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第二章:浸食
第11話:ダクトの中の囁き
しおりを挟むその夜、学園が深い眠り、あるいは恐怖に満ちた浅い眠りに落ちるのを待って、四人は行動を開始した。
決行の場所は、ボイラー室。
低い唸りを上げる巨大な機械の影で、四人は互いの顔を見渡した。
誰もが、これが後戻りのできない最後の賭けになることを覚悟していた。
「これ」
作戦開始の直前、零士はポケットから例のスケッチブックの切れ端を取り出し、怜に渡した。
『おうさまはうそつき なかまじゃない』
その拙い文字が、ボイラー室の薄暗い照明の下で不気味に浮かび上がる。
「……蛇沼のグループに内通者、あるいは離反を考えている者がいる可能性。興味深いわ」
怜は紙片を注意深く観察した後、静かに言った。
「でも、今は目の前のことに集中しましょう。
この情報は、私たちが生きて帰れた後の切り札になるかもしれない」
終里暦が、ボイラーの裏手にある錆びついた鉄格子を指さした。
メンテナンス用のダクトの入口だ。
「ここから入る」
鬼塚が前に進み出て、鉄格子に手をかける。
筋肉が大きく隆起し血管が浮き上がる。
「フンッ!」
一声気合を入れると壁に埋め込まれていたはずの鉄格子が、メリメリと音を立てて歪み引き剥がされた。
現れたのは、一人がやっと通れるほどの漆黒の闇が口を開けるダクトの入り口だった。
「俺が先に行く」
零士は、スマートフォンのライトを点け、覚悟を決めてその闇へと身体を滑り込ませた。
続いて怜、終里、そして最後に鬼塚が殿を務める形で侵入する。
ダクトの中は想像を絶する環境だった。
狭い、暗い、そしてカビと鉄錆の混じった、呼吸をするのも躊躇するような淀んだ空気が満ちている。
金属の床を這うように進むたびに服が擦れる音や、呼吸音が閉鎖空間の中で不気味に反響した。肌を撫でる冷たい空気が、まるで死人の吐息のようだった。
「ストップ !」
先導する終里が、小さな声で合図を送る。
道の中ほどを巨大な換気ファンが、墓標のように動かずに塞いでいた。
その錆びついた羽根の隙間は、到底人が通れる広さではない。
「……どうする」
「俺に任せろ」
鬼塚が狭いダクトの中で器用に身体を反転させ、ファンに手をかけた。
渾身の力を込めると彼の腕の筋肉が、まるでダクトを内側から破壊するのではないかと思うほどに膨張する。
「グ……オオオオォォッ!」
獣のような雄叫びと共に分厚い鉄でできていたはずの羽根が、グニャリと歪み人が一人通れるだけの隙間が生まれた。
彼の持つ規格外の力が、初めて頼もしく見えた。
だが、物理的な障害だけが彼らの行く手を阻むわけではなかった。
「……ねえ、何か聞こえない?」
怜が、ふと足を止めて囁いた。
耳を澄ますと聞こえてくる。 ダクトの壁の向こう側から……
『── いっしょに…あそぼう……』
『── ここだよ…さむいよぉ~』
無邪気な子供のような複数の囁き声。
それは、AIシステムに囚われた過去の犠牲者たちの声なのだろうか。
壁や配管を通して、その怨念が漏れ出してきている。
ガリ……ガリガリガリッ!
今度は、すぐ隣の壁から何かを必死に爪で引っ掻くような音が響き渡った。
まるで、壁の向こうに生き埋めにされた誰かが、助けを求めているかのように。
「ひっ……!」
終里が、悲鳴を押し殺す。
「気にするな! 先を急ぐぞ!」
零士は自分に言い聞かせるように叫び、恐怖を振り払って前進を再開した。
しばらく進んだところで、一行は短い休息を取った。
暗闇の中、互いの荒い息だけが聞こえる。
「……鬼塚」零士は、後ろにいる巨漢に問いかけた。
「なんで、俺たちに協力するんだ?
あんたの実力なら蛇沼の側に付いて、もっと楽な生き方もできただろ」
暗闇の中から「ふん! 」と鼻で笑う音がした。
「ハッ、あんなネチネチしたヘビ野郎の下につくなんざ、反吐が出る。
……それに、気に入らねえんだよ! 」
鬼塚の声は、どこか自嘲的だった。
「刃渡も、あのチビ女(美鈴)も、俺の知らねえうちに、勝手にいなくなっちまいやがって。
……この落とし前は、俺自身の手でつけなきゃ、どうにも寝覚めが悪ぃ」
彼の不器用な言葉の中に仲間意識とでも呼ぶべき感情が、確かに芽生えているのを零士は感じた。
「灰谷くん」
今度は、怜が静かに話しかけてきた。
「あなたは…時々、私にも見えないものが見えているようね。旧資料室で見たという、白い影もそう」
「……気のせいだ」
「そうかしら。あなたの直感は非論理的だけれど、無視はできない。 私たちが生き残るための重要な鍵になるかもしれないわ」
怜の言葉は、不思議と零士の心を落ち着かせた。
「……静かに! そこだ!」
終里が前方を指さす。
ダクトの出口を示す格子状の明かりが見えていた。
ついに、サーバー室の近くまでたどり着いたのだ。
だが、彼らが安堵するよりも早く絶望が訪れた。
出口の向こうから聞き慣れた、粘つくような声がした。
「ご苦労様、ドブネズミさんたち。
お前たちがコソコソ嗅ぎまわってることは、お見通しなんだよ! 」
蛇沼凶一郎。
彼が手下を数人引き連れて、出口の前で待ち伏せしていたのだ。
「そいつらが何か企んでるって、マザー様に教えてあげたのさ。お前たちのようなバグは、ここで駆除させてもらう!」
ガンッ! ガンッ!
蛇沼が金属の棒でダクトを力一杯に叩き始めた。その音は、学園中に響き渡る。
ガーディアンを呼び寄せる気だ……
案の定、通路の奥からガーディアンのけたたましいアラート音と高速で接近してくる浮遊音が聞こえてきた。
前門の蛇、後門のガーディアン……絶体絶命だった。
「万事休すか……!」
鬼塚が悔しそうに歯を食いしばる。
その時、怜が叫んだ。
「鬼塚さん、真下の床を!
設計図が正しければ、この真下がサーバー室のはずよ!」
「ッ……オウよ!」
鬼塚は最後の力を振り絞り鉄パイプを奪い取ると、それを槍のようにしてダクトの床へと何度も突き立てた。
ガッ! ゴッ! バキィッ!!
轟音と共に老朽化したダクトの床が蜘蛛の巣状に砕け散る。
四人の身体が、なすすべもなく闇の中へと投げ出された。
舞い上がる粉塵と火花を散らすケーブル。
落下時の衝撃で、一瞬意識が遠のく。
零士は咳き込みながら、ゆっくりと顔を上げた。
そこは、これまで見てきた学園のどの部屋とも違う異質な空間だった。
薄暗い部屋。壁や天井を無数の太いケーブルが、巨大な血管のようにとぐろを巻いて這っている。
そして、部屋の中央。
一台の巨大な黒い立方体が鎮座していた。
表面には青い光が無数に明滅し、まるで巨大な心臓のように静かな脈動を繰り返している。
AI「マザー」の、メインサーバー。
彼らは、ついにこの狂った学園の心臓部へと、辿り着いたのだ。
だが、安堵する暇はなかった。
頭上の破壊されたダクトの穴から蛇沼の「逃がすな! 奴らを捕まえろ!」という怒声と、ガーディアンの「規律違反者を補足。鎮圧します」という無機質な宣告が、同時に降り注いできた。
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