ずっと貴方の思う悪役令嬢だと思って?

桜井ことり

文字の大きさ
9 / 30

9

「……エルナ。久しぶりだな」

神殿の門前に、見覚えのある豪華な馬車が止まっていた。

降りてきたのは、私を奈落の底へ突き落とした張本人――カイル・ド・ヴァルモア第一王子だ。

傍らにリリア様の姿はなく、彼はどこか焦燥した様子で私を上から下まで眺めた。

「……何の御用でしょうか、殿下。ここは神聖な修行の場。遊び半分で来られる場所ではありませんわ」

私は持っていた箒を傍らに立てかけ、冷ややかな視線を返した。

かつての私なら、彼の顔を見ただけで涙が溢れ、許しを請うていたかもしれない。けれど今は、驚くほど心が静かだった。

「……随分と様変わりしたな。その薄汚れた修道服、そしてその不遜な態度。公爵令嬢としての矜持はどうした」

「矜持なら、今の方がずっと持っておりますわ。自分の手で働き、自分の足で立つ。今の私には、守るべきものが明確にありますから」

「ふん、強がりを。……話を聞いたぞ。演習場で『浄化』の力を見せたそうだな」

カイル様が一歩詰め寄る。その瞳には、かつて私に向けられていた嫌悪ではなく、品定めをするような厭わしい熱が宿っていた。

「……あれは、リリアが持つ魔力とはまた違う種類のものだとか。王家にはお前のその力が必要だ。幸い、リリアの魔力には少し不安定なところがあってな」

「……それが、何だと言うのですか?」

「許してやると言っているのだ。お前のレッテルを剥がし、再び婚約者の地位に戻してやろう。感謝するがいい、エルナ」

カイル様は当然のように手を差し出してきた。

「リリアは側妃として迎えれば済む話だ。お前は正妃として、私の隣でその力を使え。それがお前にとって、一番の幸せだろう?」

あまりの厚顔無恥さに、私は思わず乾いた笑い声を漏らした。

「……おかしいですわね。殿下はあの夜会で、私を『無能なゴミ』と呼び、泥水をすすれとおっしゃいましたわ」

「それは……お前が不器用で、私を苛立たせたからだ。だが今は違うだろう」

「いいえ。何も違っていません。私は今でも、殿下の望むような、お人形のように都合の良い令嬢ではありませんもの」

私は差し出された手を、迷いなく撥ね退けた。

パチン、と乾いた音が響く。

「……っ、貴様! この私を拒絶するというのか!?」

「ええ。何度でも申し上げます。私は、二度とあのような冷たい場所へは戻りません」

私は一歩も退かずに、カイル様の瞳を真っ直ぐに見据えた。

「今の私には、厳しくも私を導いてくれる師がいます。私を信じてくれる仲間がいます。……何より、自分自身を誇れるようになりました」

「……あんな神官がか! あいつはお前をただ酷使しているだけではないか!」

「酷使? いいえ、ジークは私に『生きる力』をくださいました。……殿下、あなたには一生理解できないでしょうね」

私が静かに告げると、カイル様は顔を真っ赤にして絶句した。

「……そこまでだ、殿下」

背後の扉が開き、ジークが姿を現した。

彼は私の肩にそっと手を置き、私を庇うようにしてカイル様の前に立った。

「今の彼女は、神殿が保護する身。たとえ王子であっても、本人の意志に反して連れ去ることは許されない」

「ジークヴァルト……貴様、エルナを唆して何を企んでいる!」

「企んでいるのはどちらだ。価値がないと捨てた石が、実は宝石だと気づいて拾い直そうとする……。その浅ましさには反吐が出る」

ジークの冷徹な言葉が、カイル様の自尊心をズタズタに切り裂いていく。

「……エルナ、覚えていろ! 後悔するのはお前の方だ!」

カイル様は捨て台詞を残し、逃げるように馬車へと乗り込んでいった。

走り去る馬車の土煙を見つめながら、私は深く息を吐いた。

「……ありがとうございました、ジーク」

「……礼を言われる筋合いはない。お前があまりに鈍臭い断り方をするから、見ていられなかっただけだ」

ジークは手を離すと、わざとらしく溜息をついた。

「だが、少しは成長したようだな。あの男の前で、一度も目を逸らさなかった」

「……ええ。なんだか、吹っ切れました。あんな人のために泣いていた自分が、今では信じられませんわ」

私は清々しい気持ちで、再び箒を握り直した。

「さあ、掃除を続けましょう。夕食のパンが半分になるのは困りますから!」

「……ふん。現金なやつだ」

ジークの口角が、ほんの少しだけ上がった。

私はもう、過去に囚われる悪役令嬢ではない。

自分の手で、この泥の中から最高の幸せを掴み取ってみせる。そう、心に誓った。
感想 0

あなたにおすすめの小説

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

理想の女性を見つけた時には、運命の人を愛人にして白い結婚を宣言していました

ぺきぺき
恋愛
王家の次男として生まれたヨーゼフには幼い頃から決められていた婚約者がいた。兄の補佐として育てられ、兄の息子が立太子した後には臣籍降下し大公になるよていだった。 このヨーゼフ、優秀な頭脳を持ち、立派な大公となることが期待されていたが、幼い頃に見た絵本のお姫様を理想の女性として探し続けているという残念なところがあった。 そしてついに貴族学園で絵本のお姫様とそっくりな令嬢に出会う。 ーーーー 若気の至りでやらかしたことに苦しめられる主人公が最後になんとか幸せになる話。 作者別作品『二人のエリーと遅れてあらわれるヒーローたち』のスピンオフになっていますが、単体でも読めます。 完結まで執筆済み。毎日四話更新で4/24に完結予定。 第一章 無計画な婚約破棄 第二章 無計画な白い結婚 第三章 無計画な告白 第四章 無計画なプロポーズ 第五章 無計画な真実の愛 エピローグ

やり直し令嬢は本当にやり直す

お好み焼き
恋愛
やり直しにも色々あるものです。婚約者に若い令嬢に乗り換えられ婚約解消されてしまったので、本来なら婚約する前に時を巻き戻すことが出来ればそれが一番よかったのですけれど、そんな事は神ではないわたくしには不可能です。けれどわたくしの場合は、寿命は変えられないけど見た目年齢は変えられる不老のエルフの血を引いていたお陰で、本当にやり直すことができました。一方わたくしから若いご令嬢に乗り換えた元婚約者は……。

【完結】お飾り妃〜寵愛は聖女様のモノ〜

恋愛
今日、私はお飾りの妃となります。 ※実際の慣習等とは異なる場合があり、あくまでこの世界観での要素もございますので御了承ください。

あの、初夜の延期はできますか?

木嶋うめ香
恋愛
「申し訳ないが、延期をお願いできないだろうか。その、いつまでとは今はいえないのだが」 私シュテフイーナ・バウワーは今日ギュスターヴ・エリンケスと結婚し、シュテフイーナ・エリンケスになった。 結婚祝の宴を終え、侍女とメイド達に準備された私は、ベッドの端に座り緊張しつつ夫のギュスターヴが来るのを待っていた。 けれど、夜も更け体が冷え切っても夫は寝室には姿を見せず、明け方朝告げ鶏が鳴く頃に漸く現れたと思ったら、私の前に跪き、彼は泣きそうな顔でそう言ったのだ。 「私と夫婦になるつもりが無いから永久に延期するということですか? それとも何か理由があり延期するだけでしょうか?」  なぜこの人私に求婚したのだろう。  困惑と悲しみを隠し尋ねる。  婚約期間は三ヶ月と短かったが、それでも頻繁に会っていたし、会えない時は手紙や花束が送られてきた。  関係は良好だと感じていたのは、私だけだったのだろうか。 ボツネタ供養の短編です。 十話程度で終わります。

【完結】時戻り令嬢は復讐する

やまぐちこはる
恋愛
ソイスト侯爵令嬢ユートリーと想いあう婚約者ナイジェルス王子との結婚を楽しみにしていた。 しかしナイジェルスが長期の視察に出た数日後、ナイジェルス一行が襲撃された事を知って倒れたユートリーにも魔の手が。 自分の身に何が起きたかユートリーが理解した直後、ユートリーの命もその灯火を消した・・・と思ったが、まるで悪夢を見ていたように目が覚める。 夢だったのか、それともまさか時を遡ったのか? 迷いながらもユートリーは動き出す。 サスペンス要素ありの作品です。 設定は緩いです。 6時と18時の一日2回更新予定で、全80話です、よろしくお願い致します。

彼の過ちと彼女の選択

浅海 景
恋愛
伯爵令嬢として育てられていたアンナだが、両親の死によって伯爵家を継いだ伯父家族に虐げられる日々を送っていた。義兄となったクロードはかつて優しい従兄だったが、アンナに対して冷淡な態度を取るようになる。 そんな中16歳の誕生日を迎えたアンナには縁談の話が持ち上がると、クロードは突然アンナとの婚約を宣言する。何を考えているか分からないクロードの言動に不安を募らせるアンナは、クロードのある一言をきっかけにパニックに陥りベランダから転落。 一方、トラックに衝突したはずの杏奈が目を覚ますと見知らぬ男性が傍にいた。同じ名前の少女と中身が入れ替わってしまったと悟る。正直に話せば追い出されるか病院行きだと考えた杏奈は記憶喪失の振りをするが……。

ロザリーの新婚生活

緑谷めい
恋愛
 主人公はアンペール伯爵家長女ロザリー。17歳。   アンペール伯爵家は領地で自然災害が続き、多額の復興費用を必要としていた。ロザリーはその費用を得る為、財力に富むベルクール伯爵家の跡取り息子セストと結婚する。  このお話は、そんな政略結婚をしたロザリーとセストの新婚生活の物語。