夢魔

木野恵

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発見

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 嫌なやつになるといっても、周りに気遣いするのを、親切にするのをやめただけで、特に何か悪いことをしたわけでもなんでもなかった。

 手を差し伸べるのをやめた、親切にするのをやめた、困ってる人を見ても気づかないふりをしただけだった。

 そんな振る舞いは関係なく、まるで人殺しでもしたかのように軽蔑されてきたけれど、私はなにも悪いことなんてしてない。

 ただ誤解され続けてきただけだった。

 よくもまあ、人から聞いた話だけでそこまで強烈に怒れるよな。

 部活でみんなに話すと言っていた人がいて、実際その通りにみんな私を避けるようになっていたから思ったことだった。

 その上、言ってもないことを言ったと、言葉をねじ曲げて話してそれを鵜呑みにして嫌悪されていて、呆れるしかなかった。

 勉強できることと賢いかどうかなんて関係ないんだなと思わされた。見下したかったわけではないけれど、必然とそう思わざるを得なかった。

 自分の優しさや思いやりが腐らないよう、心を凍りつかせて守る他になかった。そうするしかなかった。まともに相手をしていると、きっと壊れるし本当に嫌なやつになる。

 自分たちが正義であるかのように振る舞っているのを見るのも聞くのも気持ち悪くてしかたがなかった。

 私の目にうつるそれらはただの自慰行為でしかなかった。

 自分たちは正しいと主張しながら、悪いやつはいじめられて当然だ。お前は悪いことをしたんだろ? だから暴言を吐かれて意地悪されて当然なんだ! そんなスタンスで私に嫌がらせをしているそいつらはひどくちっぽけに見えた。

 果たして本当に私は悪なのか? 正しいこととは、正義とは、暴力を振るう免罪符なのだろうか?

 正義が何かわからなくなった。もしこれが正義なら私は悪で良いとさえ思った。暴力を正当化するための正義なんてなくていいし、一緒にされたくなんてなかった。

 みんながやっているのは暴力だ、正義じゃない。正当な理由を見つけて自分が気分良く暴力を振るえるようにしているだけで、正義なんかじゃないって信じたかった。暴力は暴力だ。どんな理由があっても暴力に変わりない。

 噂話に疑問をもっている様子もなく、頭ごなしに暴言を吐きながらも楽しそうに笑っているそいつらの顔は、鳴き声をあげて縄張りを主張しているときの猿そのものだった。

 私の目にはとても人間の顔には映らなかった。醜くて見るに堪えなかった。口も鼻も目も醜く歪んでいるのに楽しそうにしていて、鏡で自分の顔を見てほしいと思った。

 どうして人から話を聞いたってだけでそこまでできるんだろうか。

 不思議でならなかった。

 そのうち、絶対やってるとか、やってないと思うとか、具体的に何を? と聞きたくなるような言葉をよく聞くようになった。

 いったいなんの話なんだろう?

 わからなかった。わからないなら関係ないし、心当たりがない。そうは思いつつ、私が通りがかるたびにそういう話が聞こえてきたから、どうせまた私についてあることないこと勝手に話しているんだろう。そんなことを思わされた。

 学校ではただ知識を吸収し、能力をあげていくためだけに心に蓋をして過ごし、家でも心を休めることはなく課題をこなしてすごしていた。

 空いた時間でゲームをする気もなかった。弟もきっと敵だと思っていたし、弟がいろいろな人に私にまつわる知らない話をしていたらネトゲにも居場所はないだろう。

 だから、誰にも秘密にしてるブログで人と交流し、紙の小説に飽き足らずネットの小説も読み漁って過ごしていた。というのも、紙の小説は買ったものを読み切ってしまって新しく読むものがなかったからでもある。

 また布団の中しか、夢しか居場所がなかったけれど、夢のことも信じていなかったから、寝る時間は短かったし、朝早くに起きて何かしていた。

 それでも、夢を見ないことなんてなかった。

 夢の中ではどこも痛くないし、風に乗って自由に飛べることもあって楽しかった。

 体が軽くて、気分も軽くて、自分を含めた誰のことも気にしなくて済んだ。

 なんて居心地がいいんだろう。

 夢の中が心地よければ心地よいほど、目が覚めた時の苦痛は増していくばかりだった。

 いっそ殺してくれ。

 たまにそんなことを思いながら寝起きの苦痛に苛まれる朝もあった。

 でも、もし死んだらあいつらが喜びながら話しているだろうことを思うと死ぬに死ねなかった。そんなんじゃ悔しいし、何より約束を守りたい。

 憎い、憎い、憎い。

 憎いけどどうしようもない。ここで暴力に出れば同じ程度の低さまで自分が下がる。かといって辛いものは辛いし、嫌がらせされて腹が立たないわけでもない。

 いつかこいつらが痛い目に遭うことを、報いを受けることを願い、信じなければやっていけなかった。

 悲しみも喜びも楽しい気持ちも怒りも何もかも、感情に蓋をしてなければ狂ってしまいそうだったからそうした。

 心に蓋をする、凍らせる、気持ちを隠す。

 精神的な修行だと思えば少しだけ楽しかった。

 魂の修行、心の修行、目標に向かうための集中力とコントロールの修行。

 表に出さないよう、気にしないようにしてきたけれどなにも感じないわけじゃなかった。

 腹立つものは腹が立つ、悲しいものは悲しい、悔しいことは悔しい。

 誰に言っても無駄だから、感情表現しても意味がないから、ひたすら隠して、表現できる場所では存分に表現した。

 読み返したら元気になれるように楽しいことばかりかいていたけれど、耐えきれずにネガティブな気持ちを書いたりもした。

 そうして過ごしていると、小さなことでものすごく幸せな気持ちになれた。ちょっとしたことから楽しみを見出だして、苦しいときもポジティブな考えとアイディアが浮かぶようになった。

 あまり良くないことは、ちょっとしたことで文句を言ったり辛そうにしている人を見たときに、腹が立つようになったことだった。

 人にこんな仕打ちしといて、なに弱音吐いてるんだ? 同じ目に遭わせてやろうか? その程度で音をあげるくらい弱いくせに、自分が耐えられないような仕打ちを人にすんなよ。自分がやってること棚に上げてんじゃねえよ。なんてことを自然と思うようになった。

 良くない考えだと思っていたけれど、腸が煮えくり返ってしかたがなかった。

 みんな自分がしていることを棚にあげて、自分が辛くないことが当たり前で、人が悲鳴をあげていたらうるさいというくせに、ほんのちょっとしたことで大袈裟に騒ぐ。

 そうか、みんな弱いんだ。

 自然とそう思うようになった。

 私は強いからこんな目に遭ってるんだ。

 ダメな考えだとわかっていたけれど、周りの人間の振る舞いを見ていてそう思わずにいられなかった。

 みんなはよくて私はダメなことばかりで、褒めたら嫌な顔をされるし変な反応をされるから褒めるのもやめた。

 別に良い。関わらなければ良い。

 そのうち、私が気を遣おうが遣わなかろうが、どのみち私はみんなにとって嫌なやつにしか映ってないことに気がつかされた。

 すごく今更なことだった。

 いるだけで迷惑なんて聞こえてきて、なんで生きてるの? なんて言われてるのが聞こえて、気を遣って優しくしててもしてなくても同じなことがわかったから、自分のことだけに集中することも、気を遣わないことへの罪悪感もなくなっていった。



 そんな学校では本だけが心の拠り所だった。

 本を読めば辛くないし、心が豊かでいられた。周りの雑音を遮断しやすくて、心を閉じ込めておくのに最適だった。

 綺麗な内容、素敵な内容、怖い内容、不思議でミステリアスな内容、どれも心から楽しめて、自分の感性を腐らせずに読むことができて、自分の心を守りながら養える場所だった。



 そんなある日の部活で、みんながお菓子を配っているのを見かけたことがあった。

 バレンタインのお菓子だと言っていて、今まで無関心だったバレンタインとホワイトデーの日付を知るきっかけになった。

 私にはなくて当然だと思っていたから、お菓子をもらえたときはものすごく驚かされた。

 お礼になにか作らないと。

 そういうイベントとは縁がなかったから、何をどのくらい作れば良いのかわからなかった。

 親に相談すると、親も何を用意すれば良いかわからないようで、ブラウニーとパウンドケーキを一緒に作ってくれるということだった。

 ものすごく美味しそうなブラウニーとパウンドケーキを女子部員分作り終わる頃には24時近くになっていた。厳密にいえば23時45分頃だった。焼きあがるのをみながら時計を見た時の時計は23時30分だったのも思い出せる。

 喜んでもらえるか楽しみにしながら用意した包装に包み、学校へ大事にもっていった。

 嬉しそうな反応をする人もいれば、微妙な反応をする人もいた。

 気にしない。私はお返しを用意しただけ。貸し借りはこれでなしだ。

 そう思いながらその場をあとにすると、後ろからボソッとなにかいっているのが聞こえた。

 それも気にしないようにした。その人の品性がよく現れているだけだから。



 寒さが深まり、準備運動が足りなかったのか足をひどく捻ったことがあった。

 痛くて思わず涙が出たし、それからしばらく足を引きずって歩くくらいにはひどい捻りかたをしていた。



 病院へ行けるときに病院へ行くと、中学生の頃冷たくしてしまった先輩がいた。

 みてみぬふり、気づかないふりをした。

 向こうも気づいているようで、キモいなんて言っているのが聞こえてきた。

 冷たくしたから当然だと自分に言い聞かせてあんまり関わらないようにした。そこにいるだけで嫌がられているのだろうから。

 病院でサポーターと湿布をもらい、しばらく親に学校へ送っていってもらうことになった。



 それでも、痛いのを我慢すれば走れた。

 痛いのには多少なれていたから我慢するのは得意だったけれど、競技をするには足首を酷使するからさすがに無理だった。

 じゃあ、できることを頑張ろう。

 素振りをしたり、できることをできる範囲で頑張っていると、珍しく運動部の先輩の一人が声をかけてくれた。

 足が痛いのに左右に動くように打ってきて、ちゃんとできなかったら怒られた上にやる気ある? なんて言われた。

 コートから出ると、できないならくんなと苛立った様子で他の先輩二人と話していた。

 珍しいなと思ったらただの嫌がらせだったらしい。程度が知れてるな。

 もちろん、口には出さずに心の中で思ったことだった。

 そのうち、人を見るのが嫌になって、うんざりしてきた。

 正直なところ、人間に疲れてきていた。

 服を着た猿が歩いている。

 そのうち疲れすぎてそんなことを思うようになった自分に嫌気がさして、意識的に人をみないように頑張った。

 綺麗な山、綺麗な空、綺麗な川、真っ白な雲、日差しを受けて輝く植物のまばゆい緑、色とりどりの綺麗な花弁。

 自然の美しさに目を向け、思いを馳せていると心が洗われた。

 薄汚れて腐りそうだった心が綺麗に浄化されていくような心地よさがあって、心に気持ちのよい風が吹き込んできたようで、気分が晴れやかだった。

 自然はこんなにも綺麗だ。

 目だけでなく、耳や鼻、肌でも自然を感じた。

 日差しは痛くて疲れるけれど、あたたかい。

 風は季節によって涼しくて心地よい。時には熱風で、時には身を裂くような鋭く冷たい風。

 それだけじゃない。

 風は向かい風となって進むのを困難にすることもあれば、追い風になってどんどん進むのを応援してくれもした。

 風がとても好きだ。

 自由を感じられて、色々な側面がある。心もスッと落ち着かせることができて、何て心地よいのか。

 どんな風も好きだ。

 夢の中でも、よく風を感じられた。夢も風も大好きでたまらなかった。

 風に乗って花の香り、緑の香り、雨の香り、川の香り、水道水の香りが漂ってくるのも楽しんだ。

 私も乗せてどこかへ運んでくれたらと願ってしまうほど魅力的な風。

 夜と明け方しか見られない月も大好きだ。神秘的で、痛くなくて、夜を優しく照らす光。

 見つめていると心が穏やかになれた。思わず手を伸ばしてしまうくらい綺麗な月。

 猫や鳥も魚も、人でなければどんな動物もみていて癒された。

 そこには邪悪な何かがなくて、みていて純粋な気持ちになれて、そこでめいっぱい生きている動物たちは輝いて見えた。

 命の力強さ、美しさを感じられて大好きだ。



 自然の中にある大好きなものが私の心を優しいままでいさせてくれて、腐らせないでいてくれて、人を見たときに感じる嫌な考えから遠ざけてくれた。

 本当は人に対する嫌な考えなんて浮かべたくなかったから、心の中から、意識の中から、視界の中から人を消した。

 でもどうしようもなく視界に入り込んできて、嫌な考えが浮かんできて、コントロールできなくて、遠ざかるしか対処法が浮かばなかった。

 私を人への嫌な感情から遠ざけて守ってくれたものが自然と動物たちだった。

 嫌なら関わらなければ良いし考えなければ良い。視界にいれなければ良い。

 そうやってただ避けるだけでは上手くいかなかったから、入り込む余地がないくらい大好きな別のなにかで心の中を埋めつくして、心の中から嫌な物を閉め出した。

 心の領域を割いてやる必要はないし、場所を与えるのも癪だった。

 嫌なことは全部放り出し、綺麗な気持ちでいられるように大好きなもので満たす。素晴らしい考えじゃないだろうか?

 そうして自分の世界を守っていた。守り続けてきた。



 進路の話の時、ある先生が自閉症と関わるなら薬を勉強するより福祉に進んだ方が良いと話していた。それに、薬では自閉症は治らないし、接し方で軽くしていけるとのことだった。

 担任の先生も、この先生は福祉に携わったことがあって自閉症に詳しいとのことだった。

 調べても私がしたい方向の道があんまりよくわからなかったし、経験者の言うことならと助言を素直に聞くことにした。

 担任の先生は理系に進んで欲しそうにしていたし残念そうにしていたけれど、私はネットでできた友達との約束を守りたかったから福祉を選ぶことにした。

 当時、福祉に関する認識も薄くて、調べてもいまいちぴんとこなくて、福祉がなにかわからないまま選んだ道だった。



 合唱祭の時期になり、クラスのみんなが歌うのに協力しない中、課題曲を練習していると、歌いすぎたのか喉が痛くて声がガラガラになった。咳はいつも出ていたからいつも通りだと思っていた。

 歌を練習しすぎたのだと思っていた。

 歌い疲れて体がしんどいんだと思いながら部活へ行くと、女子が一人もいなくて驚かされた。

 一人でどう練習するんだろう。

 いつも一人だったから壁打ちしたり筋トレしたりフットワーク……一人でやれることを考えながら、男子の先輩たちといつものランニングや走り込み等をした。

 この日は、興味があった先輩が親切にしてくれた日でもあった。

 嫌われてると思ってたし憎まれてるだろうとか思っていたし、その先輩を好きだって言ってる女の子と良い感じなのかと思っていたから、どういうつもりなのかがわからなかった。

 それとは関係なく、やっぱりこの先輩は優しくて良い人なんだなと思った。そう考えたら、怒られたり憎まれたり嫌がらせされても仕方がないと思った。

 私は残念ながら誰からも良いやつだとか優しいとか、親切だとか思ってもらえてなかったけれど、この先輩にはその優しさが報われてほしいと思った。

 自分には得られなかったものだったから。

 だから、あんまり関わらないようにした。私と関わるとろくな目に遭わないし嫌な目に遭うから。



 後日、あんまり体がしんどい上に声がかすれて出なくなったので、熱を測ってみたら38度もあった。

 嫌な予感がしながら親に連れられて病院へ行くとインフルエンザだった。人生初の。

 ただ少ししんどいだけだったし、咳なんていつも出ている。歌いすぎて声が枯れてると思ったから心底びっくりした。

 びっくりしただけでなく、先日部活で親切にしてもらったのに、インフルエンザの菌を持っていってしまっていたのもあって、すごくショックで落ち込んだ。

 あんなに一生懸命歌を練習していたのに、結局合唱祭には出られなかった。

 担任の先生が観に来るだけでもどう? 高校生活で二回しかないイベントだよって提案してくれたけれど、インフルだし、これ以上撒き散らすのは嫌だったから断った。

 休み明け、部活に顔を出すと案の定怒っているのが聞こえてきた。当然だった。

 本当に悪いことをしたと思っていたし、あれこれ言われても仕方ないと思っていた。

 生きていて本当になにもかも上手くいかない、何しても悪者にしかされないのがすごくしんどかったけれど、今回のは気づけたかもしれないのに防げなかったことだから本当に深く反省していた。

 ちょっとおかしいと思ったら熱を測るべきだな。

 それ以来、ちょっと調子が悪かったらすぐ熱を測るようにした。

 でも、何も知らない周りの人はすぐ熱を測るとか言って笑って、休みたいだけだとか、体が弱いとか、やる気がないからずる休みしようとしているとか思い思いの言いがかりをつけてきた。

 そう映っても仕方がないだろうな。知らねえなら勝手な憶測で物を言ってないで黙ってろ。

 仕方がないと相手を許容する気持ちと、うるさいから知ったような口利いてないで黙ってろという気持ちが芽生えていた。

 そんな気持ちはおいておいて、インフルエンザが治ってからも声はなかなかでなかった。

 掠れて空気の音しか出なかった喉が、そのうち夢に出てきたある芸人さんの漢声のような声になって、喉が痛いけれど純粋に自分の声を楽しんだ。

 物真似をすると吹き出しながら笑ってもらえもして、心の底から楽しむことができた。

 のどが痛くて何も食べれないでいたけれど、梅干し茶漬けは食べることができたし、喉がちょっと楽になれて大好きになった。

 それ以来、風邪やそれに類する病気になったら梅干し茶漬けが私の中で定番の食べ物になった。

 しばらくすると、声がハスキーでかっこいいと言ってもらえるくらいまで喉が治った。

 この時の自分の声は良くかっこいいって言ってもらえて一番好きだった。

 私は可愛いと言われるより格好良いと言ってもらえる方が嬉しいのだと気づけた瞬間でもある。

 気づけたのはそれだけじゃなかった。

 好かれていると、大事にされていると、嫌われたときショックだし、悪いと言われるようなことをわざとじゃなくてもしちゃったら申し訳なくなるけれど、最初から嫌われていたら、全員が敵だったら、そういう世間体を気にせずに済んでのびのびできることに気づきもした。

 何したって悪者なら自分のしたいように、好奇心のままに行動ができるし、気になったことを自由に試せる。

 失敗しながら、意味がわからないまま嫌われながら、意味が分かる部分でも嫌われながら、高校二年生になる年へと季節も時間も移り変わって流れていった。
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