DachuRa 3rd story -天使と讃えられたのは、悲劇に堕ちた哀れな教唆犯-

白城 由紀菜

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XI 追憶-新任- -I

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 エリオット先生が失踪して、1週間が経過した。
 約2、3日に1度の頻度で借金取りはマリアの元を訪れ、そして気が済むまで殴る蹴るの暴行をして去っていく。不幸中の幸いなのは、マリアに性暴力を振るわない事と、娘のノエルには手を出していない事だった。しかしそれも、いつまで続くかは分からない。
 先生の行方も分からず、そして借金は88ポンドにも上った。とても返済できる額では無く、今やもう為す術がない状態であった。
 マリアは暴行された痕が痛むのか、それとも先生が借金だけを残し失踪したショックからか寝込んでしまい、もう5日も前から診療所を開けていなかった。そして何処から情報が漏れたのか、先生の失踪の噂は徐々に街に広がりつつあった。

 この1週間、毎日診療所を訪れているがマリアが1階に降りて来たのは片手で数える程度しかない。その代わりに頻繁に降りて来たのは、娘のノエルだ。
 ノエルはまだ幼い為か、マリアが寝込んでいる理由が分からない様だった。「ママ、ずっとベッド入ってる」と言って私に遊んで欲しいとせがむノエルを見ていると、酷く胸が痛くなった。
 その都度ノエルが好みそうな絵本を選んで読み聞かせてやっていたが、私の心中はマリアの事で埋め尽くされていた。仕事にも身が入らず、セドリックにはしっかりしろと叱責されてしまう始末だった。

 診療所の定位置。テーブルに突っ伏し、先生の事を考える。
 彼はマリアとノエルを、心から愛していた。それは、先生の心を覗かなくとも見ていれば直ぐに分かる事だった。だというのに、先生は黙って借金だけを残して消えた。
 最後に先生と会った時、先生はどんな顔をしていただろう。私は彼と、どんな話をしただろう。もう思い出せない。しかし少なくとも、その心に大きな変動は無かった。普段通りだった。
 彼の心に変化があったのだとしたら、それはきっと凄く繊細で、何日も、何か月も掛けて変わっていったに違いない。

 私は少女から大人になり、今やもう21歳だ。仕事も始めた事から、先生と会話をする頻度も少しずつ減っていった。しかしそれでも、先生は私の心の拠り所だった。彼が淹れてくれるエルダーフラワーのハーブティーは、決して私の口に合う物では無かったが、それでも心の何処かでは気に入っていた。とても、落ち着く味をしていた。それももう、飲む事は出来ない。
 テーブルに突っ伏し、先生の事を考えて涙ぐむ。

 ――マリアちゃんが寝込んでる。何も知らないノエルちゃんが時々私に「パパはいつ帰ってくるの?」って聞くの。
 ――マリアちゃんは借金取りに暴力を振るわれてるみたい。精神的ショックからか、仕事が出来なくてずっと寝込んでいるの。食事もまともにとれていないみたい。
 ――このままじゃ、マリアちゃんが死んじゃうかもしれない。
 ――ねぇ、先生はいつ帰ってくるの?

 先生なら、彼なら、私のその言葉になんと答えただろうか。
 どんな顔を、するだろうか。

 ふと遠くで、ドアベルの音が聞こえた。診療所の扉には“closeクローズ”の札が掛けられている為、此処を訪れてくる人は殆ど居ない。
 先生が帰ってきたのだ。根拠なんて何処にも無いが、そう確信を持った。――いや、そう思いたかっただけかもしれない。
 慌てて顔を上げ、勢いよく椅子から立ち上がる。その拍子に、椅子が大きな音を立てて倒れた。
 先生には、いつも物は大切に扱いなさいと言われていた。しかし今の私の意識は、此処を訪ねて来た人物に向いていた。
 倒れた椅子に目もくれず、カーテンを乱暴に開き待合室へ駆けて行く。

「……あ、あの」

 診療所を訪ねて来たのは、私が望んだ人物では無かった。心の何処かでそれは分かっていた筈なのに、あからさまにがっかりとしてしまう。
 ブラウンのスーツに、シルバーフレームの眼鏡。スーツと色の合ったハット。そして、美しいバイオレットの瞳。
 ぼんやりと此方を見つめる彼に、たどたどしくも声を掛ける。
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