楽園 空中庭園編

木野恵

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空中庭園

夏の花畑

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 夏の層に入ってしばらくの間『天上の園』と支えているユグドラシルの大きな枝の数々で日陰になっていたおかげか、夏という名前がついているにしては涼しくて暗い印象を受けた。

 だんだんユグドラシルの枝が細く、少なくなっていくにつれて日に照らされる場所が増え、暑さも増してきた。

 確かにここは夏という名がつくにふさわしいほどの暑さだなと思っていると、雲が枝にぶつかっているのが見えて初めて『天上の園』は雲の上にあったことにも気づかされた。

 そういえば『空中庭園』と呼ばれるここはエベレスト以上だってジニアくんがいっていたっけ。一つ下の層からでも枝が見えたし本当に木の上にいるんだ。

『夏の層』もまだ雲の上だろうか。それとも、『天上の園』から下は全部雲の下なのかな。

 想像を膨らませながら歩いていると、風の妖精が話しかけたがっているように見つめてきているのが視界にはいってきた。

 少しドギマギしつつ、そういえばと気になることを思い出し、頭の中でまとめてから口を開いた。

「妖精さんってマナを運ぶ役目があったんだね。知らなかった。マナは月から地上に注がれて精霊がそれを受け取ってることまでしか知らなかったから」

「僕も知りませんでした。妖精って精霊の召使いかなにかなんですか?」

 二人とも興味津々といった様子で、ついてきてくれるといった妖精に質問をした。

 妖精はというと、少し得意げな様子で返事をくれた。

「ふふん。あたしたちは召使いじゃないの。精霊様はあたしたちを分身として各地に遊びにいかせてくれてるの! 遊びに行くついでにマナを運んでいるのよ!」

「ということは、シルフもいるってことなんだね。シルフはどこにいるかわかる?」

 新しいことを知れる良い機会に恵まれたことを感謝しながら質問した。

 本にもなかったすごい事実が、まさかこんなに早くわかるかもしれなくて興奮する。

 二人とも妖精に熱い視線を向けているものだから緊張した様子でもじもじしていたが、顔を少し赤らめながらさっきまでの得意げな態度にもどるのに付け加え、胸を張って意気揚々と返事をした。

「もちろんよ! シルフ様は月にいるの! 地上にシルフ様のマナが溢れているのはシルフ様のおかげってことよ! あたしたちもシルフ様のおかげで行き場所に不自由なんてしてないわ」

 シルフ様と言いながらうっとりと月を見上げた風の妖精は、心底シルフを愛してたまらないといった様子だった。

 それを横目にジニアと一緒に顔を見合わせ興奮した様子ではしゃいだ。

「シルフが実在しているだけじゃなくて月にいるって?! 月に精霊がいればみんなマナに困らないで暮らせるってことじゃないかな? だって、世界に風のマナが溢れてるのは月にシルフがいるからだよね。ということは、月がユートピアってことになるのかな」

「きっとそうだね。ヒロくんがきてから初めて知ることがたくさんだよ! 君に会えて本当に良かった」

 ジニアの言葉がとても温かくて嬉しくて思わず頬をかいた。

 その様子を見て、風の妖精は地上の人々がシルフを知らないことに気がついたようだった。

「あら。もしかして誰もシルフ様のことをご存知じゃない?」

 心底驚いた様子で尋ねる妖精に、ジニアと一緒になって首をブンブンと縦に振った。

「僕たちが読んだ本には名前だけ記してあったけれど、見た人が誰もいない上にどの領地もシルフを所有していない。なのに各地で風のマナが溢れているから実在していないんじゃないかって言われてるんだ」

「シルフはユートピアにいると言われているんです。マナは月から降り注いでいるという記述も目にしました。つまり、月がユートピアで、風のマナが世界にあふれるよう光とともに降り注いでいるという仮説を立てているところだったんです」

 風の妖精はなるほどと一つ頷くと、僕たちの顔を交互に見つめ、結論を言った。

「シルフ様は実在するわ。月にいるのもあたりよ。ユートピアが月かどうかはわからないけれど! あなたたちの話すユートピアって何がある場所なの?」

 一緒になってうーんと唸りながら記憶を辿った。

「心を奪われるような歌声と、行ったら誰も戻ってこない」

 本を読んで心に残った一文が口をついて出る。

 ジニアはそれを聞いて手をポンと叩いて指を鳴らした。

「それだ!」

 それを聞いて風の妖精は顎に手を当てた。

「その歌声はハーピーとハルピュイアの歌ね。もしかしたら人魚たちの可能性もあるかも。あなたたちのいうユートピアが月で間違いないわ」

 ジニアと一緒に目を輝かせながら妖精の話にのめりこむ。

 ハーピーとハルピュイアに人魚! いったいユートピアってどんな場所なんだろう。

「行ってみたいな」

 思わずそんな言葉がこぼれた。

 いつも頭の中で考えてばかりなのに思わず呟いてしまうくらい、ユートピアは魅力的で不思議な場所だ。

 ジニアはそれを聞いて微笑む。

「ここを出たら目指してみましょう。僕も一緒に行きたいな」

 それが心強くてたまらなくて、よりいっそうワクワクさせてくれもした。

「案内なら任せなさい!」

 風の妖精が進んで申し出てくれると思っていなかったのはジニアも同じだったようで、驚いて顔を見合わせた。

 それが風の妖精にはお前もくるのかといった反応に見えたようで、少しつむじを曲げてしまった。

「何よ何よ! あたしだって、シルフ様に会いたいし、あなたたちが心配だから案内しようって言ってるの!」

 少し駄々をこねたように言い始めたのでジニアと一緒にクスクス笑った。

「すごく心強いよ。そう言ってくれるなんて、すごく嬉しい! ありがとね。そういえば君はなんて名前なの?」

 妖精の愛らしさに思わず笑ってしまいそうになるのを堪えながら、嘘偽りのない本心を述べ、気になったことを聞いてみる。

「名前? 名前はないのよ。あたしたちはみんな風の妖精でひとまとめだったから。人とお話するのも実は滅多にないことなのよ。名前なんてあなたに聞かれるまで気にしたことなかったわ」

 妖精は少しもじもじしながらチラチラとこちらを見ている。もしかして名前をつけて欲しいのかな。

「君に名前をつけさせてもらってもいい?」

 妖精が照れくさそうにしているものだから、こちらまで少し照れくさくなって顔が熱くなってきてしまった。



 裕樹と妖精は目をそらした。

 裕樹は照れくさそうにしながら右手で頭の後ろをなで、妖精は両手を頬に当てて嬉しそうにしているものだから、告白かプロポーズでもしたあとの現場を見ている気分になってクスクス笑ってしまった。

 二人とも可愛いなあ。初々しいというか。

「い、いいのかしら? とびっきり可愛い名前にしてね!」

 妖精はそういうと目を輝かせ、裕樹のことを上目遣いで見つめた。

 その仕草が愛くるしいのか、裕樹は耳まで赤くなってしまっている。

 なんだか弟と妹ができたような気分だ。



「ま、まかせて!」

 目の前にいる妖精のことを改めてよく見てみる。

 薄緑の光をまとっているのでどんな色合いかわかりづらいが、照れているとき顔が赤らんでいるのがはっきりわかる。

 ぱっちりとした目に長いまつげ、二重のまぶたにすっと通った鼻をしている。丸顔で口は少し小さく、唇は厚くもなく薄くもないので普通くらいの厚さか。

 長くてサラサラしていそうな髪はおさげで二つに束ねられている。

 少しツンデレか高飛車な印象を受ける物の言い方だが、口調がふんわりと柔らかく優しいので嫌な感じはしない。むしろそれは照れ隠しでそういう言い方になっているのが隠しきれていないので可愛いくらいだ。

「……桃のモモちゃん」

 もっといい名前が浮かびそうで浮かばなかった。というより、ぱっと浮かんだ名前がリンゴかモモだった。

 女の子らしくて可愛くて、照れているのを隠そうとしているのに隠しきれていないどころか、照れていますと言ってるような態度をしているあたりが、桃のいい香りがおいしい果物であるのを隠せていない、むしろ主張している感じに思えて、リンゴよりもモモっぽいなという印象が強かった。

 それだけではない、赤らめている頬の色がモモのようでもあったからだ。

「ダメかな?」

 自信なさそうに見つめると、桃はいつも以上に照れくさそうにした。

「いいんじゃないかしら。気に入ったわ! つけてくれてありがとね! 大事にさせてもらうわ」

 静かに見守っていたジニアは一つ咳払いをして案内の続きをしてくれた。

「さあ『夏の層』の花畑にもうすぐで着きますよ」



 息を飲むような景色が広がっていた。

 湖を中心に周りを囲むように咲き乱れる大きな花畑。

 その間を縫うようにして湖に向かって流れる透き通った綺麗な川。

 湖は窪地にあり、花畑は緩やかな坂に咲き乱れている。

 川の流れは太陽の光を反射してキラキラ輝き、まるで銀糸のよう。川が銀糸のように見えてくると花畑は色鮮やかに織られた布のようで、真ん中の湖はダイヤモンドやサファイアのような宝石に見えてきた。

 目の前に広がる景色を見ながらそんなイメージを広げていると、風が吹き渡り、湖も川も見たままの綺麗な水で溢れているとすぐにわかるような涼やかで清々しい香りが運ばれてくる。咲き乱れる花々のカラフルな香りも後を追うように流れ着き、鼻も心も満たされていった。

 真上になにもない場所にあるおかげで空が開けていて、雲ひとつない青空にまばゆい日差しが溢れていたが、頻繁に風が吹いてくれるおかげかさほど暑いと思わなかった。

 この環境はとても開放感があって胸がスカッとするほど清々しい。

 咲いている花々はひまわりやハイビスカスなど夏を連想させるものが多かった。

 日本でみられる花だけでなく、海外でしかお目にかかれないようなものも多く咲いていて華やかだ。

 その中でヒマワリの花だけは一箇所に固まって咲いていた。

 他の花は種々雑多に咲いているのに、ヒマワリだけは混ざらず群生している。

 何か理由があるのかな。

「ヒマワリだけあそこに固まってるのって何か理由があるの?」

 ジニアなら知ってるかもしれないと思い、不思議に思ったことを口に出してみると、モモも気になっていたようで、うんうんと頷きながら一緒にジニアの方を興味津々といった様子で見つめた。

 そうするとジニアは少し緊張した様子で頭をかきながらはにかみ、説明してくれた。

「願掛けもあるのですが、実用的な理由としては他の花が光合成するのを妨げないように配置されているそうですよ。この世界の太陽はユグドラシルの実が漂っているということはご存知ですね? ユグドラシルから実が流れているので、樹の幹がある方向から一番近い位置にヒマワリが植えられています。そうすることで遠くへ旅立っていく太陽から全体的に光を長く浴びられるような配置になっているのです」

 思わず感嘆の声をあげた。

 そういう理由があったんだ!

 合理的すぎる配置に納得しつつも、合理性と対極にありそうな願掛けという言葉が妙に引っかかった。

「じゃあ、願掛けの方はどういう意味があるの?」

 モモは気になって仕方がないようにしながら尋ねた。ちょうど気になっていたのでとてもありがたい質問だ。

 ジニアは少し嬉しそうに微笑むと、優しい口調で続けてくれるのだった。

「旅立っていく太陽をヒマワリが見送るような咲き方になるので、旅立つ人の無事と、太陽からの恵みと加護が僕たちにあるようにという願掛けです。僕たち花人は太陽がないと生きづらい者が多いので、次のユグドラシルの実ができるまで無事に漂い照らし続けてくれることを祈っているのです」

 そう言うとジニアは頭に咲いている自分の花をそっと撫でて微笑み、付け足した。

「植物だからね」

「へー、大変なのね。あたしたちはマナを運んで用事がすんだらシルフ様の元へ戻るのよ。運んでいるマナを使い切って一度消滅したらシルフ様の元で蘇るの。ひとっ飛びよ」

 得意げに話しているのを聞きながら、なるほどと頷いたジニアと一緒にあれ? と同時に呟き顔を見合わせた。

「案内してくれるって言ってた気がするけど、行き方は知ってるの?」

「もしかして僕たちもそれで連れていけるとか?」

 矢継ぎ早に質問が飛んできて気圧されたのか、質問のおかげで帰り道を知らないことに気づいたのか、しょぼくれてしまった様子のモモは両手で顔を覆ってしまった。

 心なしか光も弱々しくなり、ゆらゆらと首の後ろに飛んできて座り込んでしまった。

 ジニアと顔を見合わせ、泣かせてしまったのではないかと二人で大慌てになった。

「ご、ごめん。責めたつもりはないんだ。みんなで一緒にゆっくり道を探そう? きっとそれも楽しいよ」 

「そうだよ。道がわからないのであれば探せばいいんだからね。それに、シルフが月に存在しているのがわかっただけでも僕たちは君に感謝しきれないんだ。だから泣かないで?」

 二人でなだめていると、モモは両手を目が見える程度に顔から離した。

 目が潤んでいて顔は真っ赤になっている。

「別に、泣いてなんてないもん。あたしとしたことが、うっかりしすぎてて恥ずかしくなっちゃっただけだもん。案内したげるなんて偉そうに言っちゃって悪かったわね。……一緒についていかせてほしいの」

 そう言うと、様子を伺うように首元からちらりと顔を出し、上目遣いに見ているので思わず笑わされてしまった。

 自分の首元にずっといるモモのことが見えないはずなのに、どういう様子なのかがわかり、ジニアがどうして笑ったのかもなんとなくわかったので一緒に笑った。

「な、なによなによ!」

 二人して笑うものだから、モモは思わず頬を膨らませて拗ねてしまったが、ジニアと一生懸命なだめたのですっかり機嫌を直してくれた。

「ごめんごめん、なんにもおかしくないよ」

「ぜひ一緒に旅をしましょう!」

 ほんのちょっと照れた様子でこちらを見ている。

「あなたたちが心配でついていくんだから」

 また笑いだしてしまいそうになるのを堪えて、そっとモモの頭を小指で撫で、ありがとうと言った。

 モモはすごく照れくさそうに、撫でてもらった頭に両手をおいてほんのちょっとこちらを見たあとプイと顔をそらしてしまった。



 そんな二人の様子を見て心が温かくなるのを感じつつ、全部の層を見て回るために『夏の層』の案内を進めなければならないなとも思った。

 残された時間がどれほどあるのかもわからないし。

「さて、お二人さんノロけるのはそこまでだよ。花畑の次は森を見に行って春の層に行こうか」

 何か言いたげな様子で二人とも同時に振り向いたが、森はこっちだと言ってさっさと進んでしまったからか、何も言い返さないでパタパタとあとを追ってくる足音を背中で受け止めた。

 他にも案内したい場所はたくさんあったんだけど。

 全部の層を回るとなれば名所と言うべき所だけを回るしかなかった。

 ま、仕方ないよね。

 二人がしっかりついてきている気配を背中に感じながらクスリと笑い、次の目的地である『夏の森』について頭の中で情報をまとめながら歩みを進めた。
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