7 / 28
7
ド・ヴァニラ公爵邸の広大な庭園に、王家の紋章が入った豪華な馬車が猛スピードで滑り込んできた。
馬車が止まるやいなや、中から飛び出してきたのは、髪を振り乱したアルフレッド王子である。
「キャメル! キャメル・ド・ヴァニラはどこだ! 早く私の前に来い!」
王子の叫び声に応えたのは、邸の主ではなく、日傘を優雅に回しながら歩いてきた執事のセバスチャンだった。
「これはこれは、アルフレッド殿下。あいにくお嬢様は現在、非常に重要な『儀式』の最中でございまして、お会いすることは叶いません」
「儀式だと!? 婚約破棄のショックで、ついに怪しげな宗教にでもハマったのか! どけ、私が目を覚まさせてやる!」
アルフレッドはセバスチャンを突き飛ばす勢いで、邸の裏手にある菜園へと突き進んだ。
そこで彼が目にしたのは、神聖な儀式とは程遠い、だが別の意味で衝撃的な光景だった。
「……ぬんっ!!」
キャメルが、人の胴体ほどもある巨大な白菜を、素手で真っ二つに引き裂いていた。
その横では、隣国の王子レオナードが、まるで彫刻のような無表情で大量の粉唐辛子をボウルに投入している。
「素晴らしい手際だ、キャメル。君の指先に宿る破壊衝動が、白菜の細胞一つ一つを活性化させているのがわかるぞ」
「お褒めいただき光栄ですわ、レオナード様! さあ、そこ! 冷気を強めて! 白菜の鮮度を逃さないで!」
「承知した。絶対零度の静寂を、この野菜たちに捧げよう」
二人の周囲には、氷の粒子と唐辛子の粉末が舞い、一種の幻想的(かつ刺激臭の漂う)空間が形成されていた。
そこへ、アルフレッドが土足で踏み込む。
「キャメル! 貴様、こんなところで何をしている!」
キャメルは、真っ赤な唐辛子に染まった手で、ゆっくりと振り返った。
「……あら。どちらの不審者かと思えば、元婚約者のアルフレッド様ではありませんか。どうされたのです? またお腹でも壊して、私の特製キムチを求めに来られたのかしら?」
「違うわ! 貴様がいなくなったせいで、王宮の書類が山積みになっているんだ! 料理も味気ないし、隣国の親書も読めん! 全く、お前というやつは私がいなければ何もできないと思っていたが、実際は逆だったようだな!」
アルフレッドは、何を勘違いしたのか、偉そうに腕を組んで胸を張った。
「特別に許可してやる。今すぐ王宮に戻り、以前のように私のサポートをしろ。そうすれば、リリアンの『次』の側妃くらいにはしてやってもいい」
一瞬、菜園に沈黙が流れた。
セバスチャンが「おやおや」と顔を覆い、レオナードの周囲の気温が急激にマイナス三十度まで低下した。
しかし、当のキャメルは、キョトンとした顔で首を傾げた。
「……側妃? 側妃って、あの『お給料が少なくて自由時間がなくて、毎日お局様にいびられる』という、ブラック企業の代名詞のような役職のことかしら?」
「ぶ、ブラック……? 何を言っている。王子の愛を受けられるのだぞ!」
「愛? そんなものより、私はこの白菜の『旨味』の方が信じられますわ。殿下、一つ勘違いをなさらないでくださいませ」
キャメルは、唐辛子まみれの手をアルフレッドの鼻先に突き出した。
「私は今、人生で最高に幸せなんですの。朝は土の香りで目覚め、昼はレオナード様という高性能冷蔵庫を使いこなし、夜は新作キムチの試食会……。ここに、あなたの入り込む隙間なんて一ミリもございませんわ」
「な……っ!? この、不潔な男とデキているとでも言うのか!」
アルフレッドがレオナードを指差した。
その瞬間、レオナードが音もなくアルフレッドの背後に移動し、その肩に冷たい手を置いた。
「……私の『主』を、不潔と呼んだか?」
「ひいぃっ!?」
「彼女は発酵の女神だ。彼女がその美しい手で大地を耕し、生命を育む姿は、貴様のような凡夫には理解できまい。消えろ、小僧。これ以上彼女の庭を汚すなら、貴様をここで永久保存の氷漬けにする」
レオナードの瞳には、一切の慈悲がない『死神』の輝きが宿っていた。
「わ、わかった! 帰る! 今日は帰ってやる! 後で泣きついても知らんからな!」
アルフレッドは悲鳴を上げて逃げ出し、馬車に飛び乗って土煙を上げながら去っていった。
「ふう。騒がしい男ですわね。せっかくの白菜の『声』が聞こえなくなるところでしたわ」
キャメルは呆れたように息をつき、再び作業に戻ろうとした。
「キャメル。……今の男の言葉、気にする必要はない。君は君のままでいい」
レオナードが、少しだけ保護欲の滲む声で言った。
「もちろんですわ! 気にする暇があったら、塩漬けの時間を一秒でも計算したいですもの!」
「……そうか。さすがだ、私のキャメル」
レオナードは、彼女が「恋愛的な意味で全く相手にしていない」ことに安堵しつつも、自分のことを「高性能冷蔵庫」と呼び続けている事実に、少しだけ複雑な笑みを浮かべるのだった。
馬車が止まるやいなや、中から飛び出してきたのは、髪を振り乱したアルフレッド王子である。
「キャメル! キャメル・ド・ヴァニラはどこだ! 早く私の前に来い!」
王子の叫び声に応えたのは、邸の主ではなく、日傘を優雅に回しながら歩いてきた執事のセバスチャンだった。
「これはこれは、アルフレッド殿下。あいにくお嬢様は現在、非常に重要な『儀式』の最中でございまして、お会いすることは叶いません」
「儀式だと!? 婚約破棄のショックで、ついに怪しげな宗教にでもハマったのか! どけ、私が目を覚まさせてやる!」
アルフレッドはセバスチャンを突き飛ばす勢いで、邸の裏手にある菜園へと突き進んだ。
そこで彼が目にしたのは、神聖な儀式とは程遠い、だが別の意味で衝撃的な光景だった。
「……ぬんっ!!」
キャメルが、人の胴体ほどもある巨大な白菜を、素手で真っ二つに引き裂いていた。
その横では、隣国の王子レオナードが、まるで彫刻のような無表情で大量の粉唐辛子をボウルに投入している。
「素晴らしい手際だ、キャメル。君の指先に宿る破壊衝動が、白菜の細胞一つ一つを活性化させているのがわかるぞ」
「お褒めいただき光栄ですわ、レオナード様! さあ、そこ! 冷気を強めて! 白菜の鮮度を逃さないで!」
「承知した。絶対零度の静寂を、この野菜たちに捧げよう」
二人の周囲には、氷の粒子と唐辛子の粉末が舞い、一種の幻想的(かつ刺激臭の漂う)空間が形成されていた。
そこへ、アルフレッドが土足で踏み込む。
「キャメル! 貴様、こんなところで何をしている!」
キャメルは、真っ赤な唐辛子に染まった手で、ゆっくりと振り返った。
「……あら。どちらの不審者かと思えば、元婚約者のアルフレッド様ではありませんか。どうされたのです? またお腹でも壊して、私の特製キムチを求めに来られたのかしら?」
「違うわ! 貴様がいなくなったせいで、王宮の書類が山積みになっているんだ! 料理も味気ないし、隣国の親書も読めん! 全く、お前というやつは私がいなければ何もできないと思っていたが、実際は逆だったようだな!」
アルフレッドは、何を勘違いしたのか、偉そうに腕を組んで胸を張った。
「特別に許可してやる。今すぐ王宮に戻り、以前のように私のサポートをしろ。そうすれば、リリアンの『次』の側妃くらいにはしてやってもいい」
一瞬、菜園に沈黙が流れた。
セバスチャンが「おやおや」と顔を覆い、レオナードの周囲の気温が急激にマイナス三十度まで低下した。
しかし、当のキャメルは、キョトンとした顔で首を傾げた。
「……側妃? 側妃って、あの『お給料が少なくて自由時間がなくて、毎日お局様にいびられる』という、ブラック企業の代名詞のような役職のことかしら?」
「ぶ、ブラック……? 何を言っている。王子の愛を受けられるのだぞ!」
「愛? そんなものより、私はこの白菜の『旨味』の方が信じられますわ。殿下、一つ勘違いをなさらないでくださいませ」
キャメルは、唐辛子まみれの手をアルフレッドの鼻先に突き出した。
「私は今、人生で最高に幸せなんですの。朝は土の香りで目覚め、昼はレオナード様という高性能冷蔵庫を使いこなし、夜は新作キムチの試食会……。ここに、あなたの入り込む隙間なんて一ミリもございませんわ」
「な……っ!? この、不潔な男とデキているとでも言うのか!」
アルフレッドがレオナードを指差した。
その瞬間、レオナードが音もなくアルフレッドの背後に移動し、その肩に冷たい手を置いた。
「……私の『主』を、不潔と呼んだか?」
「ひいぃっ!?」
「彼女は発酵の女神だ。彼女がその美しい手で大地を耕し、生命を育む姿は、貴様のような凡夫には理解できまい。消えろ、小僧。これ以上彼女の庭を汚すなら、貴様をここで永久保存の氷漬けにする」
レオナードの瞳には、一切の慈悲がない『死神』の輝きが宿っていた。
「わ、わかった! 帰る! 今日は帰ってやる! 後で泣きついても知らんからな!」
アルフレッドは悲鳴を上げて逃げ出し、馬車に飛び乗って土煙を上げながら去っていった。
「ふう。騒がしい男ですわね。せっかくの白菜の『声』が聞こえなくなるところでしたわ」
キャメルは呆れたように息をつき、再び作業に戻ろうとした。
「キャメル。……今の男の言葉、気にする必要はない。君は君のままでいい」
レオナードが、少しだけ保護欲の滲む声で言った。
「もちろんですわ! 気にする暇があったら、塩漬けの時間を一秒でも計算したいですもの!」
「……そうか。さすがだ、私のキャメル」
レオナードは、彼女が「恋愛的な意味で全く相手にしていない」ことに安堵しつつも、自分のことを「高性能冷蔵庫」と呼び続けている事実に、少しだけ複雑な笑みを浮かべるのだった。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!
ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。
なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。
『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ
夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」
華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!
お前との婚約は、ここで破棄する!
もちもちほっぺ
恋愛
「公爵令嬢レティシア・フォン・エーデルシュタイン! お前との婚約は、ここで破棄する!」
華やかな舞踏会の中心で、第三王子アレクシス・ローゼンベルクがそう高らかに宣言した。
一瞬の静寂の後、会場がどよめく。
私は心の中でため息をついた。
本の通りに悪役をこなしてみようと思います
Blue
恋愛
ある朝。目覚めるとサイドテーブルの上に見知らぬ本が置かれていた。
本の通りに自分自身を演じなければ死ぬ、ですって?
こんな怪しげな本、全く信用ならないけれど、やってやろうじゃないの。
悪役上等。
なのに、何だか様子がおかしいような?
婚約破棄?悪役令嬢の復讐は爆速で。
八雲
恋愛
「リリム・フォン・アスタロト! 貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの最中、婚約者である王太子エリオットから身に覚えのない罪を突きつけられた公爵令嬢リリム。隣には「真実の愛」を語るマシュマロ系男爵令嬢シャーリーの姿。
普通の令嬢なら泣き崩れる場面――だが、リリムは違った。
『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています
六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。
しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。
「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!