夢魔

木野恵

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孤独

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 一年生の冬、これから先の学生生活に絶望と不安を覚えながら、心を強くもって、集中力をコントロールできるよう意識しながら生きてきた。

 高校二年生になり、一年生の頃よりも過ごしやすさを感じつつ、気を緩めるべきではないと思いながら何だかんだ楽しんで過ごせた。

 17の誕生日を迎える日には皆既日食があって、なんだか特別な誕生日を味わえたっけ。

 本当に色々なことがあった。漫画を貸した相手の子が、部活の文化祭でポストカードにそのキャラクターの絵を描いていて、500円で買えたのも懐かしい。

 部活の先輩があとから来てすごく悔しそうにしていて、とても気まずくもあったな。



 そんな楽しい日々も、咳が酷くなってからは終わりを告げた。

 トイレに籠りがちになったあとはカウンセリングを受けさせられたけれど、受ける理由もなにを話せば良いかもなにもわからなくて、多分お互い困った思い出がある。少なくとも私はなにを話せばいいのかわからなくて困った。

 でも、すごく話しやすい人だった。

 私がメッシュの髪が好きだからか、前髪のメッシュが凄く印象に残る人だった。

 話したいことがあったら話すよう言われたけれど、なにを話すべきなのかわからなかったから、それっきり受けることはなかった。



 携帯の電源をオフにしていたのに授業中に音が鳴ってしまい、素直に差し出したらがっかりしたとか残念だとか廊下で言われ、携帯を没収されたこともあった。

 期待とかいらないと思った。

 そもそも何しても悪者にしかなれないし、何しても空回りで人からの信用も信頼もなくなることばかりだ。

 担任の先生が携帯を預かり、あとになって返してくれたけれど、朝早くにいきなりアラームが鳴ってビックリしたと言われた。

 電源切ってなかったのかな?

 そんなことを思いつつ、先生が携帯を返してくれるときに、電源切ったからもうならないはずと言っていたけれど、更衣室の前で携帯が鳴った。

 それでなんとなく原因を確信して、家で実験をしてみた。もしや勝手に電源がついているのではないか?

 朝起きて、一回目のアラームを切ったあとに電源をオフにしたあと、二回目のアラームが鳴る時に自動で電源がついていることを確認することが出来た。新発見だった。

 だから鳴ってたのか。

 いろいろなことに納得がいって、対策をたてる考えが浮かんだ発見だった。

 新しい発見に嬉々としながら、仲良くするようお願いされた子に話すと、どうしても話が愚痴を言っている方向にしかいかなくてモヤモヤした。

 おまけに、携帯の設定でどうにかなるといって譲らないから、ためしに触ってみれば良いと言って渡したけれどわからなかったようだ。

 さすがに、原因を見つけたときに既に調べて試してあるし、話していて楽しくなる方へいかない子だったから、話題を切るには良いと思った。

 その子とは好きなアニメや漫画の話はよくできても、普段の会話はだるそうにしていて、いまいち噛み合わなかった。噛み合わないどころか話がどんどん愚痴を言ってるような方へと運ばれていく。

 それだけではない。漢字検定でノートに文字を書いて勉強したり、いつも本を読んでいる時間に参考書を使って勉強して合格することができたけれど、その子にかけられたのは心ない言葉だった。

「なんで私は落ちてそっちは合格したの? 私の方が頑張って勉強してたのに。ひとつも頑張ってないくせに」

 前から薄々思っていたけれど、頼まれたからつるんでいるだけだし、楽しそうに誰かと話し出したとたん横から話をくすねていくし、この人はどうしても友達なんて呼べないし呼びたくなかった。

 それに、どっちの方が頑張ってたとか比べられるものでもないだろうに、そんなこと言われて凄く嫌な気持ちになった。お前が私のなにを知っているんだ。

 頑張っているのに頑張っていないと言われるのがとても癪に障った。

 それだけでなく、うっすら見下されているような、小馬鹿にされているような感じがしていたけれど、この言葉に本音が全て集約されているとすら思えた。

 寝ててノートが取れなかったから見せてと言われて見せることはあれど、私が咳で授業を抜けても、その子は寝ててノートを取れてないと言って見せてくれないし、凄くモヤモヤした気持ちにしかならなかった。

 友達ってなんだろう?

 中学生のときに抱いていた疑問が再び頭に浮かんできた。

 別に、役に立つ必要はないし、お返しを求めて何かしてる訳じゃないから返す義務もなにもない。人それぞれ出来ることも得意なことも違う。でも……この気持ちはなんだろう? この嫌な気持ちは一体なんだろう?

 何かしてほしい訳じゃなかったけど、一方的に搾取され続けてるようにしか感じられないし、少なくとも友達と言いたくないし思いたくない。少なくとも友達でないことだけは、はっきりしていた。



 登校途中で挨拶してくれて、よく話をするようになった人がいた。

 ガンで先が長くないと話している人で、レモンバームをおすそ分けしてくれた。

 すごく嬉しい出来事だったけれど、このままじゃ枯れてしまうだろう。

 学校で花瓶を借りられないか聞いてみると、快く貸してもらえた。

 茶色くて小さく、口も小さな花瓶だった。

 古典の先生がポチと名付けてくれて、たった一日だったけれどとても愛着の湧く花瓶だった。

 次の日、返すために花瓶を持っていき、HRが終わった時だった。

 机の中から手に持とうとしたとき、掴むのに失敗してそのまま落ちて割れてしまったのだ。

 前の席の人は関係ないのに謝ってきた。関係ないと言っているのに、何度も。

 それを見聞きした周りの人はかわいそうだと言っていた。

 ああ、またか。

 そうやって、自分のせいで花瓶が割れたと思い込んで謝ることで、私が責めているように見えるよう仕向けているんだ。

 思い込みだと思いつつ、いつも私が悪者扱いされてきたし、周りの人間が私の味方になることなんてないからそうとしか思えなかった。

 職員室に割れた花瓶を持って謝りに行った。弁償するとも。

 でも、貸し出した先生は笑って許してくれた。

 笑って許してもらえたけれど、私は自分が許せなかった。

 もっと気をつけていたら、どうしてあんなとこにいれたのか、直前まで鞄に入れていたら良かったのに。

 そんなことばかりを考えていた。



 祖父母との関係は高校生のこの頃には考えたくないほど最悪なものになっていた。

 あれは小学生の高学年でのことだった。

 父方の曾祖母が亡くなり、意地悪されてたはずの弟はショックを受けて寝込んだ。

 私は残念に思う気持ちがありつつも、弟がもう嫌な気持ちにならずにすむと思って少しだけ安心した。

 だから、弟がどうして寝込んでいるのかわからなかった。

 私には人の気持ちがわからない。

 もう意地悪なんてされないのにどうしてショックを?

 そんなことを思いながらお葬式やらなにやらに出ていた。

 それ以来、父方の祖父母は遊びに行くと喜んでくれて、遊びに行くのも楽しくて、すごく気楽になったけれど、それは私の思い違いだったらしい。

 祖父母が優しいのは、父親の妹一家が遊びに来ていない間だけだったようだ。

 それでも、祖父は私が石を見たがると喜んでくれてなんだか楽しいのは変わらないはずだった。

 中学生のときに迎えたお正月でのことだった。

 なぜかやたらと祖父が胸元を見てきて凄く嫌な気持ちになった。

 胸が大きくなるのを気にしていて、ずっと大きくならないでいてほしくて、ちぎって取りたいくらいには嫌だったから、すごくショックな出来事だった。

 母親は態度の違いや扱いの違いに腹を立てながらも、行事やすることはしっかりこなしていた。それを見てもっと嫌な気持ちになった。それがどういう気持ちかわからないけれど、すごく嫌だと思った。

 母方の祖父母も嫌いというより苦手だった。

 性別で決めつけていろいろ言われたり、従兄弟と一緒に楽しく遊んでいるのに、やはり性別であれやこれや言われて凄く嫌だった。

 性別だけじゃなく、私がこういう子だからこんなことしないなんていって、祖母の理想を押し付けて、私の心の自由を奪っているようなところが凄く嫌だった。

 従兄弟と祖母の関係もあまりよくなく、いつも怒鳴って喧嘩していて、無理に話しかけたりしなくて良いだろうに、祖母は何度も叱っていた。

 無理に関わらなければ良いのにな。

 喧嘩を見ていて思ったことだった。

 高校生になる頃には、祖母の様子がおかしくなった。

 従兄弟のことが顔を見てもわからなくなって、どういうわけか私のことは顔を見たら認識して気づいていた。

 あまり良い気はしなかった。

 今までのことから、祖母が見てきたのは私じゃなくて、祖母にとっての理想である私だと思っていたから。

 私を私としてみていて、気づいて話しかけてくれてるのか、なにもわからなかった。わからなかった。



 部活で頭の上だけ坊主にされてた男の先輩がいて、少し怖いな、いじめかなと思いつつ、周りの人にいじめなのかな? なんて言って気にしていると、気にしなくて良いとか知らない方が良いと言われてもっと怖くなることがあった。

 私は本当に人と一緒に学校生活を過ごしているのだろうか?

 わからなかった。



 高校三年生になるまで本当にいろいろなことがあった。

 嫌なことが大半を占めていたけれど、楽しいことだってもちろんあった。

 体育館の倉庫に窓から入ったとき、実は懐かしい思い出を回想できて楽しくもあった。

 筋を傷めて残念ではあったけれど、小さい頃、家のベランダにある窓からよく出入りして遊んでいた懐かしい思い出があるくらいには好きなことだった。誰も知らない私の得意で大好きなこと。

 階段から飛び降りることもそうだけれど、なんだかそういうこと、忍者や泥棒のようなことが好きで楽しくて大好きだった。

 まさかこの年で窓から出入りするとは思いもしなかったな。

 童心に帰ったような気持ちになれて、窓から出入りするのは心が踊って、少しテンションが上がる。理由はわからないけれど。

 幼い頃、そうやって窓から出入りして楽しみながらいろんな遊びを考え付いていたっけ。

 部屋の中から鍵をかけたあと、窓から外に出て密室を作って遊んでいたこともあったな。

 密室殺人とかいって部屋の中で寝転んだり、窓から忍び込んで中にある親の貯金箱を開けずに硬貨を一枚抜き取って遊んだこともあった。泥棒ごっこ。

 硬貨は使わず、親に内緒でどれだけ長く持っていられるかワクワクしながら引き出しに忍ばせていたこともあった。扱いは宝物のようなもので、お金としての運用はしていなかった。

 弟と喧嘩して泣かせてしまって、機嫌を取るときに硬貨を差し出したこともあったな。

 そうやって遊んでいると、親にばれて大目玉を食らったこともあったっけ。

 今思えば、家の手伝いをする、もしくは筋トレし続けてお金がもらえるシステムは頑張ることを楽しませて、意味を持たせるためだけでなく、お金はどうすればもらえるか、どのように稼ぐのかを家の中のルールとして教え込むことで、私の生まれ持った盗人気質を更正させたのだろう。

 幾重にも意味があるとてもよくできたアイディアだった。



 そんな私もようやく高校三年生の春を迎えた。

 ここで頑張ればほとんどの人たちが知らない間柄になる。この一年で嫌な目に遭うのはきっと終わりだ。頑張るぞ。

 多分事故で部室に閉じ込められることもあったけれど、この地域から早く出たくてたまらなかった。

 誰も知らない人のところへ早く行きたかった。できれば北海道が良いな。

 理由は北海道に行ってみたかったことと、なんとなく好きだから、憧れていたから思ったことだった。

 しかし、言うことを聞かなければ手伝わないしお金も出さない、縁を切ると言われて、県内の大学を目指さなければならなかった。

 それでもやはり北海道へ行きたい気持ちはどこかにあって、せめて一度だけでも良いから行きたいと心から願い続けた。



 先輩と、とあるゲームを一緒にしたいねと話して約束をしていたのに、遊びにきてくれたのが嬉しすぎてうっかり忘れてしまうやらかしがあった。

 先輩は高校を出たあとはお金がないから働きに出ていて、職場近くの食べ物を買ってきてくれてそれはもう嬉しかった。

 辛い日々の中で、先輩が仲良くしてくれて、遊びにきてくれるのが嬉しくて、話せるだけで幸せで、大事な約束をうっかり忘れてしまっていた。

 忘れてたなら教えてくれたらよかったのに、先輩はなにも言わなかった。先輩は気を遣ったり、相手に失礼がないか考えてしまうから言わない。だから、自分でちゃんと覚えてて、ちゃんと思い出して、言い出さないといけなかったのに。

 先輩が帰って、気持ちが落ち着いてくると約束を忘れていたことに気がついた。

 すごく後悔した。

 会えるのが嬉しくてたまらなかったせいだ。落ち着きや冷静さがあればどれだけ良いか。

 すごく後悔して、冷静さを強く求めた出来事だった。

 先輩は怒ってない様子で、変わらずメールをしてくれた。その相手の優しさに甘えてはいけないから、今度はちゃんと覚えておかないと。

 そう思いながらメールをしていると、高校生でも演劇をしていたと教えてくれた。

 演劇かー。

 中学生の時に一緒に演技をしたのが懐かしい。楽しかったな。

 部活での思い出だけじゃなく、漫画を貸して読ませてくれたことも、一緒に遊んだことも、たくさんのことも、ぜんぶ楽しい思い出たちだった。楽しかった、本当に。

 一人孤独に頑張っている学生生活で心が緩むのは危ないと思いつつ、次こそはちゃんと約束したゲームで遊ぶんだと、忘れてしまわないようにと、嬉しすぎて落ち着きをなくしてしまわないようにと自分に言い聞かせた。



 三年生になって担任が変わり、いろいろなことがあったからどうせまた同じことの繰り返しだろうなんて思っていた。

 誰が担任でも同じだ。

 心の中で不信感があった。それは誰に対しても等しく、いや、先輩以外の人に対して抱いていた不信感だった。自分を含めて。

 提出物を一緒に出したはずなのに出していないことになっていて、机の中を探しても見当たらないから先生がなくしてしまったのだと思ったことがあった。

 細長くてひらひらしたものだった。

 まとめて出した時に紛れてどこかへ行ったと思ったけれど、机の奥でくしゃくしゃになって入っていた。

 見た時には確かになかったのに、勘違いしてしまっていたらしい。

 でもどうだってよかった。どのみち信頼なんてないし、もし信頼があったら邪魔なだけでしんどいだけだ。

 それに、もう代わりの紙をもらって出してある。

 諦めていた。素直に謝れば良かったのだろうけれど、なんかもうどうでもよかった。

 ちゃんとやったところでがっかりした、期待していたのにといわれて責められるだけだし何しても悪者に変わりない。

 なにしてもダメならもう何もしたくない。なにもかもどうでもよかった。



 部活で一年生が四人入ってきていたけれど、一人来なくなった子がいた。

 気づいてそのことを話すと、誰も気づいてないどころか気にしていなくてびっくりした。

 あんなに一年生、二年生の時先輩に可愛がってもらっていたのに、後輩のこと気にしたりしないのだろうか?

 心に血の通った人間とは何だろうか?

 このときふと考えるようになった出来事だった。



 衣替えがあり、夏服で過ごしていたある日の出来事、お昼から部活の練習がある休みの日だった。

 親が驚いた様子で新聞を見るよう促してきただけでなく、先輩が死んだというのだった。

 信じられない話だった。

 親の示した新聞を読んでみると、確かに先輩の名前で、先輩と同じ年齢で、訃報欄に名前が載っていた。

 新聞を直接見ても信じられなかった。

 あまりに唐突で、現実味がなくて、嘘かいたずらか何かとしか思えなかった。

 死んだなんて嘘だ。何かの間違いなんだ。

 受け入れられなかった。信じられなかった。信じたくなかった。

 けれど、親は冷静だった。

 家知ってるなら行こうと言ってくれた。失礼のない金額を封筒に入れてもたせながら。

 でも私はお葬式に呼ばれなかったことや、いじめに遭っていたことから行く気になれなかった。行きたくなかった。確かめたくなかった。怖かった。私が約束を忘れて浮かれていたせいだと思っていたからでもあった。けれど、お別れをしたい気持ちが勝っていたから、親に乗せていってもらった。ついでに学校まで送っていくと言ってくれて、言葉に甘えた。

 心が空虚で、痛みも悲しみもまだなにもなかった。

 現実味のない鉛色の空を車の窓から眺めていると、いつの間にか先輩の住んでいる……いや、住んでいた団地に着いた。

 雨がザーザー降っていて、突然の訃報を受け入れられず涙も出ない私の代わりに空が泣いているかのようだった。

 ぼーっとしながら、最上階を目指して上がったけれど、登り切ってから一つ隣の棟を間違って駆け上がっていたことに気がついた。

 しっかり、しっかりしないと。冷静になるんでしょう?

 自分に言い聞かせながら、働いてない頭をしっかりさせるよう叱咤しながら下まで降りると、親が心配そうに声を掛けてくれた。

「あんたが間違えるなんて……」

 なんともないような、何も感じていないような、ふわふわした変な心地だった。まともな精神状態ではなかったのだろう。

 不思議と涙は流れなくて、学校でやってる気にしない演技、普通のフリ、平気なフリが出てるのかと思っていたけれど、あまりに大きすぎる悲しみは人の心を鈍らせるのだろうという結論が出つつあった。

 なんとなくそんなことを思った。

 果たして、空が鉛色で雨が降っているから世界が灰色になっているのか、先輩が亡くなったという知らせがあったから世界から色がなくなっているのか、私にはわからなくなっていた。

 世界から光がなくなり、この蒸し暑い時期の雨の割りに冷たくて、何もかも現実離れして見えた。

 こここそが本当に間違いない建物だ。

 さっき間違えたばかりで自信をなくしながら、ぼうっとしながら駆け上がり、一番上の階でドアをノックした。

 すごく怖かった。

 先輩の家族が顔を出した瞬間、学校で言われ続けているような罵詈雑言を浴びせられるんじゃないかと思うと怖かった。

 中から最初に出てきたのは、口元を手で押さえながら泣いていた先輩の母親で、その次は私が遊びに行った時帰る少し前に顔を合わせたことのある先輩の父親、従兄弟の友達で何度か遊んだことのある先輩のお兄さんだった。

 当然だけれど先輩の姿はそこになくて、ああ、本当に先輩は亡くなったんだと嫌でも思い知らされた。

 先輩の家族の様子を見ていて、この受け入れられない現実を受け入れなければならないと、本当に先輩は亡くなったのだと認めなければならなかった。

 言葉が出ないまま、親に渡された封筒を手渡した。

 先輩のお母さんはお葬式に私を呼ばなかったことを謝ってくれた。

 同学年じゃなかったから仕方のないことだと思っていたし、私のせいで先輩が死んだから呼ばれなかったわけじゃないんだと思えて少し安心できた言葉だった。

 先輩の遺骨が入った入れ物のある壇の前で手を合わせることを許してもらえて、感謝するしかなかった。

 先輩の白い携帯が壇の上に乗っているのを、忘れないようにしっかり目に焼き付けた。

 目に焼き付けながら、もう、メールをすることも、なにもできないのだという現実が心に刺さってくるのがわかった。

 涙が溢れて止まらなかった。

 誰よりも格好良くて、誰よりも優しくしてくれて、ちゃんと向き合って会話してくれて……。もっとたくさん一緒に遊んで話したかった、大切な人。今まで会ったどの誰とも違う、特別な人だった。

 同じ女の子同士だと、恋愛の話をされることが多くてしんどかったけれど、先輩とはそんなことはなくて、大好きな少年漫画の話をしてもらえて、他の人と違って話しやすくて……とても安心できた。

 もうそんな会話をできることなんてないのだ。

 もっとたくさん話せばよかった。もっとたくさん遊びたかった。

 約束をしっかり守れていたらよかった。忘れてなければ良かったのに。

 後悔ばかりが頭に浮かんでぐるぐる回った。

 先輩の家族と他愛もない会話をしていると、先輩のお兄さんが尋ねてきた。

 先輩と何か約束をしていなかったか? と。

 真っ先に浮かんだのは、私が守れなかった約束で、その次が中学生の時に先輩がしてくれた約束だった。

 私はその問いに頷いた。

 すると、先輩のお兄さんは拳を握って怒っていた。

 やっぱり、私のせいで死んだんじゃないかな?

 なんとなくそんなことを思った。私のせいで先輩が死んだんだと。

 約束を守れなかったからだ。

 先輩の家族に温かく見送ってもらって、部活へ行った。

 正直部活なんて行く気分でもなんでもなかったけれど、何かしていないと壊れて心が砕け散りそうだったから頑張った。ひたすら何かしていたかった。



 先輩が亡くなってから、メールをすべて大事に保存し、興味を持って手に取る本が偏るようになった。見る夢もなんだか変わったように思えた。

 ブログで知り合った人におすすめしてもらった本が幽霊に関するものだったのもあったけれど、人が亡くなる話に偏りがちになった。

『銀河鉄道の夜』もこの時期に読んだ。

 私が代わりに死んでいたら良かったのに。

 そんな気持ちがあったから、本の内容にすごく共感できて、すごくつらかった。

 亡くなった人の視点で書かれた小説があって、亡くなった人が見える小説があって、たくさんの作品があった。

 先輩とまた話したい、先輩はどうして亡くなったのか知りたい。謝りたい。

 一心不乱に書物を読み漁った。読み続けた。これまでと違った理由と動機で本を求めた。

 幽霊を信じているつもりなんてなかったけれど、信じたいと思った。

 そのうち、天使や悪魔に関する情報も読み漁るようになった。

 読み漁っていて、人々が好感を持つ天使よりも、みんなが嫌う悪魔の方が親しみやすいと思った。

 私が何しても邪険に扱われて嫌われてきたからだった。

 どうして悪魔は嫌われるのか?

 読み漁っているうちに浮かんできた疑問だった。

 天使と悪魔は好きだったけれど、悪魔の方がより好感を覚えて、神様に対しては嫌悪感しか持てなかった。

 中学時代に読んだ神話でもそうだったけれど、神は自分勝手、人間臭い、理不尽、悪魔よりよっぽど人を殺しているだけでなく、人から自由な思想も気持ちも奪っている。非常に腹立たしい。知れば知るほど傲慢極まりない存在だという気持ちが強くなっていった。

 神様なんて大嫌いだったし信じなかった。

 もしいるなら私の方が死んで、先輩の方が生きているだろうし、今まで善人であり続けたのにこんな仕打ちなんてありえないだろう。

 先輩が亡くなったのは、心にぽっかり穴が開いたようで、人生で一番つらい出来事だった。私がいじめられ続けてきたことなんかよりずっと。ずっと心にこたえた。

 きっと、もしこういう存在が本当にいるなら悪魔だろうな。

 ぼんやりとそんなことを思いながら、先輩のことばかりが心の中にある日々を過ごしていた。



 夏の暑い夜だった。

 寝苦しいけれど、網戸を開けて寝ていると風が吹き込んで涼しくて、同じように暑くて寝苦しい母親が廊下で一緒に寝転んでいた夜のこと。

 月がとてもきれいに輝き、明るく夜を照らしていた。

 廊下で寝る私と母を優しく照らす明るい満月の夜。

 なんとなく、私には他に兄弟がいるような気がして母親に尋ねてみた。なんとなく。

 すると、母親は私の前に子どもを授かっていたけれど流産してしまったこと、弟の下にもいて、流産してしまったことを静かに話してくれた。

 まだ小さいころ、母親が苦しそうにしながら病院へ運ばれ、一緒に病室で苦しんでいるのを見たことがあった。

 なにがなんだか訳が分からなくて、不安になりながら病室にいると、母親は私を見ながら元気が出ると言ってくれた思い出だった。

 看護士さんが一生懸命母の腰を撫でていたのも思い出せる。

 あれは末の子が流れてしまった時のことだったのだと、母の話を聞いていて初めて知った。

 私の聞きたいことはそれで終わらなかった。

 なんとなく、母にはもう一人兄弟がいる気がした。

 聞いてみると、母には大昔に家出してそれっきりの姉がいるということだった。

 思い出話を聞いていると、なんだか夢見心地で不思議な気持ちになりながらうとうとしてくる月夜の晩だった。

 きっと私は母を喜ばせたくて生まれてきたんだ。

 なんとなくそんなことを感じたけれど、複雑な心境だった。

 そんなに苦労して生まれてきたのが私みたいなやつでがっかりしたろうな。

 そんなことを思いつつも、弟がいるから私はいらないんじゃないのか、私は結局生まれてきたこと自体が親切の空回りだったんじゃないのか? なんて思い始めた。



 奨学金の手続きをするとき、二年生まで担任だった先生が教室に顔を出して、奨学金は本当に学費に使うのかどうかを聞いてきたことがあった。

 どういう意味だろう?

 親がお金がないから借りてと言っていたから、間違いなく学費に使うはずだけれど。

 不思議に思いながら返事をすると、先生は理由もなにも言わずに会話を終えて教室をあとにした。



 部活では大会に出ることなんてないし、もう辞めても良かった。

 そんなことより、先輩が演劇部に所属していたというメールが頭に浮かんでいた。

 演劇部、やるか。

 仲良くなりたい子が演劇部に入ったらしいのを聞いていた。他にも一年生が二人いるとか。

 仲良くなりたい子と話せて一石二鳥で良いかなと思っていた。別に、他に誰もいなくても演劇部に入って演技をするつもりだった。一人舞台でも良いからやるつもりでいた。

 私の頭にあるのは亡くなった先輩のことだけだったから。

 演劇部に入ってしばらくして、なんかやたら話しかけて親しそうにしてくれる人とその周りの人たちも演劇部に協力するとのことだった。それに加えて、その人たちの友達が入部するとのことだった。

 仲良くする理由を聞いても自分のためだと答える変な子と、泣きボクロ出来て嬉しいと言っていたらシミだと言ってきた子、挨拶をしても無視してくる子と、漫画を貸してくれたり他の人と同じように楽しく話をしてくれた子、ゲームの話やアニメ漫画の話が合うけれど、会話が長続きしない大人しそうな子、私がボールを思い切り投げた相手の子、何か聞いてきたと思ったらすっとどこかへ歩いていく子。

 音響準備のために先輩との思い出あるサウンドトラックを持っていくと、シミ呼ばわりしてきた子が中身をコピーしたいから貸してほしいとのことだった。

 特に断る理由もなかったから了承したけれど、壊れてないか傷ついてないかがすごく心配になった。

 音楽は流れるし何も問題ないから、多分無事に返ってきたのだと思う。

 台本が決まってから、全員が集まることはあまりなかったけれど、一人でひたすら練習した。

 発声練習、滑舌のトレーニング、自分のセリフを覚えながら読むときの読み方の練習、工夫、いろいろなことを一人で頑張った。

 やはり、一人で打ち込んで練習できると伸びが良い。

 一人で練習できることをしていてふと思ったことだった。

 しかし、満足することなく、もっと良くなるようひたすら練習し続けた。

 先輩がみてても恥ずかしくないように。もし見てくれていたなら楽しんでもらえるように。誇らしいと思ってもらえるように。

 元から一人でやるつもりだったのだから、一人でだって練習にうち込むのに苦労しなくて、ひたすら楽しく頑張った。

 心残りがあるとしたら、立ち稽古があまりできなかったこと。さすがにこれを一人で練習するには積み重ねた経験も何もかも足りなくて、人がいないと難しい稽古だった。

 そのうち部活と関係ないところで久々に絵を描く機会があり、中学の時から同じ学校の子が絵を褒めてくれることがあった。

 でも、褒めてもらった後に言われた言葉が妙に引っかかった。

「どうしてあんなことしたの」

 私が何したっていうんだ。

 素直に何の話? と聞いてみると、何も答えなかった。

 聞いても誰も何も答えない。

 そうやって何も知らないところでみんながひそひそいって、聞いても答えてくれなくて、理不尽さにもやもやしながら過ごしていた。



 文化祭では自分のパートはできる限りのことはしたので悔いはなかった。やりきった。

 でも、挨拶を無視してきて会話なんてろくにしたことなかった子が、私の声優になりたい夢について、やめてほしいといって、目指さないでといって脅してきたことがあった。

 なんでそんなこと言われるのかわからなかったけれど、きつくにらんできて面倒そうだったから適当に返事をした。



 文化祭が終わって体育祭では、大縄跳びとリレーに出た。

 リレーはもっと足が速い子がいるだろうに、どうして私なのか疑問だった。

 大縄跳びは今まであんまりいい思い出がなくて、今回も私が引っ掛かってないのに引っかかってるって言われるんじゃないかと思ったけれど、一番前に配置してもらって、思いっきり飛んで引っかかってないって証明できて心が晴れて清々しい思いを味わえた。それに、とても楽しかった。

 背が低いから縄が見えてないなんて言われて移動した最前列だったけれど、そういうこと言われてなければ前に行けなかったと思うと別に何言われてても構わないとすら思えた。

 跳ぶのはとても楽しかった。ちゃんと跳んでいると証明できるだけでなく、今まで一生懸命頑張ってきてついた実力の証明でもあったから。

 一年生の子も隣で一緒に並んで飛んでいた。

 先輩がこんなに頑張ってるのに弱音吐けないなんて言っていて、無理をさせてしまったようで少し申し訳なくもあったけれど、そう言って一緒に頑張ってもらえるのが少しうれしくもあった。

 一緒に頑張ってくれる人ってなんだか良いもんだな。

 じんわりと心が温かくなって、私ももっと一生懸命頑張ろうって思えた。辛くても限界超えて跳ぼうと思えた。

 そう思いつつ、一緒に跳んでくれたこの子たちがどうか、そういうキラキラした綺麗な気持ちが折れたり汚されないで、心身ともに健やかにいてくれたらと願わずにいられなかった。

 先生からすごいと言ってもらえて嬉しくもあった大縄跳びが終わり、リレーの時。

 実は部活をやめてから全力で走ることがあまりなかったから、こっそり家で練習していた。

 父親にこの距離ってどれくらい? と聞いて、休みの日に小学校へ一緒に行ってもらって、全力疾走した。

 全力で走り切れなくて途中でへばってしまって、このままじゃダメだと焦りながら練習して、走り切れるまで体力と筋力を取り戻し、何度か走り込みをした。

 でも練習虚しく、本番では前を走る人を追い抜くのが難しくて、体力に余裕を持ったまま完走した。

 正直すごく悔いが残った。

 余力があって、全力を出し切れなくて、ただ上手に追い抜けずに終わってしまっただけですごく悔しかった。

 一人で練習していたのじゃ上達できないことだった。



 文化祭の打ち上げでカラオケへ一緒に行こうと誘ってもらえた。

 学校のある地域にあるカラオケ屋さんで、誰かが一緒に行こうと誘ってくれた時しか使わせてもらったことがないカラオケ屋さんだった。

 カラオケで歌を歌っていると、歌詞や歌の内容でやっぱりそうなんだと言ってくる子がいた。なんかやたら話しかけてくる子、自分を守るためだと言っていた子だった。

 この子はどうしてそんなことを言うんだろうか?

 告白するときもなんだか応援してるような不思議な感じで、奢ってもらったジュースのことはありがたく思っているけれど、なんかちょっと変わった子だという印象だった。



 二年生の頃は豚インフルエンザで、今年はどういうわけかクロスカントリーがなかった。

 走れるようになったきっかけのクロスカントリーを意識して練習していたし、一年生の頃よりずっと早く走れると思っていたから残念だった。

 結局、走ったのは一年生の一度だけだった。



 ハロウィンの夜、お菓子を食べて軽く居眠りをしている間に金縛りに遭うことがあった。

 もしかして、先輩が遊びにきてくれたのかな? おかし食べちゃったから悪戯しに来てくれたのかな?

 そう考えると、金縛りも悪くはないものだったし、なんだか楽しいとすら思えた。

 それ以来、私の中でハロウィンの日といえば先輩の日になった。



 担任の先生が内申点について話すことがあった。

 興味も関心もなかったし、どうしてそんな話をするのかもわからなかったから聞き流していた。

 そのうち、体育の授業後に日直の仕事が大変そうな話を聞いたから、準備もしていていつも早いし余裕があるから手伝いをしたことがあった。ほんの気まぐれで。

 特に悪い扱いは受けていなかったし、困ってそうだった。人に良くして酷い仕打ちを返されなくなっていたからしたことだった。

 そのうち、新しい学級委員長を決めるときがきて、みんなの投票形式で選ばれるということだった。

 そらもちろん、選ばれるのはこの子だろう。

 私はそんなことを思いながら、ボールのキャッチ相手の名前を書いた。

 いろんな人と仲が良くて、なぜか私がトイレにこもって泣いているのを見つけ出して、文化祭の時私がいないって言い出して周りを見回しちゃうような子。

 この子は周りを見て気を配れる子だろうから適任だろうな。

 そう思っていたのに、どういうわけか委員長になったのは私だった。

 心当たりがあるのは、日直の仕事を手伝ってしまったことだった。

 あれのせいで選ばれたんだ、きっと。

 そんなことを考えながら、委員長の仕事をこなした。

 並んでといっても誰も並ばずお喋りばかり。

 人選ミスだろ。私には人望も何もないしなんで委員長なんか。

 そんなことを思いながら、不満ばかりが頭に浮かんで回っていた。

 そのうち嫌がらせするために選ばれたんだとすら思えてきてすごく嫌な思い出だった。



 ある日、母の姉と連絡がついて大騒ぎになることことがあった。

 私が母の姉について聞いていたことと結びつけて、母はすごく驚いていたし、祖母は子供の勘は当たるなんて言っていた。

 自分でも不思議で奇妙に思ったけれど、単なる偶然だと思っていた。



 指定校推薦というやつで進学先が決まった。

 古典を持っている学年主任の先生からのアドバイスだった。

 担任の先生は進路を学年主任に相談したのを怒ってしまっていたけれど、私には理由がわからなかった。

 母親がずっと見てくれてる先生の方が良いと言っていたし、私は私で別に誰に相談しても同じだと思っていたからだった。

 誰に相談しても同じだ。

 だから違いが判らなかったし怒った理由もわからなかった。



 行先が決まったけれど、授業はちゃんと受けて一生懸命勉強していた。

 でも、マイコプラズマになってしまったからか、咳が酷く出始めて止まらなくなった。

 なんだか中学生の時になった大腸炎みたいだな。

 大腸炎になってからお腹の調子が特に悪くなりだしたから思ったことだった。

 肺炎になったから呼吸器系が弱くなったか何かで変になった、もしくは意識するようになってしまったからかな。

 進学先が決まっていたせいで、周りからの印象も邪魔してるようにしか映らなくて気分が悪かっただろうと思う。

 病院へ行っても、マイコプラズマのときと違って炎症はおきていないし、あれじゃないかこれじゃないかでたらい回しだった。

 どこの病院へ行っても原因はわからぬまま、薬をもらっても咳は治まらず出続けた。

 すごく苦しかった。

 中耳炎でお世話になっていた病院へ行くと、神経の問題だと言われた。

 私はそれを聞いて精神的なものだとわかったけれど、母親はヒステリックになって怒り、脳神経外科へと私を連れて行った。

 なんだかしんどかった。

 神経の問題と言われたのを酷く怒っていて、なんでそんなに怒っているのかわからなかった。



 咳が酷いまま、迷惑かけるのをしんどく思いながら、早く学校が終わるのを心から願っていた。

 早く卒業したい、早く全部終わってほしい。

 心から強く願った。

 咳がうるさいせいで迷惑をかけたくない。早く集団の中から離れたい。

 待ち望んだ卒業の日。

 仲良くしたかったわけないじゃんと、なんかやたら話しかけて絡んでくるようになった子が仲良しメンバーで集まって大声で言っていた。

 なんか変だと思っていたし、いきなり親しげにしてきておかしいと思っていた。

 部活でも、なんかやたら突っ込んで話してくる人がいたけれど、このままで終わると思わないでねなんて部活のHPで書いていた。

 私からしてみれば、お前らこそいつか覚えてろとしか思えなかった。

 まるで人殺しでもしたような扱いを受けて、扱いに対する理不尽さについて思ったことを素直に書くと、やってることは人殺しとかわりないなんて大声で喚かれているのが聞こえてきた。

 私がなにしたって言うんだ。

 聞いても誰も答えてはくれないまま、正義を免罪符にサンドバッグにされ続けてきた。

 書ききれないほどの仕打ち、辛さ、罵詈雑言。

 卒業式の日、部活の集まりにいくと、一年生の子たちが花束を渡してくれた。

 もしかしたら余った私に嫌々だったのかもしれないけれど、とても嬉しい出来事だった。誰からもなにもないと思っていたから。

 駐車場で待っていると言ってくれていたから集まりも早めに抜けてきたのに、誰も待っていなかった。

 胸が抉られるように痛かった。

 置いていかれたんだ。

 置いていかれたことがわかると、すごく悲しくて、胸が痛くて、苦しかった。

 ほら、やっぱり私はいらないんだ。きっと間違って生まれてきたんだ。

 涙が溢れて止まらなかった。泣きながら歩いて帰った。

 駅に向かわず、人気の無さそうな道を選んで、足が痛いのも構わずひたすら歩いた。

 途中、人とすれ違ったけれど、今日が卒業式だったおかげで、卒業するから泣いているのだと勘違いしてもらえた。

 すごく都合が良かった。

 適当に話を合わせて、適当に話をしてその場をあとにした。

 本当のことなんて話す必要も教える必要もなかったからそうした。その日初めて話した相手に話すような内容でもないし。

 それからは親が携帯を鳴らしているのに気づいたけれど、ひたすら無視して歩き続けた。

 見つかったら怒鳴られる。見つかりたくないし、帰りたくもない。でも、帰る場所が他にない。

 このままどこかで野垂れ死のうか。

 いろいろなネガティブなことを考えながら、痛くて痛くてたまらなくなりながら、車に怯えながらひたすら歩いた。

 そうして歩いていると父親に見つかった。

 父は怒鳴らず、穏やかな口調で私に話しかけた。

「歩いて帰ろうとしてたのか」

 私は黙って泣くことしかしなかった。

 家につき、布団に籠って泣いていると、弟がまず小言を言い、あとに続いて案の定母親がヒステリックに喚いてきた。

 ほっといて欲しかった。

 私はいらないんだ。いらないなら構う必要なんてないだろうに。

 人の声を聞くのも、姿を見るのも、なにもかも嫌で疲れた。疲れていた。もう疲れた、たくさんだ。

 夢もあまり見られなくなっていて、辛くて寂しくて、余計に悲しかった。

 辛い時こそ、夢を見ていたかったけれど、辛くて打ちひしがれて泣いていると夢をあまり見ることはできなかった。

 やっぱり、お前も私を殺そうとしていたんだね。

 誰に言うでもなく、なんとなく思ったことを心の中で呟いた。

 心に空いた穴が痛むままに涙をながし続けながら、しばらく布団にこもり続けた。
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