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前編
しおりを挟む新緑が鮮やかな初夏の一日、王都の中心にある広大な公爵家の屋敷の一室で、一人の美しい令嬢が鏡に向かっていた。まばゆい金髪に若葉のような緑の瞳、成人の年齢に達したばかりの彼女は、心待ちにしていた宮殿の舞踏会に向けて衣裳を選んでいた。
「……やっぱりドレスは白で決まりね。首飾りはどうしましょう」
今日買ってきたばかりの靴を履いて、鏡の前でドレスを何着かあてながら私は呟いた。
「そうですね。ペリドットやエメラルドなんかの、緑色の宝石はいかがでしょう」
侍女のアリスがその様子を見ながらそっと助言してくる。彼女の美的感覚の高さに目をつけて、私は最近、彼女を側に置くようになった。
私は振り返って新人侍女をじっと見つめて言った。
「アリス……あなたって最高だわ」
「楽しみですね、フランチェスカ様」
「まあね」
少し緊張していた侍女はほっとしたように微笑んだ。来週はいよいよ舞踏会。正式に社交の場に仲間入りする大切な日だ。きっと素晴らしい一日になる。私の心はすでに弾んでいた。
その日の晩、晩餐の支度が整った食卓につくなり、私は舞踏会に向けた完璧な計画を父に話し始めた。
「――それでね、やっぱり舞踏会のデビューのドレスは白がいいと思うの。首飾りには緑の石が付いたものがいいわ、だけど持っているものはしっくりこなくって……」
話し続けていた私が、一呼吸おいて父を見つめると、にこにこと私の話を聞いていた父が鷹揚に頷きながら言った。
「そうかそうか、じゃあ週末に外商を呼ぼう」
「ありがとう! お父様」
「おいおい、首飾りならもう売れるほど持ってるだろう」
「いいじゃないか。デビューは一度きり。好きにさせてあげなよ」
私たちの会話に口を出したのは、最近少し厳しくなった兄のエドモンドだ。その兄とそっくりな顔をした双子の弟のギルバートがそれを諫める。母を早くに亡くしているが、我が家、ペンバートン家は父と双子の兄、末娘の私で仲良く暮らしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
迎えた舞踏会の日。首飾りを新調し、ほくほく顔の私は、兄に伴われて宮殿までやってきた。待ち合わせ場所には、エスコートを頼んでいた、婚約者候補のマルコムが待っていた。
「フランチェスカ! 今日は一段と綺麗だ」
「ありがとう。あなたも素敵よ」
にっこり微笑むと彼は顔を赤らめた。今日のためにお肌の調子も整えて、ドレスも化粧も満足いくまで研究を重ねてきたのだ。今の私は向かうところ敵なしと言っても過言ではない。
贅沢に慣れた私でもうっとりするくらい舞踏会は素敵だった。出される料理も流れる音楽もすべてが一級品で、広間を行き来する紳士淑女の素敵な着こなしを眺めるだけでも楽しかった。卒業して間もないものの、学園の友人と再会できたことも、私を喜ばせた。
思い描いていた以上に完璧な夜だった――マルコムがど派手な首飾りを出すまでは。
「そんな……友人の身で、受け取れませんわ」
少し休憩するつもりで、彼と庭園にでた私は、二人きりになった途端に差し出された贈り物の、衝撃的なまでの品のなさにぎょっとした。動揺を押し殺して、ひとまずやんわりと断る。趣味じゃないし、なにより頼んでいない。
彼は諦めきれないのか、焦ったように食い下がる。
「じゃあ後で返してくれたっていいから、今度の茶会でこれをつけてきてくれよ」
返されてもいい贈り物を送るなんてどういう神経をしているんだろう。最近彼に感じるようになった嫌なもやもやが、蛇のように首をもたげた。
「……どういうことでしょう?」
「この宝石、僕のタイピンとお揃いなんだ。友人にも言ってしまったんだよ、茶会にお揃いでつけてくって。困らせないでくれ」
そう言って、彼が指差す先には橙色の宝石が輝いている。よりにもよって橙色…私が最も選ばない色だ。
(金髪とも緑の目とも似合わない気がするから、避けてるって、前に話したことあるのに)
首輪のようなそれをつけた私が、彼の友人とやらにじろじろと見られる様を想像して虫唾が湧いた。大体、社交シーズンの装いは、アリスと一緒に、それこそつま先から毛先まで考えているのだ。くだらない虚栄心と下心で台無しにされたくない。
ここのところ、彼が私を見せびらかすように連れまわすのには、嫌気がさしていた。それでもきちんと婚約を申し出てくれれば、と思っていたが、どうやらその気もなさそうだ。外堀を埋めるようなやり口も気に入らない。彼とはもう潮時かもしれない。
「調子に乗らないでくださる?」
手持ち無沙汰に広げていた扇子をぱちりと閉じて、席を立ちながら言うと、彼はぽかんと口を開けた。彼のこんな間の抜けた顔は見たくなかった。
父から紹介されて出会ったばかりのときは、都会的で洗練されていると思っていた。そう思いながら見つめていると彼の表情は見る見るうちに険しくなった。
「な、なんだよ。こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって!」
私に続いて席を立ち、声を荒げる彼に負けじと言い返す。
「怒鳴れば相手が言うことを聞くと思っているの?」
だとしたらお生憎様だ。思い通りになってたまるか。
「悪かったよ……ついカッとなってしまって。許してくれるよね、お互い家の付き合いも長いだろう?」
ぐっと黙り込んだ彼は、今度は打って変わって優しい声を出した。なだめすかす作戦に変えたようだ。
「いいわ、家には言わないであげる。その代わり、今後一切私に近づかないで」
この話はこれで終いだ。扇を広げて顔を覆う。もう顔も見ていたくなかった。
都会的で洗練された、人懐こい彼は私の中で息絶えた。少し胸が痛むような気がするのはきっと、紹介してくれた父への申し訳なさだ。
立ち去ろうとする私に彼がしつこく声を掛けてくる。
「やっぱり噂は本当だったようですね。公爵家の末娘は顔だけの高飛車女、自分しか愛せないってね」
「あらそう。くだらないわね」
吐き捨てられた言葉はちっとも私に響かなかった。私には私を愛してくれる家族も友人もいるのだ。
「なんだとっ」
その場を去ろうとすると、逆上した彼が腕をつかんで引き留めてきた。
仕方ない。はしたないが大声を出そう。そう考えて大口を開けたところで、不意に茂みから大きな猟犬が飛び出してきた。呆然と立ち尽くす私たちの間を、なにやら元気に駆け回っている。
「おーい、ケネス! どこ行ったんだ」
今度は間延びした声が響いて、犬が出てきた方向から、茂みをかき分けるようにして背の高い青年が姿を現した。チョコレートのような暗い髪色に同じ色の瞳。私やマルコムよりは年上で、兄よりは年下だろうか。体格はいいが少し地味な印象を受けた。
「失礼、お邪魔でしたかな?」
服の汚れを払いながら、乱入してきた男が申し訳なさそうに言う。にこやかだが、その目は元婚約者候補、現他人につかまれた腕を見ていた。
「この手、離して下さらない?」
「くそっ」
私と急に出てきた青年に交互に視線をやると、奴は乱暴に私の手を離して去っていった。
小さくなっていく後姿を見つめ、心の中で兄直伝の汚い言葉を投げかけながら、私は少ししびれている手をさすった。
「大丈夫でしたか?」
「えぇ」
茶髪の男性が追ってきたはずの猟犬は、先ほどとは打って変わって大人しくしている。縄がなくてもお利口に主人の側で座っているから、きちんと躾けられているんだろう。どうやら助けに入ってくれたらしい。
「助かりましたわ。お名前をお尋ねしても?」
みっともないところを見られた。少し気まずかったが、仕切り直すつもりで、丁寧に膝を折ってあいさつした。
「なんてことないさ。僕はジョン」
その後に家名が続くものと思っていたら、それだけだった。肩透かしをくらった私は、屈んで犬をわしわしと撫でる彼を思わず睨め付けた。
「……名字は明かさないってわけ?」
自慢じゃないが導火線は短い方だ。先ほどの会話を聞かれていただろうから、今さらお淑やかに振舞うこともないだろう。
「明かすほどのものではありませんよ。ジョン・ドゥとでも」
こちらの剣のある言葉も通じないのか、男はおっとりと答えた。どうやら本当に名乗るつもりはないようだ。
「なにそれ。じゃあ私はジェーン・ドゥよ」
毒気が抜かれた私は、なんだかおかしくなって笑いながら混ぜっ返した。
「君のことはみんな知ってるさ、ペンバートンのお嬢様。今日の主役の一人だろう」
青年は軽い口調だが、なんだか眩しそうにこちらを見てくる。もしかして、意外とお年がいってるんだろうか。
「えぇそうよ。名無しの誰かさんは、その主役のデビュタントに会っても踊りにも誘わないってわけ?」
「……本当に知らないんだな」
遠回しになじると、彼は少し目を見開いてぼそっと呟いた。
「なに? 私、くだらない噂話とか誰が有名だとか興味ないの」
私が興味あるのは優れた絵画に演劇、それからうっとりするくらい綺麗なドレスに宝石――そういうきらきらした美しいものだ。願わくは、これからもそういうものに囲まれて生きていきたい。俗物的と言われようが構わない。
「それは賢明だ。それじゃあフランチェスカ様、私と踊っていただけますか」
「一曲だけよ」
にっこり微笑むと、彼はうやうやしく手を差し出した。つんと澄ましてその手をとり、広間に戻ると周囲のざわつきを無視して踊りを楽しんだ。注目されるのはいつものことなので、特に気にしなかった。ジョン(暫定)は案外踊りが上手で、私の機嫌はいつの間にか直っていた。
結局彼とはその一曲で別れた。お礼をしたいといっても頑なに断って、さっさと立ち去って行った。社交的で顔の広い友人に聞けば、きっとすぐに分かるはずだが、なんだか無粋な気がしてやめた。
舞踏会から一夜明けた朝食の場、なんだか空気が違うなと思っていたら、あのマルコムが家を通して文句をつけてきたらしい。食後にその旨を伝えてきた父が困った顔で私を問いただした。
「フランチェスカ、何が気に食わなかったんだい?」
「別に……」
親に言うなんて卑怯だとは思ったが、私は相手が卑怯でも、自分でした約束を破りたくなかった。強情なままの私に父はため息をついた。
「いつかは結婚しなきゃいけないんだから、いい加減子どもみたいなわがままはやめなさい」
「……はい。ごめんなさいお父様」
いつもは底抜けに優しい父に言われると、さすがに少し落ち込んだ。
その日の昼下がり、気分転換をしようと、私はこっそり侍女の服を拝借して屋敷を抜け出した。一人でぶらぶらと大通りを歩いて王立公園へ出かける。日傘で顔を覆うようにすれば、話しかけられずに散歩が楽しめた。
「きゃっ」
公園の長椅子で休憩していると、急に大きい犬がじゃれついてきた。衝撃で緩んだ手から日傘が風に煽られ飛んでいく。ぺろぺろと私の手を舐めまわすその犬はよく見れば昨日の猟犬だった。
「こらっケネス!」
「あら、ごきげんよう」
息せき切って駆けつけてきたのは、例のジョンと名乗る青年だった。
「フランチェスカ嬢、これはとんだ失礼を」
「いいのよ。かわいいわ」
彼が拾ってくれた日傘を受け取り、少し横に詰める。彼は少し迷うようなそぶりを見せたが、犬が動きそうにもないのを見ると、諦めたように隣に腰掛けた。それが少し嬉しかった。
「昨日の彼は恋人?」
ぽつりと投げかけられた問いに顔を歪めて首を振る。嫌なことを思い出させる人だ。
「ちょっと、仲が良かっただけの人よ」
歯切れの悪い私に、彼はのんびりと伸びをして軽い感じで言った。
「そうか。なにか不満があるんなら吐いてしまうと楽になるよ。僕と君では共通の知り合いもいないだろうから、漏れる心配もないさ」
なんだかその言葉がしっくり来て、私はこのまま話してもいいかという気持ちになった。
「最初はいい人だと思ったの……」
少し黙ってからそう切り出すと、彼はうんうん、と頷く。犬も神妙にしているのがなんだかおかしかった。
「静かに二人で話しているだけで楽しかったのに、最近は仲間内の集まりに連れ出されるようになって……本当は嫌だった。美術館とか演劇ならいいけど、パーティばかりで。気の合う友達も出席してないし退屈だった」
ほんの少し愚痴をこぼすだけのつもりが止まらなくなった。自分でも気にしていなかったことがぽんぽん口から飛び出す。
「贈り物だって断ってるのに渡してくるし、しかも趣味に合わないものばっかり! 私が話したことなんて聞いてないんだわ。それに――」
「それに?」
言い淀む私に、彼が穏やかに先を促した。反応がないから聞いていないかと思ったが、一応聞いてくれているらしい。
「ちょっと社会派の舞台を見たとき、感想を言ったの。実際の国の問題と絡めてるのかしらって、そしたらすごく嫌な顔された……頭空っぽのきれいなお人形さんでいてほしかったみたい」
なんだか話していくうちにもやもやが消えていくようだった。そう、彼のそういうところが魚の骨のように引っかかっていたのだ。世間知らずで俗物なことは否定しないが、たまには考えることだってある。
すっきりして一息ついていると、さあっと涼しい風が吹き抜けた。
「君は彼のことが好きだったんだね。だから傷ついたのに気付くのが遅れたんだよ」
「…………大きな湖の水のうちの、ほんの一滴くらいは好きだったかも」
彼の言葉がじんわり染みた。そうだ、ほんの少し好きだったのだ。だから、『あれ?』と思ってきたことにも目をつぶってきた。きっと気のせいだと。
初めのうちは会えるのが楽しみで、身だしなみにも一層気合いが入っていたが、最後の方は会うのが億劫だった。そんな変化に自分でも気づいていなかった。淡い失恋を自覚すると、悲しみが胸に広がった。
黙り込んでいると、ケネスが膝に頭を乗せてきた。優しい犬を撫でていると少し落ち着いてきた。私はなんだか気恥ずかしくなって話題を変えた。こっちは赤裸々に語ったのに、ジョンのことはいまだ謎ばかりだ。
「そういえば、あなたは何しに王都へ?」
「人を探しにね」
「人って? 誰を?」
そう聞くと彼はうーんと少し考えてから言った。
「奇特で、寒さに強い人、かな」
(誰よ、その女)
なんとなく女の勘が、探しているのは女性だと告げていた。だけどそう聞くのはなんだか癪で、めずらしく私は疑問を飲み込んだ。
「さぁ、お嬢様。帰る時間だ。どうせ抜け出してきたんだろう」
何気なく言われた言葉にぎくりと固まった。どうやらお見通しだったらしい。
「……侍女とはぐれたの」
「どうだかね。送っていくよ」
私の下手な言い訳を軽く流して立ち上がった彼は、遠くに停まっている馬車を指さした。彼の家の馬車に一人乗せられ、私は真っ直ぐに公爵家に帰された。馬車が家に着けば、その特徴から、家の者が相手を特定すると思ったが、家の手前で下ろす徹底ぶりだった。
その夏、彼とは時折社交の場で顔を合わせるようになった。私たちは人目を徹底的に避けるか、公の場できちんと距離とって会話を楽しんだ。ジョンは私が何を言ってもがっかりした顔をしないし、なんだか気が楽だった。周りがひそひそし出すと、決まって彼は離れていった。
(私の中で)世を去ったマルコムとは対照的に、彼は私と親しくしているところを誰にも知られたくないようだった。がっかりしたような、ほっとしたような不思議な気分だった。
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