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72話、弟。
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篠原さんは、閉店間際まで俺が帰ったことを知らなかった。清掃を開始した厨房を覗いて、俺がいないことに気づいたという。
閉店後、清掃を終え、着替え終わった篠原さんが挨拶をするために事務所の中を覗くと、美郷店長が泣きながら売上のチェックをしていた。放ってはおけず、慌てて篠原さんが駆け寄ると、美郷店長は涙を拭いて微笑んだという。
「大丈夫。気にしないで」
「いや、気になりますよ。違算は酷かったですけど、あれは店長の責任ではなくて、全員の責任です。連帯責任ですよ」
「ううん、あれは私の責任よ。ショウくんのお姉さんに会ったものだから、動揺しちゃって……仕事中なのに、全然違うこと考えちゃって……うん、私の責任だわ」
篠原さんは、美郷店長が俺と付き合っていると思っていた。だから、自分と田中さんの気持ちが受け入れてもらえないのだと思っていた。
俺は美郷店長の玩具、いや、元玩具であっただけなのに。
「ショウくんね、お姉さんのことが好きみたい。だから、最近私に冷たくするの。今日も早く帰って、お姉さんと一緒に過ごすんだって。私はまだこんなに仕事が残っているのに」
「仕事なら俺も手伝います。でも、高梨くんは酷いですね……二股ですか」
「しかも、お姉さんとは両想いみたいよ。気持ち悪い」
篠原さんの話を聞きながらケーキを頬張る姉ちゃんの手が止まる。表情が強ばっている。
まぁ、美郷店長からはそう思われているだろうなとは思っていたけれど、悪意をぶつけられることに慣れていない姉ちゃんにはショックだったのだろう。
ぽんぽんと姉ちゃんの太もものあたりを触って、気持ちを落ち着かせてあげる。
「どうしたら、ショウくんはもう一度私のこと好きになってくれるかな。私のどこがダメなんだろう?」
「店長は、ダメじゃないですよ、全然!」
「ありがとう、篠原くん。そうだよね。私のほうが、地位もあるし、お金も稼いでるし、ずっとずっとショウくんのことが好きなのにね」
「……」
「私は、ショウくんにとって何なんだろう。遊びだったのかな。少しでも、心に残る存在でありたかったのに、うまくいかないね」
篠原さんは、その段階で、美郷店長の心に残る存在でありたいと思ったそうだ。無意識のうちに、俺を想う美郷店長、美郷店長を想う自分、を重ね合わせていたそうだ。
そうして、美郷店長はぽつりと零した。
「……お姉さんがいなくなっちゃえば、いいのに」
篠原さんは、もう、それがベストな選択だと思い込み、それしか考えられなくなったという。
「俺が、何とかしますよ」
「ううん、いいの。私が不甲斐ないだけだもん。お姉さんと比べちゃダメだよね。それに、お姉さんがいなくなったら、ショウくんも私の前からいなくなっちゃいそうだし……そうなったら、怖いもんね」
姉ちゃんがいなくなり、俺もいなくなれば――美郷店長が自分を見てくれるかもしれないと、篠原さんは考えるに至ったようだ。一人が怖いなら、自分を頼ってくれればいい、と。
そして、美郷店長がトイレに立った時に、たまたまパソコンが店長権限でログインされていることに気づき、住所録から俺の住所を知ったという。
「――よく考えてみると、美郷店長に、自分の考えを誘導されたようにも感じるんだ」
篠原さんは、昨夜それに気づいたのだという。姉ちゃんの説得により、仕事中も「何かおかしい」と思い続け、夜になって結論が出た。
まぁ、実際、魔女が誘導したんだろうな、とは考えられる内容だ。
自分に好意を抱いている人間を利用して、自分の敵を襲わせる――恐ろしい計画だ。
「あの、篠原さん、美郷店長とは連絡は?」
「取っていません。昨日、職場へ行って初めて、退職届のことを聞きました」
姉ちゃんの問いにも篠原さんは神妙な表情で応じる。そして、姉ちゃんと視線を絡ませて、表情を緩める。
「あなたに、犯罪者にしたくないと言われて、目が覚めました。危うく犯罪者になるところでした。ありがとうございます」
「いえいえ、滅相もございません」
「本当にありがとうございました」
ほうっておいたら、姉ちゃんを口説き始めるのではないかと思えるくらい、篠原さんの視線は熱い。それに気づいて、姉ちゃんは少しソファの端に寄る。困惑気味だ。
「美郷店長が篠原さんと同じことを、田中さんにしている可能性はあります?」
「いや、田中はだいぶ鈍感だから、そういうことはできないんじゃないかな。回りくどいやり方で美郷店長を振り向かせるとか、あまり考えないタイプだし」
田中さんは、悪く言えば鈍感だけど、良く言えば素直で真っ直ぐな人だ。好意を真っ直ぐにしか伝えられないから、確かに魔女が手先に使うとは考えにくい。
だとしたら、手下ではなく、親分が出てくると仮定したほうがいいかもしれないな。
「高梨くんは今日は休みだっけ?」
「はい。日曜は基本休みにしているんで。あ、今日本店には行かないんで、皆で頑張ってください」
姉ちゃんと過ごすために日曜は休みにしてある、とは言わないでおく。
篠原さんはケーキを食べ、コーヒーを飲んだあと、土下座をもう一度してから、出ていった。俺は一応それを見送る。
「いい人だね、高梨くんのお姉さん」
「渡しませんよ。勃たなかったんでしょ?」
「……ひどいこと、言うなぁ」
篠原さんは苦笑しながら、去っていった。
マンションの周りを見回して、美郷店長の姿がないか確認しておく。
さて、今から、姉ちゃんを説得しなければ。
鍵とチェーンをして、俺は部屋へと戻るのだった。
閉店後、清掃を終え、着替え終わった篠原さんが挨拶をするために事務所の中を覗くと、美郷店長が泣きながら売上のチェックをしていた。放ってはおけず、慌てて篠原さんが駆け寄ると、美郷店長は涙を拭いて微笑んだという。
「大丈夫。気にしないで」
「いや、気になりますよ。違算は酷かったですけど、あれは店長の責任ではなくて、全員の責任です。連帯責任ですよ」
「ううん、あれは私の責任よ。ショウくんのお姉さんに会ったものだから、動揺しちゃって……仕事中なのに、全然違うこと考えちゃって……うん、私の責任だわ」
篠原さんは、美郷店長が俺と付き合っていると思っていた。だから、自分と田中さんの気持ちが受け入れてもらえないのだと思っていた。
俺は美郷店長の玩具、いや、元玩具であっただけなのに。
「ショウくんね、お姉さんのことが好きみたい。だから、最近私に冷たくするの。今日も早く帰って、お姉さんと一緒に過ごすんだって。私はまだこんなに仕事が残っているのに」
「仕事なら俺も手伝います。でも、高梨くんは酷いですね……二股ですか」
「しかも、お姉さんとは両想いみたいよ。気持ち悪い」
篠原さんの話を聞きながらケーキを頬張る姉ちゃんの手が止まる。表情が強ばっている。
まぁ、美郷店長からはそう思われているだろうなとは思っていたけれど、悪意をぶつけられることに慣れていない姉ちゃんにはショックだったのだろう。
ぽんぽんと姉ちゃんの太もものあたりを触って、気持ちを落ち着かせてあげる。
「どうしたら、ショウくんはもう一度私のこと好きになってくれるかな。私のどこがダメなんだろう?」
「店長は、ダメじゃないですよ、全然!」
「ありがとう、篠原くん。そうだよね。私のほうが、地位もあるし、お金も稼いでるし、ずっとずっとショウくんのことが好きなのにね」
「……」
「私は、ショウくんにとって何なんだろう。遊びだったのかな。少しでも、心に残る存在でありたかったのに、うまくいかないね」
篠原さんは、その段階で、美郷店長の心に残る存在でありたいと思ったそうだ。無意識のうちに、俺を想う美郷店長、美郷店長を想う自分、を重ね合わせていたそうだ。
そうして、美郷店長はぽつりと零した。
「……お姉さんがいなくなっちゃえば、いいのに」
篠原さんは、もう、それがベストな選択だと思い込み、それしか考えられなくなったという。
「俺が、何とかしますよ」
「ううん、いいの。私が不甲斐ないだけだもん。お姉さんと比べちゃダメだよね。それに、お姉さんがいなくなったら、ショウくんも私の前からいなくなっちゃいそうだし……そうなったら、怖いもんね」
姉ちゃんがいなくなり、俺もいなくなれば――美郷店長が自分を見てくれるかもしれないと、篠原さんは考えるに至ったようだ。一人が怖いなら、自分を頼ってくれればいい、と。
そして、美郷店長がトイレに立った時に、たまたまパソコンが店長権限でログインされていることに気づき、住所録から俺の住所を知ったという。
「――よく考えてみると、美郷店長に、自分の考えを誘導されたようにも感じるんだ」
篠原さんは、昨夜それに気づいたのだという。姉ちゃんの説得により、仕事中も「何かおかしい」と思い続け、夜になって結論が出た。
まぁ、実際、魔女が誘導したんだろうな、とは考えられる内容だ。
自分に好意を抱いている人間を利用して、自分の敵を襲わせる――恐ろしい計画だ。
「あの、篠原さん、美郷店長とは連絡は?」
「取っていません。昨日、職場へ行って初めて、退職届のことを聞きました」
姉ちゃんの問いにも篠原さんは神妙な表情で応じる。そして、姉ちゃんと視線を絡ませて、表情を緩める。
「あなたに、犯罪者にしたくないと言われて、目が覚めました。危うく犯罪者になるところでした。ありがとうございます」
「いえいえ、滅相もございません」
「本当にありがとうございました」
ほうっておいたら、姉ちゃんを口説き始めるのではないかと思えるくらい、篠原さんの視線は熱い。それに気づいて、姉ちゃんは少しソファの端に寄る。困惑気味だ。
「美郷店長が篠原さんと同じことを、田中さんにしている可能性はあります?」
「いや、田中はだいぶ鈍感だから、そういうことはできないんじゃないかな。回りくどいやり方で美郷店長を振り向かせるとか、あまり考えないタイプだし」
田中さんは、悪く言えば鈍感だけど、良く言えば素直で真っ直ぐな人だ。好意を真っ直ぐにしか伝えられないから、確かに魔女が手先に使うとは考えにくい。
だとしたら、手下ではなく、親分が出てくると仮定したほうがいいかもしれないな。
「高梨くんは今日は休みだっけ?」
「はい。日曜は基本休みにしているんで。あ、今日本店には行かないんで、皆で頑張ってください」
姉ちゃんと過ごすために日曜は休みにしてある、とは言わないでおく。
篠原さんはケーキを食べ、コーヒーを飲んだあと、土下座をもう一度してから、出ていった。俺は一応それを見送る。
「いい人だね、高梨くんのお姉さん」
「渡しませんよ。勃たなかったんでしょ?」
「……ひどいこと、言うなぁ」
篠原さんは苦笑しながら、去っていった。
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