上 下
23 / 34

023.「サリタ様には計画が終わるまでここで大人しくしていてもらわねばなりません」

しおりを挟む
 ガタンガタンと床が揺れている。サリタが目を覚ますと、そこは真っ暗な闇の中であった。口には布のようなものが巻かれ、手足も何かできつく結ばれている。薄っすらと差し込む光を頼りにあたりを見て、ここが木箱の中であることに気づく。
 ガラガラという車輪が回る音から考えると、馬車の荷台に載せられているのだろう。ブロテ侯爵は別の乗り心地のいい馬車に乗っているのだろうが、荷馬車にも御者と見張り役がいるに違いない。暴れて怪我をするよりも、このまま寝たふりをして、隙をついて逃げるほうが得策だとサリタは考える。左手首には聖獣アンギスの感触があるのだ。
 行き先はブロテ領か、カルド領だろう。どちらにしろ南下しているに違いない。サリタはもぞもぞと体を動かしながら、痛みが少ない体勢を探る。
 やはりブロテ侯爵が裏にいたのだ。ラウラを弑することで彼にどんな利益があるのかはわからない。その一端でも見つけておきたいものだ。

 しばらくして、ガラガラという音が消え、馬車が止まる。休憩をするのだろう。王都からブロテ領やカルド領まで行くには何日もかかる。途中の町や村で食事をしたり、休んだりするはずだ。
 ブロテ侯爵はサリタをすぐには殺さない。劣悪な環境であれ、こうして生かしていることが何よりの証明だ。生きていれば、逃げる機会もあるはずだ。
 サリタはもう誰かに助けてもらおうなどとは考えない。マルコスに追われたときも、自分の力で何とかすべきであった。「助けてあげるから結婚して」などと言い出す勇者には、絶対に助けてもらいたくないのだ。

「よし、運ぶか」

 荷台の外で男たちの声が聞こえる。ブロテ領についたわけでもないだろう。だが、男たちは荷台に置かれたものをどんどん運び出している様子だ。

「うわ、何だこれ、中ですげぇ暴れてる」
「落とすなよ。ただの獣だろ」

 それはサリタの箱ではない。まさか、とサリタはその可能性を考える。まさか侯爵は、自分の息子まで箱の中に閉じ込めていたのだろうか、と。
 がくん、と箱が揺れる。男たちが「こっちは大人しいな」「まさか死んだんじゃないだろうな」と言っていることから、獣だと思われて運搬されているのだろうと考える。
 暴れる箱の隣に置かれ、そこから漏れ出る獣のような声を聞く。ロランドかもしれないし、ただの獣なのかもしれない。サリタにはわからない。
 ここがどこなのか、木箱の隙間から覗こうとして、そばに誰かが立ったことに気づく。「開けてやれ」という声は、侯爵のものだ。

「侯爵、これはどういうことですか!」

 木箱の蓋を開ける音がしたあと、中から飛び出してきたのは案の定、侯爵の息子ロランドだ。やはり同じように木箱に閉じ込められて運搬されていたのだ。

「どうして、こんなことを!?」
「お前に知らせることは何もない。まったく、勝手な真似をして。閉じ込めておけ」
「なんっ……! サリィは!? こうしゃ、父上、サリィは!? まさか、その箱に――」

 ロランドの声が聞こえなくなる。猿轡をされてどこかへ運ばれて行ったのだろう。息子にまで手酷い仕打ちをする侯爵の真意がわからない。
 ロランドは知らなかったのだろう。香茶の中に眠り薬が入っていたことを。給仕係が侯爵の手のうちの者であったことを。彼は純粋に菓子作りを楽しんでいる青年だったのだ。

「運べ」という冷たい声が聞こえたあと、サリタの箱は別の場所へと向かうようだ。箱が斜めになり、階段を下りるような足音が聞こえる。地下にでも向かっているのだろう。
 しばらくしたあと、木箱が床に置かれる。釘を抜く揺れが続いたあと、乱暴に箱が倒される。ゴロンと冷たい石の床に転がると、さすがに寝たふりはできない。
 サリタは黒い岩と鉄格子で造られた牢屋のような場所で転がっている。カンテラが二つしかないため、かなり薄暗い。下卑た笑みで鉄格子の向こうからサリタを見ているのは、ブロテ侯爵だ。

「手荒な真似をしてすみませんねぇ、サリタ様。泣いても喚いても助けなど来ませんよ。あぁ、彼女の枷を外してやりなさい」

 近くに控えていた男たちがサリタの猿轡と手足を縛っていたものを取り払い、すぐさま牢屋から出る。鍵がかけられると同時に、サリタはその場に立つ。

「ブロテ侯爵、お久しぶりです。なぜこのような真似を? 返答によっては聖職議会へ抗議文を送ることになりますが」
「そのようなことを、私が許すとでも?」
「……確かにここには紙もペンもありませんね」

 サリタは左手首の聖獣を撫でる。アンギスが取り上げられていないのなら、いつでもこの牢屋から逃げ出すことができる。サリタは安堵した気持ちを悟られないように、侯爵を睨む。

「サリタ様には計画が終わるまでここで大人しくしていてもらわねばなりません」
「……計画?」
「ええ。次の聖女の神託が、我が娘ビクトリアに降りるまでの間だけですから」

 サリタを捕らえたことに気を良くした侯爵が、勝手にペラペラと喋ってくれる。そのため、サリタは冷静に、彼が欲しがりそうな言葉を与えていく。侯爵から情報を引き出すために。

「ビクトリア嬢が聖女になれるとは限らないではありませんか?」
「あぁ、サリタ様はご存知ないのですね。聖女や勇者の資質は、神託が降りる前から備わっていることを」

 神託が降りる前から資質が備わっている――サリタは知らなかった。サリタの場合は、気がついたら聖女になっていたからだ。資質を自覚したことなどなかった。
 ロランドには歳が離れた妹がいると言っていた。その侯爵令嬢ビクトリアには聖女の資質があるのだろう。だから、聖女の資質を持つ他の娘たちを弱らせる必要があったのだ。ラウラも含めて。

「だから、ラウラ様に飴玉を与えて殺そうとしたのですか?」
「殺すだなんて滅相もない。ただ、弱らせていただけですよ。最終的には……どうするかはわかりませんが」

 娘に正しい聖女の神託を降ろすために、侯爵はラウラを弱らせ、いつでも殺せる状態にしておいたのだろう。
 そのために必要なのは、サリタの純潔もしくは命。どちらかが失われてしまえば、侯爵の計画が狂うのだ。
 つまり、ビクトリアにはまだ初潮が来ていないのだろう。だから、ここにサリタを閉じ込めて、時間を稼いでいるのだ。

「聖女の父となることが、そんなに名誉なことなのですか?」
「ええ、とても。父親のないあなたにはわからないことでしょう」
「わかりませんね。全然、わかりません」
「聖職者なら、誰しもが夢見ることですよ」

 なるほど、とサリタは納得する。侯爵は聖女の父親となり、聖職議会の実権を掌握したいのだ。名誉と権力を得ることを、彼は至上の喜びと感じているようだ。

「あなたの所在を掴むことにどれだけ苦労したか。あの勇者があなたを追い回すため、この一年、本当に苦労しましたよ」
「それは私のせいではありません」
「ええ、それはもう」

 サリタは侯爵と同時に溜め息を吐く。どうやら彼も勇者エリアスの存在には手を焼いていたようだ。それに関してだけは、サリタも同意見である。

「それにしても、あの飴玉、よくできていましたね。『瘴気の澱』をあのような形にするなんて……一体どんな手を使ったのですか?」
「ハハハ。私が教えるとでも?」
「ブロテキビが関係あるのでしょうか? 飴玉を作るための砂糖はキビから採取できるでしょう?」

 侯爵の饒舌さが止まる。暗いため顔色まではわからないが、正解に近いことだけは確かだ。

「……食事は二回お持ちいたします。毛布と飲み物はここに置いておきます。排泄は奥の桶にどうぞ。明日の朝、体を拭くものと着替えをお持ちいたします」
「とんだ年末ね。助かるわ、と言うとでも思っています?」
「何とでも。新年を迎えられるだけありがたいと思ってください。どうせあなたは、ここから出られないのですから」

 侯爵がサリタに背を向け、溜め息をつく。

「もう二度と」

 ビクトリアが初潮を迎えたあと、おそらくサリタは殺されるのだろう。純潔を奪われるだけではすまないことはサリタも理解している。生かしておいても危険なだけだと思われているに違いない。
 サリタは泣くことも喚くこともない。アンギスの冷たい肌を撫でながら、絶対にここから出てやると決心する。彼女の頭の中から、エリアスのことなどすっかり抜け落ちていた。


しおりを挟む

処理中です...