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特別編(19)聖女じゃない
「報い……」
切なくなって呟いた亮介に、少年はふっと笑みを作った。
そして「建前だけどな」という。
「建前……?」
「そう。本当は暗黙の了解っていうかさ……そんな感じで見守ってたんだよ」
ただ聖女の方に限界が訪れてしまったのだと、少年は語った。
神がともに生きることを望んだ悠久の時間は、人間として生まれ育った聖女を徐々に蝕んでいった。
終わらない時間、変わらない愛情はやがて優しい毒となり、彼女の魂はだんだん弱っていってしまったのだ。
「彼女は神に近しい存在にはなったけど、人の心は長い時を生きるのに向いていないんだよ。あのままだったら、彼女は魂ごと消滅していたことだろう」
「そんな……」
「彼女の聖女としての功績は大きかった。長いときの中で、彼女は十分すぎるほど世界に尽くしてきた。その最期が魂の消滅なんて報われないだろう?だから……あの方は、彼女を解放することを決めたんだ」
神と聖女に与えられた罰は、永遠の別れだった。
聖女は正当な手続きのもと、別の世界で転生することになった。
今までの記憶はもちろんすべて失い、新しい命として。
そしてその転生先は、神には一切知らされることはなかった。
知ってしまえば、彼女を追う可能性があるからだった。
幾千幾万の世界の中から、たった一人の人間を探し出すことは、砂漠の中から一粒の砂を見つけ出すことよりもずっと難しい。
そうして神は聖女を失い、そして少しずつ壊れていった。
「事情を話せばよかったんじゃないのか?相手を守るためなら、納得できたんじゃ……」
「それは酷だろう。愛しい存在を自らが苦しめ続けていたことを知れば、彼はもっと早くに心を病んだだろう。だれかを恨むことで救われることもあると、あの方は判断された。……ただ彼の場合、どちらを選んでも結末は同じだったのかもしれないが」
「その……あの方っていうのは?」
「ノアと呼ばれていた少年のことだ。あの方が我らの主君であり、神にとっては愛する人の仇だった」
何ともやるせない話だ、と亮介は思った。
しかし、恨むべき存在がいることで心が軽くなる感覚は亮介にもわかるような気がした。
暗い顔で考え込む亮介に、少年が「そういえば」と話題を変える。
「君がこのテレビで今代の聖女を見ていたように、彼女もあの方に君の姿を見せられていたよ」
「……俺の?」
「ああ。彼女はあちらの世界の者を見捨てられないと言っていたが、君がここで流した愛のこもった涙のおかげで帰還を決めたんだ」
愛のこもった涙?
少年の言葉の意図が呑み込めずに戸惑っていた亮介に、少年が生暖かい視線を向けてくる。
そしてハッとした。
絶望感に打ちのめされ、みっともなく泣きわめいていたことを思い出し、亮介は全身がカッと熱くなるのを感じた。
なんでよりによって、と混乱した頭を抱えて亮介は項垂れた。
奈央の前では頑張ってかっこつけて、情けない姿を見せないようにしていたのに。
よりにもよってあれを見られていたなんて……!
羞恥心から悶絶する亮介を見て、少年がふふっと笑みを漏らす。
「恥ずかしいことじゃない、尊いことだよ」
少年は心からそう思っているようだったが、亮介はもはやそれどころではなかった。
顔から火が出る感覚なんて何年ぶりだろうかと、回らない頭で考える。
そして赤くなった頬をそっぽを向いて隠しながら、不意に浮かんだ疑問を少年に投げかけた。
「そのノアってやつが、奈央に俺のことを見せたんだろ?じゃあ、俺にずっと奈央の姿を見せていたのもそいつの仕業なのか?」
亮介の言葉に、少年は首を横に振って否定を返す。
そして「あの方はそんな意地の悪いことはしない」ときっぱり言い切った。
「あの方が聖女に君の姿を見せたのは、彼女の真意を推し量るためだ。救いすら与えず、絶望へ突き落とすような映像を見せ続けるなんて悪趣味なこと、あの方がするはずがない」
「じゃあどうやって、俺の映像を……?」
「さっきの神の記憶の残滓から拝借しただけだよ。ここで嘆き、悲しむ君を見て楽しんでいたのは彼だけだからね」
どうやらこの少年のノアへの信頼は相当に厚いらしい。
そう亮介が考えていると、ふと周囲が淡く光りだした。
そしてそれと同時に、気が遠くなるような感覚に見舞われた。
「そろそろ時間のようだな」
少年が言う。
覚醒のときが近いのだろうと、亮介はぼんやりする頭で考えた。
少年はまっすぐに亮介を見据え「聖女とともに幸せに生きよ」と告げた。
亮介は少年の言葉にフッと笑い「聖女じゃない」と返す。
目を丸くした少年に、亮介はもう一度繰り返した。
「聖女じゃない、奈央だ」
異世界で奈央がどう呼ばれていようと、亮介にとって彼女は聖女でも神の遣いでもなく、ただの愛する女だった。
だからこそ最後にどうしても、彼女を聖女と呼ぶ少年に物申したくなったのだ。
少年は眉を下げて微笑んだ。
慈愛に満ちた、穏やかな笑みだった。
「失礼。奈央さんと亮介くんに幸多からんことを」
その少年の言葉に頷くとともに、亮介は意識を手放した。
部屋に満ち溢れた光は温かく、まるで陽だまりに包まれているような感覚が心地よかった。
※
まだ薄暗い寝室で、亮介は静かに目を覚ました。
見慣れた天井。
そして腕には、懐かしい重み。
ゆっくり視線を横に向けると、亮介の腕を枕にした奈央が泣き出しそうな顔で亮介を見つめていた。
亮介は壊れ物を扱うかのように、そっとその頬に触れる。
少しひんやりとした肌の感覚が、奈央が確かにその場に存在していることを証明していた。
何度も亮介が夢に見た奈央は、触れた瞬間いつも消えてしまった。
触れても消えないという事実がただ嬉しくて、亮介の頬を涙が伝う。
「ただいま」
半分泣いているかのような声で、奈央が言った。
亮介も似たような情けない声で「おかえり」と返す。
久しぶりに抱いた妻の肩の細さに、亮介はたまらない気持ちになる。
「……無事でよかった」
そう言ってきつく抱きしめた奈央の肩は、小さく震えている。
2人は再会の喜びを噛みしめるように、しばらくそのまま抱き合い続けていた。
ーーーーーーーーーーーーー
亮介の特別編はここまでとなりますが、次回以降もまだ特別編が続きます。
次は誰がメインのお話になるか、楽しみにお待ち頂けると幸いです。
切なくなって呟いた亮介に、少年はふっと笑みを作った。
そして「建前だけどな」という。
「建前……?」
「そう。本当は暗黙の了解っていうかさ……そんな感じで見守ってたんだよ」
ただ聖女の方に限界が訪れてしまったのだと、少年は語った。
神がともに生きることを望んだ悠久の時間は、人間として生まれ育った聖女を徐々に蝕んでいった。
終わらない時間、変わらない愛情はやがて優しい毒となり、彼女の魂はだんだん弱っていってしまったのだ。
「彼女は神に近しい存在にはなったけど、人の心は長い時を生きるのに向いていないんだよ。あのままだったら、彼女は魂ごと消滅していたことだろう」
「そんな……」
「彼女の聖女としての功績は大きかった。長いときの中で、彼女は十分すぎるほど世界に尽くしてきた。その最期が魂の消滅なんて報われないだろう?だから……あの方は、彼女を解放することを決めたんだ」
神と聖女に与えられた罰は、永遠の別れだった。
聖女は正当な手続きのもと、別の世界で転生することになった。
今までの記憶はもちろんすべて失い、新しい命として。
そしてその転生先は、神には一切知らされることはなかった。
知ってしまえば、彼女を追う可能性があるからだった。
幾千幾万の世界の中から、たった一人の人間を探し出すことは、砂漠の中から一粒の砂を見つけ出すことよりもずっと難しい。
そうして神は聖女を失い、そして少しずつ壊れていった。
「事情を話せばよかったんじゃないのか?相手を守るためなら、納得できたんじゃ……」
「それは酷だろう。愛しい存在を自らが苦しめ続けていたことを知れば、彼はもっと早くに心を病んだだろう。だれかを恨むことで救われることもあると、あの方は判断された。……ただ彼の場合、どちらを選んでも結末は同じだったのかもしれないが」
「その……あの方っていうのは?」
「ノアと呼ばれていた少年のことだ。あの方が我らの主君であり、神にとっては愛する人の仇だった」
何ともやるせない話だ、と亮介は思った。
しかし、恨むべき存在がいることで心が軽くなる感覚は亮介にもわかるような気がした。
暗い顔で考え込む亮介に、少年が「そういえば」と話題を変える。
「君がこのテレビで今代の聖女を見ていたように、彼女もあの方に君の姿を見せられていたよ」
「……俺の?」
「ああ。彼女はあちらの世界の者を見捨てられないと言っていたが、君がここで流した愛のこもった涙のおかげで帰還を決めたんだ」
愛のこもった涙?
少年の言葉の意図が呑み込めずに戸惑っていた亮介に、少年が生暖かい視線を向けてくる。
そしてハッとした。
絶望感に打ちのめされ、みっともなく泣きわめいていたことを思い出し、亮介は全身がカッと熱くなるのを感じた。
なんでよりによって、と混乱した頭を抱えて亮介は項垂れた。
奈央の前では頑張ってかっこつけて、情けない姿を見せないようにしていたのに。
よりにもよってあれを見られていたなんて……!
羞恥心から悶絶する亮介を見て、少年がふふっと笑みを漏らす。
「恥ずかしいことじゃない、尊いことだよ」
少年は心からそう思っているようだったが、亮介はもはやそれどころではなかった。
顔から火が出る感覚なんて何年ぶりだろうかと、回らない頭で考える。
そして赤くなった頬をそっぽを向いて隠しながら、不意に浮かんだ疑問を少年に投げかけた。
「そのノアってやつが、奈央に俺のことを見せたんだろ?じゃあ、俺にずっと奈央の姿を見せていたのもそいつの仕業なのか?」
亮介の言葉に、少年は首を横に振って否定を返す。
そして「あの方はそんな意地の悪いことはしない」ときっぱり言い切った。
「あの方が聖女に君の姿を見せたのは、彼女の真意を推し量るためだ。救いすら与えず、絶望へ突き落とすような映像を見せ続けるなんて悪趣味なこと、あの方がするはずがない」
「じゃあどうやって、俺の映像を……?」
「さっきの神の記憶の残滓から拝借しただけだよ。ここで嘆き、悲しむ君を見て楽しんでいたのは彼だけだからね」
どうやらこの少年のノアへの信頼は相当に厚いらしい。
そう亮介が考えていると、ふと周囲が淡く光りだした。
そしてそれと同時に、気が遠くなるような感覚に見舞われた。
「そろそろ時間のようだな」
少年が言う。
覚醒のときが近いのだろうと、亮介はぼんやりする頭で考えた。
少年はまっすぐに亮介を見据え「聖女とともに幸せに生きよ」と告げた。
亮介は少年の言葉にフッと笑い「聖女じゃない」と返す。
目を丸くした少年に、亮介はもう一度繰り返した。
「聖女じゃない、奈央だ」
異世界で奈央がどう呼ばれていようと、亮介にとって彼女は聖女でも神の遣いでもなく、ただの愛する女だった。
だからこそ最後にどうしても、彼女を聖女と呼ぶ少年に物申したくなったのだ。
少年は眉を下げて微笑んだ。
慈愛に満ちた、穏やかな笑みだった。
「失礼。奈央さんと亮介くんに幸多からんことを」
その少年の言葉に頷くとともに、亮介は意識を手放した。
部屋に満ち溢れた光は温かく、まるで陽だまりに包まれているような感覚が心地よかった。
※
まだ薄暗い寝室で、亮介は静かに目を覚ました。
見慣れた天井。
そして腕には、懐かしい重み。
ゆっくり視線を横に向けると、亮介の腕を枕にした奈央が泣き出しそうな顔で亮介を見つめていた。
亮介は壊れ物を扱うかのように、そっとその頬に触れる。
少しひんやりとした肌の感覚が、奈央が確かにその場に存在していることを証明していた。
何度も亮介が夢に見た奈央は、触れた瞬間いつも消えてしまった。
触れても消えないという事実がただ嬉しくて、亮介の頬を涙が伝う。
「ただいま」
半分泣いているかのような声で、奈央が言った。
亮介も似たような情けない声で「おかえり」と返す。
久しぶりに抱いた妻の肩の細さに、亮介はたまらない気持ちになる。
「……無事でよかった」
そう言ってきつく抱きしめた奈央の肩は、小さく震えている。
2人は再会の喜びを噛みしめるように、しばらくそのまま抱き合い続けていた。
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亮介の特別編はここまでとなりますが、次回以降もまだ特別編が続きます。
次は誰がメインのお話になるか、楽しみにお待ち頂けると幸いです。
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