魔界食肉日和

トネリコ

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束の魔のひと時

幕魔4:舐めた。

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 時系列は血魂前





 
 トカゲが涙を堪えて唇を食んだ。
 
 
 魔王城に勤めていた仲良くしていた仲魔が八つ当たりで消されたと聞いたと。
 魔王城は上位魔族も多く勤めるが、憧れて志願する中位魔族も後を絶たない。上位魔族の機嫌一つで死ぬ可能性もある城内は、弱者にとって死と隣り合わせだ。それでも入城志願者は後を絶たず、常識や当然のこととして周囲も認識している。日常のことなのだ。

 なのにトカゲは何処かが痛むように唇を噛み締める。静かに悼みながら無力さを噛み締める。

 俺が死んだ時も同じ顔をしてくれるだろうか
 無痛のトカゲが痛みを感じているその表情がぞわぞわと嗜虐心を煽り、死んだ仲魔とやらにさえ嫉妬した。
 
「食ってきてやろうかー?」

 相手が名前に聞き覚えのある上位魔族だろうが関係なかったので気軽に聞いた。
 トカゲを煩わせるものも、傷付けるものも、全て不快だ。
 俺以外に煩わされることが不快だ。

 目を離せば魔界ではすぐに命など潰えるトカゲ。一息で殺せる程無防備で脆くて弱いのに、今まで容易く何事も成してきたワニの思い通りに一つもならない。

 いっそのこと全部喰って一つになりたいような、国でも金銀財宝でも欲しいなら何でも与えてやりたいような、それともオレ以外考えられないようグチャグチャに傷付けて刻み付けタイヨウナ―――
 
「ばーか、お前は関係ねーだろ。気持ちだけ貰っとくよ」

 目元を拭って苦笑しながらトカゲは首を振る。

 今まで幾千、幾万の死を積み上げてきたのだから今更殺すことも食らうことも何ともない。理不尽に思うならば理不尽を仕返せばいいだろうに。

 ただ食えとだけ言ってくれれば命令された喜びを嬉々として果たしに行くのに。普段食われる対価代わりにでも思えばいいのに、トカゲはワニを己の力として見ず未だに一個人として扱う。
 雑に拭き殴ったせいで目尻がまだ少し濡れている。
 
 ああ、ウマソウだなぁ

 場違いにもそう思った瞬間舌先を伸ばして頬ごとトカゲの目尻を舐めていた。
 以前浴びる程飲んだことのある海水よりも血も塩気も少ないのに、血が混じらずとも一滴だけで満たされるように美味い。

 ああでも…とトカゲを見下ろした。
 海水よりも酷く喉が渇く
 
「おまっ、べたつくだろっ。急に味見すんのやめろよ! 頭から喰われるかと肝が冷えたわ!!」

 一瞬真っ青になった顔色が、今度は一気に赤色に染まる。くるくると目まぐるしく変わる表情や顔色は、見ているだけで目を楽しませて愉快になる。トカゲが憤慨して眦を吊り上げると、生き生きとしたトカゲの目が射貫いてくれるから、実は密やかにこの射貫かれる時を楽しんでいる。
 
「聞いてねぇな?」

 ぼこすかとトカゲが鱗を殴るも、痛くも痒くもない。トカゲも毎度知っているだろうに、十年間変わらない。案の定鱗で傷付いた皮膚が赤く染まり、そしてすぐ再生する。欲を刺激するかぐわしい香りが鼻腔から脳髄を蕩かす。

 霧掛かった思考のまま反射的にトカゲの右腕を口内で舐っていた。

 途端脳内を掻き混ぜられる様な麻薬染みた昂揚感と身体中の血液が熱を持つ様な酩酊感が襲ってくる。目を閉じ恍惚に酔いながら暴れる衝動が収まるのを平然とした様子で待った。今この瞬間にも堕ちそうになるこの揺らぎさえ愉しいのは魔族の血か、トカゲのせいか。

 ようやく思考の霞が薄らいでトカゲを見れば、四つん這いになって嘆いている。

「おま、おニューの服がぁぁ。少しは遠慮と待てを覚えろよなぁ」
「おー。また買うからよー」
「買えばいいってもんじゃねぇかんな! まぁじゃあ次は西街道行こうぜ。あそこの裏道気になっててよー」
「おー、いいぞー」

 この前の詫びにと買って贈った服だったようだ。トカゲの上から下まで身を包むものを贈れるのは龍族の欲が擽られるように満たされる。新しい服を買えると知ってもう既に復活しているトカゲは、何処か調子はずれの鼻歌を歌ってご機嫌だ。

 番が喜んでいると嬉しい。同時に、酷く輝いて、酷く美味そうで、酷く…腹が減る。

 自身を疎んだことなど無かったが、トカゲと居ると業の深さを自覚する。月の眩さに目が眩んでも手を伸ばすことを止められないように、焦がれて届かぬと分かっていても諦められないように、変われぬ我が身の分際でそれでもトカゲの傍を離したくないこの浅ましさは嘲弄ものだ。

 愛しいと食らいたくなるこの本能を共感して欲しいと願えど、不可能と最初から理解している。だから最期は必ず離れると心に誓っているから、守り切ってみせると誓っているから、だからどうか、いつかこの身が焼き尽くされるその一瞬前までは傍に置いて欲しいと願うのも、身勝手なものだ。

 思考しているとトカゲの足が止まった。
 
「何だワニ、どっか悪いのか? 何かいつもより静かじゃね?」
「いや、何でもねーぞー」
「気のせいなら別にいいけどよ」

 そうしてひょっこりと下から見上げるトカゲは、先程食べた張本人を能天気に心配してくる。その能天気さに救われる反面、甘ったるさに雁字搦めに絡められて苦しい。

 彼我の差を理解していながら、何度も被食されておきながら、たった十年で何処か信頼を寄せる能天気なトカゲを愚かだと思う。
 今でさえ、トカゲに心配されたということだけで心が震える程歓喜している己を愚かだと思う。

 こんな番を持ち、見付かってしまったトカゲを哀れだと思う。かつての姿を知る者から、番の為に身を粉にする己を憐れむものがいるのも知っている。

 どちらも、傍から見れば運命に踊らされる愚かで哀れな道化だと思う。

「トカゲー、血が出るんだから殴るのやめとけよなー」
「何だワニ、もしかしてダメージ食らって元気なかったのか?」

 けらけらと笑うトカゲは楽しそうだ。腹が減るからなーと素直に返せば、食欲魔人めと呆れられる。

 トカゲと逢う前なら一ヶ月くらい絶食したこともざらにあるのだが、告げても嘘だと断じられそうだ。それに、トカゲ断ちを一ヶ月したら狂うと確信しているのだから今更な話である。

「攻撃してもダメージないしなー」
「うっせえ! 知ってるっつーの! わざわざ言ってくるとか、さてはこのトカゲ様に喧嘩売ってるんだな? 買うぞ? 言い値で買ってやるぞ?」

 好戦的に瞳を輝かせるトカゲの言に少し驚く。もしかしてダメージを与えられると思っているから反撃を止めていないのではと思っていたからだ。
 また素人らしいファイティングポーズで振り上げられていた拳を思わず捕まえた。

「うげ、離せっつーの。ずっりーぞ」
「トカゲ―、じゃあ何でダメージないって知ってて攻撃するんだー?」

 攻撃してもダメージは通らず、我が身が傷付くだけである。そんなの無意味な筈だ。
 そんな冷静に判断して浮かんだ疑問を思ったまま素直に問い掛ければ、トカゲはまるで可笑しなことを聞いたと言いたげ怪訝そうに顔を顰めた。
 
「おま、馬鹿にしてんのか?」

 その言葉にこちらも不思議に思い小首を傾げる。
 するとトカゲはこの脳筋馬鹿ワニめと舌打ちして手を振り解こうと上下させた。外れずに血が出て「うがー!」と吠えていたが。

「外せっつーの! はぁ、馬鹿ワニはバカだからしゃーねぇか、バカでも分かるように説明してやる。いいか? 私はお前に喰われる」

 そうだとこくりと頷くと、調子が乗ってきたのかトカゲは握られていない方の人差し指を立てた。

「んで私は不本意だ。つか喰われて嫌がらねぇやつは只の変態だ。そして私は変態じゃねぇ。分かるか?」
「ダメージが通らなくて無意味でもかー?」

 確認の為に何気なく告げた瞬間、握っていたトカゲの手の温度が上がった気がした。

 燃え上がる様に煌めく縦長の瞳孔に、トカゲの逆鱗を踏んだと理解すると同時に射貫かれ、魂から魅せられて目が離せなくなる。
 小さな牙で噛み付く様にトカゲが吠えた。

「無意味が何だ。産まれから強いだろうが知るか。驕るなよ馬鹿ワニ。たとえお前に勝てなかろうが唯々諾々と殊勝に喰われるのが正しいとでも言うつもりか! そんなもん糞くらえだッ。舐めるなよワニ! 例えお前に喰い殺されようが、魔族に八つ当たりで殺されようが、死ぬその瞬間まで私は足掻くぞ!! 分かったらさっさと離せ馬鹿ワニ!!」

 ああ、これだと思う。

 挑む様に、抗う様に射貫く視線に電流が全身を這う。魂が震える。トカゲの血肉に思考が溺れるのに似て、それとは真逆の、むしろ昂揚感に視野が広がる感覚。

 見惚れている間に手を振り解かれてしまった。離れる温もりを残念に思うも、振り解かれた手に付いていた血よりもトカゲの目から視線を外せない。

 篭もる熱を震える様な吐息で逃した。
 
「おー、そうだなー、悪いなー」
「ふん、分かればいーんだよ分かれば。ついでに食うのもやめりゃあもっといいな」
「それは無理だなー」
「こんのクソワニめ!!」

 憤慨して地団駄を踏む愛らしいトカゲを前に、改めて誓いを立てる。

 傍から見れば運命に踊らされる愚かで哀れな道化だろうと何だろうと、決して諦めず泥臭く足掻くトカゲはこんなにも美しい。

 愛しいという気持ちが溢れて尽きない。今全て喰いたい。喰われたい。一緒になりたい。
 この美しいトカゲを護り切りたいと、熱に浮かされる思考と本能と誓いの狭間で揺蕩う。



 無骨な、死ばかりを振り撒いた手を伸ばした。
 トカゲの乾いた血が舌先で溶ける。









「おま、自分の手に付いたのまで舐めんなよ。この食欲魔人め」

 うげぇと舌を出すトカゲの色付いた小さな舌先を眺めながら、血の付いたトカゲの美味そうな手を眺めながら―――

 せめて今回だけはと欲を全て紛らわす為にざらりと舌を這わせ、己の手の平を今はただ祈るように舐めた。















 
 
 
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