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空中庭園
秋の層
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秋の層へ行くには『桜の海』へ戻らねばならなかった。
「みんなで登った丘のような枝があったでしょう? あそこの斜め下にユグドラシルの枝が生えているんです。今回はそこを通って秋の層へいきますよ」
3mほど飛び出たユグドラシルの枝がジニアの指さした先にあった。
覗き込んでみると、先が折れていて中が空洞になっている。
ラフレシアを準備すればそのまま上から飛び降りて行けるような、おあつらえ向きの場所。
枝から飛び降り、ゆらゆらと落下しながら見る『春の層』も綺麗で、桜の花びらはこんな風に世界を眺めながら舞っているのかな、なんて思いながらゆっくりと降りていく。
他の枝の中を降りるときと同様に『秋の層』へ踏み込むと、そこは色とりどりの鮮やかな葉で彩られた世界だった。
春の層にあった冷たさを残す温かい空気とは似て非なる涼しい風に吹かれ、落ち葉が軽く舞い踊る。
上を見上げるとユグドラシルの枝が支える大地ではなく、色とりどりの葉をつけた枝々に出迎えられた。
春は花、秋は葉が舞う世界。
空を舞う木々の色彩のなんと綺麗なことか。
「さあ、行方知れずの川はこっちですよ!」
ジニアはいつになく、前もってどこへ行くかもなしにハツラツと案内を始めたので、二人はワクワクしながら後を追った。
行方知れずの川は桜の海で見かけたあの川のことかな。
ほんのしばらく歩くと、ひんやりとした空気の流れに乗ってザーという音が聞こえてくるではないか。
「もうすぐですよー! 僕、実はここが大好きなんです」
なるほどと納得しながら笑みを浮かべてみせる。
ジニアにはこういう振る舞いのほうが合ってるようにも思えて、微笑ましくもあったからだ。
「着きました! ここは『逢瀬の滝壺』です」
木々を抜けると荘厳な滝が目の前に現れた。
入り口からずっと続いていた赤や黄色の屋根は滝のある場所だけぽっかりと開けていて、ユグドラシルのたくましい枝を見上げることができた。
それだけでなく、この滝はあの枝の隙間から流れ落ちているようだ。
目を凝らして見てみると、桜の花びらや梅の花、桃の花が流れ落ちているのが見えた。
「わあ……。すごいなあ」
滝からは桃色の、流れ落ちる水を受け止めている池には赤や黄色の錦が行き交い、踊り、現実では交わることのない季節の邂逅が目の前で起きていた。
「幻想的というより奇跡みたいだ。本当にすごい。滝のおかげかすごく爽やかな空気で、心なしか桃の香りも漂ってくるね」
それを聞いたジニアはニンマリと笑ってうなずき、モモは口元を両手で覆い、目を輝かせていた。
「これが春の層で行方知れずになっていた川の流れ着く先です。決して混じることのない季節をここでは見られます。とてもロマンチックでしょう?」
春の花をこっそりと秋の空間に運び込む川はクピードとプシュケの物語に出てくるゼピュロスを思い起こさせた。
風と川という違いはあるけれど、プシュケをクピードの元へ運んでいるかのようでロマンチックだ。
ゼピュロスには怖い話もある。嫉妬に駆られて円盤をアドニスの額にぶつけて死なせた話だ。
そんな怖い話を凌駕するほど、この愛と心の物語の印象が強い上にロマンチックでたまらなく好きなのだ。
それに、悪い話だけじゃなく良い話もしていたいよね。
どちらも生きる上で必要なものなのだ。
人は誰しも善と悪両方の顔を持っているものなので、片方だけを頑なに信じることは非常に危険だ。
清濁併せ呑む人間になりたいな。
春の花と秋の葉が仲良く水面で踊っているのを、温かい心で微笑みながら見守り続けた。
しばらく三人は無言で滝の音や舞い踊る色彩を堪能していた。
なんて心地よい空間なんだろう!
ぼーっと自然に身を任せて過ごす時間はあっという間だ。
十分すぎるほど楽しんだ頃、ジニアは少し悩ましそうに考えながら いくつか提案をした。
「この層には二つ花畑があります。片方は野原というほうがいいかもしれませんが、そちらは月夜に見るととても美しいんです。旅の間、空で夜を過ごすと思うので、その時にここから見上げる月の雰囲気を楽しむために少しだけ植物を持ち出したいのですが寄ってもいいですか」
反対する理由もないのでモモと一緒に頷く。
野原へ向かう途中、各層を見て回って不思議に思ったことを口にした。
「そういえば、各層で育っている植物は季節の環境ごとに分かれているみたいだけど、枯れたり咲いたりはしてるの?」
ジニアはそれを聞いてニッと笑った。
「良い質問です。実はちゃんと枯れて芽を出し、花を咲かせてるのですが、大体の場合僕らにとって一番長く続いてほしい時期を伸ばしているんです。花が綺麗なら開花期間と全盛期を、実がなってほしいものは熟れて美味しい時期、紅葉が続いてほしかったら紅葉の一番綺麗な時期を。天上の園以外の、季節が固定されている層はどうしてもそうなってしまって。結局は人の都合で気の毒だと考える花人もいるので、植物にとって一番都合のいい時期を調べて伸ばす花人もいます。もちろん、時期をいじらずありのままで育てている人も。天上の園はどの植物も光の調節がされていれば気温や湿度なんて概念はなく、同じ速度で育って同じように枯れていきます。例外で、特殊なマナを込めながら大切に育てると枯れることなくずっと残ることもあります。女王様の住んでいる蓮がそうですね」
この世界の植物は本当に不思議だ。
拾った枝が朽ちずに残っていたのは、もしかするとマナが込められているからなのだろうか。
「それでは『秋の野原』へ行ったあと『花園』へご案内します」
『秋の野原』にはススキが生えているのだろうか。
月夜に見るのが美しいと言っていたし、おそらくきっとそうだ。もし違っていたらどんな植物だろう。
『花園』にはコスモスや彼岸花が咲いているのかな。想像しただけでわくわくしてくる。
想像に花を咲かせながらジニアについていくと、あたり一面ススキだらけになっている場所についた。
上から見ると、風に揺れる白くてふさふさした絨毯のように見えそうだなと思えるくらいたくさんのススキだ。
ススキの向こうには竹林が見える。
風上に位置しているので、秋の涼しい風をよりいっそう爽やかにして届けてくれるかのよう。
ジニアが言っていた月夜を今見ている昼間の月と重ねて思い浮かべてみると、それはもう絶景に違いないと思えるくらい綺麗な野原だ。
規模が小さくなっても雰囲気を楽しみたがったジニアの気持ちがよくわかる。
竹もススキも月によく合って綺麗だ。
手早くススキを摘んだジニアが振り返り、夜のお楽しみですと言っていたずらっぽく微笑みかけた上にウィンクまでするので、違う意味とも捉えられるそれに頬を染めた。
一体どういう……。いや、ススキを飾って月見するのを楽しみにしましょうって意味なのだろうけど。
ちゃんとわかってるはずなのに、動揺してしまっている自分に余計恥じらいを覚えてしまった。
*
「ジニア! 何を言ってるの?!」
モモは動揺したらしく、顔を真っ赤に染めながら裕樹を見ていることに、肝心の本人は気づいていなかった。
裕樹は裕樹でモモとは違った勘違いをしてしまっているようだ。
「ふふん。さあ『花園』へご案内しますよー」
楽しんでいるというのを隠さず素直に表現する。
鼻歌を歌いながら軽くスキップしつつ前を進む。
裕樹はからかわれたことに気が付きつつも怒りもしないで両手で頬をはさみながら、モモは恥ずかしがっているのが読み取れる口調で怒鳴りながらぴゅーんと飛んでついてきた。
*
ジニアが発端で起きた、狼狽秋の色祭り――モモがからかってきたジニアを問い詰めに追いかけ、ジニアはスキップしながら道を進んで逃げるのを、待ってーと叫びながら追いかけたにぎやかな道中――は『花園』に着くとともに終わりを告げた。
「さあ、着きましたよ。『花園』へようこそ」
「わあ、なんて綺麗なんだ」
必死に走ったことをすっかり忘れて歓声を上げた。
追いついたモモが、隣で少しおどけたように言うジニアの頬を軽く引っ張ろうとしたが『夏の層』とはまた違った美しい花畑に歓声をあげ、すっかりジニアへの敵意がなくなっているようだ。
リンドウやコスモス、パンジーにサルビア等の様々な秋の花が咲き乱れる花畑の中心を菊の花が彩っていた。
咲き乱れる花々の周りを囲むように葉牡丹、そのさらに外を彼岸花が囲んでいるのが見える。
金木犀の甘くて強い香りが風に乗って流れてくる。
甘くてとろけそうになるけれどすっきりする爽やかな香り。
目を凝らしてみると、花畑の周りを更に囲むように様々な木々が植えられているのがわかった。
金木犀の隣にザクロ、ザクロの隣に銀木犀、その隣にイチジク、さらに隣が金木犀という順で並んでいる。
ザクロとイチジクには食べごろで美味しそうな果実がついていた。
「んー、いい香りね」
恍惚とした表情のモモがとろけたような声でそんなことを言っていて、少しどぎまぎしてしまった。
「金木犀ってやっぱりいい匂いだよね。それに、こんな遠くまで香ってくるなんて、本当にすごいや。銀木犀は近寄らないと匂わないけど、同じいい香りだよ」
「近寄っていってみますか」
ジニアの提案に間を開けず、モモが行きたいといったので、三人は木の下へ歩みを進めた。
「銀木犀も本当に同じ香りがするわ!」
モモは更に近寄り、銀木犀の香りを胸いっぱいに吸い込んでいる。
「金木犀は香りの主張が強いけれど、求めれば香る程度に大人しい銀木犀の香りの方が大好きだわ。金木犀の香りが強くて銀木犀の香りがちゃんとわかってるか自信ないけれど」
うっとりしながら話すモモはいささか酔っているような表情になっていた。
モモの様子を視界の端で捉えながら、目の前にあるザクロの実があまりにも美味しそうなので口の中がじんわりと湿ってきた。
食べるなら桃を食べたかったのだが、あの時はお腹が空いていなかった。
桃の香りで胸がいっぱいになって食欲がわかなかったのも手伝い、春の層では何かを口にしようとこれっぽっちも思わなかった。
今は今でいい香りで胸がいっぱいだが、空腹過ぎて食欲が暴走しそうだ。
そういえばこちらへきてから何も口にしていなかったな。
どれにしようかなと迷いながら、皮が割れているものが目に入り、ゆっくり手を伸ばしていると、横からジニアが手を掴んできたので驚かされた。
ジニアの顔を見ると、怯えたような驚いたような、それでいてすごく怖い表情を浮かべていた。
「ど、どうしたの?」
目を丸くしながらジニアに問いかけると、目を一旦閉じ、下を向いて吐息をつき、少し疲れたような微笑みを浮かべた。
「この世界の食べ物は、普通の人には毒なんですよ」
いつもと違って暗くて落ち込んだように教えつつ、掴んでいる手をジニアがもう片方の手を添えて優しく包んでから下へおろしてくれるのだった。
毒と聞いてぎょっとしながらザクロを見上げ、包まれている自分の手を見た。
ジニアの手が震えながらも、優しく温かく僕の手を包んでくれていて、感謝の気持ちと申し訳ない気持ちが溢れてきた。
特に、申し訳ない気持ちの方が強く、心配かけて慌てさせてしまったことを反省した。
ジニアが包んでくれている手を空いている手でそっとなでる。
「ジニアくんは僕の恩人だね。いつも助けてくれてありがとう」
撫でていた手でジニアの頭もそっとなでた。
「……僕が教えそこねていたんです」
そう言いながら目を逸らしたジニアの表情には影があった。
もしかして嘘をついているのではないだろうか。
疑っていたり不審なところがあったわけではないのに、嘘をついていることだけがわかった。マナの祝福の影響だろうか。
ジニアくんは悪意をもって嘘をつくような人じゃないってわかってる。なにか大事な理由があるんだね。
しかし、なぜ教えてくれないのか。
それを考えると少し落ち込んできてしまう。
頼りにならない、信頼されていない、もしかすると何かの規則で言えない。他にも可能性はあるのだろうけれど、今の自分にはこれくらいしか思い浮かばなかった。
*
そんな二人の様子を、金木犀、銀木犀の香りから解き放たれていつの間にか正気になっているモモが静かに見守り、考え込んでいることには誰も気づかなかった。
「みんなで登った丘のような枝があったでしょう? あそこの斜め下にユグドラシルの枝が生えているんです。今回はそこを通って秋の層へいきますよ」
3mほど飛び出たユグドラシルの枝がジニアの指さした先にあった。
覗き込んでみると、先が折れていて中が空洞になっている。
ラフレシアを準備すればそのまま上から飛び降りて行けるような、おあつらえ向きの場所。
枝から飛び降り、ゆらゆらと落下しながら見る『春の層』も綺麗で、桜の花びらはこんな風に世界を眺めながら舞っているのかな、なんて思いながらゆっくりと降りていく。
他の枝の中を降りるときと同様に『秋の層』へ踏み込むと、そこは色とりどりの鮮やかな葉で彩られた世界だった。
春の層にあった冷たさを残す温かい空気とは似て非なる涼しい風に吹かれ、落ち葉が軽く舞い踊る。
上を見上げるとユグドラシルの枝が支える大地ではなく、色とりどりの葉をつけた枝々に出迎えられた。
春は花、秋は葉が舞う世界。
空を舞う木々の色彩のなんと綺麗なことか。
「さあ、行方知れずの川はこっちですよ!」
ジニアはいつになく、前もってどこへ行くかもなしにハツラツと案内を始めたので、二人はワクワクしながら後を追った。
行方知れずの川は桜の海で見かけたあの川のことかな。
ほんのしばらく歩くと、ひんやりとした空気の流れに乗ってザーという音が聞こえてくるではないか。
「もうすぐですよー! 僕、実はここが大好きなんです」
なるほどと納得しながら笑みを浮かべてみせる。
ジニアにはこういう振る舞いのほうが合ってるようにも思えて、微笑ましくもあったからだ。
「着きました! ここは『逢瀬の滝壺』です」
木々を抜けると荘厳な滝が目の前に現れた。
入り口からずっと続いていた赤や黄色の屋根は滝のある場所だけぽっかりと開けていて、ユグドラシルのたくましい枝を見上げることができた。
それだけでなく、この滝はあの枝の隙間から流れ落ちているようだ。
目を凝らして見てみると、桜の花びらや梅の花、桃の花が流れ落ちているのが見えた。
「わあ……。すごいなあ」
滝からは桃色の、流れ落ちる水を受け止めている池には赤や黄色の錦が行き交い、踊り、現実では交わることのない季節の邂逅が目の前で起きていた。
「幻想的というより奇跡みたいだ。本当にすごい。滝のおかげかすごく爽やかな空気で、心なしか桃の香りも漂ってくるね」
それを聞いたジニアはニンマリと笑ってうなずき、モモは口元を両手で覆い、目を輝かせていた。
「これが春の層で行方知れずになっていた川の流れ着く先です。決して混じることのない季節をここでは見られます。とてもロマンチックでしょう?」
春の花をこっそりと秋の空間に運び込む川はクピードとプシュケの物語に出てくるゼピュロスを思い起こさせた。
風と川という違いはあるけれど、プシュケをクピードの元へ運んでいるかのようでロマンチックだ。
ゼピュロスには怖い話もある。嫉妬に駆られて円盤をアドニスの額にぶつけて死なせた話だ。
そんな怖い話を凌駕するほど、この愛と心の物語の印象が強い上にロマンチックでたまらなく好きなのだ。
それに、悪い話だけじゃなく良い話もしていたいよね。
どちらも生きる上で必要なものなのだ。
人は誰しも善と悪両方の顔を持っているものなので、片方だけを頑なに信じることは非常に危険だ。
清濁併せ呑む人間になりたいな。
春の花と秋の葉が仲良く水面で踊っているのを、温かい心で微笑みながら見守り続けた。
しばらく三人は無言で滝の音や舞い踊る色彩を堪能していた。
なんて心地よい空間なんだろう!
ぼーっと自然に身を任せて過ごす時間はあっという間だ。
十分すぎるほど楽しんだ頃、ジニアは少し悩ましそうに考えながら いくつか提案をした。
「この層には二つ花畑があります。片方は野原というほうがいいかもしれませんが、そちらは月夜に見るととても美しいんです。旅の間、空で夜を過ごすと思うので、その時にここから見上げる月の雰囲気を楽しむために少しだけ植物を持ち出したいのですが寄ってもいいですか」
反対する理由もないのでモモと一緒に頷く。
野原へ向かう途中、各層を見て回って不思議に思ったことを口にした。
「そういえば、各層で育っている植物は季節の環境ごとに分かれているみたいだけど、枯れたり咲いたりはしてるの?」
ジニアはそれを聞いてニッと笑った。
「良い質問です。実はちゃんと枯れて芽を出し、花を咲かせてるのですが、大体の場合僕らにとって一番長く続いてほしい時期を伸ばしているんです。花が綺麗なら開花期間と全盛期を、実がなってほしいものは熟れて美味しい時期、紅葉が続いてほしかったら紅葉の一番綺麗な時期を。天上の園以外の、季節が固定されている層はどうしてもそうなってしまって。結局は人の都合で気の毒だと考える花人もいるので、植物にとって一番都合のいい時期を調べて伸ばす花人もいます。もちろん、時期をいじらずありのままで育てている人も。天上の園はどの植物も光の調節がされていれば気温や湿度なんて概念はなく、同じ速度で育って同じように枯れていきます。例外で、特殊なマナを込めながら大切に育てると枯れることなくずっと残ることもあります。女王様の住んでいる蓮がそうですね」
この世界の植物は本当に不思議だ。
拾った枝が朽ちずに残っていたのは、もしかするとマナが込められているからなのだろうか。
「それでは『秋の野原』へ行ったあと『花園』へご案内します」
『秋の野原』にはススキが生えているのだろうか。
月夜に見るのが美しいと言っていたし、おそらくきっとそうだ。もし違っていたらどんな植物だろう。
『花園』にはコスモスや彼岸花が咲いているのかな。想像しただけでわくわくしてくる。
想像に花を咲かせながらジニアについていくと、あたり一面ススキだらけになっている場所についた。
上から見ると、風に揺れる白くてふさふさした絨毯のように見えそうだなと思えるくらいたくさんのススキだ。
ススキの向こうには竹林が見える。
風上に位置しているので、秋の涼しい風をよりいっそう爽やかにして届けてくれるかのよう。
ジニアが言っていた月夜を今見ている昼間の月と重ねて思い浮かべてみると、それはもう絶景に違いないと思えるくらい綺麗な野原だ。
規模が小さくなっても雰囲気を楽しみたがったジニアの気持ちがよくわかる。
竹もススキも月によく合って綺麗だ。
手早くススキを摘んだジニアが振り返り、夜のお楽しみですと言っていたずらっぽく微笑みかけた上にウィンクまでするので、違う意味とも捉えられるそれに頬を染めた。
一体どういう……。いや、ススキを飾って月見するのを楽しみにしましょうって意味なのだろうけど。
ちゃんとわかってるはずなのに、動揺してしまっている自分に余計恥じらいを覚えてしまった。
*
「ジニア! 何を言ってるの?!」
モモは動揺したらしく、顔を真っ赤に染めながら裕樹を見ていることに、肝心の本人は気づいていなかった。
裕樹は裕樹でモモとは違った勘違いをしてしまっているようだ。
「ふふん。さあ『花園』へご案内しますよー」
楽しんでいるというのを隠さず素直に表現する。
鼻歌を歌いながら軽くスキップしつつ前を進む。
裕樹はからかわれたことに気が付きつつも怒りもしないで両手で頬をはさみながら、モモは恥ずかしがっているのが読み取れる口調で怒鳴りながらぴゅーんと飛んでついてきた。
*
ジニアが発端で起きた、狼狽秋の色祭り――モモがからかってきたジニアを問い詰めに追いかけ、ジニアはスキップしながら道を進んで逃げるのを、待ってーと叫びながら追いかけたにぎやかな道中――は『花園』に着くとともに終わりを告げた。
「さあ、着きましたよ。『花園』へようこそ」
「わあ、なんて綺麗なんだ」
必死に走ったことをすっかり忘れて歓声を上げた。
追いついたモモが、隣で少しおどけたように言うジニアの頬を軽く引っ張ろうとしたが『夏の層』とはまた違った美しい花畑に歓声をあげ、すっかりジニアへの敵意がなくなっているようだ。
リンドウやコスモス、パンジーにサルビア等の様々な秋の花が咲き乱れる花畑の中心を菊の花が彩っていた。
咲き乱れる花々の周りを囲むように葉牡丹、そのさらに外を彼岸花が囲んでいるのが見える。
金木犀の甘くて強い香りが風に乗って流れてくる。
甘くてとろけそうになるけれどすっきりする爽やかな香り。
目を凝らしてみると、花畑の周りを更に囲むように様々な木々が植えられているのがわかった。
金木犀の隣にザクロ、ザクロの隣に銀木犀、その隣にイチジク、さらに隣が金木犀という順で並んでいる。
ザクロとイチジクには食べごろで美味しそうな果実がついていた。
「んー、いい香りね」
恍惚とした表情のモモがとろけたような声でそんなことを言っていて、少しどぎまぎしてしまった。
「金木犀ってやっぱりいい匂いだよね。それに、こんな遠くまで香ってくるなんて、本当にすごいや。銀木犀は近寄らないと匂わないけど、同じいい香りだよ」
「近寄っていってみますか」
ジニアの提案に間を開けず、モモが行きたいといったので、三人は木の下へ歩みを進めた。
「銀木犀も本当に同じ香りがするわ!」
モモは更に近寄り、銀木犀の香りを胸いっぱいに吸い込んでいる。
「金木犀は香りの主張が強いけれど、求めれば香る程度に大人しい銀木犀の香りの方が大好きだわ。金木犀の香りが強くて銀木犀の香りがちゃんとわかってるか自信ないけれど」
うっとりしながら話すモモはいささか酔っているような表情になっていた。
モモの様子を視界の端で捉えながら、目の前にあるザクロの実があまりにも美味しそうなので口の中がじんわりと湿ってきた。
食べるなら桃を食べたかったのだが、あの時はお腹が空いていなかった。
桃の香りで胸がいっぱいになって食欲がわかなかったのも手伝い、春の層では何かを口にしようとこれっぽっちも思わなかった。
今は今でいい香りで胸がいっぱいだが、空腹過ぎて食欲が暴走しそうだ。
そういえばこちらへきてから何も口にしていなかったな。
どれにしようかなと迷いながら、皮が割れているものが目に入り、ゆっくり手を伸ばしていると、横からジニアが手を掴んできたので驚かされた。
ジニアの顔を見ると、怯えたような驚いたような、それでいてすごく怖い表情を浮かべていた。
「ど、どうしたの?」
目を丸くしながらジニアに問いかけると、目を一旦閉じ、下を向いて吐息をつき、少し疲れたような微笑みを浮かべた。
「この世界の食べ物は、普通の人には毒なんですよ」
いつもと違って暗くて落ち込んだように教えつつ、掴んでいる手をジニアがもう片方の手を添えて優しく包んでから下へおろしてくれるのだった。
毒と聞いてぎょっとしながらザクロを見上げ、包まれている自分の手を見た。
ジニアの手が震えながらも、優しく温かく僕の手を包んでくれていて、感謝の気持ちと申し訳ない気持ちが溢れてきた。
特に、申し訳ない気持ちの方が強く、心配かけて慌てさせてしまったことを反省した。
ジニアが包んでくれている手を空いている手でそっとなでる。
「ジニアくんは僕の恩人だね。いつも助けてくれてありがとう」
撫でていた手でジニアの頭もそっとなでた。
「……僕が教えそこねていたんです」
そう言いながら目を逸らしたジニアの表情には影があった。
もしかして嘘をついているのではないだろうか。
疑っていたり不審なところがあったわけではないのに、嘘をついていることだけがわかった。マナの祝福の影響だろうか。
ジニアくんは悪意をもって嘘をつくような人じゃないってわかってる。なにか大事な理由があるんだね。
しかし、なぜ教えてくれないのか。
それを考えると少し落ち込んできてしまう。
頼りにならない、信頼されていない、もしかすると何かの規則で言えない。他にも可能性はあるのだろうけれど、今の自分にはこれくらいしか思い浮かばなかった。
*
そんな二人の様子を、金木犀、銀木犀の香りから解き放たれていつの間にか正気になっているモモが静かに見守り、考え込んでいることには誰も気づかなかった。
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