木野恵

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8羽

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 初めて盗みをした。
 人に盗め盗めとそそのかしたり、手本を見せてやるなどと嘯きはしたが、これが短い人生で初めての盗みだった。飯はいつもそのへんに落ちてるものや恵んでもらえるもので十分足りていた。
 食パンの袋は鳩にとって重かった。重かったが、運べないことはなかった。
 自動ドアを外から開けている、毛先だけ黒の白い人間が入り口に見えた。開いていることに気づかず、ずっと出入り口付近に立っているという演技をしてくれている。その横を素早く飛び去る。
 店の人間が怒鳴る声を背中に浴びつつ、羽音を立てながら必死に飛んで逃げた。後ろで白い人間が動物の尊さを店員に説き、なだめている様子が見える。良い足止めと説得だ。
 ボックスウッドと呼ばれる植木の多い場所で、兎が前足を振りながら待ってくれているのが見えた。植木の根元に軽く穴が掘られている。なるほど、そこへ一時的に隠すつもりか。
 よく考えたと感心しつつ、兎の元へパンの袋を運んで置き、しばらくボックスウッドの影に隠れながら飛んで逃げる。どこにパンを置いたかわかりづらくするためだ。
 ここまで運ぶのはかなり苦労した。なんせ鳩にとって食パンの袋は掴みながら飛ぶのにかなりの重さがあった。
 あとは任せたぞ兎。
 後ろで兎が植木の下へとパンの袋を引きずり込み、人間どもから上手に隠してくれているのが見えた。

「鳩すっごい! 大きな口叩くだけあって、上手に盗んでいったね! 兎さんもすごい発想! バレるんじゃないかと思って冷や冷やしながら見ていたけれど、とっても上手に隠しててすごかったよ!」
 上手くほとぼりを冷ますことが出来たので二羽と合流した。二羽の連携プレーに心からの称賛を浴びせる。
 二羽とも満更でもない様子で褒め言葉を受け取っている。可愛い。
「あんたもなかなかじゃあねえか。動物庇ってタコ殴りにされるんじゃないかと心配で聞き耳立ててたけどさ、見た目のおかげもあったのか、あの店のやつ、素直にうんうん頷きながら聞いててびっくりしちまったよ」
 兎は耳をぴょこぴょこさせながら褒めてくれた。嬉しくて顔が熱い。
「お前には盗みが出来ねえってんなら、俺みたいに得意なやつがやればいいってこったな。適材適所だ。俺らで上手く役割分担すれば盗みもこんなに楽にできるってこった。成し遂げた内容はあれだが、協力して何かをするってのは楽しいもんだな」
 鳩が珍しく楽しいなんて言っているので、こちらの心も温かくなるのだった。
 みんなで一緒に頑張って盗んだ食パンを頬張る。空腹だとかそういうのを抜きにしても、いつも以上に、いや、今までで食べた物の中で一番美味しいと感じるのだった。

 腹ごしらえを終えた一行は、山に向かいつつ手頃そうな田畑がないか目を光らせていた。
「桃食べたいな」
 桃があったわけではないが、なんとなく食べたいと思って口にした言葉がこれからの運命を左右することになるなど知る由もなかった。
「いいねえー桃」
「俺も桃良いと思う。桃農家でも探すか。そういや、俺が根城にしていた山の近くにあった気がするぞ桃農家」
「じゃあ、そこ目指していこう!」 
 最初は、盗みに入る農園の話題として盛り上がっただけだった。

 私たちが目的地の山付近にある桃農園にたどり着いたのは真夜中だった。
 いつもなら真夜中は雨風しのげそうな場所を見繕って野宿しているところだったが、この日は山が近いこと、農園で盗みを働くなら夜の方が都合が良いとのことだったので、休まず進行していた。
 運が良いのか悪いのか、これが私たちの運命を左右する大きな出来事になった。良い意味で。
 なんと、私たちの目の前ですでに盗みに入っている輩がいるのだ。
 まだ熟れていない桃を次々にもいで積み込んでいる。盗み始めではあったが、たくさんの桃が手にかけられていっている。
「おいおい、あれまだ食えねえぞ。しかもあんなに大量に。やばすぎんだろ。ぜってー売り捌く気だぞあれ」
 鳩が声を上げて騒いでいる。兎は黙って腕を組み、しかめっ面だ。
 私は口をあんぐり開けて様子を見ていたが、ぎゅっと唇を噛み締め、どこからか湧いてきた怒りに震えた。
「さすがにあれ酷いんじゃない? 食べ物がなくて飢えそうで、食べる分だけ盗っちゃうならまだ仕方ないと思うけど、苦労して育てて実ったものを横から奪い取って稼ごうとするなんて」
 兎はうんうんと頷き、鳩は目を閉じて少し考え込んでいる。
「おいらもあれにはちょっとなあ。いっちょ悪戯なりして邪魔してくるかい?」
「それいいかもね。農家の人のために取り返せるだけ盗っちゃおう。こういう盗みなら抵抗ないかも」
 鳩はゆっくり目を開けた。
「やれんのか? 俺はお前の身体能力には光るものがあると睨んでたんだ。今まで黙ってたが、お前が二階から飛び降りたとき、うっすら意識があったんだよな。あれは見事なジャンプだった。本当にただ引きこもってただけだったのか疑わしいくらいだ。お前に万引きやらそうとしてた理由の一つでもある。後付けだのなんだの好きに言うがいい」
 鳩が珍しく私を褒めてきたのでみるみるうちに顔が赤く染まる。
「今までそんなこと思ってくれてたの?」
 無意識に目を伏せ、顔を逸らしてしまう。照れくさくてたまらない気持ちを隠すことができなかった。
「ああ。もしかしたらこいつは真っ白な人間じゃなく、真っ白なゴリラかもしれねえとか思いながら見てたぞ。今まで結構な距離歩いてきたが全然音を上げてねえところとか体力お化け、ゴリラの真髄を感じるぜ」
 さっきまで気分良くなれる言葉を並べてくれていたのに、照れたらすぐこれだ! ほとんど悪口じゃあないか!!
 思わず拳を振り上げてしまっていると、兎が大笑いしながらなだめてくれた。
「まあまあ、落ち着きなって。どっからどう見ても体の丈夫な人間さんさ! 鳩さんは柄にもなく毒気のないこといっちまって照れ隠ししてんのさあ。ここで殴っちまったら本当にゴリラになっちまうぞお?」
 顔を真っ赤にしながら兎を見ると、にっこりと微笑みかけてくれていて、ちょっとずつ気持ちが穏やかになるのを感じた。
 鳩はというと、兎が言ったように照れているのか、尾羽根がこちらに向くようにピョコンと跳んで体の向きを変えている。
「……それもそうだね。この拳はあの桃泥棒にぶつけることにするよ。……覚えてろよ鳩この野郎」
 最後はボソボソと言ったが、二羽ともちゃんと言葉を拾ってしまっていて大笑いされた。
「いいぞ、その調子!」
「俺は鳥で三歩歩けば忘れるから覚えちゃいられねえなあ」
 むっかつくー! でも、楽しいな。
「泥棒退治、上手くいくと良いけど」
 素直に不安を口にすると、兎が耳をピクピクさせながら眩しい笑顔を浮かべた。
「おいらにいい考えがあるんだ。ちょいと耳を貸してくんな」
 鳩と私は兎に耳を寄せ、作戦会議の始まりだった。

 トラックの近くまで来ると、聞いたことのない言葉が飛び交っていた。
 兎は耳をぴょこぴょこと動かす。
 兎のこなす作戦はこうだ。
 車の中に人がいるかどうかの偵察、いなければ鍵を奪う。いた場合はタイヤの前後に穴を掘って罠を仕掛ける。
 中には誰もいないが、トラックの荷台で桃の入った籠を積み込んで働いている人間が一人だけいた。
 なかなか勤勉じゃあないか。邪魔しちまうがな。
 心の中で称賛を送り、早速鍵を盗んだ。ちょろいちょろい。
 必要以上に何かしないほうが良いと思いつつも、備えあれば憂いなし。ついでに穴も掘っとくことにした。

 鳩はというと、住処にしていた山が近かったおかげで仲間をかき集めることができた。
「あの桃泥棒どもがもしも俺らの山にたくさんの山の幸があることに気付いたとしよう。次は俺らの山から幸が消える。あの桃みたいに大量に奪われたらひとたまりもねえぞ」
 鳩の呼びかけに応じたのはカラス、ツキノワグマ、キツネにタヌキといった顔ぶれだ。
「どうか一緒に戦ってくれ」
 動物たちは興奮しているというよりも大はしゃぎ、お祭り気分で、山から桃農園へとおりていった。

 そして私はというと……。
 鳩と兎の指示で、農園と山の間かつ農園から見渡したときに見えない場所で準備をした。
 不本意だが、鳩と兎がいうところの山の神様っぽい衣装――白装束っぽい着物――を着込んでいた。非常に不本意だが。
 パンをくれた女性が頭に浮かぶ。
 思い出すと怖くてみぞおちがきゅっとなるがやってみるしかない。
 毛先の黒い部分をちょっとずつ盗んだハサミで切っていく。これは自分で盗んだものだ。今着ているこの白い衣装も。
 どちらもすぐにバレて追いかけられたが、鳩が一生懸命飛んで逃げていた姿を思い返しながら、私も必死になって走って逃げた。思いっきり走るのは案外気持ちの良いもので、風にでもなったような気分になれた。
 夢中になって走っていると、いつの間にか追手をまけていたのだった。
 ハサミは、毛先だけが黒い方が恥ずかしいと思ったので、髪を切るために盗んだ。白装束っぽい服は、もしもなにかあったときの保険として盗んでおいたものだった。まさかこんな使い方をするとは思いもしなかったが、盗んでいて良かった、蛇の話を聞いていて良かったと思わされ、自然と顔に笑みが浮かぶ。
 蛇の話を聞いていなければ盗んでおこうと思わなかっただろうし、作戦の中に神様のフリをするなんてものも入ってこなかったろう。
「……こんなもんかなあ」
 鏡があってもなくても、あたりは月明かりで照らされているだけでほとんど見えないが、自分の白い髪は月の光を受け、キラキラと輝いて見えた。
 鳩と兎が言うには、神様っぽく振る舞ってダメだったら力ずくの体力勝負、脳筋作戦でいいとのことだった。
 念のために準備体操をする。体が緊張しているのかだいぶ強張っていたが、準備体操をしているとちょっとずつほぐれてくるのを感じる。
 泥棒退治には参加しないらしいが、鳩の準備ができたら鹿が鳴き声を上げて協力してくれるという話だった。
 待っている間、しっかり手首と足首も動かしておく。早く走り回りたくてうずいてきた。
 鹿の鳴き声が静寂を引き裂き、あたりに響き渡る。合図だ。
 解けていったはずの緊張の糸が、もう一度まとわりついてくる。
 桃農園へゆっくり、しっかりと足を踏み出した。
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