夢魔

木野恵

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後悔と秘密と記憶

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 これはまだ保育園に通っていたころのお話。

 とても怖い蛇の夢を見てからしばらく夢を見ることはなかった。

 その代わりなのか、関心が外へ向くようになり始めていたからなのか、いろいろなことを見て聞いて体験して覚えていけるようになった。

 保育園の「ぎょうじ」というもので夏祭りを楽しんでいたときのこと。

 赤い浴衣でスイカを食べたり、水風船をもらったり、いろいろな楽しいことをやっていたときのこと。

 意地悪な子が浴衣を着ないで羨ましそうに眺めていることに気がついた。

 そういう素振りだったのか、なんだったのかはっきりと思い出せなくてわからないけれど、浴衣を着たそうにしているのに着ていないのが当時の私には不思議でならないことだった。

 それが意地悪に拍車をかけたのかもしれない。

 私はただどうしてなのかがわからなかっただけだったけれど、それがその子にとっては嫌なことだったらしいのを知ったのは大人になってからのこと。

 私には国のことも民族のこともなにもかもわからなかった。なにせまだ四歳だったし、特にそういうことで区別も差別もしていなかった。相手の家庭の事情というのすらもわからないことだった。

 そんな我が家は複雑な家庭だった。

 父方の祖父母とも曾祖母は女尊男卑の家庭だと聞いていたけれど、大人になっていろいろなことを知ってから、父親にも問題があったのではないか? 女尊男卑だったのではなく、父親が良く思われていなかったのではないかと思う節が多い。

 そういう家出身だったからか、父親は差別的なことは何も言わなかったし、どこどこの人がどうとか、肌の色がどうとかいう話は一切しなかった。

 その一方で、母親は近寄るなとか関わるなとか、良い表現をするなら警戒心がとても強い人だった。

 だからなのか、そういうのに興味が本当になかったからなのか、差別的なことは一切わからなかった。

 そんな母方の家はどういうわけか祖母がとても良く面倒を見てくれて、いろいろなところへ連れてってもらえた。

 顔を出せば従兄弟も祖母もとても喜んでくれて嬉しくもあったけれど、あまり良い顔をしない人もいて、どっちの親戚もあんまり会いたいとは思いづらいところがあった。

 祖母と母はいろいろな祭り、いろいろな地域の行事を経験させてくれた。

 遠すぎるほど遠くまではいったことがないけれど、様々な経験を積ませてもらえて楽しい出来事に溢れていたらしい。

 幼い私にとってはとても疲れることだった。車酔いが酷いから車に乗るのも苦手で苦痛だった。

 その中でもとりわけトラウマになる出来事があった。

 出先で知らないおじさんがいきなりぶつかってきて「なにぼーっとしとるんじゃ」なんて言ってきた出来事だった。

 世界がひっくり返ったような視界の揺れ方、衝撃とともに、お気に入りだった白いタイツが破けて膝を怪我をした。

 少ししてから自分がぶつかられてこけたんだという認識が追いついてきた。それまでは何が起きたのかまったくわからなかった。

 あまりに唐突なことにびっくりしてパニックになって大泣きしていると、祖母と母以外にも知らないおばさんたちが駆け寄って心配してくれた。

 男性恐怖症がより強くなった出来事。

 怖いおじさんが私を見張るために追いかけてきた。良い子にしてなかったから、ぼーっとしてたからぶつかられた、ずっと見張られてる、怖い、怖い、怖い。

 大人の女性陣であーだこーだぶつかってきた怖い男の人のことを言っていたのが余計に怖かった。

 パニックになりながら大泣きし続けたけれど、誰も私がどうして怖いのかがわかっていなかった。

 いきなりぶつかられたから怖かったんだと、びっくりしたんだとみんな思っていたけれど全然違う。

 追いかけてきた、見張られている、どこにも安心できる場所なんてないんだという絶望感。

 それにお気に入りのタイツが破けてしまったことがとても悲しかった。

 私の大好きな物が、お気に入りのものがどんどん、どんどんとられていく。

 悲しくて、寂しくて、怖い出来事だった。



 そんなある日の夜のこと。

 母方の祖母のおうちに遊びに行っている夢だった。

 あの時破れてしまった白いタイツを洗濯して干してもらえている夢。

 どこも破れていなくて、綺麗な状態の大好きなタイツ。

 良かった、破れてなかったんだ。あの怖い出来事ももしかしたらなかったのかな?

 その夜の夢は、ただ白いタイツが無事で嬉しいと思えただけの夢で、いつものみんなは登場しなかったけれど、夢と現実の区別がつかなかった私は、起きてから白いタイツのことを親に尋ねてしまっていた。

「何言ってるの? 白いタイツは破れたから捨てちゃったんだよ?」

 母の言葉を信じられなくて、納得できなくて、夢が夢に思えなくて、何を言っているのかがわからなかった。

 母は一体何を言っているのだろうか? 白いタイツは綺麗な状態で干されていたよ?

「おばあちゃんの家で干してあった」

 上手く言葉にできなかったからそれ以上は何も言えなかったけれど、頭の中で、はてながたくさん浮かんでいて不思議な出来事だった。

 母はそれを聞いて黙って私を祖母の家まで連れて行ってくれた。

 これに干してあったと、祖母の家で使われていたピンチハンガーを指して言うと、母も祖母も驚いた様子だった。

「捨てたのがばれないように、こっそりおばあちゃんちで洗濯して干してから捨てたのに……」

 そんな母と私の様子を見聞きしていた祖母が、裏口まで連れて行ってくれた。

「もしかしたら見えるかもね」

 祖母が裏口の戸を開くと、なんと立派な牛が大人の男の人に連れられて歩いているではないか。

 他にも、牛舎に入っている牛がこちらを見ていて、祖母の家って裏口の向こうはこうなっていたんだと感動した出来事だった。

 言葉を失っていると、祖母が嬉しそうな顔をしながら口を開いた。

「昔ここで牛を飼っていたんだよ。見えたかな?」

 祖母は何を言っているのだろうか、今目の前にいたよ?

 そんなことを頭と心で思っても、上手く言葉にして話すことができずに頷くだけだったのが当時四歳だった私だ。

「みんなに今見たことを話したら褒めてもらえるよ」

 祖母に促されるまま、親戚や親の前で見たことを話すと、驚いたような、信じられないような不思議な反応をされた。

「おばあちゃんが変なこと吹き込んで言わせてるだけ」

 そんなことを言う人もいた。

 これから年を重ね、高校生くらいになると、母にはもう一人兄弟がいて、私には生まれることのなかった兄弟がいたことをなんとなくわかるようになったあたり、祖母は私のとある側面をよく理解して信じてくれていたのだろうと思う。

 しかし、そんな祖母でも私が女扱いされるのが嫌だったことまではわからなかった。

 完璧に相手を理解しきることはできないから、より相手を知るために言葉ってあるのだろう。

 もっとちゃんと嫌なことを理解してもらうために話し合っていれば、祖母と嫌な印象のままお別れせずにすんだのかもしれない。

 いや、夢の中で二度も同じ場所で会えて、二度も大きな贈り物をくれたのだから、私たちはきっと仲直りができたんだって思いたい。

 心地よい風と歌声と鐘の音と、舞い散る綺麗な花びらと、勢いよく通り過ぎて行く馬と馬車の夢を見た後、おばあちゃんに会いに行く夢をみた。

 前にもこの順番だっただろうか? 逆だったろうか?

 私が見る夢は、見た景色は天国に通じているのだろうか。

 夢魔だと思っていたみんなは天国に住まう人々だったのだろうか。

 そんなことを時折思う。

 奪われた、亡くしてしまった、無くなった大事なものが夢に出て、大好きななにかも夢に出る。

 なくなったものを見るときは、きっと私から遊びに行っている夢で、大好きななにかが夢に出た時はみんなからの愛ある贈り物で、怖い夢を見た時は強くするための愛の鞭なのだろうと思う。

 人から愛されなかった代わりに夢が私を愛してくれていたんだ。

 夢で会いに行けるといっても、後悔がないわけではない。

 やっぱり、死に目くらい、お葬式くらい会いたかったな。

 誰かのために自分を犠牲にしてまで尽くすなんて、やっぱりばかげていた。

 祖母だけじゃなく、友達になろうって言って仲良くしてくれていたあの人のときも、最後くらい会いたかった、なにかあったら力になりたかった、相談しないで抱え込んでいたくせに、相談くらいしてほしかったなんて思ってしまう。

 大人になってからの後悔が混じったけれど、幼い日々へと話を戻す。

 祖母に促されるまま話した後、天使や悪魔、死神の話を親戚がし始めたのが懐かしい。

 当時の私はそういう話が怖いと思いつつ、聞くのがとても好きだった。

 天使も悪魔も死神も好きだったけれど、神様だけは少しだけ苦手だった。

 理由はよくわからなかったけれど、今なら何となく理由はわかる。

 少し理不尽なところがあるし、きっと私は神様にすら毛嫌いされる生き方をしていて、好かれる生き物ではないのだろう、味方なんてしてもらえないだろうという自覚があるからだ。

 それはさておき、天使や悪魔、死神、神様がいったいどんなものなのか見てみたいなと想いながら、みんなの話をワクワクしながら聞いていたのが昨日のことのように思える。

 気になって聞いてみても、有名なイメージを教えてもらえただけで、実際に見たという人は誰もいなかった。

 いったいどんな存在なんだろう。

 みんなが口々にイメージばかり話しているのを、実際に見た姿じゃないから本当のところは誰もわからないのだと、本当の姿に思いを馳せている私のことを、想像力が足りないからだと、難しい話だからわからないのだと断じられた。

 写真や絵、関連する番組を見せてもらえはしたけれど、そういう話をしているんじゃないと上手に言葉にして言うことはできなかった。

 夢の中でみんなに聞いたら教えてもらえるだろうか、なんて考えていたっけ。

 現実の怖い出来事と温かくて優しい夢に支えられる暮らしの中、夢だけが私の居場所で理解してもらえる場所になっていった。

 寂しくても悲しくても辛くても、誰からも理解されなくても、夢だけは私の支えになってくれていた。

 次に夢で会えたなら、聞きたいこと、話したいことがたくさんあった。

 天使や悪魔、神様、死神のこと、破れて捨てられたタイツのことを夢に見たこと、昔の景色を見たこと、とにかくたくさんのこと。

 またみんなと会ってお話がしたいな。

 現実は、人のいる場所は、とても怖くて孤独な場所。

 山や川沿い、人のいない場所、夢の中は落ち着くことができて居心地の良い場所、理解される場所だった。

 話がしたい、聞いてもらいたい、理解されたい、上手く言葉にできなくても、伝えたい気持ちだけで通じ合いたい。

 夢だけが私の居場所だった。
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