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現
夢(前編)
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中学生ではいろいろあって心が寂しかったけれど、起きている間は先輩と過ごす時間、ネットゲームをしている時間、テレビゲームをしている時間がとても楽しくて、家でゲームをたくさんしたくて、できるだけ学校で宿題やら毎日やるものをこなして後は読書をしてすごしていた。
現実でコミュニケーションをとる相手がいない分、ネトゲで人と言葉を交わすのが楽しくて、もっとタイピングを早く、もっとたくさんの言葉を乗せてやりとりをしたい気持ちで溢れていた。一日誰とも口を利かなかったこともあったけれど、ネトゲではたくさん人とコミュニケーションをとって楽しんでいた。
ネトゲで、人と話すよう注意して叱ってくれる人がいたけれど、私の何を知っているんだと反発する気持ちがある反面、こうやって注意してくれて、いろいろ言ってくれるのが嬉しくてたまらなかった。
現実では話を聞く前からみんななにか勝手に決めつけているような雰囲気があった。良くも悪くも。でも、この人は私の話を聞いて、私とまっすぐ向き合って物を言ってくれていて、現実では得られなかったものを与えてくれているように感じられた。
とにかく、誰かと文字を通してコミュニケーションをとるのが楽しい気持ちが強くなった。
最初は両手の人差し指だけを使い、キーボードを見て文字を探して一生懸命タイピングしていたけれど、指の置き方、どこのキーをどこの指で押すか、どこにどのキーがあるかを覚え、頑張って指を動かして打ち込むようになっていった。
すごく楽しかった。上達していくことも、たくさんの言葉のやりとりをすることも、なにもかも。
会話や相手の欲しがるものの先読みもそうだったけれど、ブラインドタッチも友達が欲しくて一生懸命伸ばした力だった。
ネトゲで夜遅くまで起きていることが多かったけれど、一番の楽しみは寝ている間に見る夢だった。
夢は夜だけに見られるものではなく、明け方やお昼にだってみることができた。もちろん、寝ている間のこと。
小さいころから見てきたたくさんの夢。
一緒に戦う相棒がいる夢、冒険に行く相棒がいる夢、頼れる人と冒険に出る夢、寂しくなるような夢、もちろん、楽しい夢をたくさん見続けてきたけれど、怖い夢も数えきれないくらいたくさん見てきた。
そのどれも大好きだった。
ひな人形が上にのって息が苦しい夢を見た後は、飾られている日本人形が怖くてたまらなくて、早く片付けてなんて癇癪を起こしてしまったけれど、それでもその夢を嫌いにはなれなかった。
それくらい、よくできている人形、何かが宿ってるくらい良く作られた人形だったのかもしれないなんて思えるようになれた。
職人が作った物には魂が込められているという考え方が好きだったこと、小学生の頃親が好んでいた陰陽師の話に出てきた付喪神が好きだったことからそう思えたけれど、怖いものは怖い。
そんなたくさんの夢の中で、学校で雷の魔法を使う白いトラと戦った時に助けてくれる人が現れた夢が記憶に強く残った。
優しくて、でもそこまで深くかかわってくることがないのに気を惹かれて、不思議な家庭環境の中で育っているその人のことが気になって仕方がない夢だった。
下手くそな文章だけれど、忘れないよう一生懸命書きなぐって残した最初の夢。あとは記憶の中で残していた夢の数々。
学校で夢を思い返しながらぼんやりし、ため息をついていると、好きな人がいるのかなんて聞かれたこともあったくらい、心惹かれる夢だった。
もちろん、好きな人がいるのかどうかについては首を横に振った。だって、夢でのことだったから。
そういえば、小学校の帰り道に助けてくれた子と好きな人の話をしていた時、誰よりも近くにいるなんていったこともあったな。あんまり恥ずかしいから夢だなんて言えなかったけれど。
そんなことを思い浮かべながら、夢に思いを馳せた。
小学生のころに続き、怖い夢を見ることもあったけれど、大半は楽しくてワクワクできて、自由を感じられる夢が多くて心が軽くなった。
いつからかある、自由への渇望、空への憧れ……。
風にのって空を飛ぶ夢、たくさんの海を泳ぐ夢、誰からも非難されず、たくさんのことに挑戦できて、のびのびと失敗し、工夫してもう一度挑戦する夢。
見守ってくれて、悩んで立ち止まったときにアドバイスをもらえたこともあって、とても楽しい夢ばかりだった。
現実でこうしてくれたらいいのに、こうだったらいいのに、こうしてみたい、ああしてみたいと思ったことが夢の中にたくさんあって、心の窮屈さから解放されて、目が覚めた時寂しくて、もっと夢を見ていたくなるような、そんな夢たち。
先輩にもたくさん夢の話をしたかったけれど、全く関係ない話だったし、頭がおかしいと思われたくなかった。
それに、夢の話をしなくとも、漫画やアニメ、ゲームの話だけで十分盛り上がって楽しかった。楽しくてあたたかかった。
会話がなくとも、手を狐に模して挨拶してくれたり、指で私の腕の上をとことこ歩いている人を模して遊んでくれているだけで十分幸せで楽しかった。
そして不意に、夢の話で思い出すことがある。
小学生の頃だったか、近所の文房具屋さんのあたりで、夢のような話をたくさんしてくれたおじさんがいた。
私以外にも同級生の子たちがそこにいて、おじさんの話に夢中になっていた。
後でそのうちの一人の子がおじさんに騙された! 嘘つかれた! 親に聞いたらそれは全部嘘だって言われた! なんていっていて、同じようにショックを受けたのを今でも思い出せる。
家で親にその出来事を話すと、おじさんは夢をもたせようと話をしてくれただけで嘘をついた訳じゃない。騙そうとして言ったんじゃないと説明してくれたことがあった。
じゃあ、嘘との違いは何か?
次に気になったのはそこだった。
親が言うには、騙そうとして、傷つけようとしてつくのが嘘、おじさんのは物語だ。
妙に納得できて腑に落ちる答えだった。それに、なんでもかんでも嘘呼ばわりは気に食わなかったから、親の話がすっと頭に入ってきて納得できた。
そうして、これは特別な物だ、歴史的な物だなんて言って、その辺のものをもってきてあれこれ言って遊んでいたみんなのことを思い浮かべた。
あれは嘘なのか、本気でそう思っていたのか、それとも違う何かなのか……。
どういうつもりだったのかなんて本人だけが知っていることだけれど、おじさんのことをあんな風に嘘つき呼ばわりしていたのに、自分たちはそうやって遊んでいるのが妙に腑に落ちなかった。
この遊びだけは楽しくなかった。やっちゃいけないことだと思いもした。
私が言った物語だけが嘘呼ばわりで、みんなが言った嘘は本当のような扱いで爪弾きにされたのもあったけれど、何よりしたら良くないことだと思ったし楽しくなかった。
楽しくないなら、ダメだと思うならやらなければいい。
その通りだと思ったから私だけ抜けて家で遊んだ思い出だった。
文化祭の劇が終わり、同学年だけでなく上の学年の人たちからも、私が演じた役のセリフの一部でたくさんいじられた。
廊下で見かけるたびにネタにされて話しかけることがたくさんあり、その都度笑顔で答えていると、先輩は怒ったように愛想よくしなくていいって言ってくれたけれど、それがどうしてなのかわからなかった。
「自分らでいじめておいてあんなこと言うなんて」
先輩はそれ以上は何も言わなかった。
気になって聞いてみても、「知らなくてもいいんだよ」といって教えてくれることはなかった。
セリフの一部を言ってというお願いに快く応じ、障害者呼ばわりされているのを何とも思わず流していたことを怒ってくれているのだろうか?
私はただ喜んでもらえるのが嬉しくてそうしていただけで、別に何呼ばわりされても気にしないし、障害者呼ばわりされたところで別に嫌な気分にもならないのにな。
なんにしても、今までそんな風に言ってくれる人、今まで一人もいなくって、私には理由も何もわからなかったけれど、嫌な気持ちにはならないのだけ確かだった。
先輩はとても不思議な人だった。もちろん、良い意味で。
今まで私が悪くて変わってるからたくさん意地悪されてきて、味方してくれる人なんていなくて、否定しかされてこなかったから、愛想を良くしていてそんな風に言われたことがなかったから、愛想を良くすることの何がいけないのかが理解できなかった。
もっと先輩のこと知りたかったし、仲良くなりたかったけれど、小学生の頃助けてくれた子がいじめられていたのを思うと、私と関わると一緒に嫌な思いをするんじゃないかとか、ちゃんと仲良くできないんじゃないかとか、たくさんの不安が付きまとって離れることはなかった。
もし、とっても怒らせてしまったら、もう話してくれなくなってしまうかもしれないのが一番怖くて、一定の距離を保ったまま歩み寄ることができなかった。
本当はもっと仲良くしたいけれど、先輩には他にも友達がいるし、私がいると迷惑をかけるかもしれない。先輩に嫌われるのだけは嫌だ。
妖怪の話をしていて、なんでも妖怪のせいにするね? なんて先生に言われていた時、先輩からも何かのせいにしてるなんて言われないか不安だったけれど、妖怪のせいにしてるわけじゃなくて、そういう妖怪の話をしているだけだなんて言って庇ってくれた。
いつ先輩から嫌われてしまうのかが怖かったけれど、私のことをよくわかってくれて大好きだった。その一方で、どうしてそんなに私のことがわかるのかをわからなかった。
先輩とネトゲがしたくて誘ったけれど、お金がないしpcがないと断られた。本当は一緒にネトゲしたいと言ってくれていて嬉しかった。
先輩はいつも自己卑下していて、私がそれを否定してたくさん褒めたら喜んでくれた。実際、先輩はとても素敵な人だったから、褒めるのに苦労はしなかったし、良いところがたくさんあって見つけるのがとても簡単だった。なにより、人を褒めるのが大好きだったから、喜んでもらえるのが大好きだったから、一緒にいて幸せだった。
先輩には他の人にはない良いところが山のようにあって、本人が気づいていないだけなのだと思っていたから、素直に思ったことを話していると喜んでもらえて私もとても嬉しくなってくるのだった。
アトピーを気にしている理由を聞いてみると、汚いって言いながら笑ってくる人がいると言っていて、すごく胸が痛かった。
汚いなんてことないし、どちらかというと肌が痛そうで代わりになれたらいいのになんて思うようなものだった。
目の前で悩んで苦しんでいるのに、そんな心ないことを言える人がいることもショックだったし、これを見て笑いながら汚いなんて言える神経がわからなかった。
肌がひび割れて血が出ていたし、乾燥しすぎているように見えていた。
とても痛そうだったのを鮮明に思い出せる。本人はそんなに痛くはないと言っていたけれど、見ているだけでこちらも痛くなってきたのを思い出せる。
私には何もないのだから、代われたら良いのにな。
何度もそんなことを思っていた。
先輩じゃなくて私が代わりになっていたら良かったのに。
私が代わりにアトピーだったらなんていうと、そんなこと言うもんじゃないと言って叱ってくれて、心の底から尊敬できて、仲良くしてもらえること自体が不思議でならなかった。
他にも、辛い物を食べすぎた日々の中で、餃子を食べて目を回して苦しかった話を笑い話として話していると、笑うどころか心配してくれたりして、心優しくて、人の不幸を笑ったりしないような人だった。
どうして私なんかと仲良くなってくれたのだろうか?
嬉しくてたまらなくて、得難い立派な人だと感じられる反面、疑問ばかりが浮かんできていた。
どうして私と仲良く?
嬉しいけれど不安だった。
私のこと大嫌いになって、仲良くするんじゃなかったなんて言われる日が来てしまって、いつか突き放されてしまう日がくるのだろうか?
不安だった。楽しくて嬉しくて幸せな反面、いつか別れるその日が不安でたまらなかった。
不安から逃げるように、いつかずっとそばにいてくれて、同じように夢が大好きで、同じように夢の話をできる誰かと仲良くなりたいと思うようになった。そんな人いないかもしれないけれど。
小学生の時、たまたま人とかぶっているだけ、同じだっただけで真似しているとか、パクっているなんて言われたことがあった。
ただの偶然だったし真似したわけじゃないのに、責められるのはいつも私だった。
中学生になって、人とかぶっていただけで嫌がられたり、パクってるとか真似してるとか言われて本当に嫌だった。
それに、全然似てないし一緒にしないでほしい人から一緒だとか似てるとか言われて心底嫌だった。
でも、先輩が似ているなんて言ってくれて、先輩の家に連れて行ってもらえたときも親御さんから似ているって言ってもらえて、嫌な気分ではなかった。むしろ先輩と似てるなんて言ってもらえて嬉しかったけれど、責められてきたことや助けてくれた子が受けてきた仕打ちを思うと不安な気持ちになった。
先輩と似ているっていってもらえることは本当に嬉しかったけれど、どこが似ているのかがさっぱりわからなかった。先輩とだったら似ているって言われて嫌な気なんてしなかった。
全然似てない。
それが素直に思ったことだった。意地を張ったり嫌だと思ったりしたわけではなく、本当にどこが似ているのかわからなかった。
先輩は私と違って友達がいて、二個上の先輩たちから大事にされていて、いつもニコニコしていて絵が上手で……とてもかわいいし、私と違って細い。
私にはどこが似ているのかが本当にわからなかった。
よりによって、先輩が卒業しちゃってからあんなことがあったけれど、夢はとても心地よくて、寝るのがやっぱり大好きで、学校では全員が敵で息苦しい生活だったけれど、卒業まで一年だから、たった一年我慢すればいいんだと言い聞かせて何とか乗り越えることができた。
ただ上手にできなかった、気づくことができなかっただけでどうしてあんなにみんな冷たくなったのか理解できなくて、理不尽な仕打ちに苦しみながら暮らしていたけれど、それもようやく終わるんだ。
高校生からはきっと楽しく暮らせるから。
そんなことをまさしく夢に思い描き、ようやく終わる中学生活に安堵していたけれど、高校の入学準備が大変だったようで、親がヒステリックになりながら精神的にしんどい中で準備が終わった。
たくさんのあたたかくて楽しい夢を見て、現実でも楽しい学生生活を夢見て、新しい高校生活がこれから始まるんだと夢を描いた。
親に携帯を用意してもらえて、いろいろな人にメールアドレスを聞いてもらえて、なんだかすごく楽しくなる予感がしていてはしゃいでいた。
先輩ともメールアドレスを交換したいけれど、どうやって交換しようか。家は知ってるけれど、いきなり押しかけられても困るだろうし。
先輩が通っている学校と家の間に私の家があるから、もしかしたら会えるかもしれない。会えたらそのときに勇気を出してみよう。
そんなあれこれを考え、不安な気持ちを抱えながらの入学式。
入学式で昔のことはなしにして、一から新しく学生生活をしましょうという言葉がなんだか気分を楽にしてもらえて、もういじめられずにすむかもしれないという希望にできた。
私自身、中学生活最後のことが不安で、高校になってからもあんな風に孤独な学校生活を送るのかと思っていたけれど、この言葉のおかげで心がふんわりと軽くなれた。
入学式が終わって教室に戻ると、助けてくれた子の悪口を早速言おうとしている人がいた。
話を聞いていなかったのか、ただの性悪で言ったのか、やっぱり目上の人に言われた程度じゃ上手くいきっこないことの証明で、これからもいじめが続くのかわからなかったけれど、とにかく気分が悪くてたまらなかった。
気分が悪いけれど、相手にしないよう、気にしないようにした。中学の時と同じで。
どうせ、また同じようにずるずる引きずって悪口や陰口を言われ続けるんだろう。もしかしたら中学最後の一年みたいに、みんなから冷たい目を向けられるのかな。
ちょっとあきらめにも似た気持ちがあったけれど、そんなことは全くなく、周りの人も、悪口を言って盛り上がろうなんてことは全然なくて、この学校は今までと違うかもしれないなんて希望が少しだけ芽生えてくるのを感じた。
きっと良い思い出が作れる。
まず最初に感動したのが、学年ごとに使って良いトイレというのがないということ。
言っている意味が分からないと言われるかもしれないけれど、小学生の時も、中学生の時も、このトイレは「何年生が使って良いトイレ」という区分があったらしく、近くのトイレに入ろうとしたら怒られたことがあったから感動したことだった。
そういえば中学生の時、先輩にここのトイレは使ってもいいのか聞いたとき、固まった後しばらく黙ってから「気にしなくていいんだよ」なんて言ってくれてたっけか。
あれはもしかすると私にだけ言われていたことだったのかなんて、この時初めて気づかされもした。
私が高校の時にそうやって質問して、不思議がる人を前にして気づいたことでもあった。
そんなちょっとしたことが、私にとってはとても自由な気持ちになれる出来事で、使ってもいいトイレって何? なんて言われて驚かれてしまったけれど、私の中にあった不自由の一つがなくなった大きな解放の出来事だった。
最初に体操服へ着替えるとき、中学最後の方でお願いされたから仲良くなった子と行動していたけれど、私が着替えるの恥ずかしがっていたこと、人目を気にして素早く着替えられなかったこと、端っこで縮こまりながら着替えていたこと等があって、一番遅くに着替え終わり、教室へ戻ることがあった。
一緒にいた子は焦っているのか、いらだった様子だった。置いていくよとも言っていた。
申し訳なく思いながら自分なりに急いで着替えたけれども、それでも一番最後だったし、最後に教室へ戻るのは目立つし恥ずかしい気持ちもわかるからただただ申し訳なかった。
文武両道を掲げる学校で、部活と勉強を両立させなければならず、中学生の時にあったら入りたいと思っていたけれど、存在しなかった部活へ入ることにした。
けれど、複数ある体育館のうちどこでやっているのかわからない名前のところでやっているようだったので、入部するのには数日かかった。
部活のことだけでなく、周りの人は知っているけれど私は知らないことがたくさんあった。
数学の答え合わせで答えがどこにあるのかわからなかったし、他にもいろいろわからないことがたくさんあった。
話を聞けてなかったのかなと思いながら、一生懸命勉強についていこうとしていた。
中学生の時には特に頑張らなくても勉強に苦しんだりしなかったけれど、高校では全然違った。
わからないことの連続で、課題が山ほど出され、部活では今までずっと痛いのが当たり前になっていた足がもっと痛くなって、人魚姫で足の痛みを剣の上を歩いているような痛みと形容されていたその痛みがわかる気がする、なんて思いながら必死についていこうとしていた。部活と電車で家に帰るのがとても遅い上にくたくたで帰ったら起きていられなかった。
周りの人は平然と課題をこなしているように見えるし、部活でもみんな元気そうで、このままじゃ置いていかれる危機感しかなかった。
できてないのが自分だけのように見えていた。
初めて見る数式、初めて見るもののオンパレード、でも周りの人はシャカシャカと勉強している音がする。
え、授業で聞いてないのにわかるの?
自分一人だけがわかっていないような雰囲気で物凄く焦った。
ネトゲで知り合った人がメアドを知りたがってくれて、友達になれるという喜びがあったけれど、その期待は大外れで、ちょっと嫌な目に遭っている時期でもあった。
寝不足と持たない体力とで課題はずっと置いてけぼり。英語の翻訳も間に合わなくて全部手が回りきってなくて、課題の消化を追いつかせるのに必死だった。
提出する課題を優先させると、英語の翻訳が全然進まなくてずっと遅れっぱなしでとにかく必死。
こんなんじゃこの先ちゃんと授業についていけっこない。絶対無理!
焦りと不安と、自分が平均以下で何もできない無力さとを思い知りながら、とにかく必死で頑張った。
英語も国語も、もちろん、いや、私にとっては当たり前なことに社会はちんぷんかんぷん、得意なはずの理数も少し危うい。
それでもやはり得意なものは得意なようで、理数は頭を悩ませつまずきながらなんとか持ち直していった。
クラスでは、どういうわけか私が歩こうとした先にぶつかるようにして歩いてくる子がいて、それを見て笑って、そのぶつかりに来る子といつも話している人がいた。
毎回譲って愛想良く声をかけていたけれど、それを無視して通りすぎていき、自分の席に着けばケラケラ笑いあって話しているから見ていてあんまり気分が良くなかった。
私が何をしたわけでもなく、どうして意地悪されるのかわからなかった。
他にも、中学生のときに優しく接してくれていたのに、高校に入ってから鬼のような形相でこちらを見てくるようになった子がいた。
周りの子が表情について笑いながら指摘していたけど、その子はお構い無し。
オリエンテーションのときはみんな普通に話してくれたんだけど、そのとき何か嫌なことしちゃったんだろうか? 私が不細工だから? 中学生のときにキモいといわれ続けてきたからその何かだろうか?
唐突に態度が変わったように思ったからそんなことを考えながら学生生活を送っていた。
現実でコミュニケーションをとる相手がいない分、ネトゲで人と言葉を交わすのが楽しくて、もっとタイピングを早く、もっとたくさんの言葉を乗せてやりとりをしたい気持ちで溢れていた。一日誰とも口を利かなかったこともあったけれど、ネトゲではたくさん人とコミュニケーションをとって楽しんでいた。
ネトゲで、人と話すよう注意して叱ってくれる人がいたけれど、私の何を知っているんだと反発する気持ちがある反面、こうやって注意してくれて、いろいろ言ってくれるのが嬉しくてたまらなかった。
現実では話を聞く前からみんななにか勝手に決めつけているような雰囲気があった。良くも悪くも。でも、この人は私の話を聞いて、私とまっすぐ向き合って物を言ってくれていて、現実では得られなかったものを与えてくれているように感じられた。
とにかく、誰かと文字を通してコミュニケーションをとるのが楽しい気持ちが強くなった。
最初は両手の人差し指だけを使い、キーボードを見て文字を探して一生懸命タイピングしていたけれど、指の置き方、どこのキーをどこの指で押すか、どこにどのキーがあるかを覚え、頑張って指を動かして打ち込むようになっていった。
すごく楽しかった。上達していくことも、たくさんの言葉のやりとりをすることも、なにもかも。
会話や相手の欲しがるものの先読みもそうだったけれど、ブラインドタッチも友達が欲しくて一生懸命伸ばした力だった。
ネトゲで夜遅くまで起きていることが多かったけれど、一番の楽しみは寝ている間に見る夢だった。
夢は夜だけに見られるものではなく、明け方やお昼にだってみることができた。もちろん、寝ている間のこと。
小さいころから見てきたたくさんの夢。
一緒に戦う相棒がいる夢、冒険に行く相棒がいる夢、頼れる人と冒険に出る夢、寂しくなるような夢、もちろん、楽しい夢をたくさん見続けてきたけれど、怖い夢も数えきれないくらいたくさん見てきた。
そのどれも大好きだった。
ひな人形が上にのって息が苦しい夢を見た後は、飾られている日本人形が怖くてたまらなくて、早く片付けてなんて癇癪を起こしてしまったけれど、それでもその夢を嫌いにはなれなかった。
それくらい、よくできている人形、何かが宿ってるくらい良く作られた人形だったのかもしれないなんて思えるようになれた。
職人が作った物には魂が込められているという考え方が好きだったこと、小学生の頃親が好んでいた陰陽師の話に出てきた付喪神が好きだったことからそう思えたけれど、怖いものは怖い。
そんなたくさんの夢の中で、学校で雷の魔法を使う白いトラと戦った時に助けてくれる人が現れた夢が記憶に強く残った。
優しくて、でもそこまで深くかかわってくることがないのに気を惹かれて、不思議な家庭環境の中で育っているその人のことが気になって仕方がない夢だった。
下手くそな文章だけれど、忘れないよう一生懸命書きなぐって残した最初の夢。あとは記憶の中で残していた夢の数々。
学校で夢を思い返しながらぼんやりし、ため息をついていると、好きな人がいるのかなんて聞かれたこともあったくらい、心惹かれる夢だった。
もちろん、好きな人がいるのかどうかについては首を横に振った。だって、夢でのことだったから。
そういえば、小学校の帰り道に助けてくれた子と好きな人の話をしていた時、誰よりも近くにいるなんていったこともあったな。あんまり恥ずかしいから夢だなんて言えなかったけれど。
そんなことを思い浮かべながら、夢に思いを馳せた。
小学生のころに続き、怖い夢を見ることもあったけれど、大半は楽しくてワクワクできて、自由を感じられる夢が多くて心が軽くなった。
いつからかある、自由への渇望、空への憧れ……。
風にのって空を飛ぶ夢、たくさんの海を泳ぐ夢、誰からも非難されず、たくさんのことに挑戦できて、のびのびと失敗し、工夫してもう一度挑戦する夢。
見守ってくれて、悩んで立ち止まったときにアドバイスをもらえたこともあって、とても楽しい夢ばかりだった。
現実でこうしてくれたらいいのに、こうだったらいいのに、こうしてみたい、ああしてみたいと思ったことが夢の中にたくさんあって、心の窮屈さから解放されて、目が覚めた時寂しくて、もっと夢を見ていたくなるような、そんな夢たち。
先輩にもたくさん夢の話をしたかったけれど、全く関係ない話だったし、頭がおかしいと思われたくなかった。
それに、夢の話をしなくとも、漫画やアニメ、ゲームの話だけで十分盛り上がって楽しかった。楽しくてあたたかかった。
会話がなくとも、手を狐に模して挨拶してくれたり、指で私の腕の上をとことこ歩いている人を模して遊んでくれているだけで十分幸せで楽しかった。
そして不意に、夢の話で思い出すことがある。
小学生の頃だったか、近所の文房具屋さんのあたりで、夢のような話をたくさんしてくれたおじさんがいた。
私以外にも同級生の子たちがそこにいて、おじさんの話に夢中になっていた。
後でそのうちの一人の子がおじさんに騙された! 嘘つかれた! 親に聞いたらそれは全部嘘だって言われた! なんていっていて、同じようにショックを受けたのを今でも思い出せる。
家で親にその出来事を話すと、おじさんは夢をもたせようと話をしてくれただけで嘘をついた訳じゃない。騙そうとして言ったんじゃないと説明してくれたことがあった。
じゃあ、嘘との違いは何か?
次に気になったのはそこだった。
親が言うには、騙そうとして、傷つけようとしてつくのが嘘、おじさんのは物語だ。
妙に納得できて腑に落ちる答えだった。それに、なんでもかんでも嘘呼ばわりは気に食わなかったから、親の話がすっと頭に入ってきて納得できた。
そうして、これは特別な物だ、歴史的な物だなんて言って、その辺のものをもってきてあれこれ言って遊んでいたみんなのことを思い浮かべた。
あれは嘘なのか、本気でそう思っていたのか、それとも違う何かなのか……。
どういうつもりだったのかなんて本人だけが知っていることだけれど、おじさんのことをあんな風に嘘つき呼ばわりしていたのに、自分たちはそうやって遊んでいるのが妙に腑に落ちなかった。
この遊びだけは楽しくなかった。やっちゃいけないことだと思いもした。
私が言った物語だけが嘘呼ばわりで、みんなが言った嘘は本当のような扱いで爪弾きにされたのもあったけれど、何よりしたら良くないことだと思ったし楽しくなかった。
楽しくないなら、ダメだと思うならやらなければいい。
その通りだと思ったから私だけ抜けて家で遊んだ思い出だった。
文化祭の劇が終わり、同学年だけでなく上の学年の人たちからも、私が演じた役のセリフの一部でたくさんいじられた。
廊下で見かけるたびにネタにされて話しかけることがたくさんあり、その都度笑顔で答えていると、先輩は怒ったように愛想よくしなくていいって言ってくれたけれど、それがどうしてなのかわからなかった。
「自分らでいじめておいてあんなこと言うなんて」
先輩はそれ以上は何も言わなかった。
気になって聞いてみても、「知らなくてもいいんだよ」といって教えてくれることはなかった。
セリフの一部を言ってというお願いに快く応じ、障害者呼ばわりされているのを何とも思わず流していたことを怒ってくれているのだろうか?
私はただ喜んでもらえるのが嬉しくてそうしていただけで、別に何呼ばわりされても気にしないし、障害者呼ばわりされたところで別に嫌な気分にもならないのにな。
なんにしても、今までそんな風に言ってくれる人、今まで一人もいなくって、私には理由も何もわからなかったけれど、嫌な気持ちにはならないのだけ確かだった。
先輩はとても不思議な人だった。もちろん、良い意味で。
今まで私が悪くて変わってるからたくさん意地悪されてきて、味方してくれる人なんていなくて、否定しかされてこなかったから、愛想を良くしていてそんな風に言われたことがなかったから、愛想を良くすることの何がいけないのかが理解できなかった。
もっと先輩のこと知りたかったし、仲良くなりたかったけれど、小学生の頃助けてくれた子がいじめられていたのを思うと、私と関わると一緒に嫌な思いをするんじゃないかとか、ちゃんと仲良くできないんじゃないかとか、たくさんの不安が付きまとって離れることはなかった。
もし、とっても怒らせてしまったら、もう話してくれなくなってしまうかもしれないのが一番怖くて、一定の距離を保ったまま歩み寄ることができなかった。
本当はもっと仲良くしたいけれど、先輩には他にも友達がいるし、私がいると迷惑をかけるかもしれない。先輩に嫌われるのだけは嫌だ。
妖怪の話をしていて、なんでも妖怪のせいにするね? なんて先生に言われていた時、先輩からも何かのせいにしてるなんて言われないか不安だったけれど、妖怪のせいにしてるわけじゃなくて、そういう妖怪の話をしているだけだなんて言って庇ってくれた。
いつ先輩から嫌われてしまうのかが怖かったけれど、私のことをよくわかってくれて大好きだった。その一方で、どうしてそんなに私のことがわかるのかをわからなかった。
先輩とネトゲがしたくて誘ったけれど、お金がないしpcがないと断られた。本当は一緒にネトゲしたいと言ってくれていて嬉しかった。
先輩はいつも自己卑下していて、私がそれを否定してたくさん褒めたら喜んでくれた。実際、先輩はとても素敵な人だったから、褒めるのに苦労はしなかったし、良いところがたくさんあって見つけるのがとても簡単だった。なにより、人を褒めるのが大好きだったから、喜んでもらえるのが大好きだったから、一緒にいて幸せだった。
先輩には他の人にはない良いところが山のようにあって、本人が気づいていないだけなのだと思っていたから、素直に思ったことを話していると喜んでもらえて私もとても嬉しくなってくるのだった。
アトピーを気にしている理由を聞いてみると、汚いって言いながら笑ってくる人がいると言っていて、すごく胸が痛かった。
汚いなんてことないし、どちらかというと肌が痛そうで代わりになれたらいいのになんて思うようなものだった。
目の前で悩んで苦しんでいるのに、そんな心ないことを言える人がいることもショックだったし、これを見て笑いながら汚いなんて言える神経がわからなかった。
肌がひび割れて血が出ていたし、乾燥しすぎているように見えていた。
とても痛そうだったのを鮮明に思い出せる。本人はそんなに痛くはないと言っていたけれど、見ているだけでこちらも痛くなってきたのを思い出せる。
私には何もないのだから、代われたら良いのにな。
何度もそんなことを思っていた。
先輩じゃなくて私が代わりになっていたら良かったのに。
私が代わりにアトピーだったらなんていうと、そんなこと言うもんじゃないと言って叱ってくれて、心の底から尊敬できて、仲良くしてもらえること自体が不思議でならなかった。
他にも、辛い物を食べすぎた日々の中で、餃子を食べて目を回して苦しかった話を笑い話として話していると、笑うどころか心配してくれたりして、心優しくて、人の不幸を笑ったりしないような人だった。
どうして私なんかと仲良くなってくれたのだろうか?
嬉しくてたまらなくて、得難い立派な人だと感じられる反面、疑問ばかりが浮かんできていた。
どうして私と仲良く?
嬉しいけれど不安だった。
私のこと大嫌いになって、仲良くするんじゃなかったなんて言われる日が来てしまって、いつか突き放されてしまう日がくるのだろうか?
不安だった。楽しくて嬉しくて幸せな反面、いつか別れるその日が不安でたまらなかった。
不安から逃げるように、いつかずっとそばにいてくれて、同じように夢が大好きで、同じように夢の話をできる誰かと仲良くなりたいと思うようになった。そんな人いないかもしれないけれど。
小学生の時、たまたま人とかぶっているだけ、同じだっただけで真似しているとか、パクっているなんて言われたことがあった。
ただの偶然だったし真似したわけじゃないのに、責められるのはいつも私だった。
中学生になって、人とかぶっていただけで嫌がられたり、パクってるとか真似してるとか言われて本当に嫌だった。
それに、全然似てないし一緒にしないでほしい人から一緒だとか似てるとか言われて心底嫌だった。
でも、先輩が似ているなんて言ってくれて、先輩の家に連れて行ってもらえたときも親御さんから似ているって言ってもらえて、嫌な気分ではなかった。むしろ先輩と似てるなんて言ってもらえて嬉しかったけれど、責められてきたことや助けてくれた子が受けてきた仕打ちを思うと不安な気持ちになった。
先輩と似ているっていってもらえることは本当に嬉しかったけれど、どこが似ているのかがさっぱりわからなかった。先輩とだったら似ているって言われて嫌な気なんてしなかった。
全然似てない。
それが素直に思ったことだった。意地を張ったり嫌だと思ったりしたわけではなく、本当にどこが似ているのかわからなかった。
先輩は私と違って友達がいて、二個上の先輩たちから大事にされていて、いつもニコニコしていて絵が上手で……とてもかわいいし、私と違って細い。
私にはどこが似ているのかが本当にわからなかった。
よりによって、先輩が卒業しちゃってからあんなことがあったけれど、夢はとても心地よくて、寝るのがやっぱり大好きで、学校では全員が敵で息苦しい生活だったけれど、卒業まで一年だから、たった一年我慢すればいいんだと言い聞かせて何とか乗り越えることができた。
ただ上手にできなかった、気づくことができなかっただけでどうしてあんなにみんな冷たくなったのか理解できなくて、理不尽な仕打ちに苦しみながら暮らしていたけれど、それもようやく終わるんだ。
高校生からはきっと楽しく暮らせるから。
そんなことをまさしく夢に思い描き、ようやく終わる中学生活に安堵していたけれど、高校の入学準備が大変だったようで、親がヒステリックになりながら精神的にしんどい中で準備が終わった。
たくさんのあたたかくて楽しい夢を見て、現実でも楽しい学生生活を夢見て、新しい高校生活がこれから始まるんだと夢を描いた。
親に携帯を用意してもらえて、いろいろな人にメールアドレスを聞いてもらえて、なんだかすごく楽しくなる予感がしていてはしゃいでいた。
先輩ともメールアドレスを交換したいけれど、どうやって交換しようか。家は知ってるけれど、いきなり押しかけられても困るだろうし。
先輩が通っている学校と家の間に私の家があるから、もしかしたら会えるかもしれない。会えたらそのときに勇気を出してみよう。
そんなあれこれを考え、不安な気持ちを抱えながらの入学式。
入学式で昔のことはなしにして、一から新しく学生生活をしましょうという言葉がなんだか気分を楽にしてもらえて、もういじめられずにすむかもしれないという希望にできた。
私自身、中学生活最後のことが不安で、高校になってからもあんな風に孤独な学校生活を送るのかと思っていたけれど、この言葉のおかげで心がふんわりと軽くなれた。
入学式が終わって教室に戻ると、助けてくれた子の悪口を早速言おうとしている人がいた。
話を聞いていなかったのか、ただの性悪で言ったのか、やっぱり目上の人に言われた程度じゃ上手くいきっこないことの証明で、これからもいじめが続くのかわからなかったけれど、とにかく気分が悪くてたまらなかった。
気分が悪いけれど、相手にしないよう、気にしないようにした。中学の時と同じで。
どうせ、また同じようにずるずる引きずって悪口や陰口を言われ続けるんだろう。もしかしたら中学最後の一年みたいに、みんなから冷たい目を向けられるのかな。
ちょっとあきらめにも似た気持ちがあったけれど、そんなことは全くなく、周りの人も、悪口を言って盛り上がろうなんてことは全然なくて、この学校は今までと違うかもしれないなんて希望が少しだけ芽生えてくるのを感じた。
きっと良い思い出が作れる。
まず最初に感動したのが、学年ごとに使って良いトイレというのがないということ。
言っている意味が分からないと言われるかもしれないけれど、小学生の時も、中学生の時も、このトイレは「何年生が使って良いトイレ」という区分があったらしく、近くのトイレに入ろうとしたら怒られたことがあったから感動したことだった。
そういえば中学生の時、先輩にここのトイレは使ってもいいのか聞いたとき、固まった後しばらく黙ってから「気にしなくていいんだよ」なんて言ってくれてたっけか。
あれはもしかすると私にだけ言われていたことだったのかなんて、この時初めて気づかされもした。
私が高校の時にそうやって質問して、不思議がる人を前にして気づいたことでもあった。
そんなちょっとしたことが、私にとってはとても自由な気持ちになれる出来事で、使ってもいいトイレって何? なんて言われて驚かれてしまったけれど、私の中にあった不自由の一つがなくなった大きな解放の出来事だった。
最初に体操服へ着替えるとき、中学最後の方でお願いされたから仲良くなった子と行動していたけれど、私が着替えるの恥ずかしがっていたこと、人目を気にして素早く着替えられなかったこと、端っこで縮こまりながら着替えていたこと等があって、一番遅くに着替え終わり、教室へ戻ることがあった。
一緒にいた子は焦っているのか、いらだった様子だった。置いていくよとも言っていた。
申し訳なく思いながら自分なりに急いで着替えたけれども、それでも一番最後だったし、最後に教室へ戻るのは目立つし恥ずかしい気持ちもわかるからただただ申し訳なかった。
文武両道を掲げる学校で、部活と勉強を両立させなければならず、中学生の時にあったら入りたいと思っていたけれど、存在しなかった部活へ入ることにした。
けれど、複数ある体育館のうちどこでやっているのかわからない名前のところでやっているようだったので、入部するのには数日かかった。
部活のことだけでなく、周りの人は知っているけれど私は知らないことがたくさんあった。
数学の答え合わせで答えがどこにあるのかわからなかったし、他にもいろいろわからないことがたくさんあった。
話を聞けてなかったのかなと思いながら、一生懸命勉強についていこうとしていた。
中学生の時には特に頑張らなくても勉強に苦しんだりしなかったけれど、高校では全然違った。
わからないことの連続で、課題が山ほど出され、部活では今までずっと痛いのが当たり前になっていた足がもっと痛くなって、人魚姫で足の痛みを剣の上を歩いているような痛みと形容されていたその痛みがわかる気がする、なんて思いながら必死についていこうとしていた。部活と電車で家に帰るのがとても遅い上にくたくたで帰ったら起きていられなかった。
周りの人は平然と課題をこなしているように見えるし、部活でもみんな元気そうで、このままじゃ置いていかれる危機感しかなかった。
できてないのが自分だけのように見えていた。
初めて見る数式、初めて見るもののオンパレード、でも周りの人はシャカシャカと勉強している音がする。
え、授業で聞いてないのにわかるの?
自分一人だけがわかっていないような雰囲気で物凄く焦った。
ネトゲで知り合った人がメアドを知りたがってくれて、友達になれるという喜びがあったけれど、その期待は大外れで、ちょっと嫌な目に遭っている時期でもあった。
寝不足と持たない体力とで課題はずっと置いてけぼり。英語の翻訳も間に合わなくて全部手が回りきってなくて、課題の消化を追いつかせるのに必死だった。
提出する課題を優先させると、英語の翻訳が全然進まなくてずっと遅れっぱなしでとにかく必死。
こんなんじゃこの先ちゃんと授業についていけっこない。絶対無理!
焦りと不安と、自分が平均以下で何もできない無力さとを思い知りながら、とにかく必死で頑張った。
英語も国語も、もちろん、いや、私にとっては当たり前なことに社会はちんぷんかんぷん、得意なはずの理数も少し危うい。
それでもやはり得意なものは得意なようで、理数は頭を悩ませつまずきながらなんとか持ち直していった。
クラスでは、どういうわけか私が歩こうとした先にぶつかるようにして歩いてくる子がいて、それを見て笑って、そのぶつかりに来る子といつも話している人がいた。
毎回譲って愛想良く声をかけていたけれど、それを無視して通りすぎていき、自分の席に着けばケラケラ笑いあって話しているから見ていてあんまり気分が良くなかった。
私が何をしたわけでもなく、どうして意地悪されるのかわからなかった。
他にも、中学生のときに優しく接してくれていたのに、高校に入ってから鬼のような形相でこちらを見てくるようになった子がいた。
周りの子が表情について笑いながら指摘していたけど、その子はお構い無し。
オリエンテーションのときはみんな普通に話してくれたんだけど、そのとき何か嫌なことしちゃったんだろうか? 私が不細工だから? 中学生のときにキモいといわれ続けてきたからその何かだろうか?
唐突に態度が変わったように思ったからそんなことを考えながら学生生活を送っていた。
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