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正直、学校を抜け出した後、どこへ向かうかまでは考えていなかった。
とにかく彼らから離れることばかりを考えていたから、そこまで考えが回らなかったのだ。

私は言葉として聞き取ることのできない沢山の声の中を、街を彷徨う亡霊にでもなったかのように歩き回りながら思案する。


このまま家に帰ってしまおうか。
いや、それではきっと彼らに見つかってしまう。

やはり、どこかゆっくりと落ち着ける別の場所を探す必要がある。


そう。

例えば、誰も立ち寄らないような……私だけが知っている秘密の場所を——。


そこまで考えを巡らせたところで、ふとある場所が頭に浮かんだ。

私はその目的地へ向かって足を速める。


穏やかな時の流れを感じさせる駅前を通り、いくつものショッピングセンターが立ち並ぶ賑やかな通りを抜け、家族の温かみを感じる閑静な住宅街に差し掛かる。

それからしばらく歩き続けると、突然目の前に緑の葉をつけた樹の群れが現れた。
さらに近づいていくと、ところどころ色が剥がれ落ちた大きな朱塗りの鳥居が見えてきた。

私はそのまま足を止めることなく鳥居をくぐり、その先に続く長い石段を上っていく。
樹の陰になっている部分に入ると、肌が露出している部分が少し寒く感じた。

そうして石段を上り終えると、時の流れによって朽ち果て廃れてしまった拝殿の姿が目に入ってきた。

私は特に驚くこともせずに、脇の小道へと進む。左手に見える樹々の隙間からは夕陽が差し込み、それが木漏れ日となって地面に光の池を作っていた。

その光の池を越えて先に進むと、辺りが一段とひらけた場所に出た。
周りを腰の位置ほどの手すりに囲まれたこの場所からは街を俯瞰することができる。

そして、今でも時折思い出す。

……あの日、彼と初めて出かけた日のことを。


——ここはあの日、彼と一緒に訪れた展望台だった。


私は街を眺めることのできる位置までやってくると、そっと手すりに手を置き、静かに街を見下ろす。夏の香りを残した微風が、髪を撫でるように吹き去っていく。

そうしていると何だか、とても心が落ち着くのだ。荒れ狂ったように波打つ感情が少しずつ穏やかさを取り戻し、おさまっていった。


それからどのくらい、この景色を眺めていただろう。

10分。20分。……いや、ひょっとすると1時間以上こうして同じ景色を眺めていたのかもしれない。そんな風に時間の感覚が曖昧になってしまうほど、今の私にとってその景色は何よりも美しく見えたのだ。


「……また、一緒に——」

展望台から見える街の景色を眺めながら、無意識のうちに溢れたその言葉を耳にして、私は自嘲気味に笑みを浮かべて俯く。

そうだ。
「また」はもうないのだ。


そんなことを考えていると、ふと誰かが私の背後から近づいてくる足音が聞こえた。


聞き覚えのある足音。

1歩1歩が地面に深く染み込んでいくような、静かで丁寧で優しい足音。


わざわざ振り返らなくても、それが誰かなんてことはすぐに分かった。


「白月」

彼がそっと私の名を呼ぶ。

私はそれに応えるように後ろを振り返ると、そこに立っている全身汗まみれで、元々白かったはずの靴を真っ黒に汚した彼の姿に少し驚いた。
同時に、固まったはずの決意が小さく揺れ動いてしまったことに気づき、私は思わず作り笑いを浮かべる。


「……よく、ここが分かったわね」

そう言うと彼——、皇くんは、少し悲しげに口を歪ませてみせた。
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