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54.黒白の告白(三)
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「へぇ、セフレを彼氏に昇格させたの? ようやく? 遅かったねぇ」
「……もっと早くにすればよかった?」
「体の相性も性格の相性もいいなら、何を迷うことがあるのかなとは思っていたけど」
揚げ春巻きを食べながら、相馬さんは笑う。
何だろう、水森さんにも相馬さんにもそう言われるということは、セフレと付き合う・セフレと恋人同士になるということは、案外普通のことのような気がしてくるので困る。
でも、たぶん、違う。世間からはかなりズレている考え方だとはわかっている。
「バツイチ子持ちのデリヘル嬢と客が夫婦になるよりはよほど険しくはない道だと思うよ?」
「あぁ、確かに」
相馬さんの言う通りかもしれない。時代が違うせいか、娼婦と客が夫婦になるのはおかしくはなかったけれど、今は違うのだろう。
相馬さんも佐々木先輩のことではいろいろと苦労したのかもしれない。そういうところは全く見せない人だけど。
「でも、同僚がねぇ……好きな人から告白されたら、揺れるよね」
「……うん」
でも、だからと言って、翔吾くんと別れて荒木さんと付き合うような未来はどうしても描けない。不思議と、荒木さんと手を繋いで一緒に歩く姿が想像できないのだ。
「初恋の人に似てるなら、やっぱりその人を美化してしまうもんね。でも、違う人だから、どこかで必ず綻びができるよ」
「私もそう思う。理想と現実は違うよね」
「違うねぇ。それをどこまで許容できるかだけど、理想が高ければ高いほど、現実はシビアだもん」
二人で頷きながら、真鯛のカルパッチョをつつく。
相馬さんとは話しやすい。水森さんよりもずっと話しやすい。きっと、佐々木先輩もそういうところに惹かれたんだと思う。そうであって欲しい。
「同僚にも話してみたら? 恋人以外にセフレがいるって」
「諦めさせるために?」
「逆。それでもいい、って言わせてしまえばいいよ」
いやいやいや。翔吾くんと別れて俺と付き合え、って言ってくる人だよ? どう考えても、一人で独占したいはずでしょ? セフレがいることを許してもらえるとは思えない。
「一回ヤッちゃえばいいのに」
「セックス嫌いな人なんだって」
「嘘だろ。男でセックス嫌いな奴なんていないって。あ、今、俺すげーいいこと言った」
あんまりいいセリフとは思えないよ、相馬さん。
確かに、あの肉食獣の顔を見てしまったあとだと、荒木さんが「セックス嫌いなんです」と言っていたことがとても不自然に思えてしまうのも事実。どちらが本当の荒木さんなんだろう?
手に入れるためにはがっつくけど、手に入れたらそれでいいというタイプなのかもしれない。釣った魚には餌をやらないタイプ……それは、嫌だなぁ。
「あかりは同僚のどこが好きなの?」
「……顔」
「あぁ、初恋の人とそっくりだもんね。それ以外では?」
「優しくて、仕事ができて……甘いものが好きで……」
他には、他には……?
私が荒木さんの姿を一生懸命思い浮かべていると、相馬さんがプッと吹き出す。見れば、肩を震わせて笑っている。
「あかりさぁ、考えなきゃいけないくらい好きなところが少ないなら、やめたほうがいいよ」
「でも、付き合っていくうちに好きなところは増えるかも!」
「体の相性が最悪だったら?」
「……」
淡白かもしれない、という点においては、体の相性は最悪だ。いくら好きでも、セックスレスには耐えられない。死んでしまう。死活問題だ。
荒木さんが定期的に私を抱いてくれなければ、隠れて誰かとセックスをしなければ生きていけない。そして、それがバレたときの面倒臭さを想像してげんなりする。
「あなたが私を抱いてくれたらこんなことにはならなかったの!」なんて、逆ギレもいいところだ。だったら、最初から付き合わなければいい話なのだから。
「あかりの場合、好きとか嫌いとかの前に、一番大事なのはそれなんだよ。体の相性。セックスが合うか合わないかが一番なの」
オーガズムが得られるかどうかという相性ではない。回数と量の問題だ。私が求めたときに、応じてくれるかどうかが問題なのだ。
「そうでしょ?」
「……はい」
「じゃあ、やっぱり、それを伝えるべきだよ。もしくは、一回ヤッちゃうかしないと、好きっていう感情だけで判断はできないよね」
「おっしゃる通りです」
本当に。
「好き」という感情よりも必要なもの、私より相馬さんのほうがよく知っている。
「だから、セフレから恋人になるっていうのは、あかりにとっては一番いい付き合い方だと思うんだよ。一番、理に適ってる」
「……そう、なのかな」
「そう。多少世間からズレていても、あかりの中ではそれがベストなんだよ」
なるほど。そういう考え方もアリなんだ。
体の相性を前提とした付き合い方、のほうが確かにしっくりくる。好きな人と付き合っていく中で、順番にステップアップしていくには、私の体は不便すぎる。「付き合いましょう」より「突き合いましょう!」のほうが都合がいい。
目から鱗が落ちてきた。
すごく、納得できた。
「俺のイチモツを受け入れられるのが経産婦だっていうのと同じくらい、ベストだね」
……あぁ、だから、熟女デリヘルとか人妻デリヘルが好きだったんだね、相馬さん。確かに、若い子よりは子どもを産んだことがある人のほうが、あの凶悪な巨根にはいいのかもしれない。
佐々木先輩と本番行為はしてしまったのだろうか……まぁ、付き合うくらいだから、突き合っていても不思議ではない。アレを知らないで結婚してしまったら、佐々木先輩が不憫すぎる。
「……じゃあ、その方向で、考えてみる」
「ん、そうだね。あ、でも、あかり、気をつけて欲しいんだけど」
「え?」
「セックスが嫌いな男って、オナニーが好きな奴が多い気がするんだよね」
なるほど。自分の右手に勝るものはない、ということか。
あ、じゃあ、ますます体の相性は良くないかも。自慰行為が好きな人って、遅漏の人が多い印象だ。右手が好きすぎて膣ではイケないという人、たまにいるからなぁ。
そういう人の場合は、「顔に出して」とか「口に出して」とか言えばいいだけなんだけど、次も会いたいとは思えない。一夜限りで終わってしまうのが通常だ。
「遅漏くらいならいいけど、変態的なオナニーが好きな人っているじゃん? 女装しないとイケない人とか、彼女と他の男がセックスするのを見るのが好きな人とか、SM好きだったりとか、玩具ばかり使いたがる人とか……あ、これは俺か」
笑う相馬さんに、私もつられて笑ってしまう。玩具ばかり使っていても、相馬さんとのセックスは別に苦ではなかった。研究熱心なんだなぁと感心するときはあったけど。
「まぁ、とにかく、ちょっと変わった癖(へき)がある人かもしれないから、気をつけたほうがいいかもね」
「うん、わかった」
皿の上のものを片付けながら、相馬さんと最後に思い出話をする。とは言っても、相馬さんとの思い出は玩具とセックスのことがほとんどなんだけど。
半年くらい前に開発した玩具の売れ行きが良さそうで、安心した。通販で日本メーカーの電池をつけるようにしたら、単価が高くても売れるようになって、社長から褒められたとも言っていた。
私も少しはモニターとして役に立っていたなら、嬉しい。それだ相馬さんの評価に繋がったなら、本当に嬉しい。
不思議な感覚だ。
いつもは切ないセフレとの別れが、今回はない。何だろう、やりきった感、満足感が大きい。
楽しかった。楽しかった、なぁ。相馬さんと会うのは。
いいセフレさんに出会えて良かった。
「今日はどうする? ホテル行く?」
「佐々木先輩に悪いから、やめておくよ」
「あかりらしいなぁ。うん、でも、今までありがとね」
駅の近くで握手を求められたので、応じる。
あぁ、これで最後なんだなぁと思ってしみじみと相馬さんの笑顔を見つめる。屈託のない笑顔、好きだったなぁ。
「私こそありがとう。でも、佐々木先輩には私のこと言わないでね」
「もちろん。墓場まで持っていくよ」
「絶対に佐々木先輩を幸せにしてあげてね」
「任せといて!」
うん、任せた! 私も応援するから!
改札口へとスタスタ歩いていく相馬さんは手ぶらだ。……手ぶら? 足元に目を落とし、紙袋が置かれたままであることに、ようやく気づく。
「相馬さん! 忘れ物!」
「ハハハ、あかりにあげるよ、それ!」
「ちょっと、涼介! りょーすけっ!」
笑いながら、颯爽と去っていった相馬さん。私は、卑猥なグッズがたくさん詰まった紙袋を手に、呆然とするしかない。
え、ちょっと、ほんと、これどうするの!? 職質かけられたらアウトじゃん! 痴女じゃん!
それに、こんなに大量のアダルトグッズがあっても処分に困るんですけど! 精液の出ないバイブとか、本当にいらないし!
もうっ、相馬さんのバカっ!!
こんな置き土産、いりませんっ!
◆◇◆◇◆
さて、荒木さんになんて言おう。
私の悩みは目下、荒木さんの告白をどう処理するかということと、週末の精液確保をどうするかということだ。
荒木さんは今週は外回りが多いらしく、木曜日の今日も朝の会議のあとすぐに出ていった。今日は直帰するそうだ。
明日金曜日の予定も外回り。でも、明日までに、と言われた資料は既にできている。明日の朝必要なら、今日にはメールに添付して送っておきたいんだけど、なんて書いて送ろうか。普通に、いつも通りでいいかなぁ。何事もなかったかのように。差し障りなく。
「あれ、荒木くんは今日も外回り?」
パソコンに向かって無難なメールを作成していると、総務部の日向さんの声が背後から聞こえてきた。誰に話しかけているんだろうと振り向くと、彼女は隣に立っていた。ビックリしたけど、私に話しかけているのではないみたいだ。
「ボード見たらわかるでしょ。今週はずっと外回り。あんたは荒木さんのスケジュールは把握していないんだから」
佐々木先輩はそっけなく日向さんに応じている。この二人が話しているところはあまり見たことがないけれど、仲は良いらしい。
佐々木先輩は「陽子ちゃんは仕事はできる」と評していたし、他の派遣社員さんの日向さんへの評価とは違うみたいだ。佐々木先輩が絶対ではないけれど、噂は鵜呑みにしすぎてはいけないということか。
「秋の交流会、誘おうと思って来たのに」
「あんたが本当に誘いたいのは荒木さんじゃないでしょ」
どんなに声のトーンを落としても、隣の二人の声は私には丸聞こえだ。
……ん?
「だって、荒木くんが一緒じゃなきゃ来てくれないんだもん」
「誘えばいいじゃん。『荒木くんも来るって言っていましたよ』とか嘘ついて」
「乗ってくれるかな?」
「さあ。そこまでは責任持てないわよ、私」
……ええ、と。
日向さんの好きな人、荒木さん、ですよね?
……本当に?
「うぅ、緊張するなぁ。課長で練習してから、行ってみる」
「はいはい、行ってらっしゃい」
佐々木先輩に送り出されて、日向さんは営業部長と課長に「交流会への参加、よろしくお願いします」と声をかけながらプリントを配る。
そして、そのあと、いつもならまっすぐ荒木さんのデスクに向かうのに、今回は彼がいないため、もじもじしながらある人のデスクへ向かう。
「あ、あの、美山さん、良かったら、秋の交流会に参加していただきたいのれすが」
「あ、日向さん、おはよう。そこ置いといて」
日向さんが噛んだことにも気づかず、美山さんは山積みになったファイルの上をペンで指し示す。どうやら、何かに集中しているようだ。
「あの、荒木くんも来るんですけど」
「んー、わかった。検討しておくよ」
美山さんにプリントも見られずにあっさりそう言われて、日向さんは真っ赤な顔のまま、がっくりと肩を落とした。
佐々木先輩……あの、もしかしたら、ひょっとして? 「男の趣味が悪い」らしい日向さんの好きな人って?
「ほんと、なんで美山さんなのかしら」
「……」
「アレ、絶対脈ないわよ。美山さん、数字しか頭にない営業の鑑(かがみ)のような人だもの。損得勘定でしか動かないわよ。そう思うでしょ、月野さんも」
ええと、どうやら、日向さんの好きな人は美山さんで間違いなさそうです。
なるほど、確かに、美山さんは数字が大好きな営業マンだ。損得勘定が大好き。資料も、数字がしっかり出ているものを好む傾向がある。曖昧なデータだとすぐやり直しになるから、彼の資料を作る際は必ず佐々木先輩に確認してもらっているくらいだ。
そして、美山さんは荒木さんが出席しない飲み会や行事には基本的には参加しない。絡みやすくいじりやすい荒木さんがいないと、自分が気持ち良く飲めないからだ。
荒木さんの近くにいれば美山さんとの接点も増える、と考えるのはいいアイデアかもしれない。だから、日向さんは荒木さんにベッタリだったのか。美山さんとの仲を取り持ってもらうために。
「そう、ですねぇ……」
「あの子、アプローチの方法を間違えてるのよね。荒木さんと同じ考え方や行動をすれば、美山さんに好かれると思い込んじゃって」
「あぁ……なるほど」
だから、荒木さんの考えに同調したり、彼と一緒に行動したりしていたのか。
確かに、二人の仲はいいけれど、美山さんが荒木さんのそういうところが好きだとか気に入っているとかいうわけではない。得をするから仲良くしているだけなのだ。本当に、損得だけで動いているのが、営業部の美山さんだ。
「美しく何もない山で美山です」と笑いながら自己紹介したら、絶対に名前は覚えてもらえる、と自分のハゲさえ営業のネタにする人なのだから。
私は荒木さんしか見えていなかったから、全然気づかなかった。日向さんの気持ちを知らなかった。
日向さんが去っていったことを確認してから、美山さんは秋の交流会のプリントを荒木さんのデスクにポイと無造作に移動させた。参加か不参加かは、荒木さんに委ねるということだろう。損得勘定は保留のようだ。
日向さんの努力が報われていない気がして、私は少し彼女を気の毒に思った。彼女が努力の方向を正すことができるのは、いつになることやら。
『ありがとう。さすが月野さん。仕事が早いね。あとで確認しておくよ』
パソコンのポップアップが出てきて、荒木さんからメールが届いたことを知らせてくれる。今は休憩中か移動中らしい。返事が早かった。
『明日の夜、時間ある? 夕飯、どう?』
メールの最後の文に、ドキドキする。ヤバい、手汗が酷い。めちゃくちゃ緊張する。ハンカチで手を拭いたあと、キーボードに向かう。
『明日の夜、大丈夫です』
明日の夜、がリミットだ。
明日の夜までに、何とか、考えよう。
波風立てないように、断る方法を。
「……もっと早くにすればよかった?」
「体の相性も性格の相性もいいなら、何を迷うことがあるのかなとは思っていたけど」
揚げ春巻きを食べながら、相馬さんは笑う。
何だろう、水森さんにも相馬さんにもそう言われるということは、セフレと付き合う・セフレと恋人同士になるということは、案外普通のことのような気がしてくるので困る。
でも、たぶん、違う。世間からはかなりズレている考え方だとはわかっている。
「バツイチ子持ちのデリヘル嬢と客が夫婦になるよりはよほど険しくはない道だと思うよ?」
「あぁ、確かに」
相馬さんの言う通りかもしれない。時代が違うせいか、娼婦と客が夫婦になるのはおかしくはなかったけれど、今は違うのだろう。
相馬さんも佐々木先輩のことではいろいろと苦労したのかもしれない。そういうところは全く見せない人だけど。
「でも、同僚がねぇ……好きな人から告白されたら、揺れるよね」
「……うん」
でも、だからと言って、翔吾くんと別れて荒木さんと付き合うような未来はどうしても描けない。不思議と、荒木さんと手を繋いで一緒に歩く姿が想像できないのだ。
「初恋の人に似てるなら、やっぱりその人を美化してしまうもんね。でも、違う人だから、どこかで必ず綻びができるよ」
「私もそう思う。理想と現実は違うよね」
「違うねぇ。それをどこまで許容できるかだけど、理想が高ければ高いほど、現実はシビアだもん」
二人で頷きながら、真鯛のカルパッチョをつつく。
相馬さんとは話しやすい。水森さんよりもずっと話しやすい。きっと、佐々木先輩もそういうところに惹かれたんだと思う。そうであって欲しい。
「同僚にも話してみたら? 恋人以外にセフレがいるって」
「諦めさせるために?」
「逆。それでもいい、って言わせてしまえばいいよ」
いやいやいや。翔吾くんと別れて俺と付き合え、って言ってくる人だよ? どう考えても、一人で独占したいはずでしょ? セフレがいることを許してもらえるとは思えない。
「一回ヤッちゃえばいいのに」
「セックス嫌いな人なんだって」
「嘘だろ。男でセックス嫌いな奴なんていないって。あ、今、俺すげーいいこと言った」
あんまりいいセリフとは思えないよ、相馬さん。
確かに、あの肉食獣の顔を見てしまったあとだと、荒木さんが「セックス嫌いなんです」と言っていたことがとても不自然に思えてしまうのも事実。どちらが本当の荒木さんなんだろう?
手に入れるためにはがっつくけど、手に入れたらそれでいいというタイプなのかもしれない。釣った魚には餌をやらないタイプ……それは、嫌だなぁ。
「あかりは同僚のどこが好きなの?」
「……顔」
「あぁ、初恋の人とそっくりだもんね。それ以外では?」
「優しくて、仕事ができて……甘いものが好きで……」
他には、他には……?
私が荒木さんの姿を一生懸命思い浮かべていると、相馬さんがプッと吹き出す。見れば、肩を震わせて笑っている。
「あかりさぁ、考えなきゃいけないくらい好きなところが少ないなら、やめたほうがいいよ」
「でも、付き合っていくうちに好きなところは増えるかも!」
「体の相性が最悪だったら?」
「……」
淡白かもしれない、という点においては、体の相性は最悪だ。いくら好きでも、セックスレスには耐えられない。死んでしまう。死活問題だ。
荒木さんが定期的に私を抱いてくれなければ、隠れて誰かとセックスをしなければ生きていけない。そして、それがバレたときの面倒臭さを想像してげんなりする。
「あなたが私を抱いてくれたらこんなことにはならなかったの!」なんて、逆ギレもいいところだ。だったら、最初から付き合わなければいい話なのだから。
「あかりの場合、好きとか嫌いとかの前に、一番大事なのはそれなんだよ。体の相性。セックスが合うか合わないかが一番なの」
オーガズムが得られるかどうかという相性ではない。回数と量の問題だ。私が求めたときに、応じてくれるかどうかが問題なのだ。
「そうでしょ?」
「……はい」
「じゃあ、やっぱり、それを伝えるべきだよ。もしくは、一回ヤッちゃうかしないと、好きっていう感情だけで判断はできないよね」
「おっしゃる通りです」
本当に。
「好き」という感情よりも必要なもの、私より相馬さんのほうがよく知っている。
「だから、セフレから恋人になるっていうのは、あかりにとっては一番いい付き合い方だと思うんだよ。一番、理に適ってる」
「……そう、なのかな」
「そう。多少世間からズレていても、あかりの中ではそれがベストなんだよ」
なるほど。そういう考え方もアリなんだ。
体の相性を前提とした付き合い方、のほうが確かにしっくりくる。好きな人と付き合っていく中で、順番にステップアップしていくには、私の体は不便すぎる。「付き合いましょう」より「突き合いましょう!」のほうが都合がいい。
目から鱗が落ちてきた。
すごく、納得できた。
「俺のイチモツを受け入れられるのが経産婦だっていうのと同じくらい、ベストだね」
……あぁ、だから、熟女デリヘルとか人妻デリヘルが好きだったんだね、相馬さん。確かに、若い子よりは子どもを産んだことがある人のほうが、あの凶悪な巨根にはいいのかもしれない。
佐々木先輩と本番行為はしてしまったのだろうか……まぁ、付き合うくらいだから、突き合っていても不思議ではない。アレを知らないで結婚してしまったら、佐々木先輩が不憫すぎる。
「……じゃあ、その方向で、考えてみる」
「ん、そうだね。あ、でも、あかり、気をつけて欲しいんだけど」
「え?」
「セックスが嫌いな男って、オナニーが好きな奴が多い気がするんだよね」
なるほど。自分の右手に勝るものはない、ということか。
あ、じゃあ、ますます体の相性は良くないかも。自慰行為が好きな人って、遅漏の人が多い印象だ。右手が好きすぎて膣ではイケないという人、たまにいるからなぁ。
そういう人の場合は、「顔に出して」とか「口に出して」とか言えばいいだけなんだけど、次も会いたいとは思えない。一夜限りで終わってしまうのが通常だ。
「遅漏くらいならいいけど、変態的なオナニーが好きな人っているじゃん? 女装しないとイケない人とか、彼女と他の男がセックスするのを見るのが好きな人とか、SM好きだったりとか、玩具ばかり使いたがる人とか……あ、これは俺か」
笑う相馬さんに、私もつられて笑ってしまう。玩具ばかり使っていても、相馬さんとのセックスは別に苦ではなかった。研究熱心なんだなぁと感心するときはあったけど。
「まぁ、とにかく、ちょっと変わった癖(へき)がある人かもしれないから、気をつけたほうがいいかもね」
「うん、わかった」
皿の上のものを片付けながら、相馬さんと最後に思い出話をする。とは言っても、相馬さんとの思い出は玩具とセックスのことがほとんどなんだけど。
半年くらい前に開発した玩具の売れ行きが良さそうで、安心した。通販で日本メーカーの電池をつけるようにしたら、単価が高くても売れるようになって、社長から褒められたとも言っていた。
私も少しはモニターとして役に立っていたなら、嬉しい。それだ相馬さんの評価に繋がったなら、本当に嬉しい。
不思議な感覚だ。
いつもは切ないセフレとの別れが、今回はない。何だろう、やりきった感、満足感が大きい。
楽しかった。楽しかった、なぁ。相馬さんと会うのは。
いいセフレさんに出会えて良かった。
「今日はどうする? ホテル行く?」
「佐々木先輩に悪いから、やめておくよ」
「あかりらしいなぁ。うん、でも、今までありがとね」
駅の近くで握手を求められたので、応じる。
あぁ、これで最後なんだなぁと思ってしみじみと相馬さんの笑顔を見つめる。屈託のない笑顔、好きだったなぁ。
「私こそありがとう。でも、佐々木先輩には私のこと言わないでね」
「もちろん。墓場まで持っていくよ」
「絶対に佐々木先輩を幸せにしてあげてね」
「任せといて!」
うん、任せた! 私も応援するから!
改札口へとスタスタ歩いていく相馬さんは手ぶらだ。……手ぶら? 足元に目を落とし、紙袋が置かれたままであることに、ようやく気づく。
「相馬さん! 忘れ物!」
「ハハハ、あかりにあげるよ、それ!」
「ちょっと、涼介! りょーすけっ!」
笑いながら、颯爽と去っていった相馬さん。私は、卑猥なグッズがたくさん詰まった紙袋を手に、呆然とするしかない。
え、ちょっと、ほんと、これどうするの!? 職質かけられたらアウトじゃん! 痴女じゃん!
それに、こんなに大量のアダルトグッズがあっても処分に困るんですけど! 精液の出ないバイブとか、本当にいらないし!
もうっ、相馬さんのバカっ!!
こんな置き土産、いりませんっ!
◆◇◆◇◆
さて、荒木さんになんて言おう。
私の悩みは目下、荒木さんの告白をどう処理するかということと、週末の精液確保をどうするかということだ。
荒木さんは今週は外回りが多いらしく、木曜日の今日も朝の会議のあとすぐに出ていった。今日は直帰するそうだ。
明日金曜日の予定も外回り。でも、明日までに、と言われた資料は既にできている。明日の朝必要なら、今日にはメールに添付して送っておきたいんだけど、なんて書いて送ろうか。普通に、いつも通りでいいかなぁ。何事もなかったかのように。差し障りなく。
「あれ、荒木くんは今日も外回り?」
パソコンに向かって無難なメールを作成していると、総務部の日向さんの声が背後から聞こえてきた。誰に話しかけているんだろうと振り向くと、彼女は隣に立っていた。ビックリしたけど、私に話しかけているのではないみたいだ。
「ボード見たらわかるでしょ。今週はずっと外回り。あんたは荒木さんのスケジュールは把握していないんだから」
佐々木先輩はそっけなく日向さんに応じている。この二人が話しているところはあまり見たことがないけれど、仲は良いらしい。
佐々木先輩は「陽子ちゃんは仕事はできる」と評していたし、他の派遣社員さんの日向さんへの評価とは違うみたいだ。佐々木先輩が絶対ではないけれど、噂は鵜呑みにしすぎてはいけないということか。
「秋の交流会、誘おうと思って来たのに」
「あんたが本当に誘いたいのは荒木さんじゃないでしょ」
どんなに声のトーンを落としても、隣の二人の声は私には丸聞こえだ。
……ん?
「だって、荒木くんが一緒じゃなきゃ来てくれないんだもん」
「誘えばいいじゃん。『荒木くんも来るって言っていましたよ』とか嘘ついて」
「乗ってくれるかな?」
「さあ。そこまでは責任持てないわよ、私」
……ええ、と。
日向さんの好きな人、荒木さん、ですよね?
……本当に?
「うぅ、緊張するなぁ。課長で練習してから、行ってみる」
「はいはい、行ってらっしゃい」
佐々木先輩に送り出されて、日向さんは営業部長と課長に「交流会への参加、よろしくお願いします」と声をかけながらプリントを配る。
そして、そのあと、いつもならまっすぐ荒木さんのデスクに向かうのに、今回は彼がいないため、もじもじしながらある人のデスクへ向かう。
「あ、あの、美山さん、良かったら、秋の交流会に参加していただきたいのれすが」
「あ、日向さん、おはよう。そこ置いといて」
日向さんが噛んだことにも気づかず、美山さんは山積みになったファイルの上をペンで指し示す。どうやら、何かに集中しているようだ。
「あの、荒木くんも来るんですけど」
「んー、わかった。検討しておくよ」
美山さんにプリントも見られずにあっさりそう言われて、日向さんは真っ赤な顔のまま、がっくりと肩を落とした。
佐々木先輩……あの、もしかしたら、ひょっとして? 「男の趣味が悪い」らしい日向さんの好きな人って?
「ほんと、なんで美山さんなのかしら」
「……」
「アレ、絶対脈ないわよ。美山さん、数字しか頭にない営業の鑑(かがみ)のような人だもの。損得勘定でしか動かないわよ。そう思うでしょ、月野さんも」
ええと、どうやら、日向さんの好きな人は美山さんで間違いなさそうです。
なるほど、確かに、美山さんは数字が大好きな営業マンだ。損得勘定が大好き。資料も、数字がしっかり出ているものを好む傾向がある。曖昧なデータだとすぐやり直しになるから、彼の資料を作る際は必ず佐々木先輩に確認してもらっているくらいだ。
そして、美山さんは荒木さんが出席しない飲み会や行事には基本的には参加しない。絡みやすくいじりやすい荒木さんがいないと、自分が気持ち良く飲めないからだ。
荒木さんの近くにいれば美山さんとの接点も増える、と考えるのはいいアイデアかもしれない。だから、日向さんは荒木さんにベッタリだったのか。美山さんとの仲を取り持ってもらうために。
「そう、ですねぇ……」
「あの子、アプローチの方法を間違えてるのよね。荒木さんと同じ考え方や行動をすれば、美山さんに好かれると思い込んじゃって」
「あぁ……なるほど」
だから、荒木さんの考えに同調したり、彼と一緒に行動したりしていたのか。
確かに、二人の仲はいいけれど、美山さんが荒木さんのそういうところが好きだとか気に入っているとかいうわけではない。得をするから仲良くしているだけなのだ。本当に、損得だけで動いているのが、営業部の美山さんだ。
「美しく何もない山で美山です」と笑いながら自己紹介したら、絶対に名前は覚えてもらえる、と自分のハゲさえ営業のネタにする人なのだから。
私は荒木さんしか見えていなかったから、全然気づかなかった。日向さんの気持ちを知らなかった。
日向さんが去っていったことを確認してから、美山さんは秋の交流会のプリントを荒木さんのデスクにポイと無造作に移動させた。参加か不参加かは、荒木さんに委ねるということだろう。損得勘定は保留のようだ。
日向さんの努力が報われていない気がして、私は少し彼女を気の毒に思った。彼女が努力の方向を正すことができるのは、いつになることやら。
『ありがとう。さすが月野さん。仕事が早いね。あとで確認しておくよ』
パソコンのポップアップが出てきて、荒木さんからメールが届いたことを知らせてくれる。今は休憩中か移動中らしい。返事が早かった。
『明日の夜、時間ある? 夕飯、どう?』
メールの最後の文に、ドキドキする。ヤバい、手汗が酷い。めちゃくちゃ緊張する。ハンカチで手を拭いたあと、キーボードに向かう。
『明日の夜、大丈夫です』
明日の夜、がリミットだ。
明日の夜までに、何とか、考えよう。
波風立てないように、断る方法を。
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