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「……エルナ。久しぶりだな」
神殿の門前に、見覚えのある豪華な馬車が止まっていた。
降りてきたのは、私を奈落の底へ突き落とした張本人――カイル・ド・ヴァルモア第一王子だ。
傍らにリリア様の姿はなく、彼はどこか焦燥した様子で私を上から下まで眺めた。
「……何の御用でしょうか、殿下。ここは神聖な修行の場。遊び半分で来られる場所ではありませんわ」
私は持っていた箒を傍らに立てかけ、冷ややかな視線を返した。
かつての私なら、彼の顔を見ただけで涙が溢れ、許しを請うていたかもしれない。けれど今は、驚くほど心が静かだった。
「……随分と様変わりしたな。その薄汚れた修道服、そしてその不遜な態度。公爵令嬢としての矜持はどうした」
「矜持なら、今の方がずっと持っておりますわ。自分の手で働き、自分の足で立つ。今の私には、守るべきものが明確にありますから」
「ふん、強がりを。……話を聞いたぞ。演習場で『浄化』の力を見せたそうだな」
カイル様が一歩詰め寄る。その瞳には、かつて私に向けられていた嫌悪ではなく、品定めをするような厭わしい熱が宿っていた。
「……あれは、リリアが持つ魔力とはまた違う種類のものだとか。王家にはお前のその力が必要だ。幸い、リリアの魔力には少し不安定なところがあってな」
「……それが、何だと言うのですか?」
「許してやると言っているのだ。お前のレッテルを剥がし、再び婚約者の地位に戻してやろう。感謝するがいい、エルナ」
カイル様は当然のように手を差し出してきた。
「リリアは側妃として迎えれば済む話だ。お前は正妃として、私の隣でその力を使え。それがお前にとって、一番の幸せだろう?」
あまりの厚顔無恥さに、私は思わず乾いた笑い声を漏らした。
「……おかしいですわね。殿下はあの夜会で、私を『無能なゴミ』と呼び、泥水をすすれとおっしゃいましたわ」
「それは……お前が不器用で、私を苛立たせたからだ。だが今は違うだろう」
「いいえ。何も違っていません。私は今でも、殿下の望むような、お人形のように都合の良い令嬢ではありませんもの」
私は差し出された手を、迷いなく撥ね退けた。
パチン、と乾いた音が響く。
「……っ、貴様! この私を拒絶するというのか!?」
「ええ。何度でも申し上げます。私は、二度とあのような冷たい場所へは戻りません」
私は一歩も退かずに、カイル様の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「今の私には、厳しくも私を導いてくれる師がいます。私を信じてくれる仲間がいます。……何より、自分自身を誇れるようになりました」
「……あんな神官がか! あいつはお前をただ酷使しているだけではないか!」
「酷使? いいえ、ジークは私に『生きる力』をくださいました。……殿下、あなたには一生理解できないでしょうね」
私が静かに告げると、カイル様は顔を真っ赤にして絶句した。
「……そこまでだ、殿下」
背後の扉が開き、ジークが姿を現した。
彼は私の肩にそっと手を置き、私を庇うようにしてカイル様の前に立った。
「今の彼女は、神殿が保護する身。たとえ王子であっても、本人の意志に反して連れ去ることは許されない」
「ジークヴァルト……貴様、エルナを唆して何を企んでいる!」
「企んでいるのはどちらだ。価値がないと捨てた石が、実は宝石だと気づいて拾い直そうとする……。その浅ましさには反吐が出る」
ジークの冷徹な言葉が、カイル様の自尊心をズタズタに切り裂いていく。
「……エルナ、覚えていろ! 後悔するのはお前の方だ!」
カイル様は捨て台詞を残し、逃げるように馬車へと乗り込んでいった。
走り去る馬車の土煙を見つめながら、私は深く息を吐いた。
「……ありがとうございました、ジーク」
「……礼を言われる筋合いはない。お前があまりに鈍臭い断り方をするから、見ていられなかっただけだ」
ジークは手を離すと、わざとらしく溜息をついた。
「だが、少しは成長したようだな。あの男の前で、一度も目を逸らさなかった」
「……ええ。なんだか、吹っ切れました。あんな人のために泣いていた自分が、今では信じられませんわ」
私は清々しい気持ちで、再び箒を握り直した。
「さあ、掃除を続けましょう。夕食のパンが半分になるのは困りますから!」
「……ふん。現金なやつだ」
ジークの口角が、ほんの少しだけ上がった。
私はもう、過去に囚われる悪役令嬢ではない。
自分の手で、この泥の中から最高の幸せを掴み取ってみせる。そう、心に誓った。
神殿の門前に、見覚えのある豪華な馬車が止まっていた。
降りてきたのは、私を奈落の底へ突き落とした張本人――カイル・ド・ヴァルモア第一王子だ。
傍らにリリア様の姿はなく、彼はどこか焦燥した様子で私を上から下まで眺めた。
「……何の御用でしょうか、殿下。ここは神聖な修行の場。遊び半分で来られる場所ではありませんわ」
私は持っていた箒を傍らに立てかけ、冷ややかな視線を返した。
かつての私なら、彼の顔を見ただけで涙が溢れ、許しを請うていたかもしれない。けれど今は、驚くほど心が静かだった。
「……随分と様変わりしたな。その薄汚れた修道服、そしてその不遜な態度。公爵令嬢としての矜持はどうした」
「矜持なら、今の方がずっと持っておりますわ。自分の手で働き、自分の足で立つ。今の私には、守るべきものが明確にありますから」
「ふん、強がりを。……話を聞いたぞ。演習場で『浄化』の力を見せたそうだな」
カイル様が一歩詰め寄る。その瞳には、かつて私に向けられていた嫌悪ではなく、品定めをするような厭わしい熱が宿っていた。
「……あれは、リリアが持つ魔力とはまた違う種類のものだとか。王家にはお前のその力が必要だ。幸い、リリアの魔力には少し不安定なところがあってな」
「……それが、何だと言うのですか?」
「許してやると言っているのだ。お前のレッテルを剥がし、再び婚約者の地位に戻してやろう。感謝するがいい、エルナ」
カイル様は当然のように手を差し出してきた。
「リリアは側妃として迎えれば済む話だ。お前は正妃として、私の隣でその力を使え。それがお前にとって、一番の幸せだろう?」
あまりの厚顔無恥さに、私は思わず乾いた笑い声を漏らした。
「……おかしいですわね。殿下はあの夜会で、私を『無能なゴミ』と呼び、泥水をすすれとおっしゃいましたわ」
「それは……お前が不器用で、私を苛立たせたからだ。だが今は違うだろう」
「いいえ。何も違っていません。私は今でも、殿下の望むような、お人形のように都合の良い令嬢ではありませんもの」
私は差し出された手を、迷いなく撥ね退けた。
パチン、と乾いた音が響く。
「……っ、貴様! この私を拒絶するというのか!?」
「ええ。何度でも申し上げます。私は、二度とあのような冷たい場所へは戻りません」
私は一歩も退かずに、カイル様の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「今の私には、厳しくも私を導いてくれる師がいます。私を信じてくれる仲間がいます。……何より、自分自身を誇れるようになりました」
「……あんな神官がか! あいつはお前をただ酷使しているだけではないか!」
「酷使? いいえ、ジークは私に『生きる力』をくださいました。……殿下、あなたには一生理解できないでしょうね」
私が静かに告げると、カイル様は顔を真っ赤にして絶句した。
「……そこまでだ、殿下」
背後の扉が開き、ジークが姿を現した。
彼は私の肩にそっと手を置き、私を庇うようにしてカイル様の前に立った。
「今の彼女は、神殿が保護する身。たとえ王子であっても、本人の意志に反して連れ去ることは許されない」
「ジークヴァルト……貴様、エルナを唆して何を企んでいる!」
「企んでいるのはどちらだ。価値がないと捨てた石が、実は宝石だと気づいて拾い直そうとする……。その浅ましさには反吐が出る」
ジークの冷徹な言葉が、カイル様の自尊心をズタズタに切り裂いていく。
「……エルナ、覚えていろ! 後悔するのはお前の方だ!」
カイル様は捨て台詞を残し、逃げるように馬車へと乗り込んでいった。
走り去る馬車の土煙を見つめながら、私は深く息を吐いた。
「……ありがとうございました、ジーク」
「……礼を言われる筋合いはない。お前があまりに鈍臭い断り方をするから、見ていられなかっただけだ」
ジークは手を離すと、わざとらしく溜息をついた。
「だが、少しは成長したようだな。あの男の前で、一度も目を逸らさなかった」
「……ええ。なんだか、吹っ切れました。あんな人のために泣いていた自分が、今では信じられませんわ」
私は清々しい気持ちで、再び箒を握り直した。
「さあ、掃除を続けましょう。夕食のパンが半分になるのは困りますから!」
「……ふん。現金なやつだ」
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