悪役令嬢は執事にだけ溺愛される

桜井ことり

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「……お帰りなさいませ、お嬢様。冷え切ったお体を、まずは温めましょう」


公爵邸の自室に戻ると、アルヴィンは手際よく着替えを促した。
表向きは完璧な執事。
だが、重厚な扉を閉めた瞬間、彼の纏う空気は鋭く、濃密なものへと変貌する。


「いいわ、アルヴィン。自分でするから……。貴方も、少し休んだら?」


「いいえ。貴女をこの手で解き放つことが、私の至上の悦びですから」


アルヴィンの指が、私のドレスの背後にある編み上げに触れる。
布越しに伝わる微かな震え。
それは、彼が抑えている独占欲の証だった。


「……ねえ、アルヴィン。エドワード殿下のあんな顔、初めて見たわ。まるで私が悪魔か何かのように見えていたみたい」


「あの方は、自分に都合の悪い現実を直視できないだけです。……お嬢様、動かないで」


コルセットが外され、締め付けから解放された肺に、夜の空気が入り込む。
私はそのまま、アルヴィンの胸に背中を預けた。


「……苦しい? それとも、怖い?」


「どちらでもないわ。ただ、少しだけ疲れたの。鉄の令嬢を演じるのは、意外と体力がいるのよ」


私はふう、と溜息をついた。
鏡に映る自分の顔は、蒼白で、どこか作り物の人形めいている。
そんな私の肩に、アルヴィンが顔を埋めた。


「……汚らわしい。あのような男に、貴女の清廉な姿を見せたくない。……いっそ、このままどこかへ拐ってしまいたい」


「あら、執事が主人を誘拐するなんて、前代未聞ね」


「冗談だと思われますか?」


彼の声は、ひどく低く、真実味を帯びていた。
私は振り返り、アルヴィンの頬に手を添える。


「分かっているわ。貴方が私のために、どれほど心を砕いてくれているか。……でも、まだ早いの。あの二人が、自らの罪で自滅するその時までは」


「お嬢様は、お強い。……ですが、強すぎるお方は、時折、壊れてしまいたくなるものでしょう?」


アルヴィンの瞳が、獲物を狙う獣のように光る。
彼は私を抱き上げると、部屋の奥にある隠し扉へと足を向けた。


本棚の裏側に隠された、わずか数畳の小さな空間。
そこは、世界で唯一、私が「イザベラ」に戻れる場所。


「……アルヴィン。今夜は、優しくしてとは言わないわ。……私の全部を、貴方の色で塗りつぶして」


「仰せのままに。……エドワード殿下の記憶など、欠片も残さぬほどに、愛して差し上げます」


狭いソファに、沈み込む。
アルヴィンの接吻は、私の思考を奪い、現実を遠ざけていく。
外の世界では、私は王子の不実を耐える、健気で傲慢な悪役令嬢。
けれど、この闇の中では、私はただ一人の男に溺れる、罪深い女。


「……愛しているわ、アルヴィン。貴方だけが、私の真実よ」


「私もです、イザベラ様。貴女の魂の最後の一滴まで、私のものです」


絡み合う指先。
王家への復讐という大義名分を盾にして、私たちは禁断の果実をかじり続ける。
それが、いつか自分たちを滅ぼす毒だと知りながら。
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