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三カ月後に卒業を控えたこの日、学園内の広間では生徒会の主催する夜会が開かれていた。
学生の手による催しとはいえ、その形式は本格的で、原則として婚約者同伴。未婚の者は親族をエスコートに、夜会を楽しむのが通例だ。
貴族の子女にとっては社交界デビューの予行演習であり、特待生として入学した平民の生徒たちは、貴族の振る舞いを間近に見る貴重な機会でもある。
そんな優雅な時間のなか、広間に王太子アルセインの声が突然響き渡った。
「皆、聞いてくれ。本日、セラフィナ・グレイスフォード公爵令嬢とリディア・オルレアン伯爵令嬢との婚約を破棄した。代わってデル国の王女イサリナを正式な婚約者とする」
それまで和やかに歓談したり、美味しい料理に舌鼓を打っていた者達がぴたりと動きを止め、広間の中央に立つアルセインを注視する。
「殿下、いったいどういう事でしょうか?」
将来王太子の補佐として立つ宰相の子息が、怪訝そうに問いかけた。
「そのままの意だが?」
宰相子息は二人の令嬢へ視線を向けるが、二人とも扇を口元に当てたままぴくりとも動かない。
アルセインはデル王国の王女と結婚すると宣言した。
だがその本人、イサリナ王女の姿はない。
「既に婚約の証書にサインを済ませた。我が国は安泰だ!」
***
「しかし、よろしかったのですか殿下」
「父上と母上は説得する」
不安げな声をかけた側近に、アルセインは胸を張って応じた。
「新たにデル国の王女と婚約を結んだ理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「仕方ない。愚かなお前達にも分かるように教えてやる」
自信満々に語られる言葉に、側近たちはごくりと喉を鳴らす。
「イサリナはデル王国の次期女王だ。その夫になるということは、つまり俺がデルの王ということになる」
「お言葉ですが、デル王国は建国以来、女王が統治する国で――」
「国は男が統治する方がいいに決まっている。これまで夫になった男が軟弱なだけだ」
勝ち誇ったように言って、アルセインがいやらしい笑みを浮かべる。
「少しばかり愛を囁いてやったら、あっさり真に受けたぞ。あの尻軽女は俺に夢中だ。俺が命じれば何でも言うことを聞く」
楽しげに言い放つ王太子に、誰も言葉を返せなかった。
「つまり俺がデルの王となれば、ディアモン王国の領土が増えるということだ。いい話だろう?」
「……殿下は、デルの王になるのですよね?」
「そうだ! ディアモン王国を継ぐ俺がデルの王女を迎えれば、争わずしてデルの領土が手に入るのだと言っている。何故理解しない?」
「……しかし公爵家と伯爵家には、婚約破棄の件をいかが説明をするのです」
「なに、責任は取る。王女との婚礼が終わった暁には、二人を側妃として迎えよう。これで問題無い!」
得意満面でクズ発言補する王太子を前に、側近たちは視線を交わす。
(このバカは、我が国の宗教も理解していないのか?)
(礼拝も宗教学も ……いや、全ての授業を寝て過ごすバカだぞ。理解などしている訳がない)
彼がただの馬鹿であることは以前から囁かれていた。これまで王太子として好きにできていたのは、セラフィナとリディアという有能な王妃候補がいたからだ。
側近たちの目配せで、護衛騎士の数名が静かにその場を離れる。それぞれの自邸に、この一件を報せに向かったのだ。
普通ならば、この空気の変化に何かを察するものだ。けれどアルセインは昔から、そうした感覚に極端に乏しい。
「俺は馴染みの娼婦に寄ってからイサリナの屋敷へ行くが、お前達はどうする?」
「殿下、私は夜会での用がまだありますので、失礼いたします」
「私も……婚約者を残してきてしまいましたので……」
「分かった。学生として最後の夜会だ。存分に楽しんでこい」
ぶち壊した当人に笑顔で言われて、側近たちのこめかみに青筋が浮かぶ。
顔だけは良い馬鹿な王子は、事の重大さを理解していない。
「……俺達、身の振り方を考えなくてはな」
意気揚々と去るアルセインを見送って、誰かが押し殺すような声で呟く。
答えたのは宰相の子息だ。
「第二王子の派閥に受け入れて貰うしかないだろう。幸い王は、アルセイン王子が王位を継ぐと疑っていなかった。そのぶん向こうは人材が少ない。それに、この状況を説明すれば温情をかけてくれるだろうさ」
学生の手による催しとはいえ、その形式は本格的で、原則として婚約者同伴。未婚の者は親族をエスコートに、夜会を楽しむのが通例だ。
貴族の子女にとっては社交界デビューの予行演習であり、特待生として入学した平民の生徒たちは、貴族の振る舞いを間近に見る貴重な機会でもある。
そんな優雅な時間のなか、広間に王太子アルセインの声が突然響き渡った。
「皆、聞いてくれ。本日、セラフィナ・グレイスフォード公爵令嬢とリディア・オルレアン伯爵令嬢との婚約を破棄した。代わってデル国の王女イサリナを正式な婚約者とする」
それまで和やかに歓談したり、美味しい料理に舌鼓を打っていた者達がぴたりと動きを止め、広間の中央に立つアルセインを注視する。
「殿下、いったいどういう事でしょうか?」
将来王太子の補佐として立つ宰相の子息が、怪訝そうに問いかけた。
「そのままの意だが?」
宰相子息は二人の令嬢へ視線を向けるが、二人とも扇を口元に当てたままぴくりとも動かない。
アルセインはデル王国の王女と結婚すると宣言した。
だがその本人、イサリナ王女の姿はない。
「既に婚約の証書にサインを済ませた。我が国は安泰だ!」
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「しかし、よろしかったのですか殿下」
「父上と母上は説得する」
不安げな声をかけた側近に、アルセインは胸を張って応じた。
「新たにデル国の王女と婚約を結んだ理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「仕方ない。愚かなお前達にも分かるように教えてやる」
自信満々に語られる言葉に、側近たちはごくりと喉を鳴らす。
「イサリナはデル王国の次期女王だ。その夫になるということは、つまり俺がデルの王ということになる」
「お言葉ですが、デル王国は建国以来、女王が統治する国で――」
「国は男が統治する方がいいに決まっている。これまで夫になった男が軟弱なだけだ」
勝ち誇ったように言って、アルセインがいやらしい笑みを浮かべる。
「少しばかり愛を囁いてやったら、あっさり真に受けたぞ。あの尻軽女は俺に夢中だ。俺が命じれば何でも言うことを聞く」
楽しげに言い放つ王太子に、誰も言葉を返せなかった。
「つまり俺がデルの王となれば、ディアモン王国の領土が増えるということだ。いい話だろう?」
「……殿下は、デルの王になるのですよね?」
「そうだ! ディアモン王国を継ぐ俺がデルの王女を迎えれば、争わずしてデルの領土が手に入るのだと言っている。何故理解しない?」
「……しかし公爵家と伯爵家には、婚約破棄の件をいかが説明をするのです」
「なに、責任は取る。王女との婚礼が終わった暁には、二人を側妃として迎えよう。これで問題無い!」
得意満面でクズ発言補する王太子を前に、側近たちは視線を交わす。
(このバカは、我が国の宗教も理解していないのか?)
(礼拝も宗教学も ……いや、全ての授業を寝て過ごすバカだぞ。理解などしている訳がない)
彼がただの馬鹿であることは以前から囁かれていた。これまで王太子として好きにできていたのは、セラフィナとリディアという有能な王妃候補がいたからだ。
側近たちの目配せで、護衛騎士の数名が静かにその場を離れる。それぞれの自邸に、この一件を報せに向かったのだ。
普通ならば、この空気の変化に何かを察するものだ。けれどアルセインは昔から、そうした感覚に極端に乏しい。
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「分かった。学生として最後の夜会だ。存分に楽しんでこい」
ぶち壊した当人に笑顔で言われて、側近たちのこめかみに青筋が浮かぶ。
顔だけは良い馬鹿な王子は、事の重大さを理解していない。
「……俺達、身の振り方を考えなくてはな」
意気揚々と去るアルセインを見送って、誰かが押し殺すような声で呟く。
答えたのは宰相の子息だ。
「第二王子の派閥に受け入れて貰うしかないだろう。幸い王は、アルセイン王子が王位を継ぐと疑っていなかった。そのぶん向こうは人材が少ない。それに、この状況を説明すれば温情をかけてくれるだろうさ」
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