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白月と葉原が大浴場に向かってから40分が経過した。正面玄関から見える空の色は徐々に藍色に色づき始め、夜がゆっくりと近づいているのが分かる。そんな、虫の音も大人しくなった静かな夕暮れを迎えながら、俺は1人、正面玄関前の壁に背を預けて、来るはずもない不審者を待ち構えて見張りをしている。

断ったら断ったで、後々面倒なことになりそうだったため一応引き受けはしたが、よくよく考えてみればいい様にこき使われているだけの気もする。これはあとでしっかりと謝礼を申請しなければいけないな。

そんなことを考えていると、背後からガラガラと扉の開く音が聞こえた。ふと壁越しに後ろを振り返ると、上下セットの白いルームウェアに着替えた白月が、まだ完全には乾ききっていない長い黒髪を青いシュシュでまとめ、肩から前に下げた姿で女湯から出てくるのが見えた。その後ろからは、白月と色違いで桜色のルームウェアに着替えた葉原が、同じように頬を桜色に上気させて出てくる。

別に2人に対して特別な感情を抱いているわけではないが、風呂上がりということもあってか、どちらも少し扇情的に見える。何となく、あまりじろじろと見ていいものでは無いように思えて視線を外すと、洗面用具の入ったポーチを抱えて白月がこちらに近づいて来た。


「あら、見張りしていてくれたのね。感心するわ」

「お前がやれって言ったんだろうが……」

「ふふっ、顔に『謝礼を要求する』って書いてあるわよ。……全く、仕方ないわね。あとで私と葉原さんの2人で皇くんの背中でも流してあげようかしらね」

そんな白月のぶっ飛んだ提案に、後ろでニコニコと笑みを浮かべていた葉原が「え!?」と声を上げた。


「ちょ、ちょっと蒼子ちゃん……! 冗談だよね?」

分かりやすく茹で蛸のように顔を真っ赤に染める葉原は白月に向かってそう囁くと、問いかけられた白月は悪戯っぽく目を細め、こちらに目を向けた。


「どうかしらね。皇くんがどうしてもと言うなら、お願いした側の私たちに拒否権はないのだけれど……。だから、私と葉原さんの純潔が汚されるかどうかは皇くん次第ということよ。覚悟を決めなさい、葉原さん」

「待って待って! 晴人くんに見張りをお願いしたのは蒼子ちゃんでしょ~!…………でも、晴人くんがどうしてもって言うんだったら……」

そう言って瞳に涙を浮かべ、意を決したように呟く葉原を見て、将来詐欺にあったりしそうだなと心配しながら言葉を返す。


「いや、しねぇから。葉原も馬鹿正直に白月の言葉を真に受けるな。俺が紳士だから良かったものの、これが別の男だったら本当に危ないところだったぞ。葉原はもっと『No』と言えるようになった方がいい」

「う、うん。気をつける……」

葉原に注意と助言を促したところで、白月がつまらなそうに息を吐いた。


「まぁ、全裸の女子がすぐそばにいるっていうのに覗きに来る度胸も無いようなヘタレチキンの皇くんは、そんなお願いしてくるわけがないとは思っていたけれどね」

「どうして紳士的行いを全うしたはずの俺がそこまで言われないといけないのか、甚だ疑問だな」

「男なら冗談でも下卑た笑みを浮かべて、お願いするくらいしてみなさいよ」

「……お前はマジで何がしたいんだよ」

***

そんなくだらない茶番を一通り繰り広げた後、一度部屋に戻ってバッグから着替えを取り出すと、俺は白月たちと入れ替わるようにして男湯へと向かった。
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