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恋人未満な婚約者

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藤の花があしらわれた藍色の着物を身にまとい、千駄ヶ谷にある将棋会館で、マイナビ女子オープン戦の五番勝負第5局を指す。
持ち時間は3時間。第2局と第4局は白浜女流3段が、第1局と第3局は私、広瀬歩香女王が勝ち、両者2勝2敗で第5局を迎えた。

なんとしても防衛をしたい。
女流棋戦の代表する7冠中5冠(女流清麗・女王・女流名人・女流王位・女流王将)現在獲得している。
そのうちの3冠(女王・女流王位・女流王将は奨励会に在籍している時から通算8期保持してる。

「……負けました。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

先手中飛車からうまくさばき優勢に持っていくも、終盤は際どい形勢となり焦るも、なんとか持ち堪えた。

「……危なかったな」

感想戦を終えて特別対局室から出ると、仕立てのいい濃いグレーのスリーピーススーツを着こなしている藤堂将生3冠(王位、王座、棋聖)が私を待っていた。
最年少の14歳でタイトルを獲得した天才棋士の将生。
棋聖戦五番勝負第1局で小樽へ3泊4日遠征していて、朝イチで東京に戻ってきて、私の対局を観にきてくれた。

「将生、第1局、勝ち星おめでとう!!」

「ありがとう。小樽で蟹やイクラとか買って、歩香の実家に送ったから、食べに行こう」

「うん。師匠、喜んでるわ。みんな集まってるのかな?」

タイトル戦で地方に遠征した際、私も将生も名物料理を購入して、私の実家に送る。
父は門下生を受け入れて、週に3回研究会を開いてる。
24人ぐらいのお弟子さんがいつも訪れる。

「さぁーな。とにかく、さっさと実家に行って、飯食ったら帰ろうぜっ!!」

私の左手を握り、将生はエレベーターに向かう。
将棋会館内でも人目を気にせず、将生は私に接してくる。

婚約してる恋人同士の関係と思われているけど、実際は違う。

ーー私と将生は男女の関係ではない。

「将生も歩香も勝ててよかったな!!」

代々木にある80坪5LDKの一軒屋。
将棋教室や研究室に使ってる1階にある50畳の部屋に入ると門下生が12人集まっていた。

「将生さん、ご馳走になります!!」

イクラ、ウニにサーモン、甘海老など海鮮のお刺身が盛り付けられたオードブルが8個と白い発泡スチロールにタバラガニとズワイガニが20個ずつぐらい入って8台の長机の上に置かれてた。

「歩香、酢飯を作るの手伝って!!」

割烹着姿の母に呼ばれ、1階にある門下生用のキッチンへ向かう。
飯台に10合の炊き立てご飯を入れて、酢と砂糖をしっかり混ぜた液を入れて混ぜて冷める。

胡瓜とタコとわかめの酢の物と、鮭のちゃんちゃん焼きをホットプレートで作ってからそのまま部屋に持ち込む。

「叡智王の挑戦者で、王位戦の防衛戦あるから、休む暇無いな」

「全国遠征できるから楽しいですよ」

タイトル戦の決勝で毎週のように遠征してる。
そして、帰ってきたら、父に対局の報告をしに行き、食事をする。

未成年だから、私と将生はお酒は飲めない。

「……そろそろ帰ろうっか、歩香」

「うん。師匠、お母さん、また来る!!」

21時過ぎ。成人している門下生と父はいい具合に酔いが回り、絡んでくるから、将生くんと実家から出た。
タクシーに乗り込み、千駄ヶ谷駅そばにあるタワーマンションに入る。

低層階にある2LDKの部屋を将生がタイトル戦の賞金をためて分譲し、中学を卒業してから、一緒に暮らしてる。

「歩香は次の対局は?」

「6月12日に名古屋で女流王位戦の第3局がある。名古屋……ひつまぶしと手羽先に味噌カツ、天むすか……」

「俺は6月10日に博多で叡王戦の七番勝負第2局がある。水炊きとモツ鍋と辛子明太子だな」

お世話になった師匠や兄弟子に対局の報告に伺う。
門下生に食事をご馳走し、時々手合わせをしないといけない。

「……先にシャワー浴びてくる」

家に着くと交代でシャワーを浴びて、自分の部屋に戻る。
家の外では仲睦まじい恋人同士のように装っているけど、私も将生も、お互いの事を兄妹のように思ってる。

1人暮らしを始めた将生の世話をするよう父に言われ同居しているけれど、男女の関係はない。
棋力の差も大きく、私では将生の相手は役不足で、一緒に将棋を指す事も無くなった。

ーー将生との関係をこのまま続けていいのか、私は悩んでる。

****

「藤堂くんとまだ一線越えてないんだ!!」

女流でなくプロの囲碁棋士をしてる幼稚園時代からの親友 麻倉真珠と久しぶりに会って、ランチを食べながら近況報告をする。

「……無理でしょ。物心ついた頃からずっとそばにいて兄妹のように育ったんだよ。今更、男女の仲になれないよ……」

「そうかなぁ……、案外1度やっちゃうと燃えあがる気がするけどな。藤堂くん、背も高くて引き締まった体つきしてるし綺麗な顔してるし、見た目、最高じゃん!!誘惑して、試しにやってみたら?」

ひとまわり年上の囲碁棋士 樋山颯太5冠と交際している真珠。
初体験を済ませ、彼に愛されているらしく、色っぽく綺麗になってた。

「……無理だよ。将生、将棋と食べる事しか興味ない」

「そんな事ないでしょ!!17歳だよ!!1番そういう欲求に駆られる年頃だよ。藤堂くんのスマホとタブレットの中を見てみなよ!!絶対にエロ動画のフォルダあるから!!」

中学を卒業し、私も将生も真珠も出席日数の関係で普通科の高校に進まず、通信制高校に進学した。
だから、同じ年頃の子の興味関心など全くわからない。

「そうなのかなぁ……」

「そうだって。こっそり見てみて!!」

「…………」

流石に、勝手にスマホとタブレットの中を観る事はできない。
本当にエロ動画のフォルダがあったらショックだ。

真珠と新宿と原宿をはしごして、着物や浴衣、夏用ワンピース、パンプスにアクセサリー類を購入する。
タイトル戦決勝や大盤解説の聞き手役で常に人前に出る仕事をしているから、おしゃれに気を配らないといけない。

“将棋界のアイドル”とマスコミに騒がれ注目されるも、将生はそんな私に興味ない。
“将棋の王子様”といわれてる将生に対し、私も同志のように接してた。


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