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サバイバルの化け物

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「はっ、はっ……くそ、なんだありゃ!」

 森の中を、ひたすらに走る。人影は二つ……平井 昇。そして如月 レイナのものだ。
 二人は、深い森の中を走っていた。先ほどまで、水辺を見つけ休息を取っていたはずの二人。それがどうして、こんな逃げることになっているのか。

 理由は簡単だ。自分たちを狙うものから、逃げるため。休んでいたところへ、突然あれは現れた。
 それは他の参加者……では、なかった。

「ブォオオオゥ!」

「動物……いや猛獣かよ!」

 昇たちが、一本一本の木々を抜ける間に、それは木々をなぎ倒していく。太くたくましい木が、それの体当たりだけで折れていく。
 さらにそれは、耳を塞ぎたくなるほどの雄叫びを発していた……明らかに、人間ではない。

 振り向くと、ドシンドシンと駆けてくるそれは、狙いを昇たちから外さない。
 一見、ゾウにも見える獣。長い鼻や、大きな耳……その巨体は、まさしくゾウと言えるだろう。

 だが、不気味なのが……目が、一つしかないのだ。一つ目のゾウらしきものは、さらに毛深く、鋭く長い牙が生えていた。
 鳴き声もまた、ゾウのそれではない。

「はぁ、はぁっ……も、う……ムリ……」

「止まるな、殺されるぞ!」

 それが速いのか遅いのか、それを考えている暇などない。その巨体であれば、一歩歩くだけで昇たちが走った距離を一気に縮められる。
 また、昇たちが木々に気をつけて走らなければならないのを、ゾウは一直線に進むことができる。

 初めあれを見たときは、目を疑った。こんなデスゲームの行われている島だ、人間以外にも脅威となるものがあるとは思っていたが……
 まさか、こんな化け物がいるとは、思っていなかった。 

 あんなものに、対抗できる術はない。持っていた銃も、撃ったが当たってもまるで効果がなかった。
 ゆえに、逃げるしかないのだが……

「これじゃ、ジリ貧、だ……!」

「はぁっ、はぁ……!」

 このまま逃げていても埒が明かないどころか、やがては落ち着かれて踏み潰されるだろう。レイナは、すでに疲れてきている。
 一瞬、昇の頭をある考えがかすめた……レイナを、見捨ててしまえと。ゾウの前に囮として投げ出して、逃げてしまえと。

 ……いや、現実的ではない。レイナを突き出しても、一瞬のうちに踏み潰されて終わりだ。それで気を取られてくれたらまだしも、おそらく踏み潰したことにさえ気づかないだろう。
 かといっても、このままでは二人でどころか、一人でも逃げ切れる自信が……

「あぁああぁああ!?」

「!」

 ふと、声が……いや、叫び声が聞こえた。それは、おそらく断末魔だ。同じタイミングで、肉が潰れるような、骨が砕けるような、音がした。
 逃げるのに夢中で気づかなかったが、きっとゾウが他の参加者を踏み潰したのだ。

 他の参加者も、この森の中にいる……しかし、それがわかったところでどうしようという問題でもない。
 今はただ、この化け物から逃げるだけだ。

「! 森を抜けた!」

 走り続け、光が見え……森を、抜ける。解放された気分になり、思わず空を見上げる。
 空は、いっそ憎たらしいくらいの快晴だった。

 開けた場所であれば、いくらか逃げやすくなるはずだ。
 ……そう、油断があったせいだろうか。

「っ、あ……」

 なにかに、足を取られ……昇の視界が、回転する。目先に見えていたはずの海は姿を消し、代わりに地面が近づいてくる。
 その場に、派手に転倒してしまったのだ。

 なんて、間抜けだろう……後悔しても、もう遅い。

「ブォオオオゥウ!」

「!」

 雄叫びが、聞こえ……地面に暗い影が落ちる。とっさに、振り向くと……そこには、巨大な足を振り上げた、化け物の姿。
 瞬間、昇は悟る……もう、終わりだと。あの足に踏み潰されれば、間違いなく死ぬ。

 訳の分からないサバイバルに巻き込まれ、訳の分からないうちに死ぬ……デスゲームに巻き込まれた理由も、なにもわからずに。
 なにが賞金だ、なにが【ギフト】だ、なにが幸運だ……こんな場所で、死ぬことのどこが、幸運だというのか。

 迫りくる巨大な足から、逃げることもできず……それは、ゆっくりと、しかし確実に、昇の視界を覆い隠していき……

「だめぇ!」

「!」

 そこに聞こえたのは、レイナの声……すがるようなその声の主は、昇の視界の中に入ってきた。無謀にも、化け物の別の足下へと近づいていた。
 馬鹿な、なにをしているのか……そんなことをしても、化け物の気を逸らすことさえ、できはしない。どころか、昇の次の標的は、彼女になるだろう。

 もっとも、昇に死んだあとのことを気にする余裕などない。いや、必要などない。
 どうせ、もう終わる命……あがいたところで……

「ゴ……ァ……!?」

「……?」

 しかし、様子がおかしい……雄叫びが、変わる。それはまるで、苦悶の声だ。
 昇は、化け物を見上げる。その大きな口からは、よだれが流れ……一つ目は、充血するほどに見開かれる。明らかに、様子が変だ。

 そしてそれは、すぐに全身に表れる。耳が、鼻が、太い足が……ギリギリと音を立てて、捻じ曲がり始めたではないか。
 全身が、ぐしゃぐしゃに捻じ曲がるのに、そう時間はかからない。まるで、ぞうきんを絞るように……実際にはもっとグロテスクな姿と音を見せて、化け物は全身から血を吹き出し、倒れる。

「はっ、は……」

 突然の出来事に、昇は理解が追いつかない。見たままに説明するならば、化け物の全身が、音を立てて曲がり……曲がった部位が千切れ、命を落としたということ。
 なぜ、そのような事態になったのか。自然現象ではありえない。昇の【ギフト】が働いたとして、幸運がこのような現象を引き起こすとも考えられない。

 と、なるならば……

「……お前が、なにかしたのか?」

「……」

 先ほど、化け物の足下に近づいていたレイナ……彼女が、なにかをした。この可能性が、一番高かった。
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