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II 奪われる
IV
しおりを挟む「出来たぁ! 3ページ!」
ペンをノートの上に抛り無げ、レイがまるで今日の勉強を終えた様な顔で大きく伸びをした。
「……まだたったの3ページよ、レイ」
「でも、3ページ終わらせたらちゅーしてくれるって言ったじゃん!」
「それは確かに言ったけれど、3ページで終わりでは無いのよ。分かっているの?」
「分かってるって。ルイは頭硬いな~」
「……」
スッと手を持ち上げ、無言で額を弾くジェスチャーをすると、レイが慌てて「ごめんってば! 冗談じゃん!」と言って自身の額を押さえた。こういうところは扱いやすくて苦労しない。
深く溜息をついて、ペンをノートの上に置く。
「ほら、こっち向いて」
「へ?」
レイの顎を指で掬い取り、ゆっくりと顔を近づける。間抜けな顔をした彼女は、状況が飲み込めていない様だ。自分で言った事を、もう忘れてしまったのだろうか。
「貴女が、ご褒美を頂戴と言ったのでしょう」
呆れ混じりにそう言うと、レイがあっと声を上げる。
「そうだった! 忘れてた!」
「馬鹿なの?」
最早、呆れを通り越して感心する。
今日何度目になるか分からない溜息をつき、再び唇を近づけた。きゅっと目を瞑ったレイは、普段誘惑してくる時と打って変わって子供の様だ。思わず溢れてしまった笑みを隠し、そのまま瞳を閉じる。
――しかし、唇が触れる寸前で自身の身体が止まった。
玄関の外から聞こえてきた、馬車が急停止する音。金属が擦れ合う音が耳を刺激し、顔を歪める。
「え、な、なに」
レイも異変に気付いた様で、瞳を開きぱっと玄関の方を見遣った。
街中ならさておき、住宅街である此処らを馬車が走る事は滅多にない。いや、あり得ないとでも言うべきか。
此処らに住んでいる人達は貧困生活を送っている者が多く、辻馬車を使うほどの金銭的余裕はないからだ。それに、馬車が走れるほど道が整備されている訳でも無い為、辻馬車を操る御者なら絶対に通ろうとはしない場所である。
雨でぬかるむ事も多く、誰しも大事な商売道具を汚したくは無いだろう。
貴族の馬車なら分からないが、しかしそれでも、この道を通るとは思えなかった。
「なんだろ、なんかあったのかな」
その音に好奇心を滲ませたレイが席を立ち、窓際の方へ駆けていく。だが私の心中では嫌な予感が渦巻いていて、慌ててレイを引き戻す様に服を掴んだ。
「待って、行かないで」
「え? なんで? ルイは気にならないの?」
「気になる、けど、なにか嫌な予感がする……」
私の言う“嫌な予感”の意味が分からないのだろう。レイが首を傾げ、訝しげな視線を此方に向ける。しかしそれも当然だ。レイは父の仕事の事も、父や私が案じている事も、何も知らない。これから先も、彼女はなんの危険も無く両親と共にこの家で生きていけると思っているのだ。
それに、彼女はやや警戒心が薄いところがあった。誰しもが関わろうとしない有害な酔っぱらいにも、正面から突っ込んでいってしまう様な子である。仮にそれ等の事を知っていたとしても、レイはなんの躊躇いも無く玄関扉を開けてしまいそうだ。
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