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第6章 王位継承の行方
弟想いのお兄様
しおりを挟む「ふは、あぁ……」
隣を歩いているノアリが、情けなく大口を開けてあくびをする。貴族の女性ってのは、口元に手を当てておしとやかにあくびをするのが大半だが、こいつにおしとやかなんてものはないらしい。
「どうした、眠いのか」
「ん……昨夜、同室の子とゲームしてたら盛り上がっちゃって」
目を擦りながら、ノアリは応える。うん、同室の子と仲がいいのは、いいことだ。
今日は妙にあたたかいし、寝転がったらすぐに寝てしまえそうだ。
「じゃあ、俺に付き合わずに訓練場で体でも動かしてればよかったのに」
「……いいのよ、今日は散歩したい気分だったし」
……騎士学園は、2年生になってからその授業内容は大きく変わる。1年生では、そのほとんどが学園内での、教わる授業だ。
だが2年生からはそうではない。受動的な授業ではなく、積極的なものを求められる。そのほとんどが、言ってしまえば自由時間だ。
1年生では教師などにいろいろ教えてもらい成長していくが、2年生からは自分たちで成長を促す形となる。自由に訓練場を使うも良し、こうして学園外へと足を運ぶも良し。もちろん、外出には許可がいるが、そこまで詳細なものはいらない。
とはいえ、一時期は外出も厳しくなっていた。『魔導書』事件で、学園に対する不信感が向けられるようになった。それを、1年の歳月をかけてゆっくりと、しかし確実に信頼を取り戻していった。
こうして自由に外出できるのも、学園側の頑張りがあってこそだ。
「けど、ミライヤは真面目というか……あんまり、外出とかはしないよな」
「あの子は、少しでも私たちに追いつきたいって、言ってたからね」
ミライヤは、今日は訓練場で訓練中だ。ミライヤをひとりにすることに不安がないわけではない……が、彼女は変わった。いや、彼女の周りも。
最近では、同じ組にいる貴族の女子たちと、仲良くしている。最初は、ミライヤをいじめるために近づいてきた輩ではないかと心配したものだが……
隠れて何度も様子を伺っていたところ、本当に仲良くしているようだった。それに、俺やノアリにも何人か紹介してきたし。
学年が上がっても、組が変わることはない。同じ組で3年を……残り2年もないが、共に過ごす仲間だ。仲良くしておくに越したことはいし、ミライヤもいつまでも俺たちと一緒ってのもな。
男はまだ苦手だが、その辺の事情はみんな、わかってくれている。
「あの子はあの子なりに頑張ってるし、むしろ私は尊敬すらしてるのに……」
「それ、本人に言ってやれよ」
「……いやよ」
顔を赤くして、ノアリは照れている。まったく面白いやつだ、これだけ長くいても、素直になれないのは相変わらず……いや、俺にすら素直じゃないんだし、当然か。
……そうか、ミライヤと知り合って、まだ1年とちょっとしか経っていないのか。もっと、ずっと一緒にいるような感覚だ。
「……あれ?」
「ん?」
ふと、ノアリが立ち止まる。今俺たちは、日々のリラックスということで散歩をしている。なにかいいものがあれば、お土産でもミライヤに買っていこうか……そう、思っていた。
急に立ち止まったということは、ノアリはなにか、気になるものでも見つけたのだろうか。
「おい、どうかし……」
「ねえ、あれキャーシュじゃない?」
「なんだと!?」
ノアリの口から出た名前を聞いた瞬間、俺は反射的に顔を、ノアリの視線の先へと向ける。キャーシュ……我が最愛の弟が、いるだと!?
その姿を、探す……すると、いた! 人ごみに紛れてはいるが、俺と同じあの橙(だいだい)色の髪、それに後ろ姿でもわかる凛々しい姿! 間違いない、キャーシュだ!
こちらには気づいていないが、チラッと見えた横顔は、まさしくキャーシュのものだ。
「おぉ、キャーシュ! おぉーい、キャーシむぐっ!」
「ちょっと、待ちなさい!」
キャーシュに声をかけようとする俺だったが、口をノアリに塞がれ、声が出せなくなってしまう。な、なにをしやがる!?
俺とキャーシュの再会を邪魔しようってのか!? だとしたら、いくらノアリでも許さんぞ!
「むー、むーっ!」
「ちょっ、目ぇこわ! お、落ち着きなさい! ほら、キャーシュの隣に女の子が、いるのよ!」
「む……む?」
女の子……女の子? そう言われ、頭に上りかけていた血は冷えていき、もう一度キャーシュへと視線を向ける。
そこには、確かに……キャーシュの隣に、女の子が並んでいる。あれは、たまたま隣を歩いている……ではない。確実に、知り合いの距離感だ。
キャーシュに集中していて、気づかなかった。
「ん……んむー」
「落ち着いた? 落ち着いたわね。……まさか、ちょっとストップをかけただけであんな目と殺気を向けられるとは思わなかったわ」
俺の口から手を離し、解放したノアリは、少々呆れ気味だ。む、少し反省。
だが、今はそれよりも……!
「あああ、あの女、キャーシュと一緒に歩いて……誰だ!?」
「私が知るわけないでしょ」
「キャーシュと、どんな関係だ!?」
「だから、知らないっての。まあ、女の子と2人きりで歩いている理由なんて、そりゃもうデートなんじゃない? ……あ、べ、別に、私たちがそうだってわけじゃ……」
「で、デートだとぉ!?」
「……」
キャーシュとデート、デートか……そりゃキャーシュはかわいいし、最近は色気も出てきたし凛としているし、俺よりも頭はいいし、名門の学園に通っているし、優しいし、天使のようだし、好きにならないわけがないが……
だが、それはそれ、これはこれだ。キャーシュと、俺の愛しい弟と、デートなどと……!
「あの雌犬……!」
「……あんたの弟想いは今に始まったことじゃないけど、そうやって指嚙むのやめてくれない」
これは……見極める必要があるな!
「行くぞ、ノアリ!」
「え、えぇ?」
俺は、キャーシュと女の後を尾けることに。あの女が、キャーシュにちゃんとふさわしいのか、確かめなくてはいけない。
キャーシュは優しいから、騙されている可能性だってあるのだ。キャーシュはピュアなのだ、天使なのだ。
「ねえ、こういうのやめない?」
「お前も似たようなことしてたろ!」
「あれは、友達で……でも、弟の恋愛事情にまで口を出すのは。それに、ミライヤと違ってキャーシュ、しっかりしてるし」
「恋愛とか言うな! キャーシュは騙されているんだ!」
「…………」
その後、尾行を開始。これまでの数々の訓練、そして実践を経て、俺は気配を消す手段を会得した。賢いが、修羅場とは無縁のキャーシュにバレるはずもない。
キャーシュと女は、楽しそうだった。うん、俺の目から見ても、キャーシュが楽しそうにしていることはわかったさ。
……だからこそ、だ。
「あ、ここでお別れみたいね」
尾行を初めて1時間ほどで、キャーシュは女と別れた。デートとは言うが、なんてことはない。ただ小物を見て回ったり、デザートを食べたりしていただけだ。
……それを、デートというのか?
「さ、もういいでしょ? キャーシュも楽しそうだったし、悪いことにはならないわよ」
「うむ、んー」
「全く……あれ?」
もう尾行の必要はない。心配事は尽きないが、ここらが潮時だろう……そう思っていたところで、キャーシュの視線がこちらに向く。目があってしまうが、こちらは隠れている。たまたまか?
……いや、こっちに歩いてきている。え、なんでなんで。
そして……
「……なにをしているんですか、兄様?」
呆れた様子で、キャーシュに見つかってしまった。
あれ、ちゃんと気配は消して……あれぇ?
「えっと……い、いつから?」
「……気づいたのは、30分くらい前です。なんだか、異様な視線を感じましたので。というか、いつから、ということは、もっと前から見ていたんですね」
なんてこった……気配は消していたのに、物理的な問題で見つかってしまったというのか。なんということだ。
ノアリは、気づかれていることに気づいていたのだろうか。ただ、驚いている様子はない。
「で、なにをしていたんです? いるなら、声をかけてくれればいいのに」
……怒ってはいない、のか? いや、そう思わせているだけで、実はめちゃくちゃ怒っているのかもしれない。
とはいえ、ここで嘘をつくと、さらに怒らせてしまうだろう。ならば、正直に話した方がいい。
「実はだな……」
俺は、正直に話した。町中でキャーシュを見つけたこと、キャーシュが女の子と歩いていたこと、気になって後を尾けたこと。
始めこそうんうんと聞いていたキャーシュだったが、そのうちにどんどん顔を赤らめていった。なんだよう、その反応は。
「そ、そうですか……見られてましたか。当然ですよね……」
「俺としては、キャーシュが選んだ人なら、お付き合いに口は出したくはない。けれど、人ってのはいろんな人がいるからね?」
「いや、付き合ってはいないのですが」
「……へ?」
照れたように、しかしはっきりと、付き合っていないと言うキャーシュ。なん、だと……付き合って、ない。ならば、俺の勇み足だったというのか。
なあんだ、それなら一安心だ。そうだよな、キャーシュにはお付き合いとかまだ早いもんな。
「そっか、それならよかっ……」
「……ただ、お付き合いしたいとは、思っています」
「……」
ピシっ……と、なにかが砕ける音がした。キャーシュが次に放った言葉の、威力といったらなかった。
お付き合いしたい……オツキアイ、シタイ?
「へぇー、そうなの! なんだ、満更でもないんじゃない、きゃー!」
照れているキャーシュ、なんかテンションの高いノアリ。え、俺? 俺がおかしい?
キャーシュの顔……これは、マジだ。俺には向けたことのない、マジの顔。あぁ、なんか泣きそう。
「そうか、付き合いたい人か……」
そうかそうか。確かに、あの女はかわいい感じだった。地味だが、ひとつひとつのパーツが整い顔立ちはめでたくなる印象を与える。スタイルだって悪くないし、なんというか隠れファンクラブとかいそうな感じ。
もちろん、キャーシュのことだ見た目で選んだわけではあるまい。
それに、女もキャーシュに満更でもない様子だった。……だが、今見た範囲でのことだ。
「よし、今からその人連れてきなさい。本当にキャーシュのこと愛してるか、狂ってないか、操られていないか、確かめるから」
俺は、キャーシュの肩を持ってこう言った。
「!?」
「落ち着きなさい兄バカ」
「落ち着いてますけどォ?」
「目が据わってんのよ」
そんな怖い顔するわけないじゃないか、ハハハ。ちょっと、直接会っていろいろと確かめたいことがあるだけさ。
ノアリは呆れつつ、俺をキャーシュから無理やり引き離す。そして、ため息をひとつ。
「はぁ……キャーシュ、一応フォローさせて。ヤーク、多分ミライヤのことでいろいろ過敏になっているんだと思う」
「な……そそ、そんなことは……」
「ないわけないでしょう。てかなかったらいよいよ怖いわよ」
……ミライヤの件。それが、俺の根底にある……やっぱり、ノアリにはお見通しか。
ミライヤは、楽しそうだった。告白され、デートもして、プレゼントも貰ったらしい。……その楽しい思い出は、偽りだった。ミライヤは、そのせいで家族を失い、心に深い傷を負ったんだ。
キャーシュが、もしそんなことになったらと思うと……
「ミライヤ……あぁ、あの人ですか」
しばらくその名前を思い出すようにしていたキャーシュだが、どうやら思い出したらしい。キャーシュも、ミライヤを知っている。一方的にではあるがな。
かつて、ノアリの尾行に付き合わされた、あのときだ。
「……兄様がこうまで心配してしまう結果だった、ということですか。そして、僕の状況と重ねたんですね」
賢いキャーシュは、ミライヤの事情を説明しなくても、ある程度を察してくれた。ここで俺からミライヤのことを話さないのは、さすがに本人のいないところで話すのは気が引けたからだ。
それから、キャーシュは深くうなずいた。
「兄様が心配してくれるのは、ありがたいです。そういう事情があったなら、余計に気持ちもわかります。だから、気軽に大丈夫とは言えませんが……それでも、大丈夫。心配しないでください」
「キャーシュ……」
「今の話を聞いて、ちゃんと、気を付けようと思えましたから。それになにかあったら、すぐに兄様に連絡しますから」
そう言って、キャーシュは笑った。あぁ、全く俺は心配性だな……うんうん、キャーシュなら心配ないか。なんせ、俺のかわいい弟だからな!
「ところで、お二人はデートですか?」
「ち、ちがっ……」
視界の端でなにやら盛り上がっている2人を見つめながら、俺はちょっとだけ安堵した。
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