婚約破棄ありがとうございます! お礼いたしますわ!

黒猫かの

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ハデス王国の王都「グラシエール」。


一年中涼しい風が吹き抜けるこの街の正門には、かつてないほどの群衆が押し寄せていた。


「……聞いたか? 殿下が連れてくるのは、我が国の食文化を救う『赤い聖女』様だそうだ」


「あの美食家の国王陛下が、一口食べただけで王座から転げ落ちたという伝説の料理を作るらしいぞ」


「きっと、女神のように慈悲深く、触れるだけで心が洗われるような美しいお方に違いない……!」


民衆が期待に胸を膨らませ、今か今かと待ち構える中、漆黒と銀の装飾が施された王家の馬車が姿を現した。


その後ろには、異様な存在感を放つ「霜が降りた荷馬車の列」が続く。


馬車の扉がゆっくりと開かれ、レオナードが先に降りて、優雅に手を差し伸べた。


「さあ、我が故郷へようこそ、キャメル。君を歓迎するために、これほどの民が集まっている」


「……あら、大変。こんなに見られていては、荷馬車の『微調整』がしにくいではありませんの」


馬車から降り立ったキャメルは、ハデス王国の涼しい空気に目を細め、満足げに微笑んだ。


……が、その「微笑み」は、民衆の目には「獲物を前にした破壊神の薄笑い」に映った。


「ひっ……!? あ、あの方が聖女様……? なんだか、目が合うだけで寿命が縮まりそうな迫力だぞ」


「……いや、見てみろ。あの気高い立ち振る舞い。あれは『慈悲』ではない、『支配』のオーラだ!」


どよめく民衆を意に介さず、キャメルは赤絨毯の上を堂々と歩き、出迎えた国王の元へと進んだ。


「よくぞ参った、キャメル嬢! 貴殿が持ち込んだという『例の物』、我が国の民に披露する準備はできているか?」


国王は、すでに喉を鳴らし、期待に目を輝かせている。


「もちろんですわ、陛下。……レオナード様、封印を解いてくださる?」


「了解した。……ハデス王国の冷気よ、今こそ彼女の情熱を開放せよ!」


レオナードが印を結び、背後の荷馬車にかけられた氷の魔力を解いた。


ガコンッ、という重厚な音と共に、特製の巨大な樽の蓋が開かれる。


瞬間。


「……っ!? ……うわああああああ!!」


「目が、目がぁぁ! 鼻が、鼻がもげるぞぉぉ!!」


歓迎式典の会場を、凄まじい「ニンニクと唐辛子の香気」が駆け抜けた。


それは、ハデス王国の清涼な空気を一瞬で「情熱的な赤」に塗り替えるほどの衝撃だった。


泣き出す子供、腰を抜かす文官、そして……狂喜乱舞する美食家たち。


キャメルは、樽の中に手を突っ込み、真っ赤に輝く白菜を高く掲げた。


「ハデス王国の皆様! 聖女(自称)のキャメル・ド・ヴァニラですわ! 今日、この街に『新しい火』を灯しに来ましたの!」


「……火? ああ、あの赤い野菜が、私の胃袋を焼こうとしている!」


国王は、たまらずに玉座から駆け下りると、キャメルが掲げた白菜に直接かぶりついた。


「……っ! ……おおおっ!! 涼しい我が国に、真夏の太陽が昇ったようだ!!」


国王が感涙にむせびながら叫ぶと、それを見た民衆も「毒ではないのか?」「いや、陛下が食べているなら!」と次々に配られた「一口キムチ」を口にし始めた。


「……辛い! でも美味い! なんだこれ、止まらないぞ!」


「聖女様! 聖女様万歳!!」


先ほどまで恐怖に震えていた民衆が、今や真っ赤な顔で拳を突き上げ、キャメルを讃えている。


レオナードは、その光景を誇らしげに見つめ、キャメルの腰を引き寄せた。


「……見たか、キャメル。君の『毒(刺激)』は、この国の凍てついた心を溶かしてしまったようだ」


「あら、溶かすどころか、今夜は皆さん寝かせませんわよ? 追いキムチの用意は、まだまだありますもの!」


キャメルは、般若のような笑みを浮かべ、さらに巨大な白菜を掲げた。


ハデス王国の歴史において、これほどまでに「臭く」、これほどまでに「熱い」歓迎式典はかつて存在しなかった。


そして、その夜。


王宮の迎賓館で、キャメルはレオナードと共に、さらなる「新商品」の開発に着手していた。


「レオナード様、次はあちらの『氷河岩塩の洞窟』を、私の発酵室として提供していただきますわよ」


「ああ、君の望むままに。……私もそこで、君と共に『熟成』されるのを待つとしよう」


「……? あなたまで熟成してどうするんですの。冷気だけ出していればよろしいのに」


「……フッ、相変わらず手厳しい。だが、そこが君の最高のスパイスだ」


聖女としての快進撃は、ここハデス王国で、国家をも巻き込む「赤い産業革命」へと進化しようとしていた。
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