古狼と獣憑き

ヒノ

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第一章『旅立ちの朝』

地下洞窟攻略作戦

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 ハガの森西部の一角、巨大な木々の切れ間に地下への道が大口を開けていた。中からは湿った空気が漂い、入り口の岩々には緑の苔が繁茂している。昼間でも暗い洞窟の中は陽の沈んだ今、先の見通せない闇に閉ざされていた。

「さて……」

 人間の姿で入り口を見下ろせる木の上に登り、イーシャは思案する。
 この洞窟の存在自体は大猿が森にやって来る前から知っており、一度中に入ったこともあった。迷路というほどではないがいくつかの分かれ道が存在し、奥には開けた部屋があったことも覚えている。
 問題は決して浅くない洞窟の中で、大猿たちがどの程度固まっているかだ。

「単体なら敵ではないとはいえ、囲まれれば危ういか」

 大猿には速度で勝る。魔法が使える分射程もある。しかし囲まれればその優位も怪しくなる。大猿のパワーは侮れない。攻撃を食らい続ければイーシャとて敗北するだろう。

「可能な限り一対一に持ち込み、なおかつ奥にいる個体には気づかれないように……群れを持たない弱みが出たな」

 作戦の指針を決めたイーシャは枝から飛び降り、洞窟の入り口手前に降り立った。
 そのまま足音を殺し一歩中へ踏み入ると、湿った空気と共に獣の臭いが鼻を衝く。どうやら思っていたよりも手前に一匹いるらしい。
 門番か。そこまでの社会性があるかは不明だが警戒するに越したことはない。

 イーシャは人間の姿を取ったまま歩を進める。弱い獲物が迷い込んだと思わせ、逃げるふりをして外に釣り出す算段だ。
 やがて最初の分かれ道まで辿り着く。すると左の闇から大きな口が覗いた。単身のこのこと姿を見せ、仲間を呼ぶような気配もない。さして警戒はされていないということだろう。

「今度はこちらが縄張りを荒らす番だ。全員退去願おうか」
 
 大猿が拳を振り上げ飛び掛かる。戦いの幕開けだ。 





 クローヴィアは引き続き留守番だった。
 昼間と同じように倒木の中に座る。片方の出口は潰されたが、反対側はまだ身を隠せた。再び襲われることがあれば逃げ場もないので終わりだが、そもそもクローヴィアに逃げ切れるだけの脚はない。ならば外に身を晒している方が見つかる可能性が高く危険だろう。

「大丈夫、かな」

 空洞の中ひとりごちる。
 イーシャの強さは知っている。大猿から一度の攻撃も食らうことなく倒して見せた、その強さは疑いようもない。それでも、敵の巣に単身乗り込むとなれば不安が勝った。
 
 見上げるとちょうど大猿が開けた穴が空いており、天に昇る月が顔を覗かせている。

 夜明けまでに戻る、今のクローヴィアにできるのはその言葉を信じることだけだ。

「?」

 視界の端、森の奥で何かが光った。一瞬だが、赤く。昨夜見た虫とは違う。あれはこの辺りにはいないはずだ。

 再び光る、それも二つ三つが同時に。魔法だ。おそらくは魔法の炎だろう。
 だとすれば使用者は誰か? 炎の魔法を使う獣などそういない。とすればイーシャか、あるいは……。

 クローヴィアは少し迷い、空洞を出た。光った場所までそう距離はない。道中に危険はないはずだ。

 クローヴィアは極力足音を殺して近づいた。この先にいるのはほぼ二択、イーシャか、人間だ。クローヴィアは後者の確率が高いと思っている。それでも音を殺すのは、人間ならば味方だと無条件に信じられるほど世間知らずではないからだ。
 幸い踏んで音が出るような落ち葉などは少ない。足音はゼロではないが風で枝葉が揺れる中であれば紛れるレベルだろう。

 また光る。戦闘か、であれば近づくのは危険だっただろうか。わずかに不用意に接近したのを後悔する。
 しかし、仮にイーシャではなく人間がいるのなら何者なのか、頼れる相手なのかは確認しておきたい。

 やがて光と同時に音がした。ぼうっと何かが燃える音。近い。クローヴィアは巨木の影に隠れ、そっと様子を窺った。

「――!」

 狼の群れだ。茶色い狼の群れが人間の一団、十人程度を囲っている。
 といっても、既に狼は半数以上が倒れていた。一団の誰かが使う魔法に燃やされたのだろう。焦げたような匂いも風に乗って鼻を衝いた。
 狼の群れは狩りを諦めたのか、まだ十匹程度はいるが撤退しようとしている。が、一団の中にいる魔導士の魔法は背を向ける狼にも容赦なく飛んだ。一匹、また一匹、正確に焼き殺していく。無事逃げおおせたのは片手で数える程度だろう。

 やがて戦闘が終わり、一団の一人ががちゃりと音を立て腰を下ろした。よくは見えないがおそらくは鎧の音だ。

「あぁかったりー! 任務外戦闘なんざ金にもならねーのによぉ」

 女の声だった。やたら大きく、涼し気な夜の森の空気によく響いた。

(獣との戦いがお金になる……聖伐部隊かな)

 クローヴィアはもちろん、それぐらいのことは教えられていた。危険な獣から人々を守る聖伐部隊の者達は市民の尊敬を集める存在だ。父も何度か、街を訪れた部隊を丁重にもてなしていたことがあった。
 クローヴィアは遠目に彼らの顔を確認しようと試みた。もし聖伐部隊なら顔にそのことを示す紋様があるはずだ。
 ただ、さすがにそこまでは見えない。

「あなたは一匹も殺していないでしょう」

 別の女の声、こちらは先ほどの声と違って細く、内容までは聞き取れなかった。

「だって何の得にもなんねーし。つーかリンネ、逃げる奴まで殺すとかよくやるよなぁ」
「獣は一匹でも多く減らすに限るでしょ。違う?」
「そりゃあさっきのは人間襲うような奴だし減らしたがいいんだろーけどよ」

 会話が一拍空く。

「あの程度での獣ではやる気が出ない、とでも言うのでしょう」
「ご名答、理解ある仲間を持てて幸せだぜ」
「獣を討つのは力ある者の使命、そこにやる気だのやりがいだのは関係ない。理解ある仲間なら一匹でも獣を減らす努力をしてほしいものね」
「はいはい、前向きに検討しますよっと」

 クローヴィアは意図せず盗み聞きする形になったが、片方の声が聞き取れないため会話の内容がいまいち掴めない。ただ、悪人ではないように思えた。本当に聖伐部隊なら信用するに値するだろう。

 ――助けを求めるか。

 踏み出そうとした足が、しかし止まった。

(なんて言えば良いんだろう)

 この森にひとりでいたことを、何と説明すれば良いか。獣の神に魅入られた、だからこの森に置き去りにされた、そう説明したとして、彼女らはどう思うだろう。
 可哀想と同情して貰えるか、穢れた子供が厄介事を持ってきたと思われるか。いや、厄介事だと思われるだけならまだいい。疎まれ方次第では事態が何も好転しないことすらあり得るのだから。

 そして、踏み出すのを躊躇う理由はもうひとつ、この森で出会った彼女の姿が脳をよぎった。

(仮に助けてもらえたとして、そのとき僕は……)

 イーシャを裏切ることになる。

 イーシャは共に旅をしようと言った。クローヴィアは同意はしていないから、仮に彼女らと森を出たところで約束を破ることにはならない。ならないが、不誠実だ。なぜならまだ、断ってもいないのだから。
 そして恩も返せていない。昨日の夜、クローヴィアは確かに口にしたのだ。助けてもらった恩は必ず返すと。旅の話は違っても、そちらの約束は明確に破ることになる。

(………………) 

 僕は何を考えているんだろうか。
 相手は、イーシャは獣だ。獣相手に、不浄な存在相手に誠実である必要がどこにある。それに恩返しの約束だって、あれはイーシャを人間だと思っていたからしたものだ。初めから獣だとわかっていればそんな約束などするはずがない。

「…………っ」

 クローヴィアは胸を掴んだ。土で汚れた服がさらにしわくちゃになる。

 本当に、それでいいの。

 もう一人の自分が問う。

 それでいい、問題などない。自分の立場を考えろクローヴィア。ただでさえ魅入られ穢れた身だ。これ以上獣と関わって身を堕とすわけにはいかない。今までは自分を守るため仕方なく行動を共にしていたのだ。人に助けて貰えるならそれが良いに決まってる。

 ――本当に?

 その問いは警告めいていた。このさき一生の不吉を予言するように重く心にのしかかる。

 違う。間違ってなんかない。獣の傍になんかいるべきじゃない。そうだろう、クローヴィア。心まで穢されたくないのなら、ここではっきりと、あの獣を拒絶すべきだ。

 もやを振り払うように一歩を踏み出そうとする。木の影から出て彼女らに助けを乞うのだ。しかし、動かない。身体までもが心のように重かった。

「二人とも、今回は他所の方々にも同行して貰っているんだ。あんまり言い争うとこは見せないでくれ。それとリンネ、獣狩りに熱心なのはいいけど、本命を狩る分の魔力は残しておいてくれよ」

 不意に聞こえた若い男の声に、クローヴィアは一瞬思考までもが停止した。大きくはないがよく通る声だった。全てではないが所々単語までなら聞き取れる。

(本、命……?)

 その一言がクローヴィアの胸に引っかかった。
 女は任務外戦闘と言った。男は本命と言った。つまり、彼らには狩るべき対象が先の狼とは別にある。では、それは何だ。
 再び一団の様子を窺う。先ほどから闇の中でも目立っていた真紅の鎧。あれを着ているのが今発言した男のようだ。

「あら、私の魔力量は信用できない?」
「まさか、いつも頼りにしてるさ。それで、まだ奴は下の方にいるんだね?」
「ええ。マーカーは間違いなく地下から反応してる」
「なるほど。であればさっき話に出た地下洞窟の線で確定のようだ」

 地下洞窟、聞き覚えのある単語が耳に入った。そうだ、イーシャも確か、大猿たちの巣が地下洞窟だと言っていたはずだ。

「ゴグラの寝床は地下洞窟と見てよさそうですが、確かいくつか入り口があるんでしたね。もう一度詳しく聞かせていただけますか」
「はっ、はい。少しお待ちください」

 鎧の男が別の、白い外套を着た男に話を振る。白い外套の男はかしこまったような動きだ。他のメンバーと比べて両者の関係には距離があるようだった。
 同じような恰好の男が他にもいるので、おそらく鎧の男たちと白い外套の男たちは別組織の人間なのだろう。

「ここから西にひとつ、東にひとつ、北にひとつです。距離は東、西、北の順に近いかと」
「なるほど。仮にどこかの入口から攻めたとして、他から外に逃げられるのは避けたいな」

 鎧の男は思案する。

「理想は二つを塞いで退路を断ったうえで中にいる奴らを殲滅すること……ですが、困るのでしたね」
「はい。希少な蛍光石が採掘できますので、極力残していただけると……」
「わかりました。では塞ぐのは街から最も遠い東の入り口にして、残る二つの入り口に戦力を分け掃討することにしましょう」

 細かな話の内容まではクローヴィアには聞こえない。ただ、それでも胸中のざわめきは加速するばかりだった。

「リンネは先に西に行って、僕が東を塞いで合流するまで待機していてくれ。二人は北の方へ、着き次第攻め入ってくれていい」

 地下洞窟、そこには間違いなくイーシャがいる。ではイーシャと彼らが、獣と聖伐部隊が出くわせばどうなるか。
 引き際を誤ればどちらかが命を落としかねない。

(僕は…………)

 話はどう付いたのか、一団は三隊に分かれ森を進んでいく。追うか追わざるか。クローヴィアは選択を迫られていた。
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