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191 はじまりの異世界転移
「待って、柚乃は私の子よ?私がおなかを痛めて生んだ、正真正銘の我が子よ?」
「そう。それもまた事実だよ」
「じゃあ、どうして……」
ふらつく妻を次は娘が支えた。
妻の記憶はもうすっかり戻っているのだろうか。
一人称が「詩織」から「私」に戻っていることに、軽い違和感を覚える。
目の前にいる妻に、今までの子どもらしさは微塵も感じられない。
しかしそのことに触れる者は、一人もいなかった。
今はそれより、娘の話が優先だ。
「以前、神の意志が働かなくても異世界転移が起こる場合があるという話をしたことを覚えているかな?」
「……確か、世界の管理不足とか、不具合が原因だって……」
「そうだね。そしてそれは、必ずしも生きている者にだけ起こることではないんだ」
ノアの話によると、娘は生まれる前の魂の状態で、俺たちの世界へ転移してしまったという。
そしてそのまま、俺たちの娘として生まれたのだそうだ。
全身が小刻みに震えている。
驚きか、怒りか、悲しみか。
いったい何の感情が自身を支配しているのか、俺には理解できなかった。
ただ、混乱している状況でも確認しておきたいことが一つ。
俺は茫然としたまま口を開く。
「娘は……日本に生まれて、害はなかったのか?」
世界が異なれば環境も大きく異なる。
本来生まれるはずだった世界とはまったく別物の地球での暮らしは、娘に悪影響を及ぼさなかったのだろうか?
「それは大丈夫。日本の環境との相性がよかったのか、柚乃ちゃんはこの通り元気に成長したでしょ?」
「それはそうだが……」
「環境が合わない場合、多くが幼少期のうちに命を落とすことになる。だから柚乃ちゃんの場合、転移した先が伊月くんたちの世界で本当に良かったといえるね」
その言葉に、ぞっとする。
娘と元の世界の相性が悪ければ、娘を早くに失っていたかもしれない。
そんなの、考えたくもない悲劇だ。
ただ、と前置きをして「ひとつ影響があるとすれば、食事量かな」とノアが言う。
確かに、娘は昔からよく食べる子だった。
それは異なる世界で生きる上で、不足する栄養を補うためだったのだそうだ。
俺も妻も食事量は平均的だったから、ずいぶん食欲旺盛だとは思っていたが、特別太るということもないし、個人差の範囲内だという認識だった。
まさか、異世界転移の影響だったとは思いもしなかった。
「神は、いつまでたってもアークヴァルドくんの運命の相手が生まれないことに危機感を抱いていた。神力によって、柚乃ちゃんが生まれる時期を予知していたのに、その時期を過ぎても見つからないから。……そして気づいたんだ。世界のほころびに」
「……そのほころびが、娘が異世界転移をした原因だと?」
「そう。でもね、転移先を知ることは難しかった。なにせ魂の状態での転機だったから、残っている痕跡自体が少なかったんだ。それでも彼は、諦めなかった。わずかな痕跡を頼りに、懸命に柚乃ちゃんの行方を追った。必死な彼の姿に同情した神も少なからずいて、協力も得ていたみたいだよ」
そして神は、柚乃に行き着いた。
「だからいきなり連れ去ったのか?」
非難めいた声がこぼれた。
しかしノアは、首を横に振った。
「ほかの神の創った世界に介入することは、禁じられていると話したでしょ?だから彼は、君たちの世界の神に相談することにした。柚乃ちゃんを自分の世界へ戻してほしいと。……でも、断られてしまった」
「なんで……」
「伊月くんと詩織ちゃんのもとに生まれて、愛情深く育てられた柚乃ちゃんが、幸福に包まれていたから。転移がきっかけで偶然出会った家族とはいえ、引き離すわけにはいかないと判断されたのさ。アークヴァルドくんにとっては残酷な話だけど、運命のいたずらとして諦めるしかないって」
俺は、異世界転移前に出会った元の世界の神のことを思い出していた。
彼は俺のことを「よく知っている」と言っていた。
神らしい言葉だと気にしていなかったが、そんな事情があったとは。
しかしこの世界の神は、諦めなかった。
息子の命がかかっているのだ。
諦められるはずがなかったのだろう。
保護団体や議会にも散々訴えたが、彼の望みがかなうことはなかった。
それならばと強硬手段に出たのが、娘をさらったあの日だった。
「なすすべもない状況の中、彼は諦めたふりをしていた。でも本当は、虎視眈々と機会を窺っていた」
俺の頬には、いつの間にか涙が伝っていた。
俺だけじゃない。
娘も妻も、涙を流していた。
娘の腕に抱かれたままのコトラが、娘の頬の涙をぺろりと舐める。
魔王は、青い顔をしてその場に立ち尽くしていた。
彼の心境は計り知れず、どう声をかければいいのかもわからない。
胸が苦しくなって、俺はポツリと「嘘だったんだな」とノアに言った。
「異世界転移の対象は誰でもよかったっていってたのに。……柚乃は、運が悪かっただけだって」
日本での異世界転移ものの流行りのせいで、日本は異世界の神の狩場にされているのだと、初めて会ったときノアは確かに話していた。
今までの世界で出会ってきた転移者たちは確かにそうだったのかもしれないが、娘の場合は明確な理由があって標的にされたのだ。
ノアは悲しそうに「ごめんね」と返し、言い訳一つしなかった。
そんなノアを、これ以上責める気にはなれなかった。
最初から事情を説明しなかったのは、ノアの優しさだったと気づいていたから。
初めから娘がもともと異世界の人間として生まれるはずだったと知っていたら、俺は娘を連れ戻すことをためらっていたかもしれない。
異世界ですごす方が幸せになれるのではないかと、思わずにはいられなかっただろう。
そう思うと、あえて真実を濁してくれていたノアに感謝をするべきなのかもしれない。
「そう。それもまた事実だよ」
「じゃあ、どうして……」
ふらつく妻を次は娘が支えた。
妻の記憶はもうすっかり戻っているのだろうか。
一人称が「詩織」から「私」に戻っていることに、軽い違和感を覚える。
目の前にいる妻に、今までの子どもらしさは微塵も感じられない。
しかしそのことに触れる者は、一人もいなかった。
今はそれより、娘の話が優先だ。
「以前、神の意志が働かなくても異世界転移が起こる場合があるという話をしたことを覚えているかな?」
「……確か、世界の管理不足とか、不具合が原因だって……」
「そうだね。そしてそれは、必ずしも生きている者にだけ起こることではないんだ」
ノアの話によると、娘は生まれる前の魂の状態で、俺たちの世界へ転移してしまったという。
そしてそのまま、俺たちの娘として生まれたのだそうだ。
全身が小刻みに震えている。
驚きか、怒りか、悲しみか。
いったい何の感情が自身を支配しているのか、俺には理解できなかった。
ただ、混乱している状況でも確認しておきたいことが一つ。
俺は茫然としたまま口を開く。
「娘は……日本に生まれて、害はなかったのか?」
世界が異なれば環境も大きく異なる。
本来生まれるはずだった世界とはまったく別物の地球での暮らしは、娘に悪影響を及ぼさなかったのだろうか?
「それは大丈夫。日本の環境との相性がよかったのか、柚乃ちゃんはこの通り元気に成長したでしょ?」
「それはそうだが……」
「環境が合わない場合、多くが幼少期のうちに命を落とすことになる。だから柚乃ちゃんの場合、転移した先が伊月くんたちの世界で本当に良かったといえるね」
その言葉に、ぞっとする。
娘と元の世界の相性が悪ければ、娘を早くに失っていたかもしれない。
そんなの、考えたくもない悲劇だ。
ただ、と前置きをして「ひとつ影響があるとすれば、食事量かな」とノアが言う。
確かに、娘は昔からよく食べる子だった。
それは異なる世界で生きる上で、不足する栄養を補うためだったのだそうだ。
俺も妻も食事量は平均的だったから、ずいぶん食欲旺盛だとは思っていたが、特別太るということもないし、個人差の範囲内だという認識だった。
まさか、異世界転移の影響だったとは思いもしなかった。
「神は、いつまでたってもアークヴァルドくんの運命の相手が生まれないことに危機感を抱いていた。神力によって、柚乃ちゃんが生まれる時期を予知していたのに、その時期を過ぎても見つからないから。……そして気づいたんだ。世界のほころびに」
「……そのほころびが、娘が異世界転移をした原因だと?」
「そう。でもね、転移先を知ることは難しかった。なにせ魂の状態での転機だったから、残っている痕跡自体が少なかったんだ。それでも彼は、諦めなかった。わずかな痕跡を頼りに、懸命に柚乃ちゃんの行方を追った。必死な彼の姿に同情した神も少なからずいて、協力も得ていたみたいだよ」
そして神は、柚乃に行き着いた。
「だからいきなり連れ去ったのか?」
非難めいた声がこぼれた。
しかしノアは、首を横に振った。
「ほかの神の創った世界に介入することは、禁じられていると話したでしょ?だから彼は、君たちの世界の神に相談することにした。柚乃ちゃんを自分の世界へ戻してほしいと。……でも、断られてしまった」
「なんで……」
「伊月くんと詩織ちゃんのもとに生まれて、愛情深く育てられた柚乃ちゃんが、幸福に包まれていたから。転移がきっかけで偶然出会った家族とはいえ、引き離すわけにはいかないと判断されたのさ。アークヴァルドくんにとっては残酷な話だけど、運命のいたずらとして諦めるしかないって」
俺は、異世界転移前に出会った元の世界の神のことを思い出していた。
彼は俺のことを「よく知っている」と言っていた。
神らしい言葉だと気にしていなかったが、そんな事情があったとは。
しかしこの世界の神は、諦めなかった。
息子の命がかかっているのだ。
諦められるはずがなかったのだろう。
保護団体や議会にも散々訴えたが、彼の望みがかなうことはなかった。
それならばと強硬手段に出たのが、娘をさらったあの日だった。
「なすすべもない状況の中、彼は諦めたふりをしていた。でも本当は、虎視眈々と機会を窺っていた」
俺の頬には、いつの間にか涙が伝っていた。
俺だけじゃない。
娘も妻も、涙を流していた。
娘の腕に抱かれたままのコトラが、娘の頬の涙をぺろりと舐める。
魔王は、青い顔をしてその場に立ち尽くしていた。
彼の心境は計り知れず、どう声をかければいいのかもわからない。
胸が苦しくなって、俺はポツリと「嘘だったんだな」とノアに言った。
「異世界転移の対象は誰でもよかったっていってたのに。……柚乃は、運が悪かっただけだって」
日本での異世界転移ものの流行りのせいで、日本は異世界の神の狩場にされているのだと、初めて会ったときノアは確かに話していた。
今までの世界で出会ってきた転移者たちは確かにそうだったのかもしれないが、娘の場合は明確な理由があって標的にされたのだ。
ノアは悲しそうに「ごめんね」と返し、言い訳一つしなかった。
そんなノアを、これ以上責める気にはなれなかった。
最初から事情を説明しなかったのは、ノアの優しさだったと気づいていたから。
初めから娘がもともと異世界の人間として生まれるはずだったと知っていたら、俺は娘を連れ戻すことをためらっていたかもしれない。
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