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第2章 The Reason for Tears

第28話 ニクシミノリユウ

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「えっ……?」

 予想だにしなかった言葉に、ツカサは目を泳がせた。
 『存在を消された』とは、いったいどういうことなのか。それも同じ人間によって。

――この人たちは、なにを言ってるの……?

 動揺するツカサの表情に、ヒカルとマヒルは愉しそうに彼女の両腕に指を這わせる。ツー、となぞられた神経が、逆立って全身を震わせた。

「『』」
「聞いたことないの?」
「「かわいそう」」

 耳慣れない言葉に視界が揺れる。彼らの言ってることが理解できない。

「……だって、誰も、教えて、くれなかった、からっ……」

 しぼり出した声が震える。
 双子につかまれた肩や腰、腕の密着した箇所から、まるで力を吸い取られていくような錯覚を覚えた。

――ハルさんとホノカさんは、知って、るの?

 要注意管理対象隔離措置。
 それはきっと、スペランツァにとっては重要なことで、ハルやホノカはその言葉の意味を知っているのだろう。だから二人は彼らを敵だと認識し、なにも知らされていない自分に攻撃を指示したのだ。

「これは復讐なんだよ」
「ボクたちを認めなかった人間への」

 双子の声が脳を揺さぶる。視界が暗くなるのと同時に思考力を奪われ、意識がぼんやりとしていく。侵食されていく感覚に腰が震えた。
 地面から沸いたペッカートが、ツカサと双子のうしろで傍観するようにうごめいていた。

「もういいよね?」
「もう、死んでいいよ?」
「キミも」
「あいつらも」
「「人間も」」
「っ!」「「ツカサっ!!」」

 名前を呼ばれて、ツカサはハッ、と息を吸う。現実へと引き戻された意識が鮮明になるにつれて、ツカサは視界に飛びこんできた光景に声を震わせた。
 ハルとホノカが、ペッカートの壁をぶち抜いて駆けてきていた。

「ツカサっ! いま助けるから!」
「手を伸ばしなさい!」
「は、るさ……、ほのか、さっ……!」

 ところが巻き上がった砂煙が、ハルとホノカの行く手を阻む。
 かすむ視界の向こう側で弓を構えるツカサの姿が、ハルとホノカの足を止めさせた。

「ツカサ!? なんでっ」「待ってハル」

 駆け出そうとするハルを、ホノカの手が制する。

「なんだか、様子がおかしいわ」

 伸ばされたツカサの腕に重ねられた双子の手。それが、まるで侵食するようにツカサの手の甲に沈んでいた。

「あーあ、マヒルがちゃんと狙わないからはずれちゃったじゃん」
「そーゆーヒカルこそ、ちょっと威力が弱いんじゃない?」

 ツカサをはさんで言い合う双子は、彼女の怯えた横顔に満足そうに目を細める。
 そうしてゆっくりと耳元に唇を寄せた。

「「じゃあ、もう一発、いってみよっか♪」」

 その言葉とともに、ツカサの腕は自らの意思とは無関係に矢をつがえていた。

「っやだ……! だめっ……!」

 勝手に狙いを定める腕を、ツカサはまばたきもせずに凝視していた。
 矢を引く右腕が、ゆっくりとうしろに引かれる。

――だめだよ、お願い! やめてっ!!

 次の瞬間、放たれるはずだった矢が、回転する風の渦となってツカサの両腕に絡みついた。
 無数の風の刃が、ツカサの腕もろとも重ねられた双子の腕にも傷を負わせていく。

「あはっ、生意気に抵抗してんの?」
「もう腕の感覚なんて、ないはずなのにね」

 形を保てなくなった武器が、霧散してさらに渦を大きく鋭くしていく。

――血が、熱い……!

 体の中が沸騰しているんじゃないかと錯覚するほどの熱量が、ツカサの全身を駆けめぐっていた。

「っハル、さん……、ホノカ、さんっ……!」

 ツカサはこみ上げてくる嗚咽感に耐えながら、震える唇を必死に動かし言葉を紡ぐ。

「来ちゃ、だめですっ……!」

 ハルとホノカが目にしたのは、懸命に笑顔を作ろうとするツカサの歪んだ姿だった。

「バカ! あきらめんじゃないわよ!」
「ぜったい助けるから!」

 二人の声に、ツカサは静かに首を横に振る。

「犠牲は、わたしだけでいい。お二人は、生きてくださいっ!!」

 双子の手にとらえられた時点で、運命は決まっていたのかもしれない。
 自分一人のためだけに、二人を危険にさらすわけにはいかなかった。

――スペランツァになったおかげで、わたし、少しは長生きできたのかな?

 精一杯の笑顔を浮かべるツカサの頬に、ひとすじの涙が伝う。

「なんか興ざめー」
「もう飽きちゃったー」

 ツカサの手から風が消え、双子の腕が離れていく。
 真っ赤に染まった傷だらけの腕が、重力に従ってだらりと脱力した。先ほどまでの熱がうそのように、今度は全身が冷えきっている気がする。

「「お前」」双子の声が、やけにはっきりと頭に響く。

「「もう、いらないや」」

 離れたはずの双子の手が重なるようにして、ツカサの細い首をつかんだ。強制的に上を向かされ、一瞬息苦しさを覚える。
 歪んだ視界に広がる空が、憎いほどに青く澄み渡っていた。

――わたし、このまま死ぬのかな?

 まるで他人事のように冷静な頭の片隅で、ツカサはぼんやりとそう思う。
 次の瞬間、細い首の根元に左右から強烈な痛みが走った。歯を立てられたその場所から、全身に熱が広がっていく。血管を伝って体中を駆けめぐる燃えるような熱さに、理性が乗っ取られていく。

「ぅあっ……!? っあ……、あぁっ……!!」

 呼吸が乱れる。
 急激に上がった心拍数は、次第に拍動をやめていく。
 朦朧としていく意識に平衡感覚を失い、自力で立っているのかさえ定かではない。
 無機質な冷たさを放つ唇に反して、肌に触れる舌のぬくもりがやけに生々しかった。

「っ、しに、っく……、なっ……!」
「「ツカサぁぁあああぁっ!!」」

 しなるように痙攣する小さな体が、用済みと言わんばかりに無造作に投げ捨てられる。
 ハルとホノカが伸ばした手は、宙を舞う彼女には届かなかった。
 二人の叫びは、ぬけ殻となったツカサの体とともに黒い波に飲みこまれていった。

「アッハハハハッ♪」
「あっけないねぇ♪」
「「人間なんて」」


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