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禁断の箱庭と融合する前の世界(87)

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 帝都から少し離れた古城の廃墟で元帝国弓騎士団団長はナイフで自分の理想の女性オークの木彫りを彫って時間を過ごしていた。まだまだ肌寒い春の風が削った木くずを石のテーブルの上から吹き飛ばしていく。

「お、やるじゃん。上手いじゃん」

 音もなく廃墟の入り口から入ってきた―――オーガと言うには背が低く、太ったオークか豚人っぽい雰囲気の―――男は不愉快な軽い声でデイ・デイの彫刻を褒めた。

 コイツに褒められたところで全く嬉しくないといった態度でデイは口を開く。

「なぁあんた本当に星のオーガなのか?」

 こちらを見ずに熱心に木を削るオークに自称星のオーガは狼狽する。

 デイは見ずとも解るその素直過ぎる太ったオーガの反応に眉をしかめていると、狼狽しながらも必死に取り繕う彼の声が聞こえてきた。

「は?お前見たじゃん。俺がかっこよく魔法を無効化するところ見たじゃん?驚いていたじゃん?驚きすぎて頭がジャン=リュック・ピカードじゃん?」

 訳の分からない事を言う目の前の男にもう更に眉をしかめる。

 俺のボケが判らないのかという呆れ顔で豚男は解説しだした。

「つまり、お前は驚き過ぎて禿げてたじゃん?って事」

 デイは自慢だった金髪が長い投獄生活で抜け落ち、禿げてしまった事を気にしている。

「うるせぇ!お前と出会う前から禿げてただろうが!ナイフ投げっぞ!」

「無駄ですからぁ!俺は魔法に守られていますからぁ!プギャー!」

 こちらを指差して、上半身を動かさずに器用に下半身だけをジタバタさせる豚男にデイはイラッとする。

「チッ!(うぜーなー・・・。こいつと組んだのは間違いだったんじゃないのか?)」

 まぁまぁと言いながら豚のようなオーガは石のテーブルの上に、見たこともないよくわからない物を背中のリュックから次々と取り出して置くと椅子に座った。

 パンパンに膨らんだ、見た事もない素材で出来た袋を破ると中に入っている何かをオーガはパリパリと音をさせて食べ始めた。

「食っていいよ」

 奇妙な食べ物を勧める豚人もどきは、油で汚れた手を服で拭いて、鞄を色んな食べ物を取りだす。

 デイはお腹が空いていたので適当にパンっぽい物が入った袋を手に取りナイフで開ける。

 恐る恐る匂いを嗅いで、ゆっくりとパンを齧る。

 甘過ぎないクッキー生地がまず前歯に当たり、次に甘い香りをたっぷりと含んだふんわりとしたパン生地が綿のようで驚く。中には甘いクリームが入っておりメロンのような香りが鼻をくすぐった。

「うぐぅ~!これはうめぇ!なんて名前でどこで売ってんだ?」

「メロンパンって名前な。流石にパンの種類が少ないこっちの世界じゃ売ってないんじゃないかな~。そのパンはお前らが言うところの星の国のパンでっせ」
 
「そうか・・・。こんなうめぇパンがある快適な世界に住んでるのに何でお前はここに固執するんだ?お前の憎んでいるヒジリはもう死んでこの世にはいないぞ?」

 金属の容器に入った飲み物をグイッと飲んで、豚男はオークに近づいて顔を寄せてきた。

 死人かと思わせる濁った豚人もどきの目がデイの目を見つめてくる。

「お前らにとっちゃ十何年前の話かもしれんけど、俺にとっちゃまだ二週間ぐらいしか経ってないのよ。布団に入って寝転ぶと、ヒジリにビンタされた時の事を思い出して飛び起きたりするわけ。トラウマってやつ?そんな状態でそう簡単に怒りが収まるわけないじゃん?何とかして復讐しにこの世界にもう一度来たいと思ってたら、奇跡は起きた。来れたのよ。まぐれで。珍念、岩をも通すって感じ?だから俺はアイツが残した全てを無茶苦茶にしてスッキリしたいわけ。わかりる?ねぇ、わかりる?」

(珍念ってなんだ?一念だろ・・・)

 何言ってんだコイツと思った矢先、ゲフーっとデイの顔に豚男のゲップがかかる。

「おい!」

 そう言ってデイは豚男の顔を押しやった。

 押しやった手にネチャっとした顔脂が付いて寒気が走り、直ぐに豚男の服で拭き取る。

「帝国には俺も恨みがあるんだわ。一応、今のナンベル皇帝に不満のある奴等や、謀反の噂が立っている元皇帝のヴャーンズには使いを出したけどよ、クーデターに失敗した事のある俺の言う事に耳を傾ける奴はいないだろうな」

「情けない奴だなぁ君は。戦う前から及び腰でどうすんの?今やらないでいつやるの?ナウでしょ?」

 また訳の分からない事を言って一人でウケている豚男にデイは呆れながら聞く。

「じゃあ何か策があるなら教えてくれや」

「いいでしょう。まず裸になります」

 自信満々に言うのでデイは茶色い上品な革鎧を脱いで上半身だけ裸になった。。

「で?」

「次に正座をします」

 言われるがまま正座をする。きっと何かの魔法の儀式に違いないとデイは思ったのだ。

「それから?」

「尻を突き出すようにして立って下さい」

(じゃあ何で一度正座させたんだよ!)

 とデイは疑問に思いながらもその通りやった。

「次は?」

「自分の尻を両手でバンバン叩きながら白目をむき、びっくりするほどユートピア!びっくりするほどユートピア!と叫ぶ!」

 自分の尻を叩こうとしたが、豚男の顔がニヤニヤしていることに気が付きデイはそれを止めた。

「おまえぇぇぇ!いい加減にしろよな!人をコケにするのは止めろ!」

「ブッシャッシャ!ごめんごめん!ちょっとお前が素直すぎたからから途中で冗談だと言い難かったんだよ。許してくれよ。ブハーーッ!」

 馬鹿にされて廃墟から立ち去ろうとするデイの脚に男は笑いながら縋りついた。

「まぁ待て。プススス。作戦なら考えてあるから。ほらこれ」

 豚男はデイに巻物を手渡した。

 デイはあまり魔法に詳しくないが、巻物を広げてそれが何かは直ぐに解った。巻物にはあまりにも有名な魔物が描かれていたからだ。

「これ・・・ただのリッチの巻物に見えるけど、自信満々に出したって事はリッチじゃねぇな?エルダーリッチ召喚の巻物だろ?!大丈夫なのか?制御出来ないと敵だけではなく俺たちも殺されるぞ?昔、樹族国の闘技場に現れて大騒ぎになってただろ。そういや、あの騒ぎを納めたのもヒジリだったらしいな・・・」

(え?そうなの?エルダーリッチなの?)

 マサヨシは内心驚く。

 が、ここは知ったかぶりをしたほうがいいと考え、マサヨシは切れ長の目を閉じて自慢気な顔をした。

 自分の心配事を否定するような態度で、マサヨシは人差し指を左右に揺らしているが、オークにはその動作の意味が判らなかった。この星にはないジェスチャーだからだ。

「エルダーリッチは強力な魔法使いだよなぁ?でも俺には魔法が効きますかってんだドーン!」

「なるほど!お前なら問題ねぇな!つまり少人数でも作戦を決行できるって事だな。俺が声をかけた奴等が寝返えれば保険として控えさせておけるし、そうでなくてもエルダーリッチが国中を滅茶苦茶に破壊してくれるってわけだ!すげぇぞ!豚チビ禿げデブオーガ!」

「豚かオーガかどっちかにしろ!いや、違うな・・・。俺は豚でもオーガでもない。ましてや禿げてもいない!」

 デイは(は?禿げてるだろ!)と心の中で思うもツッコミはしなかった。

「俺はっ!二一世紀の日本からやってきたっ!異世界転移ができる能力をぉぉ持つ男ッ!!サトウ・マサヨシ様だ!覚えとけ!」

 色々とカッコイイポーズを決めようとするもブレにブレて、最終的に後ろを向いてしゃがんでダブルピースをし、カニのようなポーズを取るマサヨシにデイは困惑するばかりだった。



 マーは今回の件の報告に団長室まで来ていた。

 デスクの前で直立不動するマー隊長を見ずに書類に目を通しながらリツは口を開く。

「ヴャーンズ殿に不審な点はあったか?」

「いいえ、これといって決定的な証拠は掴めませんでした団長。未だにヒジリ様を陛下と呼び、帝国からの援助を必要以上に欲する以外は怪しい所はありませんでした」

「そうか。ところでヤイバから聞いたのだが、何者かが雇ったサキュバスが襲いかかってきたそうだな」

 スリャット・マーは顔には出さないが鼓動が煩くなってきた事を団長にバレないか冷や冷やしている。自分の顔が赤くなってないか気になって仕方がない。

(ヤイバはどこまで話したんだ?内容によっては息子さんを下さいお義母さんと言わなければならんぞ・・・!)

「その話はどこまでお聞きになられたのですか?」

 ゴリラのように平べったい大きな鼻がフガッ!と興奮して広がる。団長が知っている内容によってはいよいよ覚悟を決めなければならない。

 リツは綺麗に揃えられた前髪の下で太い眉毛を上げてマーを訝しむ。
 
(マーったら、なんて顔をしてるのでしょう・・・。もしかして私、部下に馬鹿にされているのかしら?)

「さらっとしか聞いてはいないが、ヤイバからはサキュバスのスキルでコロネと貴方が混乱していたと聞いている」

「(良かった、詳細は聞いて無さそうだな)はい。恥ずかしながら不意を突かれてしまいました。ヴャーンズ様のウェイロニーが解除してくれなければ混乱したままでした。(あのままだと、間違いなく団長の息子を襲っていた)」

「宿屋の中だったとは言え油断し過ぎだ。隊長クラスの中でも優秀なお前がそれでは困るぞ。以後気をつけろ」

「ハッ!」

「下がってよし」

 マーは一礼すると部屋から出てろうかを歩きながらヤイバの気遣いに喜ぶ。

(ヤイバは私の名誉の為に色々と黙っていてくれたのか・・・。優しい奴だな。くそ!本当に惚れてしまいそうだ)

 既に惚れているが、隊長という立場上、惚れてなどいないと思いこむ事にしているマーは、いずれヤイバをねじ伏せて我が物にしようと夢想しながら廊下をツカツカと進んでいった。




 鉄騎士団の宿舎でそれぞれの任務を終えた同期の新人騎士達がお互いの話で盛り上がる中、ヤイバは押し黙っていた。

「よう、ヤイバ。エリートコースのお前の話も聞かせてくれよ」

 鉄騎士団の試験を突破するために共に学校で切磋琢磨した仲である友人のドリャップはヤイバの肩を叩いて初任務の出来事を聞こうとした。

「ドリャップこそ、どうだったんだい?」

「まぁ任務つっても、冒険者がやるような山賊退治だったけどな。簡単すぎて何も面白いことは無かったゼ」

 常に正面から風に吹かれているかのような髪型をしたドリャップはニッコリと笑ってヤイバの体験談を待った。

「ぼ、僕も面白いことは特になかったかな。なにせ鉄傀儡の格納庫を見学してきたようなものだからね。あ、そう言えばその格納庫には訓練に持って来いの設備があったぞ。いずれ新人騎士はそこで訓練するんじゃないかな?」

 ドリャップは歯切れの悪いヤイバを気にするも、あまり面白い事が無かったのだろうと察して話題を変えた。

「知ってるか?ガス先輩の怪我の原因。本人は転んだって言ってたけど、どうやらクッソ可愛いノーマルオーガの女子にやられたらしいぞ。本当だとしたら、怪我のこと黙ってたのも頷けるよな。先輩ダサ過ぎで俺、笑っちゃったぜ」

 ヤイバはギクッとして友人に聞いた。

「どこでその情報を仕入れたんだい?」

「のろまのブーマーが巡回中に関係者入り口から可愛い女の子が入っていくのを見たんだって。だからその子がガス先輩をぶちのめたんじゃないかって噂さ」

 ドリャップはヤイバに腹違いの妹がいることは知っているが面識はないので、”可愛いオーガの女の子“がヤイバの妹だと結びつけて考える事はしなかった。

 ヤイバは何とか誤魔化そうと、なるべく噂の女の子の話題から遠ざけようとした。

「なんだ、噂か。本人が転んだって言ってるんだし、そういう事にしといてあげたらいいじゃないか」

「お前はほんと優しいなぁ。あんな大怪我、転んだだけでなるわけないだろ。俺達はエリートオーガだぞ?そう簡単に大ダメージなんて喰らわないのに、先輩は頭蓋骨と頚椎にダメージを負ったんだ。エリートオーガじゃなければ死んでいたって話だ。俺はそのクソ強えノーマルオーガの女の子に会って是非とも勝負を挑みたいわ」

「ガス先輩に勝てないお前が、その強い女の子に勝てるわけ無いだろ。諦めろ」

 ヤイバは噂話とは言え、愛しいワロティニスが男共の話題になるのが不愉快だった。

 ドリャップはヤイバにヘッドロックをして強がる。

「言ってくれたな?ガス先輩なんて俺でも打ち倒すことが出来るぞ!女に負けるようなヘナチョコ野郎に俺が負けるわけないだろ!」

 ヤイバは怪力で強引にドリャップのヘッドロックを外して眼鏡の位置を直していると、背後から如何にもお坊ちゃまといった声が聞こえてくる。

「へぇ!つい最近のリザード戦役に参加して生き残ったガス先輩にドリャップは勝てると豪語するのかい?あの戦いはベテランも数多く戦死した激戦だったと聞くが」

「あ?何盗み聞きしてんだ?カワー!口を挟む前にその変な髪型をなんとかしろ!」

 ヤイバはカワー・バンガーの髪型を見て思わず吹き出した。

(くそ!毎回あの髪型を見ると吹き出してしまう。キノコというか亀みたいというか。この髪型を見るとウォール家の階段脇に飾られている、小さい頃のゴルドンさんの肖像画を思い出してしまってダメだ・・・)

「下等なドリャップに笑われるのは気にしないが、ライバルである君に笑われるのは些か腹に据えかねるな、ヤイバ」

 ドリャップは下等扱いされた事に腹を立てた。

「おい!下等とは何だ!それに神の子であるヤイバをライバル視するなんて傲慢にも程があるぞ」

「恥ずかしいから止めろドリャップ。すまない、カワー。君を見て笑ったんじゃない。君の髪型を見ると樹族国の親しい人を思い出して、ついね・・・」

「謝罪かい?では怒りは収めておくよ。バンガー家とフーリー家は昔からお互い切磋琢磨してきたというのに、君という神の子が生まれてから我がバンガー家の影響力も薄くなってしまった。悪いが今までのように力のみで出し抜くというやり方はしないよ。僕はどんな手を使ってでもフーリー家より上に立とうと努力する。そう・・・君の親しくしている樹族のようなやり方でね」

 力こそ全てという闇側の掟にある”力“とはあらゆる力なので、彼の宣言におかしなところはない。権力だろうが政治力だろうが純粋な力だろうが何だっていいのだ。あらゆる力で相手をねじ伏せた者が正しい勝者なのだ。

「ああ、問題ない。フーリー一族に生まれた以上、僕は君の挑戦を跳ね返してみせるさ」

 カワーはフッと笑うと手を上げてその場を立ち去って行った。
 
「あの言い方だと、アサッシンでも送り込んでくるんじゃないのか?気をつけろよ?ヤイバ」

 後方に向かって伸びる黄色い髪を軽く指ですいてドリャップは友人の身を案じ、カワーの後ろ姿を睨んだ。
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