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政略結婚なんてこんなもの
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「よろしいですか。全て旦那様にお任せするのです。初めは怖いと思われるかもしれませんが、大丈夫。目を閉じて、全て旦那様にお任せすればいいのです」
侍女のマーサが髪に香油を垂らしながら、何度目かの心得を話して聞かせる。
淡い栗色の髪は絹糸のように細く、マーサは髪の毛を一本でも切るまいと慎重に、しかし慣れた手つきで手早く髪にブラシを通していく。
白いみずみずしい肌には薄く化粧が施され、いつものあどけなさの残る彼女の顔は、どこか大人びて見える。
カニング伯爵家の次女セオドシア――いや、ダーリントン伯爵夫人はマーサの心地よいブラッシングにうっとりしながら、今日までの出来事をぼんやりと考えていた。
婚姻の話を聞かされたのは僅か9か月前。
父であるカニング伯爵は、15歳になったばかりのセオドシアを呼び出し、いつも通りの無愛想な口調で告げた。
「お前の結婚が決まった。ダーリントン伯爵家のマークス公子だ」
3か月後にデビュタントを控えたセオドシアは、その準備で既に疲れていたのに、更に結婚まで控えているのだと思うと、うんざりした。
ダーリントン伯爵家と言うと、伯爵ではありながら領地を持たない宮廷貴族。
王宮の警護を担う近衛親衛隊が所属する軍部で、代々大臣の任に就いていた名門だ。
その子息のマークス公子と言えば、デビュタントを終えていないセオドシアの耳にも漏れ聞こえてくるほど、噂話が絶えない。
もっとも、美男子であるとか、社交界の華であると言った話ではない。
伯爵家が歴任してきた近衛親衛隊ではなく治安維持隊の隊長に就任し、王都はもちろん、王国内のあらゆる領地に出向しては不正や犯罪を取り締まる責任感の塊のような男だと。
彼が隊長に就任してから王国の治安がよくなったという話は、デビュタント前のセオドシアですら知っていた。
仕事のし過ぎで婚期を逃し、30歳も手前に差し掛かっているはず。
なるほど。釣り合う年齢で目ぼしい家格の娘は既に貰い手がついている為、伯爵家とは言え裕福ではないが、歴史だけは古いカニング家に目を付けたのか。
セオドシアは一人で納得した。
「鬼の隊長さん――か」
自室に戻ったセオドシアは、デビュタント用に仕立てる仮縫いのドレスをぼんやりと眺めていた。
家格の低い貴族の子女が舞踏会で目ぼしい結婚相手を見つけるのはよくある事で、セオドシアもそのつもりだった。
決して裕福ではないカニング伯爵家ではあったが、母の圧力に渋る父が負けてドレスを新調する事になったのだが、デビュタントの前に結婚が決まってしまっては無駄遣いになってしまったと溜息をついた。
セオドシアの頭の中は、会った事のない未来の夫よりも、目の前のドレスとカニング家の財政事情の方が遥かに気になっていた。
ドレスは質素なデザインだったが、胸元とスカートには絹糸で刺繍が施され、袖には最近王都で流行している手編みのレースがあしらわれた素晴らしいものだった。
これ一着で何人の使用人の月給を賄えるのかわからない値段だが、それでも貴族として最低よりは少しマシなレベルの値段に過ぎない。
「ダーリントン公子はデビュタントでエスコートしてくださるのかしら」
母親とのティータイムで、セオドシアはふと漏らした。
結婚が決まるまでは、エスコートは兄のテオドールが、シャペロンは母が行うという段取りだった。
「あら――まあ」
おっとりとした性格の母は、そう言うと少しの間考え込んでしまった。
――これは、忘れていたわね。お母様……
セオドシアは母の様子を見て溜息をついた。
デビュタントは3日後。
結婚を告げられてから今日まで、マークスからセオドシアに対してエスコートの申し出はおろか、手紙の一つも送られてきていない。
貴族の結婚とは、大抵が家同士の結びつきであり、平たく言うと政略結婚であることが殆どだ。
愛だの恋だのは物語の中だけの話で、大抵は役割の為に行われる。
領地が遠く離れている貴族同士など、結婚式の場で初めて顔を合わせるなどごくごく当たり前の事なのだ。
そのくらいのことは、恋など知らないセオドシアにもちゃんとわかっていた。
だからと言って、同じ王都にいながら手紙もなく、エスコートもないとは――もしかしたらマークスはこの結婚に乗り気ではないのかもしれない。
セオドシアは小さく溜息をついた。
デビュタント当日は、朝から準備が慌ただしく、エスコートの事など考える余裕もなかった。
舞踏会は夜の21時から朝方まで行われる。体力勝負なのだ。
しかし、結婚が決まっているセオドシアにとっては、朝までいる必要はない。
何人もの殿方と踊って言葉を交わす事は、結婚相手がいる女性がする事ではない。
今日は文字通り社交界への顔見せ程度に終わるのだと、セオドシアは完成したドレスを着て、少しがっかりしていた。
「やあ、我が妹よ。今日の君はとても美しい」
準備が終わり、エントランスに出たセオドシアを出迎えたのは、陽気な性格の兄テオドールだった。
10歳も年の離れたテオドールは、父の仕事を手伝って領地にいるが、セオドシアのデビュタントに合わせて王都に出てきている。
テオドールは着飾った妹を壊れ物のように慎重な手つきで抱き締めると、頬にキスをした。
その時だった。
「ダーリントン伯爵家のマークス公子がお見えになりました」
カニング家の執事が恭しく頭を下げて二人に告げた。
「あら、あら――まあ?」
エントランスに出てきた母親も困惑している。
セオドシアもテオドールも驚いている。
「デビュタントをエスコートするのは婚約者として当然の事と思っていました」
「気にかけてくださっていて嬉しいですわ。――でも、せめてお知らせの一つも頂ければ……」
「――面目もない」
王宮に向かう馬車の中で、マークスは申し訳なさそうに頭を下げた。
黒い髪を後ろで纏め上げ、逞しい体を窮屈そうに礼服に収めた、美男子ではないが、精悍な誠実そうな顔をした青年に、セオドシアは困惑していた。
――この方がマークス様。
30手前と聞いていたが、実際は27歳だという。
申し訳ないが年齢相応に見えなかった。――悪い方の意味で。
治安維持隊として、毎日王都を警らしている為か、肌は日に焼けて浅黒く、荒れている。
眉間に刻み込まれたかのような皺も、見た目年齢を増やしているように思える。
セオドシアは家族や使用人以外の男性と話す事がなかったし、なにより兄よりも年上の男性となんて、何を話せばいいのかわからない。
ましてや、王都で鬼の隊長と揶揄される人物だ。
マークスもひとしきり謝罪をした後は、居心地が悪そうにずっと黙り込んでしまった。
王宮迄の道のりはとても長く感じて、セオドシアはマークスから手首に結ばれた、カーネーションで作られた可愛いコサージュを所在なく見つめていた。
王宮に到着すると、カニング家の馬車でやってきた兄と母を伴い、マークスにエスコートされて会場へと入った。
恐らくマークスの顔見知りであろう近衛兵達が、マークスとセオドシアを見て驚いた表情を次々に浮かべていた。
「カニング家、セオドシア令嬢、ダーリントン家マークス公子」
名を読み上げられ、会場に入ると場内の視線が一気に二人に注がれたのが分かった。
――マークス様が……
――噂は本当だったのか
会場のあちらこちらからそんな声が聞こえてくる。
セオドシアは居心地の悪さに帰りたくなったが、マークスの腕に回した手に、マークスの手が覆いかぶさった。
「申し訳ない。私がこの年までろくに社交を行ってこなかったせいで、あなたまで好奇の目にさらされてしまった」
頭一つ高いマークスの口から、またも謝罪の言葉がこぼれ出てきた。
この人はさっきから謝ってばかりだわ――。
それに気付くと、セオドシアは急に隣の男性が可愛く思えてきた。
自分よりも10以上も下の娘に頭を下げる鬼の隊長さん――もしかしたら怖い人ではないのかもしれない。
「私も社交は初めてですわ。私達お揃いですわね」
セオドシアがマークスを見上げて微笑むと、マークスは驚いたように眉間を開いた。
「――いや、私は社交が初めてというわけでは――いや……そうだな。お揃いだ」
マークスは微笑んでセオドシアを見返した。
ファーストダンスはパートナーと踊るもの。セオドシアは言いつけ通りマークスと最初のダンスを踊り、次にテオドールと踊った。
ファーストダンスが終わると、マークスは仕事に戻らないといけないと申し訳なさそうに頭を下げて、以降のエスコートをテオドールに委ねて会場を後にした。
その日から結婚式当日の今日まで、セオドシアはマークスに会う事はなかったし、相変わらず手紙の一つもなかった。
いや、正確にはエスコートの礼状を送った返事に、短い一文と結婚式のドレスの生地が送られてきただけだった。
余程あのドレスがみすぼらしかったのだろうかと、セオドシアは落胆するほど、ドレスの生地は上級貴族でも手に入らない程の上質な絹だった。
「ご準備が整いましたよ、お嬢様――いけない、奥様」
カニング家から連れてきた侍女のマーサは、言いなれない呼び方に嬉しそうに微笑んだ。
15歳での結婚など、貴族では珍しくはない。もっとも、昨今では貴族も晩婚が進み、20歳前後で結婚する令嬢もいるのだと聞く。
それに比べると、私は苦労なく嫁ぎ先が決まって幸運なのだわ。
マーサに促されて、寝室への扉を開ける。
天蓋のついた大きな寝台は夫婦が二人で寝るには広すぎるのではないだろうか。
マーサが扉を閉めると、薄暗い部屋には芯を短く切った蝋燭が所々に置かれており、ベッドの脇のソファにマークスが座っている事に気が付いた。
セオドシアはマークスの側に立つと、恭しく頭を下げた。
下げた頭が上がらないうちに、セオドシアの体は宙に浮いた――ように思えるほど軽々とマークスに抱き上げられ、壊れ物を扱うかのようにベッドに優しく置かれた。
「あなたはまだ年若い。なるべく優しくするつもりだが、怖かったら言ってくれ」
マークスの言葉に、セオドシアは小さく頷いて目を閉じた。
――目を閉じて旦那様に全て委ねればいい。
それが開始の合図ととらえたのだろうか。
マークスの体がセオドシアに覆いかぶさり、紳士的で儀礼的な夫婦の行為は夜遅くまで続けられた。
初夜から3か月が経った頃には、セオドシアはマークスを受け入れるのが当たり前になっていた。
しかし、マークスは結婚当初こそ毎日のように帰宅しては行為を重ねていたものの、ひと月経ち、ふた月経つと、次第に帰宅がまばらになり、3か月が経った現在は週に一度帰ってくればいい程度だった。
そして、帰った日には必ず床を同じにしていたのだが、その行為はとても淡白で儀礼的ものだった。
既婚者となったセオドシアが社交の場に出ると、貴婦人たちは無遠慮に夜の営みについて赤裸々に話してくれる。
そのおかげで、セオドシアはマークスとの行為が情熱的なそれではなく、ただ最低限の行為しかなされていない事に気が付くのに時間がかからなかった。
「妊娠の兆候はないのか」
ある夜、行為が終わって珍しく夫がセオドシアに話しかけた。
いつもなら行為が終わるとすぐに眠ってしまうのに。
「はい。――申し訳ありません」
セオドシアは寝間着を羽織りながら頭を下げた。
茶会で貴婦人に言われた言葉がふと脳裏をよぎった。
『妻が絶頂に達しないと妊娠しませんもの』
赤裸々な行為の告白の後、貴婦人はそう言っていた。
絶頂に達するとはどういうことなのだろうか。夫との行為では初めにあったような苦痛は感じない。
しかし、貴婦人達の言うように頭の中が真っ白になるほどの快楽というものも感じたことがない。
私が夫を受け入れていないから妊娠しないのだろうか。
セオドシアは自分に背を向けて眠る夫を見つめながら、溜息をついた。
結婚するまでは夫は不器用ながらも、丁寧に扱ってくれていた。
いや、今も丁寧に扱ってくれている。必要な物は全て買い与えてくれるし、夜会も一緒に行ってくれる。
そもそも、結婚するまでと言っても会ったのはデビュタントのあの1日だけ。あれで何が分かったと言うの。
セオドシアはあのデビュタントの日に見せた、不器用に謝るマークスの姿を思い描き、自分に背を向ける夫に重ねてみた。
まるで違う人間のように見えるし、同じようにも見える。
つまり、何もわかっていなかったのだ。
もう一度深く溜息をつき、セオドシアは夫に背を向けて目を閉じた。
結婚して半年が経ったある日、事態は大きく変わった。
久しぶりに兄が王都にやってきていると聞いて、セオドシアはカニング家のタウンハウスに向かった。
領地の運営状況の報告に、数か月に一度父の名代で王都に来るのだが、結婚してからは全くあっていなかった。
夫は行為の回数は減ったのに反比例して、子供はまだかとせっつくし、貴婦人たちは相変わらず夜の秘め事を赤裸々に話して聞かせる。
おまけにマーサはセオドシアが可哀想だと嘆くので、家でも外でも気の休まる事が無い。
セオドシアは、兄に会えば気も紛れるだろうと、先触れも出さずにカニング家のタウンハウスへ向かった。
タウンハウスに到着すると、兄は屋敷の裏の小屋にいると執事に教えられた。
裏の小屋は子供の頃に父が建ててくれた、子供部屋だ。
もちろん、屋敷にも子供部屋はあるのだが、屋敷の裏のこの小屋は子供達だけの秘密の部屋と言う設定で、兄とセオドシアだけの聖域だったのだ。
もっとも、掃除をしていたのは使用人だったのだが。
セオドシアが生まれるまでは、兄一人の聖域だったのを、兄はセオドシアを引き入れて15歳になるまで一緒に遊んでくれていた。
テオドールが成人して、セオドシアが貴婦人としての勉強を始めても、小屋は壊さず時折こうやってテオドールが一人になりたい時に使っていた。
懐かしい思い出に胸が温かくなるのを感じながら、小屋に到着したセオドシアは、ドアに手を掛けようとして人の気配を感じた。
兄がいるので当然人の気配はする。しかし、これはちがう。
衣擦れの音や、押し殺したような荒い息遣いが漏れ聞こえてくる。
微かにだが、聞き覚えのある声だ。
「テオ……」
「あ……マークス……」
聞き耳を立てていて聞こえてきたのは、自分の夫を呼ぶ兄の声だった。
――どういうことなの。
セオドシアは音をたてないように扉を少し開けて、中を覗き見た。
そこには、寝台代わりに置かれた柔らかい羊の敷物の上で、兄に覆いかぶさって激しく腰を振る自分の夫が、そして恍惚の表情を浮かべた兄がいた。
自分には見せた事もないような情熱的な眼差しをテオドールに向ける夫の表情――いや、結婚した当初はこのような表情もしていたかもしれない。
それでも、こんなに熱っぽく情熱的な行為ではなかった。
セオドシアは息を殺して二人の行為が終わるのをじっと見ていた。
兄の中で果てる夫。
二人は絡みつくように唇を重ね合わせて離れなかった。
「お兄様――旦那様――」
二人の唇が離れたのと同時に、セオドシアは小屋の中に入った。
「セオドシア――」
セオドシアに気付いた夫は慌てて近くにあった布を腰に巻き、兄はブランケットを体に巻き付けながらセオドシアの名を呼んだ。
「私――私はずっと妊娠の兆候がないのは、私がマークス様を受け入れられていないからなのだと思っていました。……でも、違ったのですね」
セオドシアの目に涙は浮かんでいなかった。その代わり絶望の色が浮かんでいた。
「すまない」
マークスが膝と手をついてセオドシアに謝った。
頭を下げるマークスを見ながら、不器用な人だと思っていたけど、自分への興味がなく、ただ夫という役割を果たしていただけだったのだと、セオドシアは溜息をついた。
「私は女性を愛する事ができない。だが、テオドールによく似た君なら、君とならと思ったんだ」
この人は何を言っているのだろう。
セオドシアはマークスの謝罪を聞きながら、溜息が出るのが分かった。
「セオドシア、誤解しないでくれ。こうなったのはお前たちが結婚してからで、僕は知らなかったんだ」
「知らなかったのに、どうしてこうなっていらっしゃるのですか」
セオドシアの心には不思議と怒りはなかった。
ただ、子供ができなかったのは自分のせいではなかったと言う安堵が大きくなっているのが分かった。
「お前たちが結婚してふた月が経った頃だろうか。偶然領地にマークスが仕事でやって来たんだ。年は上だが義弟でもあるからうちの屋敷に滞在してもらったんだよ」
ああ、確かに結婚して少しした頃、夫は仕事で2週間ほど帰らなかったことがあったなと、セオドシアは思い返していた。
――もっとも、そんな事はしょっちゅうだったので、どのあたりの出来事かなどは特定できないが。
「なぜ私が結婚しないのかと聞かれ、義弟の気安さから私が女性を愛せない体なのだと言う事を打ち明けたのだよ」
それはセオドシアにとっても衝撃の告白だった。
「子供の頃高熱で寝込んだことがあってね。それ以来私の男としての機能は――」
テオドールの目に涙が浮かんでいた。
「それにつけ込むような事をしてしまったのは悪いと思っている。だが、ずっと前から私はテオドールを愛していたんだ」
マークスはテオドールを庇うように抱きかかえると、セオドシアを見上げて訴えた。
「10年前の夜会でテオドールに出会って以来、ずっと想っていたんだ。どうすれば近付けるのかと考え、王宮に閉じ込められる近衛親衛隊ではなく治安維持隊に入る事で、近付けるんじゃないかとさえ思ったほどに」
歴代の職を辞してまで治安維持隊を選んだのは、まさかの兄の為だったのかと、セオドシアは愕然とした。だが、表情に出さないよう努めて平静にふるまっていた。
「君を始めて見た時に、あまりにも出会った頃のテオドールにそっくりで、気が付けば求婚していた」
「つまり――兄の代わりに私と結婚したのに、兄が手に入ったから私は用無し――いえ、お役目御免という事だったのでしょうか」
セオドシアが漸く言葉を発すると、マークスは慌てて首を横に振った。
「確かに足は遠のいてはいたが、夫としての役割は果たしていた」
「ええ、そうですわね。役割……もしかして旦那様が私との間に子を望んでいたのは、兄に似た子が欲しかったという事なのですか」
セオドシアの問いかけに、マークスはしばらく固まっていたが、やがて観念したように無言で頷いた。
分かってしまえば簡単な事だった。
夫と兄が愛し合っていたからと言って、簡単に離婚できるわけもない。
離婚した貴族令嬢が行く先は修道院か、老人の後家くらい。それならば、何不自由ない生活ができて、いずれは伯爵を継ぐマークスの妻でいた方がよほどいい。
それに、こんな話は貴族の世界ではよくある事で、いちいち騒ぎ立てるほどの事でもない。
流石に、夫の間夫が実の兄というのは中々衝撃ではあったが。
自分も愛情が必要ならば、頃合いを見計らって他の貴婦人方のように愛人を囲めばよいのだから。
それに――
セオドシアは大きくなったお腹を愛しそうに撫でて、小さく息を吐いた。
政略結婚なんてこんなものよ。
侍女のマーサが髪に香油を垂らしながら、何度目かの心得を話して聞かせる。
淡い栗色の髪は絹糸のように細く、マーサは髪の毛を一本でも切るまいと慎重に、しかし慣れた手つきで手早く髪にブラシを通していく。
白いみずみずしい肌には薄く化粧が施され、いつものあどけなさの残る彼女の顔は、どこか大人びて見える。
カニング伯爵家の次女セオドシア――いや、ダーリントン伯爵夫人はマーサの心地よいブラッシングにうっとりしながら、今日までの出来事をぼんやりと考えていた。
婚姻の話を聞かされたのは僅か9か月前。
父であるカニング伯爵は、15歳になったばかりのセオドシアを呼び出し、いつも通りの無愛想な口調で告げた。
「お前の結婚が決まった。ダーリントン伯爵家のマークス公子だ」
3か月後にデビュタントを控えたセオドシアは、その準備で既に疲れていたのに、更に結婚まで控えているのだと思うと、うんざりした。
ダーリントン伯爵家と言うと、伯爵ではありながら領地を持たない宮廷貴族。
王宮の警護を担う近衛親衛隊が所属する軍部で、代々大臣の任に就いていた名門だ。
その子息のマークス公子と言えば、デビュタントを終えていないセオドシアの耳にも漏れ聞こえてくるほど、噂話が絶えない。
もっとも、美男子であるとか、社交界の華であると言った話ではない。
伯爵家が歴任してきた近衛親衛隊ではなく治安維持隊の隊長に就任し、王都はもちろん、王国内のあらゆる領地に出向しては不正や犯罪を取り締まる責任感の塊のような男だと。
彼が隊長に就任してから王国の治安がよくなったという話は、デビュタント前のセオドシアですら知っていた。
仕事のし過ぎで婚期を逃し、30歳も手前に差し掛かっているはず。
なるほど。釣り合う年齢で目ぼしい家格の娘は既に貰い手がついている為、伯爵家とは言え裕福ではないが、歴史だけは古いカニング家に目を付けたのか。
セオドシアは一人で納得した。
「鬼の隊長さん――か」
自室に戻ったセオドシアは、デビュタント用に仕立てる仮縫いのドレスをぼんやりと眺めていた。
家格の低い貴族の子女が舞踏会で目ぼしい結婚相手を見つけるのはよくある事で、セオドシアもそのつもりだった。
決して裕福ではないカニング伯爵家ではあったが、母の圧力に渋る父が負けてドレスを新調する事になったのだが、デビュタントの前に結婚が決まってしまっては無駄遣いになってしまったと溜息をついた。
セオドシアの頭の中は、会った事のない未来の夫よりも、目の前のドレスとカニング家の財政事情の方が遥かに気になっていた。
ドレスは質素なデザインだったが、胸元とスカートには絹糸で刺繍が施され、袖には最近王都で流行している手編みのレースがあしらわれた素晴らしいものだった。
これ一着で何人の使用人の月給を賄えるのかわからない値段だが、それでも貴族として最低よりは少しマシなレベルの値段に過ぎない。
「ダーリントン公子はデビュタントでエスコートしてくださるのかしら」
母親とのティータイムで、セオドシアはふと漏らした。
結婚が決まるまでは、エスコートは兄のテオドールが、シャペロンは母が行うという段取りだった。
「あら――まあ」
おっとりとした性格の母は、そう言うと少しの間考え込んでしまった。
――これは、忘れていたわね。お母様……
セオドシアは母の様子を見て溜息をついた。
デビュタントは3日後。
結婚を告げられてから今日まで、マークスからセオドシアに対してエスコートの申し出はおろか、手紙の一つも送られてきていない。
貴族の結婚とは、大抵が家同士の結びつきであり、平たく言うと政略結婚であることが殆どだ。
愛だの恋だのは物語の中だけの話で、大抵は役割の為に行われる。
領地が遠く離れている貴族同士など、結婚式の場で初めて顔を合わせるなどごくごく当たり前の事なのだ。
そのくらいのことは、恋など知らないセオドシアにもちゃんとわかっていた。
だからと言って、同じ王都にいながら手紙もなく、エスコートもないとは――もしかしたらマークスはこの結婚に乗り気ではないのかもしれない。
セオドシアは小さく溜息をついた。
デビュタント当日は、朝から準備が慌ただしく、エスコートの事など考える余裕もなかった。
舞踏会は夜の21時から朝方まで行われる。体力勝負なのだ。
しかし、結婚が決まっているセオドシアにとっては、朝までいる必要はない。
何人もの殿方と踊って言葉を交わす事は、結婚相手がいる女性がする事ではない。
今日は文字通り社交界への顔見せ程度に終わるのだと、セオドシアは完成したドレスを着て、少しがっかりしていた。
「やあ、我が妹よ。今日の君はとても美しい」
準備が終わり、エントランスに出たセオドシアを出迎えたのは、陽気な性格の兄テオドールだった。
10歳も年の離れたテオドールは、父の仕事を手伝って領地にいるが、セオドシアのデビュタントに合わせて王都に出てきている。
テオドールは着飾った妹を壊れ物のように慎重な手つきで抱き締めると、頬にキスをした。
その時だった。
「ダーリントン伯爵家のマークス公子がお見えになりました」
カニング家の執事が恭しく頭を下げて二人に告げた。
「あら、あら――まあ?」
エントランスに出てきた母親も困惑している。
セオドシアもテオドールも驚いている。
「デビュタントをエスコートするのは婚約者として当然の事と思っていました」
「気にかけてくださっていて嬉しいですわ。――でも、せめてお知らせの一つも頂ければ……」
「――面目もない」
王宮に向かう馬車の中で、マークスは申し訳なさそうに頭を下げた。
黒い髪を後ろで纏め上げ、逞しい体を窮屈そうに礼服に収めた、美男子ではないが、精悍な誠実そうな顔をした青年に、セオドシアは困惑していた。
――この方がマークス様。
30手前と聞いていたが、実際は27歳だという。
申し訳ないが年齢相応に見えなかった。――悪い方の意味で。
治安維持隊として、毎日王都を警らしている為か、肌は日に焼けて浅黒く、荒れている。
眉間に刻み込まれたかのような皺も、見た目年齢を増やしているように思える。
セオドシアは家族や使用人以外の男性と話す事がなかったし、なにより兄よりも年上の男性となんて、何を話せばいいのかわからない。
ましてや、王都で鬼の隊長と揶揄される人物だ。
マークスもひとしきり謝罪をした後は、居心地が悪そうにずっと黙り込んでしまった。
王宮迄の道のりはとても長く感じて、セオドシアはマークスから手首に結ばれた、カーネーションで作られた可愛いコサージュを所在なく見つめていた。
王宮に到着すると、カニング家の馬車でやってきた兄と母を伴い、マークスにエスコートされて会場へと入った。
恐らくマークスの顔見知りであろう近衛兵達が、マークスとセオドシアを見て驚いた表情を次々に浮かべていた。
「カニング家、セオドシア令嬢、ダーリントン家マークス公子」
名を読み上げられ、会場に入ると場内の視線が一気に二人に注がれたのが分かった。
――マークス様が……
――噂は本当だったのか
会場のあちらこちらからそんな声が聞こえてくる。
セオドシアは居心地の悪さに帰りたくなったが、マークスの腕に回した手に、マークスの手が覆いかぶさった。
「申し訳ない。私がこの年までろくに社交を行ってこなかったせいで、あなたまで好奇の目にさらされてしまった」
頭一つ高いマークスの口から、またも謝罪の言葉がこぼれ出てきた。
この人はさっきから謝ってばかりだわ――。
それに気付くと、セオドシアは急に隣の男性が可愛く思えてきた。
自分よりも10以上も下の娘に頭を下げる鬼の隊長さん――もしかしたら怖い人ではないのかもしれない。
「私も社交は初めてですわ。私達お揃いですわね」
セオドシアがマークスを見上げて微笑むと、マークスは驚いたように眉間を開いた。
「――いや、私は社交が初めてというわけでは――いや……そうだな。お揃いだ」
マークスは微笑んでセオドシアを見返した。
ファーストダンスはパートナーと踊るもの。セオドシアは言いつけ通りマークスと最初のダンスを踊り、次にテオドールと踊った。
ファーストダンスが終わると、マークスは仕事に戻らないといけないと申し訳なさそうに頭を下げて、以降のエスコートをテオドールに委ねて会場を後にした。
その日から結婚式当日の今日まで、セオドシアはマークスに会う事はなかったし、相変わらず手紙の一つもなかった。
いや、正確にはエスコートの礼状を送った返事に、短い一文と結婚式のドレスの生地が送られてきただけだった。
余程あのドレスがみすぼらしかったのだろうかと、セオドシアは落胆するほど、ドレスの生地は上級貴族でも手に入らない程の上質な絹だった。
「ご準備が整いましたよ、お嬢様――いけない、奥様」
カニング家から連れてきた侍女のマーサは、言いなれない呼び方に嬉しそうに微笑んだ。
15歳での結婚など、貴族では珍しくはない。もっとも、昨今では貴族も晩婚が進み、20歳前後で結婚する令嬢もいるのだと聞く。
それに比べると、私は苦労なく嫁ぎ先が決まって幸運なのだわ。
マーサに促されて、寝室への扉を開ける。
天蓋のついた大きな寝台は夫婦が二人で寝るには広すぎるのではないだろうか。
マーサが扉を閉めると、薄暗い部屋には芯を短く切った蝋燭が所々に置かれており、ベッドの脇のソファにマークスが座っている事に気が付いた。
セオドシアはマークスの側に立つと、恭しく頭を下げた。
下げた頭が上がらないうちに、セオドシアの体は宙に浮いた――ように思えるほど軽々とマークスに抱き上げられ、壊れ物を扱うかのようにベッドに優しく置かれた。
「あなたはまだ年若い。なるべく優しくするつもりだが、怖かったら言ってくれ」
マークスの言葉に、セオドシアは小さく頷いて目を閉じた。
――目を閉じて旦那様に全て委ねればいい。
それが開始の合図ととらえたのだろうか。
マークスの体がセオドシアに覆いかぶさり、紳士的で儀礼的な夫婦の行為は夜遅くまで続けられた。
初夜から3か月が経った頃には、セオドシアはマークスを受け入れるのが当たり前になっていた。
しかし、マークスは結婚当初こそ毎日のように帰宅しては行為を重ねていたものの、ひと月経ち、ふた月経つと、次第に帰宅がまばらになり、3か月が経った現在は週に一度帰ってくればいい程度だった。
そして、帰った日には必ず床を同じにしていたのだが、その行為はとても淡白で儀礼的ものだった。
既婚者となったセオドシアが社交の場に出ると、貴婦人たちは無遠慮に夜の営みについて赤裸々に話してくれる。
そのおかげで、セオドシアはマークスとの行為が情熱的なそれではなく、ただ最低限の行為しかなされていない事に気が付くのに時間がかからなかった。
「妊娠の兆候はないのか」
ある夜、行為が終わって珍しく夫がセオドシアに話しかけた。
いつもなら行為が終わるとすぐに眠ってしまうのに。
「はい。――申し訳ありません」
セオドシアは寝間着を羽織りながら頭を下げた。
茶会で貴婦人に言われた言葉がふと脳裏をよぎった。
『妻が絶頂に達しないと妊娠しませんもの』
赤裸々な行為の告白の後、貴婦人はそう言っていた。
絶頂に達するとはどういうことなのだろうか。夫との行為では初めにあったような苦痛は感じない。
しかし、貴婦人達の言うように頭の中が真っ白になるほどの快楽というものも感じたことがない。
私が夫を受け入れていないから妊娠しないのだろうか。
セオドシアは自分に背を向けて眠る夫を見つめながら、溜息をついた。
結婚するまでは夫は不器用ながらも、丁寧に扱ってくれていた。
いや、今も丁寧に扱ってくれている。必要な物は全て買い与えてくれるし、夜会も一緒に行ってくれる。
そもそも、結婚するまでと言っても会ったのはデビュタントのあの1日だけ。あれで何が分かったと言うの。
セオドシアはあのデビュタントの日に見せた、不器用に謝るマークスの姿を思い描き、自分に背を向ける夫に重ねてみた。
まるで違う人間のように見えるし、同じようにも見える。
つまり、何もわかっていなかったのだ。
もう一度深く溜息をつき、セオドシアは夫に背を向けて目を閉じた。
結婚して半年が経ったある日、事態は大きく変わった。
久しぶりに兄が王都にやってきていると聞いて、セオドシアはカニング家のタウンハウスに向かった。
領地の運営状況の報告に、数か月に一度父の名代で王都に来るのだが、結婚してからは全くあっていなかった。
夫は行為の回数は減ったのに反比例して、子供はまだかとせっつくし、貴婦人たちは相変わらず夜の秘め事を赤裸々に話して聞かせる。
おまけにマーサはセオドシアが可哀想だと嘆くので、家でも外でも気の休まる事が無い。
セオドシアは、兄に会えば気も紛れるだろうと、先触れも出さずにカニング家のタウンハウスへ向かった。
タウンハウスに到着すると、兄は屋敷の裏の小屋にいると執事に教えられた。
裏の小屋は子供の頃に父が建ててくれた、子供部屋だ。
もちろん、屋敷にも子供部屋はあるのだが、屋敷の裏のこの小屋は子供達だけの秘密の部屋と言う設定で、兄とセオドシアだけの聖域だったのだ。
もっとも、掃除をしていたのは使用人だったのだが。
セオドシアが生まれるまでは、兄一人の聖域だったのを、兄はセオドシアを引き入れて15歳になるまで一緒に遊んでくれていた。
テオドールが成人して、セオドシアが貴婦人としての勉強を始めても、小屋は壊さず時折こうやってテオドールが一人になりたい時に使っていた。
懐かしい思い出に胸が温かくなるのを感じながら、小屋に到着したセオドシアは、ドアに手を掛けようとして人の気配を感じた。
兄がいるので当然人の気配はする。しかし、これはちがう。
衣擦れの音や、押し殺したような荒い息遣いが漏れ聞こえてくる。
微かにだが、聞き覚えのある声だ。
「テオ……」
「あ……マークス……」
聞き耳を立てていて聞こえてきたのは、自分の夫を呼ぶ兄の声だった。
――どういうことなの。
セオドシアは音をたてないように扉を少し開けて、中を覗き見た。
そこには、寝台代わりに置かれた柔らかい羊の敷物の上で、兄に覆いかぶさって激しく腰を振る自分の夫が、そして恍惚の表情を浮かべた兄がいた。
自分には見せた事もないような情熱的な眼差しをテオドールに向ける夫の表情――いや、結婚した当初はこのような表情もしていたかもしれない。
それでも、こんなに熱っぽく情熱的な行為ではなかった。
セオドシアは息を殺して二人の行為が終わるのをじっと見ていた。
兄の中で果てる夫。
二人は絡みつくように唇を重ね合わせて離れなかった。
「お兄様――旦那様――」
二人の唇が離れたのと同時に、セオドシアは小屋の中に入った。
「セオドシア――」
セオドシアに気付いた夫は慌てて近くにあった布を腰に巻き、兄はブランケットを体に巻き付けながらセオドシアの名を呼んだ。
「私――私はずっと妊娠の兆候がないのは、私がマークス様を受け入れられていないからなのだと思っていました。……でも、違ったのですね」
セオドシアの目に涙は浮かんでいなかった。その代わり絶望の色が浮かんでいた。
「すまない」
マークスが膝と手をついてセオドシアに謝った。
頭を下げるマークスを見ながら、不器用な人だと思っていたけど、自分への興味がなく、ただ夫という役割を果たしていただけだったのだと、セオドシアは溜息をついた。
「私は女性を愛する事ができない。だが、テオドールによく似た君なら、君とならと思ったんだ」
この人は何を言っているのだろう。
セオドシアはマークスの謝罪を聞きながら、溜息が出るのが分かった。
「セオドシア、誤解しないでくれ。こうなったのはお前たちが結婚してからで、僕は知らなかったんだ」
「知らなかったのに、どうしてこうなっていらっしゃるのですか」
セオドシアの心には不思議と怒りはなかった。
ただ、子供ができなかったのは自分のせいではなかったと言う安堵が大きくなっているのが分かった。
「お前たちが結婚してふた月が経った頃だろうか。偶然領地にマークスが仕事でやって来たんだ。年は上だが義弟でもあるからうちの屋敷に滞在してもらったんだよ」
ああ、確かに結婚して少しした頃、夫は仕事で2週間ほど帰らなかったことがあったなと、セオドシアは思い返していた。
――もっとも、そんな事はしょっちゅうだったので、どのあたりの出来事かなどは特定できないが。
「なぜ私が結婚しないのかと聞かれ、義弟の気安さから私が女性を愛せない体なのだと言う事を打ち明けたのだよ」
それはセオドシアにとっても衝撃の告白だった。
「子供の頃高熱で寝込んだことがあってね。それ以来私の男としての機能は――」
テオドールの目に涙が浮かんでいた。
「それにつけ込むような事をしてしまったのは悪いと思っている。だが、ずっと前から私はテオドールを愛していたんだ」
マークスはテオドールを庇うように抱きかかえると、セオドシアを見上げて訴えた。
「10年前の夜会でテオドールに出会って以来、ずっと想っていたんだ。どうすれば近付けるのかと考え、王宮に閉じ込められる近衛親衛隊ではなく治安維持隊に入る事で、近付けるんじゃないかとさえ思ったほどに」
歴代の職を辞してまで治安維持隊を選んだのは、まさかの兄の為だったのかと、セオドシアは愕然とした。だが、表情に出さないよう努めて平静にふるまっていた。
「君を始めて見た時に、あまりにも出会った頃のテオドールにそっくりで、気が付けば求婚していた」
「つまり――兄の代わりに私と結婚したのに、兄が手に入ったから私は用無し――いえ、お役目御免という事だったのでしょうか」
セオドシアが漸く言葉を発すると、マークスは慌てて首を横に振った。
「確かに足は遠のいてはいたが、夫としての役割は果たしていた」
「ええ、そうですわね。役割……もしかして旦那様が私との間に子を望んでいたのは、兄に似た子が欲しかったという事なのですか」
セオドシアの問いかけに、マークスはしばらく固まっていたが、やがて観念したように無言で頷いた。
分かってしまえば簡単な事だった。
夫と兄が愛し合っていたからと言って、簡単に離婚できるわけもない。
離婚した貴族令嬢が行く先は修道院か、老人の後家くらい。それならば、何不自由ない生活ができて、いずれは伯爵を継ぐマークスの妻でいた方がよほどいい。
それに、こんな話は貴族の世界ではよくある事で、いちいち騒ぎ立てるほどの事でもない。
流石に、夫の間夫が実の兄というのは中々衝撃ではあったが。
自分も愛情が必要ならば、頃合いを見計らって他の貴婦人方のように愛人を囲めばよいのだから。
それに――
セオドシアは大きくなったお腹を愛しそうに撫でて、小さく息を吐いた。
政略結婚なんてこんなものよ。
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