夢魔

木野恵

文字の大きさ
上 下
39 / 53

曙光

しおりを挟む
 夢で見た、昔優しくしてくれた顔の良いお兄さんたちを頭に浮かべていると、いろいろなことを思い出すのだった。

 幼稚園で最初に仲良くなった同級生の女の子のお兄ちゃんも気にかけてくれていたっけ。

 おんぶをしてくれた時にお腹すいてかんじゃったこともあった。すごく怒ってたみたいで悪いことしたと思ったな。

 なんだか競い合ってたような様子だったことも……。

 素直に話して悔しがらせてしまったこともあった。

 ドッジボールの時に顔のいいお兄さんの触っちゃいけないところを触ってしまったらしくて恥ずかしかったこと、そのあとよくわからないことがたくさんあったことと……。

 懐かしくてあたたかい思い出を胸に目を覚まし、記憶の本が頭にイメージとして浮かんできた。そして唐突に怒鳴られる夢が頭に浮かぶ。

 お前そのまままた同じことをずっと繰り返してる! また同じことしてどうなるかわかってるのか! ずっと同じことばっかりして!

 鬼のような形相で男の人が怒っている夢。

 今見た夢じゃなかった。このイメージはいったいどこから……?

 未来が見えるなんて言われていたせいか、未来からイメージが夢を通じて飛んできたような錯覚を覚える。顔の良いお兄さんを思い出すきっかけになった夢ですらそう感じられるのはなぜだろうか。

 少しずつ本が開き始めるのがわかった。閉じられた、いや、綴じられていた本のページが……。

 あのあと、よくわからない話を立て続けに周りの人がしていて、それで、それから……。

 噛んじゃった人にお願いされた、脅された。すごく怖かった。どうしてそんなこと言えと言っていたのかわからなかった。

 何を言ってしまったのか何も理解できてなかった。

 それから突き放した、大好きだった、幸せでいてほしかった、諦めたかった、諦めたくなかった、諦めようとした。言っちゃいけないことを言えと言われるまま、脅されるまま、意味を知らないまま言った。言っちゃったせいだ。

 かなぐり捨てた。何もかも。

 癒されると言ってもらえて嬉しかったこと、みんなの笑顔を見るのが大好きで幸せだったこと、その何もかも。

 自分の中で一生懸命戦ってるって打ち明けてくれていたのに、私が突き落とすようなことを言った。

 優しかったのに、人が変わったようになった。私のせいだ。

 もう癒されないなんて言っていたことを思い出して辛くなってくる。

 ページが開き、夢魔のみんなが、いや、本のお姉さんと気さくだけど怖いお兄さん以外のみんなが、なんだかあのときのみんなに少しだけにていることに気がついてしまい、息がつまりそうだった。どうしてこんな大切なことを忘れて気がつかずに過ごしていたのだろう?

 全部私のせい。

 幸せそうにしてくれてたのに、癒されると言ってくれていたのに。

 心臓が暴れそうになりながら、今自分の周りにいるみんなが恐ろしくてたまらない中、気さくなお兄さんだけがなんとなくまともに思えてくるのが不思議だった。優しくしてくれているのは本のお姉さんなのに。

 記憶のページをめくりながら、本のお姉さんからもらった本をめくってみた。

 とても集中できる状態ではなかったけれど、意識的に頭と心を落ち着かせながら中身に目を通した。



 こちらもあちらも様々なエネルギーで満たされている。こちらではそれらをマナと呼び、あちらでは元素と呼んでそれぞれの世界にあった理解のしかたをしている。

 風や水、大地に光と闇、大気をただよう電子、火、生命など様々なものをさしている。

 精霊はそれらの属性ごとに存在する生物で種族である。

 我々のような精霊でない生き物は様々な属性の魔法を使おうと思えば使えるけれど、精霊たちは種族ごとの属性以外は行使できない。

 精霊とはマナの化身で主であり、いわばその属性の専門家と言い換えることもできる。

 我々は精霊の真似をして魔法を使っているだけにすぎず、マナをなんとか工夫して使っている。例えるなら、動かない手足を一生懸命どうにかして動かしているような状態だ。

 一方、精霊はマナそのものといっても過言ではないので我々とは異なり、マナを直接動かせるので非常に強力な魔法を使える。自分の手足のようにマナを扱うことができるためだ。

 これが精霊とその他の種族における魔法の違いである。

 しかし、自然を支配下におくことはできない。それは精霊であっても。

 自然とは共存するものである。
 
 

 面白くて魅力的な魔法の話に夢中になる反面、いったい誰が私の本を綴じたのか。本のお姉さんはあんなに優しいけれど、他にいったい誰が綴じるのか、様々なことを考えながら知識をつけていっていると、そっと頭に手を置かれる感触に驚き、悲鳴をあげてしまった。

「ぎゃああああ」

 叫びながら頭をおさえて丸くなると、本のお姉さんが心配そうに顔を覗き込んでくるのが見えた。

「……」

 きょとんとした顔をしたあと、すぐにいつもの無表情になったお姉さんのことを少し怖いと思った。

 怖がっていると、頭に言葉が浮かんできた。聞こえるわけでも見えるわけでもなく、なんとなく浮かんできた警告のようなものだった。

 記憶を隠せ。気づかれるな。知らないふりをしろ。自分を信じて。周りを信じるな。それ以上は能力を見せないで。

 本能的に本のお姉さんが一番危ないと悟り、知識と技術と成長だけいただいてそのあとはよく観察して考えて行動しようと思わされるような警告だった。

 優しい人が一番危ないと、片割れが現実の方で注意を促されていたことも思い出す。

 怖がりながら、混乱する頭で一生懸命身の振り方を考えていると、本のお姉さんは首を傾げた後すっと目を細めて見つめてきた。

「……隠し事」

 怖かった。怖いと思った。そしてはっきりわかった。読まれていると。

 こちらの世界は確かに良い世界だと思ったけれど、周りにいる人たちがいったいどういうつもりで傍にいるのかわからなくなって、ただひたすら怖くなった。

「……」

 本のお姉さんからの視線に耐えかねたこともあり、記憶の隠し方がわからないなりになんとなく片割れの魂へ猛ダッシュした。

 運がいいのか悪いのか、片割れがいつもと違ってどす黒い炎をあげており、周りに誰もいないこと、いや、優しかったお兄さんだけがいるのをとても都合よく感じられた。

 どういうわけかわからないけれど、なんとなく上手くいくような気がして片割れの炎に飛び込むと、燃えることなく残っている自分の体を見て落胆した。どこかへ飛べると思って飛び込んだはずだったのに。

 水分が蒸発してあたりは真っ白な湯気で覆われ始めている。

 そういえば片割れが突拍子もなく奇行に走っていることがあったな。

 疲れすぎた時、気持ちがたかぶってどうしたらいいかわからなくて軽いパニックや照れ隠しで衝動的にそういうことをしていたのを思い出し、結局元は一つの魂で双子のようなものだから行動が似ているのだろうなんて自嘲気味に笑っていると、本のお姉さんが慌てて駆け付けるのが見えた。

 あれ? なにをしようとしてたんだったっけ。

 片割れの黒い炎を目にし、お姉さんが立ちすくんだ後おろおろとしているのを見ながら、炎の中から這い出して仰向けに寝転んだ。

 何か怖いことがあって、何かを隠さないといけなくて……。

 本のお姉さんの視線が、怖いと思うものから心配を感じさせるものになっていくのもわかった。どうしてそんな怖い視線をしていたのかまったくわからないまま目を閉じると、セラピストや優しかったお兄さん、気さくだけど怖いお兄さんが周りを取り囲んで一生懸命話し合っているのが聞こえてきた。



 目を閉じてから目を開けるまでは一瞬のように感じられたけれど、みんなの様子をみたところ、だいぶ時間が経っていたらしい。

 目を閉じた時にはなかったものがたくさん周りにあって、みんなの表情がとても疲れたように見えたからそう思っただけだった。

「……良かった。火傷はしてない。……少し体小さくなった?」

 本のお姉さんの心配する声ににっこり微笑み、どこも痛くないし元気だという風に体を動かすと、安心したようなため息をついて微笑み返してくれた。

 体の方は何ともないけれど、心に……いや、頭に違和感があるくらいだろうか。

 本のお姉さんからの体が小さくなったかどうかの質問には答えかねた。自分じゃわからない変化だったからだ。

×

 座ってのんびりしていると、お姉さんが耳元に寄ってきてこう囁いた。

「……やっと思い出したんだ」

 それは過去のことを書いている今振り返ってみても、記憶とは違う出来事だった。

 多分夢を見たことも過去の記憶とは違う出来事なのだろう。未来からのメッセージに思えたのはそのせいだ。

 なにかが音を立てながら崩れ落ち、幼かった私は大人の私になっていた。

「……思い出した感想はどう?」

 本のお姉さんは今も昔も変わらない姿のまま、本を抱えている。いや、気のせいか、お姉さんも本もちょっぴり焦げている。

 なんとも言えない気持ちだった。周りの人の示していた恐怖や嫌悪の反応が頭に浮かぶ。

「どうと言われても……」

 反応に困った。

 だってこれは昔の思い出、過去の話だ。今更思い出したところでどうなるというのか。もう戻ってはこない日々なのに。

 ふて腐れたような顔で目を逸らすと、お姉さんは微笑みながら斜め前に座った。

「……どうしたいの」

 色々なことがあった後だ。多分恨まれてるし嫌われていて気持ち悪がられている。それに、相手が今幸せでいてくれるならそれでいい。結ばれなくて良い。死んでほしくない。困ってるなら助けたい。死にそうなら、殺されそうなら、代わりに死にたい。関わりたくないと思ってるならそうする。……何もわからない。

 言葉にしきれない気持ちでいると、お姉さんは困ったように笑った。

「……ごめんね。……私も不器用だったから」

 崩れ落ちた世界がまた元通りになっていく中、寂しそうなお姉さんの微笑みが頭に焼き付いた。

「助けたいよ。死なないで欲しい」

 思わず声に出していると、本のお姉さんは頷き、本のページをパラパラとめくっているのが見えた。

「……もう忘れないで。確かに誰かから大事にされたことがあったのを。……あなたが言われたまま何かをする愚かさを身をもって学んだこと、人の言うこと聞かなくなるきっかけの大きな一つだったこと。……忘れないで。……綴じたのは私で、開かないようにしたのはあなた。……記憶の蒸発。……心が砕けそうになってた。……助けたかった。……ごめんね……思い出させたかった。……成りすまして気分が悪かったと思う、怖かったと思う。……あなたを大好きで心配な子に成りすまさせた。……これで結ばれたら幸せ、結ばれることなく思い出されて気づかれても幸せだって。……誤解、ときたかった」

 泣きそうになりながら、どちらの時間軸かわからない方へと目を覚ましていくのがわかった。 

「……続き、頑張って」

×

 私が片割れの黒い炎へ飛び込んだ事件は『ウサギ化事件』としてしばらくの間いじられることになった。

 周りのみんながいじりながら笑いつつ、真剣に心配するなかで健康状態を確認されたけれど、本のお姉さんが指摘した通り、体が少し小さくなっていることがわかったくらいで後は特になにも異常はなかった。そう思っていた。

 みんな心配していたけれど元気いっぱいだったので、今日の稽古は気さくなお兄さんにつけてもらうことにした。

「本当に大丈夫なのか? もうしばらくセラピストや優しいやつ、本の虫に診てもらってた方がいいんじゃないのか?」

 気さくだけど怖いお兄さんはしかめっ面で聞いてきたけれど、へっちゃらだと言わんばかりに片割れの真似で腹筋をして見せたら呆れたように笑っていた。

「……まったく、鍛えるときはそんなもんじゃすまないくらいビシバシいくからな。今日はとりあえず軽い運動とお勉強からだが」

「えーっ! ここでも勉強なの?」

 勉強という響きは正直なところ良いイメージもなにもなく、うんざりとしたような気だるさを感じさせるものだったから思わず文句が口から出ていた。

 気さくなお兄さんは頭をガシガシと強めに撫でながらこれからの流れを説明し始めた。

「そうだ。まずは体を動かして、どんな具合で体が動いているのか客観的に見て、どうすれば動かしやすいのか学んでもらう。イメージも大事なことだからな。まずは動かし、見て学んでもう一度動く。その繰り返しだ。物の扱いは……知識もそうだがハートが大事だ」

 いつの間にか用意していたホワイトボードに今後の教育内容と、棒人間の絵を描いてその隣に適当に線を引いていた。

「いいか、少しだけでも良いからよく考えて答えてくれ。これから生きていく上でずっと付き合っていくもの、離れていかないものは何だと思う?」

 物の話の後だったので、身の回りにある物のことだと思ったけれど、少しだけよく考えるようにとのことだったからちょっとだけ落ち着いて頭を働かせたけれどそれがなんだかわからなかった。

「物? 道具とか服とか……」

 その答えを聞いて口の端を上げた気さくなお兄さんは人差し指を向けてきた。

「??」

 首を傾げながら指先を見つめていると、吹き出して笑ったのでむっとすると、更に笑うのだ。

「なにがおかしいの」

 頬を膨らませていると、気さくなお兄さんは笑いながら答えてくれた。

「悪い悪い! 自分自身が一生付き合っていくものだって答えだ。所詮、家族だろうが友人だろうがパートナーだろうが、他人は他人。いつまでも傍にいるやつもいるだろうが裏切るときは裏切るし、所詮他人事だからあれこれ口を出してきたところで結局は責任が自分にないから思い込み激しくて考えの浅い適当なことを言ってきてめちゃくちゃにしてくるもんなんだよ。心当たり、あるだろ? 相手のことを我がことのように思って言って考えてくれるやつも中にはいるだろうが、全員がそうじゃない」

 ぐうの音も出なかった。

 気さくなお兄さんの言う通り、一生付き合っていくのは自分自身で他の何でもない。

 黙って納得し、真剣に言葉を反芻しながらいろいろなことを思っていると、気さくなお兄さんは一つ頷いてから続けた。

「それで、次に来るのが道具や周りにある物だ。家もなんでも、物であればなんでも。財産とも言い換えられるな。お金も道具に入れてるつもりだ。お金って名前がついてはいるが、物は物だからな。他の物を交換するために使う道具であり、物でもある。まずは自分自身を知って、それから物に関する知識と理解と、物によっては魂の結びつきを得ていく」

 話を聞いていると少しだけワクワクしてきた。

 勉強という響きが苦手なだけで、蓋を開けてみればそれはこれから新しいことを知って成長し、できることが増えていくこと、楽しいことが増えていくことなのかもしれないなんて思えるものだった。

 これからのことを思い描いて目を輝かせていると、気さくなお兄さんが少し意地悪な笑みを浮かべて口を開く。

「と、いうわけだからまずは死にそうになるくらいその辺を走ってこい。そうだな、あのときの湖を10周くらいでどうだ?」

 唐突な指示に唖然として固まっていると、どこからか蛇にも見える鞭を取り出してビシバシと振るってくるから大慌てで走り、湖へと向かう。

 死ぬかと思うくらい走った。

 体が途中で痛くて自分の物じゃないように思えるくらいには走った。

 息が苦しいのが当たり前で、少しハイになる感覚を覚えながらヨロヨロになりつつ走り抜け、走り終えた後は両膝に手をついて息を整えようとしたけれど、目の前が真っ暗になってそのまま地面に倒れ込んでしまった。

「うーん、さすがにやりすぎたか? 大丈夫か?」

 倒れ込んでいると、心配そうに気さくなお兄さんが話しかけてくれたけれど、返事をする余裕がどこにもないし、手を挙げる元気すらなく、首を少し横に動かして目線で大丈夫だと訴えかけたその時だ。

「何やってんの!!」

 優しかったお兄さんがものすごい勢いでこちらへ叫びながら走ってくるのが見えた。

 左手には氷嚢、右手には水の塊を持ち、何かを背負っているようだ。

「こんなになるまで走らせて! 大丈夫? 今手当てするからね」

 ひっくり返しもせず、うつ伏せのまま頭に氷嚢をちょこんと乗せたかと思えば、持っていた水は地面に置いて、背負っていたものを地面におろしてタオルを取り出していた。

 手足の汗を拭い、ヨモギに似たなんらかの葉っぱを手ですりつぶして乗せてくれているけれど、それがなんなのかすぐにはわからなかった。

 そのうちスース―としてきて、ちょっとずつ楽になってくるのが気持ちよかった。何かの薬草だったのだろう。

「遅くなってごめんね、先に口に入れるべきだったんだろうけれど」

 地面に置いた水を持ち上げると、特に土がついている様子もなく、餅や団子のように一つの塊をちぎって口元へ持ってきてくれた。

 最初は抵抗があったけれど、大人しく口を開くとそっと口の中に入れてくれた。

 恐る恐る口に含んで飲んだけれど、それはただの水だった。

 ひんやりとした潤いが口の中いっぱいに広がり、乾いたからだに染みわたっていくような感覚に安堵していると、優しかったお兄さんはラップでくるまれたおにぎりを取り出してニコニコしながら待っていてくれた。

 なんでそこまでしてくれるんだろうか。

 純粋な疑問だった。

 誰かが理由や意味もなくここまでしてくれることなんてあるのだろうか。

 考えながら、動かすと痛い体を起こしておにぎりを頬張っていると、気さくなお兄さんがこっそり録画したと思われる走っているときの映像を見せてくるのだった。

「お前の走り方のフォームをまずは見て、足が早い人のフォームを見てもらう。どうだ?」

 姿勢がまず違うことに気がついた。自分の走り方は格好悪い。

 思ったことをそのまま伝えると、気さくなお兄さんはニッと笑ってこう続けた。

「そうだな、まずは姿勢からだ。しかし今日はもう動けないだろう。ゆっくり休むと良い」

 言い終えると、優しかったお兄さんに目くばせをし、どこかへ行ってしまった。

 道具の話も勉強もしたかったのに、次ということだろうか。

 少しがっかりしていると、優しかったお兄さんがニコニコしながら優しく抱き上げて運んでくれた。

「どこかで一緒にストレッチしようね。お水はちょっとずつ飲むんだよ」

 本のお姉さんが言っていたように、なんだかお母さんのような、本当に保護者のような印象を受けながら残っているおにぎりを頬張っていると、にっこりと温かい笑みを向けてくれた。

 そういえば、後ろで一つに結べるくらい髪の毛が長くなってる。どうしたんだろう?

「髪伸ばしてるの?」

 気になった時には疑問が口をついて出ていた。

 優しかったお兄さんはにっこり笑って頷いた。

「うん。男の人が怖くて苦手なんだと思って、伸ばしたら話しかけやすくなるかなって思ったんだ。もし女になれるなら女になろうと思ってるんだ」

 いや、ちょっと待って。なんでそこまで?

 冷たくしたことを後悔した。本当にどうしてそこまでしてくれるのかがわからない。

 なんて言えばいいのかわからないまま黙っておにぎりを頬張っていると、物はついでと思ったのか、おまじないの話をしてくれた。

「本の虫から聞いたんだけど、いろいろなことをやってみたいんだってね。おまじないにも興味があるとか」

 複雑な気持ちのままゆっくり頷くと、優しかったお兄さんがにっこり微笑み返してくれた。

「おまじないってちょっとだけ危ないんだ。強く憎めば呪いが飛んでいっちゃう。気持ちのコントロールが大切なもの。僕でも扱いきれるか怪しいくらい不安定なものなんだ」

 目的の場所にきたのか、そうっと地面におろしてくれた。

 日の光が差し込む綺麗な森で、座ったり寝そべったりしやすいように切られた木材の上におろしてもらったらしい。

 足を伸ばした状態で座るようにおろしてもらったので、そのままでいると、ゆっくりと背中を押してくれた。

「痛くない?」

 優しくストレッチさせてくれて、なんだかいつもより早く体の痛みが引いていくように思われた。

 優しい……。

 優しくてあたたかくて、お母さんみたい。本当のお母さんとは違うけれど、よくアニメやドラマで見かけるような、他所の人が表現するようなお母さん。

 反抗的な態度になっていたことを悪いと思ってしまう反面、どうしても素直になれない自分がいて、とても複雑な気持ちになる。

「おまじないは縁を作る力ともいえるんだ。相手を不幸に結び付けたり、幸福と結びつける。気持ちだけじゃどうしようもないことなんてたくさんあるけれど、強い気持ちを現実にするもの。だから強く人を憎みそうなときは気をつけないといけないんだ」

「実際に見てみたいな。本当にそんなのあるの?」

 気持ちの力なんて信用しきれなくて聞いてみただけだった。興味を持っただけだった。

「うーん。機会がないとな……。強い気持ちが必要だから、そのときがくるまで見せられない。君の双子の弟くんを見守ってて何かがあれば見せれそうなんだけど……。そういえば、君が飛び込んだ時、黒く燃えてたよね。あれさ、死ねっていきなり言われて燃えてたんだ。思い出した時の感情で呪いもかけられそうだけれど……これじゃ少し弱いかな。もちろん、見てて許せない出来事ではあったんだけど」

 言いながら閃いたのか、もう一度抱きかかえて片割れのところへ連れていかれた。

「動けそう?」

 聞かれながら立ち上がり、軽く体を動かした。

 少し動きづらくてぎこちないけれど、離れた場所にいるし、黒い炎でも私は燃えなかったから大丈夫だ。

 笑いながら頷くと、安心したように微笑み返してくれた。

「いつもみたいに君の片割れを見守ってるよ。ここで他の人から稽古をつけてもらうと良いよ。その時が来た時に見せてあげる」

 自分の片割れの様子をみながらの修業は気が引けるのだった。まるで自分で自分を監視してストーキングしてるかのような変な気分だ。

 自分をストーキングなんて、真っ二つになって別れないとできないことでもあるなーと、おまじないについての考え事をしながらぼんやりと思う。

 視点というのは自分にあって、体を動かすのも何もかも自分が中心になっている。なのに、今は視点が自分の外にあって、外から自分を眺めて付きまとってみているなんて。

 表現するのが難しい複雑な感覚。幽体離脱して自分を見下ろすとはこんな状態なのだろうか。

 考えながら、知っている限りのストレッチをしていると、うさぽんがひょっこりと顔を出した。

「気さくなやつから連絡もらったんだ。体が動かないくらい頑張ったからストレッチしてるって! その間に頭を鍛えればいいだろうなんて言ってたよ。あいつ、だいぶスパルタだよねー。別に、時間がもったいないことにならないようにとか、自分からも提案したとか、そんな気遣いなんて全くしてないんだよ」

 照れ隠しがあんまり上手じゃないのかな。

 思わず笑いながら見ていると、頬を赤らめながらこちらを見ていた。

「どこから教えればいいのか全然わからない」

 困ったようなことを話していて思わず頬が緩んでしまう。

 じゃあ、質問して答えてもらうのが良いのかな?

 幼いころ、従兄弟の家で天使や死神、悪魔の話を聞いたことを思い出し、早速質問してみたくなった。

「天使や悪魔、神様ってどんな人でどんな見た目なの?」

 すると、うさぽんは少しだけ得意げな顔になってこう答えてくれた。

「良い質問だね! そういえばまだうちら以外の誰かを見たことがないんだったね?」

 目を輝かせながら頷くと、いや、星が降る時に抵抗していた人たちを遠くから見かけたっけ? と思い直して首を傾げてから横に振った。

「お? いつ見たの?」

 うさぽんは逆に興味津々といった様子で問いかけてくる。

「本のお姉さんと星が降る場所でたくさんの人がここを守るためにいろいろな物を使って抵抗してた」

 話してみると、うさぽんは頷きながら笑った。

「なるほどね。どんな姿だった?」

 聞かれながらどうしてそんなことを? なんて思いつつ、一生懸命思い出して答えた。

「みんな人みたいな姿だったよ。私たちとあまり変わらない姿だった」

 その答えにうさぽんは満足したように笑っている。

「天使や悪魔、神様というのはね、人がイメージした姿で、みる人それぞれで見え方が違っているんだ。その人にとっての心の拠り所である何かになって現れる。だから、人によって見え方が違うんだ。ある人にとってはお坊さん、ある人にとっては神官、ある人にとっては人だったりね。夢魔も妖精もみんなそうだよ。人の信じる姿で、人がそうだと思った姿、人の認識できる姿で現れる。もし君が隣で誰かと一緒に神様を見たとしよう。君と隣の人とでは見え方も認識された姿も何もかも違って見えるんだよ」

 意味深な笑みで笑っているうさぽんをみて、なんとなくここにいるみんなが実は天使なんじゃないかと思いかけていると、魔法の話のときに精霊の話が出てきたから、何もかも混在していて見分けなんてつかないってことなのかと思いもした。

 難しそうな話だと思いながら耳を傾けていると、うさぽんは嬉しそうに笑っていた。

「難しすぎる話じゃないんだよ。人の数だけ姿を変えて傍に現れている。そういう話さ」

 シンプルに表現すると難しそうな話じゃなく聞こえて良いなと思っていると、聞いていて思ったことがひとつあった。

「お互いどうやって見分けてるの?」

 この世界で一緒にいる以上、どうやって見分けているのかが気になった。

「見分け? そんなの必要あるの? 役割や出来ることがそれぞれ少し違ってるだけで見分けなんて必要ないんだよ。必要な時に必要なことをこなし、自分の役割を全うする。それだけじゃない? 手を借りたいときには自分から傍によって名乗ればいい。探す必要はないし、必要な時は助けを求めればいい、でしょう?」

 なんだかいろいろなことが違って、あまりに違っていて、言葉を出さずに黙りながら目を丸くしていると、うさぽんは更に笑った。

「じゃ、じゃあ、こっちでは性別の概念があるのはどうして?」

 素朴な疑問だった。

 優しかった、いや、優しいお兄さんは女になろうとしているし、どうして性別があるのだろうかが気になった。

 見分けがいらないなら性別なんていらないのではないか?

「それはね……お互いにないものを見て知って支え合うためなんじゃないかって思ってるんだ。答えがまだない問題で興味深いことなんだよ。君たち人間や生き物がそうであるように、繁殖する上でオスは必ずしも必要かと言われたらそうでもないんだ。では、なぜ存在し、どうして我々は性別がわかれているのか? 面白い問題だよね。少なくとも、どちらか片方を見下したり虐げるためではないのは確かだ。だから、うちは思うんだ。お互い助け合って支え合って、お互いの良いところもダメなところも見て知って、より良く成長していくために存在する、姿が反転して見える鏡なんじゃないかってね。性別がこれだからあれしろこれしろって決めつけとか、良くないことだよね。本当に大事なのはそこなのだろうか? そうやって片方の心の自由を奪うために存在するのだろうか? もちろん、人間には性別で分けないといけない問題とかあるんだろうけれどさ」

 うさぽんの考えも考察も素晴らしいと思った。夢があって、窮屈さを感じられなくて、女だからこれをしろと押し付けられて育てられて嫌だった気持ちがふんわりと軽くなっていくようなもの。

「君がこれからどう育ってどんな答えを見つけるのかが楽しみだな。良い経験を積んで、知見を広めてくれたらきっといい答えが出るに違いないよ」

 うさぽんの穏やかで期待に満ちた目を見ていると、少しプレッシャーを感じてしまうのだった。

 そして運がいいのか悪いのか、片割れが急に黒く燃え始めた。

 こないだは一瞬だったけれど今回は何度も黒く燃えていて、一体何があったのかと思っていると、また冤罪をかけられ罵詈雑言を浴びせられ、何もかも嫌になっているところだった。

「……手本を見せるときが来た」

 優しかったお兄さんは怖い顔でそういうと、思いっきり呪ってやると口に出して宣言していた。

 呪ってやる、未来を閉ざしてやると。

 怖かった。

 片割れの黒い炎もそうだけれど、優しかったお兄さんのまとった禍々しいオーラもおぞましくて、あってはいけないものを思わせていた。

「いつ起きるかわからないけれど、不吉な数字を強く信じていればなにかあるよ」

 その言葉には胡散臭さを感じて思わず顔に出してしまっていると、うさぽんにも優しかったお兄さんにも見られてしまって大笑いされてしまった。

「まあ、信じがたいことだもんね! 信じなくていい! 呪いなんてないさ!」

 優しかったお兄さんのからっとした笑いは禍々しさも何も感じさせない、いつもの優しいものだった。
しおりを挟む

処理中です...