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第1章 復讐者の誕生
弟
しおりを挟む「にいさまー!」
美味しいお茶とお菓子をごちそうになり、そろそろ休息も充分。考え事も一段落。剣の鍛錬を再開するため立ち上がろうとしたところへ、向こうから元気な声が聞こえてくる。
それは毎日のように聞き、もはや聞きなれてしまった声。俺のことをにいさま、つまり兄と慕う声の持ち主は……
「あら、キャーシュ。どうしたの?」
母が、その名を呼ぶ。俺よりもさらに小柄な体を一生懸命揺らして走ってくるのは、俺の弟であるキャーシュ・フォン・ライオスだ。
色の髪は俺と同じく橙色……桃色の髪を持つミーロと、燃えるような赤髪を持つガラドの子だから、ちょうど二人の色の間……という配分だろうか。目は大きく、その輝きが眩しい。
彼は俺より2つ年下……つまりは現在3歳の少年だ。いつも俺にくっついているほどに兄が大好きな子だが、鍛錬の時はこうして離れた所から見てくれている。今は、休憩中なのを悟って寄ってきたんだな。
生前の記憶がある俺にとって、母上や父上、それにアンジーのような大人相手とは違い、自分に素直になれる、数少ない存在でもある。それは自分よりも年下だから、なにより俺が自分を偽る必要のない相手だからだ。
もちろん、二人きりの時ならともかく他に大人がいるときは、それなりに子供らしくしないといけないが。
「キャーシュ坊ちゃま、そんなに急いで走っては転んでしまいますっ」
「だいじょう……わっと!」
走っていたら転んでしまう……その危険性を訴え慌てたアンジーの言葉に、キャーシュが笑って答えようとするが……言ったそばから、その場で、躓く。
あわやそのまま転んでしまうと思われ、一同ひやひや。だが、キャーシュはバランスを崩した状態から地を蹴り、転んでしまう前に前方に飛び、空中で一回転。さらに両腕を掲げ、見事な着地を披露する。
「えっへえ」
「えっへえじゃありません! なんで普通に転ぶよりも危ないことをしているの!」
「そうですよ坊ちゃま! 体を打ち付けたらどうするんです!」
「あぁ……」
行為自体はすごいことなのだが、叱られている。3歳で恐るべき身体能力。我が弟ながら恐ろしいが、それと叱られないこととは別のことだ。
そうして二人に叱られるキャーシュを見ていると、思い出す。キャーシュが生まれるとき、柄にもなく喜んだっけな。生前は弟か妹が欲しかったからだろうか。その願いが叶って。
それに、命の誕生というのは、なんかこう、胸の奥が熱くなる。生命の誕生なんて、生前でも見た経験なんてなかった。一人っ子だったし。それが今、こうして俺に弟が誕生したんだと思うと、なにをしてもこの子を守るという、熱い気持ちが湧いてくる。
……まあ、それまでの期間は地獄だったがな。赤子である俺を寝かせた両親は、なにを思ってか隣の部屋でおっぱじめやがるのだ。同じ部屋でなかっただけまだマシだろうが、それでも壁を隔てても聞こえてくるミーロの声。なにかがぶつかり合う音。ガラドの腹の立つ声。獣のような叫び。
初恋の幼馴染の、そういう声だ。聞いたこともない声は、耳に毒過ぎた。生前の状態であれば、また違った趣もあっただろうに……とも無理やり考えようとしたが、残念ながらこの体ではそうはいかない。いくら中身が20でも、体は子供。耳を塞ごうにも、完全に音をシャットアウトはできない。
そう毎度うるさくされては敵わない。赤ん坊だから、たとえ音や声が聞こえても問題ないと思われたのか……本当に、勘弁してもらいたかった。ちなみにアンジーは住み込みではないため、夜には家にはいない。家には大人の男女が二人な訳だ。
ミーロを抱いているのがあいつだと考えただけで……おかしくなりそうだった。せめて本当に寝られればまだよかったのだが、赤子だった俺は朝でも昼でも眠気に襲われて寝てしまうことがあったのだが、なぜかそういう時だけ眠れないのだ。本当に、参った。
そんな、二人の行為を複雑な気持ちで聞いていた俺だが……キャーシュが生まれた瞬間、それらのことがどうでもよくなった。俺を直接殺したガラドや、それをただ見ていたミーロ。それらとは違い、この子に罪はない。生まれた子に罪はない。この子は、絶対に俺の手で守ると……そう、心に決めたものだ。
それと同時に、いつか俺があいつを殺した時、父親を失ったキャーシュがどんな反応をするだろうかと考えそうになったこともあったが……それは無理やり、考えないようにした。その時は、俺が支える。俺が兄として、あの子を支える。
「で、キャーシュはどうしたんだい?」
……と、さすがにこのまま二人に叱られ続けているキャーシュを見ているのもかわいそうなので、助け舟を出してやる。それを聞いて、反応したのは母上とアンジーだ。
「もう、ヤーク。優しいのはいいけど、あなたはお兄ちゃんなんだからそんなに甘やかしたら……」
「まあまあ、キャーシュも反省してますから」
キャーシュに甘い、それは自分でも思うが……仕方ないじゃないか。思っていたよりもずっとかわいいんだから。純粋な笑顔で、俺の後ろを着いてくるのだ。かわいくないわけがない。
いわば人の悪意に殺された俺にとって、キャーシュの存在はまさに光……天使か。うん、素晴らしい。
「それで、さっきの話の続きだけど……」
「えっと……にいさまと、剣の練習がしたくて」
「よしやろう」
「ヤーク!?」
うつむき、もじもじしながら俺と剣の稽古がしたいという。その姿は、思わず母性本能が働いてしまうほどにかわいらしいものだ。俺は母どころか女でもないとはいえ。
「あなた、今日はひとりで黙々やるって言ってなかった?」
「それはそれ、これはこれですよ母上」
確かに、ぶっちゃければキャーシュの相手をしたところで、俺の剣の腕は上がりはしない。身も蓋もない言い方をするなら、時間の無駄だ。
だが、今言ったようにそれはそれ、これはこれだ。かわいい我が弟キャーシュの願いを無下になど、できるはずもない。それに、キャーシュの剣の稽古はこれが初めてというわけではない。
これまでに俺の見様見真似から自分でやってみて、俺に教えを乞うてきた。始めこそただの棒遊びだったが、日々上達していく姿……教えている身としては嬉しくもあるし、間違いなく才能もある。さすがはガラドとミーロの子供、ということか。認めるのはすごく不本意だが。
俺の目的は、いずれガラドを殺すこと。だが復讐にばかり気を張っていては、いざというときに動けなくなる。それになんにせよ、こうして得た二度目の人生だ。謳歌しなければもったいない。
ガラドを殺した後に捕まらないようにと考えているのは、その後も人生を楽しんでやるつもりなのだから。どうして、あいつを殺すためだけに、二度目の人生を費やさなければならない。
復讐と、二度目の人生の謳歌。同時進行で、やってやるさ。
「よし、行こうかキャーシュ」
「はい、にいさま!」
木刀を手に、その場から移動する。上達していくキャーシュを見るのも嬉しいし、素人相手ではあったとしても自分の動きを見つめなおすことも出来る。
「さあ、どっからでも来い!」
「はい!」
木刀を、俺の見よう見まねで構え、走ってくるキャーシュ。その相手をしながら、こうして時間が過ぎていくのを、穏やかに感じていた。
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