婚約破棄ありがとうございます! お礼いたしますわ!

黒猫かの

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ド・ヴァニラ公爵邸の正門前には、王家の遠征でも見られないような異様な車列が並んでいた。


先頭を行くのは、豪奢な装飾が施されたハデス王国の王族専用馬車。


しかし、その後ろに続く十数台の荷馬車には、金銀財宝ではなく、積み上げられた大量の「白菜」と「大蒜」、そして謎の「瓶」が詰め込まれていた。


「……キャメル。念のために確認するが、これは『聖女の巡礼』であって、植民地への『入植』ではないのだな?」


レオナードが、馬車に積み込まれた白菜の山を見上げて、呆れたように、だがどこか愛おしそうに尋ねた。


「何を言っているのですか、レオナード様! ハデス王国には最高の岩塩と黒唐辛子がありますが、白菜の『品種』に関しては我が国のものが一番ですわ。……聖女として行くからには、あちらの食卓に革命を起こすための『弾薬』が必要なのです!」


キャメルは、ハチマキ(今回は上品なレース付き)を締め直し、気合十分に宣言した。


「なるほど。弾薬か。……確かに、この大蒜の放つプレッシャーは、並の魔導石よりも強力なエネルギーを感じるぞ」


「でしょう!? さあレオナード様、移動中も保冷魔法の出力を一定に保ってくださいませ。振動で樽が爆発しないよう、周囲の空気ごと固定してくださる?」


「了解した。……私がついている。道中の温度変化は、一ミリたりとも許さない」


レオナードが指を鳴らすと、車列全体が薄い氷の膜に包まれ、まるで「走る冷蔵コンテナ」のような状態になった。


隣国の最強王子を、ここまで私物化……もとい、有効活用する令嬢は後にも先にも彼女だけであろう。


こうして、前代未聞の「キムチ遠征隊」は、王都の人々に見送られながら(主に臭いへの恐怖で)出発した。


旅が始まって三日。馬車が国境近くの険しい山道を差し掛かった時のことだ。


「……止まれ! 命が惜しくば、積んでいる宝を置いていけ!」


突然、茂みから二十人ほどの武装した賊が飛び出してきた。


彼らは、ハデス王国の王族の紋章が入った馬車を見て、大きな獲物が来たと勘違いしたらしい。


「……チッ。空気が乱れる。発酵の妨げだ」


レオナードが不機嫌そうに剣を抜こうとしたが、それよりも早くキャメルが馬車の扉を蹴り開けた。


「……ちょっと、あなたたち。今、何ておっしゃいましたの?」


キャメルは、移動中の揺れによる「樽の液漏れ」を懸念して、極度のストレス状態にあった。


その表情は、普段の三倍は「般若」に近く、瞳からは紫色の炎(のような執念)が立ち上っている。


「ひっ……!? な、なんだこの女のツラは……! 鬼か? 羅刹か!?」


賊のリーダーが、キャメルの顔を見た瞬間に数歩後ずさった。


「宝を置いていけ? 笑わせないでくださいませ。この樽の中にあるのは、私の血と汗と涙、そして厳選されたアミの塩辛ですのよ。……それを奪おうなんて、万死に値しますわ!」


キャメルは、馬車のステップから飛び降りると、近くに転がっていた手頃な岩(二十キロ相当)を片手で持ち上げた。


「いいですか、あなたたち。私のキムチ作りを邪魔する者は、たとえ神様だろうと粉砕して差し上げますわ! どっせえええええい!!」


キャメルが岩を投げつけると、それは凄まじい風切り音と共に賊の目の前の地面に突き刺さり、クレーターを作った。


「ぎ、ぎゃあああ!! 怪物だ! 食べられるぞ!」


「待ちなさい! 食べませんわよ、あなたたちなんて不味そうですもの! 肥料にすらなりませんわ!」


キャメルが追い打ちをかけるように怒号を飛ばすと、賊たちは武器を捨てて、クモの子を散らすように逃げ出していった。


「……ふう。騒がしい蠅たちですわね。レオナード様、今の衝撃で樽にヒビは入っていませんこと?」


キャメルは、何事もなかったかのようにレオナードを振り返った。


レオナードは、鞘に収めたばかりの剣を弄びながら、感嘆の息を漏らした。


「……素晴らしい。武力を使わず、その『美貌(という名の迫力)』だけで敵を退けるとは。……流石は私のキャメルだ。君の聖女としての資質は、もはや戦の抑止力にすらなり得るな」


「美貌だなんて、レオナード様もお上手ですわね。……あ、でも、少し頬が熱くなっていますわ。保冷が足りませんわよ?」


「……すまない。君の雄姿に見惚れて、つい体温が上がってしまった」


レオナードがキャメルの手をとり、氷のように冷たく、だが甘い口づけを落とした。


(……この男、冷蔵庫としての性能は最高だけれど、たまに機能が不安定になるのが難点ですわね)


キャメルは首を傾げながらも、再び馬車に乗り込んだ。


国境の向こう側では、ハデス王国の民たちが「伝説の聖女」の到着を心待ちにしていたが、彼らはまだ知らない。


やってくるのが「癒やしの光」ではなく「刺激的な辛味」を撒き散らす、真っ赤な嵐であることを。


キャメルの聖女伝説が、いよいよ隣国で幕を開けようとしていた。
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