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XVI 不機嫌なピアニスト-II
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部屋に入ってきた人物は、他でもない劇場のオーナーであるジャックだ。この部屋を訪ねてくる人物等彼くらいである。
「なんだ、いきなり! そんなに恨まれるようなことしたか!?」
「お前には恨みしかない」
ジャックから顔を背け、髪をぐしゃりと乱す。
「今日は一段と機嫌が悪いなぁ、奥さんと喧嘩でもしたのか」
「うるせぇな」
彼の言葉を否定出来ず、床に転がったチラシを拾い上げ再度彼に向かって投げ付ける。
「イラついた時、物を投げる癖は変わらないな。グラスを投げてこないあたりは、成長したんじゃないか?」
「なんなんだよ、茶化しに来たんだったら帰れ」
自身が15の頃、ジャックと口論になった末手元にあったグラスを投げつけた事があった。彼はきっと、当時の事を言っているのだろう。
その時は幸い、彼にグラスが当たることは無かったが、グラスが当たった壁には大きな凹みが出来てしまった。その凹みは、今も残っているのだろうか。
「お前の奥さんが、何か軽食でも差し入れに来てんじゃないかと思ってな。期待して来たんだが」
「仮にあったとしてもお前にだけはやらねぇよ」
彼は尽く、心の傷を抉ってくる。
エルが何か軽食を持って劇場まで来てくれるのではないか、そう誰よりも期待したのは俺自身だ。しかし、限られた時間を邪魔する訳にはいかないとでも思ったのか、エルが此処に来ることは無かった。
それに、昨晩酷い言葉で彼女を傷つけてしまったのだ。彼女が今後此処に来る事も無いだろう。それどころか、コンサート当日だって来てくれる保証はない。
再びピアノの前の椅子に腰を掛け、深く溜息を吐いた。
「だいぶ情緒が不安定だな」
「誰の所為だと思ってんだ」
ジャックが壁に凭れ掛かり、ケラケラと笑う。その顔を見て苛立ちが沸き上がるのと同時に、ふととある事を思い出した。
4日前街でジャックと偶会した時、ジャックはエルを見て「女の趣味変わったのか」と言っていた。今の今迄気にしていなかったが、彼は一体誰の事を指していたのか。そんな疑問が浮かび、口を開いた。
「この前言ってた、『ブロンド髪の嬢さん』って誰の事だ」
「……? 俺そんな事言ったか?」
「自分の言った事には責任持てよ! それも、妻の前で言いやがって。妻が変に誤解したらどうしてくれるんだ」
「あぁ! あの話か! いやぁすまんすまん。お前が女を連れて歩いてる姿をよく見てたもんでな」
「その“女”が誰なのかを聞いてるんだが」
良く言えばフランク、悪く言えばいい加減。そんな彼の性格は昔から変わっていない。
ジャックと話していると無駄に体力を消費する。早くこの部屋から出て行って貰いたいところだが、彼が言った女の存在も気になるところだ。
「誰かまでは知らんが……、こう、髪はふわふわしてて、見た目は派手な子だったな。お前と同じ、赤い目が印象的で」
「……マーシャの事か?」
「いや、だから名前までは知らんが。ただまぁ、お前の奥さんとは正反対な子だったな」
ふわりとしたブロンド髪に、派手な見た目。そして、自身と同じ赤い瞳。考えられる人物はマーシャしか居ない。
抑々、自身が連れて歩いた事のある女はエルとマーシャの2人位だ。依頼者を連れて歩く事も無い。彼の言っている“女”とは、マーシャの事で間違いないだろう。
「あいつはただの、仕事の同僚だ」
「仕事の同僚、ね。妻が居ながら、他の女に手を出すなんて良くある事だ。そう隠さんでも男なら誰だって経験あるだろ」
「だからお前はなんですぐそういう方向に話を持っていくんだ。俺が女に興味ない事、知らないとは言わせないぞ」
「女に興味が無いなんて言って、結局女を娶ってるじゃないか」
「妻を他の女と一緒にするな。俺が愛してるのは妻だけだ、他の女に興味はない」
「惚気か?」
彼は本当に、人の神経を逆撫でする様な事しか言わない。
苛立ちが頂点に達し、ピアノの譜面台に置かれていた数枚の楽譜をジャックに投げつけた。
しかし、楽譜はひらひらと宙を舞うだけで一枚も彼に届く事は無かった。
床に散らばった楽譜を見て、ジャックが逃げるが勝ちだとでも言う様にひらりと振り踵を返す。
「練習、頑張ってくれ。全てはお前の演奏に掛かってるんだ」
「……」
その言葉だけを残し、とっとと部屋を出て行ってしまったジャックに溜息しか出ず、その場に項垂れる。
彼がもう少し、劇場のオーナーとしてしっかりした人物だったらこれ程苛立つ事も無かっただろう。床に散らばった楽譜を一瞥し、再び深い溜息を吐いた。
「なんだ、いきなり! そんなに恨まれるようなことしたか!?」
「お前には恨みしかない」
ジャックから顔を背け、髪をぐしゃりと乱す。
「今日は一段と機嫌が悪いなぁ、奥さんと喧嘩でもしたのか」
「うるせぇな」
彼の言葉を否定出来ず、床に転がったチラシを拾い上げ再度彼に向かって投げ付ける。
「イラついた時、物を投げる癖は変わらないな。グラスを投げてこないあたりは、成長したんじゃないか?」
「なんなんだよ、茶化しに来たんだったら帰れ」
自身が15の頃、ジャックと口論になった末手元にあったグラスを投げつけた事があった。彼はきっと、当時の事を言っているのだろう。
その時は幸い、彼にグラスが当たることは無かったが、グラスが当たった壁には大きな凹みが出来てしまった。その凹みは、今も残っているのだろうか。
「お前の奥さんが、何か軽食でも差し入れに来てんじゃないかと思ってな。期待して来たんだが」
「仮にあったとしてもお前にだけはやらねぇよ」
彼は尽く、心の傷を抉ってくる。
エルが何か軽食を持って劇場まで来てくれるのではないか、そう誰よりも期待したのは俺自身だ。しかし、限られた時間を邪魔する訳にはいかないとでも思ったのか、エルが此処に来ることは無かった。
それに、昨晩酷い言葉で彼女を傷つけてしまったのだ。彼女が今後此処に来る事も無いだろう。それどころか、コンサート当日だって来てくれる保証はない。
再びピアノの前の椅子に腰を掛け、深く溜息を吐いた。
「だいぶ情緒が不安定だな」
「誰の所為だと思ってんだ」
ジャックが壁に凭れ掛かり、ケラケラと笑う。その顔を見て苛立ちが沸き上がるのと同時に、ふととある事を思い出した。
4日前街でジャックと偶会した時、ジャックはエルを見て「女の趣味変わったのか」と言っていた。今の今迄気にしていなかったが、彼は一体誰の事を指していたのか。そんな疑問が浮かび、口を開いた。
「この前言ってた、『ブロンド髪の嬢さん』って誰の事だ」
「……? 俺そんな事言ったか?」
「自分の言った事には責任持てよ! それも、妻の前で言いやがって。妻が変に誤解したらどうしてくれるんだ」
「あぁ! あの話か! いやぁすまんすまん。お前が女を連れて歩いてる姿をよく見てたもんでな」
「その“女”が誰なのかを聞いてるんだが」
良く言えばフランク、悪く言えばいい加減。そんな彼の性格は昔から変わっていない。
ジャックと話していると無駄に体力を消費する。早くこの部屋から出て行って貰いたいところだが、彼が言った女の存在も気になるところだ。
「誰かまでは知らんが……、こう、髪はふわふわしてて、見た目は派手な子だったな。お前と同じ、赤い目が印象的で」
「……マーシャの事か?」
「いや、だから名前までは知らんが。ただまぁ、お前の奥さんとは正反対な子だったな」
ふわりとしたブロンド髪に、派手な見た目。そして、自身と同じ赤い瞳。考えられる人物はマーシャしか居ない。
抑々、自身が連れて歩いた事のある女はエルとマーシャの2人位だ。依頼者を連れて歩く事も無い。彼の言っている“女”とは、マーシャの事で間違いないだろう。
「あいつはただの、仕事の同僚だ」
「仕事の同僚、ね。妻が居ながら、他の女に手を出すなんて良くある事だ。そう隠さんでも男なら誰だって経験あるだろ」
「だからお前はなんですぐそういう方向に話を持っていくんだ。俺が女に興味ない事、知らないとは言わせないぞ」
「女に興味が無いなんて言って、結局女を娶ってるじゃないか」
「妻を他の女と一緒にするな。俺が愛してるのは妻だけだ、他の女に興味はない」
「惚気か?」
彼は本当に、人の神経を逆撫でする様な事しか言わない。
苛立ちが頂点に達し、ピアノの譜面台に置かれていた数枚の楽譜をジャックに投げつけた。
しかし、楽譜はひらひらと宙を舞うだけで一枚も彼に届く事は無かった。
床に散らばった楽譜を見て、ジャックが逃げるが勝ちだとでも言う様にひらりと振り踵を返す。
「練習、頑張ってくれ。全てはお前の演奏に掛かってるんだ」
「……」
その言葉だけを残し、とっとと部屋を出て行ってしまったジャックに溜息しか出ず、その場に項垂れる。
彼がもう少し、劇場のオーナーとしてしっかりした人物だったらこれ程苛立つ事も無かっただろう。床に散らばった楽譜を一瞥し、再び深い溜息を吐いた。
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