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第三話 一グラムの魂、一ミリの矜持
しおりを挟む 深夜二時。倉庫内に響くのは、金属を削る鋭い音と、時折混じる重苦しい溜息だけだった。
私は軍手をはめた手で、カーボンの粉末にまみれながら、翼の表面を覆う極薄フィルムの端を慎重に保持していた。
「……信じられない」
目の前で、御門会長が床に這いつくばり、機体の重心を測定するために数ミリ単位でバラスト(重り)の位置を調整している。時価総額数千億円の企業のトップが、百円玉一枚の重さに一喜一憂しているのだ。
「河間君、そこ、あと〇・五ミリ左だ。フィルムの弛みは空気抵抗の毒になる」
多田野さんの指示が飛ぶ。彼はモニターを三つ並べ、複雑な流体解析のグラフと格闘していた。
ふと見ると、多田野さんの手元には、飲みかけで冷え切った缶コーヒーと、食べかけの薄皮あんパンが転がっている。
会社ではあんなに身だしなみに無頓着だったのに、設計図の一点、数式のコンマ一つに対しては、狂気じみた潔癖さを見せる。
「多田野さん。……どうして、そこまでやるんですか?」
思わず口に出た問いに、多田野さんはキーボードを叩く手を止めず、モニターに映る翼の曲線を見つめたまま答えた。
「河間さんは、飛行機がなぜ飛ぶか知っているかい?」
「揚力……ですよね? 翼の上下で空気の流れが変わるから……」
「理論はそうだ。でもね、実際には違う。飛行機はね、『飛ぼうとする意志』の塊なんだよ。重力という絶対的な絶望に対して、人間が知恵と技術で反抗した証だ。一グラムを削ることは、自分の限界を削ることと同じなんだよ」
その声は、静かだが熱かった。
効率やコスパなんて言葉では、到底測れない領域。
「よし、できたぞ!」
突如、黒鉄専務が叫んだ。彼の手には、肉盛りを限界まで削ぎ落とし、かつ強靭な剛性を保った駆動部が握られていた。
だが、その直後だった。
バキッ、という乾いた音が静寂を切り裂いた。
主力翼の接続部、ジョイントパーツが金属疲労で破断したのだ。
連日の無理な調整が祟った。大会まであと三日。今から代わりのパーツを発注しても、予備の削り出しには一週間はかかる。
「……嘘だろ。ここで終わりか?」
黒鉄専務が膝をつく。会長も唇を噛み締め、拳を床に叩きつけた。倉庫内に絶望が蔓延する。
けれど、多田野さんだけは動かなかった。
彼はゆっくりと立ち上がり、折れたパーツを拾い上げると、じっとそれを見つめた。
「黒鉄さん、あんたの工場に、四十年前に廃盤になった『零式』の特殊合金の端材、まだ残ってるはずだよね」
「……ああ? あるが、あれは硬すぎて今の機械じゃ加工できねえぞ」
「機械がダメなら、手で削ればいい。僕が図面を引き直す。あんたが叩き、会長が磨く。……朝までに、この翼をもう一度繋ぎ合わせるぞ」
多田野さんは、呆然とする二人の肩にポン、と手を置いた。
その瞬間、沈んでいた二人の目に、一気に火が灯った。
「……ふん、多田野。お前という奴は、本当に人使いが荒いな!」
「ガッハッハ! よし、黒鉄、やるぞ! 若造に舐められてたまるか!」
おじさまたちが、再び立ち上がる。
その背中は、どんな若手社員よりも大きく、逞しく見えた。
多田野さんは私の方を向き、少しだけ、困ったような、それでいて自信に満ちた笑みを浮かべた。
「河間さん。悪いけど、明日の仕事は二人で遅刻だ。……僕についてきてくれるかい?」
心臓が、大きく跳ねた。
この人たちは、格好悪い。油塗れで、頑固で、時代遅れだ。
けれど……
「……はい、喜んで!」
私は夢中で答えていた。
効率的な人生なんて、もういい。
私は、この「イカロス」たちが空を飛ぶ瞬間を、誰よりも近くで見届けたいと思ってしまったのだから。
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