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……あの日、あの場所で、姿無き彼女との再会を果たしたことで、長い間蒼子の中で絡まり縺れていた何かが、解けてそのまま吹っ切れた。

傍から彼女をずっと見ていた俺には、そんな風に感じられた。
蛹から蝶が羽化するように、彼女はあの日を境に大きな変化を遂げたのだ。


「それはそうと……なぁ、晴人よ」

知らず識らずのうちに意識の大半を蒼子に向けていた俺は、輝彦の呼び声で意識を拡散させる。


「……なんだよ」

これから人を揶揄うといったオーラを、表にありありと出しながらこちらに目を向ける輝彦に、恐る恐る訊き返す。

すると輝彦は、待ってましたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべ、口を開いた。


「白月さん……いや、愛しの “蒼子ちゃん” とはあれから進展あったのかよ」

「あっ、僕もそれ聞きたい」

そう言って、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる輝彦と誠を一瞬強く睨んでやると、どういうわけか輝彦は嬉しそうに小さな笑い声をあげ出した。


……輝彦、あいつの前でそれ言ったら、お前殺されるぞ。

そんな事を思いながら、俺は深く溜息を吐くと、ポケットに両手を突っ込みながらそれに答える。


「……何もねぇよ」

しかし、そんな返答で2人が納得するはずもなく、結局始業の鐘と同時に担任が教室に入ってくるまでの間、その会話は続いた。


そうして喧騒が治った教室で担任がHRホームルームを進めていく中、俺は窓から見える青い秋空を白い雲がゆっくりと流れていくのをぼんやりと眺めながら、ふと思う。


……ずっと長い間、俺の青春は『天才に勝利すること』であると、そう思って過ごしてきた。

今ではもう薄れかけているけれど、あの日、初めてあいつの才能を目の当たりにした時の感情は、今でも胸に残っている。


もし……仮に、今の俺が過去の俺に向かって
「お前は数年後、あいつのことを好きになるぞ」と教えてやったとしたら、過去の俺はどんな表情を見せるのだろう。
 
「お前はちゃんと普通を、日常を、青春を送れているぞ」と教えてやったら、一体俺はどんな顔で、何と返すのだろう。


驚くだろうか? それとも困惑するだろうか?
……いいや、きっとその両方に違いない。

そして最後は微かに微笑んで、こう答えるはずだ。


——「それは良かった」と。


***

紆余曲折を経て再び噛み合った歯車は、今日も変わらず回り続ける。

夜が終わって朝が来るように、冬が過ぎて春が来るように、少しずつ変化を繰り返していきながら、ゆっくりと回っていく。


そんな何処からともなく聴こえて来る歯車の音と、よく晴れた蒼い秋空に迎えられながら、今日もこうして二度と訪れることのない、掛け替えのない1日が始まった——。
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