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第4章 Where to Return
第52話 サンネンマエ
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◇◇◇◇◇
それは遡ること三年前。
スペランツァの候補として、ハルが組織へ入隊した日のことだった。
送迎のマイクロバスから降りたハルを見るなり、出迎えたマリアはわずかに眉をひそめた。
というのも、引っ越しにともなう荷物の運搬のために用意されたマイクロバスが運んできたのは、ハルとたったひとつのスーツケースだけ。
「ハル、あなたまさか、荷物それだけ?」
「はぁ、まぁ……」
無表情のまま返事をするハルは、自分の足元に置いたスーツケースを一瞥する。
「いいんです。いろいろと、リセットしたかったので」
遠いところを見るような目をするハルに、マリアは小さく「そう……」とだけ返した。
「姉さんの葬式以来かしらね。まさかあなたと、こんな形で再会するとは思ってなかったけど」
マリアの姉―ハルの母親が事故死して何年になるだろうか。
研究中の事故で一度に両親を亡くしたハルのことが、マリアはずっと気がかりではあった。だが自身も研究に手いっぱいで、十分に彼女とコンタクトできずに数年が経過してしまったことをいまでも悔やんでいる。
それがまさか、研究者と候補生として再会することになろうとは。
「とにかく、これからよろしくね、ハル」
差し出されたマリアの手に、ハルは遠慮がちに自身のそれを重ねた。ぎこちなく握り返した手が思いのほかあたたかくて、どういうわけか急に泣きたい衝動に駆られる。
それをごまかすように、ハルはぺこりと頭を下げた。
「お世話になります、マリアさん」
心なしか他人行儀な叔母と姪は、続かない会話に愛想笑いを浮かべる。
そのとき、エントランスから一人の青年が姿を見せた。肩口まで伸びた黒髪を風になびかせながら、青年は軽い足取りで二人へと歩み寄る。
「マリアさん? その子が?」
「あぁ、レン。ちょうどよかったわ」
青年の、耳ざわりの良い低い声にマリアが首だけで振り返る。
ハルもつられるようにして視線を移動させれば、青年の漆黒の瞳とぶつかった。
おもわずそらしそうになった視線を、マリアの声が引き留める。
「ハル、彼は天尾レンくん。ベテランのスペランツァよ」
「やだなぁ、マリアさん。ベテランだなんて。ただ在籍期間が長いだけですよ」
「あら、だとしても事実でしょ?」
そう言うマリアに困ったような笑顔を返しつつ、レンはごまかすように首のうしろを小さく掻いた。
「ハル、って呼んでもいいか? これからよろしく」
レンはハルを見つめたまま小さく微笑んで、軽く頭を傾けた。
「わからないことがあればレンにいろいろと聞くといいわ。ここでの生活は長いほうだから」
そう言うマリアに、レンはまたしてもあいまいな笑みを返すだけ。
それが、ハルとレンのはじめての出会いだった。
それから数日かけて手続きや研修を受けたハルは、ついにキューブと相対することになる。
保管室のガラスの向こうでユキノリやマリアが心配そうに見つめる中、ハルはおそるおそるキューブに手を伸ばした。
ふれた瞬間からまばゆい光の粒子が全身を取り巻く。
ざわざわと神経を逆撫でするような感覚が、ハルを無性に不安にさせた。
あるのはただ、恐怖心のみ。
体内を逆流するような熱にどうしていいかわからず、ハルは崩れるようにしてその場に座りこんだ。
視界がぐるぐると渦を巻き、心臓が握りつぶされたかのように痛む。反射的に浅くなる呼吸と脈拍に、おもわずハルは自身の胸元をつかんでうずくまった。
『数値、安定しません! このままでは危険です!』
スピーカー越しのアキトの声に、ホノカの悲鳴にも似た声が重なる。
ぼやけて揺れる視界に、ハルは固く目を閉じた。
漠然と、このまま死んでしまうのではないかとさえ思った。
『ハルっ!』
周囲の音が聞こえなくなる中、ハルの鼓膜を揺らしたのはほかの誰でもない。
ガラスの向こうで、レンが身を乗り出すようにしてグースネックマイクをつかんでいた。
『ハル、大丈夫だ。俺の目を見て、ゆっくり呼吸しろ』
言われるがまま、ハルはまっすぐにレンの瞳を見つめた。
闇のように深いまなざしに吸いこまれそうになりながら、言われたとおりに意識的に深呼吸を繰り返す。
『そう、大丈夫だから』
胸の痛みが遠のいていく。それと同時に、全身を包みこむ光に、安らぎにも似たぬくもりを感じた。
自然とこぼれ落ちた涙が頬を伝う。
『シンクロ率上昇! 安定領域、入ります』
アキトの報告に、現場に安堵の雰囲気が漂う。
「テスト成功だね」
ユキノリの言葉に、誰からともなく拍手が沸き起こる。
それを遠いことのように感じながら、ハルはぼんやりと、そばに浮かぶキューブを見上げた。
「ハル、立てるか?」
いつの間にか、レンが隣にしゃがんでいた。
心配そうに顔を覗きこむ彼に、ハルはふるふると首を横に振る。力の入らない足を懸命に動かそうとするが、腰が抜けてしまったのかうまく立ち上がることができない。
「仕方ないな。文句言うなよ?」
「ぇ? ぁ、ちょ、レンっ……!」
ふわりと浮き上がる感覚に、ハルは顔を真っ赤にして慌てて声を上げた。急に喉を通過した音に小さくせき込む。
「暴れると落とすぞ」
言葉とは裏腹に、レンの声色はひどく優しい響きをしていた。
背中と膝裏から伝わる熱を感じながら、ハルは歩きだしたレンの首もとへ腕を回す。
恥ずかしいやら情けないやら。ほてる顔を見られたくなくて、ハルは無意識に彼の肩口に顔を沈めた。
「レン、ハルを医務室へ連れていってちょうだい。ドロップの確認をするわ」
マリアの言葉に短く返事をしたレンは、そのままの足取りで保管室をあとにした。
それは遡ること三年前。
スペランツァの候補として、ハルが組織へ入隊した日のことだった。
送迎のマイクロバスから降りたハルを見るなり、出迎えたマリアはわずかに眉をひそめた。
というのも、引っ越しにともなう荷物の運搬のために用意されたマイクロバスが運んできたのは、ハルとたったひとつのスーツケースだけ。
「ハル、あなたまさか、荷物それだけ?」
「はぁ、まぁ……」
無表情のまま返事をするハルは、自分の足元に置いたスーツケースを一瞥する。
「いいんです。いろいろと、リセットしたかったので」
遠いところを見るような目をするハルに、マリアは小さく「そう……」とだけ返した。
「姉さんの葬式以来かしらね。まさかあなたと、こんな形で再会するとは思ってなかったけど」
マリアの姉―ハルの母親が事故死して何年になるだろうか。
研究中の事故で一度に両親を亡くしたハルのことが、マリアはずっと気がかりではあった。だが自身も研究に手いっぱいで、十分に彼女とコンタクトできずに数年が経過してしまったことをいまでも悔やんでいる。
それがまさか、研究者と候補生として再会することになろうとは。
「とにかく、これからよろしくね、ハル」
差し出されたマリアの手に、ハルは遠慮がちに自身のそれを重ねた。ぎこちなく握り返した手が思いのほかあたたかくて、どういうわけか急に泣きたい衝動に駆られる。
それをごまかすように、ハルはぺこりと頭を下げた。
「お世話になります、マリアさん」
心なしか他人行儀な叔母と姪は、続かない会話に愛想笑いを浮かべる。
そのとき、エントランスから一人の青年が姿を見せた。肩口まで伸びた黒髪を風になびかせながら、青年は軽い足取りで二人へと歩み寄る。
「マリアさん? その子が?」
「あぁ、レン。ちょうどよかったわ」
青年の、耳ざわりの良い低い声にマリアが首だけで振り返る。
ハルもつられるようにして視線を移動させれば、青年の漆黒の瞳とぶつかった。
おもわずそらしそうになった視線を、マリアの声が引き留める。
「ハル、彼は天尾レンくん。ベテランのスペランツァよ」
「やだなぁ、マリアさん。ベテランだなんて。ただ在籍期間が長いだけですよ」
「あら、だとしても事実でしょ?」
そう言うマリアに困ったような笑顔を返しつつ、レンはごまかすように首のうしろを小さく掻いた。
「ハル、って呼んでもいいか? これからよろしく」
レンはハルを見つめたまま小さく微笑んで、軽く頭を傾けた。
「わからないことがあればレンにいろいろと聞くといいわ。ここでの生活は長いほうだから」
そう言うマリアに、レンはまたしてもあいまいな笑みを返すだけ。
それが、ハルとレンのはじめての出会いだった。
それから数日かけて手続きや研修を受けたハルは、ついにキューブと相対することになる。
保管室のガラスの向こうでユキノリやマリアが心配そうに見つめる中、ハルはおそるおそるキューブに手を伸ばした。
ふれた瞬間からまばゆい光の粒子が全身を取り巻く。
ざわざわと神経を逆撫でするような感覚が、ハルを無性に不安にさせた。
あるのはただ、恐怖心のみ。
体内を逆流するような熱にどうしていいかわからず、ハルは崩れるようにしてその場に座りこんだ。
視界がぐるぐると渦を巻き、心臓が握りつぶされたかのように痛む。反射的に浅くなる呼吸と脈拍に、おもわずハルは自身の胸元をつかんでうずくまった。
『数値、安定しません! このままでは危険です!』
スピーカー越しのアキトの声に、ホノカの悲鳴にも似た声が重なる。
ぼやけて揺れる視界に、ハルは固く目を閉じた。
漠然と、このまま死んでしまうのではないかとさえ思った。
『ハルっ!』
周囲の音が聞こえなくなる中、ハルの鼓膜を揺らしたのはほかの誰でもない。
ガラスの向こうで、レンが身を乗り出すようにしてグースネックマイクをつかんでいた。
『ハル、大丈夫だ。俺の目を見て、ゆっくり呼吸しろ』
言われるがまま、ハルはまっすぐにレンの瞳を見つめた。
闇のように深いまなざしに吸いこまれそうになりながら、言われたとおりに意識的に深呼吸を繰り返す。
『そう、大丈夫だから』
胸の痛みが遠のいていく。それと同時に、全身を包みこむ光に、安らぎにも似たぬくもりを感じた。
自然とこぼれ落ちた涙が頬を伝う。
『シンクロ率上昇! 安定領域、入ります』
アキトの報告に、現場に安堵の雰囲気が漂う。
「テスト成功だね」
ユキノリの言葉に、誰からともなく拍手が沸き起こる。
それを遠いことのように感じながら、ハルはぼんやりと、そばに浮かぶキューブを見上げた。
「ハル、立てるか?」
いつの間にか、レンが隣にしゃがんでいた。
心配そうに顔を覗きこむ彼に、ハルはふるふると首を横に振る。力の入らない足を懸命に動かそうとするが、腰が抜けてしまったのかうまく立ち上がることができない。
「仕方ないな。文句言うなよ?」
「ぇ? ぁ、ちょ、レンっ……!」
ふわりと浮き上がる感覚に、ハルは顔を真っ赤にして慌てて声を上げた。急に喉を通過した音に小さくせき込む。
「暴れると落とすぞ」
言葉とは裏腹に、レンの声色はひどく優しい響きをしていた。
背中と膝裏から伝わる熱を感じながら、ハルは歩きだしたレンの首もとへ腕を回す。
恥ずかしいやら情けないやら。ほてる顔を見られたくなくて、ハルは無意識に彼の肩口に顔を沈めた。
「レン、ハルを医務室へ連れていってちょうだい。ドロップの確認をするわ」
マリアの言葉に短く返事をしたレンは、そのままの足取りで保管室をあとにした。
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