメルを……キャメルを連れ戻すんだ!!」


「ええーっ!? 嫌ですわ、アルフレッド様ぁ!」


喚くリリアンを置き去りにし、アルフレッドは転がるようにして部屋を飛び出していった。


しかし、彼がその時、キャメルの屋敷で繰り広げられている「平和(?)な光景」を知る由もなかった。
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