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悪魔に魂を売った少女

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 コツ、コツ……


 広く、冷たい廊下に、一つの靴音が響き渡る。
 窓から差し込む光はなく、ただでさえ薄暗い廊下は昼間だというのに暗い。

 石造りの、暗い廊下……そこを歩いて行くのは、一人の女だ。
 彼女は、凛とした佇まいで、堂々と歩いている。
 その姿は、過ぎ去る者が次々と振り返るほど。

 そして彼女は、一つの、大きな扉の前に立つ。
 人一人が通るには、あまりに大きすぎる扉。あるいは、その大きさは自らの権威を主張している証か。

「失礼します、リヤルデーテ、ここに参上しました」

 彼女……リヤルデーテは、扉の向こう側、すなわち部屋の中へと呼びかける。
 それから数秒後、扉が開く。

 大きな扉だというのに、あまり音はしない。
 すべてが開ききり、部屋の中にいた一つの影は口を開く。

「入れ」

 重々しい、声だ。たったその一言だけで、全身を寒気が覆っていくかのよう。
 ひそかな緊張感を感じつつ、リヤルデーテは部屋の中へと、足を踏み入れる。

 部屋の先……大きな窓を背に、一つの椅子が置いてある。
 しかも、椅子のある部分だけ他の場所よりも床が高い。つまり、こちらからは見上げる形になる。
 その椅子に、腰掛ける影……その男が、この威圧感の正体だ。


 ……やっと……やっとだ……


 リヤルデーテは、男が座る椅子の前へと止まり、その姿を見上げる。
 あぁ、なんて、圧倒的な……目の前に立つだけで、こうも威圧されるなんて。

 しかし、この日をどれだけ待ち望んだか。
 彼と、こうして対面するに至る……それこそが、リヤルデーテの第一目標。
 それを今、完遂した。

 跪き、頭を垂れる。
 それはまさしく、忠誠の証……絶対的権力者に対し、忠を誓う者の姿。

「……表を上げろ」

 己に忠誠を誓うリヤルデーテの姿に、男は満足したのか、小さくうなずいた。
 許しを得て、リヤルデーテは、下げていた頭をゆっくりと、上げた。

 見上げるその先にいるのは、圧倒的な存在……気の弱い者であれば、即座に気を失ってしまうだろう。
 かくいうリヤルデーテも、ほんの数年前であれば彼と対面するどころか、自分がこの部屋に立ち入ることすら、できなかっただろう。

「御用とは、なんでしょうか。
 ……魔王様」

 その男、『魔王』と呼ばれた男は、見た目は若い、男の姿をしている。
 だが、その見た目に惑わされてはならないことを、リヤルデーテは知っている。

 なぜなら、数年前……この男は、リヤルデーテの故郷を……

「用とは他でもない。
 リヤルデーテ、お前の働きは、聞き及んでいる。
 魔王軍に対しての貢献度、評価するに値する」

「もったいないお言葉です」

 魔王軍での働き……リヤルデーテは、これまでこの組織の中で、うまく立ち回ってきた。
 組織という枠の中の粗を探し、修正し……己が、必要であることをアピールする。

 だが、あからさまにではない。
 まずは小さなことから、そして徐々に周囲に認められ、その頭角を現していく。

 ついには、一魔族であったリヤルデーテが、魔王との対面を許されるまでに至った。
 しかも、魔王からのお声がかかったのだ。

「そこで、お前には褒美を取らせようと思ってな。
 魔王軍は、実力主義……有用である者には、相応の位を与える」

「はっ」

 大丈夫だ、落ち着いている……正直、魔王を前にして、自分が取り乱してしまわないか不安だった。
 だが、うまく自分を制御できている。


 ……ここで暴れたら、全てが水の泡よ。たえなさい私。


「先日、くだんの勇者に、四天魔族の一角を破られてな。
 リヤルデーテ、お前には、空席となったその席へと座ってもらう」

「……私などで、魔王様のお役に立てるのであれば」

「期待しているぞ」

 狙い通り……魔王に、最も近いと言われている位。その地位につくことが、リヤルデーテの目標の一つ。
 表面上は冷静を保ちながら、内心ではガッツポーズをする。

 後少し、後少しだ……後少しで、魔王に届く。
 その時こそ、彼女の……リヤルデーテの、復讐が始まるのだ。

 魔王は、リヤルデーテの故郷を滅ぼした。
 その復讐のためだけに、リヤルデーテは生きてきた。
 こんな、魔族にまで身を堕として。

「ハッ、このリヤルデーテ、魔王様のお力になれるよう、血肉を削って尽くす所存です」

 四天魔族となった、リヤルデーテ……元々は、人間だった彼女は。
 魔王への復讐のため、文字通り悪魔に魂を、売ったのだ。
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